埼 玉 県
【秩父地方⇒秩父市】
住所 | 神社名 | 祭礼日 | 内容 | 備考 | |
≪秩父市≫ 平成17年(2005)4/1、秩父市+吉田町、大滝村、荒川村が合併。 |
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◎旧・秩父市 秩父:大宮郷、別所 尾田蒔:寺尾、田村郷、蒔田 原谷:宮崎、大野原、諏訪、上黒谷、下黒谷 久那:上田野、小野原、日野、久那 高篠:山田〔=上山田・中山田・下山田〕、栃谷〔=栃谷・栃谷本〕、定峰 太田:上太田、下太田、小柱、堀切、品沢、伊古田 影森:上影森+下影森〔=宮本・栄・大沼・八幡・旭・巴〕、浦山 |
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番場町1−3 | 秩父神社 | 7/19、20 “川瀬まつり” |
神輿 | あり | |
屋台4台 | 番場町、本町、東町、宮側町 | ||||
笠鉾4台 | 熊木、道生、上町、中町 | ||||
番場町=昭和10年(1935)制作。4代目。大工は荒木の坂本森太郎。 前鬼板は「素盞鳴尊」。後鬼板は「応婦人と龍」。 前懸魚・後懸魚は「龍」。 前内破風・後内破風は「松に尾長鳥」。 軒支輪は「雲に龍」。腰支輪は「波に龍」。 欄間:前は「牡丹に錦鶏鳥」、後・左は「松に尾長鳥」、右は「桐に鳳凰」。 前立隠右は「虎と菫奉仙人」。前立隠左は「鳳凰に乗った肅史仙人」。 右妻立隠右は「張果老仙人」。右妻立隠左は「龍に乗った馬師王」。 左妻立隠右は「鯉に乗った琴高仙人」。左妻立隠左は「笠に乗った傘風子」。 後立隠右は「あやめと王興仙人」。後立隠左は「牡丹と剣に乗った仙人」。 蹴込:前後左右は「波に千鳥」。 右登勾欄下・左登勾欄下は「牡丹に唐獅子」。 屋根両妻は「龍虎」。勾欄幕板は「牡丹に唐草」。 明治28年(1895)創建。笠鉾だった。大正3年、電線架設のため山車に改造。 二代目は、笠鉾の土台を利用し人形山車とした。人形は「神武天皇」と云われている。本格的なものでなく衣裳も神社から借りたという。 3年ほどで、三代目の屋台に改造。 三代目は、大正中期に屋台を改造とされる。この屋台は中近をモデルに拵えたとされる。 現・屋台新調に伴い皆野町親鼻に150円で売却。 |
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本町=昭和10年(1935)制作。二代目。 ≪軒唐破風≫ 前鬼板は「天狗と牛若丸」。後鬼板は「琵琶を弾く武将」。 前懸魚は「烏天狗」。後懸魚は「龍」。 前内破風は「雲に尾長鳥」。後内破風は「松に尾長鳥」。 右妻鬼板は「雲に麒麟」。左妻鬼板は「龍」。 右妻懸魚は「雲に麒麟」。左妻懸魚は「鳳凰」。 右妻内破風は「松に尾長鳥」。左妻内破風は「雲に尾長鳥」。 ≪千鳥破風≫ 前後鬼板は「松に鷹」。 左右鬼板は「松に鷹」。 懸魚(前後、左右妻)は「雲」。 ≪支輪≫ 軒支輪は「雲に飛龍」。腰支輪は「波に龍」。 ≪内室≫ 欄間:前は「牡丹に錦鶏鳥」、後は「龍」、右妻は「松に鷹に雀」。左妻は「雲に鶴」。 前立隠右は「武内宿禰」、前立隠左は「神功皇后」。 後立隠右は「昇龍」、後立隠左は「降龍」。 右妻立隠右は「楠木正成」、右妻立隠左は「楠木正行」。 左妻立隠右は「素盞鳴尊」、左妻立隠左は「櫛稲田姫」。 蹴込:前後左右は「波に千鳥」。 ≪登勾欄下≫ 右登勾欄下・左登勾欄下は「波に鯉」。 蹴込(前、右妻、左妻)は「波に千鳥」、右妻蹴込下は「波」。 ≪勾欄幕板=菊花≫ 明治17年(1884)、笠鉾として創建。現・屋台完成につき、小鹿野町飯田八幡神社に奉納。 |
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東町=昭和8年(1933)制作。5代目。大工は丸岡冶助。 昭和60年、荒木社寺建築工務所で修復。 前鬼板は「源頼政」、後鬼板は「井草太と鶴」、右妻鬼板は「牡丹に唐獅子」、左妻鬼板は「雲に麒麟」。 前懸魚・後懸魚は「龍」、右妻懸魚は「雲に子獅子」、左妻懸魚は「雲に麒麟」。 前内破風・後内破風・右妻内破風、左妻内破風は「雲」。 軒支輪は「雲に鳳凰」。腰支輪は「波に鯉・千鳥・亀・龍」。 欄間:前は「牡丹に錦鶏鳥」、後ろは「松に雀」、右妻は「桜に尾長鳥」、左妻は「松に鶴」。 前立隠右は「松に大国主命」。前立隠左は「因幡の白兎」。 右妻立隠右は「松に鶴」。右妻立隠左は「菖蒲に鷺」。 左妻立隠右は「菊に尾長鳥」。左妻立隠左は「桜に尾長鳥」。 後立隠右は「孝行息子と養老ノ滝」。後立隠左は「養老ノ滝へ巡幸した天皇」。 蹴込:前後左右は「波」。 登勾欄下左右は「波」。 勾欄幕板は「菊花」。 明治17年(1884)創建と云われる。釣鐘と古木をあしらった山車だった。 二代目は明治32年頃に、横瀬町宇根より購入。 購入時に一層を三層に改造し高さ10m以上の笠鉾に改造するが、大正3年の電線架設で曳行不可となる。 三代目は電線架設で曳行不可となった笠鉾の土台を利用して屋台として誕生したが、昭和になってからは二代目の笠や万灯を利用して笠鉾として使われることが多くなった。しかし笠鉾の真柱が根本から折れる事故のため新調に踏み切る。この笠鉾は現・屋台完成につき小鹿野町上町1丁目に売却。今でも上町1丁目笠鉾の金具には「東」という字が残っている。 |
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宮側町=昭和10年(1935)新調。三代目。大工は丸岡治助(東町)。彫物の多くは先代のを利用。 屋根鬼板:正面は「素盞鳴尊と櫛稲田姫」、後面は「瑞雲に麒麟」。 屋根懸魚:正面は「波に龍」、後面は「鳳凰」。 屋根内破風:正面・後面は「瑞雲に飛鶴」、 屋根桁隠し(下懸魚):正面は「金龍」、後面は「瑞雲」。 軒支輪は「瑞雲に飛鶴」。(2代目利用)。 内室欄間:正面上段は「瑞雲」、正面下段は「牡丹に鳩」。(2代目利用)。後面上段は「瑞雲」、後面下段は「松に鷹」(2代目利用)。 内室右妻上段は「瑞雲」、下段は「牡丹に錦鶏鳥」(2代目利用)。左妻上段は「瑞雲」、下段は「紅葉に鷹と雀」(2代目利用)。 内室正面立隠右は「松に大黒天」(2代目利用)、左は「松に恵比寿」(2代目利用)。 内室後面立隠右は「猩々酔舞」(2代目利用)、左は「紅葉に寿老人」(2代目利用)。 内室右妻立隠右は「松に弁財天」(2代目利用)。左は「松に毘沙門天」(2代目利用)。 内室左妻立隠右は「紅葉に福禄寿」(2代目利用)。左は「紅葉に布袋」(2代目利用)。 内室正面蹴込、後面蹴込、右妻蹴込は、左妻蹴込は共に「牡丹に錦鶏鳥」。 腰支輪は「波に菊花」。(初代利用)。 登勾欄:下上段は「波に菊花」、下下段は「波に亀」、下蹴込は「波に亀」。 創建は明治22年(1889)。3枚の花笠、万燈、波形石台は熊木笠鉾に利用。 二代目は大正3年の電線架設により曳行出来なくなった初代笠鉾の土台に内室と屋根を付けたもの。 昭和28年(1953)、熊木笠鉾創建につき、鉾一式譲られる。 また鬼板、懸魚は同市久那落合の八幡神社社殿(旧・宮側天満宮社殿)に使われている。 |
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熊木=昭和28年(1953)創建。旧・宮側町の笠、万燈、せき台と大滝村栃本(元・大滝村強石)の土台を組み合わせて完成。 昭和48年(1973)登り勾欄を付設。万灯、雲形、雲形せき台を新調。 道生=平成9年(1997)上町より笠鉾譲って頂く。 以前は昭和27年(1952)、浅草の業者より曳き太鼓を購入。現在は宵宮のお水取り時に曳かれている。 上町=昭和57年(1982)制作。四代目。 腰支輪は「波に亀」。昭和11年まで冬の大祭の屋台に使われた。 登勾欄下段は「牡丹に唐獅子」。登勾欄下蹴込は「波に千鳥」。 明治22年(1989)笠鉾創建。高さ10m以上の笠鉾で川瀬祭りで一番高かったと云われているが、大正3年の電線架設で曳行不可となる。 そこで二代目は山車となる。土台は初代を利用し、上に柳の木を立て小野道風の人形を乗せていたが、数年しか続かず。 三代目は大正中期に、先代山車を改造した笠鉾。一層花笠で誕生するが、昭和8年に三層笠鉾に改造。 昭和56年まで使われ、平成9年、道生町へ譲渡され、16年ぶりに復活した。 中町=昭和11年土台部分新調し、二代目の鉾部分(笠、万燈、せき台)を組合わせて誕生。三層花笠黒漆塗りである。 初代は川瀬祭りに最初の曳山で、文化文政期に曳物として創建と云われている。 二代目は明治20年頃に制作。高さ10m以上の笠鉾だったが、大正3年の電線架設で曳行不可となる。そこで短縮した三層笠鉾に改造。現・屋台新調につき土台を100円で長瀞に売却。 |
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番場町1−3 | 秩父神社 | 12/2、3 |
神輿 | あり | |
屋台4台 | 上町、中町、本町、宮地町 | ||||
笠鉾2台 | 中近、下郷 | ||||
“秩父の夜まつり”としてあまりにも有名。なお2日は屋台のみ。 | |||||
上町=「上宮地関根家文書」の記述によると、享保年間(1716〜36)に創建と思われる。 結城文右衛門と八郎左衛門の記述があるので、この二人を呼んで作らせてと思われる。彫師は大頭の仙蔵と伝えられる。 文化6年に、大改造を行い、現在の屋台の原型となった。 大正8年に土台が新調。合わせて秩父唯一の脇障子が取り除かれる。この脇障子は影森の金仙寺稲荷堂の内陣を飾っている。 最近では昭和12年に前後の鬼板、内破風、軒支輪、水引幕、後幕、下幕、天井、襖以外は新調という大修復を行い、合わせて軒唐破風、土台に登勾欄が付設された。 ≪屋台本体≫ 前鬼板は「一弦琴の名手の応婦人と侍女」。後鬼板は「陳南仙人と唐子」。 前懸魚「波に金龍」。後懸魚は「龍に乗る馬師皇」。 前内破風は「菊童子」。後内破風は「親子虎」。 右妻鬼板は「神功皇后と武内宿禰」、左妻鬼板はI鐘」。 右妻懸魚・左妻懸魚は「鳳凰」。 軒支輪は「雲に鳳凰」。腰支輪は「牡丹に唐獅子」。 欄間は「鳳凰」。 登勾欄下左右上段は「牡丹に唐獅子」、登勾欄下左右下段は「波に千鳥」。 ≪本芸座≫ 鬼板は「青龍」。 懸魚は「鳳凰」。内破風は「瑞雲」。欄間は「雲に龍」。 立隠右は「青龍」、立隠左は「白虎」。 蹴込は「波」。 ≪仮芸座≫ 鬼板は「白龍」。懸魚は「鳳凰」。 内破風は「瑞雲」。欄間は「雲に龍」。 立隠右は「朱雀」、立隠左は「玄武」。 蹴込は「波」。 水引幕は昭和55年復元新調。「緋羅紗に牡丹と唐獅子の刺繍」。以前は明治22年(1889)作。 後幕は昭和55年復元新調。「青地羅紗に鯉の滝昇りの刺繍」。 下幕は「白地に龍虎の墨絵」。以前のは谷文晁筆の物だったが、昭和6年頃に売却。 |
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中町=遅くとも天明5年(1785)の「中町屋台永代帳」には記載にあり。 本芸座は文政4年(1821)新調。 仮芸座は万延元年(1860)新調。 明治元年(1868)に小鹿野町飯田へ屋根、正面鬼板、懸魚、唐破風、本芸座、仮芸座を売却。 ≪屋台本体≫ 前鬼板は「天の岩戸開き」。後鬼板は「素盞鳴尊命 八岐大蛇退治」。 前懸魚「?」。後懸魚は「波に龍」。 前内破風は「松・菊に諌鼓鶏」。後内破風は「松に猿猴」。 軒支輪は「雲に龍」。腰支輪は「波に千鳥」。下腰板は「波に亀」。 欄間は「孔雀」。 登勾欄下左右は「波に亀」。 ≪本芸座≫ 鬼板は「龍」。 懸魚は「波に飛龍」。内破風は「瑞雲」。欄間は「雲に鳳凰」。 立隠右は「黄安仙人」、立隠左は「黄鶴仙人」。 蹴込は「波」。 ≪仮芸座≫ 欄間は「桜に錦鶏鳥」。蹴込は「波に鯉」。 水引幕は昭和54年新調。「緋羅紗に波と亀の刺繍」。以前は「緋羅紗に鳳凰の刺繍」。 後幕は昭和54年新調。「青地羅紗に波と鯛・海老・蛸 等の刺繍」。以前は「緋羅紗に恵比寿神の刺繍」。 下幕は平成3年復元新調。「緋羅紗に波と千鳥の刺繍」。 以前の幕も保存している。 |
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本町=昭和10年(1935)制作。 ≪屋台本体≫ 前鬼板は「龍」。後鬼板は「牡丹に孔雀」。 前懸魚「龍」。後懸魚は「鳳凰」。 前内破風は「龍」。後内破風は「龍虎」。 軒支輪は「牡丹に唐獅子」。腰支輪は「波に龍」。 欄間は「牡丹に唐獅子」。勾欄幕板は「波に亀」。 ≪本芸座≫ 鬼板・懸魚・内破風・欄間は「牡丹に唐獅子」。 右立隠・左立隠・唐破風付きは「唐獅子」。 ≪仮芸座≫ 欄間・蹴込は「牡丹に唐獅子」。 水引幕は江戸期の玉孫の作で「緋羅紗に波と飛龍」。 後幕は「青地羅紗で有職玩具の宝船」。中央の達磨。船頭の猿が人目を呼ぶ。 下幕は「緋羅紗に二見浦の刺繍」。 屋台の創建は不詳だが、文政4年(1821)までには成立したと思われる。 先代は笠鉾で明治17年制作。大正3年の電線架設で一層花笠に短縮。屋台新調につき小鹿野町飯田八幡神社へ奉納。 |
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宮地町⇒行政上では上宮地町、中宮地町、下宮地町からなる。 =文化6年(1809)制作。大工は藤田大和。 ≪屋台本体≫ 前鬼板は「牡丹と一弦琴の名手の応婦人と侍女」。後鬼板は「雲に龍」。 前懸魚「波に白龍」。後懸魚は「波に龍」。 前内破風は「素盞鳴尊八岐大蛇退治」。後内破風は「波に飛龍」。 軒支輪は「雲に鳳凰」。腰支輪は「波に亀」。 欄間は「龍虎」。 ≪本芸座≫ 鬼板は「雲に龍」。懸魚「波に亀」。 内破風は「瑞雲」。欄間は「雲に鳳凰」。 右立隠は「昇龍」。左立隠は「降龍」。 蹴込は「岩に牡丹」。 ≪仮芸座≫ 鬼板は「雲に龍」。懸魚「波に龍」。 内破風はは「波と雲」。 欄間は「波に飛龍」。蹴込は「波」。 水引幕と後幕は昭和53年に復元新調。 元々のは嘉永3年(1850)に生地を購入し、文久3年(1863)に江戸・越後屋で刺繍完成。刺繍費だけでなんと127両2朱400文。 水引幕は「緋羅紗に飛鶴の刺繍」。 後幕は「青地羅紗に猩々酔舞の刺繍」。 創建は不詳だが、享保年間(1716〜36)と云われている。 「上宮地関根家文書」に結城文右衛門と八郎左衛門の記述があるので、この二人を呼んで作らせてと思われる。 文化5年(1808)まで使われた旧・屋台の唐破風(現在のより約2尺短い)、後鬼板、懸魚、車輪4個、反木は保存されている。 |
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中近(中村町1〜4丁目と近戸町の2町共有)=総体黒塗り。明治13年制作。三代目。高さは5、45m。笠をつけると14、5m。 笠鉾収蔵庫は昭和49年完成。費用は1、276万700円。 ≪屋根軒唐破風≫ 前鬼板は「素盞鳴尊と櫛稲田姫」。後鬼板は「源頼光」。 前懸魚「波に龍」。後懸魚は「土蜘蛛」。 前内破風は「麒麟」。後内破風は「竹に虎」。 右妻鬼板は「浦島太郎と乙姫」。左妻鬼板は「源頼政」。 右妻懸魚は「波に龍」。左妻懸魚は「鵺」。 左右内破風は「牡丹に唐獅子」。 ≪屋根千鳥破風≫ 鬼板は「龍」。懸魚「雲に鶴」。 左右妻鬼板は「龍」。左右懸魚は「雲に飛龍」。 ≪支輪彫刻≫ 軒支輪は「雲に龍」。腰支輪は「波に飛龍」。 ≪内室≫ 欄間・左右妻欄間は「桐に鳳凰」。 前立隠左右・後立隠左右・左右妻立隠左右は「二十四孝」。 蹴込みは「波に亀」。 ≪登勾欄下≫ 登勾欄下は「波に唐獅子」。 蹴込は「波に亀」。 水引幕は昭和57年(1982)復元新調。「緋羅紗に三つ巴の刺繍」。前は天明8年(1788)の作。 腰幕は寛政元年(1789)の作。 初代の創建は不詳だが、延享2年(1745)の上宮地『関根家文書』に「中村ハ近年代仕出し也、是ハ四ツ(先に誕生した屋台4台のこと)外也、狂言致シ参四ツ之跡ニ付約束也云々」とあり、寛保年間(1741〜44)頃に創建で屋台であったと思われる。 二代目笠鉾は露天型屋台であった屋台の土台部分を利用した笠鉾であった。 その後、安永9年(1780)に車軸周辺の修理。天明8年(1788)に水引幕を近戸と共同で新調。 明治12年を最後に曳き納めとなったが、明治30年(1897)に栃谷上郷へ土台部分が売却された。 |
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下郷(阿保、大畑、金室、滝の上、永田、柳田の6町会の連合体。以前は桜木も入っていて下郷7村と呼んだ。) =白木造りで秩父地方最大の鉾。高さは7m。笠をつけると15、5m。 明治29年(1896)制作。三代目。大工は荒木和泉の子の坂本安吉。完成時は高さ16mあまりと大きさを誇ったが、電線架設等で二度の短縮をした。 水引幕、腰幕は昭和63年復元新調。標木は平成3年復元新調。土台枠は平成8年復元新調し、)一連の改修工事終了。 ≪上屋根≫ 前鬼板は「雲に龍と仙人」。後鬼板は「鞍馬山での牛若丸と弁慶」。 懸魚は「龍」。 前内破風・後内破風は「雲に麒麟」。 右妻鬼板は「黄石公と張良」。左妻鬼板は「虎と菫奉仙人」。 右妻懸魚・左妻懸魚は「鳳凰」。 左右内破風は「雲に飛龍」。 軒支輪は「牡丹」。 上段壁板は「花鳥」、下段壁板は「雲に鶴」。 前桁隠は「龍柱巻き」、後桁隠は「雲」。 ≪腰屋根内室≫ 軒支輪は「雲に龍」。 欄間は「牡丹に唐獅子」。 前立隠右は「麒麟に乗る弄玉姫」、前立隠左は「瀟史仙人と鳳凰」。 右妻立隠右は「龍に乗る馬師皇」、右妻立隠左は「鯉に乗る子英仙人」。 左妻立隠右は「東方朔」、左妻立隠左は「西王母」。 蹴込は「波に千鳥」。 初代は創建は不詳なれど、文献上に出る安永元年(1772)の「下郷祭礼入用帳」を初見とする。 また延享2年(1754)の「上宮地関根家文章」に見られないことから、延享3年(1755)以降の創建と思われる。 二代目は寛政7年(1795)完成。 文政7年(1824)補修。大工は藤田大和。 明治29年(1896)現・笠鉾新調のため、皆野町原へ売却。原でも大正期に電線架設のため、屋台に改造。 |
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柿沢 | 八坂神社 | 7/最終日曜(元・22) | 笠鉾2台 | 柿沢、中宮地 | |
柿沢(滝上町&下宮地町)=大正3年(1914)制作。昭和37年途絶えたが、平成になり復活。 白木造りで、腰支輪彫刻は無し。笠には緋羅紗の水引幕。 初代は江戸後期創建。大正2年に広見寺の火災で焼失。 中宮地=明治23年(1890)創建。制作費は55円。一層笠鉾。一層笠の上部には上から天道、波型せき台、万燈が立つ。 昭和37年途絶えたが、柿沢の復活を受け、平成7年の納涼会に飾られ翌年復活。 |
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太田中郷 | 天王様 | 夏 | 笠鉾廃絶 | ||
江戸末期に雨乞い曳物として創建。雨乞い神事は昭和初期まで行われた。大正期に笠鉾に改造し天王様の夏祭りに曳くようになるが、1、2年のみ。現在、車輪は腐ってしまったが、土台部分は熊野神社神楽殿の中に保管。 | |||||
黒谷2191 | 聖神社 | 4/13 | 獅子舞 | ||
黒谷 | 八坂神社 | 夏 | 神輿 | ||
笠鉾廃絶 | 下黒谷、上黒谷 | ||||
下黒谷=明治40年(1907)頃、某所より購入。黒塗り三層の笠鉾だったが、3年ほどしか曳かれなかった。今では地区倉庫に神輿と共にわずかな部材が残っているだけである。 上黒谷=江戸末期建造しかけるが、未完成に終わってしまった。 |
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中寺尾(寺尾1907) | 諏訪神社 | 4/27 | 笠鉾廃絶 | ||
創建は江戸末期か明治初期だが、昭和初期にはすでに曳行されず、神社の倉庫に車輪と鉾が残るのみ。これらの部品は今もあるという。 | |||||
田村井森 | 諏訪神社 | ? | 笠鉾廃絶 | ||
江戸末期創建。明治末に小鹿野町上町2丁目に売却するが、現存せず。 | |||||
田村中郷 | 天王様 | 夏 | 鉾廃絶 | ||
江戸後期創建。江戸末期廃絶。笠は無いので鉾である。彫刻が無く土台に松の木を立てていた原始的な鉾と伝えられる。反木は明治36年頃に幣束の木にしてしまい全く痕跡は無い。 | |||||
田村977 | 田村神社 | ? | ― | ||
上蒔田(蒔田2842) | 椋神社 | 3/3か夏 | 笠鉾廃絶 | ||
江戸末期か明治初期創建。明治30年以前に皆野町日野沢⇒吉田町明ヶ平へ。地内の地蔵堂に部材の大半が現存。 | |||||
中蒔田(蒔田2167) | 椋神社 | 3/15頃 | 神楽 | 旧・式内社 | |
笠鉾廃絶 | 下蒔田 | ||||
下蒔田=三代目として、明治30年10/25に31円で栃谷上組より購入。大正年間まで曳かれ昭和27年4月、皆野町国神へ。現在は皆野町教育委員会で主要部材を保管。 初代は曳物として江戸後期創建。 二代目として明治初期に曳物を改造して誕生。明治30年まで曳かれその後行方不明。 |
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大野原 | 諏訪神社 | 7/最終土日 | 笠鉾3台 | 蓼沼東、蓼沼西、下小川 | |
蓼沼東=昭和56年(1981)、地区の人の手作りで制作。 蓼沼西=昭和57年(1982)、地区の人の手作りで制作。 初代は昭和55年(1980)、3地区合同祭に、荷車を改造した笠鉾を製作。これを機会に他地区も笠鉾を作り出す。 下小川=昭和56年(1981)、地区の人の手作りで制作。 |
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大野原340 | 愛宕神社 | ? | 笠鉾廃絶 | ||
宮崎=江戸末期創建と伝わる。三層笠鉾だったが、昭和38年頃の火災で焼失したと云われている。 | |||||
久那折 | 折稲荷神社 | 2/2日曜 | 笠鉾1台 | ||
平成元年(1989)、地区の人たちで作る。三層の笠鉾。三層の花笠の上には万燈、せき台、天道が立つ。 | |||||
久那落合(久那2274) |
葛城神社 | 4/18 | 笠鉾廃絶 | ||
江戸後期創建。明治20年頃壊れて曳行出来なくなった。部品の幾つかは二代目に使われた。二代目は明治30年頃制作。戦後は20年代に3年曳行したのみ。その後、落合八幡神社に保管されていたが、昭和47年(1972)8/13に収納先の落合八幡神社の火災で焼失。反木のみ久昌寺に保管されていたため、焼失を免れ今も残っている。 | |||||
山田159 | 八坂神社 | 3/2日曜(元・15) “山田の春まつり” |
屋台2台 | 山田本組、山田山組 | |
山田1606 | 恒持神社 | ||||
笠鉾1台 | 山田上組 | ||||
8時より曳行。11時前に恒持神社に3台の山車(笠鉾1台・屋台2台)が集合し祭典が行われる。13時過ぎにに各山車が出発し、15時頃に御旅所である八坂神社で祭典が行われ17時まで曳行。夕食の後、19時〜22まで曳行。 | |||||
山田本組(荒木)=制作年は不詳だが、祭礼行事帳に万延2年(1851)と書かれているのでこの年にはあった。 大工は荒木和泉の作と伝えられる。 前鬼板:「龍と応婦人」。後鬼板:「牡丹に親・唐獅子」。 前懸魚:「龍」。後懸魚:「牡丹に子・唐獅子」。 前内破風:「天狗と童子」。後内破風:「波に飛龍」。 軒支輪:「雲に龍」。 欄間:「雲に麒麟」。 水引幕は「緋羅紗地に猩々酔舞と波に亀の刺繍」。後幕は「緋羅紗地に龍虎」。腰幕は「藍地に波を白く染め抜いている」。 |
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山田山組(中山田)=弘化5年(1848)作りだし万延2年(1861)年完成。大工は番匠屋新舟飛騨。 前鬼板:「中国の武将」。後鬼板:「鳳凰」。 前懸魚:「龍」。後懸魚:「龍」。 前内破風:「黄石公と張良」。後内破風:「波に飛龍」。 軒支輪:「波に龍」。 欄間:「雲に鶴」。 水引幕は「緋羅紗地に波に亀の刺繍」。後幕は「緋羅紗地に波と海亀の刺繍」。腰幕は「藍地に波を白く染め抜いている」。 |
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山田上組(大棚)=明治12年(1879)創建。当時戸数は12戸。大工は橋本訪吉。創建時は高さ13mほどの五層花笠だったが、高すぎて二層目と四層目の笠を抜いて三層にした。不要になった二枚の笠は1枚は大野原方面へ。もう1枚は札所二番寺の本堂の天蓋に転用した。 一層の笠の裏には極彩色の雲龍の天井画を吊っている。 水引幕は緋羅紗地で一層が「波と龍の刺繍」、二層が「飛鶴の刺繍」、三層が「瑞雲の刺繍」。 腰幕は「緑羅紗地に波と亀の刺繍」。 |
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栃谷404 | 八坂神社 | 7/30(不定期) | 笠鉾3台 | 上組、中組、本組 | |
上組=天保3年(1832)中近新調。明治30年8/13に57円で購入。明治32年、改修して完成。 登勾欄下側面前寄は「波に亀」。登勾欄下側面後寄は「岩・瑞雲・滝に唐獅子」。 登勾欄下蹴込側面前寄は「波に千鳥」。登勾欄下蹴込側面後寄は「雲に波」。登勾欄下蹴込正面は「波に千鳥」。 先代は明治30年10/25に31円で下薪田へ売却。その後皆野町国神。現在は皆野町教育委員会で主要部材を保管。 中組=嘉永4年(1851)創建。大工は荒木和泉。往古は小林家笠鉾を借りて曳行。 本組=明治17年頃制作。大工は小池周作。 創建は江戸末期。今も残る万燈入箱に「明治4辛未年6月廿五日 栃谷村下郷中 大工嶋崎留吉 新井房次郎」とあるのでこの年に万燈の改修があったと思われる。新調に伴い東秩父村皆谷に売却。 |
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定峰783−2 | 定峰神社 | 9/28 | 屋台廃絶 | ||
秩父型山車があった。創建は江戸期末期=明治初期と思われる。昭和初期まであったという。黒塗りで、張り出し舞台があり、歌舞伎も上演したという。 | |||||
太田1320 | 太田熊野神社 | 4/3 | 神楽 | ||
太田熊野神社の神楽=市指定無形民俗文化財。明治10年(1877)2月秩父神社社家権代丹後が熊野神社氏子に教授したものといわれる。明治6年3月付けの36座が記された資料も発見されている。 舞の形式は、里神楽、岩戸神楽の系譜をひく秩父神社神楽とほぼ同形で、現在、29座が伝わる。 |
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太田中郷 | 天王様 | 夏 | 笠鉾廃絶 | ||
江戸末期に雨乞い曳物として創建。雨乞い神事は昭和初期まで行われた。大正期に笠鉾に改造し天王様の夏祭りに曳くようになるが、1、2年のみ。現在、車輪は腐ってしまったが、土台部分は熊野神社神楽殿の中に保管。 | |||||
小柱23 | 諏訪神社 | 4/4、5 | 笠鉾廃絶 | 車輪残っている | |
江戸末期創建。明治末期か大正初期に皆野町大浜に売却。車輪は神社に残っている。 | |||||
小柱 | 秋葉神社 | ? | 曳物廃絶 | ||
大正末期創建で戦時中を除いて昭和28年まで毎年曳行。部材は全く残っていない。 | |||||
堀切368 | 駒形神社 | ? | ― | ||
上品沢(品沢1012) | 八坂神社 | 旧・6/15 | 笠鉾廃絶 | 昭和3年全焼 | |
明治10年代後半創建と伝えられる。大工は荒木和泉。昭和3年子供の火遊びで全焼した。 | |||||
伊古田598 | 五所神社 | 5/5 | 笠鉾廃絶 | 明治初期廃絶 | |
上影森255−1 | 諏訪神社 | 7/27 | 神輿 | 大小 | |
笠鉾廃絶 | |||||
江戸末期〜明治期出た。昭和34年8/18に神社の火災で大半が焼失。今は雲龍の腰支輪二本が現存するのみ。 | |||||
下影森(八幡町) | 八坂神社 | 7/最終日曜 | 屋台1台 | 下影森 | |
笠鉾1台 | 大沼町 | ||||
影森は八幡町、大沼町、巴町、旭町の4地域から成る。 | |||||
下影森⇒八幡町、大沼町から成り田野沢ともいう。 寛政8年(1796)に創建。大工は新木泉。黒漆塗り金具打ち、鬼板・懸魚・軒支輪に極彩色の彫刻が付いている。勾欄は前面のみに付設、登勾欄・腰支輪は無い。 |
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大沼町=文化文政期に創建と云われる笠鉾を昭和48年(1973)に修復完成。一層小型笠鉾。 | |||||
浦山718 | 十二社神社 | ? | ― | ||
浦山 | 大日堂 | 10/15、16 | 獅子舞 | 昌安寺、大日如来堂でも舞う | |
笠鉾1台 | 廃絶 | ||||
明治中期創建と思われる。昭和25年頃まで曳かれた。それ以降は 53年に昌安寺前に飾り置きしたのみ。やがて浦山ダム建設のため水没地区も出るなどで出せなくなり、平成19年、三沢上郷に譲渡されたが、平成20年(2008)10/25、里帰りをして約30年ぶりに曳かれた。 |
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◎旧・吉田町 上吉田:上吉田、石間、太田部 下吉田:下吉田、阿熊、久長 |
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上吉田111 | 石間戸神社 | ? | ― | ||
上吉田2865 | 八坂神社 | 7/3土日(元・23) | 屋台3台 | 上町、仲町、本町 | |
上町=平成10年(1998)制作。 昭和46年(1971)鉄骨の笠鉾創建。48年に笠鉾を改造して屋台とする。ゴムタイヤだった。 仲町=昭和50年(1975)制作。二代目。この時に小暮より車輪借りる。 初代は鉄骨の笠鉾。昭和30年頃創建。 本町=舞台式屋台。昭和53年(1978)制作。三代目。 車輪はゴムタイヤ。以前は両神村竹ノ平笠鉾の木製車輪を利用。 初代は文化文政期(1804〜30)創建で、極彩色の彫物があったと云われているので、秩父型屋台と思われる。 明治期まで曳かれ、戦後しばらくは彫物の一部は残っていたと云われる。 2代目は昭和25年頃から始まる。大八車を土台にして毎年、趣向を凝らせた物を乗せて曳いた。そこで屋台にしたり、笠鉾にしたりして曳いた。 |
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吉田石間4716 | 城峯神社 | ? | 神輿 | ||
吉田太田部793 | 十八神社 | ? | ― | 相見地区にある | |
太田部=上区(耕地として楢尾(ならお)、上(かみ)、久保、堀、北)と下区(耕地として相見、古指(こざす)、簗場)がある。 | |||||
下吉田3874 | 八坂神社 | ? | ― | ||
下吉田6739 | 貴布禰神社 | ? | ― | ||
下吉田7373 | 椋神社 | 10/2日曜 | 龍勢 | ||
龍勢祭(吉田龍勢保存会HPへ)=国指定重要無形民俗文化財。秩父市下吉田の椋神社例大祭の付祭として、代々伝承されてきた農民による手作りロケットを奉納する神事。祭当日は、8:40〜17:00まで、27流派により30本の龍勢が打ち上がる。 | |||||
下吉田8566 | 大山祇大神社 | ? | ― | ||
吉田阿熊948 | 岩崎神社 | ? | ― | ||
吉田阿熊 | 熊野神社 | 10/1 | 獅子舞 | ||
吉田久長424 | 久長諏訪神社 | 4/3 | 獅子舞 | ||
井上 | 貴布禰神社(八坂神社) | 7/3、4日曜 | 笠鉾1台 | ||
昭和48年(1973)制作。二代目。地区の人々の手作り。 先代は江戸末期〜明治初期創建。昭和初期に電線架設まで曳行される。現存するのは笠1枚と車輪など。 |
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上野原 | “地区行事” | 不定期 | 笠鉾1台 | ||
小坂下 | “地区行事” | 不定期 | 笠鉾1台 | ||
小暮 | 白山神社 | ? | 笠鉾廃絶 | 神社に収納 | |
江戸後期〜明治初期創建。日露戦争戦勝記念が最後。現在は車輪のみ現存。 | |||||
明ヶ平 | 十頭神社 | 10/10 | 笠鉾1台 | 消防倉庫に収納 | |
明治30年代に皆野町日野沢より購入。電線の架設される大正期まで曳行。 | |||||
女形 | 古峯神社 | 4/12 | 笠鉾1台 | 普賢寺に収納 | |
明治初期創建か?。明治期は毎年曳行。大正期は2回曳かれたが、それ以降は休止。現存しているのは、反木、勾欄、勾欄の幕板、笠三枚のみ。 | |||||
合角山 | 八坂神社 | 7/25 | 廃絶 | ||
昭和20年に89歳で亡くなった合角山の大工、金井大作の作と云われている。明治初期作られ明治期のみの曳行。創建時は4戸なので小型の笠鉾と思われる。現在は合角地区はダムの水底に沈み太鼓が残るのみ。 | |||||
◎旧・荒川村 中川:上田野、日野、小野原、久那(くな) 白川:白久、贄川 |
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荒川上田野698 | 若御子神社 (公式HPへ) |
4/3日曜 | 神楽 | ||
8/1 | 子供神輿休止 | 川瀬祭り | |||
半縄=上田野の字。半縄農村センター(上田野1471)あたり。 笠鉾は旧・6/25の天神様の祭りに出した。心柱を後ろにずらし、屋台芝居が出来る笠鉾。 天保5年(1834)戸数35戸で創建。曳行は明治43年(1910)が最後。その後は昭和62年荒川村むら祭りに飾り置きが最後。その後、 荒川村歴史資料館(現・荒川歴史民俗資料館)に寄託。 安谷橋=夏に笠鉾出したと云われる。現存せず。 |
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荒川日野972 | 弟富士浅間神社 (公式HPへ) |
3/1土曜 | 祈年祭 | ||
4/2日曜 | 神楽、雅楽 | 例大祭 | |||
6/3日曜 | 夏越しの大祓 | ||||
11/23 | 神楽、雅楽 | 新嘗祭 | |||
下日野=笠鉾廃絶。大正末に秩父市下影森より安谷橋が購入し、夏の祗園に曳いた。昭和20年代初期に下日野に売却。下日野では昭和30年代後半に納涼大会で数回曳いただけで、昭和40年代に下影森に里帰り。 | |||||
荒川小野原329 | 小野原稲荷神社 | 3/28 | 例祭 | ||
荒川久那2274 | 久那葛城神社 | 4/18 | 獅子舞 | ||
荒川白久1550 | 神明社 | 3/2日曜&11/23 | 神楽 | ||
7/最終日曜(元・28) | 笠鉾1台 | ||||
明治17年(1884)7月制作。二代目。三層笠鉾。極彩色の彫刻を刻む腰支輪に黒漆塗金具打ちの勾欄付き。最上部には万度・せき台・御幣を飾る。電線架設の影響で腰組のみの曳行であったが、平成15年(2003)の春祭りにおいて50年ぶりに三層笠鉾で飾り置きされた。 天保10年(1839)創建。大滝村上中尾に売却。 |
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荒川白久1787 | 猪鼻熊野神社 | 7/4日曜 | 甘酒祭り | ||
荒川贄川685 | 八幡大神社 | ? | ― | ||
荒川贄川1267 | 猪狩神社 | ? | ― | ||
【浦山ダム(秩父さくら湖)】 昭和49年(1972)着工。平成11年(1999)4月完成。移転は50戸。浦山の道明石と寄国土の49戸が水没。またこの人口減により近隣の若御子、冠岩も廃村となる。 |
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【荒川歴史民俗資料館】 秩父市荒川日野76。рO494(54)1058(荒川公民館)。9時〜17時。入館無料。 休館日は月曜(祝日の場合はその翌日)、12月29日〜1月3日。 昭和52年、荒川村立歴史民俗資料館として建設。笠鉾・串人形をはじめとする数多くの民俗資料を展示公開。 半縄の笠鉾=天保5年(1834)建造と伝えられる笠鉾。心柱を後ろにずらし張出し舞台を付設すると歌舞伎舞台となる構造。 |
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【浦山歴史民俗資料館】 秩父市荒川久那3805−7。рO494−25−6121。4月〜10月:10時〜16時 11月〜3月:10時〜15時。入館無料。 休館日は火曜(祝日の場合はその翌日)、12月29日〜1月3日。 浦山ダム建設に伴う水源地域整備事業により平成12年建設された資料館。浦山地域の生活文化の復元と保存・伝承を行っている。 祈りの風景のコーナーでは神輿を展示。 浦山の獅子舞=実物の獅子頭やモニターで浦山の獅子舞が見れる。 |
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◎旧・大滝村 大滝(古大滝=栃本・上中尾・下納・大久保・岡本・大達原:新大滝=落合・浜平・三十葉・轟・小双里・塩平)、中津川、三峰 |
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大滝696 |
竃三柱神社 |
? | ― | ||
栃本 | 両面神社 | 4/3 | 笠鉾廃絶 | ||
栃本=大滝の字。平成22年(2010)の国勢調査では62人、36世帯。 笠鉾は明治初期に強石より購入。昭和7年が最後の曳行。これは電線架設のためか?。 昭和29年(1954)に土台部は秩父市熊木町が購入。現在、笠、万灯、せき台が残っている。 |
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上中尾 | 琴平神社 | 4/1 | 笠鉾1台 | どちらかに出た。 | |
吉備神社 | 10/18 | ||||
明治17年(1884)に白久より購入。大正10年(1921)頃が経済上の問題で最後の曳行となる。 | |||||
大血川 | 九十九神社 | 10/11 | 笠鉾1台 | 昭和25年より休止中 | |
大血川=大滝の字。平成22年(2010)の国勢調査では49人、23世帯。 笠鉾は安政4年(1857)創建。最後の曳行は昭和24年(1929)で、飾り付けも行われていない。今も大血川公民館で保管されているが、部品もある程度散逸している。 |
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大輪 | 和田神社 | 旧6/24 | 笠鉾1台 | 昭和24年頃より休止中 | |
大輪=大滝の字。平成22年(2010)の国勢調査では101人、39世帯。 江戸末期〜明治初期に戸数16戸で創建。 |
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強石 | 滝石神社 | 9月 | 笠鉾廃絶 | ||
強石(こわいし)=大滝の字。平成22年(2010)の国勢調査では95人、33世帯。 笠鉾は江戸後期創建。明治初期に栃本に売却。現存せず。三層花笠だった。 |
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中津川168 | 諏訪神社 | 8/26 | 例祭 | ||
三峰298−1 | 三峰神社 | 8/26 | 獅子舞 | 奥多摩の日原から伝わったと伝わる | |
【滝沢ダム(奥秩父もみじ湖)】 昭和44年(1969)着工。平成19年(2007)竣工。平成8年(1996)112戸移転完了。 塩沢=大滝の字。18戸。神社は熊野神社。 滝ノ沢=大滝の字。42戸。神社は熊野神社。 十々六木(とどろき)=大滝の字。9戸。 浜平=大滝の字。43戸。鎮守は熊野神社。 ※「秩父滝沢ダム水没地域総合調査報告書」参照。 |
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【消滅集落】 小倉沢=中津川の字。秩父鉱山(日窒鉱山)で働く人たちの社宅。 全盛期には2000人ほどが働き家族を含め3500人ほどが暮らしていた。 小倉沢小中学校が昭和60年に廃校となる。 神社は金山神社(中津川266)か? 大黒=中津川の字。鉱山集落。 |
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★展示場 | |||||
【秩父まつり会館】(公式HPへ) 秩父市番場町2−8。TELは0494−23−1110。 開館時間は4月〜11月は9:00〜17:00。12月〜3月は10:00〜17:00。 休館日は3月〜11月は4・5火曜。12月〜2月は毎週火曜。12/29〜1/1。ただし祝日は除く。 昭和59年(1984)4月開館。毎年12/2、3に行われる秩父夜祭りに関する屋台、笠鉾を主とした関係資料を展示。 館内にあるのはレプリカは実物大で2年かけて開館の一月前に完成。坂本才一郎(荒木和泉の曾孫)の作。 |
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【道の駅 龍勢会館】 吉田久長32。TELは0494−77−0333。9:00〜16:30。休館日は火曜(祝祭日は開館、翌日休館)。 入場料は350円。 龍勢の展示をはじめ、150インチ大型スクリーンにより祭りの映画、龍勢製造工程の解説ビデオ、27流派の紹介、世界の龍勢 等を展示。 |