≪美原区≫
住所 | 神社名 | 例祭日 | 内容 | 備考 | |
菅生178−1 | 菅生神社 | 10/連休土日 | 神輿 |
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地車3台 | 菅生、菅生新田、南野田、 | ||||
町内地車3台 | 阿弥、北野田、北野田駅前連合商店街 | ||||
地車廃絶 | 黒山 | ||||
菅生⇒地車小屋は菅生会館(菅生375−3)の少し先。 =石川型。平成18年(2006)5/7、新調入魂式。搬入は3/25。大工は池内幸一(池内工務店)。彫師は野原湛水。 鬼板:「獅噛み」。 箱棟は「牡丹・唐獅子」。 拝懸魚:前は「朱雀」、後ろは「鷲の猿掴み」。隣懸魚:「麒麟・雲」。 車板:「天の岩戸」。 枡合:「中国物」。 虹梁:上は「太平記」、中は「青龍」、下は「源平盛衰記」。 先々代は大正末期〜昭和初期に事故のため和泉方面に売却。 先代は町内地車。昭和50年代後半大工制作。水分の大工作。 |
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菅生新田⇒地車小屋は公民館に併設(菅生1008)。 =岸和田型。大工は山内安太郎。昭和55年、植山義正により改修。 彫師等は不詳。昭和55年の改修時は筒井一門。 岸和田市内畑町より平成9年9月14日、購入入魂式。昭和5年に泉佐野市上之郷机場新調。 土呂幕は「秀吉本陣佐久間の乱入」。見送り:「富士川の合戦」。 初代は不景気(米騒動)と老朽化のため大正7年頃に解体して売却したらしい?。石川型だった。 先代は昭和52年に新栄会が作った町内地車で現・地車購入で焼却処分。 |
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南野田⇒地車小屋は南野田245(南野田地域会館隣り)。 =折衷型。平成28年(2016)9月21日、新調入魂式。雨天だったが、町内の公園で行われた。 大工は平野区の河合工務店。彫師は木下彫刻工芸・井波の野原湛水。 ≪大屋根廻り≫ 鬼板:「獅噛み」。 拝懸魚・桁隠し:「鳳凰」。 車板:「龍」。 枡合:正面は「天の岩戸」、右は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、左は「雄略天皇 葛城山で猪退治」、後ろは「雲海」。 虹梁:正面は「粟津合戦」、右は「須磨寺 若木桜の高札」、左は「熊谷直実 平敦盛呼び戻す」、後ろは「雲に日輪・月輪」。 ≪小屋根廻り≫ 鬼板:「鷲の猿掴み」。 箱棟:「松に猿」。 拝懸魚:「牡丹に唐獅子」。 桁隠し:「大江山 鬼退治」。 車板:右は「源頼政 鵺退治」。 枡合:左は「戸隠山の鬼女」。 ≪間仕切り≫ 三枚板:正面は「頼朝 朽木隠れ」、右は「布引の滝 悪源太現る」、左は「「粟津合戦 巴御前の勇姿」。 摺出鼻:「牡丹に唐獅子」。 縁葛:正面は「黄瀬川の対面」、右前は「熊谷直実 連生房となる」、右後ろは「梶原景季 箙の梅」、左前は「安宅の関」、左後ろは「静の舞」、後ろは「白龍昇天」。 泥幕:正面は「平景清 錣曳き」、右は「源義経 八艘飛び」、左は「船弁慶」、後ろは「那須与一 扇の的」。 旗台:「龍」。 台木・猫木:「波」。 往古(初代?)は大正3,4年頃に電線に引っかかるので2、3年で売却。 一説にこの地車は和泉市葛の葉町⇒現・富田林市加太の地車と聞く。 続いて布団太鼓。 さらに子供地車。 先代は昭和62年「太鼓正」より購入。平成27年(2015)12月19日(土)昇魂式。柏原市本郷の個人に売却。 現在は板谷工務店が所有。 |
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阿弥=町内地車。昭和55年に村の大工作。初代である。 北野田=平成3年「太鼓正」より購入。 北野田駅前連合商店街⇒地車小屋は丈六182(ダイエー北野田店近く)。 =昭和62年「太鼓正」より購入。 昭和20年代に頼母子講で布団太鼓購入。当時は担ぎ手を百舌鳥から頼んだという。 この太鼓部屋は現・ダイエーの池沿いにあったが、昭和30年代の台風で小屋ごと池にはまり廃絶したと云われる。 |
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西野=昭和60年代に富山の刑務所作の神輿購入。どちらかと言うと子供祭り。しかし平成に入り休止された。 地車は大正5年頃に野ざらしでほっていて廃絶。その後昭和25,6年まで太鼓に担い棒をかいた。 大阪狭山市東野=現在は太鼓正よりリースだんじりを借りる。 往古は村内は東脇、西脇に分かれ地車は東の寺(西迎寺)、西の寺(蓮光寺)の前に保管されていたが、喧嘩して仕方が無いので大正期に売却。 |
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黒山=大佐の「地車請取帳」では明治13年9月に、「河内國南河内郡黒山 地車壱本 売渡シ申候 此代金 〆金三百三十五円也 外二 飛獅 二ツ 此分 まけ 右之通御座候 明治十三年辰九月渡シ」とある。 また明治30、1年の項に「南河内郡黒山村大字黒山 山田亀治郎様」とある。この時も大佐の売却と思われる。 ちなみに当時の鎮守は菅原神社で明治40年12/18に合祀。 上之の言伝えでは、先代は日露戦争の兵士凱旋のために地車をということになり、寺岸孫蔵氏の軍人恩給で立替えでもらい、明治37年に下黒山より牛にひっぱって購入。平成2年まで曳かれ、新調に先立ち平成3年に河内長野市市町西に売却。 |
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多治井157 | 丹比神社 (公式HPへ) |
10/連休土日 | 神輿 |
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町内地車3台 | 丹上、真福寺、羽曳野市野 | ||||
丹上=昭和58年村のソフトボール部が購入。 以前は丹比神社の神輿を借りていた。 大佐の「地車請取帳」では明治23年〜25年の項に、「丹南郡丹南村大字丹上村 山本萬吉様」とある。この時に大佐が売却か?。 真福寺=昭和50年代後半に村の大工田中氏が制作され寄贈。 またかつて布団太鼓があったが事故のため大正期に廃絶と聞くが?。 羽曳野市野=昭和57年頃に「太鼓正」より購入。また枕太鼓を平成4年購入。 往古は住吉型の地車が江戸期よりあったが、昭和初期に老朽化のため廃絶したらしい。 |
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河原城=昭和以前に古市の方へ売却と伝わるが?。ごっついケンカ地車だったらしい。 郡戸=地車の伝承は無い。 |
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大保248 | 広国神社 | 10/連休土日 | 町内地車3台 | 大保、今井、太井 | |
大保=昭和63年(1988)に八尾市太田より購入。 先代は5年ほど曳行し宮に奉納されている。戦前は馬力に提灯をつけて曳いていた。地車は昭和初期かそれ以前に廃絶。 今井=昭和57年(1982)軽自動車の台座を使った町内地車を作る。 かつて小型の地車があったが、昭和初期に洪水が起こり復興の資金調達のため売却。 太井=昭和50年代中頃に制作。 地車は昭和初期まで集会所の中にあった。 |
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美原には各村に地車があり、(12台?)境内でニワカを披露したものだった。 しかし大正初期に宮入りの順番でもめるというので売却したと伝えられる。 |
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【みはら区民まつり】 10月下旬か11月初旬、10:00〜15:30(小雨決行)。 美原区役所本館及び美原区役所別館北側広場が模擬店会場。
区民の相互交流と親睦を深めることを目的としている。平成29年(2017)で13回を数える。 区内で活動する団体の演奏・ダンスなどのステージ、飲食・ゲームなどの趣向を凝らした模擬店、お楽しみ抽選会などがあり、最後の美原地車連合会だんじりパレードは15:50〜(1時間程度) 美原区役所別館南側バスターミナルで開催。 参加は菅生、菅生新田、阿弥、大保、太井の5台。 このだんじりパレードは第10回(2014年)に堺市と美原町が合併して10周年を迎えるので、みはら区民まつりの第10回の記念事業として、前夜祭を実施しましたのが始まり。 |