≪県央地方≫

           上尾市、桶川市、北本市、鴻巣市、北足立郡伊奈町
 

住所  神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪上尾市≫
      上尾:上尾宿、上尾村、上尾下、柏座、春日谷津、谷津
      平方:平方(上宿・下宿・南・新田)、上野、上野本郷、平方領領家、西貝塚
      原市:原市、瓦葺
      大石:弁財、浅間台(旧・沖ノ上)、中妻、井戸木、領家、藤波、小泉、中分、畔吉、小敷谷
      上平:上、久保、西門前、南、須ヶ谷、菅谷、平塚、
      大谷:大谷本郷、地頭方、壱丁目、今泉、向山、堤崎、中新井、戸崎、西宮下、川
宮本1−14 氷川鍬神社 7/14頃の土日(元・15) 山車2台 仲町、本町
屋台1台 愛宕
神輿4基 上町・宮本町・仲町・愛宕
仲町=明治30年代製作。昭和60年修復。  
 【上尾夏祭り】
氷川鍬神社の例大祭として上町・宮本町・仲町・愛宕の4町内による祇園祭が起源。
7/15に行われていたが、現在は、7/14に近い土・日曜日に市民祭りとして行われる。
連合神輿渡は8町会の神輿(谷津、柏座、愛宕、仲町、宮本、上町、二ツ宮、本町)が出る。
上尾村875 氷川神社 7/14 例祭
柏座2丁目14−2 春日神社 7/14 神輿 大小
氏地は柏座、春日、谷津、富士見
平方2124 橘神社 7/15 神輿
氷川社と称して平方村の鎮守社として祀られ、明治40年に平方地内の稲荷・神明の二社(共に無格社)と上野の村社神明社、西貝塚の村社稲荷社、上野本郷の村社稲荷社、平方領領家の村社氷川社、上野の村社神明社を合祀し、社号を橘神社と改めた。
平方488 八枝神社 7/連休 平方祇園祭のどろいんきょ行事
平方祇園祭のどろいんきょ行事=県指定無形民俗文化財。
 以前は平方の上宿・下宿・南・新田の4地区合同の夏祭りとして行ってきたが、現在は平方上宿で行われる夏祭り。。
 この祭りでは、神輿のほか、いんきょ神輿と呼ばれる装飾のない白木の神輿が町内を渡御する。上宿の各班で出す神酒所を廻る形で神輿の渡御は行われます。この神酒所の中の5か所で「どろいんきょ」が行われます。
 神酒所となる家の庭には、あらかじめ水を撒いておき、この土の上でいんきょ神輿を転がすことを「どろいんきょ」と呼んでいる。どろいんきょの最中には、さらにいんきょ神輿を転がす若い衆に対して水を浴びせることもあり、いんきょ神輿も転がす若い衆も泥だらけになる。
 祭りでは、13時にお山出しといって八枝神社を出発。その後、各班の神酒所を廻り、お山納めといって八枝神社に戻る。この間にどろいんきょが行われます。また、どろいんきょの最中には、いんきょ神輿を荒川に入れたり、いんきょ神輿を山車にするなどの行事が行われます。いんきょ神輿を立て、2本の担ぎ棒を足とし、これに太縄をかけ山車のように曳く。この山車の上には、歴史上の人物とか物語の作中人物に扮装した2人が乗る。

原市1520 原市氷川神社 4/4 例祭
7/14 神輿
山車2台、屋台3台 休止中
 【原市山車彫刻五基・案内板】(上尾市教育委員会)によると、
 『原市の旧上新町・上町・中町・下町・下新町(現、一・二・三・四・五区)の各町内にりっぱな彫刻をもった山車がそろっている。
五基ともに、江戸時代の末期から明治時代の中ごろの作と見られ、手の込んだ透かし彫りはみごとである。
二区の山車彫刻はやや違うが、他の四つの区のものは、非常に似ており、同人の作であると思われる。伝承としては、市内の旧大谷本郷村地区の大工山田弥吉こと浅右衛門の作と言われ、その親類宅に現在も残っている山車彫刻の下絵が、三区の山車彫刻のものであることが確認されたので、同人作と断定することができる。
山田弥吉は、鴻巣市勝願寺向拝・川越市蓮馨寺水舎にも彫刻を残しており、原市の山車彫刻に最も近似したものは、同じく市の文化財に指定されている「向山不動堂の彫刻」である。すべて明治十年代の作でり、後に東京に移っているので、これら原市の山車彫刻も同時代のものと見てよかろう。』とある。
 山車蔵は
1区(上新町)⇒原市一区公民館
2区(上町)⇒氷川神社境内
3区(中町)⇒原市三区公民館。
4区(下町)⇒佐四郎稲荷神社境内(原市中1-5)。
5区(下新町)⇒日枝神社境内(原市3705−1)。
原市 原市神明神社 9/20 例祭 6区の鎮守
瓦葺1035 氷川神社 7/14 夏祭り
9/10 例祭 上瓦葺の鎮守
瓦葺2282(原市9区自治会館併設) 瓦葺稲荷神社 3月初午 例祭 下瓦葺の鎮守?
浅間台2丁目27−5 浅間台氷川神社 7/1日曜(元・14) 神輿(大小) 沖之上、中妻、井戸木、町屋の鎮守
10/14 例祭 お日待ち
藤波1丁目282−1 天神氷川八幡合社 10/1日曜(元・9/25) ささら獅子舞
藤波のささら獅子舞=市指定無形民俗文化財。寛文7年(1667)から伝わっているものといわれる。
前日には、キッソロイといって天神社の社前で獅子舞を上演。祭り当日は午後1時ごろから密厳院で「四切」を舞い、ここから天神社まで獅子舞の一行は行列を作って移動。この際には舞は行われないが、笛や太鼓などは演奏しながら進む。
天神社には13時半ごろに到着し「十二切」を舞う。その後、2回目には「十二切」を17時ごろ、3回目には20時ごろに「八切」を舞う。
※現在、密厳院での獅子舞は隔年。
 藤波のささら獅子舞は笛10数人・雌獅子1人・中獅子1人・大獅子1人・宰領1人・歌4人・拍子木1人・花笠4人・法螺貝1人・万灯4人・高張提灯4人・金棒引き2人ほかより成る。
小泉443 八合神社 7/14 神輿
屋台 獅子
明治40年に大石村の内の小泉・中分・井戸木・中妻・沖之上・弁財・小敷谷・領家の八大字に点在していた三九社(境内社を入れると六四社)を小泉の村社氷川社に合祀し、八合神社と号したと云われる。
畔吉835 畔吉諏訪神社 4/1日曜 万作踊り
10/15頃 ささら獅子舞
畔吉のささら獅子舞=市指定無形民俗文化財。
前夜祭(宵祭り)にも獅子舞を舞う。例祭日は、諏訪神社に参拝し、獅子舞の一行は行列を成して9時半頃から徳星寺に向って出発。10時半頃、徳星寺に到着して獅子舞を奉納し、休憩後、諏訪神社に向う。2回目の獅子舞は諏訪神社で15時頃、3回目は19時頃に舞う。
 獅子は、牝獅子1人、中獅子1人、王獅子1人の合計3人で舞う。牝獅子の腰の後に女獅子は赤色、中獅子は黄色、王獅子は紫色の御幣を挿す。
行列は先頭に若頭1人、拍子木1人、ダシと呼ばれる万灯・幟4基、貝吹1人、金棒2人、花笠4人、笛20人ほど、牝獅子、中獅子、王獅子、歌10人ほどである。
上454 氷川神社 7/14 例祭 氏地は上、久保、西門前、須ヶ谷、菅谷
平塚1514 中平塚氷川神社 7/14 神輿 獅子
大谷本郷803 熊野八雲神社
地頭方113 氷川神社 7/14 神幸祭
壱丁目346−3 愛宕神社 7/14 山車
今泉148 氷川神社 7/14 神輿
屋台
向山3−2−6 神明神社 7/14 神幸祭
堤崎329 愛宕神社(天王様) 7/14頃の日曜(西暦偶数年) 神輿
山車1台
中新井65 八雲神社 7/15頃の日曜 山車焼失 昭和28年焼失。
戸崎983 氷川神社 7/14 神輿
西宮下1−225 天神社 7/14 神輿
川2−3−1 神明神社 7/14 例祭

 ≪桶川市≫
     桶川町:桶川宿、神明(旧・大谷領町谷)、上日出谷、下日出谷
     加納:加納、坂田、篠津、五町台、舎人新田、小針領家、倉田
     川田谷:上川田谷、下川田谷、樋話
本町(寿2−14−23)  桶川稲荷神社
(境内社八雲神社)
7/15、16(毎年) 屋台3台 本街、栄町、八雲会
町神輿5基 本街、栄町、八雲会、相生会、下日出谷
元文3年(1738)、中山道の往還にあった市神様(後に稲荷社に合祀)の前で行われた祭りから始まったと伝えられている。
山車が曳かれていたが、大正3年に電線が張りめぐされ曳けなくなり屋台に改造された。
本街(武州桶川宿本街保存会)=昭和3年(1928)制作。以前の山車の屋根には天照大神が飾られていた。囃子は神田囃子木下流。

栄町
(栄町祇園祭実行委員会)=人形の台座の内側に明治25年6月に新調して山車の屋根上に安置したと記録あり。
大正12年に屋根から関羽の人形を下ろして修復した。またこの時に残った部材は神輿に使われた。

八雲会
(八雲祭典委員会=立花町+緑町+住吉町+富士見町))
=大正9年(1920)建造か?。当時は神武天皇の人形を屋根に載せ廻り舞台だった。

昭和62年(1987)修復で廻り舞台は固定した。
本街(武州桶川宿本街保存会)=昭和32年(1957)町会役員により制作。平成13年に修復。
 以前は毎年樽みこしを製作。

栄町
(栄町祇園祭実行委員会)=6代目。昭和53年制作。栃木県の小川正次の作。

八雲会
(八雲祭典委員会)=昭和62年(1987)山車修復時に新調。
 先代は江戸末期の建造。

相生会(相生祭典保存会)=昭和53年7月制作。
 昭和50年頃までは樽みこしを担いだ。


下日出谷
下日出谷保存会)=昭和61年、栃木県の小川正次の作。
 先代もあり。
神明1−1−33 諏訪雷電社 4/15 例祭
上日出谷13 氷川神社 7/14頃の日曜 神輿
加納771 氷川天満神社 7/14、15 神輿
坂田983 坂田氷川神社 4/3 例祭
7/14、15 ささら獅子舞
篠津58 多気比売神社 3/15 例祭 式内社
小針領家762 氷川諏訪神社 4/1日曜 ささら獅子舞 13:00〜
9/敬老の日 ささら獅子舞
小針ささら獅子舞北埼玉郡種足村(現騎西町)より伝わり、土俵が修場という珍しいささら獅子舞。
倉田881 氷川神社 7/14、15 神輿
川田谷1329(三田原) 三田原八幡神社 10/14頃の日曜 ささら獅子舞 万作
川田谷2082 氷川神社 10/15 ささら獅子舞
川田谷3137 地神神社 7/15 例祭
川田谷348 熊野神社 7/15 例祭
川田谷6710 諏訪神社 7/15 例祭
川田谷215 樋詰氷川神社 10/15 例祭 樋詰村の鎮守

 ≪北本市≫
     中丸:東間、北本宿、北中丸、深井、山中、古市場、常光別所、花ノ木
     石戸:下石戸上、下石戸下、石戸宿、高尾、荒井
173 八雲神社(天王様) 11/3 屋台3台 2丁目、3丁目、4丁目
東間1−6 浅間神社 7/1 例祭
本宿2−7 本宿天神社 7/24、25 獅子舞
氏地は北本1〜4丁目・本宿1〜4丁目、7〜8丁目・中央1〜4丁目・緑1〜2丁目・中丸1丁目・北本宿の一部。
中丸3−91 中丸氷川神社 4/10 例祭
7/15 祇園祭
宮内4−135 宮内氷川神社 10/15 例祭 氏地は深井、古市場、常光別所、花ノ木
高尾4丁目107 北袋神社 4/25 例祭 氏子は旧・北袋地区。
現・高尾3丁目の一部・4丁目
 【団地祭】
北本団地の団地祭は7月に行われ、昼間はスイカ割りや団地一周スタンプラリー、山車、子どもみこしなどがある。この他フリーマーケットも出店。
 夜には夜店、盆踊り、福引などがある。
石戸6丁目79 氷川神社 9/2 例祭 氏子は旧・下石戸上地区。
現・石戸1〜9丁目、ニッ家、本町
石戸8丁目8(石戸上手) 八雲神社 7/15前の土日 屋台1台 氏子は旧・下石戸下地区。
現・石戸1〜9丁目。
石戸宿3−43 石戸神社
石戸宿6−64 天神社 10/2日曜(元・15) 屋台1台
獅子舞
高尾7丁目31 高尾氷川神社公式HPへ 7/18 神輿 獅子、巫女舞
荒井1丁目353 須賀神社 7/14、15 神輿 獅子
屋台1台
氏子は旧・荒井地区。現・荒井1〜6丁目、石戸1〜4丁目の一部。
※旧市3台、郊外4台。市民祭り(11/3)に2、3台出る
 【北本まつり】
11/1土日だが、「宵まつり」はJR北本駅西口の西中央通り線を会場に行われる。
北本太鼓の合図で、流し踊り、ヨサコイ・ソーラン、各種パフォーマンス等の演技が披露されるとともに、地域コミュニティ委員会、各種団体からねぶた24基(平成19年)や山車が練り歩く。
 ◎北本の囃子連
別所囃子連=昭和55年、20年ぶりの復活。

北原囃子連=昭和51年復活。戦時中に途絶える。日出谷の人から伝授。

原組囃子保存会=昭和55年、原組囃子連を改称して復活。明治6年、神田囃子と神楽を習得したのが始まり。

北本宿囃子連=昭和46年、保存会結成。明治16年頃に桶川市上日出谷の人から神田囃子・木ノ下流(その中の松山流I)を伝授。
 獅子舞は大正7年、川越の丸一大神楽師より伝授された。

上手囃子保存会=明治初期に上日出谷の人から木ノ下流新囃子を習得。

荒井囃子保存会=江戸後期から伝わる地囃子と大正8年に習得した神田囃子の木ノ下流を伝える。

北中丸囃子連=明治初期に祇園囃子があったが、明治20年代に上尾市西門前の神楽師から杉山流の囃子を習得。

北本四丁目囃子連=昭和50年代に子供会から夏祭りに太鼓を叩きたいと要望を受け、上手囃子保存会より教えを受けた。昭和57年結成。神田囃子木ノ下流。

         ※以上 2021年現在、北本市郷土芸能保存団体連合会加盟
 【北本市郷土芸能大会】
2月中旬、北本市文化センターホールで行われる。入場無料。
北本市で活動する団体による郷土芸能が披露される。
令和5年で24回を数える。主催は北本市郷土芸能保存団体連合会、北本市教育委員会。

 ≪鴻巣市≫ 
  平成17年(2005)10/1、鴻巣市+北足立郡吹上町+北埼玉郡川里町が合併。
 ◎旧・鴻巣市
       鴻巣町:鴻巣宿、上生出塚、下生出塚
       箕田:箕田、寺谷、八幡田、市ノ縄、川面、三ッ木、中井
       田間宮:糠田、宮前、登戸、北中野、大間
       馬室:滝馬室、原馬室
       笠原:笠原、郷地、安養寺
       常光:常光、上谷、下谷、西中曽根
本宮町1−9 鴻神社
公式HPへ
7/15頃の金土日 神輿12基
10/中旬 屋台6台 人形町、富永町、本一町、元市町、宮本町
リ−ス 仲町
 ≪山車廃絶≫
昭和初期に電線架設で引っかかるので群馬県渋川町に売却された。その後屋台に変更。
山車は本一町、相生町(現・本町6,7丁目)、宮本町(現・本町3丁目)、中町(現・本町3、4丁目)、雷電の各町内に山車があった。
富永町、本一町=詳細不詳。
元市町
=安政4年(1857)、江戸日本橋より船で御成河岸へ運ばれてきた。昭和9年に改修、そのときに子供神輿も作る。

宮本町=詳細不詳。
相生町=昭和8年の作。
雷電町=大正期の作。
人形4−1−18 八幡神社 7/2日曜 神輿 大小
神輿=文政年間に京都の作と伝えられる。
天神1−6−14 生出塚神社 7/2日曜 神輿 大小
平成7年鎌倉市で制作。滑ロ正創業家の寄贈。子供神輿は平成4年、群馬県前橋市で制作。
 【鴻巣夏まつり】
鴻神社夏まつりをメインに近隣も合わせ7/15頃の金土日に中山道を中心に繰り広げられる。
神輿は大小25基が出る。特に歩行者天国となる日曜は、中山道の加美町⇔人形町が歩行者天国(14:30〜21:00)となり、15:00より12基の神輿が練り歩く。
箕田2041 氷川八幡神社 7/15 神輿
氏地は仲宿、下町、八幡田、寺谷、市ノ縄
愛の町169(三ッ木637) 三ッ木神社 4/3 例祭
7/20、21 神輿
鎌塚220 八幡神社 7/3日曜(元・15) 例祭
糠田1342 糠田氷川神社 7/3日曜(元・15) 神輿
宮前79 宮登神社
大間2−11−26 大野神社
滝馬室1151 須賀神社(天王様) 7/2土日 神輿 大小
囃子屋台 仲町と吉見町下銀谷にも貸し出す
原馬室806 野宮神社 7/2土日 例祭
原馬室2825 愛宕神社 7/2土日 例祭
小松1丁目10−18(原馬室4556) 小松原神社 7/21頃 例祭
「埼玉の神社」によると『古くは小松原村と称する一つの村であったが、後に原馬室村の枝郷となり、更に明治4年に原馬室村に合併してその大字になった。この小松原の地内には、上・中・下の三つの組があり、上では愛宕社、中では稲荷社、下では別の稲荷社と、各々組ごとに鎮守とする神社を祀ってきた。
こうした状況は長い間変わらなかったが、「境内編入願」によれば、明治2年の地租改正の際、政府の達しに従い、中組の稲荷社に上組の愛宕社と下組の稲荷社を合祀し、社名を小松原神社と改称の上、小松原村の村社としたという。明治4年に小松原と原馬室の両村が合併した後も、旧小松原村の人々は小松原神社を鎮守として祀り続けていた』。
笠原1755 久伊豆神社 7/2土日 例祭
郷地351 久伊豆社 7/2土日 例祭
安養寺126 境内社日枝神社 7/2土日 例祭
八幡神社 9/14 例祭
常光933 常光神社 4/3頃
常光933 常光厳島神社 川辺耕地地区の鎮守
上谷2258 上谷氷川神社 4/15 例祭
下谷484 下谷氷川神社 7/14 例祭 氏地は下谷、西中曽根
 ◎旧・北足立郡吹上町
吹上本町4−14 吹上神社 7/23頃の土日 神輿2基 上組、下組
囃子屋台 天王様の太鼓
山車2台 上組、下組
上組(吹上本町3〜5丁目、南、吹上富士見1、4丁目)と下組(吹上本町1,2丁目、筑波、吹上富士見2,3丁目、吹上)に分けている。
北新宿920 山神社 7/23頃の土日 神輿   
屋台  
下忍3146 愛宕神社 屋台廃絶   
昭和28年4/17に下忍区親和会が新調入魂式行う。制作費は89、500円。しかしながら平成14年4月に町より依頼を受けた解体業者が行田バイパス近所の敷地に放置。それを見た山車マニアの有志が交渉し10/24に引き取る。
袋248 袋神社
榎戸1−1 伊奈利神社
大芦1031 氷川神社
明用123 三島神社
前砂656 氷川神社
小谷1505 日枝神社 10/15頃の日曜日 獅子舞
享保年間、荒川に秩父の方から獅子頭 が流れてきたという。宝勝寺、金東寺でも舞われる。
 ◎旧・北埼玉郡川里町
        広田:広田、赤城(あかぎ)、北根
        屈巣(くす):屈巣
        共和:新井、境(さかい)、上会下(かみえげ)、関新田
広田3814 鷺栖神社 10/15 例祭
赤城714 赤城神社 10/15 屋台廃絶 社殿に車輪が残っている
北根1282 久伊豆神社 10/24 例祭 15日にササラが行われる
屈巣2312 久伊豆神社
新井248 稲荷神社(天王様) 7/27 子供みこし
上会下420 八坂神社(天王様) 7/15 神輿
関新田443 稲荷神社(天王様) 7/14 神輿(大小)
境97 天神社(天王様) 7/15 神輿
 【鴻巣の神輿】
鴻巣市には神輿が16基、子供神輿を含めると38基あると云われている。

 ≪北足立郡≫
 ◎伊奈町
      小室:小室宿、別所、山田、丸山、小貝戸、柄山、中荻、柴
      小針:小針新宿、小針内宿、大針、羽貫
本町2−155 氷川神社 8/下旬 例祭 小室郷八か村(別所、小室宿、本、柄、柴、小貝戸、中萩、丸山)の総鎮守
羽貫192 小針神社 7/14頃の日曜 例祭 羽貫、小針内宿
旧小針村(羽貫・小針内宿・小針新宿・大針)の鎮守として、域内の33社を合祀、羽貫の八幡神社の地に、大針の氷川社本殿を移して明治41年に成立。
 【志久公民館】
伊奈町小室6006。伊奈町に唯一残る花車(だし)と神輿が保管されている。
開帳は特別な機会に限られ、通常は見学できない。

神輿=明治16年(1883)制作。 加藤権九郎が発起人となり、当時の北足立郡堤崎村(現上尾市)の棟梁吉澤初五郎と大谷本郷村の彫師山田弥吉に依頼して制造された大型の神輿。神輿の内部の木札に制造者の名前が残っている。
昭和56年(1981)修理
最近では平成28年(2016)の夏祭りで、20数年ぶりに神輿の町内巡行が実現した。

山車=明治29年(1896)制作。
 【伊奈祭り】
8月下旬土曜、伊奈町町制施行記念公園(羽貫)で15:00〜21:00に行われるイベント。
囃子連、民謡、寄せ太鼓、盆踊り、YOSAKOIソーラン、細田山子供神輿、花火大会などが行われる。