大 阪 府
≪八尾市、柏原市≫
地名 | 神社名 | 祭礼日 | 内容 | 備考 | |
≪八尾市≫ | |||||
■八尾地区(旧・若江郡) 旧・若江郡八尾地区は元・八尾村(八尾町・大信寺新田村・東郷村・西郷村・木戸村・庄ノ内村・成法寺村・今井村・別宮村・八尾座村・穴太村・佐堂村・萱振村・八尾中野村・山本新田・小坂合村)よりなる。 |
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本町7丁目7−27 | 八尾神社 | 7/2土日(元・15) | 神輿 | ||
太鼓台1台 | 西郷 | ||||
子供太鼓台2台 | 木戸、西郷 | ||||
西郷⇒神社周辺。門前町・西町・新西町など13のチョウに分かれている。 大人は昭和40年代に青年団が解散してから休んでいたが、平成20年代より曳くようになる。 子供太鼓もあり。 木戸⇒駅周辺。鎮守の八幡神社は合祀。 =子供布団太鼓。昭和末期購入。以前は大人用だったが、青年団解散で村でするようになったので子供用に変更。 |
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本町4丁目2−45 | 八尾天満宮 (公式HPへ) |
7/下旬 | 神輿 | ||
枕太鼓 | 昭和51年制作。太鼓正の作。 | ||||
子供太鼓台1台 | むつみ子供会 | ||||
太鼓台1台 | 栄親会 | ||||
栄親会町会=7/下旬金土。町の人の手作りで2代目。 | |||||
南本町6丁目6−72 | 矢作神社 (公式HPへ) |
7/30、31(毎年) | ギャル神輿 | ||
布団太鼓2台 | 別宮(南本町)、今井 | ||||
子供太鼓台2台 | 子鹿子供会、高美4丁目子供会 | ||||
神輿=大は出されていない。子供用は平成12年(2000)新調。現在はギャル神輿としている。 | |||||
別宮(南本町)=詳細不詳。 今井=小さな神輿は女性が担ぐ。 昭和31年(1956)子供会誕生時に子供太鼓購入し数年は担いだが、その後巡行無し。例祭日は会館前に飾付け。 |
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東本町2丁目2−9 | 長柄神社跡 (矢作神社) |
7/最終土日 | 布団太鼓1台 | 東郷(東本町) | |
東本町(東郷太鼓保存会)=長柄神社跡(東本町2−2−9)に宮入り。制作年 等は不詳だが、戦前よりある。彫師は二代目平間勝利、修理時に松田正幸。 令和元年(1019)7月14日、修復入魂式。 |
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相生町3−7 | 比枝神社 | 7/最終土日(元・26) | 布団太鼓1台 | ||
相生町=昭和56年創建。太鼓正の作。 | |||||
宮町1丁目10−15 | 穴太神社 | 7/15頃の日曜 | 子供だんじり1台 | 太鼓と称する | |
10/2土日 | 布団太鼓1台 | ||||
2018年7月15日聞取り。かつては船型の太鼓台があり、鉦・三味線・笛などの鳴物を乗せていたというが、吉田昇三氏によると、御自身も2回しか曳いていないと仰られるので、戦後すぐに休止したのではと思われる。小屋は現・社務所にあった。社殿・社務所・神殿・倉庫は昭和57年10月竣工なのでこの時前に処分されたと思われる。 太鼓は昭和53年7月吉日、吉田製材所(吉田京松・吉田昇三)奉納。大工は地区の藤井善夫。 この時に幕も作られ当時の子供会(スバル、太陽、文鳥、青い鳥、アポロ、イーグル、カンガルー)も載っているが、既に多くの子供会は消滅している。 布団太鼓は昭和59年10月吉日、穴太共有地管理組合購入。太鼓正の作。 保管庫は神社敷地で太鼓・布団太鼓も一緒に保管。 |
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西山本町2丁目9−32 | 八阪神社 | 7/最終土日(元・31) | 神輿 | ||
布団太鼓1台 | 旧称は八尾中野 | ||||
西山本⇒旧称は八尾中野。太鼓蔵は境内。 =貝塚型(河内唯一)。江戸末期作で昭和初期に貝塚より購入。昭和40年頃に大工「大音」の太鼓台を担ぐが10年ほどで再び貝塚型の太鼓台を担ぎ出す。 大正期は地車を曳いていた。 |
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山本町1丁目2−16 | 山本八幡宮 | 10/14、15(毎年) | 布団太鼓1台 | 長らく休止? | |
山本⇒旧称は山本新田。玉串川沿いで上新田、中新田・下新田に分かれる。太鼓蔵は境内。2010年頃より休止。 上新田=山本八幡宮あたり。夏祭りに布団太鼓を出した。 中新田=山本小学校あたり。秋祭りに布団太鼓を出した。 下新田=山本集会所あたり。昭和30年代に、小さな布団太鼓を出した。 |
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佐堂2丁目2−9 | 杵築神社 | 10/2日曜 | 神輿 | ||
枕太鼓 | |||||
地車 | 廃絶 | ||||
佐堂=先々代は戦前よりあり。地車小屋の奥に幟台が残っている。 先代は大阪型。昭和22年制作。大工は「大音」飯田松太郎。彫師は松田正幸。 2、3年曳いたのみでそれから飾り付けのみ。 平成28年(2016)5月1日、大阪市旭区中宮に搬出。 |
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萱振町5−27 | 加津良神社 | 10/連休土日 | 神輿 | ||
布団太鼓1台 | |||||
町内地車 | |||||
萱振(かやふり)=布団太鼓は往古より。 町内地車は平成7年より登場。太鼓正の作。 |
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小阪合町2丁目8−39 | 坂合神社 | 10/12 | 布団太鼓廃絶 | ||
小阪合(こざかあい)=布団太鼓廃絶。例祭は7/30・31で昭和30年(1955)頃まで担がれた。昭和25、26年頃には福万寺あたりまで担がれたらしい。 | |||||
【太陽の広場ふれあい祭り】 8月初旬土日、16:00〜21:00開催。会場は太陽の広場(緑ヶ丘5丁目78)。 主催は太陽の広場ふれあいまつり実行委員会。 地域イベントだが、市民活動団体も実行委員会で参加。 土曜:パフォーマン、大道芸、子供体験コーナー、河内太鼓 など 日曜:町内抽選発表。まちおこしYAOライブ など。 子供みこし巡行は日曜:9:00〜(午前中)。 子供みこしと称しているが、枕太鼓と子供町内地車が出ていたが、平成28年(2016)の聞取りでは、平成27年(2015)の巡行で足回りが傷み、平成28年(2016)は子供町内地車のみになっていた。 この子供町内地車の製作者に田中忠(彫忠)の名も書かれていた。 |
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■曙川地区(旧・若江郡) 旧・若江郡曙川地区は元・曙川村(八尾木村・東弓削村・都塚村・刑部村・中田村・柏村新田)よりなる。 |
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八尾木北5−172 | 由義神社 | 10/3土日 | 神輿、女神輿 | ||
布団太鼓(宮太鼓) | |||||
八尾木=以前は夏祭り(7/3土日)だったが、平成初期に秋祭りになる。 御旅所は八尾木5丁目公園のところにある。以前は同じ氏子の中田にも行っていた。 |
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東弓削1−36 | 弓削神社 | 7/3土日 | 神輿 | ギャル神輿として使う | |
布団太鼓1台 | |||||
布団太鼓=先代はジェーン台風(1950)で壊れる。その数年後に制作。彫物の一部は再利用しているらしい。 | |||||
都塚296 | 都留美島神社 | 10/20 | 例祭 | ||
刑部4−218 | 御剣神社 | 7/20以前の土日 | 神輿 | 明治13年8月制作 | |
布団太鼓1台 | |||||
刑部(おさかべ)=布団太鼓。平成10年代制作。地元の人の作で4代目と云われる。幕は日本刺繍の作。 | |||||
柏村4−107 | 柏村稲荷神社 | 7/連休土日(元・20) | 神輿 |
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布団太鼓1台 | |||||
柏村新田=布団太鼓。昭和26年(1951)に某所より購入。彫物・幕が立派。挟間は「義経と弁慶」2面、「武者者」、「両国橋」。 | |||||
【八尾木西第2町会夏祭り】 7/3日曜に八尾木1丁目で行われる。布団太鼓と樽みこしが出る。 |
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■西郡地区(旧・若江郡) | |||||
泉町2−18 | 西郡天満宮 | 10/4土日(元・25) | 地車2台 | 西郡、新家 | |
布団太鼓1台 | 西郡 | ||||
西郡⇒地車小屋は境内。 旧・北ノ辻(現・高砂町・桂町・幸町あたり)と旧・中ノ辻(現・泉町)にまたがる。 =堺型。大工は河村新吾。彫師は二代目彫又(西岡又兵衛)。 平成19年(2007)10月21日、購入入魂式。搬入は10月14日。購入費は400万と聞く。 経路は明治末期に喜志村(現・富田林市)より堺市野々井⇒八尾市西郡へ。 脇障子:「雲海・武者」。 見送り:正面は「甲賀三郎飛龍退治」、右は「朝比奈三郎 門破り」、左は「巴御前の勇戦」。 旗台:「力神」。 勾欄合&縁葛:「牡丹に唐獅子」。 土呂幕:「武者」。 下勾欄合:「波濤に千鳥」。(改造時に追加) 台木:「波濤に鯉」。 往古は昭和30年代前半までは辻ごと(北ノ辻、中ノ辻、西ノ辻(新家)に地車を4台出していたと八尾市史には書かれているが辻は3つ。どこか2台所有?。 諸事情で曳かれなくなり、その後布団太鼓で祭り再開。 そのうち1台は明治初期の作で彫師は彫又一門。購入時期は不詳で昭和30年代前半まで曳かれるが、老朽化のため修理されることも無く焼却処分される。 続いて昭和37年に東大阪市瓜生堂から購入したと云われている。堺型。明治初期の制作。彫師は西岡弥三郎。 昭和59年を最後に曳行が止まる。平成10年、曳行を再開するが、再び曳行禁止で保存会も解散。 先代地車購入後の平成16年復活し平成18年まで曳かれるが老朽化のため、現・地車購入につき解体され、彫物は地元へ。 先代は岸和田型。平成13年(2001)東大阪市中野より購入。元・泉佐野市湊の地車。 三代目ともいえるがこの地車購入後2代目が修復復活したので先代 堺市高山の個人に売却と云われる。敷地内にブルーシートで保管されていたが、家の建替えで解体処分されたらしい。 布団太鼓=平成15年頃に老朽化のため出さなくなったと聞く。地車曳行の時に女子供用に曳かれていたらしい。 |
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新家⇒現在は八尾天満宮の氏子。地車小屋は新家1−22。 旧・西ノ辻。 =大阪型。大工は不詳。彫師は彫清(前鬼板) 他。平成4年河合工務店で修復。 従来は土日の18時頃より小屋開けて所曳きだったが、2009年より13時ころより曳行が始まる。 なお従来より所曳きだが、2019年は八尾天満宮に宮入りしたと聞く。 往古の西郡の布団太鼓があった時は合同で祭礼を行ったらしい。 |
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■旧・高安地区(旧・高安郡) 高安地区は元・中高安村(服部川村・郡川村・山畑村・大窪村・万願寺村)、元・北高安村(大竹村・楽音寺村・神立村・水越村・ 千村塚)、元・南高安村(恩智村・教興寺村・垣内村・ 黒谷村+大県郡神宮寺村)よりなる。 |
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神立5丁目5−93 | 玉祖神社 (公式HPへ) |
7/3土日 | 神輿 | 江戸末期の作? | |
地車4台 | 郡川、服部川、神立、垣内 | ||||
布団太鼓8台 | 神立、千塚、大窪、水越、大竹[大小]、楽音寺[大小]、郡川、服部川 | ||||
各地区の地車、太鼓台が出来る前は一段の布団太鼓台を各地区に担ぎ渡していた。昭和30年代前半に途絶えたらしい。今も玉祖神社の物置小屋に保存。当時は赤の布団でなく紅白を螺旋状に巻いていた。 | |||||
【地車】 郡川⇒地車小屋は郡川公園の池のほとりにある。 =大佐請取帳に明治30年(1897)5/1渡しとある。住吉型。制作費用は520円。 大工は「大佐」12代目、川崎宗吉。彫師は9代目小松源助、赤銅芳松。 銘板は「細工人 東成郡住吉村 大佐」とあり。 平成14年に吉為工務店(吉野寿久)にて修復。 ≪大屋根廻り≫ 拝懸魚:「朱雀」。隣懸魚:「麒麟」。 車板:「青龍」。 枡合:「青龍」。 虹梁:正面は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、右は「神功皇后と武内宿禰」、左は「八幡太郎義家、勿来の関」。 ≪小屋根廻り≫ 拝懸魚:「猿つかむ鷲」 隣懸魚:「松に猿」。 車板:「鬼を捕らえる鐘馗」。 枡合:「獅子」。 ≪腰廻り、見送り廻り≫ 番号持ち:「宝船」。 見送り(三枚板):正面は「楠公子別れ桜井の駅」、右は「大塔宮護良親王」、左は「児島高徳、桜木に歌を詠む」。 土呂幕:正面は「司馬温公の瓶割り」、左右後は「武者物」。 花台:「猩々舞」。 脇障子:「賤ヶ岳の合戦」。 服部川=明治10年代作と思われる。幕式。独特なので八尾型という人もある。 昭和23年布団太鼓購入の記念撮影後に八幡池(今は埋立て)に落ちそれより曳行休止。 神立=明治2,30年代作。幕式地車。八尾型。 昔、神立と郡川とで地車の交換したという言い伝えあるので、この地車は元・郡川の地車か? またこの地車は本来は神立の地車では無く、宮持の地車なので、修理が出来ないという声も聞く。 2012年頃に祭りで小屋を開けていると、彫物をてんごした不届き者がいたので祭礼時も扉を閉めている。 垣内⇒地車小屋は垣内5−110。 =江戸末期か明治初期に作られたと思われる。堺型。 元・柏原市恩地乾小路より購入。 |
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【地車廃絶】 大窪=確証は無いのだが、大窪出身の人から大窪の地車を郡川に売ったと聞く。 その当時は郡川には地車が無かったとのこと。 本当なら郡川の先代地車にあたるが? 大竹=大正期に太鼓台に。 楽音寺=大正8年頃に太鼓台に変更。 大窪=布団太鼓以前は地車。 水越=明治期まで地車。言伝えでは古市の某所に売却で、鳥居をくぐり抜けれない大きな地車(北河内型)だった。 そこから現在の香芝市上中の地車ではと思われる。上中は古市の堂之内より購入と伝わる。 大竹=大正15年頃に売却。 ※明治初年までは地車が10台あった。 |
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【布団太鼓】 神立⇒格納庫は玉祖神社入口。 =平成10年に「梶内」より購入。昭和27年堺市出島新調。平成2年に新調のため「梶内」に下取り。梶内だんじりの作。彫師は松田正幸か。 平成26年(2014)八尾市大竹の玉輝工房で修復。 彫物以外は全て替えられ新調と言ってもいいと思われる。 タガヤ、組物、土呂幕 等に彫物追加。土呂幕は松谷隆司、勾欄合は岸田恭司の作。 挟間:正面は「天穂日命」、右は「秀吉本陣 佐久間の乱入」、左は「村上義光 錦の御旗奪還す」、後ろは「頼朝朽木隠れ」。 千塚=昭和24年、淡路の鮎原より購入。 以前は水越の布団太鼓を一緒に担いでいた。 大窪⇒鎮守の御祖神社は明治41年(1908)合祀。その跡地に集会所や太鼓蔵がある。 =明治39年(1906)6月、日露戦争戦勝記念に創建。大工は大阪・堀江の人。彫師は小松源助。平成15年「彫忠」で修復。 平成28年(2016)4月24日、修復入魂式。板谷工務店による。 彫刻の追加、勾欄の改修、その他修繕。 水越⇒鎮守は都夫久美神社。境内に太鼓蔵あり。 =制作年、大工は不詳。彫師は松田正幸?。 挟間:正面&背面は「青龍」、左右は「牡丹に唐獅子」。 勾欄合:「龍」。 土呂幕四面:「牡丹に唐獅子」。 大竹[大小]⇒鎮守は賀茂神社。 =昭和24年(1949)制作。淡路より購入。彫師は松田正幸。平成22年(2010)63年ぶりに梶内だんじり店にて修復。 大正期創建。地車売却は大正15年と伝わるのでその頃か?東大阪市菱江に行くが現存せず。 子供太鼓台は元・堺市石津の川向子供太鼓台。 楽音寺[大小]⇒鎮守は熊野神社。 =平成15年新調。大工は吉為工務店。 先々代は貝塚型。元々貝塚の遊郭の展示用の大型太鼓台。 八尾市万願寺より購入。転倒事故のため買い替えとなり梶内だんじりに下取り。挟間は花岡龍造の銘があり、二面が柏原市上市子供地車に使われている。 先代は昭和28年頃に「梶内」より中古で購入。平成14年7/21に万願寺の北(式部)に引渡し。 郡川⇒鎮守は牛頭天王社。 格納庫の道の向かいにだんじり小屋がある。 =平成28年(2016)4月29日、購入入魂式。堺市東湊先代太鼓台を板谷工務店が改修して購入。 狭間、布団張り新調。洗い、錺金物の再メッキ。 先代は昭和28年頃に「梶内」より購入。平成14年、吉為工務店で修復。 現・太鼓台購入につき、平成27年(2015)11月29日、昇魂式を行い、板谷工務店が下取り。現・西宮神社神輿奉賛講社。 先々代は永らく保存されていたが、平成14年、藤井寺市津堂に売却。。 服部川⇒鎮守は服部川八幡宮。子供神輿もあり。 =令和元年(2019)6月30日、新調入魂式。 大工は板谷工務店。彫師は木下彫刻工芸。他にふとん工房 紀の長。ぎぼしや など。 挟間:正面は「天の岩戸」。右は「神武東征」、左は「大蛇退治」、後ろは「神功皇后 応神天皇平産す」。 先代は昭和23年に淡路より購入。彫師は開生a。 平成30年(2019)2月10日、昇魂式。 解体され彫物は地区有力者や会館・社務所に飾られる。 |
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中高安台=大窪地内の新興町。小型太鼓を所曳きしている。 | |||||
山畑340 | 佐麻多度神社 | 7/16頃の土日 | 神輿 | ||
布団太鼓1台 | |||||
黒谷1142 | 熊野権現社 | 7/16頃の土日 | 神輿 | 日曜に出る | |
布団太鼓1台 | |||||
黒谷=大正13年(1923)に初担ぎされたらしい。 令和6年(2023)3月3日、修復入魂式。梶内だんじり店の施行。彫師は木彫 片山(片山晃)。 |
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【高安祭り】 元禄10年(1697)、高安11ヶ村は、雨乞い祈願の灯籠を玉祖神社に寄進している。また玉祖神社の祭りをいつから高安祭と言うのか分からないが、寛保2年(1742)頃には、神立・大竹・水越・千塚・大窪・山畑・服部川・郡川の地域で祭りが行われている。さらに天明2年(1782)頃には、教興寺・黒谷・垣内が、祭りに参加を申し出た記録がある。このように江戸時代に成立した村が今日の地区になっており神輿が巡幸されていたが、諸般の理由により、平成13年より途絶え、現在、神立・大竹・水越・千塚の4ヶ村で渡御が行われている。郡川、大窪は玉祖神社氏子なれど渡御には参加しない。 楽音寺・服部川・山畑・黒谷は各鎮守で神輿を巡幸。また黒谷も神輿を地区内で渡御。 神社例祭ではなく、地域の祭りと考えれば、(玉祖神社とその他の各鎮守の夏祭り)高安地域は北高安・中高安・南高安となり、 北高安:神立、水越、大竹、千塚、楽音寺 中高安:郡川、大窪、山畑、服部川 南高安:黒谷、垣内 となる。 本宮は夕方に中高安連合夏祭りとして 中高安小学校の校庭に中高安4台(郡川、大窪、山畑、服部川)が集まりの担ぎ合い。 夜には五親会合同で玉祖神社松の馬場で北高安5台(神立、水越、大竹、千塚、楽音寺)と玉祖神社神輿の担ぎ合いが行われる。 |
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南之辻(東山本町2−2−9) | 住吉神社 | 7/最終土日(元・31) | 布団太鼓1台 | 万願寺南 | |
中之辻(東山本町4丁目) | 八幡神社 | 布団太鼓1台 | 万願寺中 | ||
式部(東山本町5丁目) | 式部御野懸主神社 | 布団太鼓2台 | 万願寺北、万願寺新家 | ||
【万願寺夏祭り】 南之辻(堂垣内)=東山本町1〜3丁目。住吉神社に宮入り。3代目。平成18年(2006)7月完成。彫師は松谷隆司。 挟間:前後は「龍」、左右は「獅子」、「猿を掴む鷲」。泥幕は「獅子」、勾欄は「十二支」、縁葛は「波に龍」。 先々代は貝塚型で大正8年に楽音寺に売却。 先代は大正8年頃に購入。昭和23年、大改修。平成15年、「梶内だんじり店」で布団新調。 中之辻(御領。ごうじょ)=東山本町4丁目、5丁目の一部。八幡神社に宮入り。平成21年4月購入。彫忠最後の作。 先代(初代)は解体処分。 北(式部。しくい)=東山本町5丁目の大半。御野懸主神社に宮入り。大工は玉置工房。 平成14年(2002)7/21に楽音寺より購入。購入後に八尾市大竹の“玉輝工房”で修復。楽音寺は昭和28年頃に「梶内」より中古で購入。彫師は松田正幸。 先代もあり。 新家之辻=東山本町7、8丁目、6丁目・9丁目の一部。太鼓は南と共に住吉神社で納められている。 平成19年(2007)7月22日、新調入魂式。彫師は松谷隆司。 挟間:前は「龍」、後ろは「飛龍」、左右は「唐獅子」、「猿を掴む鷲」。 縁葛は「浜千鳥」。泥幕は「牡丹に唐獅子」。 先代もあった。 |
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教興寺550 | 岩戸神社 | 7/1土日(元・7) | 神輿 | ||
布団太鼓1台 | |||||
教興寺⇒太鼓蔵は教興寺会館。 =初代。奈良県の大和小泉から購入したらしい。明治2年に隣村の黒谷の大工が改修した墨書が雲板の裏側にあり、雲板と泥幕の彫刻はその時に大工が彫り、狭間と縁葛の彫刻は元々の物から明治2年以前に教興寺に来たと考えられる。 |
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恩智中町5−10 | 恩智神社 (公式HPへ) |
8/1&11/26 | 神輿 | ||
布団太鼓1台 | 恩智 | ||||
夏祭り=古くは、おんはらい祭と称した。これは三韓征伐の功により住吉大明神と恩智大明神の親交が深まり、夏祭を共に行い(旧6月27日)摂津と河内の境界の蔵作村の南(現在の大阪市平野区加美春日町)春日神社に御旅所があるので、住吉大明神の神輿と共に、御一夜を過ごされて翌朝帰還されたと伝わる。ちなみに和泉国一之宮の大鳥大社とは今も行われている。 現在では、神輿・太鼓台が氏地の中谷・南谷・天王森の御旅所に立ち寄り、21時頃に宮入りする。 |
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神宮寺5−173 | 八王子神社 | 7/23(毎年) | 子供神輿 | 常世岐姫神社とも称する | |
10/23(毎年) | 子供神輿 | 境内に飾付けのみ | |||
■三野郷地区(旧・河内郡) | |||||
福万寺町4−13 | 三十八神社 | 10/2土日(元・17) | 布団太鼓1台 | ||
子供太鼓台 | 東大阪市稲田旭町より購入 | ||||
本宮は提灯の宮入り。北之町、御坊町、仲之町、南之町から出る。 | |||||
上之島町南1−71 | 御野県主神社 | 10/3土日(元・15) | 神輿 | ||
布団太鼓1台 | |||||
上尾町6−58 | 〃 御旅所 | 10/3土日 | 布団太鼓1台 | 旧称は上代。 | |
氏地は旧・上之島村のほか高安郡万願寺村の字式部と新家の二町も氏子であったが、文化年中に至り分離したと三野郷村誌に記載されている。 | |||||
上之島=地内の大真寺(上之島町南3−19)の寄贈で淡路島より購入と伝わる。 「八尾 今昔写真帖」2009年、郷土出版社。138ページには「写真は昭和3年に太鼓台を新調したときのもの」と書かれている。 上尾町=服部川で新調するが、1年で売却。大工は「大音」こと飯田松太郎。彫師は辻田一門の前田正三。彫忠で修復。 |
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■旧・渋川郡地区 旧・渋川郡地区は元・久宝寺村(久宝寺村・三津村新田・顕証寺新田)と元・龍華村(太子堂村・植松村・渋川村・安中村・亀井村・竹淵村)よりなる。 |
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久宝寺5丁目4−8 | 許麻神社 | 7/18、19 | 神輿 | 六角神輿 | |
布団太鼓(大小) | |||||
久宝寺=昭和6年(1931)新調。 昭和27年(1952)頃中断。以前は各町(北町、東町、南町、今口町)に青年団があり祭礼を行う。 昭和60年(1985)頃復活。復活時は青年団が一本化され、消防団も交えて祭礼を行う。 |
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三津村新田=久宝寺川の旧・河川敷に出来た新田。 6町会から成る。真砂町第一町会(東久宝寺3丁目東側)、真砂町第二町会(東久宝寺3丁目西側)、高砂町(東久宝寺2丁目)、旭町(末広町4丁目)、栄町(末広町3丁目西側)、常盤町(末広町1丁目西側) |
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顕証寺新田=久宝寺川の旧・河川敷に出来た新田。現・東久宝寺1・2丁目。 天保9年(1838)戸数30戸。 |
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南太子堂6−11 | 太川神社 | 7/26頃の土日 | 子供地車1台 | ||
太子堂=子供地車。昭和20年代制作。以前は大人地車あり。 | |||||
渋川町5−48 | 渋川天神社 | 7/4土日 | 布団太鼓1台 | 太鼓正の作 | |
地車廃絶 | 大正9年頃に売却 | ||||
渋川=布団太鼓。昭和52年に太鼓正より750万か800万円くらいで購入と伝わる。 以前は地車で近隣の亀井か跡部のあたりから購入するが、大正9年頃に売却。その後太鼓台購入するまでお休み。 |
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植松町3丁目3−6 | 渋川神社 (公式HPへ) |
7/25、26(毎年) | 神輿 | 収納 | |
布団太鼓(大人) | 植松東、安中 | ||||
布団太鼓(子供) | 植松東、安中地域子供会、仲よし子供会、安中ひまわり子供会、 安中ばら子供会、陽光園あやめ子供会 | ||||
地車2台 | 安中ばら子供会、南植松 | ||||
子供神輿 | 植松西 | ||||
樽みこし | 永畑つばさ子供会 | ||||
以前は植松に新旧の太鼓があり、東西で隔年に担いでいた。 ところが昭和40年代に祭りが一時廃れ新しい太鼓台を植松東が頂いた。 また神輿は昭和30年頃まで安中新田、八尾座、植松、八尾の順で村境で渡して交代で担いでいた。 なお昔の大きな太鼓台と神輿は解体されて神社倉庫に眠っている。 |
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植松東=昭和15年頃、梶内の作?。前後の挟間は川原啓秀の作。 安中地域青年会(旧称は八尾座)=浪速区西浜にあった7台の太鼓台の1台を購入。 |
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植松東=昭和60年創建。太鼓正請負。彫忠の作。衣装は昭和60年、日本刺繍の作。 安中地域子供会=子供会によって巡行。 仲よし子供会[植松町4丁目]=子供会によって巡行。太鼓正の作? 安中ひまわり子供会[植松町5、6丁目]=小型太鼓台。太鼓正の作。 平成27年(2015)5月31日、修復入魂式。 安中ばら子供会[安中町1〜3丁目]=太鼓台。太鼓正の作。 陽光園あやめ子供会=太鼓台。 |
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安中ばら子供会=太鼓正の作。 南植松(新植松・旭園)=1つ屋根手作り地車。宵宮のみ宮入り。 |
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植松西=子供神輿は昭和48年創建。子供会によって巡行。 永畑つばさ子供会=樽みこし。 |
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亀井町2丁目4−5 | 跡部神社 | 7/3土日 | 地車廃絶 | ||
亀井=昭和35年頃新調するが、昭和36年の第二室戸台風で壊れる。 | |||||
竹淵2−154 | 天照皇大神社 | 10/16 | 地車廃絶 | ||
竹淵(たけふち。以前はたこちと呼ばれていた)=地車は昭和初期には曳いていたが、昭和22、3年頃まであった。 | |||||
■旧・志紀地区 旧・志紀郡弓削村・老原村・田井中村・天王寺屋新田・二俣新田よりなる。 |
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弓削町1丁目36 | 弓削神社 | 7/最終土日 | 神輿 | ||
布団太鼓1台 | |||||
地車廃絶 | |||||
8/初旬 | 布団太鼓1台 | 志紀東 | |||
弓削=昭和59年「中村工務店」作。 先代は昭和43年頃作るが現・太鼓台購入時に解体処分。 |
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地車=竹淵より購入するが、昭和52年に南老原に売却。 | |||||
志紀東保存会(川俣会)=昭和50年、枕太鼓を有力者に頂く。 平成18年、枕太鼓を布団太鼓にみんなで改良。 宮入りはせず、陸橋の下で御祓い。 |
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老原5丁目(西老原) | 白山神社 | 7/最終土日 | 神輿 | ||
子供太鼓台1台 | |||||
老原2丁目(東老原) | 杵築神社 | 7/最終土日 | 布団太鼓1台 | ||
地車廃絶 | |||||
布団太鼓=淡路型。昭和25年「梶内」制作。挟間は「村上義光錦の御旗奪還す」、「両国橋」、「弁慶」2面。 先代は現・太鼓台購入につきとんどで焼却。 地車=大正末期に廃絶。 |
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南老原 | 御剣神社 | 7/最終土日 | 神輿 | ||
地車1台 | 住吉型 | ||||
地車=神社改築の際に制作。 戦後、小型布団太鼓創建するが中断。 先代は昭和52年東弓削?より購入。元・竹淵の地車。その後生野区岡の地車(先々代)となり現存せず。 |
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【廃絶】 町内地車=昭和50年制作。軽4改良。地車購入につき屑鉄商に売却。 布団太鼓=昭和30年頃まで担がれる。その後休止され第二室戸台風で拝殿が壊れたので納めることが出来ないので廃棄される。 |
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田井中3丁目178 | 神剣神社 | 7/最終土日(元・14) | 神輿 | ||
布団太鼓1台 | |||||
布団太鼓=昭和51年「太鼓正」作。 戦前は志紀小学校は休日で、村に提灯出して拝殿前の大太鼓を子供が叩いていた。午後からは宮相撲。相撲の無い年は獅子舞を呼んだ。 戦後、青年たちが隣の弓削神社のように太鼓台を出したいと要求があり、昭和24年(1949)太鼓台を創建した。東弓削の宮大工の作で、芋を売ったお金で作ったので芋太鼓と呼ばれた。 当初は秋祭りに出していたが、弓削神社の祭礼日に合わせて夏祭り(7月14日)に変更。さらに31日に変更したが、現在は7月最終の土日である。また昭和30年代にコマを取り付けた。 この太鼓台の布団は紅白の五段で永らく使われたが、現・太鼓台の下取りに使われた。 |
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天王寺屋2丁目 | 稲生神社 | 7/最終土日 | 布団太鼓1台 | ||
【西フレンド子供会夏祭り】 7/最終日曜に府営志紀住宅で行われる。布団は3段。小学生高学年用と低学年用の2台が出る。 |
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■三本木地区(旧・志紀郡) 旧・丹北郡木本村+旧・志紀郡南木本村・北木本村よりなる。 |
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木の本1−59 | 樟本神社 | 7/2日曜 | 子供地車1台 | 平成元年より始まる | |
南木の本7−33 | 樟本神社 | 10/連休土日 | 布団太鼓1台 | ||
南木の本=布団太鼓。初代。昭和32年頃に「梶内」より購入。 彫師は開正藤。挟間は「村上義光 錦の御旗奪還す」、「川中島の合戦」、「天の岩屋戸」、「神功皇后 応神天皇平産す」。 |
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北木の本5−73 | 樟本神社 | 10/連休土日 | 布団太鼓1台 | ||
初代。昭和22年、村の大工の作。彫師は八尾・志紀の欄間師。 | |||||
■太田地区 旧・丹北郡太田村+旧・志紀郡太田村・沼村よりなる。 |
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太田1−195 | 太田八幡宮 | 10/連休土日(元・9) | 町内地車6台 | 北町、巽町、田中町、西川町、東町、免田町 | |
大佐の「地車請取帳」には太田へ明治15年9月、400円で売却したとある。 | |||||
沼1−130 | 宝殿神社 | 10/連休土日 | 布団太鼓1台 | ||
町内地車1台 | 往古の地車は羽曳野市古市堂之内へ | ||||
【若林町秋祭り】 10/連休日曜に開催。2010年代初期に始まる。若林町自治会館前に2台のだんじりが並ぶ。 |
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若林=宝永元年(1704)の大和川付け替え工事により村域は南側の集落、北側の耕作地に分断された。住民は大和川を渡って耕作を行うこととなり不便を強いられたため住居を対岸・北側へ移す者が続出した。北若林地区は出郷(でんご)と呼ばれ、松原市だったが、昭和39年(1964)に編入される。 | |||||
≪柏原市≫ | |||||
■柏原地区 | |||||
今町1丁目3−13 | 柏原黒田神社 | 7/2か3土日(元・16) | 地車4台 | 今町、古町、大正西、大正東、上市地区 | |
町内地車 | 上市地区、川北連合 | ||||
布団太鼓など | 布団太鼓[今町] 子供太鼓[清洲町] |
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今町2−1−20 | 柏原神社 | ||||
今町⇒地車小屋は黒田神社横。 =3代目。堺型。平成12年(2000)7月2日、和泉市太町より購入入魂式。 江戸末期〜明治初期作。高石市北村新調。昭和42年、北村より8万円で購入。 大工は川崎仙之助(大佐11代目)。彫師は彫又一門。 平成初期に池内工務店で改修。屋根・脇障子を全て交換、鬼板・一部枡合・柱巻き人形・板勾欄・縁葛・台木を彫り換え、欠損彫刻を補修。 令和元年5月12日、修復入魂式。文化庁の文化遺産総合活用推進事業の補助金交付。 修復では主柱・後柱・主屋根・縁葛平・縁葛妻・板勾欄・大小屋根板・土台下駆動部材などの交換、化粧金物メッキ仕直し、洗浄(灰汁洗い)、彫刻補修、色付けなど。 ≪大屋根廻り≫ 車板:正面は「雲海」、 枡合:正面は「牡丹に唐獅子」、左右は「牡丹に唐獅子」、 虹梁は「司馬温公の甕割り」、左右は「飛龍」。 ≪小屋根廻り≫ 枡合:「牡丹に唐獅子」 板勾欄:右は「富士の巻狩り」、左は「仁田四郎忠常の猪退治」。 |
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古町⇒地車小屋は古町2−5あたり。 =大和型。明治15〜20年に堺方面より中古で購入。大工は不詳。彫師は小松源助(8代目)。 平成14年「梶内だんじり店」で修復。以前は昭和11年。 |
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大正西⇒地車小屋は大正総合会館(大正1−5−19)の敷地内。 =板勾欄出人形堺型。江戸末期〜明治初期の作。 平成21年(2009)4月5日、同市大県より購入。住吉大佐の作か?これは「地車地車請取帳』に「中河内 かた下郡 大懸 支部長様 七月三十日 まつり 太鼓臺 是非買かヘル」の記載がある。彫師は彫又。 平成24年(2012)5月3日、修復入魂式。大下工務店、辰美工芸による。 洗い、締め直しに、欠損していた多くの彫物を追加、新調する。 先代は町内地車。平成12年(2000)今町より購入。当時は大正からたちと称していた。正式には個人数名の所有らしい。 現・地車購入につき上市の人に譲る。現在、板谷工務店に保管。 もう1説は2018年4月1日、羽曳野の個人へ。さらに令和5年(2023)12月22日、お囃子団体天打鼓舞(てんてこまい)へ。 |
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大正東⇒地車小屋は大正総合会館(大正1−5−19)の敷地内。 =令和元年(2019)5月6日、購入入魂式。 大阪型。慶応年間(1865〜68)東成区中本新調。昭和32年5月に東成区中本より城東区諏訪が購入。大工は不詳。彫師は長谷川市太郎。 平成19年(2007)大改修。 先代は子供地車。今町より平成12年(2000)購入。兵庫県尼崎市塚口地区の長溝に売却するもコロナ渦のため令和6年(2023)現在曳いていない。 |
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上市地区=堺型。江戸末期から明治初期により製作。堺の地車大工の作。 新調された地は不詳。 平成27年(2015)5月31日、地車購入入魂式。高さ3m。幅2.2m。長さ4.2m。式典会場はJR柏原駅西口。 この地車は明治期には河内長野市小山田地区が所有し、同じく明治期に同市原地区が購入。原地区が現地車新調に伴い、昭和63年に同市滝畑に譲渡されたが、滝畑は平成9年まで曳行されていたが、過疎化等の理由で曳行を休止。 平成21年、有志会が購入し、河合工務店にて改修。本体の洗い・錺金物のメッキ直し・台木は波頭が削られ角型になり、金具を取り付けた。 妻台が全て交換されたため、後梃子の穴や旗台の跡は無くなっている。前梃子を差すため、前輪の駒軸の位置を内側に変更。 摺出鼻は使用しないため、削って代わりに木鼻を取り付けた。 柱を取り替えた際に腰周りを中心に車高を下げており、太鼓を入れるために間仕切りを削っている。 また平成19年に曳かれなくなっていたまた元・深江新家地車を河合工務店が回収し、大屋根正面・小屋根飾目、摺出鼻跡の木鼻は深江新家地車のものが活用されている。 有志会は入魂式に先立ち、平成22年6月6日に生野神社地車講として発足した。 平成27年(2015)2月1日、昇魂式とお別れ曳行。 往古は子供会で祭礼を行う。 1丁目(=JRより海側で駅周辺。一二三子供会)上市子供地車と称していた。 ⇒子供地車。昭和40年代初期に梶内だんじり店より小型地車を購入。 挟間は花岡龍造の銘があり、これは元々貝塚の太鼓台。八尾市万願寺より購入。梶内だんじりに下取り。二面が子供地車に使われている。 現在は子供用として使用。 2丁目(=JRより海側で大和川近く。上二子供会) ⇒子供太鼓台。地元の人が制作。平成20年代まで使用。2015年現在、保存中。 現在は上市地区と合同で地車を曳く。 3・4丁目(=JRより山手側。若松子供会) ⇒子供太鼓台があったが、老朽化のため清州子供会の太鼓を曳かせてもらう。 上市地区地車購入につき、地車合同で曳くことを提案されたが、従来通りに清州子供会と合同で太鼓台を曳く。 |
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今町=平成元年購入。2020年3月15日、お別れ式。3月20日、兵庫県明石市林地区に嫁入り。 なお嫁入りに私も絡んでいる。 初代は子供太鼓台。 清洲町=曳きタイプの布団太鼓。清州こども会夏まつりとして実施。宮入せず宮司に来てもらう。土曜曳行。日曜は夜店。 |
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本郷2丁目5−6 | 御剣神社 | 7/3土日 | 地車1台[大和型] 布団太鼓1台 |
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本郷=江戸末期の作。大工は不詳。彫師は枡屋又兵衛(彫又初代)。 地内は東西に分かれ2台の地車があったが喧嘩して仕方がないので大きく立派な東の地車を堺方面に明治後期〜大正初期に売却してその代金で太鼓台を購入。この太鼓台は室戸台風で壊れ現在3代目である。西の地車は庄屋の柏元源二(明治18年没)の寄進という言い伝えあり。 太鼓台=詳細不詳。 先代は昭和28年制作。八尾市郡川に売却。現・兵庫県西宮市の西宮神社神輿奉賛講社の大太鼓台。 |
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安堂町19−9 | 二宮神社 | 7/2土日 | 神輿 | ||
地車1台[堺型] 子供地車1台 |
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安堂⇒地車小屋は神社境内。 =堺型。平成26年(2014)3月16日、購入入魂式。 文政年間制作。に大工は木村一門。彫師は見送り正面の裏面に「彫工 西岡又兵衛」と墨書きがある。 堺の甲斐之町⇒河内長野市上田⇒安堂。 昭和60年吉為工務店で修復。さらに平成11年植山工務店で修復。 ≪大屋根廻り≫
鬼板:正面は「獅噛み」、後ろは「獅噛み」。 懸魚:正面は「朱雀」、虹梁:「唐獅子」。 ≪小屋根廻り≫ 鬼板:「獅噛み」。 懸魚:「松に鷲」。 虹梁:「唐獅子」。
≪腰廻り、見送り廻り≫ 勾欄合:「牡丹」。 縁葛:正面は「唐獅子」。
三枚板(見送り):正面は「漢の高祖の龍退治」、右は「伍子胥、重さ千斤の鼎を揚て文を作りみづから書す」、左は「楚の項羽、烏騅と云う名馬を得る 」。 花頭窓:「猩々」
土呂幕:正面は「獅噛み・力神像」、左右後ろは「牡丹に唐獅子」。
幟台:「力神」。
台木:「波濤に鯉」。 先代は江戸末期制作。大工は新庄衛門又は新兵衛。彫師は西岡又兵衛(彫又2代目)。 堺市甲斐之町(現・河内長野市上田町)の地車新調時の試作品として作られた。 |
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大県4丁目6−1 | 鐸比古鐸比売神社 | 7/30、31 | 布団太鼓1台 | 大県 | |
地車1台廃絶 | 大県 | ||||
7/4土日 | 布団太鼓1台 子供太鼓5台 町内地車1台 |
法善寺 | |||
大県…堺型地車&布団太鼓 =昭和4年(1929)制作。彫師は川原啓秀。 大佐の「地車請取帳」には大正14年以降に「中河内 かた下郡大懸 支部長様 七月三十日 まつり 太鼓臺 是非買かヘル」とあるが?。 |
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大県=堺型地車。平成21年(2009)4/5、昇魂式。同市大正西へ。祭礼中は飾付けのみだった。 | |||||
法善寺(=法善寺1丁目2区・法善寺3丁目1区&2区)=布団太鼓(大小) 堺市百舌鳥本町より平成30年(2019)6月23日搬入。御披露目未定。 現・太鼓台は平成5年、有志の作。 往古の太鼓台は東大阪市枚岡より購入するが、ジェーン台風か第二室戸台風で壊れる。 法善寺1丁目1区(やまびこガーデン)=布団太鼓 法善寺2丁目4区=布団太鼓。2019年の聞取りでは30年くらい前に地元の大工が6ヵ月かけて制作したとのこと。 往古は本村(法善寺)より時間を決めて借りていた。一番暑い昼間だったとのこと。 先代は太鼓正の作。現・太鼓台制作につき、国分の玉手の子供会に譲る。 法善寺3丁目4区=布団太鼓 法善寺4丁目1区・3区(津積之郷第2子供会)=布団太鼓 法善寺4丁目2区(あおぞら子供会)旧称は津積之郷第三子供会=町内地車 |
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青谷1025 | 金山彦神社 | 10/下旬 | 神輿 |
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地車2台 | 北町、南町 | ||||
子供地車 | |||||
北町⇒地車小屋は神社境内。2台の地車が格納。 =堺型。板高欄出人形式柱巻付き。制作年は不詳だが、明治26年9月に修理という墨書きがあるので、明治初期と思われる。 堺の大工と思われる。彫師は堺・西岡又兵衛。 平成21年(2009)10月4日、修復入魂式。大工は岸和田の井上工務店。 ≪大屋根廻り≫ 鬼板:前は「雲に麒麟、後ろは「唐獅子」。 懸魚:「鳳凰」。 枡合:前後は「青龍」、左右は「牡丹に唐獅子」。 ≪小屋根廻り≫ 鬼板:「獅噛み」。 懸魚:「牡丹花弁」。 枡合:「牡丹に唐獅子」。 ≪腰廻り、見送り廻り≫ 脇障子:「玄武」。 三枚板:正面は「唐獅子」、右は「日本武尊の大鷲退治」、左は「雄略天皇猪退治」。 土呂幕:左右は「波に青龍」、背面は「波に青龍」。 三枚板:正面は「唐獅子」、右は「日本武尊の大鷲退治」、左は「雄略天皇猪退治」。 |
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南町⇒地車小屋は神社境内。2台の地車が格納。 =堺型。板高欄出人形式柱巻付き。制作年は不詳だが、他の大源制作の地車から明治初期と思われる。 大工は住吉・大源。彫師は堺・彫又一門と思われる。 ≪大屋根廻り≫ 鬼板:前は「飛龍」、後ろは「獅噛み」。 懸魚:「鳳凰」。 車板:「板張り」。 枡合:「牡丹に唐獅子」。 ≪小屋根廻り≫ 鬼板は「獅噛み」。 懸魚:「唐獅子?」。 枡合:「山水」。 ≪腰廻り、見送り廻り≫ 三枚板:右は「飛龍退治」、左は「雄略天皇猪退治」。 柱巻き・土呂幕は「武者物」。 |
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子供地車=平成10年代に村の酒屋さんの作。 | |||||
戦前は北と南別々に動かしていた。昭和40年代に曳行復活時には南北合同で1台ずつ曳くようになっていた。 | |||||
1台は堺の某地区。もう1台は大和より購入と伝わるが、どちらがどうか既に分からない。 なお香芝市北今市の地車は青谷に売却されたと伝わる。 |
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太平寺2丁目19−13 | 石神社 | 7/19頃の土日 | 布団太鼓1台 | ||
太平寺=明治43年頃制作。彫師は三代目黒田正勝。堺市大甲濱初代太鼓台。大正3,4年に鍛冶屋町(利器制作所仲)に売却されその後に当町へ。 大佐の「地車請取帳」には大正9年以降に「中河内郡堅下村大字太平寺 堺か志や町太鼓買 田中豊松様 但しふとんだい小買ニ来ル」とある。大佐が間に入ったようだ。 |
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高井田661 | 天湯川田神社 | 7/3土日 | 布団太鼓1台 | 高井田 | |
10/17頃の土日 | 地車 | 高井田台 | |||
高井田=2015年祭礼時聞き取り。15年目と言うので平成12年(2000)購入。彫忠の作。 太鼓台としては4代目はいっているらしい。 平成28年(2016)5月15日、肩均し(お披露目も兼ねる)彫忠で彫物(狭間)などが追加され、高さが約30cm上がる。 太鼓は明治2年と墨書きあり。平成27年(2015)張替え。この時期には祭りあり。 往古は地車で安堂と交換と聞く。 先代の布団は5段で紅白。彫物の挟間は「童話」。神社奉納。土呂台は老朽化ひどく処分したらしい。 飾り物は天湯川田神社の拝殿に奉納。 子供会の地車=現・太鼓台購入につき曳かれなくなり、高井田台に貸す。 現在は神社倉庫に保管。 |
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高井田台⇒地車小屋は高井田521あたりで、高井寺の近く。 =大阪型。平成24年9月16日、購入入魂式。搬入は8月26日。搬入に先立ち板谷工務店で本体の洗い、担い棒の交換、金物の修復、簡単な補修などが行なわれた。購入年は10月連休土日に曳行をする。 江戸末期の制作。和歌山県橋本市古佐田は昭和26年9月に五条市西阿田町より購入。 大工は堺の地車大工か。彫師は彫又。 見送りは「三国志」。幕は「巴紋」。 以前は高井田の子供地車を借りて祭礼を行なっていた。 |
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平野2丁目15−22 | 若倭姫神社 | 7/最終土日 (元・31) |
布団太鼓(大小) | ||
布団太鼓=制作年、作者 等は不詳。平成20年(2008)7月20日、修復入魂式。大工は八尾市大竹の玉輝工房。彫師は松谷隆司。 ほとんど新調の太鼓台。 挟間:「牛若丸鞍馬山修業の場」、「巴御前の勇戦」、「曽我五郎大磯驀進」、「牛若 弁慶五条大橋の出会い」。 泥幕は先代より「加藤清正虎退治」、「頼朝朽木隠れ」、「楠公子別れ櫻井の駅」、「?」。 |
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山の井町7−4 | 若倭彦神社 | 7/4土日(元・31) | 布団太鼓(大小) | ||
布団太鼓=制作年は不詳。梶内の作か。 布団台は「鳳凰」。雲板は「丹頂鶴」。 挟間:前は「牛若丸鞍馬山修業の場」、右は「曽我五郎大磯驀進」、左は「巴御前の勇戦」、後ろは「牛若 弁慶五条大橋の出会い」。 虹梁:前は「雉子」、右は「鷺」、左は「雀」、後ろは「鷹」。 欄干は「二十四孝」。 土呂幕:前は「「加藤清正虎退治」、右は「義経 梶原逆櫓論争」、左は「頼朝朽木隠れ」、後ろは「楠公子別れ櫻井の駅」。 |
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雁多尾畑4828 | 金山彦神社 | 7/3土日(元・25) | 神輿 | ||
太鼓台2台 | 上町、下町 | ||||
子供地車2台休止 | |||||
峠494 | 八幡神社 | ? | 太鼓台休止? | ||
令和3年、7世帯・14人では祭りは難しいと思われる。 | |||||
本堂388 | 大狛神社 | 10/23、24 | 太鼓台(大和型) | 生安寺に保管。 | |
明治初年に修理という言伝えあり。夏祭り(7/15)に虫干し行う。 昭和末期に見に行った人によれば、外に出していたと聞く。令和3年、14世帯・21人では祭りは難しいと思われる。 |
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【東大阪大学柏原高校】 住吉型板高欄出人形型。江戸末期〜明治初期制作。大工は大佐11代目川原仙之助。銘板に「細工人 住吉大佐」とあり。彫師は彫又一門。 令和5年(2023)7月23日、購入入魂式。学園創立60周年に合わして学園OB会(柏友会)が購入、地車小屋も合わせて柏原高校に寄贈。搬入に合わせて泉佐野の大真工務店で修復。 経路は諸説ある。大鳥の建材屋で野ざらし。野田の先々代または住吉区上住吉説(生根神社)説もある。私は住吉区上住吉説を取りたいが。 ⇒堺市津久野西組(平成4年改修。平成18年まで曳行)。昇魂式は平成18年(2006)10月9日。 ⇒東大阪市の個人に売却。 |
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■国分地区 ◎国分=市場、東町、昭和町、東條、田辺 ◎玉手(国分西)=石川、片山、玉手、円明、旭ケ丘 |
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国分市場1丁目6−35 | 国分神社 | 10/15頃の土日(元・15) | 神輿 |
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地車4台 | 市場、東町、昭和町、旭ヶ丘 | ||||
地車休止 | 東条 | ||||
地車廃絶 | 芝山 | ||||
国分連合青年団=地車復活の嚆矢をする地車として心に残る地車である。 昭和59年(1984)塩路鉄砲水氏の作。国分連合青年団(市場、東町、昭和町、東条が加盟)の地車として曳く。完成2年間は解体保管。 その後、神社近くに地車小屋を建造。各地区が地車購入してからも、連合青年団の地車として本来の例祭日の夜に宮入りした。 平成18、19年は市場に貸し出されて曳かれる。平成19年(2007)12/2、22年の役目を終え前に塩路鉄砲水氏を乗せ午前中に曳納め、午後より御魂抜いて解体された。 |
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東町⇒地車小屋は国分本町4丁目6−20。東町老人会館近く。 =石川型。4代目?。平成元年に河南町白木より購入。白木では昭和63年まで曳かれ、その後遥拝所に放置されていた。 なお飾目・懸魚・木鼻は新調地車の彫物として利用されたのでこの彫物を新調する。 以前には幕地車、彫物地車があった。 先代は昭和51年が最後の曳行。風呂屋の焚きつけとして売られる。また幕は古市の方に売却。 |
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昭和町=石川型。平成6年暮れに、青年団が東大阪市若江西から購入。その後、町会に寄贈。 この地車は大正期に富田林方面で新調。新堂大工組の作。 以前は事故のため売却。 |
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旭ヶ丘⇒地車小屋は旭ケ丘4−1. =羽曳野市尺度の地車を太鼓付きで400万円?で購入く。 搬入は2020年3月22日。入魂式はまだしていないようだ。 昭和5年泉大津市元町新調。大工は絹井楠次郎。彫師は川原啓秀。 平成10年(1998)10月3日、泉大津市南曽根より尺度が購入。 購入時に吉為工務店にて住吉型を石川型に改造。この時に三枚板を取る。「大坂夏之陣」で現在は吉為工務店にて保管。 ≪大屋根廻り≫ 拝懸魚:「鷲の猿つかみ」。 隣懸魚:「青龍」。 車板:「宝珠をつかむ青龍」。 枡合:正面は「楠公父子桜井の駅の別れ」、左右は「牡丹に唐獅子」。 虹梁:「本能寺の変、秀吉本陣佐久間の乱入」。 隠虹梁;「鳳凰」。 ≪小屋根廻り≫ 拝懸魚:「素盞鳴命八岐大蛇退治」。 隣懸魚:「青龍」。 車板:「川中島の合戦」。 枡合:「雲海」。 虹梁:「玄武」。 勾欄:「松に鶴、竹、梅に鶯」。 昭和60年頃、子供地車を某所より譲り受け、子供会主体で曳きだしたのが始まり。 先代は堺型。平成3年2月、河内長野市の市町西より、昭和28年以来曳行されず小屋の中に保管されていた堺型地車を、無償で譲り受けた。旭ヶ丘のボランティア団体である「あさひ会」と塩路鉄砲水氏との共同作業で修理・改良し、平成3年10/10、入魂式を行い、その年の秋祭りより曳く。平成14年転倒事故が起こり中断となり解体保管した。 その間の平成15、16年は子供地車を譲り受け曳く。 平成17年、再度この地車を曳くこととなる。 昇魂式は2019年12月1日。年内に解体された。 |
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市場=初代は保管されているが、祭礼に使える地車は無い。 初代?は銘板によると昭和11年10月吉日に堺型の地車を泉大津市某所より購入。当時の地車小屋は天理教国分布教所の前。老朽化のため昭和56年4月に国分神社に奉納。参道に鳥居ができたため出せないでいる。 さて泉大津市穴田ではかつて地車を貝塚より大正13年頃に購入。この地車はやや小型の上地車で大きな鯛の彫物があったと伝わる。当町は戸数が少なく、曳き手が出ない家より5円の罰金を取ったりしたが曳き手不足で昭和13年頃に和泉市阪本付近に売却と伝わるが、この奉納地車には鯛ならぬ鯉の彫物があることや、時代的に合うので元・穴田地車ではないかという意見もある。 やがて1丁目、2丁目が太鼓正作の町内地車、子供地車を使用。今も残っているらしい。 平成18、19年は国分連合青年団の地車を借りる。 先代は平成19年(2007)12月16日、富田林市須賀より購入入魂式。500万円で購入と聞くが?。 コロナ前より休止しており、令和6年(2024)4月14日、反対派により河合工務店に払い下げられる。 大工は不詳、彫師は服部清七(三枚板裏に銘があり)。 須賀が明治末期〜大正初期に堺方面より購入 。 ≪大屋根廻り≫ 拝懸魚:「朱雀」。見送り:「賤ヶ岳の合戦」。 車板:「青龍」。 ≪小屋根廻り≫ 拝懸魚:「鷲の猿つかみ」。 車板・枡合は「牡丹に唐獅子」。 ≪「腰廻り、見送り廻り≫ 三枚板:正面は「羽柴秀吉の勇姿」、右は「加藤清正の勇姿」、左は「秀吉本陣佐久間の乱入」。 土呂幕:正面は「獅子」、左右は「青龍」。 柱巻き:「昇龍」。 勾欄:「牡丹」。縁葛:「唐草模様」。 |
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東条=平成初期制作。大工は八尾の川井工務店。令和元年頃より休止。 先代は昭和40年代に廃れる。 |
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芝山=国分市場1丁目。府営芝山住宅のあたり、子供地車があったが、2020年9月27日、羽曳野の個人に引き渡され、翌年7月25日、和歌山県かつらぎ町東渋田子供会へ。 | |||||
【往古の町会】 ◎西町⇒神明、大国、寿に分かれた。西町時代にだんじりがあったと伝わる。 ◎中之町=昔は組立式の地車があったらしい。 ◎乾町・二軒屋=両町に地車があった。小屋は隣りどうし。現在は昭和町と東町に吸収。 |
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【子供地車】 国分西町=昭和56年制作。長さ2.75m。幅1.65m。高さ2.25m. 2012年が最後の曳行。 |
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戦前は東、昭和町、市場に地車があった。 昭和30年代は町内地車が10台ほどあった。(神明、大国、寿、東、中之町、東条、昭和町、片山、市場、田辺)本物は市場のみ。 また光陽(光陽ベヤリングの社宅)では当時太鼓台が出た。 |
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田辺1丁目16−34 | 春日神社 | 10/連休土日 | 町内子供地車4台 | ||
第一若竹子供会=詳細不詳。 第二若竹子供会=昭和50年頃制作。二代目。 第三若竹子供会=太鼓正の作。 第四若竹子供会=詳細不詳。 |
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【国分あきまつり】 国分、田辺地区の子供地車が例祭日の日曜の午後に大和川河川敷に集合するイベント。 また東町の地車は河川敷の上に集合。 諸事情で2017年が最後。 |
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【石川町あきまつり】 石川町⇒石川沿いの新興町。氏子入りを断られたそうで、国分神社に御札を頂いている。 地車小屋は石川老人集会所に併設(石川町5−5)。 =平成15年創建。町内地車。地元の大工の作。 |
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片山町10−22 | 片山神社 | 10/連休土日(元・15) | 子供地車 | ||
子供地車=昭和56、7年頃制作。地元の鯉田工務店の作。 初代?は彫物があった立派な地車で泉州方面より購入と伝わる。 先代は組立式で昭和40年代に廃れる。国分駅前まで曳きに行ったと云われている。 |
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円明町15−8 | 伯太姫神社 | 10/16頃の土日 | 地車1台 | 大阪型 | |
円明⇒地車小屋は神社前。 =大阪型。明治10年〜20年頃制作。昭和12、3年頃に大阪方面(淡路説もあり)より購入。実は旭区江野より購入らしい。 大工は不詳。彫師は辻田友次郎、長谷川亀造。 平成21年9月20日、修復入魂式。金剛組による。 先代は青年団が売ったと言われている。 |
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玉手町7−21 | 伯太彦神社 | 10/17頃の土日 | 子供地車1台 | ||
玉手=子供地車。古い地車の彫物も足している。彫師は服部清七か?。 先代は堺型。昭和44年が最後の曳行。そのまま野ざらしとなり昭和50年代に雨ざらしのため、老朽化で腐る。 |
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南河内郡国分町が昭和30年に発行した“郷土誌 河内国分”国分町立小学校長 杉田正一著の110.111頁には「明治・大正時代の秋祭りになると国分に5つの地車、円明、玉手に各1つの地車が出て甚だ賑やかであった。一時中絶した時もあり、経費不足のため之を売り、今に残るものは殆どない。その後国の祝いや秋祭りに許可を得て屋台式の地車を作り用いている」とある。(一部改変した)。 |