佐 賀 県

      ≪北部≫

       唐津市、伊万里市、東松浦郡[玄海町]、西松浦郡[有田町]

住所 神社名 祭礼日 内容 備考

 ≪唐津市≫
  平成17年(2005)1/1唐津市+東松浦郡浜玉町+肥前町+呼子町+鎮西町+相知町+厳木町+北波多村が合併。
  平成18年(2005)10/1唐津市+東松浦郡七山村が合併。
 ◎旧・唐津市
南城内  唐津神社 4/29 曳山14台 曳山社頭勢揃い
11/2〜4 神輿  
曳山14台 刀町、中町、材木町、呉服町、魚屋町、大石町、新町、本町、木綿町、平野町、酒米屋町、京町、水主町、江川町
刀町=1番赤獅子。文政2年(1819)9月制作。細工人は石崎嘉兵衛。塗師は川添武右衛門。
刀町の彫師石崎嘉兵衛がお伊勢参りの帰りに京都祇園祭を見て感動して帰郷の後、大木小助らと計画し、塗師川添武右衛門らと共に曳山を造り、唐津神社に奉納したとされている。長さ4、4m。幅2、9m。高さ5、2m。
 平成元年、24年ぶりに塗替え。
中町=2番。青獅子。文政7年(1824)9月制作。細工人は辻利吉。塗師は儀七。昭和5年に5回目の修復が行われた。
長さ2、5m。幅2、5m。高さ4、8m。
材木町=3番。亀と浦島太郎。天保12年(1841)9月制作。制作者は須賀仲三郎。塗師は不明。
 材木町が「亀」を選んだ理由としては、@八代の妙見祭のみこしに供奉している亀蛇に着目したものA鹿島明神が早亀という亀に乗って上陸したところの2説がある。
亀の背中には最初は宝珠が乗っていたが制作後20年ほどで浦島太郎に替わった。この宝珠は昭和16,7年頃まで集会所にあったと云われている。
 昭和52年に6回目の修復が行われた。
 以前の曳山格納庫は、戦前は現在のラッキー靴店の隣の現在道路の所にあり、この裏が集会所だった。戦後は現在の瀬戸酒店のところに移転した、
呉服町=4番。源 義経の兜。天保15年(1844)9月制作。
細工人はは石崎八右衛門、脇山桝太郎。塗師は牧山卯太郎。大工佛師庭吉、白井久介、永田勇吉。諸金物師は房右エ門。昭和3年に2回目の修復が行われた。長さ4、7m。幅2、8m。高さ6、1m。重量約1、6〜8トン。
 呉服町が「兜」を選んだ理由としては、当時町内に具足屋があり、兜に詳しく熱心であったため決定したと伝えられいる。天保15年の記録にある具足屋利右エ門がその人に当たり、店舗は現在の村岡総本舗の位置にあったと云われる。
魚屋町=5番。鯛。弘化2年(1844)9月制作。細工人、塗師共に不詳。長さ2、5m。幅2、2m。高さ6、7m。
 昭和56年、昭和34年以来22年ぶりに塗替え。
 魚屋町が「鯛」を選んだ理由としては、魚屋町が魚屋の町だったので、魚の代表として鯛を選んだ。
神様の警護のために獅子や兜がまず造られたので、神への御供物として魚の代表の鯛が選ばれたと言われている。
大石町=6番。鳳凰丸。弘化3年(1846)制作。細工人は永田勇吉。塗師は小川次郎兵衛。制作費は1万7,500両。長さ5、1m。幅2、1m。高さ4、5m。重量3トン。昭和60年総塗り替え。梅谷仏具店にて。
 大石町が曳山に「鳳凰」を選んだ理由としては、唐津で最も大商人が多く裕福な町だったので一番豪華な曳山として選んだ。京都祇園祭の船鉾を参考にした。おめでたいものにあやかろうとした。古代貴族の船遊びの船に龍・鳳凰があり、これを参考にしたの4つが云われている。
 現在の公民館は昔曳山小屋があり、奥に曳山を手前に消防ポンプを置いていたそうである。
新町=5番。飛龍。弘化3年(1846)9月制作。原形の細工には陶工の中里守衛重廣(九代太郎右衛門)、中里重造政之の兄弟。大工は魚屋町の太吉と同町の鹿造。塗師は久留米榎津町の中島良吉春近と原利八家次、中島小兵衛春幸。幅2、2m。高さ6、8m。重量1、75トン。
 昭和62年、梅谷仏具店にて。総塗り替え。
 本町が「飛龍」を選んだ理由としては、当時、京都の南禅寺には唐津中里家の日羅坊という人がおり、そこへ町内の醤油業の岡口屋前川仁兵衛と酒屋の石田屋伊右衛門の二人が立ち寄ったそうです。この時、南禅寺の障壁画に描かれている飛龍を見て帰り、それをモデルにして飛龍を造ることを思いついたと言われている。
 現在の新町児童遊園地西隣の名護屋口脇には消防小屋と並んで曳山小屋があった。
本町=8番金獅子。弘化4年(1847)8月制作。細工人は石崎八左衛門。塗師は原口勘二郎か?。
長さ2、6m。幅3、1m。高さ5、6m。重量約1、6〜8トン。
 
本町が「金獅子」を選んだ理由としては、一番町であるので、一番曳山赤獅子、二番曳山青獅子より以上の曳山を造ろうとして、「金獅子」を選んだとも言われます。また、一説には「金獅子」は雄で、紺屋町の黒獅子(実は銀獅子だったともいう)が雌で対になっていたとも言い伝えられている。
木綿町=9番。武田 信玄の兜。文久2年(1862)に計画し、元冶元年(1864)9月制作。細工人は紅屋近藤藤兵衛。塗師は畑重兵衛と云われている。明治9年(1876)に一部改造したと伝えられる。
昭和35年に3回目の塗り替え。長さ3、6m。幅2、7m。高さ6、3m。重量1、6〜8トン。

 木綿町が「武田信玄の兜」を選んだ理由としては、当時の町役で材木町に住んでいた平松氏に伺いをたてて造ったと伝えます。
 元治元年以前の仮造りのヤマ「天狗面」が明治36年ごろまで町内に残っていて、子供たちが天狗の面で遊んでいたと伝え聞く。
平野町=10番。上杉 謙信の兜。明治2年(1869)8月制作。細工人は富野式蔵。塗師は須賀仲三郎。
長さ3、6m。幅2、4m。高さ6、7m。重量1、6〜8トン。
昭和57年に22年ぶりに4回目の塗り替え。この時に兜錣下端を切って、波地竜文が小札に変わっている。

 平野町が「上杉謙信の兜」を選んだ理由としては、木綿町が「武田信玄の兜」を選んだことによると思われる。
 記録には無いが、町内に幅、奥行約1.8m、高さ40cm程の年代物の仮造り曳山の台車が残っていたところから、江川町、木綿町と同じように仮造りの曳山があったと思われる。
米屋町=11番。酒呑童子と源頼光の兜。明治2年(1869)9月制作。細工人吉村藤右衛門、近藤藤兵衛の作。塗師は須賀仲三郎。大工は高嵜作右衛門、同作兵衛、同九兵衛、宮嵜利助らによって制作。頼光の兜の頭髪にはヒマラヤ原産の白いヤクの毛や眉には黒馬毛と幕には大麻が用いられている。
 長さ2、5m。幅3m。高さ4、9m。重量1、6〜8トン。
 平成5年、29年ぶりに塗替え。

 米屋町が「頼光の兜」を選んだ理由としては、9番、10番に引き続く兜曳山に「酒呑童子と源頼光の兜」を選定したものと思われる。
京町=12番。珠取獅子。明治8年(1875)10月制作。細工人は富野淇園。塗師は大木夘兵衛、大木敬助。町大年寄の糸屋の屋敷内で制作したと伝えられている。
昭和58年、伊万里の生田塗師工房(生田利明)により総塗替え。
 京町が「珠取獅子」を選んだ理由としては、町内の長門屋に伝えられていた唐津焼の「珠取獅子」がモデルになったという説が有力である。
 平松文書(安政6年〔1859〕)によると以前は“踊り山”で神輿行列の休憩場所で御婦人が舞台の上で踊っていた。
 【七町八町事件
13番の鯱と14番の七宝丸は同じ年に制作された曳山です。
他にも同じ年に制作された曳山はありますが、この2台は特殊な事情がありました。
完成届と実際の奉納が互い違いになってしまいました。
そして完成順に曳いている為にどちらが先に完成したのかで揉める事になりました。
当然2町間では決着がつかず、他の曳山持ちの町内も含めて話し合ったのですが8:7と意見が真っ二つに分かれて決着がつきませんでした。
 そこで仲裁に元石町の大石大神社が仲裁に入り毎年交互に順番を入れ替えるべしとの助言で決着がつきました。
これ以後、水主町と江川町は隔年で順番を入れ替え、また大石大神社も唐津神社の秋季例大祭の神幸の行列に加わる事となりました。
水主町=13番。鯱。明治9年(1876)11月制作。細工人は富野棋園。大工は平野町の木村與兵衛、鍛冶木綿町の正田熊之進、木挽本町の楠田儀七、
塗師は久留米住通町3丁目川崎峯次晴房らに制作。
台車は昭和50年制作。創建時の台車は現在曳山展示場に展示。
塗り直し時の塗師は笹谷宗右衛門(輪島市)。
長さ5、7m。幅2、5m。高さ3、8m。重量1、5トン。
 水主町が「鯱」を選んだ理由としては、当初龍王山を造る予定であったが、江川町で蛇宝丸(七宝丸)を造ることになったので、急きょ富野淇園に相談して海と水に関わる鯱を造ることになった。鯱が火災よけの魔力があり、町名の水と関係があるので決まったとも言われています。
江川町=14番。七宝丸。明治9年(1876)8月制作。細工人は宮崎和助、塗師は須賀仲三郎、大工は田中市次正信(大石町)らによって制作。
屏風の松竹の絵は唐津藩絵師、武谷雪渓(大石町)。長さ3、2m。幅2、2m。高さ6、3m。重量3トン。
昭和61年修復。昭和63年、昭和41年以来22年ぶりに塗替え。八女市・近松塗師による。
曳山展示場には明治9年製作の幕の端ぎれと水野公直筆のお稲荷さんの額が展示されている。
 江川町が「七宝丸」を選んだ理由としては、曳山製作関係者が大石町在住であったので、大石町の対の船として竜頭の七宝丸を作ったと伝えられている。

 平松文書(安政6年〔1859〕)によると“赤鳥居”と呼ばれる仮作りの“走り山”があった。 
 【廃絶】
紺屋町=黒獅子。安政6年(1859)〜文久2年の間に作られたと思われる。明治22年が最後の巡行。これは宵宮に提灯の火がついて、その火を消すために堀に落としたところ、損傷がひどいために廃棄した。太鼓と鉦は残ったが、昭和30年代に木綿町に譲った。
東唐津=昭和36年に1回のみの参加。

坊主町
=戦前にあったようだが、くんちには参加していない。金刀比羅さんのお祭りに出したと思われる。
鏡神社 10/3土日 山笠2台 西若=辻、町、田中
東若=山添、今村、東若
鏡くんち=浜崎系の山笠で、かつては高さ12mあった。昭和31年から休止だったが、昭和52年(1977)に復活。昭和56年まで3回奉納された。平成元年(1989)に再度復活し、現在では2基の山笠で巡行している。
唐房 祇園社 7/2土日 山笠1台(元・6台) 長さ2、5m。高さ6m。
昭和15年頃までは幸手組[1丁目]、秋葉組[2丁目]、八郎組[3丁目]、蛭子組[4丁目]、高札組[5丁目]、原組[6丁目]の6台の山笠を出した。
屋形石 祇園神社 /初旬(元・7/31) 神輿
山笠1台 浜崎系山笠
※8月初旬に隔年で行われる。戦前までは本村と先部の2台あったが、先部の1台のみが残っている。現在は屋形石の区主催行事として行われ本村、先部を始め横野、中里の子供たちも参加している。
八坂神社 旧6/14、15 山笠2台 岡、浜
今の台は3、4代目。以前は一回り大きかった。現在は長さ5、1m。幅2、3m。高さ約5、5m。
 湊祇園山笠の由来については、岸岳城主波多三河守の命で当地領主八波常陸介が神社を再建したところ、湊町の牟田に祇園神楽田(百余石)の寄付を受け、浜両地区二基の山笠を奉納し祇園祭を行うようになったと伝えられている。
宇木 宝満神社 10/19、20 山笠1台 昭和57年頃復活
昭和10年頃までは幅約3m。高さ約19mの山笠を出したが、戦争で途絶えた。戦後は馬車に枠を付けた「馬車山笠」を出した。古い山笠の台は今も保存。
東唐津 満島八幡宮 山笠廃絶  
昭和35年〜37年の3年間出た。武者人形を飾付けた山笠だった。このうち36年は唐津くんちにも参加した。
※山笠は熊原町にもかつてあった。
 【高島(たかしま)】
面積は0、62km2。周囲は3、0km。人口は328人(平成22年)。
高島683 塩屋神社 10/19 例祭 “高島くんち”
 【神集島(かしわじま)】
面積は1、41km2。周囲は6、5km。人口は463人(平成22年)。
神集島 住吉神社 7/20、21 山笠2台 提灯山
山笠=昭和52年復活。始めは人形山だったが、経費がかかるので提灯山に変更。
 ◎旧・浜玉町
浜崎 諏訪神社 7/夏休み最初の土日(元・4土日) 山笠3台 東、西、浜
宝暦3年(1753)に浜崎の浜区の網元・中村屋久兵衛が商用のため、京都の祗園社を参拝した帰路、博多山笠見物をして感動して地元に伝えたもの。漁師(浜区)、農家(西区)、商人(東区)一同で祭礼を行った。
鳥巣 鳥巣神社 旧・8/25 天衝舞浮立
 ◎旧・呼子町
小友 八坂神社 旧・6/14、15 山笠1台 浜崎系舁山  
“海を渡る山笠”で有名。万治元年(1658)、当時村で大流行したコレラの疫病除けや悪疫退散を祈願して笠竹に御幣を付けて村内を御祓いして廻ったことが神事の始まりだと伝えられる。
 【呼子の郷土芸能】
呼子大綱引き=文禄・慶長の役の時、豊臣秀吉が兵の士気を鼓舞するために、加藤清正と福島正則の陣営を東西に分け、軍船のとも綱を用いて引かせたことから始まったと伝えられている。往古は旧端午の節句に行なわれていたが、現在では毎年、6月の第1土曜日(子供綱)、日曜日(大人綱)の2日間にわたって行なわれている。
 町民を岡組と浜組に分け、老若男女が直径12cm、長さ400mの大綱を、ドラと火矢の合図で引き合い、岡組が勝った年は豊作、浜組が勝った年は大漁とを賭けた真剣勝負が行われる。
綱の中心部は「みと」と呼ばれ「わら」を「むしろ」で巻いてロープで締め上げて作られる。大きさは長さ約5m、幅約1、5m、高さ約1、5mである。
 【加部島(かべしま)】
面積は2、72km2。周囲は8、0km。人口は657人(平成22年)。平成元年に全長728mの呼子大橋が出来て本土とつながる。
加部島 田島神社 7/最終土日 夏越祭
 小川島(おがわしま)
面積は0、92km2。周囲は4、0km。人口は477人(平成22年)。
小川島 田島神社 6/27〜29 祇園山1台 浜崎系舁山 
 ◎旧・鎮西町
名護屋 天神神社 10/3日曜 神輿、大名行列
古里 古里神社 旧・9/15 神輿
 【鎮西の郷土芸能】
海中綱引き=8月15日、鎮西町波戸で開催。満潮時に、「どんさ」と呼ばれる服を着て、腰まで海につかりながら長さ35mの綱を海中で引き合う。赤組と白組に分かれ、3本勝負で先に2勝すれば勝ちだが、勝ち負けには意味はない。この綱引きは豊臣秀吉が文禄・慶長の役の在陣中、将兵の慰安と戦没者の盆供養を兼ねて海中で引き合ったのが始まりとされている。
 【加唐島(かからしま)】
面積は2、83km2。周囲は14、6km。人口は196人(平成22年)。
鎮西町加唐島 八坂神社 7月 例祭
 【馬渡島(まだらしま)】
面積は4、22km2。周囲は12、5km。人口は479人(平成22年)。仏教徒は宮の本地区(本村)、カトリック教徒は二夕松と野中地区(新村)に住む。
宮の本 馬渡神社 10/4日曜 神輿 おくんち
曳山 1度だけ
神輿は馬渡神社を出発し、小中学校へ回り、墓地の真下で休憩。港へ下がって入り江に沿って旧・山ノ神神社に回り、折り返して漁協前で漁船3隻に神輿を積み替え、防波堤の内側を時計回りに3周した後、船から降ろされて馬渡神社に戻る。
獅子山=平成10年代に1度だけ曳山(獅子の山)を出したことがある。これは馬渡島小中学校に赴任したY先生が唐津市水主町出身で学校行事として獅子山を制作したが、あまりの出来にぜひ神輿の先触れに出して欲しいと要望され出場した。
残念ながらY先生は翌年転勤され根付かなかった。
 【松島(まつしま)】
面積は0、63km2。周囲は3、6km。人口は77人(平成22年)。
長崎県の黒島からの移住によるので、島民のほとんどはカトリック信者。
 ◎旧・肥前町
肥前町高串 増田神社 7/26頃の日曜 山笠2台   
白馬にまたがって敬礼をした増田さまの山笠が町内を練り歩く。
また佐賀県警・県・市の関係者、出身地の熊本県泗水町からも大勢の参拝者、佐賀県警音楽隊のパレード、カラオケ大会、夜には花火大会がある。
 おそらく全国唯一の警官が神と祀られている。
明治28年(1895)7月21日に増田敬太郎巡査が
着任した。
同巡査は東京に遊学して漢学、法律、測量、英語を修め、巡査教習所の3ヵ月の課程を10日間で習得した秀才だった。
この年コレラが流行し、全国で4万余人の死者が出た。高串でも猛威を振るったため、当時は保健所も兼ねていた警察から急派された。
働きぶりは滅私どころか決死だった。住民に感染の危険と予防の心得を説いて回り、誰もが怖がって近づこうとしない死体を担いで対岸に運んだ。
猛暑のさなか不眠不休で奮闘したが、ついに自身も発病。「高串のコレラは全部私が背負って行きます」と言い残し、同月25日、25歳の若さで帰らぬ人となった。その言葉通りに、高串地区のコレラはぴたりと収まった。
 感激した住民は「増田さま」と呼んで手を合わせ、鎮守の名称も秋葉神社から改称し、例祭日も秋より変えた。
納所 住吉神社 9/最終土日 神輿 あり
山笠2台 東、西
東地区=「浦島太郎と竜宮城」。高さ11m。

西地区=「鳳凰丸」。平成21年(2009)制作。
 先代は戦前に新調。
 毎年は曳かれない。慶事めがあった時などに曳く。住吉神社から御旅所である農漁民センターまでの約1キロを練る。平成21年(2009)は3年ぶりに奉納。前回は5年ぶりだったらしい。
入野 入野神社 10/2土日 山笠2台 東、西
肥前町星賀 八幡神社 10/末土日(不定期) 山笠2台 一番山笠、二番山笠
山笠が出るようになったのは大正時代からで、かつては船に乗って神社まで行っていた。平成23年(2011)は8年ぶりにに山笠が出た。
 【向島(むくしま)】
面積は0、3km2。周囲は4、0km。人口は80人(平成22年)。神社は八坂神社。
 ◎旧・厳木町
本山 本山住吉神社 11/2土日 山笠1台 本山くんち 
本山くんち=石炭産業が盛んだった大正半ばに始まり、当時は「岩屋くんち」と呼ばれていた。昭和36年(1961)、炭鉱閉山と共に山笠も中止されたが、昭和62年に地元有志により囃子とリヤカーに乗せた山笠が復活。現在は台車と一体となった高さ約5m、重さ約2トンの手作りの山笠を、地元の小中学生らが町内を引き回す。初日は宵山巡行を行う。
中島 若宮神社  10/連休土日 山笠1台   
大正初期〜昭和初期創建。昭和28年(1953)の大水害以降出さなくなり、45年中止されていた。平成9年復活の話が出たが、台車が神社境内の床下に保管されており、過去の写真を参考に平成10年に復活した。台車は日田型をベースにした。大工は福山工務店(福山晴久)。台車部は高さ2m。幅2m。長さ2m。飾り部は高さ4、5m(手道式最長5、5m)。人形や館などの飾りをすべて住民が手作りしている。
天川 若宮神社 7/4土日 子供山笠1台
(浜崎系曳山)
山笠(祇園山)は明治34,5年頃に廃絶。他に岩屋も廃絶。
9/23 浮立 天衝舞い
広瀬(八幡様祭り) 天山神社 9/15 浮立
広瀬(宮地岳祭り) 天山神社 9/22 浮立
広瀬浮立=県重要無形民俗文化財。毎年、八幡神社例祭の9月15日と、宮地岳神社例祭の9月22日の2回、天山神社の境内で奉納される。
出演者は笛4名・大太鼓1名・締太鼓1名・大銅1名・鼓4名・鉦8名・謡1名である。
 広瀬浮立では、全員が和服を着用するが、鉦打・謡役以外の出演者は水色の袴・裃を着用し、その衣裳は県下で特異なものである。曲目は一つ打ち・道行・裏返し・早道行・鳥居がかり・ふきつけ・かんたん・そうけつくり・おかざきなどである。一の鳥居・二の鳥居・三の鳥居と道行を奏しながら進み、なかでも、打ち出しと三の鳥居で奏する一つ打ちは、1拍子で打ちこむテンポの早い囃子である。また、一の鳥居で奏する裏返し、二の鳥居での鳥居がかりなど鳥居ごとに停止して節度をつける。三の鳥居後に行うねじり囃子は、足袋はだしになった鼓4名が、ふきつけの曲により鼓を左右に大きくふり、足の動きとともに力強く律動的な折り目正しい所作を繰り返す。
星領 片原九郎神社・天山社・作礼社・鳥巣天満宮 9/中旬 太鼓浮立
 【厳木ダム(さよの湖)】
昭和48年(1973)着工。昭和62年(1987)3月完成。6戸移転、土地取得面積83、5ha。
6戸は昭和55年3月に多久市へ集団移転。
 ◎旧・相知町
相知 熊野神社 10/3土日(元・20 神輿 羽熊行列
山笠2台 上組、下組
一時は6台の山笠を曳いたこともあるが、炭鉱の衰退と共に人口も減り続け、48水害、バイパス道路建設で、途切れた時期もあったが、現在は2台の山笠である。なお中組は昭和50年代に解消したが、ミニチュアを出して復活を目指している。
相知くんちは、熊野神社の秋祭りで、大名行列や山笠などで賑う。見どころは、神輿を先頭に羽熊行列、稚児行列、中山浮立、そして2台の山笠(飾り山)がお供する御神幸行列である。
土曜:羽熊行列、御神輿行列、稚児行列、山笠行列など(10:40〜13:30)。山笠行列(16:30〜19:00)。
日曜:子供羽熊行列、山笠行列(11:00〜13:40)、山笠行列(18:00〜20:30)。
 ◎旧・北波多村
徳須恵 八坂神社 7/下旬 山笠1台 浜崎系曳山 
 ◎旧・七山村
馬川     浜崎系曳山    
白木      浜崎系曳山  山笠廃絶 
大屋敷 天満宮 旧・8/25 大屋敷浮立

 ≪伊万里市≫
立花町 伊万里神社 10/22〜24(毎年) 団車(だんじり)1台  
 以前は香橘神社の氏子は白神輿と荒神輿を、戸渡嶋神社の氏子は赤神輿と団車を奉じていた。
しかし、戸渡嶋神社が香橘神社に合祀され伊万里神社となった後には、地区で年々交替して担ぐ「出番町」制になった。
現在では、町内を4地区に分けて順番に担いでいる。
白神輿・赤神輿が氏子町内に設けられたお旅所からお旅所へと神幸し、その後を荒神輿・ 団車が勇壮な合戦を町内各地で繰り広げながら巡幸する。
黒川町 若宮神社 10/16(毎年) 山笠1台 “黒川くんち”  
波多津 田島神社 10/17頃の土日 鯛山笠1台 “波多津くんち”  
鯛山笠=平成16年制作。以前は鯛の上に恵比寿様が乗っている曳山。
以前は山笠が出ていて、戦後しばらくは浜崎から人形師が来ていたと言われる。
南波多町府招 愛宕権現社 10/連休日曜 府招浮立 県指定重要無形民俗文化財
府招浮立=国選択無形民俗文化財。県指定重要無形民俗文化財。
 【地蔵祭り】
毎年8月24日に大川町の宿地区で行われている祭り。
宿地区には七地蔵尊が建立されており、菩薩信仰から生まれた祭りと言われている。この祭りでは、山笠巡行が行われ、子供の囃子に合わせて地区内を練り歩く。山笠巡行は昭和27年に廃止されたが、地区住民の「ふるさとの伝統継承運動」によって昭和55年に復活した。
 【伊万里の夏・どっちゃん祭り】
8月上旬、伊万里市市街地で開催。主催は伊万里の夏・どっちゃん祭り実行委員会事務局(伊万里市商工観光課内)。
「どっちゃん」とは「どっちに」という意味で、伊万里津のかつての賑わいぶりを、焼物積出や女神輿団尻、市民総踊り、ハワイアン、ちびっこダンスなどで再現したイベント。陶磁文化の継承と地域の産業振興が目的で、女性が主役の夏祭りとなっている。

 ≪東松浦郡≫
 玄海町
石田 三島神社 10/4日曜 神輿2基 船に乗せ湾内を三周する
鯛の曳山 昭和62年、57年ぶりに復活
御座船に乗せた神輿2基を、大漁旗を掲げた約30隻の船で伴走し、仮屋湾内を3周。その後、厄入りの男達の手で神輿を担いで御幸所に安置する。
昭和62年には手作りの鯛の曳き山が57年ぶりに復活。地元の小学生が巫女に扮し浦安の舞いを奉納する。
普恩寺 値賀神社 4/19&10/1 神輿2基 浦安の舞
牟形 八幡神社 10/15頃の日曜 神輿 獅子舞、奉納相撲
有浦上 八幡神社 10/25 神輿
外津(ほかわづ) 淀姫神社 4/3日曜 金比羅大祭 小学生の巫女舞いの奉納、神輿を乗せた漁船とお供船の勇壮な海上パレードが行われる。その後、カラオケ大会や大抽選会がある

 ≪西松浦郡≫
 有田町
  平成18年(2006)3/1、西松浦郡有田町+西有田町が合併。 
 ◎旧・有田町
黒牟田 陶山神社 8/1、2 引山廃絶 戦前に廃絶
大樽 陶山神社 10/16 神輿2基 1基は保存
中ノ原 八坂神社 8/1 神輿
 ◎旧・西有田町
下山谷乙300−1 曲川神社 4月下旬 浮立
 【有田皿山まつり】
10月中旬開催。お祭り広場(JR有田駅前通り)が会場。有田皿山まつり実行委員会主催。
神輿、有田磁器太鼓(陶器で出来た太鼓)、ダンス、踊り、パレード などがある。

 ★展示場     
唐津曳山展示場 唐津市西城内6−33 п@0955−73−4361。入場料は300円。9:00〜17:00。
昭和45年10月完成。展示場内では唐津くんちに曳かれる14台が飾られている。また唐津神祭図襖絵のレプリカ、曳山の土台となる台車、火消し組の纏や昔の肉襦袢なども合わせて展示されている。
浜崎祗園山囃子保存会館 唐津市浜玉町浜崎1231−1  п@0955−56−6937。入場無料。
囃子後継者育成の為の練習場として、平成6年4月建設。また展示場には1/2の山笠1台が展示されている。