滋賀県

   ≪東近江地区≫

蒲生郡(日野町、竜王町)

住所  神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪蒲生郡≫     
 日野町
 ■日野地区(町中央部)
   ⇒村井・小井口(おいぐち)・寺尻・木津(きづ)・日田(ひだ)・大窪(おおくぼ)・河原(かわら)・松尾(まつお)・上野田(こうずけだ)・大谷(おおたに)・いせの
村井705 馬見岡綿向神社 5/2、3 神輿3基 上之番、中之番、下之番  
曳山16台 本町、新町、清水町、双六町、河原田町、今井町、仕出町、杉之神町、上鍛冶町、金英町、南大窪町、岡本町、大窪町、上大窪町、越川町、西大路
上之番=西大路。寛永8年(1631)松山藩主蒲生忠知と仁正寺藩主市橋長政の寄進。明治33年(1900)修復。

中之番
=村井。寛永8年(1631)松山藩主蒲生忠知と仁正寺藩主市橋長政の寄進。明治33年(1900)修復。

下之番
=大窪・松尾・河原。寛永8年(1631)松山藩主蒲生忠知と仁正寺藩主市橋長政の寄進。明治33年(1900)修復。
平成25年(2013)11月22日、完工報告祭。113年ぶりの修復。修復は京都の高瀬装束店。 
 
鳳仙社(本町)⇒山蔵は平成2年建造。
=三度修復。最近は文久元年(1861)に修復。高さは5、58m。
見送り幕は平成12年、復元新調。「紫地鳳凰樹下仙山水図」。

八景閣(新町)=文化4年(1807)頃制作。高さ5、61m。
 先代もあり。  

六徳(清水町)
=文政8年(1825)再建。明治35年修復。彫師は立川和四朗。高さ5、22m。

壽雙車(双六町)
=寛政5年(1793)創建。
安政6年(1859)改修。新調に近い大修理で、大工は兵治。錺屋彦七。塗師は安左衛門。
上部欄間には明治10年に今在家村の忠兵衛作の素木彫が付けられる。高さ5、36m。
前幕は昭和54年復元新調。松尾栄の作。「紺地唐草文綿布」。元は安政6年(1859)頃の作。
見送り幕は平成10年、「惟喬親王図」。
横幕は昭和59年復元新調。赤無地羅紗。元は江戸末期の作。
 往古は御幣で参加。

蘭香閣
(河原田町)=元治元年(1864)4月11日引初。大工は清雲仁兵衛。制作総費用は73両2分。高さ5、62m。
見送り幕は「劉備から届いた手紙を読む関羽と張飛」。

舞鶴車
(今井町)=文久元年(1861)再建。明治33年大改修。高さ5、29m。
横幕は「龍虎文様」。

観舞車(仕出町)=制作年等不詳。見送り幕は「鳳儀」の筆文字。横幕は「牡丹鳳凰文様」。高さ5.57m。

歓心
(杉之神町)=曳山の障子が寛政3年(1791)に造られているのでこの頃新調と思われる。高さ4、84m。
 見送り幕は平成22年(2010)219年ぶりに復元新調。京都の業者の作。
以前のは寛政3年(1791)の中国製「雲中向龍金銀刺繍」。

萬延社
(上鍛冶町)万延元年(1860)制作。御大典記念事業として昭和4年、総漆塗り金箔置き金物付きとなる。費用は3,700円。高さ5、22m。

芳菊車(金英町)=堅地町と白銀町の合併による。そのため白銀町の曳山を売却。旧・堅地町は文政7年(1824)制作。高さ5、58m。
見送り幕の下絵は富岡鉄斎。「古事記説話図」。

南壮社(南大窪町)=下部組物間、正面階段下の彫刻は天保11年(1840)に立川冨昌・冨種・昌敬の作品。高さ5、83m。

法天地(岡本町)=二代目。天明年間(1781〜88)制作。文政10年(1827)〜天保元年(1830)に大修理。日野の曳山で唯一、二階屋根あり。高さ6、682m。
天保元年(1830)下場に諏訪の立川和四郎らによる十二支を配した木彫りが付けられる。
見送り幕は昭和53年復元新調。「五星神形図」。元々は文化3年(1806)に寄付。宋国よりの渡来品。
 創建は不詳だが、曳山の岡本町の額に天明4年(1784)とある。

龍虎車(大窪町)
=文久元年(1861)制作。大工は村田文太郎富保。制作総費用は184両5分5厘。高さ6.72m。
見送り幕、横幕の下絵は岸岱・岸慶親子

夐象社(上大窪町)=文久3年(1863)制作。高さ5、38m。

翔鶴(越川町)=文化3年(1806)制作。天明元年(1781)から毎年の曳山の巡行の記録あり。高さ5、74m。
横幕の下絵は塩川文麟。「雲鶴文様」。

仁正寺(西大路)=天保4年(1833)制作。三代目。文政8年(1825)に名古屋より職人を呼んできて8年かけて作らす。高さ6.57cm。
見送り幕は「群仙拱寿図」。
 【曳山廃絶】
下鍛冶町=『下鍛治町1号文書』により明治18年(1885)に売却されたと分かる。その売却代金は同町在住の和田元次郎氏が支払ったので同氏に売却されたと分かる。また同文書には明治17年(1884)の支出として、「金十円也 曳山之水口。手附買返ス渡シ分」「一金1円20銭 同断利息金。相渡ス」とあることから当初は水口町へ曳山を売却するつもりで手付金10円を受け取ったが、何かの理由で売却契約をキャンセルすることになり、利息金1円20銭を添えて手付金を返却したと思われる。

呉服町=明治維新により水口に売却と伝えられるが、水口町に現存する16基の曳山の中で呉服町から購入と推測出来るものは無い。

白銀町水口町呉服町に明治12年10月20日に145円で売却。
小井口709 日枝神社 4/10 例祭
木津656 雨引神社 3/18 例祭
日田342 岩瀧神社 7/20 例祭
大窪1323 日枝神社 4/4(毎年) 南山王祭り
南山王祭り=氏子地域の22の字から、「ほいのぼり」と呼ばれる幟が奉納され、氏子の人々が境内の幟の下で飲食をする祭り。
河原504 天満宮神社 7/25 例祭
松尾198 井林神社 4/12(毎年) ほいのぼり 北山王祭り
松尾506 勝長神社 10/6 例祭
上野田915 五社神社 10/5 例祭
大谷316 十二神社 4/12 例祭
 ■東桜谷地区(町北東部)
   ⇒原・川原(かわら)・杉・杣(そま)・小野(この)・奥師(おくし)・鳥居平(とりいひら)・中之郷・佐久良(さくら)・奥之池
原187 芦谷神社 4/17 例祭
1/2 山口祭
山口祭=新藁で2本の縄を作り、2ヶ所の山の神の神木に張り渡し、松で作った男型、ネムの木で作った女型の人形、ムツギの木で作つだ箸、切餅を両方の山の神に供える。
大松明を燃やし、鳥を呼び煙をくぐらせると祭典が始まる。神木に張り渡された太い縄へ栗の木で作つたカギを引っ掛け、神主の祝詞に合わせて、祝いの言葉を唱えながらカギ引きを行う。
杉228 大屋神社 4/17 渡御
7/31 茅の輪神事
茅の輪神事=夏越しの祓に行う神事で、人形をはさんだ12本の串が刺された茅の輪を地面に置き、神職を始め氏子たちがそのなかに入り、『三座めでたい』と唱えて、皆で茅の輪を持ち上げてくぐり抜ける。これを三回繰り返し行う。三座とは旧宮座の名称で、木村座・新村座・佐々木座をいう。
杉728 日吉神社 7/11 例祭
杣656 大将軍神社 7/11 例祭
小野20 天神社 4/24 例祭
奥師550 若宮八幡神社 9/15 例祭
鳥居平228 八幡神社 7/1 例祭
中之郷1565 長寸神社 4/17 お渡り
長寸神社で祭典を終えると、大屋神社(杉228)まで大幣を立てて渡御し、祭典後、二柱の大幣にて再び長寸神社へ渡御し盃を交す。その後両神社の道半ばにて、各々還御する。長寸大神が大屋大神を迎え、もてなして送る祭りといわれている。
明和年間(1764〜71)の頃までは、二社の神輿によつて渡御が行われたと伝えられる
佐久良860 八幡神社 7/1 例祭
奥之池37 八幡神社 7/1 例祭
 ■西桜谷地区(町北西部)
   ⇒安部居(あべい)・中在寺(なかざいじ)・北脇(きたわき)・蓮花寺(れんげじ)・野出
安部居1 賀川神社 4/10 お渡り
氏子は佐久良、鳥居平、奥の池、安部居。
お渡りは賀川神社から対岸の対岸の立居神社まで四つの村より奉納された御幣が付けられ丈10mもある竿竹を持って佐久良川を越えて行く。
北脇1095 諸木神社 4/10 例祭
5/5 村弓
村弓=祭典の後、その年の吉方の神社に取り付けた的をめがけて、社守が3回矢を射る神事。
蓮花寺1189 白鬚神社 4/20 例祭
 ■西大路地区(町東部)
   ⇒西大路・仁本木・音羽(おとわ)・北畑(きたばた)・西明寺(さいみょうじ)・蔵王・平子・熊野
西大路1490−1 落神神社 7/8 例祭
仁本木574 綿向神社 4/1 例祭
音羽1 押盤神社 4/9 例祭
北畑820 八幡神社 4/9 例祭
西明寺1237 十二神社 5/1 例祭
蔵王549 金峯神社 4/9 例祭
熊野215 熊野神社 4/25 例祭
1/成人の日 弓取の神事
9/8 御滝祭り
弓取の神事=1月成人の日の朝に行なわれる。以前は1月18日と2月にこの神事があった。
熊野神社の境内で、「お祈り」と呼ばれる弓取りの神事が行われる。
これは2匹の大蛇を退治した修験僧と村の若者の勇気を伝える行で、村の6名の「よぼしき」(村で1人前の男と認められる儀式)を受けた若者が矢を射る。
また、熊野には以前「ほんけ株」と「そうじ株」と呼ぶ2つの株があり、この弓取式には「ほんけ株」に属する青年のみが奉仕をしていたが、現在は大字熊野と大字平子に住む18歳を最小年齢とする6人の長男たちがそれぞれの家で身を浄めて熊野神社へ集合し、狩衣という昔の衣装に身を固めて神社と会議所に安置されてある観音様に参詣の後、境内に進み出て拝殿の前から「おろち塚」という場所へ向かって矢を射る。
これは矢を放つ的の場「おろち塚」には遠い遠い昔、熊野の人々を苦しめた大蛇を若者達が退治し、その死骸が埋められていると伝えられ、修験者に引率された村の若者がおろち退治で村を救ったので、その美挙を伝えるために弓取式が残ったという伝説がある。
御滝祭り=11:00より。紀州熊野を倣い、当山一帯を修験道の修行霊場とした頃、修行を終え御滝で禊ぎをして俗世へ出生する意味の祭りとも解されている。この日、熊野神社で祭典の間、御滝に祀る祠の御扉を開けに行くところから、神聖な御滝を熊野神社の御神体として祀る祭りともいわれている。
 ■鎌掛地区(町南東部)
   ⇒鎌掛(かいがけ)
鎌掛2108 八坂神社 4/14 例祭
鎌掛3885 日吉神社 4/14 例祭
 ■南比都佐地区(町南西部)
   ⇒上駒月、下駒月、深山口(みやまぐち)・迫(はさま)・清田・別所
上駒月1291 豊受神社 4/16 例祭
下駒月1125 日枝神社 4/13 例祭
深山口734 大地神社 4/20 例祭
迫1 迫神社 4/8 例祭
清田790 久野神社 4/14 例祭
別所263 比都佐神社 4/15 例祭
 ■北比都佐地区(町西部)
   ⇒三十坪(みそつ)、内池、猫田、十禅寺、里口、山本、小御門(こみかど)、小谷(こだに)、石原、増田(ましだ)、豊田、中山
三十坪813 八千鉾神社 5/1 例祭
内池666 鈴休神社 4/14 神輿
十禅師410 比都佐神社 4/14 ほいのぼり
里口47 八幡神社 9/15 例祭
山本167 八幡神社 9/15 例祭
小御門143 大寳神社 4/10 例祭
小谷487 竹田神社 4/12前の日曜 例祭
豊田271 稲荷神社 4/18 例祭
中山1941 熊野神社 4/25 例祭
9/1 芋くらべ祭り
芋くらべ祭り=国指定重要無形民俗文化財。毎年9/1午後より熊野神社で盃の儀が行われ、その後東西別々の道を祭場のある野神山へ向かう。
祭場で古式にのっとった儀式がおこなわれ、最後に芋の長さが競べられる。昔から西が勝てば豊作、東が勝てば不作と云われている。
 竜王町
 ■苗地区
   ⇒川守、岩井、山之上、林、庄、信濃、駕輿丁、島、綾戸
川守39 天神社 4/1 例祭
岩井622 八幡神社 10/15 例祭
綾戸468 苗村神社 4/20(毎年) 苗村祭 神輿3基
5/5 節句祭 子供みこし
苗村祭=往古は毎年秋に氏子33ヶ村列座の大祭が行われていたが、慶長4年(1599)これを改め、33ヶ村にちなみ33年に一度の式年大祭と定まつた。
3日間、渡御・甲冑武士の行列・太鼓踊り・鎌踊り・山車等の奉納があり、天下太平・五穀豊穣を祈念する大祭である。

18日:神輿出しで渡御に備えて飾付けがされ、9つの宮座から馬渡りがある。
20日:15:00〜神事。16:00〜渡り=神馬10頭と神輿3基が行列し、御旅所へ渡す。祭りが終わると各区では太刀を翌年の当屋に渡して引き継ぐ。
節句祭=9つの宮座から渡御があり子供の成長を祝うお祭り。子供神輿の奉納と渡御神馬がある。
山之上3560 杉之木神社 5/3 ケンケト祭 国選択無形民俗文化財
ケンケト祭=織田信長が天下統一を目指し、上洛しようとした折、この地方に一大勢力を誇つた郷士も、その徴用に応じ奮戦し大功を挙げた。その戦勝を祝ったことが、祭りの始まりと伝えている。長刀踊りは戦いに加わつた農兵の姿そのもので、太鼓や鉦を打ち鳴らし囃したてる。また裸足は農民の忠誠の証しといわれ、振り子の衣装は具足姿で勇ましい。踊りのはやす音頭から「ケンケト踊り」と云われている。
 氏子各戸の長男が色彩豊かな出し物と、揃いの色鮮やかな衣装を着て、太鼓と鉦を打ち鳴らしながら御旅所まで、なぎなた踊りが奉納される。
庄70 八幡神社 9/15 例祭
駕輿丁40 若宮神社 10/15 例祭
山車廃絶
屋台廃絶=大正8年の大祭用に水口の塗師屋町の屋台を購入。水口の相撲取りらに引かせて運び、大祭に使用した後に解体処分される。
島41 八幡神社 10/9 例祭
 ■鏡山地区
   ⇒鏡、山面、鵜川、小口、薬師、七里、川上、橋本、弓削、須恵、西川、西横関、山中、岡屋
鏡1289 鏡神社 4/28 例祭
12/2午の日に近い土曜 とがらい祭り
とがらい祭り16歳の牛若丸(源義経)が京都の鞍馬から奥州に旅立った途中、
鏡の宿に泊まり鏡神社に参拝し、松の枝に烏帽子を掛け元服したと云われている。
「吾こそは源九郎義経なり」と発して、源氏の再興と武運長久を祈願した。
とがらい祭りは、源義経を偲び男児(現在は、女児も参加している)を主役に子供と老人で斎行されている。
(14:30頃〜)湯立神楽や神事を行った後、子供たちが鉦や太鼓を叩いて「とうがらい、まあがらい、まあがあったらとうがらい」と大声で囃しながら里内を練り歩く。この「とがらい・・・」は、当時宿場町として白木屋など宿屋が、客引きのために使った言葉「泊まらい、まあ上がらい、まあ上がって泊まらい」の意味で、宿屋繁盛すなわち鏡の里の繁栄を祈った祭り言葉である。
 かがみの里に行き、歴史広場で、とがらい祭の説明を聞く。
休憩後、元服池に寄り、源義経が泊まったとされる宿跡に行く。※元服池の水で、鏡の宿で元服加冠の儀を行った。
その後も鏡地域を練り歩く。

その頃、鏡神社では義経公の御霊を招き奉る神事と湯立神楽が行われている。
湯立神楽が終わる頃には、子供たちが神社に戻って来て、社務所で練り歩いた子供、大人、そして一般人も含めての直会がある。
(16:00頃〜)子供たちは帰宅。
(17:30頃〜)神事。
以前の「とがらい祭」は、夕刻の神事が済んでから子供たちと老人が練り歩いた。
山面484 菅芝神社 4/16 例祭
鵜川490 天満宮 4/19 例祭
小口860 眞氣神社 4/27 例祭
薬師818 勝手神社 4/16 神輿1基
七里831 石部神社 1/10 弓始式
2/11 弓納式
弓始式=年行事が選んだ男児二人の射手が、それぞれの位置につき、6本の矢を交互に的に向かつて射る。終わると年行事が矢を拾い集め、再び盛り砂に差して数取りをする。こうして6本の矢をそれぞれ5回と、最後に3本の計33本を射る。2月11日の弓納式も同様に行事を行う。
昔は的中本数により、豊年を占うこともあつた。
橋本377 左右神社 4/19 例祭
弓削857 小日吉神社 5/2 火祭り
須恵103 八幡神社 5/3 例祭
西川539 吉水神社 4/23 例祭
西横関741 若宮神社 4/7 例祭
山中1498 大山咋神社 4/10 例祭
岡屋1347 勝手神社 4/25 例祭