埼 玉 県

 【秩父地方】
  
  秩父郡横瀬町・長瀞町・皆野町・小鹿野町・東秩父村

住所 神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪秩父郡≫     
 横瀬町
     横瀬
     芦ヶ久保
横瀬3306−2(宇根) 八坂神社 4/1日曜 笠鉾2台 宇根上組、宇根下組 
宇根上組&宇根下組=明治32年(1899)頃に同時に制作。昭和12年頃に電線架設により高さ6尺ほど短縮。短縮以前の真柱は東林寺に保管。創建は江戸末期。現・笠鉾完成につき秩父市東町に売却。
中郷 八坂神社 旧・6/15 笠鉾(大小) 休止中
創建は明治初年で高さ10m以上あり、関東大震災までは毎年曳かれた。その後電線架設のため昭和12年に高さを縮小して昭和12年に曳いたのみ。
 子供笠鉾も同時に制作するが、今は笠3枚と反木等が残っているのみ。
芦ヶ久保135−2
(森下)
八坂神社 7/21 笠鉾1台 森下  
笠鉾廃絶 大畑
森下=天保11年(1840)頃より曳行。第二次世界大戦までは毎年曳行されていたが、戦後は昭和20年代数度の曳行。横瀬町活性化センターに展示されているが、8/16の納涼大会に不定期で出すこともある。大体5年に1度くらいと云われている
大畑=天保年間創建。第二次世界大戦までは毎年曳行されていたが、戦後はほとんど曳かれず昭和32年が最後の曳行。笠鉾蔵に収納されていたが、西武鉄道秩父線建設工事のためこの蔵が壊された。部品は大きな部品は焼却され、各家に分散保管されたが、永く続いたため部材が不足し、やがて芦ヶ久保総合資料館に展示の際は“大畑笠鉾の土台部分を利用し復元展示となる
芦ヶ久保 白鬚神社&竜源寺 8/16 獅子舞
宝暦2年(1752)、竜源寺の僧侶で越後から来た者が当地の 村越五左衛門と共におこした。
苅米 天王様 笠鉾廃絶  
江戸末期〜明治初期創建。大正7年頃まで曳行。電線架設のため大正10年頃まで和田河原を曳行。その後曳行も飾り置きも行われず、法長寺の本堂床下と蔵に収納されていたが、昭和34年8月の台風で蔵が壊れ中にあった部品は寺で処分されてしまった。本堂床下に収納されている反木周辺部から比較的小型だったと思われる。また芦ヶ久保綜合資料館の笠鉾は刈米笠鉾の笠鉾部分を利用している。

 長瀞町
    野上:本野上、中野上、長瀞(旧・藤谷淵)
    樋口:野上下郷、矢那瀬
    白鳥:岩田、井戸、金尾、風布
本野上1114 武野上神社 4/1頃の日曜
10/1頃の日曜
休止 戦後は一度も出手いない
獅子舞休止
昭和3年(1928)11月昭和天皇御大典の写真が残っているが、この写真から歌舞伎屋台と思われる。
獅子舞=享保9年(1724)、氏神造営の宮大工が三頭の獅子頭を自作し提供して舞を伝授したと云われる。
長瀞1828 八坂神社 7/20 神輿
笠鉾1台     

寶登山神社

4/3 例祭 神楽、獅子舞
八坂大祭(お祇園)=7月20日開催。長瀞駅前にお仮屋(神様の仮のお宮)が建てられ祭典が行われる。
17時、神輿・笠鉾が、秩父屋台囃子とともに長瀞・上長瀞の6区のお仮屋を巡る。
神輿は、小学生4〜6年生用、中学生用、大人神輿、女性樽神輿がある。
笠鉾=昭和11年(1936)、秩父市中町より土台部分を購入して改修完成。但し軽トラックベース。明治20年(1887)頃の制作。
野上下郷467 諏訪神社 3/17頃の日曜 春祭り 小坂の鎮守
10/17頃の日曜 秋祭り
野上下郷1218 瀧野神社 3/15頃の日曜 岩田神楽 瀧上の鎮守
10/15頃の日曜 秋祭り

野上下郷2046

下野上神社 7/15頃の日曜 春祭り 宮沢の鎮守
11/15頃の日曜 秋祭り
野上下郷2866 天満天神社 2/25頃の日曜 春祭り 辻の鎮守
11/25頃の日曜 秋祭り
野上下郷3282 八坂神社 7/15頃の日曜 天王様 杉郷の鎮守
石上神社 3/15頃の日曜 春祭り
10/15頃の日曜 秋祭り
矢那瀬566 八幡神社 3/15頃の日曜 春祭り 下郷の鎮守
10/15頃の日曜 秋祭り
矢那瀬1380 簗瀬神社 3/15頃の日曜 春祭り 上郷の鎮守
10/15頃の日曜 秋祭り
岩田1881

白鳥神社

井戸225 岩根神社 4/17 例祭
井戸1222 春日神社
白鳥 “ふるさと夏祭り” /最終土曜 笠鉾1台     
 【ふるさと夏祭り】
7/最終土曜開催「白鳥睦会」+長瀞げんきプラザの共催。
白鳥睦会(井戸・風布地区の囃子サークル)=平成3年に手作り神輿を作り、続いて平成7年(1995)に笠鉾を作った。

 皆野町
    皆野町、金沢、国神、日野沢、三沢
皆野238(大浜) 八坂神社 7/4土曜 神輿
屋台1台     
皆野椋神社公式HPへ 10/8 神楽
親鼻=昭和10年(1935)に秩父市番場町より150円で購入。大正中期に完成。金具に「は」の字が残っている。
鬼板は「雲に鶴」。懸魚は「雲・波に亀」。内破風は「波」。腰支輪は「波に龍」。

 初代は荷車を土台にし、その上に太鼓を載せ、簡単な飾りを付けたもの。
皆野椋神社神楽=秩父神社系の神楽で、明治14年蒔田神楽から習ったものと云われる。
皆野根岸の稲荷社に起こり、明治40年椋神社に合祀されてからも、神楽は旧稲荷社氏子の父子相伝で、諸道具も耕地持ちのまま椋神社祭礼に奉納され、昭和35年頃椋神社に寄付された。
金崎108−1 八坂神社 7/18 屋台1台
金崎神社 10/1日曜 獅子舞
昭和30年代制作。簡易屋台だが、車輪は創建時の物である。
 先代は明治初期創建。三層の本格笠鉾だった。大正期の電線架設により黒漆塗り屋台に改造。戦後、収納先の長興寺の土蔵崩壊により処分される。
金崎神社獅子舞=曲目は、かつて31庭だったが、現在は17庭。子供ざさら4庭、お神楽、うねり、大狂い、三つ巴、花掛り、幣掛り、弓掛り、笹掛り、友ぐるい、剣掛り、四本立(女獅子隠)、花狂い、竿掛りがある。
獅子頭は、塗獅子で、男獅子は黒と白の鳥羽根に鹿角を立て、女獅子は白と茶の鳥羽根、頭頂に宝珠を置く。
国神709 国神神社 7/20 笠鉾1台 休止中 
10/連休 獅子舞  
笠鉾は江戸期に作られるが、明治末に老朽化で廃絶。昭和27年に下蒔田から購入するが、警察の道路許可が難しくなり昭和38年最後に神輿渡御と笠鉾が休止。昭和62年よりトラック飾り付け囃子をしている。
国神神社獅子舞=国神と金崎は、かつて金崎村と言う1つの村で、上郷と下郷に分れていた。獅子舞も上郷組と下郷組に分れていたが、元々一体のもので、共に金崎神社に奉仕していた。金崎神社獅子舞の項に記した曲目の内、花狂いと竿掛りは組ざさらといい、上下双方の組から舞人を出して奉納しました。笹掛りは下郷の、四本立は上郷の代表的曲目だった。
日野沢 八坂神社 7/20 笠鉾
日野沢=明治31年(1898)頃制作。昭和2年の電線架設まで曳かれた。その後は一層花笠に短縮して昭和50年代に1回曳いただけ
 先代(初代)は明治中期(明治30年以前)に秩父上蒔田より購入。明治31年頃、新調に伴い吉田町明ヶ平に売却。
八坂神社 7/20、21 屋台1台 4代目 
=昭和53年(1978)に約1600万円かけて完成。土台は下郷時代のまま使われている。
鬼板:前後とも「鬼瓦」。
前懸魚は「牡丹に唐獅子」、後懸魚は「雲に飛龍」。
前内破風は「温公の甕割り」。後内破風は「唐子遊び」。
欄間:前後は「雲に麒麟」、左右は「雲に鳳凰」。
前立隠右は「織姫」、左は「仙人」。
両妻立隠右は「雲に昇龍」、左は「雲に降龍」。
後立隠右は「鶴と黄鶴仙人」、左は「蟇仙人」。

 初代は明治30年頃に秩父下郷より寛政7年(1795)作の笠鉾を購入。
 二代目は大正中期の電線架設により初代笠鉾に屋根を付設して改造した。

 三代目は昭和初期の作。屋根は現在も保存。
国神709 琴平神社 7/20 笠鉾廃絶  
国神神社
昭和27年4月に秩父市下蒔田より購入。昭和36年まで曳かれた土台の一部が神社の神楽殿にあり、他は教育委員会で保管。創建は江戸後期。明治末期に壊れて曳行不能となる。
大淵82 境内社八坂神社 笠鉾廃絶  
熊野神社
江戸末期創建。三層花笠だったが、明治期に売却。子供花笠もあった。
上日野沢 門平大山神社 10/14、15 獅子舞
上日野沢 日野沢大神社 10/14 獅子舞
門平獅子舞=日野沢大神社奥社(元門平耕地の鎮守大山神社)の祭礼に舞われる。神ザサラと庭ザサラに分かれ、神ザサラは15歳未満の男子が舞うのが慣例で、奥社から始めて集落の中、数か所の神社を巡拝して1庭ずつを奉納する。庭ザサラは、奥社に戻って成人男子が舞います。花笠は、初潮前の娘が勤める習慣で、男女を問わず、この耕地に生まれ育った者は、獅子舞の役割を通過する。
上日野沢奈良尾 奈良尾秋葉神社 10/14 獅子舞
奈良尾獅子舞=かつて神の舞6座、庭の舞13座があったが、現在、神の舞は、神社境内で天王院、榛名山、お諏訪様、天神様の4庭を、庭の舞いは、公会堂の庭に注連を張って9庭を舞う。弊掛り、剣掛り、弓掛り、まり掛り、花回り、花狂い、二本立、友狂い、幕掛りで、幕掛りは奥義で師匠格が舞う。獅子頭は龍頭形式の貼り獅子で、毎年塗り替え、張り替えを行う。
下日野沢 諏訪神社 10/14 獅子舞休止
重木獅子舞現在は後継者不足で中止されている。神の舞1曲を神前に奉納し、公会堂前で庭ざさらを舞う。
神楽、うねり、花遊び、弊掛り、剣掛り、竿掛り、まり掛り、花掛り、天竺、花廻り、四本づくし、弊狂い、新ザサラの13曲。
三沢2842(上三沢) 三沢八幡大神社 9/3日曜 笠鉾1台 明治初期創建  
上大沢=明治初期創建。三層花笠。平成19年(2007)、76年ぶりに三層復元。
昭和28年まで曳行。その後昭和44年、曳行復活時、電線避けるため一層にして曳行復活。
三沢726(下三沢) 下三沢諏訪神社 10/7 獅子舞
下三沢諏訪神社獅子舞=曲目は、弊掛り、割ザサラ、奥ザサラ、花割り、竿掛り、四ツ替り、段づく、四句割り、下妻、瓢箪廻し、四庭寄せです。四句割り、下妻、瓢箪廻しを3役と言い、祭り最高潮の時に舞われ、最終の四庭寄せは、獅子2組、仲立ち2人の合わせて8人で舞う。祭礼の他、雨乞いのためにも舞われたと云われる。

 小鹿野町
  平成17年(2005)10/1、小鹿野町+両神村が合併。
 ◎旧・小鹿野町
       上小鹿野、下小鹿野、伊豆沢、長留、般若、三山、飯田、河原沢、藤倉、日尾
小鹿野88 小鹿神社 4/3金土
(元・13
屋台2台 上町、春日町
笠鉾2台 腰之根、新原
廃絶 中町、下町
上町⇒屋台蔵は小鹿野1823−1。
=江戸末の作。反木の長さ6、16m。幅2、45m。床の高さ、92m。高さ約6m。
 
平成4〜6年修復。秩父市山田の荒木社寺設計で修復。このときに屋台の両側に張り出す勾欄と勾欄台と、その下に付く乳隠を新調。
また漆塗替えは東松山市、錺金具の修理は浅草の業者で行なわれる。
水引幕は「鶴」。後幕は「花車を曳く唐子人形」。
昭和50年復元新調。
 ≪屋台本体≫
前鬼板は「仙人と龍」。後鬼板は「応婦人と侍女」。
懸魚(前後とも)は「波に龍」。
前内破風は「松に鶴」。後内破風は「波に亀」。
軒支輪は「雲に龍」。腰支輪は「波に飛龍」。
欄間は「菊に鶴」。
 ≪本芸座≫
鬼板は「龍」。
懸魚「雲に龍」。
内破風はは「雲に麒麟」。欄間は「雲に鳳凰」。
右立隠は「亀と桂父仙人」。左立隠は「鶴に王子喬仙人」。
蹴込は「波に亀」。
 ≪仮芸座≫
欄間は「波に龍」。蹴込は「波に海馬」。柱は「火炎龍」。


町内の「岩田家文書」によると明和5年(1768)には2基あったと記載あり。
春日町(明治5年、中町+下町の合併)⇒屋台蔵は小鹿野93−3。
=江戸期の作で明治5年(1872)2月改修。これは春日町合併時に改修したと伝わる。
上町屋台とほぼ同寸法。長さ6、52m。幅2、52m。高さ約6m。

彫物、漆塗り、飾り金具、幕は昭和54、55年に復元修理。
廻り舞台は平成11年に復元修理。
水引幕は緋羅紗地に「鳳凰」。
後幕は紺羅紗地に「猩々」。

 ≪屋台本体≫
鬼板(前後とも)は「龍」。懸魚(前後とも)は「龍」。
前内破風は「龍虎」。後内破風は「牡丹に孔雀」。
軒支輪は「雲に鶴」。欄間は「雲に鳳凰」。後唐破風は「龍」。
 ≪本芸座≫
鬼板は「仙人龍」。懸魚は「波に飛龍」。
内破風はは「桜に鶏」。欄間は「牡丹に孔雀」。
右立隠は「菫永」。左立隠は「舜」。
蹴込は「波に千鳥」。
 ≪仮芸座≫
懸魚は「波に亀」。欄間は「波に飛龍」。
右立隠は「雲・波に龍」。左立隠は「雲・波に龍」。
蹴込は「波に海馬」。
腰之根⇒小屋は小鹿野1432。
=明治11年(1878)創建。大工は荒木和泉。彫師は政吉。金具は天野卯之助。前年は両神村御霊笠鉾を借りて曳く。
建造当初は三層の笠をつけていたが、電線架設のため大正6年、二層に改修された。
電線高架の協力で平成10年に三層復元修理が完成し、80年ぶりに建造当初の姿に復元された。
車輪は平成20年(2008)、笠鉾が建造されて以来、131年振りに新調
反木の長さ5、1m。正面幅1、96m。床の高さ2、26m。総高約11m。
腰幕は「紺羅紗地に波濤と霊亀4頭」。

 往古は手踊り奉納。
新原(新井&原町)⇒小屋は小鹿野914−2。
=明治10年(1877)制作。大工は坂本安吾。彫師は小林栄次郎。金具は天野卯之助。塗師は塗者屋新左衛門。
電線が架設された大正6年頃に一層になるが、平成9年(1997)電線架設前の姿(三層)に復元。
反木の長さ4、95m。正面幅2m。床の高さ2、25m。総高約11m。
車輪は平成19年(2007)、笠鉾が建造されて以来、130年振りに新調。
腰幕は「唐獅子牡丹」。
 初代は江戸後期創建で新井地区から出していた。また明治4年に修復したと云われている。
中町=明治5年下町と合併し春日町となる。江戸後期にはあった。現在は屋根の箱棟につけた長さ2m程の龍の彫刻が残るのみ。

下町=明治5年下町と合併し春日町となる。江戸後期にはあった。明治3年に岩鼻県庁に出した「窺書」に記述がある。
小鹿野1833 八坂神社 7/21、22 笠鉾2台 上町一丁目、上町二丁目
曳太鼓 春日町
上町一丁目=昭和8年(1933)、秩父市東町(元・横瀬町宇根)より購入。

上町二丁目
=大正末期に東秩父村安戸より購入。平成15年波形せき台を付設。
 初代は明治中期に秩父市田村の井森より購入と云われているが?
春日町=昭和48年(1973)、浅草の業者より購入。
下小鹿野124(奈倉 妙見宮 10/1土曜 笠鉾廃絶  
奈倉女歌舞伎
奈倉=現存する芸座彫刻裏の墨書きに寛政4年(1792)9月に鹿沼から名工磯田山由雲を招いて芸座道具を新調したとある。しかし明治初期に部品の大部分が飯田に売却された。もし屋台が現存ならば最古の1台だったが。奈倉に残っているのは、破風付きの龍の彫刻2つ。芸座の唐破風と鬼板懸魚、車輪11個である。
 昭和60年頃、トラックベースの笠鉾造るが5年ほどで終わりをつげ、骨組が放置されている。
下小鹿野字三嶋 三嶋神社 10/2日曜 八木節
伊豆沢1959 諏訪神社 2/27 例祭
長留3537 宗吾神社 (羽黒神社) 4/28 笠鉾1台 笠鉾1台
10/8         獅子舞 嘉永4年 (1852)以前より。
明治30年(1897)2月創建。大宮郷(秩父市)の宮大工久番の作。明治41年、車輪の破損のため長く曳かなかった。昭和21年に修理するも22年に曳いてまた休止となり、その後は昭和63年に飾り置きされたのみ。反木の長さ3、5m、幅1、45m、高さ約12m。
般若2600 秩父大神社
三山111−1 下郷八坂神社 7/3日曜 笠鉾1台 三山下郷
 大正11年(1921)に戸数20数戸で制作。大正14年に電線架設のため二層に改造されたが、平成元年に三層に復元された。反木の長さ3、5m。高さ約8m。
 初代は明治末期か大正初期に創建。現在はせき台が残っている。
間明平(三山1195) 古鷹神社 10/7、8 笠鉾1台 昭和36年より休止中
元治元年(1864)創建。地元の大工柳原文左衛門、黒沢散平により制作。大正初期に電線架設により二層に短縮しその後休止。
昭和27年の復活に際しせき台新調。大工は黒沢一郎。しかし35年を最後に出ていない。現在は神社前の舞台に収納。
飯田2753 八幡神社 12/2土日(元・15 神輿
屋台1台、笠鉾1台 「飯田の鉄砲祭り」として名高い 
屋台=飯田のうち上飯田(中心部にあたる)の人が曳く。三代目。明治初年に奈倉より購入。奈倉に今も部品の一部が残っていることから全部品を購入したものでは無く張出舞台周辺は先代の物である。昭和10年代に大修復し腰廻りを新調。
 ≪屋台本体≫
前鬼板は「黄石公」。後鬼板は「雲に鶴」。
前懸魚は「張良」。後懸魚は「波に飛龍」。
 ≪本芸座≫
鬼板は「瑞雲」。懸魚「牡丹」。
欄間は「波に龍」。
立隠右は「波に龍」。立隠左は「波に龍」。
蹴込は「波に龍」。

 初代は寛政8年(1796)の「飯田猪野家文書」に「此度踊屋台」とあることから、同年創建と思われる。
 二代目は江戸末期まで曳かれていたが、その後は不明。
笠鉾=飯田のうち字上飯田以外の人が曳く。4代目。昭和10年に秩父本町より奉納。但し御礼として150円支払う。金具には今も「本」が残っている。
 初代は寛政8年(1796)の「飯田猪野家文書」に「先年より」「だし」として出ていることから寛政初年頃に創建と思われる。
 二代目は天保8年(1837)起筆。明治20年脱稿の「秩父志」に書かれている。
 三代目は明治末期に両神村黒海土より購入。昭和9年頃まで曳かれていたが壊れてしまう。現存するのは今も使われている水引幕と一層の笠。
河原沢(尾の内) 龍頭神社 /17 笠鉾1台 休止中
明治末期に両神村小沢口より購入。昭和初期まで曳行。一層、二層、万燈、せき台など保管。
藤倉3135(藤倉字八谷) 倉尾神社 10/1 笠鉾1台 休止中
八谷=明治初期創建。当時は旧6/15の天王様祭礼に出した。明治後期より休止し倉尾神社に奉納。
宮笠鉾=奉納後は昭和30年前後に5回ほど曳いたがその後休止。
 ◎旧・両神村
大塩野 八坂神社 7/20 屋台1台
大塩野(公式HPへ=秩父型屋台。文化13年(1816)創建。明治期改造されて今の姿となる。
平成13年に昭和29年以来の45年ぶりに曳行復活。
平成21年(2009)、屋台車輪および車軸の修繕
前鬼板は「龍」。後鬼板は「波に飛龍」。
前懸魚は「龍」。後懸魚は「波に飛龍」。
前内破風は「竹に虎」。後内破風は「牡丹に唐獅子」。
軒支輪は「雲に鶴」。欄間は「琴を弾く応婦人と龍」。

 後幕は白地に七福神の宝船と鶴亀。水引幕・下幕は緋羅紗の無地。
御霊 八坂神社 7/20 笠鉾1台
文化13年(1816)創建。警察関係の電線架設のため、高さを短縮せざるを得なくなり、低くてみじめな姿を見せるなら曳かない方がましだという意見が多数を占めた。そこで大正12年より休止中で、昭和50年代に両神村ふるさと祭りへ数回飾置きしたのみ。
小沢口 大山祇神社 4/12 笠鉾廃絶
明治初期創建か?明治末期に小鹿野町河原沢尾ノ内に売却。
黒海土 笠鉾廃絶  
江戸末期〜明治初期に創建か?。明治末期小鹿野町飯田売却。昭和9年頃まで曳かれていたが壊れてしまう。現存するのは今も使われている水引幕と一層の笠。
両神小森317 諏訪神社 10/14 屋台廃絶   
江戸後期〜明治後期にかけて存在。張出舞台のある屋台だが、今は芸座の一部が残るのみ。
竹ノ平 諏訪神社 旧・7/25 笠鉾廃絶  
江戸末期〜明治初期創建。大正中頃まで曳かれた。その後は地内の常光寺床下に保管されていたが、昭和37年頃の寺の解体に併せて処分された。昭和53年に車輪4個を吉田本町に譲り。今は神社境内に車輪5個残るのみ。
今神 諏訪大明神 旧・7/25 笠鉾廃絶  
江戸末期に戸数13戸で創建。明治20年頃まで曳行。その後部品は神社床下に保管していたが、昭和45年焼却処分された。
日蔭 諏訪神社 8/28 笠鉾廃絶  
明治40年頃創建。昭和8年頃が最後の曳行。今も部材がわずかに残り小さな笠鉾と分る。
両神薄字竹平 諏訪神社 10/祝日 獅子舞
両神薄(西浦) 薬師堂 縁日 笠鉾廃絶 江戸後期創建。明治中頃まであった。

 東秩父村
    大河原:御堂⇒小字に御堂・槻川西谷・幽地ヶ沢・向堀・川下・川上・萩平・城山、
          奥沢⇒小字は特に見当たらない
          安戸⇒小字に宿・小滝・町北・大都・帯沢・在家
    槻川:大内沢(おおうちざわ⇒小字に御堂貝戸・打腰・所沢・金井塚・堂平・居用・上の貝戸・大宝・井戸・虎岩
        坂本⇒小字に坂本・内手・新井・大平・栗和田・北貝戸・落合・柴・和知場・上の山
        皆谷(かいや)⇒小字に皆谷・新田・山口・森ノ脇・大切・朝日根・小安戸・八重蔵・湯ノ木
        白石⇒小字に元槻川・本皆戸・白石・細山
御堂1533(川下) 八幡山神社 10/17頃の日曜 笠鉾休止 川下
笠鉾廃絶 川上
川下=明治35年(1902)秋創建。昭和10年以降曳かれず、平成になって11/2の「ふるさと祭り」に飾られ復活を目指していたが、平成10年(1998)の解体作業中に心柱折損の事故以来飾られていない。
川上=明治中期創建。昭和10年頃が最後の曳行。その後浄蓮寺の床下に分解保存していたため腐ってしまった。
荻平 八幡山神社 11/3(元・10/17) 笠鉾1台 毎年は出ない 
秩父市山田より購入。車の心棒には明治28年(1895)の銘がある。昭和25年頃までは三層花笠だったが、電線架設のため一層になる。
平成19年(2007)5年ぶりに出る。これは神社の幟を45万円で新調したため。
奥沢568 奥澤神社 7月 子供神輿
安戸53 天神社
(八坂社)
7/20 神輿
笠鉾廃絶 大正期に小鹿野町上町2丁目に売却。
大内沢681 大内神社
坂本1541 八幡大神社
朝日根(皆谷) 八幡神社 11/3 笠鉾1台 飾り置き
 明治期制作。二代目。三層花笠。大正9年10月大工旭佐市により改修。昭和35年頃の電線架設により飾り置きのみになる。しかし昭和天皇崩御以来出ていない。平成17年(2005)現在。 
 初代は明治初期創建で地元の大工の作小さな笠鉾だったという。
皆谷87 天児安神社 11/3 笠鉾廃絶 昭和23年頃が最後の曳行
明治初期に秩父市栃谷本組より購入。神社境内に保管されているが、残っている部品はせき台、万燈、笠3枚、勾欄台、反木など。
白石 八幡神社 10/15 笠鉾廃絶 明治末頃廃絶
白石の神送り=県指定無形民俗文化財。5月2日曜開催。平成7年より変更。以前は5月初丑の日開催で当時は先頭で笛を鳴らしたり、神輿の後ろで竹筒で作った法螺笛を響かせていた。
 午後1時、上の天王様で祭典を行った後、神官と檜の葉と榊、青竹で作った神輿を先頭に、「厄病神を送るぞ」、「風邪の神を送るぞ」、「奈婦利神(疫病退散の神)の神を送るぞ」、「いじめの神を送るぞ」と墨書きした小旗を持った住民約30人が出発。
一行は、住民が炒った大豆を半紙に包み体の悪いところをさすり、天王様や辻に置いた包みを回収しながら約1.5km離れた唐沢の旧村境に向かう。到着すると住民の代表が槻川の大岩に神輿と小旗を置き、わらじをフセギとしてつるし、厄病等の再侵入を封じ行事を終える。
 ★展示場     
 【横瀬町活性化センター】
横瀬町大字芦ヶ久保140−1。TELは0494−24−0599。9:00〜21:00に利用出来る。
休館日は土曜、日曜、国民の祝日、年末年始(1月2日〜4日、12月28日〜31日)
地域住民の生活向上および地域農業の振興を図るための各種活動に利用出来る。談話室、和室、小会議室、大会議室、展示室がある。
また“森下笠鉾展示”。 
 【芦ヶ久保綜合資料館】
横瀬町大字芦ヶ久保417。0494−24−1604。無料。9:00〜16:00。
閉館か?。TELはあしがくぼ果樹公園となっている。
大畑笠鉾の土台部分と刈米笠鉾の笠鉾部分を組み合わせ、一部部品を新調して復元展示”あった。