島根県


      ≪隠岐≫

    島前西ノ島町、海士町、知夫村

    島後=隠岐の島町

住所 神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪隠岐郡≫     

 西ノ島町
 ■西ノ島(にしのしま)
面積は55.79km2。周囲116.5km。最高地点は452m(焼火山)。人口は3155人(2013年)。

島前(どうぜん)と呼ばれる3つの島の中で最大の島。真ん中のくびれた所は幅が300m程しかなく、大正14年にはこのくびれに運河(船引運河)が開通し、さらに昭和39年の大改修で幅は15mに広げられ、今では観光船が行き来する観光名所になっている。
 ■浦郷地区
浦郷922 由良比女神社 7/最終土日
(西暦偶数年)
神輿 島前神楽
 初日は朝から式典と相撲が奉納され夕方から神輿が繰り出され、神船のつながれている港まで練り歩く。神輿が船に乗ると見物客なども乗り込み、湾内を1時間程度かけて巡航、船が海上にある頃、花火大会が催される。
 翌日は還幸式。前日の夜に御仮屋に納められた神輿を再び神社に担いで帰る。神社の境内で練り歩く。
浦郷165 日吉神社 10/中旬
(西暦偶数年)
庭の舞、神の相撲、田楽の十方拝霊
庭の舞=国指定重要無形民俗文化財。近江国甲賀郡真野庄の領主であった真野宗源が戦乱を避けて、氏神と共に隠岐に逃れた際に伝わったものと云われている。
当日は1週間に渡る潔斎を伴う庭の舞と呼ばれる他の地域に無い芸能があり、歌詞から「東遊(あずまあそび:東国の風俗歌にあわせて舞う上代の歌舞、現在でも宮中の皇霊祭などに奉される)」に倭舞の要素が混入して固定したものと云われている。
赤之江(浦郷1998) 茂理神社 7/27 神幸祭(隔年) 氏地は赤之江区
三度(浦郷2682) 待場神社 7/13&/11/24 例祭 氏地は三度区
珍崎(浦郷3451) 聖神社 7/22&/11/25 例祭 氏地は珍崎区
宇賀402 真気命神社  7/1920 神幸祭(隔年) 氏地は物井
倉ノ谷(宇賀1685) 比奈麻治比売命神社 7/28 例祭 氏地は倉ノ谷
 ■美田地区
美田2177 美田八幡宮 9/中旬
(西暦奇数年)
神輿、相撲、獅子舞、田楽
田楽=国指定重要無形民俗文化財。天正18年(1590)に奉納されたという記録あり、口伝では後白河法王時代に島に入ってきたと云われている。
美田1294 焼火神社 旧・7/23 島前神楽 当社は神仏習合による社であったが、明治以降儀式は改められた。
波止(美田1058) 橋乃里神社 7/23 例祭 集落内の地域的区分は五組あり、東小路・西小路という区分もある。
3/28&/11/28 春秋祭 区公会堂において前夜は日待祭を行い、祭当日 は区民全員、公会堂において直会を行う。
大山1931 渡利神社 4/23 例祭 氏地は大山
大津(美田174) 大山神社 7/13 神幸祭(隔年) 氏地は市部と大津
小向(美田3098) 高田神社 7/18 神幸祭(隔年) 氏地は小向と船越
別府409 海神社 7/21(隔年) 神幸祭 船渡御祭
10/21 秋季大祭 御蒸祭
往古は隔年の6月20日から21日にかけて「大祭」が行われが、太陽暦施行後は7月21、22日となる。
船渡御の行われる年には、21日の夜に隠岐島前神楽が奉納される。船渡御祭の起源は不詳だが、弘化4年(1847)に再興したとの記録が残されている。
御蒸祭=新穀1斗2升を炊いて12膳に分け、神前に献じる。かつては9月29日に小祭として行われていたが(『旧社取調帳』)、太陽暦施行後は現行日に秋季大祭と称して斎行している。
別府耳浦 耳浦山神社 旧暦二月初巳&10/28 でやんな祭 元は個人(別府近藤家 屋号オカタ)の祀ったものであった が、今は区で祭祀を行っている。
でやんな祭=公会堂の一室に祭壇を設け、御神号を掛け御幣(三本)神供(五台)を献り、祝 詞。それが終了すると神主従者と共に本社へ出向(神主御幣を奉持、従者米並び に水汲具を持つ)。この時出立(デヤンナヨーデヤンナヨー)を区民に知らせる (これは祭りに携わる神主に出会うと罰が当たるといって家居している)。本社着、先ず従者、酒石壷の酒を汲み、神主神前に献じる。従者は旧酒を汲み捨て、 持参の米を石壷に入れ、蓋をする(酒造神事)。神主はその上に糀を置き祓う。次祝詞、拝礼、退下。帰って直会。公会堂を出立する時から、 帰って来るまで神主と従者は無言でいなければならない。
別府276 黒木神社 9/27 例祭 後醍醐天皇を祀る
 【シャーラ船】
西ノ島の盆の風物誌であるシャーラ船とは、「精霊流しをする船」のことである。
毎年8月16日の早朝、美田地区、浦郷地区の岸壁から船に引かれたシャーラ船が青い海にゆっくりと流れていく。
骨組みには竹や木を使い、船体にわら、それに帆柱を立てる。帆に色紙で作られた無数の盆旗を結びつけたいる。
 元々今の様に大型では無かったが、明治30年ごろ能儀郡から来た坂口某という船越の堂の住職がこれを公案し、集落 共同で大型の藁と小麦藁で仏を送るのが発端であるとされている。それ以前は集落の各戸が供物を一斉に海に流したので、海岸が不衛生であり、これが原因で疫病が蔓延したという。このやりかたは波止・市部・大津・小向・浦郷・珍崎・三度に も伝播した。
 【神楽社中】
別府神楽同好会
=美田。昭和50年発足。隠岐島前神楽保存会より習得。六調子と八調子の折衷神楽。
演目は寄せ楽、神途舞、幣帛舞、巫女舞、先払能、隋神、切部、恵比寿舞、舞い児、八重垣、神戻し。

 海士町
 ■中ノ島(なかのしま)
面積は32、31km2。周囲89、1km。人口は2392人(平成22年)。
海士1784 隠岐神社 4&10/14 承久楽
海士2499 東神社 7/21 例祭
海士1510 諏訪神社 7/22 例祭
海士4427 北乃惣神社 7/13、14(不定期) 神輿
海士5970 健須佐雄神社 7/16 例祭
豊田489 奈伎良比賣神社 7/5 ホーランエンヤ 神輿が乗った船を男たちが櫂で漕ぐ船で引っ張る。
豊田 恵比須神社 4/24 (不定期) だんじり1台
崎885 多井神社 7/10 例祭
崎1755 三穂神社 1/10(5年毎) だんじり1台
だんじり=町指定無形民俗文化財。枕太鼓の様なスタイル。4人の男の子が乗り、太鼓、手拍子(てびし)を打ち、それを青壮年が担いで練り歩く。2009(平成21年)、8年ぶりに復活。
「企画展 隠岐の祭礼と芸能」 平成30年、島根県立古代歴史博物館発行によると江戸期に岡山で冬を過ごした崎出身の船頭が西宮市のだんじりを崎に伝えたという。
宇受賀747 宇受賀命神社 7/10、11(4年毎) 神輿
知々井911 穂々美神社 7/20 例祭
知々井1618 北野神社 7/24、25 神輿
菱浦 菱浦恵比須神社 1/10(4年毎) 神輿
神楽
比須神社神輿として巡幸する。道中神輿地区内く。からった神輿せ、湾内を3還幸する。
菱浦(福井1220) 御倉神社 7/14、15(隔年) 神輿
福井282 宮田神社 7/17 例祭
中里(海士1510) 諏訪神社 7/21、22(不定期) 神輿
東(海士2499) 東神社 7/20、21(不定期) 神輿
福井1365−5 隠岐神社 4&10/14 巫女舞
御波45 布施神社 7/13 例祭 昭和18年に、布施地区と太井地区が合併
御波254 奈須神社 7/12 例祭
御波563 日御碕神社 7/7 例祭
各地区の神社では、夏に例祭を数年おきに大祭として催す。祭りでは、前夜祭と本祭で神幸祭を行う。神幸祭には道中神楽の舞と奏楽が行われる。
 【キンニャモニャ祭】
海士町の民謡「キンニャモニャ」を踊る、町最大のイベント。開催日は8月最終土曜。主催はキンニャモニャ祭り実行委員会(隠岐国商工会)。
1000人規模のパレードや水中花火。
 【神楽社中】
隠岐島前神楽保存会
=福井。室町期よりあると云われている。以前は神楽社中として社家神楽があったが、当主が他県転出時に保存会が発足。六調子と八調子の折衷神楽。
演目は寄せ楽、神途舞、入申、茣蓙舞、御座清め、剣舞、幣帛舞、先払能、湯立、隋神、切部、恵比寿舞、八重垣、天の岩戸、十羅、佐陀、鵜の羽、御扉開き、注連行事、月の輪かざし、布舞、舞い児、神戻し。

隠岐島前神楽 菱浦同好会=福井。昭和54年発足。隠岐島前神楽保存会より習得。六調子と八調子の折衷神楽。
演目は寄せ楽、神途舞、幣帛舞、巫女舞、先払能、隋神、切部、恵比寿舞、舞い児、八重垣、神戻し。

 知夫村
 ■知夫里島(ちぶりじま)
面積は13.7km2。周囲49.6、km。最高地点は325m(アカハゲ山)。人口は634人(令和2年、国勢調査)。615人(平成27年、国勢調査)。596人。
郡1018 一宮神社
(天佐志比古命神社)
7/最終土日(元・25)
(西暦偶数年)
隠岐神楽、子供歌舞伎
旧・8/15 皆一踊り
芝居小屋(隠岐島前指定文化財)で島前神楽を奉納した後、奉納演芸や子供歌舞伎などを2晩奉納。両日共、島前神楽の「浦安の舞」と「三番叟」が奉納。
日曜には子供神輿、本神輿の巡幸もあり。
芝居奉納=西暦偶数年の例祭日夜に行われる。明和年間に江戸時代に鯨の漂着があり、その後凶事が続いた為に、神を慰める方法として少年の手踊りを奉納したのが始まり。
文政年間には歌舞伎の要素が入り、さらに明治時代になると村民による本格的な歌舞伎奉納が行われ、現在に続いている。
皆一踊り=秋祭りやお盆に踊られる。明治中期までは仁夫、古海、多沢にも残っていたが、今や郡のみ。室町時代の狂言小歌(狂言風流)系統とみられる。
本来は豊作祈願として奉納されていたが、風祈祷や雨乞いの際にも歌詞を変えて奉納されることがあった。鼕(胴)打ちを中心に円陣を作り、音に合わせて歌いながら扇子1本を持って踊る。
古海2889 姫宮神社 7/12 例祭
仁夫里2391 大山神社 7/24 例祭
 ■島津島
面積は不詳。南北約1km、東西約500mの細長い無人島。知夫里島とは橋で繋がる。島内にはキャンプ場と海水浴場がある。
また牛の放牧場があるため、春には草を求めて島津島へ、秋には牛舎へ戻すため牛を泳がせて渡すので有名である。
3962 渡津神社 7/18 例祭
 ■波加島(はかしま)
知夫里島東南部に位置している無人島。住所は薄毛になる。大波加島(おおはかじま)と小波加島2島がある。両島とも岩がちの島で耕地はなく、付近の海域はわかめ、のりなどの産地である。
 また、大波加島はオオミズナギドリの繁殖地であり、魚釣りのメッカとしても有名。
 【神楽社中】
知夫神楽同好会=昭和41年発足。六調子と八調子の折衷神楽。

 ◆島後
 隠岐の島町
 平成16年(2004)10/1、西郷町、布施村、五箇村、都万村が合併して誕生。
 島後(どうご)
面積は241.58km2。周囲211.0km。人口は15395人(2013年)。
 ◎旧・西郷町
 ■西郷地区
      ⇒中町、東町、西町
港町天神原68 水祖神社 7/25、26 神輿 川祭りと称して、八尾川の安全厄除け祈願の行事から御神輿を出し、お旅祭りで町内の渡御式を行う。
中町目貫2−59 諾浦神社
東町9(旧・宇屋) 御碕神社 7/28(3年毎。次回は2020年開催) だんじり舞 大阪で言う枕太鼓 
宇屋だんじり舞風流=町指定無形民俗文化財。「企画展 隠岐の祭礼と芸能」 平成30年、島根県立古代歴史博物館発行によると
享和3年(1803)3月28日、正遷宮に奉納されたのが始まりとされる。痘瘡流行で延期になった遷宮が、この年ようやく実現の運びとなる。その神賑わいに、新しくだんじりを採り入れたのが、宇屋町庄屋の板屋(=屋号)松浦家と大坂からの流人の黒崎又五郎だった。黒崎は松平石見守の元与力で当時52才。寛政6年6月に宇屋村預りとなり住んでいた。又五郎は手跡や三味線を得意とし、多くの門弟を抱えていた。大坂で収賄で、島流しの憂き目にあったが、隠岐での晩年は地域と関り町の人に慕われたと云われる。

 だんじりの上で男児4人が「ヨーサイタ チョーサイタ」と声を揃えて太鼓を打ち鳴らし、担ぎ手の男衆は歌声を響かせたり、掛声と共にだんじりを揺らしながら進む。
西町4 東山神社 1/14 例祭 14日の夜に中学3年生(数え年16才)に従って、中2、1年生が東山神社に集合し、一夜篭りをする。その際、提灯を奉納する。
西町2 御埼神社
 ■東郷地区
      ⇒東郷、飯田、犬来、釜、大久
東郷 浦宮神社
東郷 小田神社
飯田宮原15 飯田神社 3/21 例祭
宵宮に頭、尾がそれぞれ8つの藁蛇を造り当日の早朝に大山祇神、甲(荒)神に廻り巻く。
本宮では神饌田で耕作された糯米で甘酒を作り、例大祭に出役する的射人。横屋1名、厄年の人1名がお御酒として丁戴する。田植え神事もある。
犬来小井江112 三保神社 4/2 例祭 特定の家が参加して祭前日に的づくりを庄屋宅で行い、免、カラス、ネズミ、ケモノの4字を書き、中心に黒丸を書き、早朝大山祇にて小的を3名で射る。続いて本殿で小的1、大的1を射る
釜峯畑12 森神社
大久下15−2 大久神社 4/2 例祭 特定の家が参加して祭前日に的づくりを庄屋宅で行い、免、カラス、ネズミ、ケモノの4字を書き、中心に黒丸を書き、早朝大山祇にて小的を3名で射る。続いて本殿で小的1、大的1を射る。
 ■中条地区
      ⇒池田、原田、上西、平、八田、有木
池田向田3−1 池田神社
原田斉宮465 住吉神社 春秋 お講
原田物忌1872 物忌神社 春秋 お講
原田古原田643 日吉神社 春秋 お講
原田田頭1173 八幡神社 春秋 お講
住吉、物忌、日吉、八幡の4社は、春秋の2回の例祭日に神社で祭典の後それぞれの宿で祝宴を行う。日時は各神社で異なる。2年に1度御客祭りが行われ、弓を引いて、害鳥害獣の防止の的射行事がある
上西雨来43 上西神社
平森脇143 平神社
八田榎原2 水祖神社 3/21 例祭
有木前田21−2 有木神社 3月 神輿
 ■磯地区
     ⇒下西、西田、今津、加茂
下西703 玉若酢命神社 6/5(毎年) 御霊会風流 馬入れ神事、流鏑馬、神輿
玉若酢命神社御霊会風流=県指定無形民俗文化財。隠岐国の各地から、神々が馬に乗り、6人の「馬づき」と呼ばれる若者を供にして玉若酢命神社に集まったという由来がある。
美しく飾られた馬の鞍に、神を象徴する御幣を立て、馬付の若者たちも「ちはや帷子」の装束をまとう。馬入れ神事(14:00〜)では大鳥居前に神馬が集合し、人馬一体となって参道を一気に駆け上がる。
下西1607 和気能須神社
西田 切明神社 2/19 例祭
今津392 白鳥神社 12/14 例祭
今津1550 厳島神社
加茂342 加茂那備神社 3/11 百手祭
加茂1632 姫宮神社
 ■中村地区
      ⇒元屋、中村、湊村、西村、伊後
元屋213 八王子神社 10/19 武良祭
中村198 一の森神社
隠岐武良祭風流=県指定無形民俗文化財。この祭りの起源は、鎌倉時代、隠岐の総地頭に任ぜられた佐々木定綱が、自分の本国近江の国から日神・月神を迎え、五穀豊穣を祈願して始められたと伝えられている。
 元屋八王子神社に祀られている日天子と、中村一之森神社に祀られている月天子が、「武良郷」の飯美、元屋、中村、湊、西村の神々と一緒に、中村の会所(祭場)において出会い行われる祭りである。大祭は西暦奇数年の10月19日開催。
 武良祭風流行事予定
日天子・月天子の和合による礼 ⇒行司拝礼(甲冑を付けた武者の拝礼)⇒陰陽胴打ち⇒神相撲(こずま)=子供による相撲の舞⇒占手(うらて)=青年による相撲の舞⇒浦安舞⇒流鏑馬。
 【白島海岸】
 島後の最北端に突出した白島崎の北方には、松島、沖島、白島といった多くの島々が散在しており、これらの海岸や島々は板状アルカリ石英粗面岩からなり、長い年月の風化や海食作用によって、極めて特異な風景美を造りだしている。その色彩がやや白味を帯びているところから、このあたりを総称して白島海岸と呼んでいる。昭和13年(1938))5月に国の名勝および天然記念物に指定された。
 松島は、白島崎に最も近い島で、船着場や休憩舎などがある。
 沖島は天然記念物のオオミズナギドリの繁殖地として有名で、昭和38年(1963)国立公園特別保護地区に指定された。また白島神社がある。
 小白島は、小さな島であるが、巨象が鼻で海水を吸い上げているかのような岩がみられ、象が鼻として有名である。
 このほかにも、高さ200mにもおよぶ寿仙崖をはじめ、人形窟、赤法師島など多くの景勝が並列している。
西村2133 白島神社 7/15 白島祭り
伊後605 伊後神社
 【神楽社中】
西村神楽保持者会=町指定無形民俗文化財。西村230。昭和24年3月発足。旧来、旧周吉郡7社家によって舞われていた社家神楽であったが、社家の減少等により西村神社等での奉納が困難になってきたため、昭和25年に旧西郷町東郷の旧社家村上氏の指導を受け、西村地区民が習得した伝承神楽。
六調子と八調子の折衷神楽。


東郷高倉会=町指定無形民俗文化財。旧周吉郡東郷神楽。東郷中谷3−2。旧・周吉郡内の社家が西村を訪れ神楽を行なっていたが、昭和25年に東郷村上社家より習得。
 ◎旧・布施村
         ⇒布施、飯美、卯敷
布施宮ノ内1110 春日神社 5/15(毎年) 神幸祭 うら祭りと本祭りが有り、うら祭りの年は、境内での神事のみ
布施 大山神社 4月(西暦偶数年) 布施の山祭り
布施の山祭り=山の神の御霊を鎮めるために行われるいわゆる山開き行事。現在は2年に1度に開催(西暦偶数年))。
毎年4月初丑の日(近年は日曜。元は旧暦2月初丑)に、その前日の「カズラ伐り」から始まる。これを「帯裁ち」といい、翌日の神事に使う榊、ハナなども合わせて切り出す。
 祭り当日には、このカズラを南谷(ミナミダニ)の大山神社、中谷(ナカダニ)の大山神社の御神木、そして荒神社(コウジンジャ)の御神木に巻きつける。これを「帯締め」と言う。
布施の山祭りが文献に初めて見られるのは、寛文10年(1667)である。
飯美北山1−380 白髪神社 3/14 例祭
卯敷下高平458 白髭神社 3/18 例祭
 ◎旧・五箇村
        ⇒郡(こおり)、代、南、北、北方、久見、苗代田、山田、那久路、小路(こうじ)
郡723 水若酢神社 2/17 祈年祭
5/3
(西暦偶数年)
神輿 あり
山車 蓬莱山
水若酢神社神幸祭=県指定無形民俗文化財。往古は旧暦3月3日に行われた。
7歳くらいまでの男児や、他郷で暮らす出氏子の子供たちが大綱で山車を引き約200mを巡幸する。神迎え神事の原型を留めている。
山車は毎回、組立て、解体が行われる。この山車は蓬莱山と言い、方一間、高さ一間の櫓を、鶴亀、造花などで飾りたてたもの。
山車が御旅所に着くと、山車に随って獅子舞、流鏑馬等の奉納行事も行われる。
代708 北谷神社 4/7 神楽(隔年奉仕) 代神楽
南方畑奥2352 徳照神社 4/3 例祭
北方859 北方神社 4/15(隔年) 神輿
北方1756 白山神社
南方1222 堅磐神社 10/15 例祭
久見735 伊勢命神社 7/26(隔年) 神輿 神楽
大苗代田419 木生神社 3/15 例祭
山田908 山田神社 2/初午 山田客祭風流
10/16(隔年) 神輿
山田客祭風流=町指定無形民俗文化財。当番宅での客祭り(昼食)、山田神社で本殿祭の後、神社境内で的射の式が行なわれる。
那久路794−5 水上神社 7/13 神楽(西暦奇数年、隔年奉仕) 昭和55年復活
小路963 熊野神社 3/15 例祭
 【神楽社中】
島後久見神楽=県指定、国選択文化財。久見735。明治22年発足。六調子と八調子の折衷神楽。
演目は寄せ楽、神途舞、入申、巫女舞、意趣の舞、花舞、八神、猿田彦舞、湯立、隋神、岩戸、恵比寿、鹿島、切部、神戸開、祝詞、供神酒、注連行式、行道巡り、剣舞、茣蓙舞、神上げ。

那久路神楽=隠岐神楽の中で原田地区の神楽を伝授。昭和5年7月、春祭り奉納が始まり。六調子と八調子の折衷神楽。
演目は神渡舞、巫女舞、二人舞、意趣の舞、四人舞、一番立て、鹿島の舞、弓八幡、湯立、鯛釣り、切部、茣蓙舞。
 ◎旧・都万村
         ⇒都万(つま)、津戸(つど)、那久(なぐ)、蛸木(たくぎ)、油井(ゆい)、蔵田(くらた)
都万砂子谷霊亀山4243 天健金草神社 9/15 放生会 祭祀は御幸祭、百手祭、放生会の三大祭を行なうが、氏子の分離で都万のみとなり放生会を明治初年より秋大祭と改称して行うようになる。
都万1814 高田神社 4/15 神輿、舞楽
都万2982 夜長神社 2/24 例祭
都万5361 白山神社 2/23 例祭
津戸西小路47 花生神社 3/28(毎年) 津戸の百手祭り
津戸の祭礼風流=津戸の百手祭りとも称する。町内に住む2人の男子が役主となり、「カンの矢」と大声で叫びながら東西の山を目指して矢を放つ。
那久中ノ谷1617 壇鏡神社 9/1 八朔祭の牛突き習俗
那久路328 那久路神社 3/13 例祭
蛸木中小路197 神嶋神社 3/18 例祭
油井笹野335 那智神社 3/19 例祭
油井国吉平16 國吉神社 3/19 例祭
油井前浜244 三保神社 3/19 例祭
蔵田2352 徳照神社
 ★展示場
 【五箇創生館】
隠岐の島町郡615−1。рO8512−5−2845。定休日は年末年始(12月29日〜1月3日のみ)ただし12月〜翌3月は土・日曜、祝日休。 9:00〜17:00。
入館料:大人500円、高・大学生300円、小・中学生200円
五箇創生館・隠岐郷土館共通入館料:大人650円、高・大学生400円、小・中学生250円。
隠岐の伝統芸能や自然を展示。隠岐の文化を映像にして放映。

 ■竹島(韓国名は独島)
隠岐の島町竹島官有無番地(旧・隠岐郡五箇村竹島官有無番地)。東島(朝鮮名は女島)と西島(朝鮮名は男島)の二つの主島と多数の岩礁からなる。面積は230.967m2。
松江から北に約70kmの隠岐から、更に北西に約157kmの距離にある。
 外務省所見

竹島の領有権に関する我が国の一貫した立場

1.竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに我が国固有の領土です。
2.韓国による竹島の占拠は、国際法上何ら根拠がないまま行われている不法占拠であり、韓国がこのような不法占拠に基づいて竹島に対して行ういかなる措置も法的な正当性を有するものではありません。
※韓国側からは、我が国が竹島を実効的に支配し、領有権を確立した以前に、韓国が同島を実効的に支配していたことを示す明確な根拠は提示されていません。

 日本共産党は「しんぶん赤旗」 2002年7月17日(水)によると、

竹島(韓国側では独島)は、島根県隠岐島西北方に位置し、二つの小島と約四十の岩礁からできています。周辺海域はワタリガニなどの優良な漁場でもあり、その領有をめぐる問題は、日韓両国の係争事項となっています。

 竹島は、古くから日韓両方の文献に登場していますが、長くどこの国の領土としても確定されない無人島のままでした。1905年、日本が竹島を島根県に編入してからは、国際的にも日本領として扱われるようになり、現在は島根県隠岐郡五箇村に属するとされています。

 一方、韓国は、1905年の日本の領有手続きそのものが無効だとして、「独島は厳然たる韓国領土」と主張しています。この時期は、日本の天皇制政府が朝鮮の植民地化をすすめていた時期でもあることから、こうした主張には検討すべき問題もあるといえるでしょう。

 第二次大戦後の1952年、韓国は一方的に竹島を武装占拠し、1988年の領海十二カイリ宣言以降は、日本漁船は韓国側に排除され、竹島の十二カイリ以内には近づけなくなっています。最近では埠頭(ふとう)まで建設するなど、韓国は「実効支配」の既成事実化をすすめています。こうしたやり方に、道理はありません。

 竹島問題には、このような複雑な経過と背景があり、その正しい解決のためには、なによりも相互の主権を尊重し、平和友好の精神をつらぬきながら、ねばりづよく交渉し、解決することが大切です。そのためにも韓国側は、竹島の一方的占拠を中止するべきです。

 日韓両国は、1998年の新日韓漁業協定で竹島の領有権問題の決着を事実上棚上げし、周辺海域を「暫定水域」とし、日韓の入りあい操業をおこなうことで合意しました。日本共産党は、この新協定を現実的な解決策として賛成しました。