埼 玉 県

 入間地方 
住所  神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪川越市≫
 ■川越地区
“川越祭り”   10/3土日 山車27台 宮下町、志多町、喜多町、元町一丁目、元町二丁目、幸町[元の南町]、幸町[元の鍛冶町]、仲町、大手町、末広町、今成町、松江町一丁目、松江町二丁目、六軒町、中原町、連雀町、西小仙波町、通町、脇田町、野田五町、岸町二丁目、菅原町 、新富町一丁目、新富町二丁目、仙波町、旭町3丁目、川越市
屋台2台 三久保町、南通町
 川越氷川神社の祭礼は慶安元年(1648)に藩主松平信綱が神輿、獅子頭等を奉納したのがきっかけで、慶安4年(1651)に、氷川神社の氏子である十ヶ町で始められた。
この頃の祭礼の内容は不詳だが、元禄11年(1698)に初めて踊り屋台が出て、次第に都市祭礼として充実していくが、十ヶ町の祭礼であった。
 明治21年、初めて十ヶ町以外の六軒町が加入したものの、相当な経費を必要としたために氷川神社祭礼に山車が出るのは3〜5年に1回程度であった。
しかしながら戦後は昭和21年11月(新憲法記念日奉祝祭)、昭和22年5月(憲法記念日奉祝祭)、昭和27年の市制施行30周年、昭和30年の近村9ヶ村の合併に伴う全市をあげた「川越まつり」が計画され続々と氏子外の町も参加した。
 こうした祭礼地域の広がりと時代や価値観の変化を背景として、昭和43年に川越祭り協賛会が発足し、氷川神社祭礼を核に全市的な川越祭りと発展した。
宮下町2丁目11−3   氷川神社 旧十ヶ町 山車9台 幸町[元の南町]、元町二丁目、大手町、喜多町、元町一丁目、志多町、仲町、幸町[元の鍛冶町]、松江町二丁目
氏子 山車5台 六軒町、連雀町、宮下町、末広町、松江町一丁目
 【祭礼行事】(神事は固定)
14日:例大祭  11:00〜
15日:奉告祭  10:00〜
    仕舞奉納 10:30頃より舞殿にて能楽師による仕舞を奉納
南通町19−1 川越八幡神社 10/3土日        山車7台 中原町、脇田町、通町、新富町二丁目、新富町一丁目、南通町、旭町3丁目
今成1056 熊野神社 山車1台 今成町
郭町2−25−11 三芳野神社 山車1台 三久保町
仙波町4−19−1 氷川神社 山車1台 西小仙波町、仙波町
岸町2ー21−10 熊野神社 山車1台 岸町二丁目
菅原町9 菅原神社 山車1台 菅原町
野田町1−11−9 埜田神社 山車1台 野田五町
 ≪旧・十ヵ町≫
 ◆旧・上五ヵ町
幸町(雪塚会。元の南町)=幸町は旧・南町、旧・鍛治町、多賀町のそれぞれ一部が合併して誕生。そのため、2台の山車があり10年ごとの大祭には2台出すが、その他の年は交互に曳く。県指定文化財。
 明治3年制作当時は欄間形式の囃子台だったが、大正8年に唐破風付きの廻り舞台に改造。この時に彫物も付ける。
大工は関根平蔵。彫師は野本民之助義明。塗師は橋爪仲次郎。錺師は関島鉄五郎。酒呑
 平成14年、大改修。大工は秩父の荒木社寺(有)。また川島織物により人形衣裳、見送り幕、四方幕も新調。
人形は「能楽の翁」で仲秀英の作。明治3年、人形を含め406両2分3朱でできたと云われている。
囃子は幸町囃子連。
 踊り屋台もあり、所有する2台の山車が修繕等で出れない時に参加する。最近では平成11年に出た。

 人形・練物は享保3年(1718)は三日月に秋の草。国性爺。道成寺。奴。大江山陣凱。酒呑童子。
文政9年(1826)は月に秋の草花。歌枕花の四季三番。万度持ち・七福神・唐船。
天保15年(1844)は手力男之命。梓弓月の細布。荷踊屋台。万度。男子供・楽器。
文久2年(1862)は猩々。章魚入道。
元町二丁目(元の高沢町)⇒山車蔵は元町2−9−1。
=県指定文化財。二重鉾の三つ車で囃子台は欄間仕立て。
明治4年(1871)に383両3分で完成。山車・人形ともに仲秀英の作。昭和50年修復を行なっているが、制作当時の原型を今にとどめ、廻り舞台への改装などは行なっていない。
 人形は日吉神社の祭神である山王権現をかたどり、烏帽子狩衣姿に猿の面を胸に掛け、右手に中啓、左手には金幣を持つ。猿は山王権現の御使いとされ、山王の猿をあらわしたもので仲秀英の作。人形と装束は昭和56年、修復。
囃子は葛西囃子の菊元会囃子連。

 人形・練物は享保3年(1718)は猿。猩々。獅子。千両箱。花駕篭。
文政9年(1826)は猿。二見潟蒔絵盃。二見浦・松樹・底抜け屋台。
天保15年(1844)は猿。神霊深山紅葉・山屋台・鳥万度・鹿島踊り・底抜屋台。
文久2年(1862)は猿。

 先代は江戸より中古で購入して、青梅市宮本町(現・墨江町)に売却。現存せず。
ただし義経と弁慶の人形は同市千ヶ瀬の日枝神社に現存。作者は原舟月。
大手町(元の江戸町に多賀町の一部、武家地)⇒隔年参加。
=県指定文化財。二重鉾の三ッ車、欄間仕立の囃子台。幅2、579m。長さ4、636m。高さ7、346m。
明治5年制作。山車、人形ともに仲秀英の作。人形は「天鈿女命」。
上段幕は「緋羅紗地雲に唐松・岩に流水・鶏文様」、下段幕は「燈・紅・黄各地鉄線・唐花・牡丹蔓草に波濤模様」、水引幕は「紫地巴」。
囃子は町内の鈿女会囃子連。

 坂戸市の1、2丁目合同時の山車は江戸町より購入と云われている。二重鉾、弓を持った八幡太郎為朝の人形だった。
いつ購入かは不明だが、大正天皇御大典時にはあった。
しかしながら電線架設や老朽化のため、処分され、車台は現・2丁目に流用か?。頭と弓は坂戸神社に保管され、今も頭は祭礼時に飾られているという。
 人形・練物は享保3年(1718)は三階傘、芦刈仕形万歳、座頭、鷹匠、母衣武者。
文政9年(1826)は源 為朝。都鳥秋乗合舟。鉄棒引き、練子。
天保15年(1844)は源 為朝。旭出の寿ニ見注連縄。練子。
文久2年(1862)は源 為朝。
喜多町⇒県指定文化財。5年に2度出す(3年2年の順)
=二重鉾、四ッ車、廻り舞台、組込み迫出し行燈式。幅2、435m。長さ4、46m。高さ7、87m。
明治30年(1897)7月制作。大工は神田明神前の小倉作兵衛親子。昭和5年廻り舞台に改造。
人形は「藤原秀郷(俵 藤太)」で鼠屋五兵衛が文政9年以前の作。
上段幕は「緋羅紗地雲に飛龍文様」、下段幕は「青海波に珊瑚模様」、水引幕は「白地流水に龍の丸文様」。
塗師は古川庄五郎。箔方は平石惣吉。
囃子は芝金杉流の藤間囃子連。

 人形・練物は享保3年(1718)は大黒。会稽志田、勢金時。
文政9年(1826)は俵藤太秀郷。龍神揃い・三番叟。
天保15年(1844)は手力男之命。梓弓月の細布。荷踊屋台。万度。男子供・楽器。
文久2年(1862)は俵藤太秀郷。龍神揃い。
元町一丁目(元の本町)⇒毎年出す。
=二重鉾の四ッ車、唐破風付きの囃子台で廻り舞台。
昭和34年(1959)復活。大工は浦田文冶。
彫師は斉藤高徳。腰廻しの彫物は「義経一代記」。
人形は昭和44年制作で「牛若丸」。京都の井筒の作。
幕は昭和44年頃の作。
錺金具は浅草の宮本卯之助商店。四方幕は滑}間。
囃子は町内の牛若囃子連

人形・練物は享保3年(1718)は三日月に秋の草。国性爺。道成寺。奴。大江山陣凱。
文政9年(1826)は猿。
天保15年(1844)は手力男之命。梓弓月の細布。荷踊屋台。万度。男子供・楽器。
文久2年(1862)は俵藤太秀郷。龍神揃い。

先代は明治26年の大火で焼失。
 ◆旧・下五ヵ町 
志多町=県指定文化財。二重鉾の四ツ車、廻り舞台。長さ4m。幅2、7m。高さ8、2m。
安政3年(1856)制作。囃子台が欄間仕立てだったが、
昭和29年に二重鉾、四つ車、廻り舞台、勾欄仕立ての囃子台の山車に改造。大工は大沢菊太郎。
人形は「山伏姿の武蔵坊弁慶と草刈童子二体」。安政3年(1856)9月、鼠屋五兵衛の作。
平成12年、行灯部分の胴掛け幕、水引幕、幣 などを復元新調。
囃子は堤崎流の府川囃子連。

人形・練物は享保3年(1718)は幟旗。信濃源氏。脇差し・三味線・編笠。
文政9年(1826)は月に薄。磯千鳥松間の錦。地踊り・底抜け屋台。
天保15年(1844)は小槌に珊瑚珠。万度・地踊り・底底抜け屋台。
文久2年(1862)は弁慶。
仲町(元の志義町)⇒ほぼ隔年参加。陰祭りでは会所を作り、人形を飾る。
=県指定文化財。二重鉾の四ツ車、唐破風付きの囃子台で廻り舞台。
文久2年(1862)山車、人形を江戸神田の仲秀英が作る。人形は雅楽の羅陵王。面師は有山長門正。
明治34年、二重鉾廻り舞台に改造。
彫師は島村俊豊。下勾欄の彫刻に文久二年嶋村俊豊の銘あり。
幅:唐破風で3、1m。勾欄で2、2m。長さ:轅で4、4m。勾欄で3、2m。高さ:人形で1、9m。本体で6、1m。計8m。
囃子は王蔵流の中台囃子連。

 人形・練物は享保3年(1718)は幟旗。弓八幡。金魚・ういろう・母衣武者。
文政9年(1826)は松に布袋。豊秋稲穂之友連。万度持ち・十五童子。
天保15年(1844)は松に布袋。齢競千代の催馬楽。万度・地踊り・底抜屋台。
文久2年(1862)は羅陵王。
幸町[元の鍛冶町]=二重鉾の四ツ車、唐破風付きの囃子台で廻り舞台。
明治初年制作。
昭和3年に廻り舞台に改造。平成14年、高山・祭屋台保存技術協同組合により修復。
幅は2、54m。長さ4、805m。高さ7、776m。
人形は天保6年(1835)補修の記録あり。「宝剣の小狐丸を打つ小鍛冶宗近」は原舟月の作。
囃子は堤崎流で町内の幸町囃子連。

 人形・練物は享保3年(1718)は月に秋の草花。汐汲み・挟み箱奴。
文政9年(1826)は小狐丸。鳥飛和歌曙。面箱・練子。
天保15年(1844)は小狐丸。神勇に時の合槌。鉄棒引き・瓢箪鯰・練子。
文久2年(1862)は小狐丸。三頭立鹿踊り。
先代は明治10年、今成に売却。
松江町二丁目(元の上松江町)⇒ほぼ2年に1度。陰祭りでは居囃子。
=県指定文化財。二重鉾の四ツ車、唐破風付きの囃子台で廻り舞台。
大正4年(1915)制作で復活。大工は神田の小倉作兵衛(亀甲斉清秀)。
人形は「浦島太郎」で文久2年の仲秀英の作と地元では伝えられていたが、修復の際に頭部を割ってみると、「泰精斎 長延作」の札が発見された。そこで、仲秀英が請負、古川長延に下請けに出したと思われる。
上段幕は「緋羅紗地鶴に蓑亀・波濤・文字文様」、下段幕は「緑羅紗地岩に波濤。珊瑚文様」、内幕は「宝づくし文様」。
囃子は堤崎流で町内の浦島囃子連。
 平成21年(2009)3ヵ年をかけ修復完了。
高山市の高山まつり屋台保存技術協同組合による修復。化粧幕は京都市の(株)龍村美術織物により復元新調。

人形・練物は享保3年(1718)は吹貫。目出度しかく躍。酒呑童子・母衣武者。
文政9年(1826)は浦島太郎に亀。常盤木泉の盃。練子・底抜屋台。
天保15年(1844)は浦島太郎に亀。
文久2年(1862)は浦島太郎。

先代は明治26年の大火で人形と高欄の水引幕以外を焼失。
 ≪十ヶ町以外の氏子町≫
六軒町⇒旧・十ヶ町以外で始めて作った山車である。明治21年より参加。ほぼ2年に1度。
新・山車蔵は六塚神社境内にある。平成14年1月完成。山車蔵は明治35年頃に建設。以前は分散して保管。
=県指定文化財。二重鉾の三ツ車、唐破風付きの囃子台で廻り舞台。
明治21年制作開始。34年完成。大工は印藤吉五郎。昭和35年に廻り舞台に改修。高さ6、4m。車輪幅1、68m。
彫師は山田弥三郎(上尾市大谷)で明治34年10月に細工。
人形は明治2年制作「三番叟」。人形師は仲秀英。
昭和61年に秩父市の荒木社寺設計により大改修。
上段幕は平成3年新調。「緋羅紗地小松引き文様」、下段幕は「毘沙門亀甲に松皮菱松、七宝文様」、水引幕は昭和47年、復元新調。「宝尽くし文様」、内幕は「緋羅紗地無地」。
囃子は芝金杉流の今福囃子連。

 以前より屋台で参加していたと伝わる。
連雀町⇒山車蔵は鎮守の熊野神社境内(連雀町17−1)。
昭和26年より参加。旧・猪熊町分が氷川神社氏子。毎年出す。
=二重鉾の四ツ車、唐破風付きの囃子台で廻り舞台。
昭和26年白木で制作。翌27年、漆塗り。大工は印藤順造。平成17年修復。
人形は「狩装束の太田道灌」。人形師は西田光次。
塗師は町内の田中留。錺師は末広町の二宮。
囃子は町内の雀会囃子連で堤崎流。
宮下町⇒昭和27年より参加。
=二重鉾の四ッ車、唐破風付きの囃子台で廻り舞台。
昭和27年創建。順次改装し、昭和55年現在の廻り舞台になる。大工は高柳一、尾高日郎。彫師は高柳普平。
人形は昭和27年制作「日本武尊」。井筒人形店(京都)の作。

囃子は北山田の網代囃子連。
末広町(元の相生町)⇒昭和27年より参加。ほぼ2年に1度。
=二重鉾の四ッ車。唐破風付きの囃子台で廻り舞台。
平成24年(2012)3年かけて修復。大工は静岡県掛川市の飛鳥工務店。
昭和25年着手。27年唐破風付廻り舞台として完成し、この年より川越祭りに参加。34年完全完成。
大工は末広町生まれの浦田文冶。彫師は斉藤高穂。塗装は田中福太郎。
人形は「能の高砂」。昭和44年井筒雅風の作。
囃子は芝金杉流で町内の住吉囃子連。

 戦前小さい屋台で町内を曳いていたと云われる。
松江町一丁目(旧・下松江町)⇒昭和27年より参加。
=二重鉾の四ツ車。唐破風付きの囃子台で廻り舞台。
昭和26年屋台として制作したが、昭和63年に改造して山車へ。大工は清水登喜三。
彫師は島村源造。
人形は「龍神」。関口人形店の作。

囃子は芝金杉流で町内の松龍会囃子連。
 【底抜け屋台】
 現在使用せず⇒仲町、幸町
 ≪新参加町≫
中原町⇒山車蔵は中原町1−8−4(中原町公民館隣)。
昭和23年より参加。鎮守は川越八幡神社。毎年出る。
=二重鉾の四ツ車。唐破風付きの囃子台で廻り舞台。
昭和23年(1948)創建。大工は関根平蔵。57年大改造で屋根と三味線胴を新調する。大工は町内の久保保冶。
彫師は平野鉄國。塗師は二瓶藤八。
人形は昭和57年(1982)制作。源義経の正室萌の父親である「河越太郎重頼」。川崎人形の作。以前は京風の月鉾を乗せていた。
囃子は町内の月鉾囃子連で木ノ下流。
 
以前は月鉾と称していた。
西小仙波町⇒昭和43年より参加。鎮守は仙波氷川神社。
=二重鉾の四ツ車。唐破風付きの囃子台で廻り舞台。平成20年、修復。
昭和32年(1957)11月制作。大工は吉川為五郎。欅は秩父神社の御神木を使用。彫師は斎藤高徳。
人形は平成4年制作。「素盞鳴尊」。岩槻市・青木人形店の作。

囃子は当初は大塚囃子連だったが、昭和41年より町内の神田囃子大橋流の竹生会囃子連。
脇田町⇒山車蔵は新富町2−30−5(脇田町自治会館横)。
昭和43年より参加。鎮守は川越八幡神社。
=二重鉾、四ツ車、唐破風付きの囃子台で廻り舞台。
昭和53年着手。57年(1982)に白木造りで完成。平成12年に彩色をして完全完成。大工は横溝長寿、大浜文男。
彫師は豊田彫刻工房。塗師は日光の岸野美術工業。
人形は「徳川家康」で昭和57年、岩槻の川崎人形の作。
平成17年に見送り幕、平成19年に四方幕を新調。
囃子は王蔵流で町内の葵囃子連。

 以前は大塚新田の囃子連に依頼して山車ごと来てもらっていた。
岸町二丁目⇒山車蔵は岸町2−21−10(熊野神社境内)。
昭和43年より参加。鎮守は熊野神社。
=二重鉾の四ツ車、唐破風付きの囃子台で回り舞台。
平成6年(1994)完成。大工は角張工務店(鈴木 一)。彫師は松林宏(静岡・大須賀)。
 原型は昭和28年制作の牛車に屋台を乗せたもので、昭和33年以降改修を重ねて今に至る。
人形は平成6年(1994)、「木花咲耶姫」。岩槻の福田東久の作。
四方幕は桐生市の大沢紀代美の作。
囃子は王蔵流で岸町囃子連。
通町⇒川島町角泉で保管。通町自治会&川島町角泉囃子連で所有。
昭和47年より参加。鎮守は川越八幡神社。
=二重鉾、四ツ車、唐破風付きの囃子台で廻り舞台
昭和2年(1927)、世田谷区麻ヶ谷町新調。交通事情等で曳けなくなり、昭和46年川島町角泉の囃子連とと同町が共有することで購入。
角泉の猪鼻重一により大型に改造する。
人形は「鍾馗」。作者は不詳。平成19年8月、東久人形店で修復

囃子は木ノ下流で角泉囃子連。
新富町二丁目⇒山車蔵は南通町19−2(八幡神社境内)。
鎮守は川越八幡神社。2年に1度。陰祭りでは居囃子。
=二重鉾、四ツ車、唐破風付きの囃子台で廻り舞台。
平成8年(1998)、白木造り、二段屋根、廻り舞台の屋台を購入。大工は高橋邑吉。
翌9年、現在の形に改良し、初めて川越まつりに登場。
平成12年二重鉾の山車へ改装。あわせて人形を新調。2000年のミレニアムと称した全台参加の大まつりをお披露目とした。
平成21年に2年6ヶ月かけて四つ車、心棒前後、ハンドルなど修理交換が完了。四神の鳳凰、亀、龍、虎の他に江戸彫りの彫刻を施し、中勾欄には川越市の花である山吹が、東京葛西の彫師北沢一京によって彫られている。
 平成12年(2000)、鏡獅子の人形を新調。川崎人形の作。
囃子は芝金杉流で新富町二丁目囃子連。

 昭和38年頃より神輿、太鼓車で参加。
 昭和56年に鶴ヶ島の屋台を囃子連が借りて運行。
 昭和57年に正式に自治会の許可も得る。昭和57年より参加。
 昭和58年に15年計画で山車新調の話が出た。
平成8年に上尾市・高橋邑吉が作った山車を購入し、翌9年より出す。
今成町⇒昭和60年より公式参加。ただし昭和47〜49年は町内曳き廻しと居囃子で参加した。鎮守は熊野神社。
=明治10年、鍛冶町より購入。唐破風つきの4ッ車。県指定文化財。平成15年に二重鉾に修繕。
人形は天鈿女命で明治22年制作。
昭和52年、火事で一部焼く。幅1、98m。長さ2、55m。高さ6、5m。

囃子は町内の今成囃子連。
新富町一丁目⇒山車蔵は平成22年(2010)5月2日完成披露。新富町1−10−1。鏡山酒造跡地(平成12年廃業)。
以前は近隣の蔵を借りていた。
昭和61年より祭礼開始。平成14年に未完成で川越祭りに初参加。鎮守は川越八幡神社。
=二重鉾、四ツ車、唐破風付きの囃子台で廻り舞台。
平成13年制作。18年(2006)完成。今福の石田律夫氏が家業の傍ら制作していたが、この世を去り、天沼新田の田中光明が引き継いだ。
人形は平成18年「徳川家光」。黒字に三つ葉葵の束帯姿。津田有三の作。
 以前は人形の代わりに金の御幣で代用。
彫刻は彫刻は寄居町の豊田豊の作。
曳き綱は、町内の人達の手作りで、赤・白・紫の曳き綱。
囃子は堤崎流で町内の榎会囃子連。

 以前は昭和47年制作の鶴ヶ島市上広谷地区の屋台を借りていた。
野田五町(野田町1丁目、野田町2丁目、田町、東田町、上野田町の合同)⇒山車蔵は野田1−11−8(野田神社境内)。
平成2年より参加。鎮守は埜田神社(野田町1−1−19) 
=二重鉾の四ツ車、唐破風付きの囃子台で廻り舞台。大工は川越の高山栄次。彫師は寄居町の豊田彫刻工房(豊田豊)。
昭和63年制作。平成2年(1990)に白木造りで完成。10月13日、御披露目。翌14日より川越祭りに初参加。
平成5年に幕類と漆、金箔を施して完全完成。
上段四方幕は「丸龍」、下段見送り幕は「合戦絵巻」。川島織物の作。
塗師は日光市の岸野美術工芸。錺金具は日光市の鈴木錺金具工業。
人形は「八幡太郎義家」(武官束帯で24歳の従五位下の時の姿とする)で平成20年(2008)、熊谷市の長野屋(小谷野宏樹)の作。
 初代は「武者姿」。平成2年(1990)、岩槻の星野人形の作。
囃子は王蔵流で小室囃子連。

 以前は田町単独で山車を借りて祭礼を行った。
仙波町(2,3,4丁目)⇒山車蔵は仙波町4丁目19−2(氷川神社境内)。
平成2年より参加。鎮守は仙波氷川神社。
=白木造り、せり出し構造の二重鉾、四ツ車、唐破風付きの囃子台で廻り舞台。
慶応3年(1867)の底抜け屋台が原型。大工は岡本常次郎。今でも囃子台の軒にある龍、獅子、唐破風正面の鳳凰がそれである。
その後、平成2年(1990)に地元・福岡工務店(福岡秀雄)の改修で四ツ車、舵棒付き、廻り舞台の山車に改造。
彫師は岡本常次郎、友永詠三。
人形は平成14年(2003)制作。「仙波二郎安家」。友永詔三の作。
見送り幕は横浜の型絵染師の松江まちの作。

囃子は堤崎流で仙波囃子保存会。
菅原町⇒山車蔵は菅原町9。
=平成9年より参加。白木造り、二重鉾の四ツ車、唐破風付きの囃子台で廻り舞台。鎮守は菅原神社。
平成12年(2000)屋台として参加。14年(2002)、山車として完成。大工は上尾市・高橋工務店(高橋邑吉)。彫師は北沢一京。
人形は平成20年(2008)制作。「菅原道真公」。川崎人形(川崎勝久)の作。

囃子は南田島囃子連と町内の道真囃子連。
旭町三丁目⇒山車蔵は旭町3丁目8−3。
=平成14年(2002)、川越市制80年を祝い、初めて川越まつりに参加。鎮守は川越八幡神社。二重鉾の四ツ車、唐破風付きの囃子台で廻り舞台。
昭和49年(1974)、川島町角泉より山車を購入。この山車を29年に渡り改造した。
平成14年(2002)完成。大工は高山栄次。
人形は「松平伊豆守信綱」。平成14年、岩槻市の川崎人形店(川崎勝久)の作。
囃子は若狭流の信亀会囃子連。
川越市=二重鉾の四ツ車、唐破風付きの囃子台。
平成2年(1990)制作。14年(2002)、川越市制80周年を記念して川越市に寄贈され初曳行。大工は荒木社寺設計。人形は猩々。作者は不詳。
丸広百貨店が自費で制作。再開発ビルのアトレで展示しようとしたが、人形が連雀町と同じ太田道灌であるため反対があったなど、種々の事情のため断念。その後、新館に3階吹抜けのスペース作り、展示の予定が新館が建築ならなかったので、永らくお蔵入りだったが、平成14年市に寄贈された。曳行は殆どせず、当日市役所前にて展示され、囃子はその年出ない山車町が交代で行う
 山車を借りてくる
三久保町⇒昭和47年より参加。鎮守は三芳野神社
=二重鉾の四ツ車、唐破風付きの囃子台で廻り舞台。石田より囃子連ごと借りて曳く。
明治30年代に石田地区で制作。昭和57年に廻り舞台に改装。
当初は鶴ヶ島の大田々谷に住む猿田彦尊の人形だったが、顔を鼠にかじられて昭和42年に「源 頼光」になる。人形師は磯貝勝之。
囃子は芝金崎流で石田囃子連。
 以前のは曲師に譲ったと云われている。
南通町⇒平成6年参加。鎮守は川越八幡神社。神輿と交代で出す。
=昭和28年三芳町北永井新調の屋台を囃子連ごと借りて曳く。大工は内田角次。車輪はゴムのタイヤ。
平成6年、一本柱万度型の山車に改修。
囃子は重松流の北永井囃子保存会。
太鼓山車=昭和49年、浅草の宮本太鼓店より購入。      
このほか砂新田・岸町1・3丁目・脇田本町が祭りに参加した記録がある。
※総登場の大祭は、だいたい10年に1回。
新宿町1丁目22−2 氷川神社 山車1台
三ッ車。単層鉾の白木作り。昭和29年、仲鶴吉の作。
石原町2丁目64−6 愛宕八坂神社 4/3土日 獅子頭3頭
慶長12年(1607)3月、観音寺にて始まるが、寛永11年(1634)川越城主酒井讃岐守忠勝が、若州小浜に国替えの折り雄雌2頭の獅子頭 を連れ去ってしまい70年間途絶えていたが、宝永6年に雄雌の獅子頭を寄進され復活した。
神明町204 神明神社
富士見町21−1 浅間神社
富士見町33−1 愛宕神社
脇田新町 山車
脇田新町=四つ車、屋台型の山車で前輪に舵が付く。平成8年新調。地元の入倉工務店の作。囃子は子供囃子連。
小ヶ谷156 白山神社 7/15
10/14
獅子頭3頭
小室298 氷川神社 山車休止 部材一部のみ?
昭和27年を最後に曳かれていない。一本柱高欄の上に神武天皇の人形を乗せた鉾型の四つ車。作者、制作年等不詳。
 ■芳野地区
      ⇒北田島、谷中、鴨田、石田本郷、菅間、伊佐沼、中老袋、鹿飼(ししかい)、上老袋
北田島327 厳島神社
鴨田1072 八幡神社 7/14頃の土日
(天王様)
神輿
獅子舞
石田本郷697−1 稲荷神社 10/14 例祭
石田本郷新田1242 天神社 3/25 例祭
伊佐沼577 薬師神社
鹿飼404 神明神社 屋台休止
 ■古谷地区
      ⇒古谷上、古谷本郷、小中居、大中居、高島、八ッ島(やつしま)、下老袋、東本宿
古谷上3564 古谷神社 獅子舞3頭保存
古谷本郷1408 古尾谷八幡宮 9/15 屋台1台 北部を上組、南部を下組という。
大正末〜昭和初期に地元大工の作。
小中居664 神明神社 10/3日曜 屋台1台 底抜け屋台を地元大工が昭和10年、四ッ車、廻り舞台に改造。
獅子舞3頭飾付け
獅子舞=起源は不詳だが、江戸期中期に始まると伝わる。昭和38年(1963)頃まで7/28のオオフセギと9/15の十五夜と10/14、15のオヒマチに奉納されていたが、中断している。
大中居新田前671 氷川神社
高島388 高島稲荷神社
島瀬戸町50 稲荷神社
下老袋732 下老袋氷川神社 2/11 老袋の弓取式
老袋の弓取式=県指定無形民俗文化財。毎年2月11日に下老袋の氷川神社境内で行われる行事。
各地区の氏子の長男で1歳から6歳ぐらいまでの「弓取子(ゆみとりっこ)」が選ばれるが、少子化の影響で、子供の代役として5人の「氏子総代」が正座して矢を射る。
的に向かって3本ずつ3回射る。的の白い部分と黒い部分に当たった矢の本数を数えて、白が多いと晴天が多く、黒が多いと雨が多いという。
9時30分、年番町、宮司、氏子総代、弓取子と親の順番に、弓取式神社境内に参列して行進が始まった。
鎮守の4地区が協力し、甘酒2樽と豆腐田楽3樽を準備、参列して行進に加わった。豆腐田楽3樽は、頭の上に載せ参列して行進。甘酒と豆腐田楽の作り込みは、下老袋3地区と東本宿地区が年番で引き継いでいる。式が終わると甘酒と豆腐田楽が参拝者に振る舞われる。
 ■南古谷地区
       ⇒南田島、牛子、木野目、並木、今泉、久下戸、渋井、萱沼(かいぬま)、古市場
南田島280 氷川神社 4/14頃の土日 屋台1台 平成8年復活。隔年の曳きまわし。
7/14 獅子舞3頭飾付け 子供神輿休止
南田島=明治初期の作。四ッ車、唐破風の屋根、廻り舞台。
牛子111 牛子稲荷神社 7/14頃の土日 神輿借りていた 終戦後しばらくは新河岸川の船問屋の大島屋の倉庫にあった神輿を借りて担いだ。
10/15 お日待ち 以前は幟旗を立てていた
木野目1162 木野目稲荷神社 7/2日曜 天王様 子供神輿
10/15 お日待ち 木野目の鎮守
並木新町5 氷川神社 屋台1台 特別な時に出す。明治3年制作。
7/14頃の土日 天王様 子供神輿
獅子舞3頭保存
今泉505 神明神社 7/14頃の土日 天王様 子供神輿
参加者は戦前は子供主催で小学1年〜高等科2年の男子。戦後は子供主催で小学1年〜中学2年の男子。昭和56年からは育成会主催で小学1年〜6年の男女である。
久下戸2785 氷川神社 7/14頃の土日 天王様 子供神輿
獅子舞3頭飾付け
久下戸は上と下に分けられる。上久下戸は中側、北側、太子、八反目の4つ。下久下戸は飯塚、前山、宮本、中組の4つの計8つの村組から氏子会の理事を出す。
また天王様も上久下戸と下久下戸で別々に行われる。
上久下戸=中側、太子、八反目の子供が子供神輿を担いだ。北側のは行くが子供は参加しない。昭和60年頃より子供神輿は出なくなり、集会所に置かれていたが、石井松雄氏が引取り、千波稲荷の隣りに祠を建て、天狗の面や幣束と共に納めた。それからは7/14に石井氏が1人で神輿と幣束を軽トラックに乗せて上久下戸を廻っている。
石井氏によると、この神輿は明治23年生まれの石井氏の父親や山崎一郎氏の祖父たちが製作したらしい。
下久下戸=子供神輿は平成13年復活。育成会主催。
渋井1333 稲荷神社 7/14(天王様) 子供神輿 交通事情と少子化のため、昭和55年頃より休止。
獅子舞3頭飾付け
10/17(お日待ち) 獅子舞3頭飾付け
萱沼 稲荷神社 10/15 お日待ち
萱沼 神明神社 7/14頃の土日
(天王様)
子供神輿
萱沼は昭和42年に独立するまでは渋井の一部で、渋井新田萱沼と呼ばれていた。萱沼は堤防西側の1、2班(旧家)は稲荷神社氏子。3〜13班(戦前は1戸のみで新興地)は神明神社氏子である。
古市場2 古市場氷川神社 7/14頃の土日
(天王様)
子供神輿
 ■高階地区
     ⇒砂、砂新田、扇河岸(おうぎがし)、上新河岸、下新河岸、寺尾、藤間
砂640 砂氷川神社 7/14 天王様
砂新田140 砂新田春日神社 10/3土日 山車1台
二重鉾の四ツ車、唐破風付きの囃子台で廻り舞台。大工等は不詳。制作時期は明治末期説と昭和26年説がある。
人形は「比売ノ神」。岩槻の光本の作。
下新河岸55 下新河岸日枝神社
寺尾641 寺尾日枝神社 10/15 囃子連
藤間346−1 諏訪神社  7/27 屋台2台 大人、子供
8/27 例祭
屋台=四ッ車、廻り舞台。明治末期〜大正初期の制作。地元の大工の作。
子供屋台=平成5年頃の作。
 ■福原地区
      ⇒今福、中福、砂久保、上松原、下松原、下赤坂
今福673 菅原神社(天王様) 10/15 例祭 氏子は今福の字北野
7/15頃の土日 天王様
今福1121 平野神社(天王様) 7/15頃の土日 神輿(大小) 氏子は今福の字平野
屋台1台
土曜:午後に神輿を菅原神社の蔵から出して平野神社に飾り、神主が神事する。
日曜:朝に平野神社を神輿が出発し、原、下、上の順に氏地を廻る。
今福=四ッ車、屋台型。江戸期の作?大工等は不詳。
今福2728 八雲神社 8/1 屋台1台 氏子は今福の字中台
明治10年以降の作。昭和30年、改造で舵をつけた。
中福2 稲荷神社
砂久保66 砂久保稲荷神社
下赤坂200 八幡神社 9/15 神楽
 ■大東地区
      ⇒大袋、大袋新田、藤倉、山城、増形、大塚新田、南大塚、豊田本(とよたほん)、豊田新田、池辺
大袋258 白髭神社 7/14 天王様
10/15 お日待ち 獅子舞3頭飾付け
大袋の獅子舞=7/14の天王様と10/15のお日待ちに飾られる。
獅子舞は昭和30年頃までは白髭神社境内で舞われていたが、現在は隣接する大袋集会所の軒先に黒塗りの大獅子、朱塗りの女獅子、黄土色の中獅子の3頭の獅子頭を飾るのみになっている。
かし野台1−13(大袋新田) 大袋新田氷川神社
藤倉197 天神社
増形228 白山神社
大塚1丁目26−17(大塚新田) 窪稲荷神社 屋台1台
二重鉾の四ツ車、唐破風付きの囃子台。明治28年(22年、38年説もあり)制作。人形は「源頼朝」。大塚新田の宮沢敬次郎の作。
南大塚19 菅原神社 1/成人の日の前の日曜 南大塚の餅つき踊り
南大塚の餅つき踊り=県指定無形民俗文化財。元々は11月15日、裕福な家の帯解き祝い(七五三)に呼ばれて搗いたという。
 まずお隣の西福寺(南大塚23)で踊りながら餅を搗く。その後、臼を引きずりながら餅を搗く「引き擦り餅」をしながら菅原神社境内へ行て、再び餅つき踊りとお餅の奉納が行われる。
むさし野=10/3土日、昭和50年頃に地元有志で屋台制作。
寿町1−2303 白山神社
豊田本1212 白髭神社 10/3土日 屋台休止 最近出ていない
獅子舞3頭飾付け 往古のもあり。
池辺261−1 熊野神社
 ■霞ヶ関地区
       ⇒的場、笠幡、安比奈新田(あいなしんでん)
的場529 若宮八幡神社 10/15 獅子舞が出た 的場村上組の鎮守
的場では法城寺より、八坂神社の天王さま(4/15)と八幡神社のオヒマチ(10/15)に獅子が3頭出て神社境内で獅子舞を舞ったが、大正期か昭和初年より中断している。獅子舞のあごの裏に「明治廿四初秋 三躰塗替 塗工川越南町在住田中 」とある。
また練習用の獅子頭もあり。
的場1206 厳島神社 的場村中組の鎮守
的場1874 的場八坂神社 的場村下組の鎮守
笠幡282 鏡神社
笠幡1280 尾崎神社
笠幡1689 三島日光神社 10/連休(元・9) 獅子舞3頭飾付け
笠幡3686 白髭神社
笠幡4431 箱根神社 7/15 天王様 八坂神社例祭
的場1874 八坂神社 4/15 例祭 獅子舞が出た
安比奈新田23 八幡神社 3/10 例祭
 ■名細(なぎわし)地区
      ⇒鯨井、上戸、小堤、下小坂、平塚、平塚新田、吉田、天沼新田、下広谷、竹野
鯨井26 春日神社 1/9 犬竹の一升講
犬竹の一升講=市指定無形民俗文化財。春日神社の氏子宿で行われる神事で、ご飯をいっぱい食べて無病息災を依願する。
鯨井1840 八坂神社 7/15頃の日曜 天王祭 鯨井の万作
上戸316−1 日枝神社 10/19頃の日曜 獅子頭3頭
小堤287 八幡神社 8/15 例祭
小堤785 白山神社
下小坂1002 白髭神社 7/15直前の日曜 獅子頭3頭
下小坂の獅子舞=市指定無形民俗文化財。起源には2説ある。1つは寛政年間(1789〜1801)永命寺住職十世真海和尚の夢枕に「武州入間川宿(現・狭山市)の獅子頭を招いて祈祷すれば夏ごとに流行する悪疫を退散できる」というお告げがあった。 そこで村あげて獅子頭の新調にとりかかったという説。
 もう1つは永命寺住職俊乗時代の元禄3年(1690)の薬師堂建立の時に始まったという説である。

獅子は大獅子・女獅子・中獅子の三等で、仲立に先導され、その他花笠四人・棒使い二人など、全て男子によって演じられる。「トロヒャリホ」と呼ばれる女獅子隠しの曲目や小唄もあり、最後に獅子が走りぬけた後、千秋楽の歌を歌いながら、関係者が境内を一回り回って終了する。
平塚96 天満天神社 7/25頃の日曜 獅子舞3頭飾付け
平塚新田12 氷川神社
平塚新田18 氷川神社
吉田192 白髭神社 10/15頃の日曜 獅子舞3頭飾付け
下広谷128 諏訪神社 草相撲廃絶 広谷の相撲という草相撲が戦前まで行われた。
下広谷1155 白山神社
 ■山田地区
      ⇒石田、志垂、上寺山、中寺山、下寺山、福田、網代、宿粒、向小久保、府川
       ※志垂(しだれ)、網代(あじろ)、宿粒(しゅくりゅう)、向小久保(むかいおくぼ)、中寺山、下寺山などの地名は山田や寺山などに変更され消滅しており、行政地名としては使わ       れていない。
石田783 藤宮神社 4/初旬 山車1台 展示と居囃子 
獅子舞
石田=二重鉾の四ツ車、唐破風付きの囃子台で廻り舞台。大工等は不詳。
明治30年代(20年説もあり)制作。川越祭りでは三久保町で曳かれる。
人形は3代目。昭和24年に源 頼光になる。人形師は磯貝勝之。当初は猿田彦の人形。

囃子は芝金崎流で石田囃子連。
菅間=山車は新宿に売却。
山田225−1 赤城神社 7/24頃の日曜 獅子舞 氏子は福田、志垂(南山田)、網代(北山田)、宿粒(南山田)、向小久保(石原町)
山田字宮下町340 山田八幡神社公式HPへ 9/1日曜 子供神輿 午前:子供神輿渡御。午後:奉納演芸、最後はビンゴ大会。
山田郷10ヶ村の鎮守として崇敬を集めたきたものの、各村が鎮守社を勧請したため、江戸期には府川村と志垂村2ヶ村の鎮守となった。
石田783 藤宮神社 7/14
10/14
獅子頭3頭 天明乙巳年(1785)より前より始まる。
上寺山498−3 八咫神社 7/2日曜(元・14) まんぐり 15:00〜
10/3土曜 獅子頭3頭
まんぐり=天王祭りの一つで、ボンテンと呼ばれる藁の束を担ぎながら町内を巡り、最後に入間川にボンテンを立て悪魔祓いを行う。
獅子舞=大獅子・女獅子・中獅子の三頭の獅子を山の神が先導する。これらは男子が、ささらっこは女子が演じる。
曲目は、竿掛りを含み、「仲立ちの舞」、「十二切の舞」などがあり、途中誉め言葉がかかるのも特徴。
 
 【消滅集落】
握津(あくつ)=古谷上の字で荒川左岸のさいたま市西区側にあり、川越市の飛地のようになっていて、川に橋は架かっておらず直接の行き来は出来ない。
昭和の初め頃までは渡し舟の船着き場などもあり、およそ70世帯があった。
しかし堤防が内陸部に築かれて以降、昭和5、6年に20〜30戸が強制移転。それ以降、平成15年までに26世帯が自費で移転。
しかし平成11年の水害で全18世帯が床上浸水した事をきっかけに、平成16年には国から移転補償予算が出るようになったため、
握津地区は平成18年(2006)3月31日に全戸が移転し、無人となった。

 ★展示場     
 【川越まつり会館】
川越市元町2丁目1番地10。 049−225−2727。
(4月〜9月)9:30〜18:30[入館は18時まで]
(10月〜3月)9:30〜17:30[入館は17時まで] 
休館日:毎月第2、第4水曜(祝日の場合、その翌日が休館日)。入場料:300円。
 常時展示2台と毎年交代の山車2台=1台は川越市の山車。もう1台は交替で展示。

川越市の山車=平成2年(1990)に丸広百貨店が建造。同14年、川越市に寄贈。人形は猩々。二重鉾の四ツ車。

建造中の山車=平成14年、今福の宇津木百さんの寄贈。これは百さんの亡くなられた御主人の清蔵氏がが元・川越市囃子連合会会長なされ御自身で山車制作したものである。