滋賀県

   ≪高島地方≫

      高島市
住所  神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪高島市≫
  平成17年(2005)1/1、高島郡マキノ町、今津町、朽木村、安曇川町、高島町、新旭町が合併して誕生。
 ◎旧・マキノ町
  ■海津地区
    ⇒海津、西浜
マキノ町海津1253−2 海津天神社 4/29(元・22) 神輿2基
化粧まわしの若衆が神輿を担いで練り歩くところから力士まつりとも呼ばれている。化粧まわしは海津が宿場町として栄えていた頃、回船問屋で働く若者が力士をまねてまわしを競ったのが始まりと云われている。
13時に海津天神社から色鮮やかな化粧まわしを着けた若者に担がれた神輿2基が、海津と西浜の二手に分かれて、「ヨーイヤサージャー」の掛声で、神輿を上下左右に激しく揺さぶり蛇行しながら海津、西浜地区を練り歩く。二手に分かれたところで落ち合い休憩の後、夜の部が始まり、神輿を担いだ若衆はもう一度同じコースを練り歩く。2基の神輿は合流し20時頃に神社に還御する。
 その後境内で、松明の薄明かりの中、神輿の激しい「おねり」が行われる。
  ■剣熊地区
    ⇒小荒路、野口、在原、浦、山中、下
マキノ町野口214 日吉神社 4/19 例祭
マキノ町在原637 日吉神社 5/3 例祭
マキノ町浦627 大荒比古神社・鞆納神社 4/19 例祭
マキノ町下78 津島神社 4/19 例祭
  ■西庄地区
    ⇒白谷、牧野、上開田、下開田、寺久保、蛭口、石庭
マキノ町白谷64 国狭槌神社 12/9 例祭
マキノ町上開田609−2 坂本神社 4/22 渡御
マキノ町寺久保697 天神社 4/22 例祭
マキノ町蛭口1487−1 日枝神社 4/22 例祭
マキノ町石庭577 八幡神社 4/22 例祭
  ■百瀬地区
    ⇒辻、森西、沢、知内、新保、中庄、大沼
マキノ町辻198 春日神社 4/22 例祭
マキノ町森西175 大処神社 4/22 神輿
マキノ町知内924 唐崎神社 7/28、29 川裾まつり
マキノ町新保900 天満宮 4/18 例祭
マキノ町中庄431 日枝神社 4/22 神輿
マキノ町大沼178 日吉神社 4/18 例祭
 ◎旧・今津町
  ■今津地区
    ⇒梅原、岸脇、藺生、上弘部、下弘部、弘川、大供、南新保、今津
今津町弘川1707−1 阿志都弥神社・行過天満宮 4/29 神輿
競馬・流鏑馬神事 昭和15年頃まであり
弘川地区を5つの組に分け、それぞれの組から当屋」が選ばれる。当屋で準備された神饌物が境内の社務所に奉納され、地区の子供による神輿、お囃子に合わせた踊りが行われる。午後になると、威勢の良い若者達がかつぐ神輿が中浜の住吉神社、南浜の大水別神社へ向い、神事が執り行われた後、阿志都弥・行過天満宮まで戻る。神輿の奉納が終わると、社務所に奉納された神饌物を「くろごろ」・「かみしも」と呼ばれる衣装を纏った「当屋」の人たちが古式に則り神殿に献上する。
今津町大供269 八雲神社 4/17 例祭
  ■三谷地区
    ⇒深清水、日置前、桂、福岡、酒波、北仰、浜分
今津町深清水944 日吉神社 4/12 例祭
今津町日置前3572 八幡神社 9/14 例祭
今津町桂626 いちはら神社 9/11 例祭
今津町福岡467 井ノ口神社 4/17 例祭
今津町福岡1137 日枝神社 3/21 例祭
今津町酒波857 日置神社 4/18 川上祭り
今津町北仰316−1 津野神社
川上祭り(さんやれ祭り)=県指定無形民俗文化財。毎年4月18日に、酒波の日置神社(上の宮)、北仰の津野神社(下の宮)、両社の祭礼。
中心は、日置神社と津野神社で、大幟と神輿が輪番で出される。当日、両神社で式典が済むと、中間地点にある平ヶ崎馬場(へがさきばんば)(御旅所)へそれぞれの行列が向かう。高さ約18mの大竹に赤・青・白の飾りを付けた2本の大幟、子供が持つ約50本の小幟が待ち構えるなか、馬場へ神輿が到着し、馬場では引き続き、神輿渡御、サンヤレ踊りの順で、馬場奥の祭礼場へと進む。神輿渡御のあと、各集落の氏子代表が敬虔な祈りを捧げる儀式、流鏑馬などが行われる。
 氏子は西組(神輿で酒波・三谷・伊井・平ヶ崎・構)、北組(踊り組でマキノ町大沼・北深清水・南深清水・桂・北仰)、南組(さんやれ奉納で岸脇・梅原・中ノ町・井ノ口)という3つの組に分かれて、年毎に交代で神輿・幟・踊り子を担当する。
 また「サンヤレ」の語源については、「サン」とは「さあ」にあたり「ヤレ」とは「はらえ」にあたるとも、「幸いあれ」「山野に礼」の意味とも言われている。
今津町浜分313−2 日吉神社 4/22 例祭
今津町浜分351 八幡神社 4/22 例祭
今津町浜分650 安閑神社 4/22 例祭
今津町浜分1343 秋葉神社 7/18 例祭
  ■三谷地区
    ⇒狭山、天増川、杉山、椋川、途中谷、保坂、角川、追分、北生見、南生見
今津町天増川616 八幡神社 5/3 例祭 10世帯、15人(2013年)
今津町杉山128
八幡神社 5/3 例祭
今津町杉山508 勝手神社 5/3 例祭
今津町椋川617 山神社 4/28 例祭
今津町椋川708 日吉神社 5/14 例祭
今津町途中谷65 八坂神社 5/14 例祭
今津町角川95
津野神社 4/27 例祭
 【饗庭野演習場】
 古来熊野山と呼ばれた広大な台地は、明治になって饗庭野と改称され、富国強兵の国策に副って砲兵演習場として陸軍の買上げるところとなった。
その後、装備の大型化や射程の拡大等に伴って手狭になると、その都度隣接する山野を買収して対応して来たのであるが、戦後、陸上自衛隊戦車大隊が常駐し航空機との立体的な演習場として機能させる為には、更に近接する農耕地や集落までも必要とするに至った。

まずは追分が昭和49年8月に今津へ集団移住。その後騒音 等も問題もあり、平成4年頃に北生見と南生見は、自衛隊の演習地となり、国有地となったため、住民は全て、弘川地区へ移転した。
追分は野営地とする為に、演習場内の建設工事に伴う残土を大量に運び込み地均しをして、集落の名残りは無い。
北生見南生見の両方には白山神社があり弘川の白山神社の境内社となる。
北生見の特殊神事に県指定無形民俗文化財のシイラ祭があった。これは小浜で獲れたシイラが奉納され、古式に則り料理する祭りだが、移転のため平成4年を最後に消滅。

 ◎旧・朽木村
    ⇒荒川、野尻、市場、宮前坊、岩瀬、雲洞谷、地子原、麻生、柏、古川、大野、村井、栃生、小川、平良、桑原、生杉、中牧、古屋、小入谷、能家
朽木荒川594−1 伊吹神社 5/10 例祭
朽木野尻451−1 山神神社 5/10 例祭
朽木宮前坊289 邇々杵神社 5/2日曜(元・10) 渡御

午前中に拝殿で神事が行われ、午後からは太鼓の音を合図に御旅所に氏子一同が集合し、槍や鉦を持った役の人が神社まで行列を組んで進む。そして神社に到着すると境内の入口付近の「お花畑」と呼ばれる場所を回って整列し、御神酒を全員で頂く。その後、天狗面を先頭にして神殿(こうぞん/=神主役)や神輿2基、笠鉾を加えた行列が神社からお旅所まで渡しを行い、御旅所では、神殿が巨大な御幣を振る「幣振り」や花びら餅の振る舞いがある。それらが終わると、御旅所から神社へ神輿が戻り、祭りが終了する。

 神社に残る記録によると、以前は行列が神社に到着した後に、流鏑馬や田鋤などの行事があり、流鏑馬では錦の衣装に身を包んだ「弓馬(ゆみんま)」が、馬で走りながら的を矢で射抜き、田鋤では、農夫の格好をした者が、面白おかしく馬で田を鋤く真似をしました。こうした行事のため、祭りには、いつも5頭の馬が用意されていたが、馬を飼う人が少なくなり調達が難しくなったことから、昭和30年代半ばから、馬を使わない現在の形になった。

大宮(河内社)=平成23年、180年ぶりに修復。
十禅師(本殿)=平成23年、180年ぶりに修復。
朽木岩瀬213 志子淵神社 5/10 例祭
朽木雲洞谷902 日吉神社 5/10 例祭
朽木麻生643 若宮神社 5/10 風祈能(かざいのう)
風祈能若狭能倉座神事能保存会から2名の能楽師を招き、五穀豊穣を祈って神前において上演される。
朽木大野161 市杵島神社 5/10 例祭
朽木村井947 八幡神社 5/10 例祭
朽木栃生1226 八皇子神社 9/14 例祭
朽木平良197 思子淵神社 6/20 例祭
朽木桑原185 夷神社 6/20 例祭
朽木中牧473 大宮神社 5/20 例祭
朽木能家372 山神神社 5/10 例祭

 ◎旧・安曇川町
  ■広瀬地区
    ⇒上古賀、下古賀、南古賀、長尾、中野
安曇川町上古賀704−1 八幡神社 5/1 例祭
安曇川町下古賀1538 八幡神社 5/1 例祭
安曇川町長尾1049 若宮神社 5/16 例祭
  ■安曇(あど)地区
    ⇒常磐木、五番領、田中、三尾里、西万木
安曇川町常磐木1239 三重生神社 4/28、29(元・18) うしの祭り
三重生の集落から神社本殿まで約250mの参道を氏子らで行列渡御を行う。この祭りの見どころは、御旅所から神社に行幸するお渡りの途中で、振姫の里である越前の方角に向かって天狗の三々九度の神事(9回の垂直とび)が奉納され、続いて黒い獅子頭をもった二人の小学生が紋付袴姿で、獅子の口を3回タンタンタンと開け閉めしながら、獅子の三々九度が奉納される。
粽撒き、神牛神馬の宮巡りが終わると、これで「引上げ」といって下向する。
安曇川町五番領233 天満宮 6/5 例祭
安曇川町田中1882−1 田中神社 5/3、4 渡御 流鏑馬、子供による奉納踊り
神輿=江戸期の作。
子供みこし
=3基。高瀬装束店の作。宝くじ一般コミュニテイ助成事業助成金で購入。
笠鉾=3基。ま組、つ組、り組と名付けられている。
安曇川町三尾里558 箕島神社
安曇川町西万木783 日吉神社
  ■本庄地区
    ⇒青柳、横江、上小川、下小川
安曇川町青柳944 日吉神社 5/1 青柳祭り
青柳祭り=『近江の祭礼』によると、祭礼日は「五月一日午前十一時」で、概要は「青柳の氏神祭りで、祭りの主体は流鏑馬である。役馬乗りの青年は、半月間の社務所での自活生活と、練習に練習を重ね、手ばなしや扇の手弓の手の古式を行う。馬場の両側に桟敷を作り客をもてなし、また神輿渡御など日没まで賑わう」とある。
安曇川町上小川179 日吉神社 5/16 神輿
10/10 えやおう神事
えやおう神事=『近江の祭礼』によると、祭礼日は「十月十日」で、概要は「助九郎湯ともいう。慶長年間に小川村の小川助九郎が大坂の陣に出陣し、功を成して後、本社に刀や装束を寄進し、お湯を奉納したことにちなむという。神事は前方に的を立て、その前で新藁を燃やし、刀と装束を背負った男の子二人が「えやおう」の掛け声とともに、拝殿と火の間を往復する。また集まった氏子には「牛の舌」と呼ばれる餅と豆が配られる。」とある。
安曇川町下小川439−1 国狭槌神社 5/4(元・1) 天狗の舞 9:00〜神事、9:30〜天狗の舞
  ■本庄地区
    ⇒川島、北船木、南船木、四津川、横江浜
安曇川町川島615−1 阿志都弥神社
安曇川町北船木2203 若宮神社 旧・5/10 例祭
安曇川町南船木210−1 日枝神社 旧・5/10 例祭
安曇川町南船木283 日枝神社 旧・5/10 例祭
安曇川町四津川541
加茂神社 5/1 例祭
安曇川町横江浜141 綾神社 4/11 例祭

 ◎旧・高島町
  ■大溝地区
    ⇒勝野、永田、音羽
勝野2166 日吉神社 5/3、4 神輿 あり
曳山5台 湊、巴、宝、勇、龍
湊組(勝野町組)⇒勝野町、長刀町、江戸屋町、六軒町、北船入町よりなる。
=屋根:切妻妻入。
天幕は緋羅紗に仙人の刺繍。胴幕は綴錦に波と千鳥の図。見送り幕は清朝初期の作。二仙人の図。

巴組
(南本町組)⇒南市本町、職人町、蝋燭町よりなる。
=巴組の記録「古今記」には文化元年(1804)に「引山家台」を内下村の大工山田仁兵衛に制作させたとあり、翌2年に「引出土蔵」。山蔵の普請がなっていることからして文化元年の建造とみられる。
屋根:入母屋妻入。正背両面に軒唐破風をつける。
天幕は緋羅紗に白羅紗くりぬきの巴紋。胴幕は紫紺地に五爪の龍。見送り幕はペルシャ製。

宝組(北本町組)⇒紺屋町、今市本町、新庄本町よりなる。
=御簾箱に元文3年(1738)の墨書きあり。
屋根:切妻妻入。
見送り幕は白地の毛織物に墨画の雲龍を描く。

勇組
(新町組)⇒今市新町、新庄新町よりなる。
=屋根:入母屋妻入。八ッ棟造り。
胴幕は綴錦の地に刺繍の唐子遊びの図。見送り幕は緑の羅紗に円山応瑞の下絵の中国風の人物図。

龍組(中町西町組)⇒今市中町、新庄中町、南市中町、南市中町、十四軒町、西町、伊勢町よりなる。
=屋根:向大唐破風。
天幕は緋色地に巴紋を白ぬきして織り出す。見送り幕は竹林の七賢人の図。
永田1203 長田神社 5/1 例祭
音羽465 大炊神社 5/1 例祭
  ■高島地区
    ⇒拝戸、高島、鹿ヶ瀬、黒谷、畑
拝戸716 水尾神社 5/6 例祭
高島647 日吉神社 5/5 例祭
高島1706 玉津島神社 5/5 例祭
畑591 八幡神社 5/1 例祭
  ■水尾地区
    ⇒鴨、野田、宮野、武曽横山
鴨2107 貴布禰神社 5/1 例祭
鴨2262 志呂志神社 5/1 例祭
鴨2395 日吉神社 5/1 例祭
野田501 宇多伎神社 5/4 例祭
野田1140 八幡神社 9/15 例祭
宮野362 白山神社 5/4 例祭
武曽横山1043 若宮神社 5/10 例祭
武曽横山2074 日吉神社 5/5 例祭
  ■小松地区(旧・滋賀郡)
鵜川215 白髭神社(公式HPへ 5/1 神輿

 ◎旧・新旭町
   ⇒藁園、太田、新庄、北畑、安井川、饗庭(あいば)、熊野本、旭、針江、深溝
新旭町藁園2056 藁園神社 6/中旬 鯰祭り
起源は二説ある。正元元年(1259)、地震をともなう大雨が続き洪水となり、社殿が浸水した時に大鯰が現れ神主が退治したところ、たちまち雨がやんで晴れてきた。
また、生保三年(1646)、降雨が少なく農作物に害虫が異常発生したため、困って害虫駆除の祈願をしたところ鯰が現れ害虫を食い尽くしてくれた。
共に村人は喜んで祭典を行って神前に能楽を奉したと云われている。
新旭町新庄 加茂神社
新旭町太田1468 大田神社 5/1 例祭
新旭町安井川314 大将軍神社 9/26 例祭
新旭町安井川686 日枝神社 10/10 例祭
新旭町安井川844 大荒比古神社 5/4(元・10) 神輿 流鏑馬
七川祭り=鎌倉時代に佐々木高信が佐々木氏の祖神を勧請して大荒比古神社に合祀し、以来、出陣の際には戦勝祈願をし、凱旋のときに御礼として12頭の流鏑馬と12基の的を神前に奉納したのが、始まりと云われている。
神輿渡御や傘鉾行列と馬場を勢い良く駆け上がり3旗の的を射抜く流鏑馬、旧8ヶ村の役馬競馬と奴の姿をした若者が的や酒樽などをかついで練り歩く奴振りが今に伝えられている。
新旭町饗庭619 大国主神社 5/3 五十川祭り
五十川(いかがわ)祭り=現在は式典と稚児神事、神輿(大宮神輿と小宮神輿、若宮(八幡)子供神輿)三基渡御のみだが、神輿は応永元年に3基(大宮、八王子、三宮)が寄進されたが安永年間に修理されたと記録がある。明治22年に八王子神輿・三宮神輿を破棄し、大宮神輿の一基となった。その後子供神輿で復活している。
 流鏑馬神事は50頭前後の馬が参加する湖国有数の馬神事であったが、現在は廃れている。
御旅所は明治以前は上山であったが旧白雲天神社境内地北側に移転されている。
新旭町饗庭2929 若宮八幡神社 5/1 例祭
例祭は旧暦4月初寅に里道で行われていた。明和9年馬場開設され、享和元年より流鏑馬式を行っていたが明治10年に5月8日と改め14年に流鏑馬が矢を放つを中止した。神輿渡御は文禄年間より継続されていたが戦時中走馬式と共に廃止し、例祭も5月1日に統一された。
新旭町饗庭3363 波爾布神社 4/20(毎年) 神輿 旧・郷社
神輿⇒神輿蔵は平成16年(2004)改築。
=聖武天皇の御代、井出左大臣橘諸兄公が、天平13年(741)寄進するが、明和3年(1766)5月15日の落雷で神輿蔵と共に焼失。
その後焼け残った金具を用いて再興。明治以前は2月の初丑の例祭に、新婚者によって内湖を渡御した。

明治になり湖中渡御はなくなり、例祭日は3月21日に代わり、更に4月20日に変更される。
神輿渡御も昭和35年頃が最後となる。例祭の渡し番は饗庭・熊野本・旭・針江・深溝の順で木津も一時期渡し番をしていたが、昔からの習わしと地元氏子として神社の維持運営にあたっているので、現在は渡し番はしていない。

 2013年4月21日の毎日新聞には『1300年近く昔の奈良時代天平年間には存在していた県内有数の歴史を誇る波爾布(はにふ)神社(高島市新旭町饗庭の例祭が20日、厳かに営まれ、住民の雅楽や舞、和太鼓が彩りを添えた。

 地元雅楽団体の「深溝楽人(ふかみぞがくじん) 饗信社(あいしんしゃ)」=石田忠男代表=の烏帽子(えぼし)、狩衣(かりぎぬ)姿の6人が越天楽(えてんらく)を奏する中、供物をささげたほか、宮司の家族が舞を奉納。女性和太鼓団体、新旭鼓西(こせい)太鼓=上原三栄子代表=の7人も神前で勇壮な演技を披露した。』とある。
新旭町饗庭3720 健速神社 5/3 子供神輿
 例祭日は6/7⇒5/7⇒5/1(昭和35年〜)⇒5/3(昭和62年〜)。
昭和初期までは小浜より能楽師を呼び能楽奉納し、集落の有志が謡曲を奉納するも、能楽師への礼金支払いが厳しくなり、昭和2年3/25、この年度より例祭に稚児奉仕することを決定。
昭和51年より子供会主催で樽神輿が始まり。昭和61年5/1、町会議員や氏子総代により樽神輿奉納。
平成4年4/12、宝くじ補助金事業(約250万円)で子供神輿購入。猿田彦先導の元、稚児参列の神輿渡御となる。
新旭町熊野本870 佐々木神社 5/1 竹馬祭り
新旭町旭1156 森神社 5/1 例祭
新旭町針江578 日吉神社 5/3(元・11) 例祭
新旭町深溝1460−1 日吉二宮神社 5/3 例祭