≪入間地方≫

     飯能市、日高市、鶴ヶ島市、坂戸市、狭山市、入間市、所沢市、富士見市、ふじみ野市、入間郡〔三芳町、越生町、毛呂山町〕

住所  神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪飯能市≫
      平成17年(2005)1/1、入間郡名栗村を編入
 ◎旧・飯能市
      飯能:飯能町、中山、久須美、小瀬戸、大河原、小岩井
      加治:川寺、笠縫、岩沢、征矢(旧・矢颪)、前ヶ貫、落合、阿須
      精明:中居、青木、下加治、小久保、宮沢、双柳、平松、芦苅場、川崎、下川崎
      南高麗:上直竹、下直竹、苅生、上畑、下畑、岩淵
      吾野:坂石、坂石町分、南、南川、北川、高山、坂元
      東吾野:虎秀、平戸、白子、井上、長沢
      原市場:原市場、赤沢、唐竹、上赤工、下赤工、中藤村上郷、中藤村中郷、中藤村下郷
 【飯能まつり】
11/1土日開催。昭和48年(1971)市民祭りとして11/2、3に開催。
平成11年(1999)からは、よりお祭りに参加しやすいように11/1土日に変更。
平成26年からは、1日目をオープニングパレードやよさこいなどを中心としたイベントを楽しめる日程に、2日目を山車や居囃子、獅子舞、まといとはしご乗りなど伝統芸能が見られる日程に変更となる。

 ◎土曜
底抜け屋台12台=一丁目、二丁目、三丁目、宮本町、柳原、中山、双柳、河原町、原町、前田、本郷、中藤
 ◎日曜
山車4台=河原町、原町、前田、本郷
屋台8台=一丁目A、二丁目、三丁目、宮本町、柳原、中山、双柳
 【底抜け屋台】
一丁目=昭和25年(1950)に市川多十、矢島吉三らによって制作。腰周りに柴垣を擁する、古風な装いの朝顔屋根の屋台。
平成27年改装。

二丁目
=昭和25年(1950)創建。前田の建喜代の作。昭和50年代に改修。
二重軒提灯飾り、腰周りは網代壁で、後ろ梶の朝顔屋根の屋台。

三丁目
=平成15年(2003)制作。床板が取付可能な朝顔屋根の屋台。
 初代は昭和11年作。
 二代目は昭和23年に森田富造が制作。欄間は浜名木工所が制作。

宮本町
=平成8年制作。二代目。欄間彫刻が施され、囃子座には勾欄を擁す朝顔屋根の屋台。
 先代は昭和24年制作。

柳原
=平成2年(1990)10月制作。軒提灯が数多く飾られ、囃子座には勾欄が施された朝顔屋根の屋台。
 初代は昭和21年、憲法発布記念の祝典に囃子を出すことになり、南高麗下畑の囃子連より囃子道具を借り、大工の内沼一三に依頼して制作。その後に網を貼って鳩小屋になったそうで、現存せず。
 先代は昭和24年制作。

中山=平成18年(2004)制作。三代目。囃子座に勾欄が施された唐破風屋根の屋台。
 先代は昭和49年(1974)古谷工務店で制作。屋根は平成2年に取り付け。

双柳
=昭和35年(1960)に地元の鈴木正作の制作。正面に御簾を着装する、入間市の野田・新久系の唐破風屋根の屋台。
 初代は明治中頃の作。

河原町=平成27年制作。天井には代用萩簾が施され、囃子座には勾欄を擁す朝顔屋根の屋台。
 初代は昭和21年作。
 二代目は昭和42年(1967)制作。

原町
=昭和56年(1981)制作。三代目。市松障子に造花の装飾がされた朝顔屋根の屋台。幅1.6m。長さ2.85m。高さ2.48m。
 大正期は「ヨンテコ」と呼ばれ4人で担いで移動した。
 先々代は昭和10年制作。
 先代は昭和20年制作で、新調に伴い本郷囃子連に譲る。

前田
=昭和55年(1980)制作。囃子座に勾欄を施した、てるむくりの朝顔屋根の屋台。
 先代は昭和22年創建。

本郷
=平成26年制作。囃子座に勾欄を施した、てるむくりの朝顔屋根の屋台。
 先代は昭和56年(1981)に原町より譲渡。昭和20年制作。

中藤=昭和59年制作。 
 【山車】
河原町=明治10年代に東京市浅草区茅町山車屋「浪花屋」にて静岡浅間神社祭礼用に制作。一本柱高欄付き人形台座可動式。
明治37年に町内の有志がお伊勢参りの時に発見。静岡市内より100円で購入。人馬で曳いて半月かけて飯能まで持って帰る。人形は素盞鳴命。幕は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」。
 平成26年、秩父の轄r木社寺で修復。
原町⇒旧・原町地区(現在の仲町、八幡町など)。
=明治15年(1882)制作。町内の松本重助・寅八の作。
最初は御幣を乗せたが、明治24年に三代目法橋原舟月作の神武天皇の人形を乗せる。昭和55年に改修で入母屋造りの屋根を乗せる。
前田⇒旧・前田地区(現在の柳町、東町、新町、八幡町など)。
=昭和22年(1947)9/26の祭礼でお披露目。
昭和22年(1947)霞ヶ関村(現・川越市)笠幡の發智庄平様分家の個人所有の山車を購入。
ただし損傷が激しく彫刻類など使える部材を活用し躯体の多くは新調で新山車建造となる。
町内棟梁松本魁・須田熊次郎らにより建造。彫物はその部位は丸彫りの諫鼓鶏や上から二段目までの上高欄と三味線胴・鉾台下高欄下部の左右後方の胴羽目部分で、上高欄の裏側には「明治4年未年六月吉日 当村町長永名主家發地四等源光正寄進之」と記されている。
 他の彫刻は東京より角島仙太郎氏他1名。
 車輪は棒三。梶は井上吉次。電装は西村太三。幕は武野谷忠造。
 木材は平和木工所の寄付と飯能市平松より購入。

 昭和21年9月、原町より屋台を借りて東神森稲荷の秋祭りに曳き回したのが始まり。その原町屋台を購入の話をあったが、新山車購入となる。
本郷=平成19年(2007)10/7、新調入魂式。ヒノキで唐破風付きの屋根を持つ屋台型の山車で4つ車。前輪に梶が付く。
本郷地区の出身で飯能市で建設会社などを営む細田伴次郎氏(70)が製作し、自治会に寄贈。
高さ4.65メートル。幅2.065m。長さ4.095m。重さ2トン。
彫物は懸魚:「唐草」。鬼板:「双龍」。柱巻:「昇龍、降龍」。脇障子:「唐獅子牡丹」。持送り:「唐獅子牡丹、鯉、鶴」。

 明治中期に東京都砂川村より購入するが、老朽化により解体。
 その後、大正4年、南高麗村下畑より山車を購入するも、昭和30年(1955)老朽化で処分。

 昭和54年に囃子連が復活し、56年に原町より譲渡された底抜け屋台を改修し曳行を続けていた。
 【屋台】
一丁目⇒旧・1丁目地区(現・南町、仲町、柳町、稲荷町、本町 など)。鎮守の久下稲荷神社の初午祈願祭(2/11)にも出る。
=大正9年(1920)新調。総欅造り、向唐破風付きの屋根を屋根を持つ囃子台に廻り舞台の四輪屋台。
大工は高麗村横手(現・日高市)の岡野桂之助、町内の奈良久次郎、矢島助二郎、矢島留吉、清水勝五郎、栗原徳次郎ら。
廻り舞台は昭和6年の横転事故のため、昭和9年(1934)、前輪を小さくし現在の形に改造。合わせて廻り舞台に楔が打たれ封印。
 大工は矢島留吉、高室品造。
後輪は平成2年、浅草の南部五郎衛門商店によって新調。
後幕は平成5年、「宇迦之御魂命」。
 平成13年、廻り舞台の封印が解かれ、廻り舞台が復活。

 小若山車(中山車ともいう)=昭和25年、当町の市川多十、矢島吉三らによって制作。
平成16年、当町の八島工務店により屋根を改修。
二丁目⇒江戸期は中宿と呼ばれる飯能宿の中心地。旧・2丁目地区(現・仲町、山手町、稲荷町、本町 など)。
=市指定有形民俗文化財。大正9年購入。江戸末期〜明治初期、砂川村五番組(現・立川市)で八王子型一本柱人形山車として建造。一説では上川原村(現・昭島市)で建造後、五番組に譲渡とも云われているが?。彫師は後藤派。
大正9年(1920)12/15に代金400円。他に酒料として50円。合わせて450円で購入。翌10年地元諏訪八幡神社祭礼に初めて曳かれる。
以降、昭和天皇御大典(昭和3年)、紀元2600年祭(昭和15年) 等に曳行され、戦後は2〜3年に1度のペースで祭礼に出場。昭和46年の飯能祭り発足からは毎年曳行されるようになる。
 購入後、車輪を三丁目の車大工の棒三(柏谷三之助)が新調し、人形も一本柱が伝わらなかったため不要となった屋根と床の穴を塞いだり、油障子が張られていた屋根を銅板葺きに改める改修を町内の馬場粂吉が施している。
 文化庁の伝統文化財総合活性化事業により、第一期は平成22年度で山車修復と台座復元は田中建築(田中光明)。人形の復元新調は「神功皇后」で川崎人形の作。第二期は平成23・24年度で荒木社寺(坂本広太郎)が担った。
平成25年3月24日、二丁目山車復元修復事業 竣工報告会が大通りポケットパークで行われた。
平成25年の飯能まつりでは八王子型一本柱人形山車として曳行された。
三丁目⇒旧・3丁目地区(現在の山手町、仲町、稲荷町、久下 など)。鎮守の三座稲荷神社の初午祈願祭(2/11)にも出る。
=明治中期に多摩地区より購入。八王子型の人形山車(加藤清正)だったが、
御大典に合せ大正4年に平屋台にした。大工は清水佐吉。
平成6年修復。柱などを新調した。
宮本町⇒現在の山手町、本町、八幡町などが該当する。
=廻り舞台付き屋台型山車。大正14年(1925)、大正天皇銀婚式記念として制作。間口2.1m。奥行き3.3m。高さ5.2m。
大工は高麗村横手(現・日高市)の岡野桂之助。彫師は八王子の佐藤光重。錺師は町内の小澤秀吉。制作費は3、664円。
 【主要彫物】
破風前後:「鳳凰」、欄間四方上段:「唐獅子牡丹」、柱正面は「昇龍」、中柱脇障子「菖蒲」、前中後梁間「菊」、木鼻「唐獅子」。
見送り幕は平成2年、「唐獅子、牡丹」。

 先代は砂川二番より購入。大正14年頃に日高市上鹿山に売却。
柳原⇒現在の川寺、笠縫などが該当する。
=昭和22年、当町の棟梁荒木文吉、島田仁三が制作した。屋台蔵は鎮守の神明社内。
平成24年、荒木社寺による修復。囃子台以下の車台を一新。山車全周に高欄を巡らし、廻り舞台を追加。また輿幕を廃止。束に羽目板をはめ込む構造とし、前後に木鼻を採用。
柱巻きは「昇龍、降龍」。
見送り幕は「唐獅子の刺繍」。川島織物の作。
 昭和15年、皇紀2600年の祝典に、大太鼓を東神森稲荷より借りてリヤカ−に太鼓を乗せたのが始まり。
中山=昭和53年(1978)新調。地元の宮大工の本橋初夫設計。中山大工組合の作。製作費は約1600万円。
総欅造り。廻り舞台。地元のマンションを建てる時に切り出された2本の欅の木を取材旅に作られたという。
屋根上に出入り口があり、楽屋から屋根に容易に上がれる工夫がされている。
双柳(なみやなぎ)⇒鎮守の双柳稲荷神社の初午祭(2/中旬)にも出る。
平成3年(1991)新調。富山・井波の大工、山崎健一。彫師は西村一雪。

 昭和55年に古い大太鼓を修理した際、胴の内側に天保11年(1841)の墨書きがあったが、これは雨乞いの神事として使われたと思われる。

 先代(初代)は大正元年制作。当時は置き屋台で車輪が無く、大正5、6年頃に車輪が付く。屋根は市松模様の油障子。
現・屋台新調に先立ち所沢市林へ。
飯能263 諏訪八幡神社 11/1日曜 獅子舞
八幡町12−6 八幡神社 4/17 例祭
中山716 加治神社 春・夏 屋台 天満宮の春祭り、八坂神社の夏祭りそして飯能祭りに屋台を練る
永田363 白髪神社 10/10 例祭
久須美140―甲 白髪神社
小瀬戸230 浅間神社 10/中旬 三匹獅子舞 市指定無形民俗文化財
大河原595 軍太利神社 7/中旬 例祭
小岩井169 小岩井神社
川寺392 神明神社 4/3 屋台 飯能祭りにも出す
岩沢533 白髪白山神社 4/2日曜 例祭
征矢町26−1 征矢神社
落合243−1 白鬚神社
阿須453−1 赤城神社 5/3 囃子奉納
下加治160−甲 白子神社 氏子は下加治・小久保・宮沢
双柳520 稲荷神社 7/中旬 神輿、山車 八坂神社祭礼
10/17 秋祭り
芦苅場381 赤城神社
川崎36 白髪神社
下川崎60甲 八坂神社
上直竹上分69 山祇神社 4/3日曜(元・17) 例祭
上直竹下分300 富士浅間神社 7/4日曜 山車1台 奉納演芸、夜店
山車=明治初期は盛留付きだったが、大正6年に廃止され、板屋根に改造し、象の鼻を取替えた。
下直竹175 八坂神社 7/3日曜 神輿
屋台1台 地元の大工の作。明治15年?の作。
申渕(下直竹) 吾妻神社 4/1日曜 例祭 下直竹の字。40戸ほど。
苅生 秋葉神社 4/3日曜(元・18) 例祭 昭和35年頃までは芝居を演じた
上畑 秋葉神社 4/2日曜 屋台
下畑590

畑神社

4/1日曜 屋台 花笠を先導に屋台が曳かれる
岩渕778 八幡神社 4/29 山車 飯能祭りでは掛け舞台で囃子を演奏
吾野226−1 我野神社 7/最終金土 神輿
獅子舞
吾野617 天神社 11/25 例祭 椚平・小床の鎮守
坂石661 坂石諏訪神社 5/5 例祭
坂石町分268 白髪神社 10/連休 山車2台あった 昭和16年まで曳いていたが、戦争で中止。その後は未調査。
坂石町分451−1 坂石町分天神社 4/29 例祭 栃野谷・南山下(南元組)の鎮守
南251 権五郎神社
南川1040 諏訪神社 8/16、17 ささら獅子
南川の獅子舞=市指定無形民俗文化財。
頭は別々につくられた上顎と下顎を綴じ合わせた構造の龍頭で、「天保年間(1830年代)に塗り替えた際、夜ごと唸った」と伝えられている。
太刀役による棒術の後、最初に舞う「幣掛かり」の庭は、舞庭中央に立てた幣へ向かって獅子が四方から繰り返し掛かっていきます。「蛇掛かり」は、笹にヤマカガシを擬した作り物を付け、獅子がこれを呑む大きな仕草の舞いです。その他に「花掛かり」「笹掛かり」「棹掛かり」「女獅子隠し」「十文字」「白刃」の八庭がある。
「蛇掛かり」に先立って行われる「願笹楽(がんざさら)」は、氏子祈願者が昇殿した後、獅子舞行列が社殿の廻りを巡るものです。獅子舞行列には、大きな万灯(花)が二つ加わる。
花笠内部に文政8年(1825)の墨書が残されているが、獅子舞の由来を示す文献等は無い。秩父市浦山の昌安寺(浦山の獅子舞)から16世紀末に伝えられたという言い伝えがある。
北川971 喜多川神社 8/18頃の土日 三匹獅子舞
北川の獅子舞=岩井沢集落の観音堂を起点として、獅子舞は、柏木集落の地蔵不動堂、藤沢集落の喜多川神社へと2日間をかけてまわる。
舞は「女獅子隠し」、「白刃」など8庭中7庭が伝わる。
高山156 三輪神社
正丸(坂元) 八坂神社 笠鉾1台 休止中
明治27年頃に横瀬町芦ヶ久保の大工の作か?昭和37年より休止となる。
虎秀10−1 吾那神社 10/体育の日 例祭
明治4年に平戸字隻地の地神社、落合の稲荷神社、田中の八幡神社、橋本の白山神社、小菅の山神社、中居の白山神社、市場の天満神社を合祀。
大正4年に白子の村社白髭神社を合祀し、熊野神社を吾那神社と改称。
間野=明治初期、地元の大工の作。大正6年、盛留をはずして山車とする。平成10年頃までは曳いていた。
井上349 井上神社
井上399 東神社 4/13 例祭
長沢6 借宿神社 10/9 例祭
長沢1841 諏訪神社
原市場568−1 白鬚神社 4/19 囃子
赤沢299−1 星宮神社
赤沢508−ハ 素盞鳴神社
唐竹9−2 白鬚神社
中藤上郷438 白鬚神社
中藤中郷231 白鬚神社 10/9 底抜け屋台 昭和59年12月制作
 ◎旧・名栗村
     ⇒上名栗、下名栗
上名栗217 星宮神社 9/最終日曜 三匹獅子舞 市指定無形民俗文化財
人見(上名栗字桧渕) 上名栗諏訪神社 4/25頃の日曜 獅子舞 旧・7、8、9区鎮守。星宮神社獅子舞保存会が行う。
下名栗1049 下名栗諏訪神社 8/最終土日 三匹獅子舞 県指定無形民俗文化財
人見(旧・12区鎮守)。獅子舞は嘉永2年(1849)に上名栗の星の宮神社から伝授されたと伝えられ、獅子頭を保管する箱には「嘉永元年七月初メ 人見浅見屋市五郎造之」とあり伝承を裏付けている。
下名栗字中西 諏訪神社 8/25頃の土日 獅子舞 天保14年(1843)に上成木大沢入村(現・青梅市成木の高水山)から伝わる。
 【白岩】
名栗村成立の際は15区行政区として独立。
地内は上・下に分かれ昭和25年、23戸あったが、昭和60年以降廃村となる。
秋は6ヶ所の山の神様に甘酒を作って奉納する「甘酒祭り」が行われていた。

 ≪日高市≫
     高麗川:上鹿山、中鹿山、下鹿山、鹿山、新堀新田、猿田(やえんだ)、野々宮、原宿、田波目、平沢村上組、平沢村中組、平沢村下
     高麗:横手、高麗本郷、久保、台、梅原、栗坪、楡木、清流、高岡、新堀
     高萩:高萩、下高萩新田、女影、女影新田、中沢、大谷沢、下大谷沢、田木、馬引沢、森戸新田、駒寺野新田(こまでらのしんでん)
上鹿山170 境内社八坂神社 8/14、15 屋台
高麗川神社 4/15 例祭
上鹿山(上鹿山囃子連)=昭和初期(大正14年頃とも云われる)に飯能市宮本町より購入。宮本町へは砂川村より購入という説もあろ。
高麗川囃子連(公式HPへ)=昭和28年、高麗川区が創立すると、祭りを行おうという声が高まり、昭和30年、東京都青梅市北小曽木(現在の成木八丁目)から、山車を譲渡される。これにともない、上鹿山囃子連から王蔵流の囃子を伝授され、囃子団体が発足しました。その年の秋には、初めての祭礼が開催され、山車の曳きまわしが行われました。また、当日は、家々で赤飯を炊き、揃いの着物と襦袢を身にまとい、祝いました。
平成に入ると、次第に会員数が減少し、存続の危機に陥ります。そこで、同9年、高麗川区と隣接する四本木区の有志12名が発起人となり、「祭り囃しの会」が発足し、高麗川・四本木両地区の合同運営という形で、新たな門出となりました。
それから月日が経った平成21年、四本木区が地区内に公園が完成したのを機に単独で夏祭りを開催するようになり、運営も再び高麗川区のみで行うようになります。それにともない、名称も、「こまがわはやし連」に改称されましたが、この頃から、再び会員数が減り始め、子供の数も激減しました。その後、平成23年に高麗川区の下部団体となり、名称も「高麗川囃子連」に改称。
四本木(四本木囃子連)⇒平成21年、公園出来たので、こまがわはやし連より独立。
山車小屋は無いので、囃子台より上をばらして会員の車庫に収納。
平成21年、石井工務店制作。4つ車、廻り舞台の屋台。
原宿囃子連=平成3年、床付きの底抜け屋台創建。
野々宮146 野々宮神社 10/3〜9の間の日曜 獅子舞 野々宮、楡木、猿田の鎮守
北平沢620 天神社 4/25&11/23 奉納演芸 往古は村芝居
横手509 武幡横手神社 8/21〜27までの土日 獅子舞
高麗本郷252 九万八千神社
梅原345 八坂神社
栗坪129 厳島神社
栗坪239 諏訪社 8/28頃の土日 獅子舞
新堀387 熊野神社 江戸期は熊野三社権現社と称していた
新堀591 稲野辺神社
新堀833 高麗神社公式HPへ 10/19 例祭 獅子舞。旧・県社
5月 若光祭 子供みこし
若光祭=高麗神社・熊野神社(新堀)。稲野辺神社(新堀)3社合同行事。子供神輿で神幸祭の祭典を行い、神輿を担ぎ境内を練り歩く。最後にお田植え体験として、みんなで稲を植える。
高萩750 駒形神社
高萩1101 八雲神社(天王様) 7/2土日 神輿
屋台1台
高萩=地元の人の作。昭和40年代より曳行休止となるが、平成21年改修。地元大工の作で、囃子台より上の新調。銅葺きの屋根になる。車輪は川越の横溝木工所により新調。翌20年、40年ぶりに曳行復活。
高萩1608 白鬚神社
高萩2035−4 神明山王神社
下高萩新田101 八幡神社
女影444 霞野神社 10/17 獅子舞休止 昭和37年頃まで行われていた
獅子舞は10/17の例祭日に昭和37年頃まで舞われていた。
諸役は、獅子、天狗、オカメ、貝吹き、ササラ、にょっとこ、笛方、歌方。獅子は男獅子、女獅子、太夫獅子の3頭で一組だった。。現在は獅子頭、天狗面、オカメ面、ほら貝など使われていた諸道具が、氏子により保管されている。

女影1895

白山神社
大谷沢484 白髭神社
下大谷沢144 三島神社 10/17 例祭
田木198 根神社 10/17 山車1台 休止中?
馬引沢97 剱神社
森戸新田31 八幡神社

駒寺野新田101

日枝神社
 【日高市民まつり】
11月2土日、文化体育館「ひだかアリーナ」で開催。主催は日高市民まつり実行委員会。
2018年で28回を数える。和太鼓や郷土芸能(囃子、神輿)など各地の特色を生かしたイベントがある。

 ≪鶴ヶ島市≫
    ⇒脚折、大塚野新田、五味ケ谷、、三ツ木、三ツ木新田、高倉、町屋、藤金、上新田、中新田、下新田、上広谷、太田ケ谷
脚折町6−10−20 白鬚神社 11/9 おくんち
脚折町1−31 天照大神御嶽神社 10/中旬 おくんち 旧・大塚野新田の鎮守
高倉36−1 日枝神社 11/3 獅子舞
昭和53年までは毎年11/8、9、10が例祭日だった。8日は予行で、9日は祭典当日で、10日は村廻りをしていた。
現在は11/2:13時過ぎに高倉日枝神社を出発し、稲荷神社、高福寺跡で舞が行われる。
11/3:13時に高倉日枝神社において舞が行われる。
上新田104 日枝神社 10/中旬 おくんち
中新田180 神明社 10/中旬 おくんち

下新田428

稲荷神社 10/中旬 おくんち
上広谷 八坂神社 7月 神輿
山車
上広谷第一夏祭り=7月土曜開催。本部はギガマート店頭駐輪場(上広谷40−7)。大人神輿、子供神輿、よさこい など。
上広谷一区=昭和56年に地元の大久保組で製作された山車(屋台)を寄付。
屋台型の山車で四つ車。唐破風付き屋根を持つ囃子台に廻り舞台を擁する。梶は無い。
台車部分の力桁には時間を掛けて寝かせた、神社の御神木が使われているという。平成13年まで川越市新富町一丁目に貸し出され、川越まつりで曳行されていた。その関係から囃子手は新富町一丁目、榎会囃子連が担当する。

太田ヶ谷617−1

高徳神社 10/中旬 おくんち 氏子は太田ヶ谷、三ツ谷、藤金、上広谷、五味ヶ谷
 【共栄地区秋祭り】
10/初旬、共栄神社(三ツ木172−2)で開催。子供神輿が出る。
共栄地区は昭和17年に北海道、冨山 等から入植した人々により開墾された地区で脚折、藤金、上広谷、三ッ木にまたがる区域である。
  【陸軍航空士官学校坂戸飛行場】
昭和15年2月、陸軍坂戸飛行場の建設が関係住民に知らされた。飛行場用地は、大字大塚野新田の全部と大字五味ヶ谷の一部が予定され、国土防衛上一刻も早く建設に入りたいとの説明であった。
 この降って沸いたような話は、地元関係者に深刻な衝激と不安を与えたが、当時の軍の強大な権力と威力の前では、住民の側から権利を主張するすべはなかった。結局、5月から工事着手という国の方針に対して折衝らしいこともないまま、鶴ヶ島市分は大塚野新田の8戸・9世帯と五味ヶ谷の15戸の移転が決定した。
 ◎大塚野新田
8戸しかない小さな村で、昭和15年に陸軍坂戸飛行場用地として、村全域が買収され、住民はことごとく代替地の鶴ケ島村脚折の北部の字一天狗地区に移住し、これを機に新しく御嶽神社を奉斎している。
なお明治43年大字大塚野新田に鎮座していた字八幡裏の村社八幡神社、字御嶽の御嶽神社の二社は戸宮の戸宮八幡神社に合祀されている。
 ◎五味ケ谷
飛行場敷地内に居住する2戸と、敷地外であるが飛行機の離着陸に障害となるとされた13戸とが、移転を強いられた。移転先は全員五味ケ谷の内であった。
 ◎戸宮
飛行場建設により村内の他の大字と地理的に分断されることとなった。その結果、行政、経済、社会、教育等の全般にわたり様々に支障をきたし、とりあえず警防団は勝呂村との連携をなし、児童は勝呂村国民学校に転校するという形で対処した。こういった状況の中で、非公式ながら満洲への移住の話も軍から提示されるなどしたが、最終的には鶴ケ島からの分離という結論となり、昭和17年12月隣村の勝呂村に編入した。

 ◎片柳新田
鎮守の坂戸八幡神社の境内地約6反を1500円で買収された。
このため現在の神社地を坂戸市本町に住む井上とよから譲り受け、氏子20戸は移転のために勤労奉仕をした。

 ◎関間
鎮守の神明神社も移転を余儀なくされた。境内地にあった冨士塚は取り壊されてしまった

 坂戸飛行場があったエリアには「女子栄養大学」「筑波大学附属坂戸高等学校」「山村国際高等学校」「坂戸市役所」、そして住宅地「UR若葉台団地」や「富士見工業団地」へと姿を変えている。

 ≪坂戸市≫
      坂戸:坂戸、浅羽、片柳、片柳新田、上吉田、栗生田、関間(せきま)
      入西:東和田、新ヶ谷、戸口、中里、塚崎、堀込、新堀、北大塚、北峰、沢木、金田、今西、北浅羽、竹之内、長岡、小山、善能寺
      大屋:厚川、萱方、成願寺、欠ノ上、森戸、四日市場、多和目
      三芳野:紺屋(こうや)、中小坂、横沼、青木、小沼
      勝呂:石井、塚越、島田、赤尾、戸宮
日の出町7−26 坂戸神社(天王様) 7/15頃の土日 神輿
屋台4台、山車1台 1丁目、2丁目、3丁目、4丁目、粟生田
坂戸に鎮座していた白髭神社を明治5年に村社とし、17年に字日枝前の日枝神社に移転し、同時に稲荷前の熊野神社、堀ノ内の諏訪神社、天神前の天神社を合祀した。さらに明治40年に上吉田の村社諏訪神社、粟生田の村社稲荷神社・白山神社・諏訪神社・天神社・八坂神社を合祀し、坂戸神社と称し成立した。
1丁目=昭和37年頃、浅草の宮本卯之助商店より購入。3代目。
 往古は明治30年頃に、川越市江戸町(現・大手町)より1,2丁目合同で購入。
二重鉾で人形は「鎮西八郎為朝」だった。大正天皇御大典には曳かれたが、老朽化と電線架設のため曳かれなくなった。
頭部と弓は坂戸神社に保管され、頭部は祭礼時に展示。
 2代目は昭和3年購入。

2丁目
=昭和3年(1928)、町内の大工の安西利一の作。制作費は400円。
車台は1丁目と合同の先代山車を流用。

3丁目
=昭和3年(1928)、町内の大工の作。
 往古、川越より購入の鉾型の山車があったと云われている。
しかしこの山車は南町(現・幸町)か、本町(現・元町1丁目)、それともそれ以外か不詳である。
当時は4丁目と合同で曳いていたが、大正初期には出なくなり、4丁目に譲渡した。

4丁目=昭和3年(1928)、町内の大工の作。

粟生田
=昭和52年(1977)7/10、お披露目。地元有志の作。
浅羽野2−2−11 土屋神社 上浅羽の鎮守
片柳1829 飯盛神社
山田町585(旧・坂戸818) 坂戸八幡神社 片柳新田の鎮守
関間4−4−26 神明神社
東和田190 八幡神社 10/16、17 例祭
戸口452 東入西神社 7/10頃の土日 太鼓屋台 獅子
トラック仮装山車
戸口ばやし=市指定無形民俗文化財。江戸神田囃子大橋流旧囃子。大正時代に始まったという。鳩山町の今宿より伝授。昭和30年頃には一時途絶えたが、昭和57年に伝授先の今宿より習い直し、再結成された。
山車=戦前には山車(一本柱型の山車?)があったが解体され、現在はトラックの荷台に屋台を組み、その上で演奏し地区を廻っている。夜は掛け屋台での演奏。
北大塚138 石上神社公式HPへ 10/15 例祭
北浅羽262 八幡神社 10/17頃の日曜 獅子舞 市指定無形民俗文化財。
小山72 入西神社
明治41年に大字長岡の氷川・愛宕・日枝社、竹之内の稲荷社、善能寺の天神・琴平社、小山の氷川・八幡・熊野社、堀込の三島・日枝稲荷社、新堀の金山・稲荷・愛宕・日枝社。さらに大正元年には北峰の稲荷社・同境内社稲荷神社が合祀され、社号を氷川神社から村名にちなみ入西神社と改称。小山・長崎・竹之内・善能寺・堀込・新堀・北峰の旧七ヵ村の村社となった。
厚川135 大家神社 10/16 例祭
森戸512 鶴明神社
森戸616 国渭地祇神社 10/15 三匹獅子舞
坂戸市教育委員会掲示によると「秋になると豊年を祝う獅子舞が、市内の各地で行われます。竹で作った「ささら」と呼ばれる楽器を使って獅子舞を踊るので、「ささら舞」とも言われ、昔から地元の人々によって受継がれてきました。
森戸の獅子舞は、江戸時代に始まったと伝えられ、国渭地祇神社と周辺の神社のお祭りに舞われます。
獅子は悪霊払いの霊獣として崇められ、古来、祭りの主役として、獅子舞が全国各地で行われてきました。森戸の獅子舞は、江戸時代の安永六年(一七七七年)に始まったと伝わっていますが、記録などは残っていません。国渭地祇神社と周辺の神社へ、毎年十月十五日に奉納されます。
獅子舞の演者は、雄獅子、雌獅子、中獅子の三頭で、これに山の神の天狗、軍配を振って舞いを盛り上げる配追い、花笠をかぶったささら子、これにほら貝、笛吹き、唄うたいが加わります。演目は「すり違い」、「竿がかり、「花すい」、「秋葉社の舞」、「宮まいり」があります。
獅子舞の当日は、ほら貝の合図で社殿を一周する「宮まいり」から始まり、境内で「すり違い」を舞います。四日市場、森戸の秋葉社へ行列を組んで行き、それぞれの神社に舞を奉納します。神社への行き来の間、国渭地祇神社の境内にもどり、「竿かがり」を舞い、最後に神社境内で「花すい」を奉納して舞納めとなります。行列の先頭を行く万燈には、天下泰平、五穀豊穣、風雨順調、氏子繁昌との願いが記されています。
祭の当日に立てられるのぼり旗の文字は、巌谷修(児童文学者巌谷小波の父)の書によるものです」とある。
四日市場天王様祭礼行事(麦からみこし)=市指定無形民俗文化財。7月中旬。子供たちが各戸から麦から(麦わら)・縄・竹をもらい、みこしをつくり、ねり歩く。
多和目384 天神社 10/3土日 獅子舞
多和目天神社の獅子舞=市指定無形民俗文化財。天保年間(1830〜44)に始まったと伝えられる。領主稲生氏によって奉納された。演目には、「すり違え」、「シバ掛り」、「竿掛り」の3つの舞が舞われ、獅子が太鼓を打ち鳴らして踊る。

多和目845

岩口神社
紺屋601 白髭神社 7/15頃の土日 屋台1台 明治40年、川島町角泉の遠山喜十郎の作。
紺屋ばやし=市指定無形民俗文化財。芝金杉流。 明治時代に山田村網代(川越市編代)から伝授されたという。
中小坂1 神明神社

横沼346

白髭神社 7/3日曜 屋台1台 四ッ車。廻り舞台。大正期の作。平成5年頃に屋根を葺き替え。
10/15 例祭
横沼ばやし=市指定無形民俗文化財。江戸山王囃子木の下流。明治41年(1908)44年説もあり、川島町角泉から伝授されたという。
青木492 八幡神社

小沼840

氷川神社
石井226 勝呂神社公式HPへ

塚越254

境内社八坂神社 7/4日曜 屋台2台
大宮住吉神社 4/1日曜 塚越ばやし
塚腰はやし=市指定無形民俗文化財。明治32年(1899)日露戦争後に川島町伊草から伝わる。
4/1日曜日はの大宮住吉神社の祭礼の早朝(雲切)、7月下旬の八坂稲荷神社の祭礼(天王様)で演じられる。
大は大正初期の作。子供は平成10年頃の制作。
島田722−3 天神社(天王様) 7/中旬 神輿
屋台1台 昭和53年制作。
島田ばやし=市指定無形民俗文化財。昭和5年(1930)頃に塚越から伝授されたという。
赤尾1645 八坂神社 7/15頃の土日 神輿 子供みこしは平成3年制作
赤尾ばやし トラックに囃子連が乗り巡行
赤尾ばやし=市指定無形民俗文化財。川島町角泉から伝わったとされる。
赤尾1668 白山神社
赤尾1867 金山彦神社
赤尾1934 諏訪神社
戸宮60 八幡神社 10/中旬 獅子舞 市指定無形民俗文化財

 ≪狭山市≫
      入間川町
      入間:南入曽、北入曽、水野
      堀兼:堀兼、青柳、加佐志、東三ッ木、上赤坂、中新田
      奥富:上奥富、下奥富、柏原新田
      柏原
      水富:根岸、上広瀬、下広瀬、笹井
入間3丁目6−14 境内社八雲神社 7/15 神輿
清水八幡神社
公式HPへ
9/15 渡御 神社から先導・神職・総代・役員・笛・歌・天狗・鹿子の順で各町内の社寺へ巡行し鹿子舞が奉納
5/2土日 屋台1台 旧・下諏訪地区
四ッ車。唐破風の屋根。昭和59年、入間市奈賀町より購入。制作年不詳。
入間川2−21−25 天満天神社(天王様) 7/15頃の日曜 屋台1台 旧・菅原地区
人形の乗った鉾型の山車を日高市方面より購入。明治4年頃の作らしい。昭和29年、屋台タイプに改造。
入間川4−2−1(入間川) 入間川諏訪神社 8/4土日 ナスの神輿 往古は若者による草相撲の奉納があった
お諏訪さまのなすとっかえが行われ、とてもめずらしいナスのお神輿が担がれ住民の厄除けを祈願。
 以前は若者たちによる草相撲の奉納があったが現在は休止。
入間川1117−1(沢) 沢八坂神社 神輿保存 旧沢村の鎮守。明治期は担いだいたが、伝染病が流行して以来担いだことがない。
宮地 小型屋台
平成8年、地元の大工の作。以前は底抜け屋台だったので、演奏の時は板をはめるが、曳き回しの時は板をはずす。
鵜ノ木12 鵜ノ木12 屋台1台
四ッ車。唐破風の屋根。昭和28年、地元の大工の作。往古は底抜け屋台。
南入曽640−2 入間野神社 10/3土日 獅子舞 県指定無形民俗文化財
北入曽277 野々宮神社 4・10/中旬 入曽囃子
堀兼2221 堀兼神社 4/15 堀兼囃子 :
7/中旬 神輿(大小)
10/15(毎年) 堀兼囃子
上赤坂の獅子舞=市指定無形民俗文化財。市HPによると「一人立ち3頭のササラ獅子舞で、牡獅子2頭(牡・太夫)、牝獅子1頭、山の神(天狗)1名、ササラッ子4名、笛若干名、唄若干名、法螺貝1名、つゆ払い2名で構成されています。踊りは前庭と後庭があり、前庭には竿掛け、後庭には花吸いなどがあります。
上赤坂獅子舞の起源は不明ですが、入間川(八幡神社)鹿子舞と同系統といわれており、古い太鼓の裏には『安永二年(1773)九月修理』と記録があることから、それ以前より存在していたものとみられます。
かつて、上赤坂地区(旧上赤坂村)には神明神社があり、毎年秋の祭礼には、村内安全・五穀豊穣・悪疫退散を願って、獅子舞が奉納されていました。
しかし、明治41年に神明神社が堀兼神社に
合祀されてからは、神明神社跡から堀兼神社まで道中し、獅子舞を奉納していましたが、3年間のみでその後は中断していました。
戦時下になると、神社信仰が高まり、昭和18年に32年ぶりに獅子舞が復活しますが、7年続いた後、再度中断します。
そして狭山市が誕生した昭和29年に再度復活しましたが、時代の
趨勢とともに、次第に中断に追い込まれていってしまいました。
昭和43年、それまで有志宅に保管されていた獅子舞用具を保管するための獅子倉が完成し、これを記念して獅子舞の披露が行われましたが、その年限りのものでした。
それから20年が経過した平成元年に、地域住民の総意により、獅子頭の修復を行い、笛の練習も開始され、同年の10月15日には、獅子頭の修復を記念して、かつての踊り手による獅子舞が披露されました。
平成2年3月1日に獅子舞保存会が発足し、以後、毎年10月の「上赤坂まつり」で獅子舞が披露されています」とある。
青柳475 氷川神社 4/15 例祭 宵宮に青中囃子奉納
10/中旬 例祭 日曜は例祭のみ
加佐志174 羽黒神社 7/中旬 例祭 数珠くり中止
中新田145 中新田愛宕神社
上奥富508 梅宮神社 2/11 甘酒祭り 西方囃子
子供樽みこし :
下奥富596−1 八雲神社 7/14、15 西方囃子 山車1台
明治3年、山車新調。昭和25年が最後の曳行。その後、休止。
西方囃子=江戸神田囃子の流れをくむ神田徳丸の流技を持ち、江戸時代に入曽村の入曽囃子から伝わったと言われている。
 明治から大正にかけては川越祭で久保町の山車に乗って囃子を奉納し、また、明治3年には西方囃子の山車を建造し、戦前戦後を通じて入間川の天満宮、不動尊の祭りに山車とともに参加し、隣村の青柳、加佐志の地蔵様、入間郡越生の祭りなどにも参加し、現在も保管。
下奥富1465 亀井神社
柏原1153 境内社八坂神社 7/15頃の日曜 屋台1台 以前は底抜け屋台
白鬚神社 10/下旬 獅子舞 毎年は出ない
狭山市教育委員会・狭山市文化財保護審議会掲示よると
「柏原祇園囃子は、入間市高倉から伝えられたといいます。
このお囃子は、柏原の八坂神社(白髭神社境内社)で行われる夏祭り「天王さま」で演奏されます。
かつては、村祭りの囃子として村の有志が囃子を演奏したといわれ、組織的な伝承団体はありませんでした。
昭和三十年代の半ばに「天王さま」の行列は中止になり、道中は祇園囃子の録音テープを流し、神酒所で囃子が奉納されるだけとなりましたが、昭和四十八年に「郷土芸能を学ぶ会」(現柏原郷土芸能会)が結成され、組織的に継承されるようになりました。
お囃子の巡行は、底抜け屋台に大胴一台、附太鼓一台をつけ、数名のかつぎ手によって屋台をかつぎ、笛吹きは屋台の脇で、太鼓は屋台の中を歩きながら叩いたものでありましたが、昭和50年に車付き屋台が完成してからは、大胴一台・附太鼓二台をつけ、演奏者は屋台に乗り巡行しています。
曲目は、送り(オクリ)と四丁目(シチョウメ)の二曲があり、送りは「一の切り」から「六の切り」までの六つの旋律を神輿の行列が進行している時に繰り返し演奏し、笛は多数で一緒に吹きます。
四丁目は、神酒所に到着するときに演奏し、曲は添付がはやく、この時の笛は一人で吹きます。
天王さまは現在、毎年七月十五日に近い日曜日に、行われています」とある。
 ≪行事予定≫
■土曜(宵宮祭)

 夕方より子供たちが中心となって山車が曳かれ、八坂神社周辺を巡行した後、神社に戻り、宵宮祭が行われる。
■日曜(本宮祭)
 午前中、子供神輿が八坂神社を出発し、柏原地区内をねり歩いた後、神社に戻る。
 午後からは、大人神輿が担がれ、同じように神社を出発して地区全体をねり歩き、神輿の後うには祇園囃子の山車が巡行し、お
囃子が奏でられる。
根岸2−25 白鬚神社
広瀬2−23−1
(上広瀬1612
広瀬神社 10/3土日(元・15) 神輿 旧・県社
山車1台 平成10年頃の作。先代もあり。
底抜け屋台1台
神輿=市指定有形文化財。元治元年(1864)上広瀬名主清水寛右衛門奉納。当地の大工の横田長太夫の作
笹井1962 笹井白鬚神社 4/3日曜&10/3日曜 タイコヤグラ 昭和3年の作。 
笹井豊年足踊り

 ≪入間市≫
      豊岡町:扇町屋、善蔵新田、黒須、高倉、久保稲荷
      金子:上谷ヶ貫、下谷ヶ貫、寺竹、西三ッ木、南峯、木蓮寺、花ノ木、中神、根岸
      宮寺:宮寺
      藤沢:上藤沢、下藤沢
      東金子:小谷田(こやた)、新久(あらく)、森坂、牛沢町、狭山ヶ原
      元加治:野田、仏子(ぶし)
      元狭山:二本木
豊岡3−7−32 愛宕神社 4/下旬 神輿売却 明治初年までは渡御あったが、売却した
山車6台 おとうろうまつり
おとうろうまつり=旧扇町屋の鎮守「愛宕神社」春季例大祭を「愛宕のおとうろうさま」と言う。
むかしは、宿の両側には「とうろう」がきれいに灯り、露店が軒をならべ、維新の志士、山岡鉄舟、勝海舟の書いた大のぼりもたてられ、山車も各町2台ずつ6台出る、見せ物や芝居小屋もかかる、近在にない、にぎやかなお祭りだった。
 現在は扇町屋第一区、扇町屋第二区、扇町屋第三区による合同区民まつりと愛宕神社の春の例大祭の合同祭りの総称である。
扇町屋第一区(賀美町)=扇町屋1〜5丁目・扇台3〜6丁目(県営霞川団地・ユアコート四季の丘を除く)からなる。
 終戦後購入。

扇町屋第二区(奈賀町)
=扇町屋1・2丁目・扇台1〜6丁目・久保稲荷・豊岡2・3丁目(入間扇町屋第1〜4住宅・県営向原団地・県営霞川団地を除く)からなる。
 先代は仏子⇒奈賀町⇒狭山市下諏訪(入間川3丁目)⇒入間市坊。

豊岡第三区(志茂町)=豊岡1〜5丁目・扇台1・2丁目(豊岡団地・Uアリーナ・プルミエール除く)からなる。
=市指定有形民俗文化財。
昭和29年4月、越生町仲町から購入。天保7年(1836)9月、川越市志義町(現・仲町)新調。仲町の屋台制作につき、入間市志茂町が65万円で購入。
明治30年代に関根松五郎により大改修。囃子台を回転式へ。舵棒、車輪、扁額等を新調。
幅2、5m。長さ6、2m。高さ4、8m。
東町4−39−1 東愛宕神社 旧・善蔵新田
春日町1−6−1(黒須) 春日神社 10/3日曜 例祭 旧・黒須
高倉4−4−7 氷川神社(天王様) 7/20頃の土日 獅子 囃子
屋台1台
久保稲荷4−3−23 久保稲荷神社 3/15頃の日曜 山車 奈賀町
神賑 園児のダンス、中学生吹奏楽部、子供の花笠音頭 
上谷ケ貫699 八幡神社 10/1日曜 獅子舞
上谷ケ貫の獅子舞=市指定無形民俗文化財。八幡神社の社伝によると文和年間(1352〜56)に神事として宇佐八幡宮から伝えられたとされている。
悪魔払いを祈願して八幡神社と西光院に奉納される。
下谷ケ貫9 神明神社 7/15 神輿
寺竹852 白鬚神社 7/20頃の土日 例祭
西三ツ木23 金子神社 4/最終土日 神輿 平成21年、3月修復
山車2台
大山車=明治中期に狭山市笹井り購入し、車輪を蓮花院(入間市春日町)で借用した。
昭和初期から中期にかけては居囃子となり山車の車輪を取り外し基礎の部分に大型の臼を置いた。
昭和40年代に土台部分のみトラックのシャーシーに造り替えた。
小山車(ヤグラ)=昭和40年代制作。シャシーは鉄骨作りでその上にヤグラが組まれている。
元々は村の若い衆が担ぐ「担ぎヤグラ」と称されていた。
木蓮寺878 桂川神社 10/15頃の土日 屋台1台
花ノ木16 山祇神社
中神345 三輪神社
根岸446 稲荷神社
宮寺1 出雲祝神社 9/29 山車
坊囃子連=唐破風付きの屋根を持つ南高麗型の山車。平成23年末に狭山市下諏訪の山車を譲渡され、平成24年にお披露目。
入間市新久の大工の作。仏子⇒入間市奈賀町⇒狭山市下諏訪⇒入間市坊。

 往古は屋台あり。
その後はトラックに太鼓を載せてのせて地区内をまわった。
平成10年頃に製作された掛け屋台と平成20年に東京都瑞穂町高根の祇園屋台を参考に地元の大工の手で屋台を製作。底抜け屋台のように歩いて演奏が行われていた。
上藤沢642 神明神社 7/海の日 子供神輿
下藤沢801 熊野神社 10/3土日 獅子舞
 【東藤沢ふるさとまつり】
7/中旬開催。東藤沢公民館とその周辺で開催。東藤沢公民館主催(東藤沢3−19−19)。2019年で26回を数える。
神輿が練り歩き、駐車場では演舞や太鼓演奏、吹奏楽演奏などもある。ステージではダンスや盆踊りもある。

 なお神輿は信用金庫より寄贈された神輿を含め3基出る。
上小谷田1−1−5 中野原稲荷神社 5/5
新久948 八坂神社 7/中旬 神輿
屋台1台、ヤグラ
新久はやし保存会令和元年(2019)7月20日(土)・21日(日)に新久の天王様(八坂神社例大祭)が行われた。
昭和61年頃、毛呂山町本郷より購入。元は昭和29年頃、越生町仲町より購入。
 今年は山車を改装して、この日にお披露目となる。
山車(屋台)は唐破風付きの屋根を持つ屋台型の山車で4つ車。前輪は突き出した木鼻に付けられていru

他にヤグラと呼ばれる車輪付きの小さな屋台もある。
野田562−1 白鬚神社 7/2土日 神輿1基 あり
屋台3台
野田青和会=昭和35年、屋台型の山車制作。地元の諸井福重の作。彫師は東京都向島の西田光次。
廻り舞台を擁し、前面の左右木鼻に龍の彫刻があるのが特徴。最近では境内に飾り置かれている。
 町内を近年製作の屋台と底抜け屋台(櫓)で地区内を廻る。
屋台は、地元の諸井福治の作。底抜け屋台(櫓)は中村重雄の作。

 往古は明治期製作の素盞鳴尊を乗せた人形山車があったが、昭和30年頃に人形を残して青梅市黒沢へ譲渡。
仏子938−2

八坂神社(天王様)

10/3土日 神輿 あり
山車1台 昭和初期東京深川より購入
屋台2台 平成3年購入
6/15 例祭
屋台=昭和初期(12年か?)制作。大工は諸井福重。
彫師は池田信之。東京深川より材料を購入し制作。

 先代は新調につき、豊岡奈賀町に譲った。狭山市下諏訪⇒入間市坊。

小型屋台、太鼓やぐらもあり。
二本木230 二本木神社 10/15頃の土日 山車1台 昭和63年創建

 ≪所沢市≫
     所沢町
     小手指:上新井、北野
     富岡:中富、下富、神米金(かめがね)、北岩岡、北中
     吾妻:荒幡、久米、北秋津
     松井:上安松、下安松、下新井、牛沼
     山口:山口、上山口、勝楽寺(しょうらくじ)
     柳瀬:坂之下、城、南永井、亀ヶ谷、日比田、本郷
     三ヶ島:三ヶ島、三ヶ島堀之内、糀谷、林
 【ところざわまつり】
10/2日曜開催((5に1度、2日間開催)。ところざわまつり実行委員会主催。
元は所沢町の鎮守神明社の秋の祭礼(9月15日)に数町内で山車を曳いていたものが 母体となっている。起源は山車の購入や製作の年代からすると、 明治初期頃から行われていたと考えられる。
 山車の曳行はかつては費用の問題から、 5年毎の市制施行記念など、特別の行事の時にしか開催されなかった。
そこで「商工祭」「山車祭り」等の名称で開催され、昭和59年(1984)からはところざわまつりとして定着した。
現在12台の山車(元町本町、元町東、寿町、有楽町、御幸町、宮本町、金山町、日吉町・東町、旭町、新井町、西所沢、星の宮) が出る。
元町本町=明治6年制作か?。甲田了作の作。
盛留は「加藤清正」。彫物は右柱は「降龍」、左柱は「昇龍」。欄間は「五頭の龍など」。制作費は600円。


元町東
=市指定文化財。昭和3年(1928)制作。青山伊助の作。盛留は「日本武尊」。制作費は3、000円。

寿町
⇒山車小屋は昭和59年4月寿町会館横に移築。
山車小屋は、昭和22年までは小沢弁吉さん宅(寿町16−7)奥の現在のお稲荷様の北側に土蔵があって、その中に分解、解体し収納していた。その後、所沢小学校運動場の東側、平岩研作氏の土地を山車小屋として利用。
=昭和23年(1948)12月制作。大工は吉沢宗吉、田中武。車大工は駅前の石井氏。彫刻、土台、屋根の一部は旧山車を利用。盛留は「神武天皇」。制作費は10万円。
 先代は弘化4年(1847)作。当時は下仲町と称した。人形は「神武天皇」。
現存する部品は獅子の彫物一対が内田春作氏の玄関に保存。盛留の欄干が寿町会館に保存されている。
昭和22年5月3日新憲法施行式典時は砂川(現立川市)より山車を借りてきた。

旭町(日吉町より独立)=平成25年新調。
昭和3年創建。大工は地元の鈴木鉄蔵他5名。2015年11月28日、東京都昭島市の勇仁會囃子連に譲渡。


有楽町
=市指定文化財。明治初期の作。砂川村から16代深井伝右衛門が買い町内に寄贈。後藤徳蔵の作。
彫物は右柱は「降龍」、左柱は「昇龍」。破風は「龍宮」。

 鎮守の


御幸町
市指定文化財。明治6年9月制作。明治43年12/1瑞穂町石畑村下組より購入。新調先は八王子か砂川。人形師は三代目原舟月。
盛留は「関羽と周倉」。大体5年毎の神明社大祭に盛留を上げる。


宮本町
=昭和初期制作。青山与助の作。明治以前よりあった先代の部材を多く利用。鉦は天保年間の作。

金山町
=昭和55年(1980)制作。大工は町内の本橋吉蔵。彫物は先代のを利用。制作費は2、200万円。
囃子連は金山町囃子連(重松流)。
 先代は古くより使われていたが、老朽化のため昭和50年の祭礼には東村山市野口町の山車を借りるようになり、新調に踏み切った。

日吉町・東町(日東)
=昭和30年11月制作。旧・山車の台座・破風の彫刻、柱を利用し、町内の大工3名が制作。製作費は20万円。

旭町
=平成25年制作。市制65周年祭に合わせた。
 先代は昭和23年制作。


新井町
=明治16年制作と思われる。鈴木三蔵・甲田了作の作。
雨乞いのために曳き手がアマガエルの扮装をして曳き回したところ、夕立がきたといわれ「雨乞いだし」の異名がある。
5年に1度登場。

西所沢
=平成12年(2000)8月新調。市制50周年のイベントに合わせた。高橋邑吉・北沢一京の作。製作費3500万円。
 これに合わせて子供神輿を寄附して頂く。
 先代(初代)は昭和23年制作。

星の宮
=昭和57年(1982)創建。本橋吉蔵の作。製作費1500万円。
昭和55年(1980)、市制施行30周年記念式典に住吉の屋台を借りて初参加。これがきっかけで山車制作の機運が盛り上がる。

宮本町1−2−4 所沢神明社
公式HPへ
9/15 例祭 往古は山車が出た
10月 山車安全祈願祭 ところざわまつり参加の山車が来る
有楽町 八雲神社 7/3土日 屋台1台 ところざわまつりにも参加
小手指元町3−28−44 北野天神社 3/21 例祭 登記上は物部天神社国渭地祗神社天満天神社。旧・県社。旧住所は北野703
小手指南1−17−21 広谷諏訪神社 8/22 神輿(大小)
上新井2−6−8 六所神社
北野南2−28−55 藤森稲荷神社
中富1507 神明社公式HPへ 10/9 例祭 氏地は三富地域(三芳町上富、所沢市中富、下富)と富岡地域(所沢市神米金、北田、岩岡、所沢新田)。
下富 八雲神社 7/31、8/1 山車1台
荒幡748 荒幡浅間神社 山車1台
久米2428 鳩峰八幡神社 4/15 例祭
北秋津367 日月神社(天王様) 7/14、15 神輿2基
小型屋台
下安松486−1 境内社八雲神社 7/14、15 天王様
安松神社 4/22 巫女舞
西新井町17−33 下新井熊野神社
下新井1360 櫻木神社
牛沼410 神明神社 4/16 浦安の舞
上山口436 境内社八坂神社 7/2土曜 天王様
天満天神社 9/25 例祭

山口1849

中氷川神社公式HPへ 10/1日曜 例祭 旧・県社
坂之下64 天神社 4/25 例祭
城537 城山神社(天王様) 7/27 子供神輿
南永井406 八幡神社
亀ヶ谷543 亀谷神社(天王様) 7/15 神輿 獅子
日比田338 日比田氷川神社 4月 例祭
本郷676 氷川神社
三ヶ島1−212 八幡神社 10/中旬 例祭 八幡脇の鎮守
三ヶ島5−1691−1 三ヶ島中氷川神社 7/15 流鏑馬神事廃絶 旧・堀之内1697−1
東狭山ヶ丘5−2759−2 狭山ヶ丘熊野神社 旧・三ヶ島新田
糀谷78 糀谷八幡神社 9/下旬 流鏑馬神事
林1−383 八坂社(天王様) 7/下旬 山車1台 飯能市双柳より購入 
大正元年、飯能市双柳制作。双柳の地元の鈴木源蔵の作。当時は置き屋台で車輪が無く、大正5、6年頃に車輪が付く。屋根は市松模様の油障子。
平成3年、双柳屋台新調に先立ち所沢市林へ譲渡。
和ヶ原 山車1台
 【和ヶ原の夏祭り】
8/初旬土曜、17:30〜21:00、スーパーマルヒロ駐車場で開催。
17:30〜21:00、お囃子と大人神輿が中屋米店⇔スーパーすサクラまで往復。お囃子はおかめ・ひょっとこ・狐・獅子・外道に扮して賑やかに巡行。囃子屋台は2012年、リヤカーを改造して製作。以前のは保管場所の関係で御譲りする。
盆踊りはスーパーマルヒロ駐車場。
 【山口貯水池】
昭和4年(1929)着工。3年後に竣工、通水式を挙行。旧・山口村大字勝楽寺の大部分と大字上山口の一部が水没することになり、282軒の家が移転した。
勝楽寺字大坊の七社神社(七社権現)は昭和5年に山口の中氷川神社に合祀された。

また地名の由来の勝楽寺と呼ばれる寺院は建造物を解体・移転移築し、山口1119に仏蔵院と名前を変えて存在。

  ≪富士見市≫
    鶴瀬:鶴馬、勝瀬(かつせ)
    南畑:上南畑、下南畑、南畑新田、東大久保
    水谷:水子、針ヶ谷
鶴間2丁目1−72 下鶴間氷川神社 4/9 例祭 氏子地域も諏訪社と重複しており旧鶴馬村上組地区
諏訪1−13−24 上鶴間氷川神社 8/28 例祭 諏訪神社と共催
10/15 例祭
諏訪2−15−34 上鶴間諏訪神社 8/28 勝瀬囃子
渡戸獅子舞 渡戸獅子会
勝瀬791 榛名神社 4/10 勝瀬囃子 里神楽

上南畑295

上南畑神社
下南畑153 氷川神社 7/15 例祭 山形地区の鎮守
下南畑1148 八幡神社 7月&10月 獅子舞 下南畑・南畑新田地区の鎮守
東大久保83 境内社八坂神社 7/14 天王様
阿蘇神社 10/19 お日待ち
氷川1399 境内社八雲神社 7/15頃の日曜 神輿(大小)、花万灯 水子上組囃子連
上水子氷川神社 水子村上組(水子第一区)の鎮守
境内に屋台が組まれ、宵宮に水子上組囃子連による囃子の奉納がある。
水子2582あたり 八雲神社 7/15頃の日曜 神輿
トラック仮装山車
囃子 水子石井囃子保存会
水子1762−3 水宮神社公式HPへ 4/29 浦安の舞
水子3020あたり 八雲神社 7/15頃日曜 囃子 水子城の下組囃子連
水子5050 氷川神社 7/15頃日曜 例祭 中水子に鎮座し、かつては水子の総社
水子氷川前 氷川社(天王様) 7/15頃日曜 神輿(大小)
市のHPには「水子地区では毎年7月15日に近い土曜や日曜に上組の氷川神社、城の下の天王社、石井の八雲社で行われ、いずれの地区でも大人と子供の神輿、囃子、花万灯が町内に設けられた御酒所をまわります」とある。
針ケ谷1−39−2 氷川神社 7/12 例祭
 【榎町町会夏祭り】
8/1土曜、10:00〜20:00、富士見ニューライフ駐車場で開催。2016年で18回を数える。
子供みこし・ステージ・模擬店など。締めは盆踊り。
 【水谷東1丁目町会夏祭り】
7/中旬。水谷東一丁目青空広場で開催。2016年で42回を数える。
土曜:11:00〜19:00
日曜:10:00〜14:00 子供山車・大人神輿・模擬店・流し踊り・水谷中学校吹奏楽演奏 など
 【水谷東2丁目町会夏祭り盆踊り大会】
8/下旬(1土日の年もあり)。前沼公園で開催。2016年で50回を数える。
土曜:10:00〜21:00=流し踊り・盆踊り・子ども花火・ゲーム・模擬店など。
日曜:10:00〜16:00=子供山車・子供みこし・子供神輿・大人神輿・模擬店・抽選会など
 【水谷東3丁目町会夏祭り】
8/中旬。旧増寿久湯跡地駐車場周辺他で開催。2016年で49回を数える。
土曜:10:00〜21:00
日曜:10:00〜17:00 共に子供山車・大人神輿・模擬店・射的・盆踊りなど

  ≪ふじみ野市≫
       平成17年(2005)10/1、上福岡市+大井町が合併して誕生。
 ◎旧・上福岡市
       福岡、中福岡、福岡新田、駒林、川崎
長宮2丁目2−4 長宮氷川神社
公式HPへ
7/15頃の日曜 天王祭 子供神輿
10/1 例祭
上福岡1丁目7−7 八雲神社 7/15頃の日曜 子供神輿 休止中?
駒林892−イ 八幡神社 7/15頃の日曜 子供神輿
川崎147 八雲神社 7/15頃の日曜 子供神輿
10/15 例祭
川崎261 白山神社 7/15頃日曜 子供神輿
 ◎旧・大井町
     大井町(大井宿)、亀久保、苗間、鶴ヶ岡
大井2丁目4−30 境内社八雲神社 7/中旬 神輿(大小4基) 天王様
屋台2台 上組、旭連(中組、下組)
氷川神社 10/15 例祭
上組(大井上組囃子保存会)=制作年、作者 等不詳。4つ車、唐破風の屋根を持つ屋台型で廻り舞台がある。

旭連〔中組、下組〕(旭囃子保存会)=制作年、作者 等不詳。4つ車、唐破風の屋根を持つ屋台型で廻り舞台がある。
亀久保2−16−22 亀久保神明神社
公式HPへ
7/25頃の日曜 屋台1台 昭和22年の作。
屋台(亀久保囃子保存会)=昭和22年制作。4つ車、唐破風の屋根を持つ屋台型で廻り舞台がある。
苗間372−1 境内社八雲神社 7/25頃の土日 屋台1台 戦前よりあり。
苗間神明神社 10/15 例祭
屋台(苗間囃子保存会)=制作年、作者 等不詳だが、戦前よりあり。4つ車、唐破風の屋根を持つ屋台型で廻り舞台がある。
鶴ヶ岡3−18−6 境内社八雲神社 7/25頃の土日 子供神輿
鶴ヶ岡八幡神社 10/15 例祭
 【おおい祭り】
7月下旬、12:00〜21:00。東久保中央公園及び周辺道路、大井東中学校体育館で開催。
2001年より始まり2020年で20回の予定だった。
主催はおおい祭り実行委員会。
山車、ステージや路上でのパフォーマンスと演技、模擬店の出店などがある。

  ≪三芳町≫
      上富、藤久保、竹間沢、北永井
上富1003 八雲神社 7/27、28 子供神輿
山車1台 ※木ノ宮地蔵の祭礼(4/23、24)にも山車を出す
平成10年(1998)制作。二代目。二重鉾迫り上げ式。四ッ車。廻り舞台。幅2.7m。長さ5.5m。高さ(人形含む)8.9m。
大工は川越の浦田工務店(浦田一男)。車大工は横溝長寿。彫師は豊田彫刻工房(豊田豊)。幕は嶽野好仲の作。

人形は「柳沢吉保」。高さ1.9m。

 先代は昭和12年頃創建。地元の大工の作。今も保存されている。
藤久保1026 木宮稲荷神社 7/14、15 囃子奉納
10/中旬 お日待ち
竹間沢858 竹間神社 7/21頃の土日 子供神輿 天狗、獅子
屋台1台
10/中旬 お日待ち
竹間神社境内社の八雲神社祭礼(天王様)。
土曜は子供神輿と矢来棒に太鼓をつけた囃子が竹間沢各地を巡る。日曜21日には天狗と獅子が各戸を巡る。
北永井931 境内社八雲神社 7/25 子供神輿
山車2台 祭礼は大体、隔年。
稲荷神社 11/上旬 例祭
明治15年頃より山車を曳き出す。この山車は焼却処分。現在は子供神輿が各戸を巡る。囃子を乗せた山車が北永井の通り(約4km)を曳く。
@昭和28年制作。大工は内田角次。川越祭りでは南通町へ囃子連ごと貸し出され、一本柱万度型となる。
地元の祭礼では神社近辺を曳き回すのみ。
A二重鉾、廻り舞台。平成4年制作。行田市の高橋社寺建築の作。
人形は「古松重松」。岩槻市の清法人形店の作。頭部は頭師の藤塚久雄、胴体は伝統工芸師、浅見法男の作。

地元の祭礼では神社前の通りを往復する。

 ≪毛呂山町≫
     毛呂:毛呂本郷、長瀬、小田谷、前久保、岩井
     山根:滝野入、権現堂、阿諏訪、大谷木、宿谷、葛貫
     川角:川角、西戸(さいど)、市場、箕和田、西大久保、大類、苦林、下川原
 【毛呂本郷夏祭り】
7/15頃の土日、町立上町保育園跡地を中心に、行われる。
山車の曳き回しは誰もが参加でき、大人から子どもまで楽しく町内を練り歩く。
山車=昭和61年(1986)制作。唐破風単層鉾。
 先代(初代)は昭和29年頃に越生町本町より購入(仲町説もあり)。現・山車購入につき入間市新光へ。


小若山車=昭和22年(1947)、地元で作る。

岩井西5−17−1

出雲伊波比神社 3/2日曜(元・15) 囃子 春祭り。毛呂本郷、長瀬囃子
7/2土日 囃子 毛呂本郷
11/3 流鏑馬
出雲伊波比神社の流鏑馬は、第一祭礼区(毛呂本郷=上町、中町、下町、東雲、金塚)、第二祭礼区(小田谷と長瀬=長瀬一区、長瀬二区、長瀬三区、小田谷)、第三祭礼区(岩井と前久保=前久保、大師一区、大師二区、平山、沢田)の3つの祭礼区の人たちが担い手となる。
各祭礼区は、さらに祭馬区に分かれ、実際の運営は、輪番制による担当祭馬区が行う。

 

滝ノ入1680−2 住吉神社 10/連休 獅子舞 昭和59年復活
阿諏訪1562−2 雷電神社

大谷木167

山根神社

葛貫735−1

住吉四所神社 10/連休 獅子舞
川角1233 八幡神社 10/3日曜 獅子舞
西戸918−1 國津神神社
市場51 市場神社
西大久保146(天王様) 八坂神社 7/15 山車1台 休止中?
大類29 十社神社 10/連休 獅子舞
下川原248 星宮神社

 ≪越生町≫
     越生:越生、上野、如意、黒岩、西和田、大谷、鹿下、成瀬、古池
     梅園:津久根、小杉、堂山、上谷(かみやつ)、大満(だいま)、龍ヶ谷(たつがや)、黒山、麦原
越生1015 越生神社 7/4土日(元・25) 神輿3基
山車5基 上町、仲町、本町、河原町、黒岩町
屋台1台 新宿町
所曳き 東2区
越生神社は、大字越生の八幡神社、八坂神社、大字黒岩の八坂神社ほかの神社を合祀して、明治42年(1909)に造営された。
越生神社には3基の神輿が伝わっており、本宮は越生八坂神社、中宮は黒岩八坂神社、若宮が八幡神社の神輿であったと思われる。

  殊に中宮の神輿は黒岩村八坂神社の神輿と伝えられ、明治23年7月の「神輿再式寄附帳」という文書が残されている。
 ≪越生まつりの行事予定≫
◎土曜
:17:00〜21:00
 山車の曳き回し、居ばやし
◎日曜:13:00〜21:00
 神輿渡御、よさこい等のイベント、山車の曳き回し、居ばやし、6台の山車揃い・花火

上町(かみちょう)=明治18年、東京谷中初音町1丁目と上三崎町の山車として新調され、日暮里の諏訪神社の祭礼で曳き回されていた。
都市化による電線の架設などにより曳行が困難になり、大正8年(1919)に上町に譲渡された。二重高欄四つ車、欄間仕立ての山車。
唐破風のない欄間仕立ての囃子台を持つ。購入当初は三輪であったが、昭和初年に四輪に改造。
人形は鎌倉時代に諏方神社を開いたとされる「豊島左衛門尉経泰」。古川長延の作。
昭和63年修復。

仲町(なかちょう)(い組)=昭和29年(1954)制作。東京神田のだし鉄(山本正太郎)と越生町上野の棟梁長谷竹松の作。
だし鉄が設計と細部の仕上げを担当し、本体は長谷氏が施工した。
制作費は約100万円。二重高欄四つ車、唐破風付周り舞台の山車。

 先代は明治期に川越市志義町(現・仲町)より購入したが、曳き廻した回数は少なく置き屋台として踊りなどを披露したそうである。
現・屋台新調に先立ち、入間市志茂町はやし連へ65万円で売却。
 また花山車もあり、現・屋台新調に先立ち毛呂山町に3万5千円で売却。現在は入間市新光で曳かれている。
本町(ほんちょう)(ほ組)=大正8年(1919)制作。
東京神田明神前の亀甲斎清秀(小倉秀太郎)の作。製作費は4600円。彫師は石川三五郎信光。
四輪。二重高欄唐破風付き屋根を持つ囃子台と廻り舞台。台座には彫刻付の腰板をもつ。
人形は「神武天皇」。

 
以前の保有の「牛若丸の山車」は、毛呂本郷に売却された。
河原町(かわらまち)(ろ組)=昭和12年(1937)、東京神田の宮長の作。制作費は約1、000円。二重高欄四つ車、唐破風付の囃子台をもつ山車。
最初から人形を乗せる予定がなかったため他の山車より背が高い。
台車は明治から祭礼のときに引回された花山車のものを利用しているため、一本柱を立てた跡がある。
黒岩町=明治27年(1894)9月に現・熊谷市鎌倉町新調。これは天井絵の紀年銘から明治27年の製作と推測される。
明治42年(1909)7月に熊谷市鎌倉町より125円で購入。今も錺金具や幕に、鎌倉町の「鎌」と「宮本」があしらわれている。
越生では唯一の二重鉾(三重高欄)・三輪の山車。
屋根は唐破風。人形は「素盞鳴尊」。
新宿町(あらじゅくまち)(は組)=大正13年(1924)、現・青梅市小曽木から代金50円で購入したと伝えられている。
文政10年(1827)八王子市上八日市町新調。車軸の台木に文政10年(1827)丁亥六月吉祥日と墨書きがあった。28年曳かれた。新調当時は唐破風屋根の中を一本柱が貫通している八王子型人形山車で、屋根に大きな龍の彫刻をのせる。。

購入時には人形も無く、彫物は欠損し、人形の台座は町内の正法寺閻魔堂の閻魔像の台座として使われている。
当地では昭和53年に改修。平成10年、秩父の業者により車輪と車軸の新調。
東2区=平成14年、地元の有志の作。
本宮の昼のみ曳行。夜は居囃子。完成した平成14年は既存の6町内の山車が集まって行われるひっかわせに参加したのでいずれは夜も曳行すると思われる。

大谷=昭和59年、子供たちがリヤカーにやぐらを組み、太鼓を乗せて納涼祭(8月初旬)に参加したのが、始まりだが平成9年の納涼祭を最後に休止。
上野1048 東山神社 11/23頃の土日 獅子舞
東山神社の獅子舞=町指定無形民俗文化財。室町時代に多門寺三世住職の教伝が秩父から習得したと伝わる。
上野1732 大宮神社 4/1日曜 歩射
境内掲示には往古は桃の弓の歩射を奉納、戦後中止していたが、形を変えて50年目に小学校入学者の祈願祭として歩射を復活したとある。
西和田317 春日神社 10/9 流鏑馬
毎年10月9日に、大谷・西和田の家々で組織する「マトウ組(流鏑馬組)」が、春日神社と八高線の間に設けられた馬場で流鏑馬を行った。
大谷 神明社 4月&10月 例祭 房野組の鎮守
大谷 住吉神社 中ノ谷組の鎮守
鹿下256 越生神社
成瀬672 成瀬諏訪神社 10/中旬 例祭
古池122 鹿嶋神社 2月 団子祭り
津久根23 津久根八幡神社 10/3土日 獅子舞
上谷511 八幡山神社
上谷地区の中組の鎮守、八幡神社と山入組の鎮守、山神社が合併のため改称。
小杉1 梅園神社 10/4土日 獅子舞 小杉、堂山、上谷下集落の三地区の氏子が奉納
元は天神社。明治40年、堂山の村社近戸神社・上谷の村社三島神社を合祀し梅園神社と改称
梅園神社の獅子舞=町指定無形民俗文化財。小杉、堂山、上谷下集落の三地区の氏子が奉納。
高山(現飯能市高山)の三輪神社から伝来したと言われ、「庭ずり」、「一つ回り」、「三つ回り」「、雌獅子隠し」「白刃」からなる。
大満107 八幡神社 獅子舞廃絶 戦後しばらくして廃絶
龍ヶ谷453 熊野神社

黒山674

黒山熊野神社
麦原383 麦原住吉神社 10/中旬 獅子舞
住吉神社の獅子舞=町指定無形民俗文化財。秩父郡小鹿野町両神薄の諏訪神社から伝えられたという。
「四方掛かり」、「花掛かり」、「飛び抜け」「女獅子隠し」「一つ花」の5庭が演じられる。
※越生町の獅子舞は上野の東山神社、津久根の八幡神社、小杉の梅園神社、麦原の住吉神社の4社に伝えられ、いずれも秋祭りに奉納されている。

 ★展示場 
 【上福岡歴史民俗資料館】
ふじみ野市長宮1丁目2−11。電話番号:049―261−6065。無料。9:00〜16:30.休館日:月曜、年末年始(12/28〜1/4)。
下福岡は明治20年代まで祭り囃子が演じられていた。この山車(底抜け屋台)を入口に置き、オオカン(大太鼓)・締め太鼓・笛・衣装などの道具類を配置し、「祭り」の再現コーナーとして展示。
 底抜け屋台=江戸末期〜明治20年(1877)代にかけて使われていた。間口1.45m。奥行き2.15m。高さ2.47m。車輪は消失。