滋賀県

 ≪湖南地方≫

草津市、守山、野洲、栗東

住所  神社名 祭礼日 内容 備考

 ≪草津市≫
 ■草津地区(旧・栗太郡)
   ⇒草津、矢倉、大路井
草津4丁目1−3 立木神社公式HPへ 5/2、3 町神輿約20基
さんやれ踊り 隔年で奉納
矢倉一丁目2−30 武甕槌神社 5/3 例祭
西矢倉三丁目1 若宮八幡神社 旧・8/15 仲秋名月祭 草木だんごを供え、参拝される氏子、崇敬者に撤饌として授与する。
大路2丁目2−33 小汐井神社
公式HPへ
5/3 神輿(大小、花)
11/2日曜 狐踊り 古例祭にあたる
 ■渋川地区(旧・栗太郡)
   ⇒渋川
渋川2丁目2−1 伊砂砂神社 9/13 曳山1台 神社境内に山蔵あり。
講踊り
 明治初期に水口方面より購入と伝えられる。最後の巡幸は大正3年の神社450年祭であった。この年について異説もあるがこの年代が一番妥当性が高い。本来は同地の雨乞いに関しての巡幸と思われる。
山車蔵は
神社より西の町並みにあったが、現在は神社境内に移転。保存状態は保存期間が長期のため、虫損が著しいとのこと。

 また「滋賀県選択無形民俗文化財調査報告書 渋川の花踊り」(渋川花踊り保存会 2001年発行)の19ページには「雨乞御礼花踊人割并びに諸入用」によれば、渋川では天保10年(1839)8月に、雨乞いをかけ、降雨をみたお礼に花踊りを催している。また、山(山車)を拵(こしら)えて子供に引かせている。踊りには太鼓4人、新発意2人、囃子方7人、中踊13人、外踊55人が参加している。」とあるのでこの頃には曳山があったと思われる。
 ■志津地区(旧・栗太郡)
   ⇒馬場、山寺、岡本、部田、追分
青地町873 小槻神社 5/3 神輿
中世社地に接して館を設けていた近江国守護職佐々木氏の一族青地頼定は、貞治三年願主となって神輿を奉献し、以来例祭には城中に神輿を迎えて礼を尽くしたと云われる。
追分町418 八幡神社 5/3 涼の湯神事
 ■老上地区(旧・栗太郡)
   ⇒野路、南笠、新浜、矢橋、橋岡
野路町411 猿田彦神社 5/3 例祭
野路町1247 稲荷神社 5/3 例祭
野路町1672 新宮神社 5/3 神輿(大1、子供3)
南笠町925 治田神社 5/3 神輿(大小)
新浜町50 龍宮神社 5/3 例祭
矢橋町1463 鞭崎八幡宮公式HPへ 5/5 神輿(大中小、花) 獅子
 【矢橋帰帆島(やばせきはんとう)】
面積は0.73km。周囲は3.5km。人口は0。矢橋町帰帆。
埋立てによって出来た人工島。昭和53年(1978)に下水処理施設建設のために埋立てが開始され、昭和57年(1982)に人工島が完成し下水道浄化センターとして運用が開始される。他にテニスコートやプール、ゴルフ場、キャンプ場などの施設がある。
 ■山田地区(旧・栗太郡)
   ⇒北山田、山田、南山田、御倉、木川
北山田町10−1 山田正八幡宮 5/3 例祭
北山田町787 若宮神社 5/1 例祭
山田町3 渡海神社 5/3 例祭
南山田町776 大宮若松神社 5/3 例祭
御倉町567 子守神社 5/3 例祭
木川町542 天神社 5/3 例祭
木川町1314 砂原天神社 5/3 例祭
 ■笠縫地区(旧・栗太郡)
   ⇒上笠、下笠、集、駒井沢、川原、平井、野村、新堂
上笠町1丁目8−1 上笠天満宮 5/3&10/下旬 子供神輿
講踊り
太鼓打ちと心棒打ち各2名を先頭に社参し、締太鼓を胸前に持って、越前道行を歌う。踊り手は円陣を組み、内側の列を中踊り(拝殿周縁)、外側を外踊りという。中踊り、外踊りともに多数参列して、踊り歌う。踊り歌は小原木踊、飛騨踊、鳥指踊など29曲ある。
花笠や一文字笠を色とりどりに飾りつけて、「イヤア○○踊りをひとおどり、イヤアひとおどり」の口上に合わせ29番120歌「おんどろよ」と歌い、最後に「○○踊りはこれまで」で終了する。
下笠町1194 老杉神社 5/3 神輿4基 大人2基、子供2基
剣鉾
参弥礼踊奉納
2/15(毎年) オコナイ
という組織(=宮座)が8つあり(殿村、細男村、王村、獅子村、鉾村、天王村、十禅師村、今村)1年ごと順番に当番となり、オコナイを行なう。
餅を搗く時に、「エトエトヤー、エトエトヤー」と周りが囃すことから「エトエト祭り」と呼ばれる(エトエト=恵年恵年を意味するという)。
集町439 正三神社 5/3 例祭 約700m南西に御旅所あり
駒井沢町345 八幡神社 5/3 例祭
川原町4−2−6 天神社 5/3 例祭
平井三丁目2−3 熊野神社 5/3 子供神輿7基
子供神輿=平成21年(2009)4/29、平井地区自治連合会は財団法人自治総合センターの助成を受け子供神輿7基を購入。子供神輿授与式は笠縫東小学校体育館で行われた。従来は子供用の樽みこしだった。
野村5丁目26−20 安羅神社 5/3 神輿(大、小2、風船)
 ■常盤地区(旧・栗太郡)
   ⇒長束、上寺、下寺、片岡、下物、芦浦、穴、志那、志那中、北大萱
上寺町239 天神神社 5/3 例祭
片岡町245 印岐志呂神社 5/3 神輿4基 元・県社
さんやれ踊り 長束、片岡
平成4年(1992)神輿巡幸復活。
大宮神輿=大門・横江・長束。
二之宮=片岡・下寺。
三之宮=十里・新堂・穴村。
若宮=芦浦・下物。
吉田(志那町309) 三大神社 5/3 神輿
さんやれ踊り(風神踊り)
志那町727 志那神社 5/3 神輿
さんやれ踊り(風神踊り)
さんやれ踊り(風神踊り)=特殊神事として、豊年万作を祈願し団扇二つでその風景を示す「さんやれ踊り(風神踊り)」がある。また昔は志那三郷(志那・吉田・志那中)より馬を出して競馬を行い豊作の吉凶を占ったという。
志那中町240 惣社神社 4/24 さんやれ踊り(風神踊り) 元・郷社。志那三郷の惣氏神
さんやれ踊り=『近江の祭礼』によると、祭礼日は4月24日で、概要は「午前12時、祭典斎行ののち、踊子・笛三名・鉦鼓二名・鼓?一名・太鼓?二名・太鼓浮二名・踊子多数によって宮入りをする。そのあと、「サンヤーレ」のかけ声とともに、太鼓のとびつき打ちの所作を含む風神踊りが奉納される。なお、享保年間の年中行事帳によれば、祭礼は四月最初の戌の日におこなわれていたことが知られる。」とある。
北大萱町500 大萱神社 5/3 例祭

 ≪守山市≫
 ■守山地区(旧・野洲郡)
   ⇒守山、吉身、岡、立入
守山町1038 天満宮 5/4 例祭
吉身4−4−1 馬路石邉神社 5/4、5 豊年踊り 市指定無形民俗文化財
豊年踊り=市指定無形民俗文化財。太鼓打ちと太鼓持ち、音頭取りや稚児が輪を作り「さんやれ」の歌詞と共に踊る。
4日:本殿前で一踊りした後、13:30〜御旅所(市役所裏駐車場付近)。
5日:11:00〜出発。17:00〜頃に神社に戻る。辻々で豊年踊り。
本来は、吉身・守山・播磨田・市三宅の四村の産土神であったが、往古は4月第二の戌の日に例祭があり、古式踊りが奉納された。
また祭礼行列書なる古書に「神馬、三種ノ神器、旗付鉾吹流シ、神輿三基、カネと踊り、笛太鼓、カネ音戸取、神官騎馬、禰宜、領主供奉行行列、村ノ士分麻上下帯刀」と当時の祭礼模様が記されていると云われる。
慶長年間に祭事の時に争いがあり、守山を除く三村が離れる。
当社の近くに、その時に破壊された神輿が埋められた神輿塚という円墳がある。
岡町205 田中神社 5/5 例祭
立入町123 新川神社 5/5 太鼓、子供神輿2基
子供神輿は昭和56年(1981)、安田産業より寄贈。翌57年(1982)自治会購入により2基となる。
 ■物部地区(旧・栗太郡)
   ⇒浮気、勝部、今宿、焔魔堂、阿村、伊勢、二町、古高、大門、横江、千代
浮気町152 住吉神社 5/5 例祭
1/2土曜 火祭り
火祭り県選択無形民俗文化財。祭の起源については鎌倉時代、土御門天皇(1199〜1210)の病気が重いので占師に占わせたところ、三上山の大ムカデの危害とされ、俵藤太が3本の弓矢を一度に射て退治した。この時に大ムカデの頭が住吉神社に、胴体が勝部神社に、尾は瀬田の唐橋近くの大萱まで飛んだと云われる。
 以来、大ムカデに見立てた大松明を焼き払い天皇の病気平癒を祈ったとされている。
平癒を意味する「へーよ、へーよ」と掛声を
かけながら乱舞する。
勝部1丁目8−8 勝部神社 1/2土曜 大太鼓3基 火祭り
勝部の火祭り県選択無形民俗文化財。
 祭の起源については鎌倉時代、土御門天皇(1199〜1210)の病気が重いので占師に占わせたところ、「近江国栗太、野洲郡の堺に大沼があり、ここに数千年も生きている大蛇がその元凶だという。さっそく宮中より大蛇退治の兵を現地に派遣するが、なかなか大蛇は姿を現さない。射手一同は、神社に参詣すること50日の祈願をこめたところ、その満願の日に大蛇が出現。この大蛇を退治し、切り殺して火に焼いて踊ったところ、天皇が全快したことに始まるという説が有力である。
 当日、午後の間に祭の主役になる松明1本1本に、 神酒・鰯・豆腐を供えて祈祷しておく。その後、3基の大太鼓が街中を練り歩いてから、20:00頃に、大蛇の胴体をかたどった大松明16基が境内に勢揃いする。 そして、若者が裸のまま神前で御神火から火をもらって一斉に点火する。
そして、鐘や鼓を打ちなが ら、ふんどし姿の若者たちが、無病息災を祈願して「ごうよ」、「ひょうよ」(御脳平癒の転)と掛声をかけながら乱舞する。
今宿町1−9 樹下神社 5月 子供神輿多数
阿村町222 日吉神社 5/4 例祭
古高町295 大将軍神社 5/5 例祭
大門町 八幡宮
横江町杉本 樹下神社 5/5 大太鼓、神輿(大小)
樹下神社は印志岐呂神社の末社で3年毎に5/3に、神輿巡幸。
印志岐呂神社の式年祭(25年に1回)、大祭り(13年に1回)には神輿を御旅所(横江町淀ヶ嶋)まで渡御される。最近では大祭りが平成16年斎行。
中型神輿=平成4年(1992)神輿巡幸復活したので購入。
子供神輿=奥野義夫寄贈。
千代町141 八尾神社 5/5 例祭
 ■小津地区(旧・野洲郡)
   ⇒金森、三宅、大林、欲賀、森川原、山賀、杉江
杉江町495 小津神社 5/5 神輿3基、子供神輿2基
長刀踊り(太鼓踊り) 国選択無形民俗文化財
氏地は杉江、赤野井、金森(鎮守は金神社。例祭日は4/13)、三宅、大林、欲賀、森川原、山賀、十二里、石田、矢島
神輿3基=大宮神輿・二之宮・三之宮神輿
長刀祭り(長刀踊り)=国選択無形民俗文化財。小津、玉津の両学区11町で毎年順番に踊りを担当し、8年に1度廻ってくる。
例祭に奉納されるのは、手に特った長刀を振る「長刀振り」と、そのあとに続くササラ・鉦・鼓・太鼓などの囃子に合わせて音頭をとりながら踊る「田楽踊り」がある。この2つを総称して「長刀踊り」と呼ばれている。(町によっては長刀とか太鼓とも呼ぶ)。
5/5には、当番の町から小津神社までの参道を音頭に合わせながら行列。境内の社殿前では踊りが奉納される。その後、「ひやっほーい、カンチキチン、チキチンチキチン」という賑やかな掛声の中、幼児・若者の男子が木製の長刀を振り 、ササラを振りながら華やかに行列し、そのあとを花笠を被った子供が踊り、神輿3基、子供みこし2基が隣町の赤野井町にある小津若宮神社まで往復する。
欲賀町 欲賀神社 2/11 春祭り 巫女による湯神楽
5/5 神輿(大小) 小津神社の境外社。小津祭りに参加。
旧・小津村役場の築山に欲賀村が小津神社の祭礼に使われた長刀踊りの衣装・道具が埋められているという伝承あり。
神輿=寛政7年(1795)2月8日、赤野井 大工の藤助、播磨田 塗師屋 新五郎の作。
最近では昭和48年5月、130万円で野洲町辻町、酒井御輿店にて修復。

子供神輿
=昭和56年4月、野洲町辻町の酒井神輿店より200万円で購入。
 ■玉津地区(旧・野洲郡)
   ⇒赤野井、石田、十二里、矢島
矢島町1222 武道天神社 5/5 例祭
 ■河西地区(旧・野洲郡)
   ⇒播磨田、小島、中、笠原、今市、荒見、川田の一部(川田・喜多・田中)
播磨田町1155 八大神社 5/5 神輿
神輿⇒神輿蔵は明治10年(1877)建造。
=昭和43年(1968)5/2完成。野洲町辻の酒井清の作。制作費は80万円。以前の神輿の部材も利用。

以前のは昭和42年の祭礼で破損。
播磨田町1914 荒神社 3/3 例祭
小島町1206 八田神社 5/4 例祭
小島町1571 天満宮 5/5 例祭
中町112 若宮神社 5/5 例祭
笠原町527−5 蜊(つぶ)江神社 5/5 例祭
笠原町939 蜊(つぶ)江神社 5/4 例祭
今市町102 皇小津神社 5/5 例祭
荒見町404 天神社 5/4 例祭
川田町1143 天神社 5/4 例祭 喜多の鎮守
川田町1309 八幡神社 5/5 神輿 田中の鎮守
川田町1371−1 天神社 5/6 例祭 川田の鎮守?
 ■速野地区(旧・野洲郡)
   ⇒水保、今浜、木浜、洲本
水保町289 樹下神社 5/5 例祭
水保町1549 樹下神社 5/5 例祭
今浜町146 樹下神社 5/5 例祭
4/11 硫黄夜祭
硫黄夜(いおや)祭=昔、湖西地域の男に恋したお満という名の娘が毎晩、たらいに乗って琵琶湖を渡り、百夜目に暴風で沈んだという 民話にちなみ、鎮魂祭として営まれている。
羽織袴姿の氏子ら数人が、長さ約5mの竹の先に「鬼」と書かれた紙の的を掲げて歩き、同神社の鳥居に立てかけて奉納。続いて拝殿で神事や神楽の奉納が行われる。
今浜町2332 皇太神社 5/5 例祭
木浜町2040 稲荷神社 5/5 例祭
洲本町1607 己爾乃(コジノ)神社 5/5 例祭
 ■中洲地区(旧・野洲郡)
   ⇒新庄、服部、立田、幸津川、小浜
新庄町1267 八幡神社 5/5 例祭
立田町1454 鹿島神社 5/5 例祭
立田町1510 新宮神社 5/5 例祭
幸津川町1356 下新川神社 5/4、5 すし切りまつり 神輿、長刀踊り、諫鼓舞
6/中旬 ちまき祭り
すし切りまつり=国選択無形民俗文化財。
祭神である豊城入彦命が琵琶湖を渡った時、村人が琵琶湖で獲れた鮒の塩漬けを献上したのが起源と云われている。
氏子は一番組〜六番組に分かれ、1つの組が渡番として、すし切り役・諫鼓の舞・長刀踊り 等を担当。2つ目の組は、前年の渡番が神輿番として神輿の巡幸を担当する。

宵宮 夜中に若者が集まり、太鼓を4人で担ぎ、太鼓を打ちながら賑やかに村中を練り歩く。
本宮 13:00〜 当番の若者2名が裃姿で古式に従って、神供えの鮒鮨を調理して供える。真魚箸という鉄製の箸と包丁を両手に持ち、神前で厳かにまな板の上の鮒鮨を切る。すし切り行事は、元服した長男が行なうことになっており、家や男子、長男が重んじられた古いしきたりが、色濃く残されている。すし切りの儀式がすむと「諫鼓の舞い」と呼ばれる踊りを舞い、子供の長刀の列が揃う。
ちまき祭り=子供たちがヨシの葉で包んだチマキを腰に提げ、「ちょこさ」という掛声で、下新川神社を発着点に、神輿2基、太鼓1台を担いで地域一帯約3kmを2時間かけて歩いた。子どもたちは途中、各家庭で用意したチマキを腰から取り出してほお張り、腹ごしらえしながら、歩き続けた。
小浜町535 八幡神社 5/5 例祭
小浜町944 天満宮 5/5 例祭
 ≪野洲市≫
  平成16年(2004)10/1、野洲郡中主町+野洲町が合併で誕生。
 ◎旧・中主町
        兵主:五条、野田、六条、安治、須原、堤、井口
        中里:西河原、比江、小比江、北比江、乙窪、吉地、比留田、木部、八夫、虫生
        中州:(分割)吉川、菖蒲、喜合
五条566 兵主大社 5/5 神輿、太鼓約35基
曳山2台 里祭りには出ることもが、郷祭りにはめったに出ない
兵主祭=正午より兵主十八郷(旧・中主町ほぼ全域と守山市服部、津田)と女性だけの「あやめ神輿・あやめ太鼓」の神輿・太鼓約30数基が松並木の参道を渡御する。これは各集落の神社から親神様である兵主大社へ一年に一度集う形のお祭である。
 【兵主祭の行事予定】
3日=当番字の氏神の神前で戸御報告祭を斎行、本社以下十六社の御幣と絹幣を供える。
5日=当番字の氏子一同が氏神に参拝後、御幣・絹幣を先頭に兵主大社まで渡御。神輿・稚児もこれに続く。また郷内各社からも神輿・太鼓が集結し、総計約35基が参道を渡御。
(12:00〜) 神輿・太鼓約35基集合    
(12:30〜) 渡り開始
(14:00〜) 献幣祭・古例祭(拝殿)
(14:20〜) 子供神輿おかえり
(15:00〜) 神輿7基おかえり
 【兵主神社所管社二十一社】
乙殿神社(五条)、八幡神社(野田)、浅殿神社(比留田693)、吉地神社(吉地)、二ノ宮神社(西河原55)、木部神社(木部827)、高木神社(八夫1453)、矢取神社(小比江41)、牛尾神社(乙窪408)、北産土神社(守山市津田)、南産土神社(守山市服部)、矢放神社(吉川)、狩上神社(堤)、苗田神社(須原)、千原神社(井口)、戸津神社(安地)、三ノ宮神社(六条)、若宮神社(菖蒲)、稲荷神社(喜合)、下堤神社(下堤)、野々宮神社(吉川)、城之神社(比留田)
比留田の曳山は兵主祭には神輿を出さないといけないので展示のために出した平成19、20年を除いて出していない。里祭りとなる浅殿神社(比留田693)の祭礼(4/10頃の日曜)には時たま出された。曳山はかつては重高・上出・中出・東出の組ごとに4台あり解体保存されていたが、現存するのは重高・中出の2台である。
比留田の曳山(ひるた曳山保存会)=慶事の際に不定期に曳行。本体の歪みや損傷があるので修復へ。合わせて見送り幕・提灯などの懸想品も新調。2022年11月5日、御披露目。
         
(正確には)
重高
=墨書きにより慶応3年(1867)に村の若連中によって作られたと分かる。

中出組=宝山と称する。額裏面に明治13年(1880)4月13日、大工治郎兵衛作の墨書きがある。
高さ3.252m。長さ2.616m。幅1.67m。
比江765 長澤神社 5/5 例祭
北比江50 三河神社 3/16 例祭
虫生154 虫生神社 4/18 例祭

 ◎旧・野洲町
       野洲:野洲、小篠原、行畑、市三宅、久野部、川田字竹生
       三上:三上、妙光寺、南桜、北桜
       篠原:大篠原、高木、小南、小堤、入町、長島
       祇王:永原、北、中北、上屋(かみや)、辻町、冨波、五之里
野洲69 新川神社 5/5 例祭
小篠原140 日吉神社 5/5 例祭
小篠原768−1 稲荷神社 5/5 子供神輿2基
神輿=明治3年(1870)4月、新調するも昭和35年(1960)に廃止し子供神輿2基新調する。
行畑315 八幡神社 5/4 例祭
行畑1丁目1−16 行事神社 5/5 例祭
市三宅2012 屯倉神社 2/11 祈年祭
5/4 例祭
久野部267 大行事神社 5/5 例祭
竹生2106 日吉神社 5/5 例祭
三上838 御上神社 10/祝日 ずいき神輿5基 長之家、東上座、西上座、東下座、西下座
妙光寺1 三上神社 5/5 例祭
南桜1 野蔵神社 5/5 例祭
北桜487 若宮神社 5/5 オコナイ 渡御には、御幣布と云われる弓矢と扇鉾が頭屋より供奉する。
大篠原2375 大笹原神社 5/5(元・7) 神輿2基
5日に渡御(神輿2基、子供神輿、樽みこし)。拝殿でションガイナ(豊作)踊りを奉納。
往古は6日に御旅所に神輿渡御。夕方にションガイナ(豊作)踊りを奉納。7日に神輿が還御。
高木651 春日神社 5/5 例祭
小南2144 国主神社 5/5 太鼓4〜5 獅子舞
小堤954 稲荷神社 5/5 例祭
入町16 日吉神社 4/13 例祭
長島382 長嶋神社 5/5 例祭
永原1041 菅原神社
(永原天神)
2/25 祈念神道大護摩大祭 火渡り神事。神道火渡り神事は全国唯一。
5/5 神輿 大小
太鼓 永原、北、中北
上屋1448 篠原神社 5/5 例祭
辻町131 三上神社 5/5 子供神輿 子供が台車に載せて引く。
太鼓 大人が台車に載せて引く。
富波乙631−1 生和神社 5/5 神輿
太鼓
神輿⇒神輿蔵は平成14年、加藤建材により葺き替え。
五之里1 妻之神社 5/5 例祭

 ≪栗東市≫
 ■治田(はるた)地区
   ⇒岡、目川、坊袋、川辺、安養寺、上鈎、下鈎、小柿、下戸山、中沢
下戸山20 五百井神社 5/5 神輿
神輿=神輿蔵は平成15年、新築。加藤建材の作。
下戸山1200 小槻神社 5/5 神輿
花傘踊り
花傘踊り=古くは4月初卯の日に行なわれていたが、明治42年以降は現行日。
祭りの当番は輪番制で、干支の順で子・酉・午の年には山寺(草津市)、亥・巳・寅の年は、岡・北原(下戸山の一部)、辰・戌の年は目川、未・丑の年は坊袋、申・夘の年は川辺が奉納する。

■宵宮(4日)
宵宮渡しは簡素な道具と衣装を着けた踊りが行われ、当番村から神社までを往復する。
■本宮(5日)
村の中で踊りを披露した後、小槻大社に向けて出発。行列は子役たちの他に神饌の入った唐櫃や神榊を持った人、榊持ち・神輿かきと続き道中では伊勢音頭が歌われる。神社での神事と踊りの奉納後、神輿が出され再度本殿の前と龍王社の前にて踊りが披露。その後、行列は神輿をお旅所まで渡御し、お旅所での神事と踊りが奉納されると神饌の金柑が皆に振る舞われる。一行が小槻大社へお神輿を納めたのち、村へと戻り、村中で踊りを披露する。
■後宴(6日)
中沢1丁目11−15 菌(くさびら)神社 5/5 子供神輿3基
雑魚(ざこ)の馴れ寿司が御神饌として調製され供えられる。境内では神楽が奉じる。
 ■葉山地区
   ⇒伊勢落、林、六地蔵、小野、手原、大橋、出庭、辻、今里:高野
伊勢落69 壽泉神社 5/5 例祭
伊勢落265 岩上神社 5/5 例祭
小野149 白鬚神社 5/5 例祭
手原3−9 稲荷神社 5/5 例祭
大橋1−6 三輪神社 5/3(元・10) 子供神輿
どじょう祭り
どじょう祭り=祭祀は東と西に分けた宮座で、計34戸ほどで斎行されている。
当番の家を出発。社参行列は、区長・宮司・御幣・稚児・御神酒・釣台・氏子 など。13時神社到着で祝詞奏上・神楽・玉串奉奠・神楽と行われる。
ドジョウのなれ鮨を漬けるのは、全国でもここだけと聞く。
出庭250 出庭神社 5/1 餅搗祭り
出庭344 天満神社 5/1 例祭
出庭800 天満神社 5/5 例祭
辻205 井口天神社 5/5 子供神輿
曳山休止 老松山
老松山=『企画展 まつり・祭り・祭礼』によると、平成10年(1998)江戸時代に造られたと考えられる曳山が発見され、仮組立が行われた。
車輪が失われるなど完全な姿では無かったものの、勾欄を回した露店部を欅材で四本柱で支えた飾り山形式の構造で、木鼻には獅子と象の彫刻が施されていた。露天部に飾り立てた菅公像の頭部も発見された。
高野726 高野神社 5/5 例祭 旧・郷社
 ■金勝(こんぜ)地区
   ⇒井上、東坂、御園、荒張、上砥山、観音寺
荒張896 大野神社 5/5 例祭 御旅所は春日神社(荒張669)
御園太鼓踊り(上山依(かざまわり)太鼓踊り)=慶事の時に踊られる。
県指定無形文化財。風流踊り。中世末期から近世初頭にかけて他の太鼓踊りと同様に流行した。

嘉永4年(1851)
公顕法親王が金勝寺別院狛坂寺再建法要の折に奉納された太鼓踊りを末長く残すよう賜ったと伝えられる。祭の行列は、太鼓踊り10人、シンボウモチ1人、唄い手10人、鉦1人、笛3人で構成。踊りは、10人が2人1組の5組となり跳と摺足で回転するのが特徴。
上砥山660 日吉神社 5/5 神輿(大小)
6/5 濁酒祭り
9/1土曜 田楽踊り 県選択無形民俗文化財
現在の上砥山は、上向、下向、川南の三つの自治会で構成する連合自治会となっているので、輪番で神輿を奉仕。
濁酒祭り=田植えの無事終了と豊作を願って行われるもので、
 前年の5月中旬に神饌用田植祭により当番の田が定められ、9月に抜穂式がなされ、玄米2斗が酒造米として保管される。
 翌年3月下旬には玄米を酒造用白米に仕上げ、4月にしこみがされる。5月下旬(6月1日に一番近い日曜日の午前中)、神酒殿で濁酒の量とアルコール度数の検査を受け、そして神酒として献じられます。量としては約50L。度数は17〜19である。
 祭事は、まず神社・野神さんで祭礼が行われた後、神酒(濁酒)が参拝者にふるまわれる古式祭で、濁酒醸造は酒造法で免許されている。
田楽踊り(太鼓踊り)=県選択無形民俗文化財。
旧暦8月15日の夜に氏子の青年により奉納されていたが、現在では9月の第1土曜に田楽踊保存会が行なっている。
資料によると古くは、「花の踊り」、「花踊り」と呼ばれていたが、昭和初期より現在の「田楽踊」の名で呼ばれている。

旱魃時における雨乞いとその御礼踊りとして演じられ、明治6年の歌本にはその年が格別の旱魃であったため、氏神に雨乞いの願を掛けたところ、7日目に大雨が降りその御礼に3日間にわたり花の踊りを奉納したと記している。
 ■大宝地区
   ⇒蜂屋、野尻、綣(へそ)、苅原、笠川、小平井、霊仙寺、北中小路、十里
蜂屋231 宇和宮神社 5/5 例祭
野尻94 日吉神社 5/5 例祭
綣7丁目5−5 大宝神社 5/3、4 例祭 神輿3基、さつきみこし
10/8頃の日曜 相撲祭り
■宵宮:15:00〜神社参道にて子供綱引き大会。19:00〜特設会場にて邦楽の夕べコンサート。
■本宮:13:00〜の式典、14:00〜3基の男性神輿・さつきみこし・稚児社参、宮座行列。
御旅所は、諏訪神社(守山市焔魔堂町)と八幡神社(栗東市市川原)で1年交代で渡御。
相撲祭り=室町時代、水田の水利権争いを神社の神主が仲裁し、双方の村の子どもに相撲をとらせた故事に由来する。
太々神楽の奉納や子供相撲大会、手作り化粧まわしコンテストなどがある。