大 阪 府


  ≪都島区、旭区、城東区、鶴見区、東成区、生野区≫

住所 神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪都島区≫
都島本通1−5−5 都島神社 7/22、23
(毎年)
地車1台 地車講
枕太鼓 さくら子ども太鼓講、中地区太鼓講、都島南通1丁目太鼓講
獅子舞 獅子講
宵宮は中地区太鼓講、都島南通1丁目太鼓講の枕太鼓が巡幸。本宮は地車講とさくら子供太鼓が巡幸。
地車講=大阪型。平成27年(2015)5月3日、新調入魂式。
河合工務店(河合伸一)の作。彫師は山本陽介、井波の野原湛水、澤 義博。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「天の岩戸」。
箱棟:「雲海」。
車板:「龍」。
枡合:正面は「紅葉狩り」、右は「神功皇后 弓木で字を書く」、左は「素盞嗚尊 八岐大蛇退治」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
箱棟:「雲海」。
拝懸魚:「源頼政 鵺退治」。
車板:「鵺塚」。

花台:「猩々」。
三枚板(見送り):正面は「大江山 酒呑童子」、右は義経八艘飛び」、左は「粟津合戦」。
勾欄:正面は「須磨寺 若木桜」、右は「那須与一 扇の的」、左は「平 清盛 布引の滝」、背面は「義経 鞍馬山の修業」。
縁葛:正面は「曽我兄弟 十番切り」、右前は「鶴岡八幡宮」、右後ろは「安宅の関」、左前は「平景清 錣曳き」、左後ろは「朝比奈三郎 城門を破る」、背面は「梶原景季 箙の梅」。
泥幕:正面は「弁慶の引き摺り鐘」、右は「富士の巻狩り」、背面は「碁盤忠信」。
持送り:「牡丹に唐獅子」。
台木:「波濤」。
木鼻:「親子獅子」。

 先々代は昭和20年6月、戦災で焼失。
大佐の「地車請取帳」には、大正14年7月の項に記載あり。修復か?

 先代は昭和24年(1949)購入。大阪型(幕式。柱巻きあり)。太鼓正の作?。
昭和63年(1988)改修。高野山の業者で修復後に鹿児島県いちき串木野市の冠獄山鎭國寺へ。
さくら子ども太鼓講=さくら子供会。現・都島本通2、3丁目あたり。
昭和28年、旧・本通3丁目子供太鼓として発足。当時は現・本通2丁目北町地域だけを巡行。
昭和57年、さくら子ども太鼓と改称。これは住所表示の変更と子供の減少により新町会(本三西・本二北・本二南)の3町会の子供会がさくら子供会となったことによる。

中地区太鼓講
平成29年(2017)5月、新調入魂式。河合工務店の制作。彫物は井波彫刻。
昭和29年、旧・中六南町会(現・中通3丁目)として中六南太鼓として発足し10数年は活動。その後休講。
昭和56年6月20日、宮司の仲立ちで中通3丁目から砂山軍一郎氏に引き受けられ、同年10月に中地区太鼓講(俗称はあゆみ太鼓)発足。
のちに中一東、中一北両子供会に委ねられる。


都島南通1丁目太鼓講
=平成30年(2018)新調予定。
2丁目も参加。子供みこしも所有。
獅子講=東都島獅子講として昭和28年6月、獅子頭祭具一式揃え発足。
昭和48年、南通2丁目獅子講と改称。
平成14年、獅子講と改称。
大獅子は平成22年の作。初代は昭和54年の作。
獅子頭は17頭。


 戦前に富山県より持参するが、昭和20年6月の戦災により途絶える。
中野1−12−32 桜宮神社 7/20、21(毎年) 地車1台 桜宮 
子供地車1台 善源寺
大阪型。昭和26,7年に「梶内だんじり店」で新調。
※御旅所(善源寺1−11−26)でも子供地車が出る。善源寺[小型幕式]
大佐の「地車請取帳」には、明治28年頃の項に「東成郡都嶋村大字善源寺 若中長元 西川捨吉様 若中か志ら 西田留吉様 西川徳松様」とあり、地車売却と思われる。
氏地は6ヶ村より成り何台かの地車があったらしい。
毛馬町1−2−11 淀川神社 7/20頃の土日 子供神輿3基 氏地は毛馬町・友渕町・大東町
枕太鼓1台 5年毎に稚児行列。最近は2013年。
町内地車1台 トラックに載せて巡行
7/24、25 太鼓祭り
10/22頃の土日 子供神輿3基 夏祭りが雨天の場合に巡行。
太鼓祭り平成27年(2015)始まる。会場は淀川神社(雨天中止)。夏祭りに出た囃子を境内で行う。

 ≪旭区≫
大宮3−1−37 大宮神社 7/4土日 地車1台 都島区内代
10/4土日 神輿 土曜日お渡り
子供だんじり多数 大宮地区19地区12台
地車2台 都島区内代 、旭区生江、中宮
 明治12年頃の大宮神社宮入りは荒生・千林・森小路・古市・大宮(南島)・中宮・(江野)・内代・西荒生。
西荒生は、被差別部落のため、宮入り出来ず。
 明治20年頃は、荒生・千林(2台)・森小路・古市・大宮(南島)・中宮・内代・西荒生。
夏祭りは7/26頃の土日が平成29年(2017)より7/4土日に変更。秋祭りは平成27年(2015)より10/25、26⇒10/4土日に変更。
神輿=神輿庫は平成9年建造。
以前絵馬堂に保管してあった絵馬や神輿を移転。2階に展示。ガラスケースで見えるようにしている。

大宮同志会(旧南島村同志会)奉納の神輿で昭和25年修復と神社は仰っていたのでこの時に預け入れか?
 永らくお休みしていたが、平成27年(2015)に約60年ぶりにお渡り復活。
 【大宮みこし会】
昭和56年に8町会よりキューピー、たるみこし、枚方の椎茸栽培業者の使った木利用の神輿が始まり。
合わせて育成のため大宮みこし会誕生。今や神輿よりだんじりへ変更するが上部団体として大宮みこし会がある。

 58年には2町会も参入。59年より6・7町会、11町会、15・18町会などと多数参入され、現在は19町会12台の町内だんじりが運行。

本部=平成4年制作。藤谷秀男・利一の作。永らく傘下の町会に貸していたが、現在は本部(神社隣りの公園)に飾付け。
1支部=詳細不祥。
2・13支部(南組)
=昭和58年創建。平成21年に2つ屋根に改造。メイド イン コーナンと謙遜されるが、手作りでなかなかの大作。
3・14支部=太鼓は平成23年購入。
4支部、5・6支部、7支部=詳細不祥。
8支部=太鼓は備品。
9・10支部、11・16支部、12支部、17・18支部=詳細不祥。
都島区内代=大阪型。江戸末期〜明治初期制作と思われる。大工は不詳。彫師は彫清か?
明治22年頃に東区安土町より購入と伝えられる。
平成22年(2010)に23年ぶりの大宮神社宮入り。
平成28年(2016)3月21日(祝)修復入魂式。文化庁認定 地域活性化事業により大下工務店による。
彫刻洗い・繕い、屋根・柱・勾欄・肩背棒・台木の復元修復。獅噛み3面を復元取替。

 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「鳳凰」。
箱棟:「龍」。
柱巻:右は「降龍」、左は「昇龍」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「猿を掴む荒鷲」。
箱棟:「獅子」。
車板:正面は「唐獅子牡丹」、後ろは「並と宝珠を持つ龍」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
土呂幕:「兎と波」。
三枚板(見送り):正面は「加藤清正の虎退治」、右は「薄田隼人正兼の奮戦」、左は「後藤又兵衛 鴫野の戦い」。
旭区生江⇒現・生江3丁目の中津太子橋線の北側。旧・荒生(なぎ)の枝村の池川に当る。
=住吉型。平成17年、秋祭りに15年ぶりに復活。お休みの間、地区こども祭りの日に曳いたこともある。
明治12年頃、大宮神社氏子7ヶ村の中で城北村荒生(属村の池川)だけが、だんじりを保有していなかった。
当時は戸数60戸程の村だったが、だんじり購入のため、各家1日5厘の日掛け貯金を始めた。これが130円になった頃に、北河内郡星田の北方の村で地車が売りに出ていると聞き、買いに行くが、立派な地車だけに300円と高額だった。そこで何度も足を運び地車を200円で購入した。明治22年の時である。川舟に積み、淀川を下って運んだきたが、源八橋のところでつかえと、村には解体して持ってきたと云われている。
ただし地車購入したが同和地区のため宮入りは拒否されたと地元の人が語っていた。
大工は不詳。彫師は辻田友次郎。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚・隣懸魚(一体):「牛若丸と烏天狗」。拝懸魚は「牛若丸と烏天狗」、隣懸魚:右は「鞍馬山の天狗」、左は「烏天狗」。
車板:「龍」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
勾欄合:「源平の合戦」。
縁葛:「富士の巻狩り」。
出人形:「力士」。
脇障子:「阿吽の獅子」。
見送り:正面は「加藤清正と山路将監の血戦」、右は「武者」、左は「源氏の武者」。
旭区中宮⇒旧・中村。
=平成28年(2016)5月1日、八尾市佐堂より購入。
大阪型。昭和22年制作。大工は「大音」飯田松太郎。彫師は松田正幸。
 ≪大屋根廻り≫
懸魚:「鳳凰」。
車板:「牡丹に親子唐獅子」。
虹梁:「牡丹に唐獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「和藤内の虎退治」
車板:「牡丹に親子唐獅子」。
虹梁:「牡丹に唐獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
土呂幕:正面は「雲海」。左右は「太閤記」。
見送り三枚板:正面は「秀吉出陣」、右は「秀吉本陣 佐久間の乱入」左は「福島正則勇戦」。
脇障子:右は「村上義光 錦御旗奪還」、左は「新田義貞 稲村ヶ崎に宝剣を捧ぐ」。
佐堂では2、3年曳いたのみでそれから飾り付けのみ。


 先々代は昭和初期創建か?小型。平成24年(2012)、23年ぶりに曳行復活。

地車購入につき大宮みこし会に寄贈。
 先代は平成26年(2014)購入し平成28年〔2016)4月24日搬出。現・門真市北島。
経路は某所新調⇒東大阪市稲田南2番(この時背丈縮める)⇒八尾市竹淵⇒東大阪市某社長⇒柏原市老原⇒八尾市竹淵の個人⇒生野区岡⇒個人⇒旭区中宮へ⇒門真市北島。
 【地車廃絶】
南島
=現・大宮。宮本に当りかつて地車あり。大阪復興祭(昭和23年?)には出したと言われる。

生江
=現・生江2丁目と生江3丁目の中津太子橋線の南側に当る。旧・荒生(なぎ)の本村。寺は蓮生寺がある。

森小路
=昭和20年代後半か30年代前半に老朽化で潰れたらしい。

古市
=戦後しばらくは地車があった。いつ処分したのか不明。

千林
=明治18年の台風で淀川が切れて傷んだためか2台の地車を1台にする。元々はやや小型の北河内型。
元々の部材は台木、コマくらいで、地元の有志による修復で屋根もトタンを巻いている。
戦後は昭和22年に出した記録がある。地元では昭和40年まで曳いていたと伝えられる。
地車小屋は現・千林商店街振興組合事務所。
地車小屋を潰して事務所を建てることになり、地車を近隣の寺に預けるが取りにこず。何年もたち、遂には千林小学校に保管となる。これは昭和48年頃らしい。1年ほどは野ざらしで保管されるがPTAが見かねて倉庫に保管となるが、今や所有者は無い状態である。
大工は不詳。彫師は枡合に「福太郎」と墨書きあるので8代目小松源助と分かる。他には服部系、辻田系の彫筋も見られるという。
屋根は銅板。
懸魚:「琴高仙人」。
獅噛みの目玉(欠損)には昭和11年発行の大阪朝日新聞が詰められていた。
車板:前は「龍が宝珠掴む」(920x620)、後ろは「向い唐獅子」(920x620)。
桝合:前右は「前向き飛龍」(900)、前左は「前向き飛龍」、後ろ右は「向い唐獅子」(830)、後ろ左は「向い唐獅子」。
脇障子:「龍」。(右寸法は370x800)。
勾欄:「唐獅子」(1800)。
 ⇒この地車は古市の地車という意見もある。
どちらにしても曳行されていないが、現在は7月下旬、古市小学校で開催の古市まつりで飾られる。

江野
=地内に普現寺あり。かつて地車あり。昭和10年頃に事故のため柏原市円明町に売却。

今市⇒鎮守の弥栄神社は明治43年(1910)、大宮神社に合祀。
=昭和30年頃まで曳行。今市会館の右斜め後ろに地車小屋があった。現在は車庫。
清水3−20−19 八幡大神宮 9/2土日 神輿2基
地車1台 別所
枕太鼓10台  
※当氏子は夏祭り(7/14,15)は地車囃子と夜店。秋祭り(9/14、15)は枕太鼓。地車祭り(10/22、23)の3つの祭礼があった。
別所=大阪型(幕式)。平成25年(2013)守口市滝井より購入。地車登場は隔年(西暦偶数年)らしい。
江戸末期〜明治初期制作。平成15年頃に梶内だんじり店が改修。彫師は彫清一門。
経路は鴫野方面⇒守口市滝井⇒旭区別所

 先代(初代?)は1910年頃に電線の架設にひっかかるので、東大阪市森河内本郷へ。
枕太鼓=北清水3台(大2、子1)、上之辻(大小)、別所(大小)、般若寺(大小)、両国(大)の10台がある。
 【地車廃絶】=各氏子(両国は未調査)にあったが、大正初期に電気の架線のため廃絶に至る。
平成25年に別所が地車購入。これより復活に至るか。

北清水(馬場)=宮本。大佐受取帳に明治11年と記載あり。地車小屋は宮近く。現在は民家。地車は解体して彫物を分配した。

上之辻
=清水3あたり。

別所(新森若葉会HPへ)=新森6,7あたり。地車小屋は会館となる。 

両国第二=旧称は般若寺。御旅所のあたり。

両国第一
=旧称は両国。両国町公園)=なかったと思われる。
 【新森まつり】
10月3日曜あたりに新森中央公園で開催。2015年で10回を数える。
地車や枕太鼓が出る。
赤川4−19−13 日吉神社
公式HPへ
7/18直前の土日 神幸祭 神輿、枕太鼓 など。
枕太鼓 昭和34年大東町の棟安工務店と白石氏(大東町)の作。
地車1台 日吉地車保存会 
獅子舞 平成27年(2015)、獅子頭を約50年ぶりに修復し、獅子舞復活。
神幸式=13:00〜17:00。順番は幟、社名旗、先導総代、猿田彦、敬神講の提灯、委員長、敬神女性会の提灯、敬神女性会、太鼓用の提灯、総代(太鼓係)、枕太鼓、熊毛、傘持ち、人力車(宮司、稚児)、車、総代(子供係、子供神輿)、子供神輿、神輿用の提灯、総代(神輿係)、団扇、大神輿 など。
日吉地車保存会(旭区赤川+都島区大東町にあたる)=大阪型。平成18年(2006)6月11日、購入入魂式。6月4日搬入。約60年ぶりの復活。
この地車は昭和23年、東大阪市岩田が新調。大工は「大音」飯田松太郎。彫師は松田正幸。
平成28年(2016)、文化庁認定 地域活性化事業で大下工務店が、肩背棒・足廻りの復元修復。
長さ5m。大屋根幅2.3m。高さ3.9m。
 【往古の地車】
かつて2台あり。1台は
昭和10年代に東大阪市衣摺に売却。戦後に復興祭(昭和23年)に町内地車拵えるが、野ざらしのため3年で潰れる。

 ≪城東区≫
鴫野東3−31−8 八剣神社 10/22頃の土日 神輿
地車6台 東之町、西之町、南之町、中之町,永田 、天王田
氏地は中央区が城見1、2丁目。
城東区が鴫野西1〜5丁目、鴫野東1〜3丁目、天王田、東中浜1、4、6〜9丁目丁目、永田2〜4丁目
鴫野東之町=大阪型。文化7年(1810)制作?。地車小屋の道具箱に文化7年と書かれているらしい?。大工は不詳。、彫師は川原和夫、正士。
平成22年(2010)5月16日、修復入魂式。大下工務店による。幕式地車⇒三枚板地車へ。彫刻の追加、入替え など。

改修費用3、000万円と聞くが。
土呂幕:【忠臣蔵】正面は「松の廊下」、右は「吉良邸討入り」、左は「吉良邸討入り」、背面は「両国橋引上げ」。
見送り:【大坂夏の陣】右は「鴫野合戦 木村重成 開通寺前」、左は「今福合戦 後藤又兵衛 楠根川」。
鴫野西之町⇒平成14年(2002)4/21、地車庫完成記念曳行があった。
大阪型。明治26年購入。明治21年生野区小路村で作られた。大工、彫師は不詳。
平成20年5月18日、修復入魂式。大下工務店による。

 先代は旧大和川の堤防で川に転落し廃絶。彫物は村で分けるが昭和29年の田中金蔵師による大修復の時に再び取り付けられる。
鴫野南之町=大阪型。昭和27年(1952)創建。大工は田中金蔵。彫師は田村与八郎、川原啓秀。 
平成15年6/28、入魂式。大下工務店で修復。彫物は川原和夫。懸魚を「天岩戸」に変更。以前は拝懸魚は「朱雀」。隣懸魚は「麒麟」。
前回は平成13年7/10、入魂式。大下工務店で修復。彫物は川原和夫。この時に幕地車⇒三枚板地車に変身。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚・隣懸魚(一体):「天岩戸」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:「青龍」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「鷲に猿」。
隣懸魚:「鶴」。
車板:「加藤清正虎退治」。
枡合:右は「珠取り唐獅子」、左は「牡丹に親子唐獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
勾欄合:「赤穂浪士」。
見送り:正面は「木村重成 鴫野の戦い」、右は「真田幸村 家康本陣急襲」、右は「後藤又兵衛 鴫野の戦い」。

幟台:「三猿」。
鴫野中之町=大阪型。昭和28年(1953)制作。大工は地元の田中金蔵。彫師は川原一門。
平成18年(2006)大下工務店で修復。泥幕に彫物追加。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「朱雀」。
隣懸魚:「麒麟」。
車板・枡合:「宝珠をつかむ青龍」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「鷲に猿」。
隣懸魚:「牡丹に唐獅子」。
車板:「牡丹に唐獅子」。
枡合:「夫婦唐獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
柱巻き:「昇龍降龍」。
脇障子:「獅子の子落とし」。

 先代は戦災で焼失。
永田=3代目。大阪型。昭和35年に吹田市田中町より購入。天保〜嘉永年間の作。大工は不詳。彫師は小松源助。(7代目)。
 平成17年(2005)大下工務店で新調と言ってもいい大改修。彫師は木下彫刻工芸(木下賢治)。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚・隣懸魚は「鳳凰、麒麟」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
木鼻:「唐獅子」。
虹梁:右は「児島高徳 桜木に歌を詠む」、左は「村上義光 錦の御旗奪還す」。
天蓋:「鳳凰」。
脇障子:「唐獅子の子落し」。
縁葛:「忠臣蔵」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚・隣懸魚は「飛龍、風神、雷神」。
車板:「唐獅子の子落し」。
虹梁:「唐獅子」。
犬勾欄:「牡丹に夫婦唐獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
土呂幕:正面は「舟弁慶」、左右は「七福神」、後妻は「巴御前」。
見送り(三枚板):【富士の巻狩り】正面は「源頼朝」、左右は「仁田四郎忠常猪退治」。
台木:「波に鯉」。

 初代は明治26年9/25に住吉「大佐」により230円で新調されるが、昭和2年に800円前後で鳳か泉大津方面に売却したと伝わる。さて和泉市黒鳥辻小路の四先代は昭和2年に城東区より購入し昭和25年まで曳かれたがこの地車か?。なお会館に写真が飾られている。
 先代は昭和10年に購入で小型であった。戦後売却。
天王田=大阪型。元・北河内型。明治3年〜20年に制作。大工は不詳。彫師は小松源助(8代目)。
昭和22年に大東市四条之町の地車を購入。購入後大きすぎ村道を曳けないので縮小改造し住吉型風にする。
平成16年、大下工務店で大修理。錺金具新調。彫物の修復、新調。彫師は川原一門。

 初代は戦時中に堺方面に売却した。その後手作り地車を曳いて一時期を過ごす。
今福南2−12−31 皇太神宮 7/22&10/22頃の土日 神輿
地車2台 北之町、 西之町
地車休止 東之町
地車廃絶 中之町
今福北之町=大阪型。平成21年(2009)5月24日、新調入魂式。
大工は河合工務店。彫物は御堂製作所。先代彫刻を復元。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:正面は「龍」、後ろは「漢の高祖 龍退治」。
拝懸魚:「朱雀」。隣懸魚:「龍馬」。
箱棟:「雲」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅子」。
拝懸魚:「鷲に唐子」。
隣懸魚:「飛龍」。
車板:「獅子」。
虹梁:「朱雀」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
見送り(三枚板):【中国列仙伝】正面は「王子喬・費長房」、右は「李鉄拐・劉海蟾」、左は「琴高・櫨ごう」。
虹梁枡合:「麒麟」。
木鼻:「獅子・麒麟・獏」。
脇障子:「猩々」。
縁葛:「雲」。
隅障子:「獅子の子落とし」。
勾欄合:「二十四孝」。
縁葛:「雲」。
泥幕妻:「獅子」。
平:「麒麟」。
持ち送り:「牡丹」。
台木・猫木:「波に鯉」。

 先代は大阪型幕地車。解体後、彫物 等を保存。
今福西之町⇒地車小屋は今福南2−12。
=大阪型。明治初期の作。大工は川崎仙之助(大佐11代目)?。彫師は相野伊兵衛。
奉納地車(元・東之町)=住吉型。江戸末期〜明治中頃制作か?大工は不詳。彫師は服部清七。
祭礼時に小屋開け。永らく野ざらし保存のため痛み激しい。

昭和30年代後半まで5人ほどで地車を押す祭礼をしたという。当時境内に地車蔵があり3台並べられていたが、老朽化のため各自地車小屋を造ることになったが、東之町は以前に地車を川にはめたこともあり、地車小屋を造ることも無く野ざらしとなり、遂には神社に奉納となった。
 鬼板は飾目で「青龍」。
 【小女郎稲荷】
皇大神宮の境内の小さな社。元は旧大和川堤(今の新喜多東2丁目付近)の狐山にあった社で、大和郡山の源九郎稲荷、泉州信太の葛葉稲荷と並ぶ有名な稲荷大明神だった。「摂津名所図会大成」第3巻には「霊験あらたかなりとて参詣人すこぶる多し、社壇もっともきらびやかに造立ありて美なり」と記されている。師走の一夜、鴫野や天王田などの村の子供たちが、家で作ってもらった竹の皮に包んだ油揚げと握り飯を持って「遷御(せんぎょせんぎょ)」とはやしながら、狐山の周囲を回るお祭りも昭和8年頃(1933)まで残っていた。
中浜2−3−15 白山神社 7/17&10/17頃の土日 地車1台 白山神社地車保存会  
中浜=大阪型。昭和26年(1951)制作。大工は八尾の「大音」こと飯田松太郎。彫師は松田正幸。
平成16年(2004)大下工務店で大改修。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「朱雀」。
隣懸魚:「麒麟」。
車板:「?」。
枡合:【太平記】右は「楠公子別れ桜井の駅」、左は「新田義貞稲村ヶ崎宝刀を奉ず」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「牛若丸 弁慶五条大橋の出会い」。
隣懸魚:「猿」。
車板:「獅子の子落とし」。
枡合:右は「牡丹に夫婦唐獅子」、左は「牡丹に親子唐獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
縁葛:「曽我物語」。
勾欄:「花鳥風月」。
脇障子:【太平記】右は「児島高徳 桜木に歌を詠む」、左は「後醍醐天皇」。角障子:「太閤記」。
土呂幕:【源平合戦】正面は「那須与一扇の的」、左は「平景清錣引き」、右は「那須与一扇の的」。
見送り:【太閤記】正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「福島市松 拝郷五左衛門を討つ」、左は「藤吉郎伊藤日向守を討つ」。

 初代は明治26年10/18、大佐より引渡し。\270円。昭和11年9月に東大阪市長田東に売却されるが現存せず。
また大佐の「地車請取帳」には「東成郡 世話方惣代 入船様 大正9年十月作事」と修復の記事がある。
 先代は戦後、町内地車つくるが、短期のつなぎ。
蒲生4−3−16 若宮八幡大神宮 4/21 子供地車1台 地車は神社横に据え置き
7/21、22 地車1台
若宮(蒲生聖賢)=大阪型。明治初期制作。大工は不祥。彫師は9代目小松源助。初代。
明冶28年頃購入。これは正面花台裏に明治廿八年■■月 寄附人 秋田勘助と刻まれていることによる。
平成18年(2006)修復。
子供地車=簡易地車。平成10年制作。
成育5−15−20 関目神社 7/2122 神輿 あり
地車1台 飾りつけのみ
渡御用小型地車
神輿昭和49年渡御復活。以前は明治18年(1885)の大水害で社殿、神輿流出のため中止となる。
関目=住吉型。日清戦争戦勝祝いに明冶28年新調。
脇障子に銘板が付いているが文字読み取れず、大佐の作と思われる。彫師は彫清。
昭和30年頃より休止。飾りつけのみ
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚&隣懸魚:「牛若丸、鞍馬山の修業」。
車板:「?」。
虹梁:右は「唐獅子三匹群遊」、左は「唐獅子三匹珠と戯れる」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚&隣懸魚:「大鷲に猿群遊」。
車板:「中国物。人物不詳?」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
縁葛:「?」。
脇障子:右は「熊谷次郎直実」、左は「平敦盛」。
隅障子:右は「楠木正行 如意輪堂の別れ」、左は「児島高徳 桜木に歌を詠む」。
土呂幕:正面は「高砂」、左は「?」、右は「?」。
三枚板:正面は「漢皇祖 龍退治」、右は「大巳貴命 鷲退治」、左は「?」。
渡御用小型地車=トラックに乗せて地車囃子を囃して廻る。制作年は不詳だが、零戦の図柄があるので、戦時中の制作と思われる。
諏訪2−15−16 諏訪神社 10/22、23 地車1台  
獅子舞 市指定無形民俗文化財。牝獅子のみ現存
地車=大阪型。慶応年間(1865〜68)東成区中本新調。昭和32年5月に東成区中本より購入。大工は不詳。彫師は長谷川市太郎。
 平成19年(2007)大改修。
獅子舞=豊臣秀吉奉が小田原攻め戦勝に際して奉納したとも、秀頼が慶長年間に奉納したとも伝えられる。村の西に雄「白豊号」、東に雌「白雲号」の獅子があったが、明治18年(1885)の淀川大水害で雄は流失した。
放出東3−31−18 阿遅速雄神社 10/3土日 地車2台 放出北 、放出南
放出北 =住吉型。神社に保存

放出南
=住吉型をかなり改造。個人保管となり、現在滋賀県の工場にあり?
野江4丁目1−39 野江(水)神社 7/18、19 神輿
枕太鼓 湯立神楽
地車廃絶 東ノ町、西ノ町
東ノ町=かつて地車があったらしい。

西ノ町
=東ノ町と同じ頃に、東大阪市西堤に売却。事故のために云われるが?同時期という事から喧嘩によるかも?

 ≪鶴見区≫
鶴見3−13−76 鶴見神社 7/16、17&
10/3土日
地車2台 東ノ町、西ノ町    
現在は保存会として運営。夏祭りは西ノ町の地車を曳く。基本的には西ノ町の地車を曳くが、地車集合などの見せ場には東ノ町の地車を曳く。かつては中ノ町の地車もあった
東ノ町=大阪型三枚板型式。詳しく言えば三枚板出人形花台つきの住吉型とも言える。
大佐の「地車請取帳」には「明治26年10/22、東成郡榎木村大字下の辻 地車売渡し 引取り300円」とある。当時は東成郡榎本村大字下の辻だった。彫師は「小松」一門だと云われている。昭和30年頃の修復で獅噛み、懸魚を交換。彫師は木下舜次郎とも、井尻翠雲が舜次郎に似せて彫ったとも云われている。平成14年植山工務店で修復。土呂台部分新調。
 ≪大屋根廻り≫
懸魚:「鳳凰」。
車板:「龍虎」。
枡合:「?」。
虹梁:正面は「珠取り獅子」、左右は「青龍」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「鷲に猿」。
車板:「青龍」。
枡合:「?」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
脇障子:右は「加藤清正 虎退治」、左は「雄略天皇、猪を踏み殺す」。
隅障子:右は「加藤清正 山路将監との血戦」、左は「堀尾吉晴、天王山」。
縁葛:「楠公父子子別れ桜井の駅」。勾欄:「源平盛衰記」。
花台:「猩々舞」。
土呂幕:「太閤記」。
見送り:正面は「神功皇后と武内宿禰」、左右は「三韓征伐」。

西ノ町住吉型。東ノ町より遅れて中古を購入。平成15年、植山工務店で修復。土呂台部分新調。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「鷲に猿」。
隣懸魚:「松に猿」。
車板:「青龍」。
枡合・虹梁は「?」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「五葉松」。隣懸魚:「枝垂れ(しだれ)松」。
車板:「唐獅子」。
枡合:「牡丹に唐獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
縁葛:「十二支」。
勾欄:「二十四考」。
脇障子:「牛若丸 鞍馬山の修業」。
隅障子:「青龍」。
土呂幕:「加藤清正虎退治」。
見送り(三枚板):正面は「天の岩戸」、右は「天竺の班足王」、左は「漢の高祖の龍退治」
中ノ町=鶴見の大工の作。守口市南寺方に売却。
横堤2−8−25 八幡宮 7/17頃の土日&
10/3土日
地車1台 住吉型
横堤⇒地車小屋は神社裏。
=明治24年頃生野区片江から購入。江戸後期〜明治初期の制作。大工は宮崎喜三郎。彫師は彫清一門。
平成12年(2000)、吉為工務店で改修。その時の彫師は松並義孝、近藤晃。
柱巻き:「昇龍・降龍」。
土呂幕:「賤ヶ岳の合戦」。
土呂台:「波に鯉」。
今津中5−5−23 比枝神社 10/3土日 神輿
地車1台 住吉型
今津⇒地車小屋は神社内。
=住吉型。明治24年11月堺市深井東町新調。大工は石川辰治郎。脇棟梁は樫木栄三郎。彫師は彫又一門か?。
一時、布団太鼓に変更した際の昭和21年に売却となる。この時に購入。
平成20年6月1日、修復入魂式。吉為工務店で改修。洗い、金物取替え、彫物の部分補修、担い棒の取替えなど。
以前今津には西ノ町、中ノ町、寺ノ町、馬場ノ町、下ノ町、棒ノ町、上ノ町と7町が地車保有していたが、戦後に解体された。
その後、1台の地車作るが不評で今の地車購入に到る。
諸口2−4−41 八幡神社 10/3土日 神輿
地車2台 諸口、中茶屋
諸口⇒地車小屋は神社内。
=岸和田型。平成12年(2000)10月8日、新調入魂式。
大工は大下工務店。彫師は木下彫刻工芸。長さ3、95m。大屋根幅2、35m。内幅1、165m。高さ3、75m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板は「雲に社紋」。
懸魚:正面は「荒波に旭日に千鳥」、後面は「荒波に千鳥」。
車板:【日本神話】正面は「天の岩戸」、後面は「雄略天皇、猪を蹴殺す」。
枡合:【源平合戦】正面は「黄瀬川の対面」、右は「義経八艘飛び」、左は「鶴岡八幡宮、静御前の舞」、後ろは「牛若丸、弁慶五条大橋の出会い」。
二重枡合:【日本神話】右は「神功皇后応神天皇平産す」、左は「神武天皇東征」。
 ≪小屋根廻り≫
縣魚:「荒波に千鳥に浦島太郎」。
車板:「素盞鳴尊 八岐大蛇」。
枡合:【太平記】正面は「大塔宮、吉野落ち」、右は「村上義光 錦の御旗奪還」、左は「新田義貞 稲村ヶ崎宝剣を奉ず」。
二重枡合:【日本神話】右は「日本武尊、野火の難」、左は「日本武尊、熊襲退治」。
隅木:「左三つ巴紋」。
 ≪腰廻り≫
番号持ち:「横綱土俵入り(雲龍型)」。
勾欄合:「花鳥風月」。
松良:右は「頼光木渡り」、左は「安宅の関 弁慶義経徴打す」。
縁葛:【太閤記】正面は「秀吉、清洲城登城」、右は「大徳寺焼香の場」、左は「秀吉屈辱を忍ぶ」。
大連子:【源平合戦】正面は「弁財天真体を現し清盛の虚勢を挫く」、右は「鬼神に勝る巴御前」、左は「紫宸殿外の戦い」。
小連子:【太平記】正面は「楠公子別れ櫻井の駅」、右は「楠木正行、如意輪堂の輪」、左は「名和長年、船上山に義兵を挙げる」。
土呂幕:【太閤記】正面は「幸村、家康本陣を急襲す」、右は「秀吉本陣、佐久間の乱入」、左は「本能寺の変」。
水板:「波に千鳥」。
松良受け:「唐草」。
後縁葛:正面は「藤吉郎初陣」、右は「日吉丸、小六矢矧橋の出会い」、左は「日吉丸、光明寺の場」。
後連子:【太閤記】正面は「片桐助左且元、安彦弥五右衛門三人刺し」、右は「福島市松正則、拝郷五郎左衛門討取り」、左は「加藤虎之助清正、山路将監討取り」。
後ろ松良:【鬼退治伝説】右は「茨木童子、片腕奪還」、左は「渡辺綱、禁札立て」。
後ろ水板:「波に千鳥」。
幟台:「獅噛み」。
 ≪見送り廻り≫
見送り、脇障子、大脇、摺り出し鼻、摺り出し受:「一ノ谷の合戦」。
見送り虹梁:【曽我兄弟】正面は「曽我十郎・五郎の雄姿」、右は「草摺引」、左は「曽我兄弟夜討ち」。

見送り下がり:「松に鶴」。
脇障子物見:「牡丹に孔雀」。

木鼻:「花鳥」。

 先代は昭和24年、岸和田だんじり祭で堺町あたりでテキヤしていた川上氏の紹介で、岸和田市畑町より購入。
この時16時間にも及ぶ人力で諸口へ。到着次第、見送り取り払い、担い棒、獅噛みなどを新たに取り付け当地風にする。
昭和51年には、梶内だんじり鰍ナ修復し50年にもわたり諸口で曳かれ、現・地車購入につき平成12年(2000)1/30、大東市大野町へ。
中茶屋⇒平成14年(2002)8月11日、公民館・地車小屋新築記念曳行。
=大阪型。明治期制作。昭和29年に城東区鴫野南之町より購入。

平成28年(2016)9月18日、地車蔵で修復入魂式。雨天のためお披露目曳行は翌週の9月25日。
植山工務店・木彫 近藤(近藤晃)により修復。
屋根・柱・台木など屋形一式新調。獅噛み・拝懸魚・桁隠し・花台以外の彫物を新調。幕式であった見送りに三枚板彫刻を追加。
 先代は茨田浜方面に売却。
安田3−9−30 住吉神社 10/3土日 地車1台  
安田⇒地車小屋は神社内。
=住吉型。明治30年頃の作?。大工・彫師 等は不詳。昭和40年6月に東大阪市長堂より購入。

 先代は北河内型。昭和35年頃まで曳行するが、台風のため地車小屋が倒壊し野ざらしとなり神社敷地の片隅に放置され、一部の彫物を除いて焼却処分となる。
ローラーコマで彫師は小松源助だそうです。
4−16−20 古宮神社 6/最終日曜&
10/3土日
地車1台 浜壇尻保存会
⇒地車小屋は神社横。
=平成元年(1989)、彫忠より購入。2代目。平成元年(1989)、彫忠より購入。獅噛みは宮浦工務店の作。

 往古は大きな太鼓を打ち鳴らして町を練った。
 先代は茨田大宮へ行き平成10年まで曳かれた。現在も保管されている。
茨田大宮1−18−17 大宮神社 10/3土日 町内地車1台 平成元年に浜より購入。北の先代地車の彫物をつけている 
茨田大宮=平成18年(2006)10月8日、新調入魂式。同時に地車小屋も新築。神社内にあり。

 もともと北、南の2台の地車があっては昭和55年に神戸市兵庫区の和田宮へ売却。
は明治11年制作。(小屋内の地車新築表の板より)そして最後の曳行が昭和37年頃でそれ以降は小屋の中で保存。雨漏り修理もせず放置されていたため彫物以外は焼却された。彫師は小松源助。
現・地車購入後も保管。

 その後、茨田大宮で子供地車を曳くことになり、浜より譲られたローラー式の町内地車に取り付けられ曳行を始める。
平成11年(1999))10月吉日地車新調入魂式。大工は宮浦工務店。
鶴見区民センター(公式HPへ=横堤5丁目3−15。
1階にミニチュア地車がガラスケースに展示。平成17年3月、鶴見区制30周年記念、鶴見区民センター竣工記念として鶴見町財産区が寄贈。彫忠の作。

 ≪東成区≫
大今里4−16−48 熊野大神宮 7/3土日 地車2台 大今里、東今里
大今里=2代目。住吉型三枚板型式。明治31年制作。大工は住吉「大佐」12代目川崎宗吉と彫物は実弟下川安治郎の合作。新調費用360円。
請取帳に「明治31年1月請負、同年4月に渡し、金360円とある」。
銘板は「細工人 住吉住人 大佐」とある。
大下工務店で改修。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「鳳凰」。隣懸魚:「麒麟」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:「賤ヶ岳の合戦」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「兎をつかむ鷲」。隣懸魚:「牡丹に唐獅子」。
車板:「加藤清正虎退治」。
枡合:「夫婦唐獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
脇障子:右は「院庄の後醍醐天皇」、左は「児嶋高徳、桜木に詩を詠む」。
勾欄:「富士の巻狩り」。
土呂幕:「合戦物」。
三枚板:【太平記】正面は「楠木正成の出陣」、右は「楠木正季の雄姿」、左は「楠木正行の雄姿」。

 先代は下取りに。
東今里・神路(公式HPへ)=御旅所の地区。住吉型。明治2年以前の制作。大工は不詳。彫師は相野喜兵衛。
平成15年池内工務店で修復。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「朱雀」。隣懸魚:「青龍」。
車板:「?」。
枡合・虹梁は「青龍」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「鷲に猿」。隣懸魚:「猿」。
車板:「唐獅子」。
枡合:「牡丹に唐獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
勾欄:「花鳥づくし」。
火燈窓:「松に鶴」。
脇障子・角障子は「昇龍・下龍」。
土呂幕:「竹に虎」。
見送り:「牡丹に唐獅子」。
中道4−8−20 八坂神社 7/3土日&
10/16、17
地車1台 中道  
中道=大阪型。大正13年(1924)制作。大工は名古屋の大工。伊藤平左衛門かその門下説が有力。彫師は辻田友治郎。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「朱雀」。
隣懸魚:「麒麟」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:「青龍」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「鷲に猿」。隣懸魚:「猿」。
車板:「素盞鳴命八岐大蛇退治」。
枡合:「戦記物」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
勾欄:「戦記物」。
縁葛:「富士の巻狩り
」。
土呂幕:狐格子。
見送り:正面は「楠公子別れ桜井の駅」、右は「薄田隼人の雄姿」、左は「奥山出羽守の雄姿子」。
 
中本4−2−28 八王子神社 7/3土日&
10/16、17
地車2台 中本、西今里  
中本=大阪型。昭和32年(1957)制作。「梶内だんじり店」請負。大工は菅善次郎。彫師は開生a。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「朱雀」。隣懸魚:「青龍」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:「青龍」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「天日矛悪鳥退治」。隣懸魚:「青龍」。
車板:「唐獅子」。
枡合:「牡丹に親子唐獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
勾欄:「干支づくし」。
縁葛・土呂幕:「牡丹に唐獅子」。
見送り:【賤ヶ岳の合戦】正面は「秀吉の出陣」、右は「佐久間玄蕃の奮戦」、左は「脇坂安冶の勇戦」。

 先代は慶応年間作で昭和32年5月に城東区諏訪町へ売却。
西今里=御旅所の地区。もともとは神戸型。数次の改修で大阪型へ。大正13年頃に神戸税関保税倉庫に保管されていた数台のうちの1台を購入。大工、彫師は不明。平成15年、隆匠で改修。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「朱雀」。隣懸魚:「麒麟」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。「?」。
枡合:「青龍」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「鷲に猿」。隣懸魚:「猿」。
車板:「唐獅子」。
枡合:「牡丹に唐獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
勾欄:「干支づくし」。
土呂幕:「牡丹に唐獅子」。
見送り:正面は「義経八艘飛び」、右は「加藤清正の雄姿」、左は「薄田隼人の勇戦」。

 先代は明冶初期〜中期に11代目大佐の作。天王寺の土建屋が個人的に所有⇒西今里⇒東大阪市柏田⇒神戸市灘区西御影へ。
東小橋3−8−14 比売許曽神社 7/3土日 神輿 昭和12年制作
枕太鼓  
地車1台 東小橋 
東小橋=住吉型。昭和26年制作。「大音」こと飯田松太郎が制作。彫師は松田正幸。助は前田正三。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「朱雀」。隣懸魚:「松にかささぎ」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:右は「楠公子別れ桜井の駅」、左は「楠正成の勇戦」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「牛若丸 弁慶五条大橋の出会い」。
隣懸魚:「麒麟」。
車板:「牡丹に唐獅子」。
枡合:右は「牡丹に夫婦唐獅子」、左は「牡丹に親子唐獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
脇障子:「太平記」。角障子:「源平盛衰記」。
勾欄:「忠臣蔵」。
縁葛:「曽我物語」。
縁葛:【曽我物語】正面は「仁田四郎忠常猪退治」、右は「祐経陣屋討ち入り」、左は「由比ヶ浜の場」
土呂幕:【豊臣軍記】正面は「加藤清正虎退治」、右は「秀吉本陣佐久間の乱入」、左は「薄田隼人の勇戦」。
見送り:【源平合戦】正面は「畠山重忠と巴御前の血戦」、右は「八幡太郎義家 安部貞任を追う」、左は「宇治川先陣争い」。
深江南3−16−17 深江稲荷神社 7/31、8/1 地車1台   
深江=住吉型。初代。明冶14〜16年頃に住吉のあたりから購入。これは地域の若衆が地車の要求のため、ストライキ起こしたためと云われる。
大工は不詳。彫師は辻田友治郎。八尾市・川井工務店で修復。

 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「鳳凰」。隣懸魚:「?」。
車板:「宝珠をつかむ龍」。
枡合:「親子獅子」。
虹梁:「龍」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「鷲と猿」。隣懸魚:「鶴と猿」。
車板:「親子獅子」。
枡合:「獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
見送り:「難波戦記」。
脇障子:「昇龍」。

 ≪生野区≫
桃谷3−10−5 御幸森神社 7/15に近い土日
10/15、16
地車2台 猪飼野、勝山北5丁目
猪飼野(猪飼野保存会。現・桃谷2)⇒地車小屋は神社境内。
=2代目。幕式大阪型。明治20年生野の地車大工「大熊」の永田熊次郎の制作。
平成27年(2015)5月31日、修復入魂式。大下工務店による修復。洗いと締め直し。台木新調。彫物一部新調。
前幕・後幕を龍村美術織物で新調。泥幕飾り幕修復。
長さ4.3m。幅2.25m。高さ3.3m(修復前)。
縁葛は「十二支」。見送り幕は「羅紗地。竹と虎」。

 先代は明治初期には三枚板の地車があったが、売却したか解体したか消息は不明。
勝山北5丁目(勝山北五地車保存会。旧・小路)⇒地車小屋は勝山北5−13−2。
=明治22年制作。生野の地車大工「大熊」こと永田熊次郎の制作。

長さ3.9m。幅1.625m。高さ3.05m。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「朱雀」。隣懸魚:「飛龍」。
車板:「青龍」。
枡合:「青龍」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「鷲に猿」。隣懸魚:「?」。
車板・枡合:「牡丹に唐獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
勾欄:「唐子物」。
縁葛:「牡丹に唐獅子」。
三枚式幕地車なので、土呂幕・見送りは幕。
小路2−24−35 清見原神社 7/31・8/1
10/15、16
神輿
地車4台 中川、片江、大友、腹見
地車廃絶 大瀬
中川(中川正進会。現・中川東2)=三代目。平成21年7月5日、新調入魂式。
改修とも言えるが、地元では三代目と言っているし、前回と今回の改修により、新調当時からの彫物はすべて新調入れ替えられたことになるので新調と言ってもいいだろう。
 昭和26年(1951)11月制作。大工は猪飼野の伊川重松。彫師は松田正幸、金光南陽(三枚板・角障子・内虹梁)。
平成10年に大下工務店で修復し、三枚板と角障子、他一部以外の彫物の多くを新調。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「地元の功労者翠岩さん」。隣懸魚:「麒麟」。
車板は「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:正面は「神武天皇東征」、右は「神功皇后、応仁天皇平産す」、左は「?」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「鷲に猿」。隣懸魚:「猿」。
車板:「獅子」。
枡合:正面は「兵庫出迎え」、右は「大塔宮」、左は「如意輪堂の場」。
 ≪腰廻り・見送り廻り≫
勾欄:「富士の巻狩り」。
土呂幕:正面は「頼朝、朽木隠れ」、右は「巴御前の勇戦」、左は「栗津合戦」、背面は「黄瀬川の対面」。
見送り:【太平記】正面は「楠公子別れ桜井の駅」、右は「後醍醐天皇隠岐より帰る」、左は「児島高徳桜木に歌を詠む」。

 初代は明治29年7/31に「大佐」より325円で売り渡されたが、昭和20年6月15日の戦災で焼失。三枚板型式だったという。

 二代目は昭和26年(1951)11月制作。大工は猪飼野の伊川重松。彫師は松田正幸、金光南陽(三枚板・角障子・内虹梁)。
平成10年に大下工務店。彫師は木下彫刻工芸(木下賢治)で修復し、三枚板と角障子、他一部以外の彫物の多くを新調。
片江(片江青年会。現・小路1)〔片江の地車HPへ〕⇒地車小屋は昭和51年7月、建造。小路1−20。
=大阪型三枚板型式。明治30年9月制作。明治32〜34年頃に住吉の「大佐」より290円で購入。大工は12代目大佐こと川崎宗吉。彫師は実弟の下川安次郎。大佐の「地車請取帳」には「二百九十円 片江村 明治三十年九月二仕入のこり志まい 売渡し」とある。
銘板は無いが、東成郡時代の作。
平成元年7月23日、修復入魂式。八尾市の川井工務店により修復。
長さ4、5m。幅2、2m。高さ3、5m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「朱雀」。
隣懸魚:「麒麟」。修復前は「飛龍」。
箱棟:「雲龍」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:「牡丹に唐獅子」。虹梁:「珠取り唐獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「猿つかむ鷲」。
隣懸魚:「飛龍」。修復前は「唐獅子」。
車板:「牛若丸 弁慶五条の出会い」。
枡合:「牡丹に唐獅子」。
 ≪腰廻り・見送り廻り≫
脇障子:右は「蝦蟇仙人と鉄拐仙人」、左は「林 和請」。
勾欄:「唐子二十四孝」。
下勾欄:「兎の戯れ」。
土呂幕:「福島市松・加藤清正の勇戦」。
三枚板:【賤ヶ岳の合戦】正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「毛受勝兵衛の勇戦」、左は「毛受勝介家照の最期」。
縁葛:「源平合戦」。
持送り:「獅子舞の唐子、太鼓打つ唐子」。

 神輿=昭和30年に大小2基購入。
大友(大友清友会。現・小路2)⇒地車小屋は神社境内。
=大阪型。明治34年7月。南区生玉上汐町の大工「大清」の制作。費用は170円。
平成14年、池内工務店により改修で三枚板となる。見送り幕は「神武天皇」。
幅2m。長さ4、36m。高さ3、4m。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「朱雀」。隣懸魚:「麒麟」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:右は「青龍」、左は「親子青龍」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「鷲に猿」。隣懸魚:「青龍」。
車板:「楠公子別れ桜井の駅」。
枡合:「牡丹に夫婦唐獅子」。
 ≪腰廻り・見送り廻り≫
脇障子:右は「武内宿禰」、左は「神功皇后」。
角障子:右は「加藤清正虎退治」、左は「川中島の合戦」。
勾欄:「三十六歌仙」。
縁葛:「合戦物」。
土呂幕は【源平合戦】右は「宇治川先陣争い」、左は「熊谷次郎直実の雄姿」。
見送り:【賤ヶ岳の合戦】正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「毛受勝兵衛の勇戦」、左は「毛受勝介の最期」。
腹見(東小路)(東小路青年会。現・小路東5)=明治29年玉造の本庄(現・東成区中本)の「大工庄」を通じて購入。当時の戸数は約35戸。
平成4年河合工務店(平野区)で修復し、縦横15cmほど大きくする。
長さ4、4m。幅2、04m。高さ3、35m。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「朱雀」。隣懸魚:「牛若丸」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:「青龍」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「鷲に猿」。隣懸魚:「猿」。
車板:「天の岩戸」。
枡合:「珠取り唐獅子」。
 ≪腰廻り≫
角障子:右は「降龍」、左は「昇龍」。
勾欄:「唐子二十四孝」。
縁葛:「富士の巻狩り」。
土呂幕:「合戦物」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:【神話伝説】正面は「天の岩戸」、右は「天日矛悪烏退治」、左は「素盞鳴命大蛇退治」。

脇障子:「楠公子別れ櫻井の駅」。
 【地車廃絶】
大瀬
=明治30年頃には地車購入していたが、戸数20戸ほどの少村のため、曳行に不自由するので明治末期に今の東大阪市近江堂に売却した。
現・守口市大枝。
田島3−5−34 田島神社 7/16、17 神輿 ギャル神輿
地車1台 住吉型
田島⇒地車小屋は神社境内。
=明治32、3年頃に深江新家が新調。大正3年の御大典の時に、素人相撲の大関一ッ松の世話で深江新家より165円で購入。
平成17年(2005)6月、河合工務店で修復。彫物を一部修復。他は新調。
長さ4.0m。幅2.2m。高さ3.3m。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「朱雀」。隣懸魚:「梅にうぐいす」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:「青龍」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「松に鷲」。隣懸魚:「松に鶴猿」。
車板:「夫婦唐獅子」。
枡合:「?」。
 ≪腰廻り・見送り廻り≫
柱巻き:「夫婦青龍」。
角障子・脇障子:「?」。
縁葛:「波涛に兎の戯れ」。
土呂幕:「合戦物」。
勾欄:「富士の巻狩り」。
見送り:【太閤記】正面は「秀吉の雄姿」、右は「前田犬千代」、左は「加藤清正の勇戦」。

 先代は明治9年住吉「大佐」作の地車だが、明治21年の秋祭りの宮入り時の事故のため堺市鳳の北王子に売却した。
桃谷2−16−22 弥栄神社 7/15頃の土日・10/15、16 地車2台 鶴橋(旧・木野)、勝山北(旧・岡)
鶴橋(鶴橋若中会HPへ)⇒地車小屋は弥栄神社境内。
=3代目。昭和9年(1934)岡が新調。生野の地車大工「大熊」2代目の永田三次郎の制作。彫師は「彫清」2代目の柳原清三郎。岡が地車を昭和40年7月の夏祭り終了後に譲渡してもらう。
長さ4.5m。幅2.4m。高さ3.1m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「鳳凰朱雀」。隣懸魚:「鳳凰」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:「青龍」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「飛龍」。隣懸魚:「飛龍」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:「夫婦唐獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
提灯持ち:「青龍」。
脇障子:右は「加藤清正虎退治」、左は「鵺退治」。
勾欄:「唐子二十四孝」。縁葛:「富士の巻狩り」。
土呂幕・見送りは幕で「濃紺木綿地に浜千鳥」。

 先代は大阪型。文久元年(1861)に村の大工「大種」こと安田某が制作。彫師は二代目彫又(西岡又兵衛)。
昭和40年の夏祭りを最後に解体された。彫物だけは地車小屋壁面にガラスケースを作り展示している。

また途中に大正初期に神戸市灘方面より北河内型で外コマに改造され引出し芝居の出来る地車を購入するが、大きすぎ石鳥居につかえて宮入り出来ず飯田氏宅前で雨ざらしの状態になり解体処分となる。
岡(現・勝山北4丁目)⇒地車小屋は勝山北3丁目4−12の岡御旅所(茨神社)前。
=平成23年(2011)5月22日、購入入魂式。大阪型。
明治37年東大阪市古水走新調⇒大正12、3年に東大阪市御厨が購入。
三枚板:【賤ヶ岳の合戦】。正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、左右は「?」。
泥幕:「兎」。脇障子:岸和田より購入の松良?を利用。

 初代は明治10年に制作し昭和10年に東大阪市岸田堂に売却。現・尼崎市西桜木町へ。
 先々代は昭和10年新調するが、昭和40年7月夏りで、夏祭り終了後弥栄神社地車関係者(鶴橋若中会)に譲渡した。
 先代は平成18年(2006)6/11、お披露目曳行。6/4、試験曳き。平成17年(2005)搬入。
経路は明治前期?某所新調⇒東大阪市稲田南2番(この時背丈縮める)⇒八尾市竹淵⇒東大阪市某社長⇒柏原市老原⇒竹淵の個人⇒岡⇒個人⇒旭区中宮へ。
巽南3−17−19 巽神社 7/14、15
10/14、15
神輿
地車4台 西足代、矢柄、伊賀ヶ、四条
太鼓台2台 布団太鼓[大地] 小型太鼓[伊賀ヶ西]
西足代(西足代青年会。現・巽中1丁目)⇒地車小屋は巽中1−9−21。
=住吉型。昭和27年に8区(巽北町)が新調するが、若衆無く曳かれなかったので29年に購入。
大工は「大重」こと伊川重松。彫師は木下舜次郎、金光秀道・南陽兄弟。平成6年改修。
長さ4.59m。幅2.19m。高さ3.45m。 
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「朱雀」。隣懸魚:「飛龍」。
車板:「宝珠をつかむ青龍」。
枡合:「青龍」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「鷲に猿」。隣懸魚:「麒麟」。
車板:「親子青龍」。
枡合:「牡丹に夫婦唐獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
脇障子:右は「後醍醐天皇隠岐より帰る」、左は「神功皇后応神天皇平産す」。
角障子は「賤ヶ岳の合戦」。勾欄は「唐子物」。縁葛は「富士の巻狩り」。土呂幕は「合戦物」。
見送り:【獣退治】正面は「鎮西八郎鷲退治」、右は「加藤清正虎退治」、左は「源三位頼政鵺退治」。

 先代は明治30年に東大阪市太平寺より購入し昭和10年まで曳行。現・地車購入につき昭和30年解体。
矢柄(巽矢柄青年会。現・巽東1丁目)⇒地車小屋は巽東1−10−3。
=大阪型。3代目。昭和5年に深江新家より購入。住吉「大佐」の作か?。
昭和23年に、八尾市服部川の「大音」こと飯田松太郎により、改修され、彫物も三枚板を残し松田正幸により小屋根拝懸魚、桁隠し、脇障子、隅障子、縁葛を新調、取り替え。
平成17年(2005)6月、隆匠で本体は全面新調という修復。彫師は筒井工房、富山県井波の澤義博。
長さ4.55m。幅2.5m。高さ3.56m。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「鳳凰」。
桁隠し:「飛龍」。
車板:「牡丹に唐獅子」。
枡合:左右は「竹に虎」、中は「波に兎」。
虹梁:「宝珠をつかむ青龍」。
持送り:「波に千鳥」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚:「牛若丸 弁慶五条大橋の出会い」。
桁隠し:「平景清 錣曳き」。
車板:「牡丹に夫婦唐獅子」。
枡合:「牡丹に唐獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
脇障子:【太平記】右は「新田義貞稲村ヶ崎」、左は「村上義光錦御旗奪還」。
角障子:「源平盛衰記」。
土呂幕:「牡丹に唐獅子」。
見送り:【富士の巻狩り】正面は「仁田四郎忠常猪退治」、右は「頼朝馬上の雄姿」、左は「狩場風景 狐退治」。

 初代は明治20年に作られたが、大きすぎて明治38年の日露戦争戦勝祝いを最後に東大阪市蛇草に売却。
 大佐の「地車請取帳」の明治34年〜大正8年の項の一番最後に「中河内郡たつみ村やから 小地車買来ル 中西亀吉様」とあるので、大正初期に大佐より中古地車購入したと思われる。
 先代は大正4年頃に狭山より購入し、大正10年に東大阪市高井田方面に売却か?。
伊賀ヶ(伊賀ヶ地車保存会。現・巽東3〜7町会)⇒地車小屋は巽東1−16−5。
=住吉型三枚板型式。明治38年(1905)住吉「大佐」にて3年月賦で350円で新調してもらう。
長さ4.0m。幅2.5m。高さ3.0m。 
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「朱雀」。隣懸魚:「麒麟」。
車板:「青龍」。枡合:「珠取唐獅子」。
虹梁:「牡丹に夫婦唐獅子」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「素盞鳴尊八岐大蛇退治」。
隣懸魚:「素盞鳴尊の家来」。
車板:「牛若丸奥州下り」。
枡合:「牡丹に唐獅子」。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
土呂幕:「雑兵揃い」。
見送り:【源平盛衰記】正面は「御厨鬼三太の雄姿」、右は「那須与一 扇の的」、左は「平家の怨霊大物浦」。

四条(四条青年団。現・巽南1丁目)(四条青年団HPへ)⇒地車小屋は巽南1−11−22。
=4代目。平成16年(2004)9/26新調入魂式新調。大工は大下工務店(大下孝治)。彫師は木下彫刻工芸(木下賢治)。
長さ4、5m。幅2、4m。高さ3、6m。
彫物は太閤記で統一。
桁隠し:前は「松に鶴」、後ろは「竹に虎」。
三枚板:正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「福島市松の勇戦」、左は「加藤嘉昭の勇戦」。
箱棟は「獏」。

 初代は明治10年9月制作。明治40年に東大阪市永和町(永和村北横沼)に売却。
 2代目は明治45年に南河内より購入するが大きすぎるため大正3〜5年に売却。
 先代(3代目)は平野区野堂南より大正10年7月に購入。平成16年(2004)7/18曳納め。東大阪市長田東之町へ売却。
大地(巽太鼓保存会)⇒太鼓部屋は巽中3−18−9。
=三代目。昭和53年(1978)10月に太鼓正より購入。本体約500万円。約15年ぶりの復活。
長さ1.2m。幅3.6m。高さ3.8m。

 往古は台楽で大地の各町内(中町、南町、西脇、北脇、中町、乾角)ごとにあった。
 初代は明治27、8年〜明治末期担がれた。現在、巽小学校の郷土資料室に寄贈の太鼓には明治27年4月購入と書かれていることはこれを裏付けていると思われる。
 二代目(先代)は大正3年の御大典記念に若衆が手付金を払い西浜の太鼓台を担いで帰る。仕方なく世話人15名にて300円払う。この太鼓台は昭和38年頃老朽化のため廃絶。

伊賀ヶ西=昭和52年生駒山山麓の町の休止中の小型布団太鼓を購入するが、傷み激しく、巽西の小沢師が修復して使えるようになった。
舎利寺1丁目2−27 生野神社 7/13、14(毎年)  神輿 保管。平成になってからは出ていない。
地車 生野神社地車講
地車休止 舎利寺
10月 布団太鼓
生野神社地車講⇒平成22年6月6日、発足した。
=平成27年7月12日、購入入魂式。堺市鳳地区の野田より購入。
昭和7年、野田で新調。大工は植山宗一郎。彫師は吉岡義峰。平成24年まで79年間曳かれる。
購入につき、河合工務店で肩背棒を入れ替える。
 ≪大屋根廻り≫
拝懸魚:「天の岩戸」。
隣懸魚:「青龍」。
車板:「鷲に猿」。
枡合:右は「楠公子別れ櫻井の駅」、左は「後醍醐天皇隠岐より帰る」。
虹梁:正面は「鶴ヶ岡八幡宮」、右は「安宅の関 弁慶義経懲打」、左は「仁田四郎忠常の雄姿」。
 ≪小屋根廻り≫
拝懸魚:「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」。
隣懸魚:「青龍」。
車板:「夫婦青龍」。
枡合:右は「新田義貞稲村ヶ崎」、左は「義経八艘飛び」。
勾欄合:「花鳥風月」。
 ≪腰廻り≫
縁葛:【忠臣蔵】正面は「両国橋引揚げ」、右前は「大石内蔵助の雄姿」、右後ろは「赤穂義士の雄姿」、左前は「吉良上野介召捕り」、左後ろは「刃傷松の廊下」、後ろは「清水一学の奮戦」。
土呂幕:【源平盛衰記】正面は「朝比奈三郎の奮戦」、右は「巴御前馬上の雄姿」、左は「宇治川の先陣争い」、は後ろ「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:【賤ヶ岳合戦】。正面は「秀吉本陣佐久間の乱入」、右は「中川清秀の最期」、左は「福島市松 拝郷五左衛門討取り」。
脇障子:右は「夕月背負う畠山忠重」、左は「義経の雄姿」。

初代は平成22年(2010)6月27日、入魂式。5月30日に搬入。擬宝珠勾欄堺型地車。
 有志7人により購入。神社にお願いし、神社横の宮守用の家屋を地車小屋に改造させてもらう。
 搬入に先立ち平野区喜連の河合工務店にて台木の入替えや背丈を下げる改造をし大阪型風に改修。
江戸末期〜明治初期制作。大工は堺の地車大工と思われる。彫師は彫清2代目(柳原清蔵)など堺の彫又一門。
 もともとは、河内長野市小山田にて曳行されていた地車。その後明治期に同市原が購入。
原では現地車新調まで曳行され、昭和63年に同市滝畑に譲渡。
滝畑では平成9年までにて曳行されが、過疎化などにより曳行休止となり、平成20年まで滝畑にて保存。
その後、八尾市の太鼓業者に譲渡された。
 現・地車購入につき柏原市上市地区に売却。
舎利寺=明治20年頃制作。費用150円。大工は小路の永田熊次郎。彫師は彫清。
昭和40年、天王寺区久保神社祭礼(=国分)に貸し出されたが、大破損した。その後社殿の東側の倉庫に解体保存。
復活話もあったが、修復できる状態ではなかったと聞く。今もあり。
布団太鼓=平成24年(2012)3月11日、購入入魂式。
生野東4−7−11
(旧・林寺
生野八坂神社 7/15、16(毎年) 神輿 社殿に飾りつけ 
地車2台 八千代会(宮付き地車)
八千代会⇒地車小屋は舎利寺2−18。
=平成18年(2006)6月11日、地車入魂式。堺型。大工は住吉大佐こと川崎宗吉。彫師は彫又一門。
平成19年、彫物入れ替える。長さ3.2m。大屋根幅2.1m。高さ2.1m。
経路は和泉市上町が昭和初期に堺市小阪2代目堀内武内より購入。昭和62年の祭礼後に、500万円で東大阪市中新開130にある水滸伝チェーンの“楽車”に売却され店の目玉として陳列されたが、再び大下工務店に買い戻され大屋根新調など改修され、生野八坂神社へ。

先代=囃子用=平成16年(2004)7月11日、車楽会の地車を奉納してもらい入魂式を行う。大工・彫師は不詳。
元・西宮市名塩大西町の地車で、八尾市の川井工務店が下取りし車楽会へ。一部、改修している。
本宮に神社で囃すが曳行はしない。
長さ3.9m。大屋根幅2.1m。高さ3.2m

 初代は天保年間(1830〜43)の作で三枚板地車だったという。
 2代目は明治20年岸和田より三枚板地車を購入。村道が狭いので秋祭りに囃す程度だった。売却先は不明。
 3代目は明治39年に東大阪市岸田堂より購入。しかし昭和30年頃に若衆が熱意無く宮前で囃す程度で道路に2,3ヶ月放置するまでになった。その後49年に近所の大工に10万円で売却。
 【子供みこしまつり】
7月連休前の日曜。雨天予備日は翌祝日。場所は西生野校下地区全域。小学校に入場。神社では久保神社に相当。