≪児玉地方≫

             本庄市、児玉郡(美里町、上里町、神川町)

住所  神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪本庄市≫
  平成18年(2006)1/10、本庄市+児玉郡児玉町が合併。
 ◎旧・本庄市
       本庄:本庄町
       藤田:鵜森、傍示堂、牧西、小和瀬、滝瀬、宮戸
       仁手:仁手、上仁手、下仁手、久々宇(くぐう)、田中
       旭:都島、小島、沼和田、山王堂、新井、杉山、下野堂
       北泉:北堀、東五十子、西五十子、東富田、西富田、四方田、栗崎
       共和:今井、共栄
千代田3丁目2−3
(宮本町)
 
金讚神社 11/2、3 神輿
江戸型山車10台 宮本町、上町、仲町、諏訪町、南本町、照若町、本町、泉町、七軒町、台町
供車1台 宮本町
 ≪行事予定≫
◎11月2日
(午後)山車の自由運行
◎11月3日
(12:10〜)神幸祭・山車出発
(15:30〜)駅前通り巡行
(1900〜)山車勢揃い〔はにぽんプラザ〕
宮本町=山車蔵は神社境内。
明治15年(1882)制作。人形は「日本武尊」。人形師は原舟月。長さ3.46m(梶棒除く)。幅3.05m。高さ5.8m。
制作費は1、032円50銭。
 平成4〜5年に修復する。山車本体は秩父の坂本社寺設計。漆塗りは東松山の松田隆幸。彫金は浅草の土屋金属工芸。彫刻は古守万夫。彩色は黒沢善政。同時に囃子座前幕の復元新調。桐生の彦部織物、奈良部機拵所、岡村機拵所の作。
 さらに平成14年に二重、三重幕を復元新調。
鬼板は「龍」。懸魚は「鳳凰」。柱巻きは「龍」。勾欄腰板は「麒麟」。
上段三味線胴は「龍」。上段三味線胴四隅は「雲紋」。
下段三味線胴は「鳳凰」。下段三味線胴四隅は「雲紋」。
 四方幕は「緋羅紗に雲龍の刺繍」。後幕は「羅紗地に錦の幔幕・鳥兜・雅楽の大太鼓の刺繍」。水引幕は「瑞雲の錦の幕に三つ葉葵の刺繍」。
 人形衣装は平成27年、川島織物の作。

 往古は「諸井家文書」によると、明治5年は獅子の曳物、底抜け屋台、荷茶屋を出している。
 曳物は江戸にならい、1年限り、長くても3年程度くらいで造り替えたと思われる。
 最後の曳物は、山車新調に伴い上里町三軒へ9円50銭で売却された。
 また道祖神山鉾もあった。底抜け屋台を練り歩いた明治5年から山車を購入した明治15年まであった。
形は今となっては分らないが、車輪は今も残り、三軒より寄贈を受け市教育委員会が保有している。
上町=明治35年(1902)制作。2代目。制作費は750円。長さ2.97m。幅1.96m。高さ5.7m。
囃子台:唐破風屋根・床上高欄月。
人形座:二重枠組・せり出し式。
車:四つ車(前輪馬車式)。
 平成8年、鰹ャ西美術工芸社で修復。
人形は「神功皇后」。山車請負と人形師は浅草の横山友治郎(号は朝之)。
町名額は群馬県境町出身の貴族院議員、金井之恭の揮毫。
鬼板:「雲に龍」。
懸魚:「雲に虎」。
柱巻きは「龍」。勾欄腰板は「波に亀」。
三味線胴:上段は「雲に鳳凰」、上段四隅は「雲紋」、下段は「桐」。
 四方幕は「緋羅紗に波紋の刺繍」、後幕・水引幕は「金襴の錦幕」。

 往古は「諸井家文書」によると、明治5年は菊童子の人形を飾った屋台とある。
 先代は明治32年、泉町より三輪の山車を購入したと云われるが不詳。
仲町=明治5年(1872)制作。本庄市最古の山車。
人形は「神功皇后」。人形師は浅草の横山友治郎。原舟月。明治25年、山車改造と人形新調。「神武天皇」。山車新調時は「龍女人形」。で70円で下取り。
彫師は明治25年の改造時に佐藤熊吉。昭和11年の追加時は小林栄吉。
幅2.09m。高さ6.15m。
 平成8年、人形衣装を叶島織物。平成15年、山車本体を秩父の轄r木社寺設計で修復。

鬼板は「牡丹に親唐獅子」。懸魚は「牡丹に子唐獅子」。
内破風は「雲に鶴」。軒支輪は「波に千鳥」。
柱巻きは「龍」。花頭窓周囲は「雲に松」。
上段三味線胴は「雲に鶴」。上段三味線胴四隅は「雲紋」。
下段三味線胴は「雲に龍」。下段三味線胴四隅は「雲紋」。
勾欄腰板:側面は「波に亀」、後面は「竹に虎」。
 四方幕は「羅紗地に四神の刺繍」。後幕は「緑羅紗に菊・桐・神器の刺繍」。水引幕は「紫地に雲紋と三ッ巴の刺繍」。
諏訪町=平成5年(1993)創建。10/24入魂式。大工は高崎の高久森一(日光兼光)。制作費は2、500万円。幅2.25m。高さ5.7m。
人形は「太田道灌」。人形師は纏屋義郎。
鬼板は「龍」。懸魚は「飛龍」。
桁隠しは「牡丹」。柱巻きは「龍」。台輪は「波に亀」。
三味線胴:上段は「雲に鶴」、上段四隅は「雲紋」、
下段鉾台欄間は「雲に鶴」。
 四方幕は「緋羅紗に富士山の刺繍」。後幕は「波に日の出と鶴の刺繍」。水引幕は「金襴の錦幕」。
南本町=平成3年(1991)制作。大工は高崎の高久森一(日光兼光)。幅1.85m。高さ4.6m。
人形は「連獅子」。本庄市の堀越義郎の作。
鬼板は「龍」。懸魚は「松に鷹」。
桁隠しは「松に雀」。柱巻きは「龍」。台輪は「波に千鳥」。
上段三味線胴は「牡丹に鳳凰」。上段三味線胴四隅は「雲紋」。
下段鉾台欄間:前は「松に鷹」。
 四方幕は「緋羅紗」。後幕は「緑羅紗に花車の刺繍」。水引幕は「金襴の錦幕」。

 南本町は昭和55年に、本町のJR南側が独立した新しい町会だが、昭和30年代から駅南側区域の親睦図るため、「駅南会」を組織した。
昭和48年に本町山車の供車として、自動車の車台を利用して地元の人の手作りで創建。
当時は本町駅南と称した。人形は「天鈿女命」。
照若町=明治33年(1900)制作。浅草の浪速屋七郎兵衛の作。制作費は963円31銭1厘。長さ2.97m。幅2m。高さ5.8m。
人形は「桃太郎」。米福作と伝えられるが、創建時は別の桃太郎だったらしい。
昭和12年、大改造で囃子台上部に唐破風造りの屋根が付けられた。
 平成6年、山車本体・漆・彫金 等を轄r木社寺設計で修復。
 平成18年、人形衣装を修復。
 平成29年、三十幕復元新調。叶島織物の作。

鬼板は「牡丹に雉」。懸魚は「犬と猿」。
内破風は「瑞雲」。軒支輪は「赤鬼・青鬼と宝物」。
上段三味線胴は「龍虎」。上段三味線胴四隅は「雲紋」。
下段三味線胴は「牡丹に唐獅子」。下段三味線胴四隅は「波に菊」。
 四方幕は「緋羅紗に照を円形に刺繍」。後幕は「緑羅紗に波と岩の刺繍」。

 往古は「諸井家文書」によると、明治5年は諌鼓鶏の手持ち万度を出したとある。
本町⇒山車蔵は本町会館隣接(本庄2丁目3)。
=明治28年(1895)制作。幅2.19m。高さ5.81m。
 昭和9年、大改造。不要になった旧部材は台町へ譲られる。
 平成10年、山車本体・漆・彫金 等を修復。社寺建築戸部による。

 人形は「石橋」。昭和3年作で人形師は浅草浪速屋(庄田七郎兵衛)。
人形は明治28年までは「関羽」。続いての人形は「翁」。
平成16年、人形装束完成。
装束は山口能装束研究所(山口憲)、白頭は竹川繁一、人形頭・手足修理は人形の島久(田島祐幸)、人形骨組は社寺建築戸部、人形胴は丸橋舜・新井武夫。
 彫師は玉井村(熊谷市)の小林栄吉・義夫親子。
鬼板は「龍」。懸魚は「竹に虎」。
内破風は「鶴」。柱巻きは「龍」。
上段三味線胴は「鶴」。上段三味線胴四隅は「雲紋」。
下段三味線胴は「鶴」。下段三味線胴四隅は「雲紋」。
勾欄腰板は「牡丹に唐獅子」。
 四方幕は「緋羅紗に松と鶴の刺繍」。後幕は「青地羅紗に牡丹の刺繍」。水引幕は「金襴の錦の幕」。

 往古は「諸井家文書」によると、明治5年は御備一重三宝台の曳物と荷茶屋を出したとある。
 初代山車は明治10年代創建。関羽の人形が乗る江戸鉾台型山車と云われている。
泉町=明治28年制作。本体、人形とも浅草の横山友治郎の作。人形は「武内宿禰」。長さ3.05m。幅1.95m。高さ5.3m。
 平成4年改修。請負いは彫師の日光兼光。
 平成21年、衣装を復元新調。叶島織物の作。

囃子台欄間は「波に千鳥」。勾欄腰板は「虎」。

上段三味線胴は「波に亀」。上段三味線胴四隅は「雲紋」。
下段三味線胴は「龍」。下段三味線胴四隅は「万字崩し」。
四方幕は「緋羅紗の瑞雲と飛鶴の刺繍」。後幕は「緑羅紗に牡丹に唐獅子の刺繍」。水引幕は「金襴の錦の幕」。

 往古は「諸井家文書」によると、明治5年は手持ち万度「花万度」を出していた。
 初代山車は明治10年頃制作と思われる。三輪の山車で明治32年に上町へ譲られたと伝えられる。
七軒町=大正13年(1924)制作。町内の大工の作。幅2m。高さ4.15m。
昭和35年、改修して二重鉾になる。
平成11年、山車本体修復。社寺建築戸部。漆は斎藤漆。
人形は「加藤清正」。昭和8年、米福久の作。以前はその都度、米福久より借りた。
鬼板は「龍」。懸魚は「波に龍」。
柱巻きは「雲に龍」。
上段三味線胴は「鳳凰」。上段三味線胴四隅は「雲紋」。
下段三味線胴は「鳳凰」。下段三味線胴四隅は「雲紋」。
 後幕は昭和56年の作。「羅紗地に竹と虎」。以前のは焼失。水引幕は「金襴の錦幕」。

 往古は「諸井家文書」によると、明治5年は蛸に釣鐘の曳物とある。
 初代は大正12年頃まで曳かれた。2代目山車新調に伴い、どこかに売却された、形式等は不詳。
台町⇒山車蔵は東台3丁目2−28。
明治18年(1885)制作。人形は「素盞鳴尊」。人形師は浪速屋七郎兵衛。幅2.1m。高さ5.38m。
昭和9年に本町の山車が改造され旧部材(唐破風造りの屋根、前柱、勾欄腰板 等)を頂き囃子台上部に屋根を敷設し改造した。
平成13年、山車本体・漆・彫金 等を(有)社寺建築戸部。

鬼板は「雲に龍」。懸魚は「雲に鶴」。
内破風は「瑞雲を極彩色に描く」。柱巻きは「龍」。勾欄腰板は「波に亀」。
上段三味線胴は「四神」。上段三味線胴四隅は「雲紋」。
下段三味線胴は「龍」。下段三味線胴四隅は「波紋」。
 四方幕は「緋羅紗に波と龍の刺繍」。後幕は「緑羅紗に波と岩・酒壺の刺繍」。水引幕は「金襴の錦の幕」。


往古は「諸井家文書」によると、明治5年は曳物と荷茶屋を出したとある。
宮本町=宮本町は面積が広く、JR高崎線で南北に分断されている。
北側が旧町のことや、簡単には線路を横断することが出来ないので、線路の南側の巡行は、あまり行われなかった。
そこで線路南の自治会が独自に「宮本町線南」という供車を建造して、小回りが利くことを利用して、線路南の細い道でも巡行するようになったが、南側の自治会だけでは運用しきれなくなり、宮本町に寄贈した。当初は、供車として質素な飾付けだったが、平成8年、明治初期よりあった獅子の曳物にちなみ、屋根上に一対の獅子頭(雌雄)を置いている。
 【廃絶】
本庄三交街=手作り屋台。人形はなかった。囃子はテープレコーダー。昭和45年は曳かれていたが、活躍年数は短かった。
 ◎神輿
本町=市指定有形民俗文化財。墨書きには「細工人 大坂北御堂筋宮屋九郎兵衛 明和四丁亥都市十一月」とあり、明和5年(1768)より担がれたと分る。
台町(本庄3−7−11) 八坂神社 7/15頃の土日 町みこし、企業みこし 22基(2006)
獅子舞 台町
 ≪神輿≫
宮本町、上町、仲町、諏訪町、南本町、照若町、本町、泉町、七軒町、朝日町、小島南、宮本南友の会、登勇會(男女)、西富田みこし愛好会、末広町、真下建設梶A叶轤ミろ 
台町獅子舞=寛文3年(1663)に本庄宿に市場が開かれた際に神社に奉納したことが始まり。
鵜森248 浅間神社 7/25 八坂祭
10/17 例祭
傍示堂427 稲荷神社
牧西557 八幡大神社 10/15 例祭
小和瀬1 稲荷神社 10/19 例祭
滝瀬1218

滝瀬神社

宮戸107 八幡大神社 10/15 例祭
仁手353 仁手諏訪神社 獅子舞
上仁手212 諏訪神社 11/3 例祭
久々宇172 稲荷神社
田中134 一之神社
都島235 角折神社
都島236 八郎神社
小島179 智方神社
小島4丁目4−14 諏訪神社
小島5丁目4−33 唐鈴神社
沼和田926 飯玉神社
山王堂228 日枝神社
新井2 稲荷神社
下野堂1丁目21−2 二柱神社
北堀1602 北堀飯玉神社 10月 例祭
東五十子10

若電神社

西五十子647 大寄諏訪神社 10/19 例祭
東富田301 熊野十二社神社 10月 例祭
西富田 金鑚神社 10/19 神楽 杉田組

四方田288

金佐奈神社 4/4 神楽 杉田組
栗崎152 金鑚神社
今井1124 金鑚神社 獅子舞

 ◎旧・児玉郡児玉町
          児玉:児玉、八幡山
          金屋:金屋、高柳、長沖、飯倉、塩谷、宮内、保木野、田端
          秋平:秋山、小平
          元泉:河内、太駄(おおだ)、元田(げんだ)、稲沢
          共和:共栄、蛭川、高関、入浅見、下浅見、上真下、下真下、吉田林(きばやし)
児玉町児玉198 境内社八坂神社 7/中旬 宮神輿 町神輿9基
児玉八幡神社 11/3 山車3台 上町、仲町、本町
屋台1台 新町
廃絶 長浜町、鍛冶町、連雀町、下町
八坂祭こだま夏祭り=明治期に宮神輿を各町内で「早くよこせ」「まだまだ」とやり合いながら順番に担いでいたのが由来という。
現在は宮神輿と基青会、新誠会、昭和会、仲正会、新和会、連誠会、八千代会、誠交会、三島愛宕会の9基の町神輿(けんかみこし)が出る。
上町=児玉型山車。明治30年代制作。二代目。昭和49年、修復。幅3、2m。高さ5、7m。
大工は不詳だが、本町と同一人物と云われる。
人形は昭和40年代後半まで出していたが、焚火にした?。
前鬼板は「素盞鳴尊と櫛稲田姫」。後鬼板は「牡丹に孔雀」。
前懸魚は「金龍」。後懸魚は「牡丹に孔雀」。
前内破風は「天の岩戸開き」。後内破風は「日本神話人物」。
軒支輪は「鶴」。腰支輪は「牡丹に唐獅子」。
屋根上支輪:上段と下段は「雲に龍」、中段は「雲に鳳凰」。
腰組下段勾欄幕板は「十二支」。
腰組物付は「牡丹に唐獅子」。

 創建は不詳だが、山車蔵に弘化4年(1847)と墨書きされた道具箱があることから、江戸末期にはあったと分かる。
仲町⇒山車蔵は昭和37年(1962)新築。仲町の木村建設鰍フ施工。
=明治27年(1894)2月制作。二代目。現存する最古の児玉型山車と云われる。
長さ3、7m。幅2、9m。高さは曳行時は5、3m、鉾台迫上がり時は7、04m、総高さは8、44m。
大工は藤井作次郎(花園町小前田)。彫師は佐藤熊吉。塗師は本庄の鈴木桂次郎。金具師は熊谷の天野亜之助。
車輪は平成16年(2004)新調。寄居町の(有)社寺建築戸部(戸部征三)の作。
人形は明治28年(1895)10/3調製。請負は浅草区茅町の浪速屋七郎兵衛。人形師は東賢翁寿山。「神功皇后」。代金は293円17銭。
前鬼板は「素盞鳴尊と櫛稲田姫」。後鬼板は「越後獅子」。
前懸魚は「金龍」。後懸魚は「越後獅子」。
前内破風は「波に龍」。後内破風は「松に尾長鶏」。
軒支輪は「波に龍」。
腰支輪:上段は「波に千鳥」、下段前面は「竹に虎」、下段後面は「波に亀」、下段側面は「牡丹に唐獅子」。
屋根上支輪は「桐に鳳凰」。
腰組上勾欄幕板:「波に宝珠」。
鉾台支輪:「雲に龍」。

四方幕・掛房は明治35年(1902)9/7調製。三井呉服店(日本橋三越)の作。
水引幕は明治28年(1895)10/3調製。縫師は東京・神田区白壁町の田中嘉七。
見送り幕(後幕)は昭和47年(1972)10月復元新調。仲町・山市屋本店の作。支払金240万円。「臙脂のビロード地に注連縄を縫取刺繍」。
 見送り幕は破損を繰り返し、戦後秋祭りが復活してからは20数年紅白幕が掛けられていた。
腰幕は昭和47年(1972)10月新調。木綿地に藍染。波に千鳥の紋様と「仲街」の文字染め抜き。

 初代は江戸期後半から始まったと思われる。
本町⇒山車蔵は昭和53年、修復時に新築。
=児玉型山車。明治33年(1900)5/6制作。二代目。幅3、45m。高さ5、8m。
大工は不詳だが、上町と同一人物と云われる。
車輪は昭和29年2/23に修理。鍛冶屋の青地茂による。
人形は元々無かった。
前鬼板は「鞍馬山」。後鬼板は「松に鷹」。
前懸魚は「雲に烏天狗」。後懸魚は「松に猿猴」。
前内破風は「波」。後内破風は「波」。
軒支輪は「雲に鶴」。腰支輪は「波に千鳥」。
後幕は「緋羅紗に波と松の刺繍」。水引幕は「金襴」。丹頂堂の作。

 明治24年8/15創建。大工は児玉の丸山又八。彫師は小前田の人。制作費は259円69銭。
新町明治32年(1899)制作。二代目。懸魚に明治20年8月15日新調と記されているので、20年には出来ていたと思われる。彫師は熊谷の佐藤熊吉 他。車輪は児玉の江原清次。長さ5、365m。幅2、54m。高さ5、8m。
平成元年修復。大工は大野 悦男。
前鬼板は「三韓征伐」。後鬼板は「雲に龍」。
前懸魚は「雲に乗る仙人と唐子」。後懸魚は「波に龍」。
前内破風は「松に七福人」。後内破風は「牡丹に花車と唐子」。
欄間は「牡丹に孔雀」。
腰支輪は「波と鯉」。軒支輪は「波濤に翔龍」。
 水引幕は明治26年9月新調。
 見送り幕は明治28年、東京・日本橋本町の増見屋の作。縫師は藤本。画工は月耕。羅紗地で「弁慶 牛若五条大橋の出会い」。当地では「弁慶の幕」と称されている。昭和58年修復。
 明治10年代に創建と云われる。 
仲町子供花車=山車蔵の中二階に解体保存。高欄が紛失している。
明治32年(1899)6/3制作。
長浜町…山車は大正初期に廃絶。

鍛冶町
…屋台は大正4年頃に群馬県藤岡市大戸町に売却し廃絶。

連雀町…2代目の山車は明治30年代に制作。大正後期に群馬県鬼石町上町に売却されるが現存せず。

下町
…屋台は明治30年代に創建したと思われる。大正期に諸般の事情で競売。
 【各町その他のイベント】※平成21年度
長浜町=18時より長浜町会館前でカラオケ芸能大会。
連雀町=17時より連雀町会館前でカラオケ大会。
児玉だんべえ愛好会=17時より長浜町・鍛治町通りでだんべえ踊り。
 ※平成20年は行ったが21年はしなかった。
新町=17時よりあら町商店街通りでよさこいソーラン。
児玉町八幡山336−2 種池神社 山車廃絶 かつてあったらしい
八幡山=山車を明治期制作。大正期に売却して消防ポンプ購入。
児玉町金屋1164 白鬚神社 7/15 子供神輿3基
児玉町高柳138 三嶋愛宕神社 7/14 子供樽神輿
児玉町高柳267−1 富士浅間神社
児玉町長沖331−1 飯玉神社 10/15 例祭
児玉町飯倉836 住吉神社 7/15 子供神輿
児玉町塩谷599 諏訪神社
児玉町宮内1010 若宮神社 “雨乞い神事” 屋台 最近は平成6年に出た
児玉町保木野314 御霊稲荷神社
児玉町田端312 十二神社(天王様) 7/15 子供神輿
児玉町秋山2813−2 天神社 7/14 神輿
児玉町小平1 石神神社 10/17 獅子舞 東小平が奉納
児玉町小平1578 日本神社 4/3 万作、獅子舞 西小平は万作、東小平は獅子舞
7/15 子供神輿
小平の獅子舞=元禄12年(1699)に皆野町に伝わった獅子頭を成身院覚桑上人が譲り受け小平に持ち帰ったことが始まりと云われている。疫病の厄払いと雨乞い祈願で舞われていたが、現在は春は日本神社、秋は石神神社に奉納。
児玉町河内25−1 金讚神社 10/15 例祭
児玉町太駄293−1 岩上神社 4/15頃の日曜 太駄神楽
太駄神楽=正式名は金鑚神社神代神楽太駄組。金鑚神楽は古くから金鑚神社に伝来したものとされ、宝暦年間(1751〜1764)に児玉地域にいた神楽師が入間郡勝呂郷の住吉神社に伝わる神楽の伝授を受け、金鑚に伝わるものと合わせて完成させたものとされている。
児玉町稲沢360 稲聚神社 10/15 例祭
児玉町蛭川214 駒形神社
児玉町入浅見899 金讚神社 10/14 例祭
児玉町下浅見879 八坂神社 7/15 例祭
八幡神社 10/15 例祭
児玉町上真下186 金讚神社 10/15 例祭
児玉町下真下149 金佐奈神社 10/15 例祭
児玉町吉田林925 日枝神社 7/15 子供神輿
4/10&10/15頃の日曜 獅子舞
吉田林の獅子舞=文政9年(1826)頃に始まり、疫病の厄払いと雨乞い祈願で舞われていたが、現在は例祭に奉納。ぼんぜん1人、花笠2人、舞人3人、笛吹10人の計16人より成る。。獅子頭は桐の彫物で、牡獅子は角2本、雌獅子は角1本。

 ≪児玉郡≫ 
 美里町
 ■松久地区
      ⇒広木、駒衣、中里、古郡、甘粕、木部
広木1 八坂神社 7/最終日曜 屋台1台 飾りつけのみ 
広木=明治27年、同地内の常福寺に来ていた宮大工が村の木を使って制作した。日清戦争奉祝のため。
前鬼板:「素盞鳴尊八岐大蛇退治」。後鬼板:「源頼政の鵺退治」。
前懸魚は「波に飛龍」。後懸魚は「波に龍」。
前内破風は「雲に麒麟」。後内破風は「竹に虎」。
欄間は「牡丹に唐獅子」。軒支輪は「雲に龍」。
水引幕・腰幕はあるが、後幕・下げ幕は現存していない。
 先代は“瓜小屋屋台”と云われる江戸期後期作の簡単な屋台。
駒衣595 稲荷神社 屋台1台 休止中
世良田型屋台。江戸後期作で昭和53年に飾り置きしたのが最後で、以後屋台蔵に解体保存
中里8 雷電神社 10/15 例祭
古郡257 北向神社 7/25 祇園祭
甘粕634甲 甘粕神社
木部549 松久神社 10/15 例祭
 ■大沢地区
      ⇒白石、猪俣、円良田(つぶらだ)
白石353 西大沢神社 7/25 祇園祭
明治42年に旧・湯本村の春日神社(中居明神社)、大仏村の羽黒権現社、円良田村の山王神社を当社に合祀し酉大沢神社とした。
猪俣63 東大沢神社 10/15 例祭
猪俣2145 二柱神社 4/15 例祭
 ■東児玉地区
     ⇒阿那志、根木、沼上、関、北十条、南十条、小茂田、下児玉
阿那志1663 河輪神社 4/25 例祭
根木337 勝丸稲荷神社 7/25 祇園祭
沼上1 北向神社 10/19 例祭
関374 児玉神社 10/15 獅子舞 享保年間、相模の国の人が伝えた
関1947 浅間神社 4/13 例祭
北十条695 北十条北向神社
南十条549 初玉稲荷神社
小茂田5 北向神社 10/15 例祭
下児玉322 金讚神社 10/19 例祭

 上里町
     七本木:七本木、嘉美、三町、堤
     神保原:神保原、石神、忍保、八町河原
     長幡:藤木戸、帯刀、五明、長浜、大御堂
     賀美:勅使河原、金久保、黛、毘沙吐(びしゃど)
七本木3237 七本木神社 7/15頃の日曜(天王様) 獅子舞
10/19
嘉美610 嘉美神社 7/3日曜 子供神輿 昭和59年開始
10/19 神事
三町720 諏訪神社 10/19 獅子舞
貞享2年(1685)銘の獅子頭がある。
堤1204 熊野神社 10/19 子供神輿
神保原町965 石神社 11/2、3 屋台1台 休止中
日露戦争の戦勝記念に曳行したのが最後で、現在は石神社境内に常時飾り置きしている。
山車廃絶=2丁目、3・4丁目,5丁目、東町。昭和初期に4年程曳行されたものの現存していない。
忍保225 今城青坂稲美池上神社 10/17 神楽休止
 かつて忍保の神楽と呼ばれる神楽の一座があり、当社の祭礼のみならず、近郷各地の神社の祭りへも出向いたものであったが、後継者不足から昭和60年代に入り途絶えてしまった。
八町河原2268 稲荷神社 7/15 八坂祭
11/3 例祭
藤木戸138 諏訪神社
帯刀235 菅原神社
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3/25 例祭
10/19 例祭
大正期までは春祭りに獅子舞を奉納しており、その名残で昭和15年頃まで春祭りには社頭に獅子頭を飾っていた。
五明871 天神社 10/19 神楽中断
長浜494(長浜久保) 皇大神社 10/19 例祭
長浜1294 丹生神社 10/19 例祭
長浜1370 長幡部神社 10/19 例祭
長浜3217(長浜上郷) 皇大神社 8/14 納涼祭 カラオケ大会・盆踊り
10/19 例祭
大御堂736 浅間神社
大御堂1131 三嶋神社
勅使河原1368 丹生神社 7月 獅子舞
黛1 境内社八坂神社 7/15頃の日曜 天王様 神幸祭
黛神社 10/19 例祭
天王様は昭和10年代までは暴れ神輿だったが、現在は境内社の八坂神社の祭典終了後に子供育成会主催の子供神輿が天狗を先頭に村内を回る。
金久保1511 金窪神社 10/15頃の日曜 獅子舞 金窪神社獅子舞保存会
獅子舞の起源は不詳であるが、古くから行われており、元亀3年(1572)に金窪城主斉藤定盛の娘の満寿姫が上野国へ嫁いだ際には、獅子舞の一行が輿入れの先導を務めたという。
 【消滅集落】
毘沙吐(びしゃど)
=かつて60戸ほどあったが、弘化3年(1846)の大洪水により村のほとんどが流失し、対岸の新町へ移転。

 ■神川町
   平成18年(2006)1/1、神川町+神泉村が合併。
 ◎旧・神川町
 ■丹荘地区
      ⇒植竹、元阿保、原新田、八日市、関口、肥土、貫井、小浜、四軒在家
植竹602 植竹日枝神社 10/19 例祭
元阿保1 阿保神社 10/19 例祭
八日市527 熊野神社 4/中旬・10/中旬 獅子舞 町指定民俗文化財
関口1115 今城青坂稲実池上神社 10/19 例祭
肥土380 廣野大神社 3/19 例祭
小浜640 小松神社 7/15 天王祭り
四軒在家134 日枝神社

 

 ■青柳地区
      ⇒二ノ宮(旧・萩平)、新宿、池田、中新里、新里
二ノ宮1 伊勢大神社
二ノ宮750 金讚神社 4/15 例祭
新宿284 八幡神社 7/15 新宿祭
池田849 守神神社 10/中旬 獅子舞 町指定民俗文化財
池田の獅子舞=阿久津流といって高崎市山名の近くの阿久津から伝授されたといわれている。秋祭に地区内各所で舞った後、守神神社に奉納される。
中新里48 御霊神社 4/15&10/19 例祭
新里2079 白岩神社 10/19 秋祭り
 ◎旧・神泉村
       若泉:渡瀬、上阿久原、下阿久原
       矢納:矢納(元・秩父郡)
渡瀬737 木宮神社 4/中旬・10/中旬 獅子舞 町指定民俗文化財
渡瀬の獅子舞=稲荷流といって藤岡市の大塚から伝授され、流行病があった時に、厄払いとして松山稲荷に獅子舞を奉納したのが始まりと伝えられている。春祭と秋祭に地区内各所で舞った後、木宮神社に奉納されるが、八坂神社の例祭(7月下旬)にも奉納される。
上阿久原1−1 丹生神社 10/15(毎年) 住居野の獅子舞 町指定民俗文化財
住居野の獅子舞=天下一角平流。10月15日の秋祭に鎮守の住居野丹生神社に五穀豊穣や厄除けを願って奉納される。
文化2年(1805)に獅子や文書が焼失したという記録がある。そこで再度彫るが明治14年12月の火災にあい、明治19年、再々彫刻をする。
下阿久原1369 四阿山神社
下阿久原34 有氏神社 11/19(毎年) 盤台行事 埼玉県指定無形文化財
毎年11/19、10時から神事を行い、その後白はちまき白ふんどし姿の氏子達が大きな盤台に盛られた赤飯を参拝者に投げつける。投げられた赤飯が体に当たると厄災を免れると伝えられているため、毎年安産や子孫繁栄を祈願する参拝者で賑わう。
矢納1273 城峯神社 5/5 例祭
 【神流湖(下久保ダム)】
下久保ダムは昭和34年(1959)4月1日、工事を開始し、43年(1968)11月13日竣工。神流湖が誕生した。
ダム建設に伴って群馬県(鬼石町・万場町)296世帯と埼玉県(神泉村・吉田町)68世帯が水没した。