栃 木 県

  ≪県央地方≫
    
   ■鹿沼地区⇒鹿沼市

 
住所 神社名 祭礼日 内容 備考
 ■鹿沼地区
 ≪鹿沼市≫
  平成18年(2006)1/1、鹿沼市+上都賀郡粟野町が合併。
 ◎旧・鹿沼市
 ■鹿沼町
    ⇒鹿沼宿、西鹿沼、下府所、花岡
今宮町1692 今宮神社 10/2土日 神輿 あり
屋台27台 戸張町、御成橋町、銀座1丁目、銀座2丁目、天神町、上材木町、久保町、中田町、下田町、下横町、末広町、東末広町、仲町、麻芋町、石橋町、下材木町、 寺町、蓬莱町、鳥居跡町、上田町、文化橋町、朝日町、府中町、府所町、上野町、府所本町、泉町
今宮神社の例祭は10/2土日に行われ、氏子34町のうち屋台を持つ27町から毎年20台ほどの屋台が出る。
 【御巡幸】
明治11年(1878)に神輿が出来てから、御巡幸が行われた。
一番町の鉄棒を先頭に太鼓、大榊、猿田彦、鉾、獅子頭、侍、氏子代表、宮司、そして白丁に担がれた神輿が続く。
 ■当番組
昭和14年(1939)、34ある氏子町が上組・下組・田町下組・田町上組の4つの組に分けられました。この4組がまわり番で祭りの当番を務め、さらにこの当番組の中から当番町が決められる。
 【上組】 
戸張町(戸張町自治会)=黒漆塗彩色彫刻屋台。文政10年(1827)に始まり、同12年(1829)白木造彫刻屋台として制作。天保6年(1835)に脇障子などの彫物が加わる。弘化3年(1846)に塗り屋台に替える。安政5年(1858)飾金具をつけ完成。
平成8年、県・市の助成により屋根・破風・鬼板・懸魚の彩色修復。
大工は文政年間は政吉。弘化以降は福田卯三郎。
彫師は文政期は彫物屋清兵衛、天保6年(1835)追加。石塚直吉知興、直吉吉明親子。主な彫物図柄は「唐獅子、鷲、猿、波、花鳥」。
間口1.95m。奥行3.72m。高さ(箱棟上部まで)3.90m。
囃子は玉田囃子上組保存会。

御成橋町=黒漆塗彩色彫刻屋台。大正6年に花屋台(白木屋台)で制作。昭和10年頃に町内在住の石塚広次が彫物を取り付け、戦後彩色した。
平成14年に文化庁の助成にて車輌、屋根が全面修復。
 明治10年に番外で祭礼に参加するが、屋台を出したのは明治17年より。
花屋台制作後も、徳次郎門前(現宇都宮市)から彫刻屋台を借りるなどして付祭りに参加した。
囃子は玉田囃子下組保存会。

銀座2丁目
(旧称は上横町。昭和29年改称)=白木造彫刻屋台。安政4年(1857)8月制作。費用230両。大工は後藤音次郎。彫師は後藤音吉、磯部敬信、神山政五郎。
県・市の助成で、昭和63年、屋根と車輪。平成10年、彫刻他全面修復。
間口1.96m。奥行3.66m。高さ(箱棟上部まで)3.01m。
囃子は玉田囃子保存会玉流会。

天神町(天神町自治会)=白木造彫刻屋台。江戸期制作。彫師は磯部儀兵衛敬信と伝えられる。
昭和62年に屋根と台輪を修復。
平成13年に鬼板、懸魚、土台、柱が修復された。
間口1.96m。奥行3.66m。高さ(箱棟上部まで)3.97m。
囃子は天神町屋台囃子保存会。

上材木町
(上材木町自治会)=黒漆塗彩色彫刻屋台。文政11年(1828)制作。天保12年(1841)の屋台箱墨書きに石塚知興の刻印がある。平成8年県・市の助成で修復。
間口1.86m。奥行3.58m。高さ(箱棟上部まで)3.98m。
囃子は上材木町囃子連。

久保町
(久保町自治会)⇒屋台のまち中央公園屋台展示館に展示。
黒漆塗彩色彫刻屋台。屋台箱に文化9、10年(1812、3)の墨書きがあるのでその頃制作か。彫師は不詳。平成10年県・市の助成で修復。
間口1.91m。奥行3.64m。高さ(箱棟上部まで)3.86m。
囃子は引田囃子連。

泉町白木造彫刻屋台。平成8年(1996)3月制作。大工は宇賀神久男。彫師は彫工嘉門(黒崎孝雄)。制作費約1、500万円。

平成17年(2005)蹴込、車隠しなどの彫物を追加。
鬼板は龍。懸魚は玄武。脇障子が素盞雄尊と花鳥。
囃子は下沢囃子保存会。
 【下組】 
仲町(仲町自治会)=白木造彫刻屋台。天保7年(1836)6月建造。彫師は後藤周二正秀。安政5年(1858)磯部儀兵衛が彫物を追加。県・市の助成で平成5年修復。屋台公園内の屋台展示収蔵庫で常時展示。
間口1.97m。奥行3.73m。高さ(箱棟上部まで)4.17m。
囃子は石川囃子連。
 文献の初見は安永9年(1780)で「萬度出し」と記されている。
 寛政6年(1794)に 踊り屋台の再造というかたちで、彫刻屋台が出来ている。

麻芋町
(麻芋町自治会)白木造彫刻屋台。安政4年(1857)6月完成。彫師は後藤音次郎。制作に3年、制作費242両と町内記録にあり。
間口1.96m。奥行3.70m。高さ(箱棟上部まで)3.96m。
平成8年県・市の助成で修復。平成14年に日本芸術文化再興事業の助成により高欄の修復が完了。
囃子は日吉囃子保存会。
 先代は文化15年(1818)制作。明治6年(1873)に白沢宿(河内町)に160円で売却。しかし金龍4匹は今も現屋台の高欄に飾られている。

石橋町(石橋町自治会)黒漆塗彩色彫刻屋台。文政年間(1809頃)の制作か?。彫師は神山政五郎と伝えられる。大正期に大出常吉・啓一郎親子により彫物が付け加えられた。屋根は銅板葺き。県・市の助成で平成4年全面改修。8年車輪新調。
間口2.00m。奥行3.73m。高さ(箱棟上部まで)3.89m。
囃子は見野囃子連。
 先代は文化4年(1807)の鹿沼宿大火の際に類焼。

下材木町
(下材木町自治会)黒漆塗彩色彫刻屋台。天保3年(1832)制作。彫師は磯部儀左衛門凡龍斎信秀。県・市の助成で平成5年修復。
脇障子の龍は金泥彩色に玉眼、鱗は青に緑、黒雲白波の中に左右に昇龍、降龍。
間口1.96m。奥行3.73m。高さ(箱棟上部まで)4.12m。
囃子は塩山お囃子保存会。

寺町=白木造彫刻屋台。昭和3年(1928)制作。大工は自町の半貫金太郎。53年に鹿沼の山口忠志により彫物が付け加わる。鬼板と懸魚の彫物は同氏が新しく制作。平成14年、文化庁の助成にて高欄の修復行う。
花屋台として今宮神社の付祭りに参加していたが、戦後2回ほど助谷(壬生町)の天棚彫物を借りて、彫刻屋台のかたちをとったこともあった。
囃子は上深津囃子保存会。
 先代は明治40年3/21の寺町大火により焼失。通称亀の子屋台と呼ばれた。
 大正6年に大芦から、10年には今市市文挾から屋台を借りた。

蓬莱町
=白木造彫刻屋台。昭和30年(1955)制作。大工は半貫文太郎(寺町)。新調時の彫物は油田町の旧家に収蔵されていた彫物を譲り受けたもので、上久我の神山政五郎(菊政)の作とも言われている。
平成4年より井波の笹川無門に彫刻を依頼し、高欄下の龍、脇障子の鷹、欄間の十二支など彫刻で屋台全体を飾り、平成11年完成した。
平成13年には、文化庁の助成にて車輌、屋根、平成15年は土台、柱、高欄の修復した。
囃子は上奈良部お囃子保存会。
 先代は制作時期は不詳だが、明治14年に付祭り参加の記録があるのでこの頃と思われる。明治40年3/21の寺町大火により同町は屋台と町内48戸中3戸を残して焼失。
 購入以前は加園、今市市大沢、今市市文挾、宇都宮市徳次郎から屋台を借りた。

鳥居跡(とりいど)町
=白木造彫刻屋台。昭和30年(1955)創建。大工は半貫金太郎(寺町)。昭和63年井波彫物協同組合により彫物が付け加わる。
囃子は下日向囃子保存会。
 付け祭りに参加したのは、大正10年からでこの時は久我の屋台を借りている。戦前、戦後3回ほど宇都宮市徳次郎町下町の屋台を借りた。
 【田町下組】 
銀座1丁目
(銀座1丁目自治会)⇒上横町の東が分離して東横町となり、明治7年に東(あずま)に嘉語をあてて吾妻町と改め、さらに昭和29年に銀座1丁目と改称した。
⇒屋台のまち中央公園屋台展示館に展示
=白木造彫刻黒漆塗屋台。文化11年(1814)制作。現在の彫物は天保3年(1832)〜安政2年(1855)にかけて付けられるも、判明する彫師は刻印より天保3年(1832)磯部儀左衛門凡龍斎信秀のみである。平成10年県・市の助成で改修。
間口1.76m。奥行3.12m。高さ(箱棟上部まで)3.77m。
囃子は赤羽根囃子保存会。

中田町
(中田町自治会)=白木造彫刻屋台。天保年間(1830年頃)制作。平成10年修復。この屋台は日露戦争後の不況時に日光の十字屋に売却され商品として陳列され、宇都宮市宮島町に売却。第一次世界大戦で好景気になり大正11年(1922)再び中田町に買い戻された。平成10年、県・市の助成で車輪、台輪の新調、屋根と柱の修理、彫刻の補修をする。
間口1.94m。奥行3.58m。高さ(箱棟上部まで)3.87m。
囃子は下栃窪囃子保存会。

下田町
(下田町屋台保存会)=白木造彫刻屋台。建造は安政2年(1855)7月の大工への手付金支出から始まり、10月より仕事始めるがすぐに中断。建造の大半は4年12月から5年5月までで、手間金は19両だった。
従来は脇障子の石塚吉明の刻印と下田町屋台図から文久2年(1862)6月制作と思われていた。
大工は茂八。彫師は石塚直吉吉明。県・市の助成にて、彫刻・破風・高欄などの修理が完了した。間口1.92m。奥行3.57m。高さ(箱棟上部まで)4.29m。
囃子は千渡囃子連。

下横町
(下横町自治会)=黒漆塗彩色彫刻屋台。文化年間(1804年頃)制作。県・市の助成により平成17年全面修復完了。
間口1.74m。奥行3.31m。高さ(箱棟上部まで)3.51m。
囃子は開運町お囃子会。

末広町
=白木造彫刻屋台。明治15年制作。彫刻は昭和23年頃に今市市手岡の天棚彫刻を2,500円で購入し取り付けたものである。平成13年、車輪、屋根の修復行う。
鬼板と懸魚は「牡丹と獅子」。で飾られ、柱飾りは「ぶどうとりす」。
囃子は茂呂囃子連。
 先代は小型屋台だったが、明治末期に上田町の屋台蔵に収蔵していた彫物類は上田町の屋台と共に焼失した。本体は自町内に保管してため無事。

東末広町
⇒昭和6年、末広町より分離し誕生。
=白木造彫刻屋台。昭和57年(1982)7月制作。大工は町内の元野勝三・五郎兄弟と日吉町の宇賀神久男。
最初の彫物は市内油田の旧家に収蔵の物を購入し取り付けたが、平成10年より井波の彫師の辻幹雄により高欄下の龍、欄間の十二支などの彫物が付け加えられ、12年には、今市の菅沼保により脇障子、方立が刻まれる。
17年には文化庁の補助で車輪が完成。
 囃子は上大久保囃子連保存会。

戦後3回ほど、旧今市(文挟など)の屋台を借り、今宮神社の付け祭に参加したこともある。
 【田町上組】 
上田町
(上田町自治会)白木造彫刻屋台。昭和28年(1953)制作。彫物は旧・屋台のうち焼失を免れたもの10種21枚を使った。銘として「文政5年6月」、「鹿沼上田町中 宇都宮大町後藤周次正秀」、「日光御五重塔彫物方棟梁後藤周次正秀」とあった。
 しかしながら、彫物の痛みが激しく平成2年より3年をかけ、彫工嘉門(黒崎孝雄)が模して彫った。5年6月に石塚知興作の脇障子も取り付けられた。
間口1.96m。奥行き3.75m。高さ(箱棟上部まで)3.98m。
囃子は上田町囃子保存会。
 先代は文政5年(1822)制作だが、明治末期に焼失。

文化橋町=白木造彫刻屋台。昭和33年(1958)制作。大工は半貫文太郎(寺町)。平成9年より彫物(鬼板、懸魚)が付け加わる。彫師は辻幹雄。
囃子は関白流囃子保存会。
 大正13年より今宮の付け祭りに参加。戦後は宇都宮より花屋台を借りたが、市制10周年を期し、花屋台制作。

朝日町=
白木造彫刻屋台。昭和29年宇都宮市宿郷町2丁目新調。平成元年(1989)購入。購入後、箱棟を新造し、車輪軸を前に移すなどの小改造をした。
囃子は朝日町囃子連。

府中町白木造彫刻屋台。平成2年(1990)9月創建。大工は修一建設。車大工は上材木町の乾木工所。
 かつて当番町の時は楡木から屋台を借りて済ましていたが、隣の府所町が屋台を建造したことにより建造に踏み切る。
囃子は樅山生鼓連。

府所本町(ふどころほんちょう)
白木造彫刻屋台。平成5年(1993)8月入魂式。ただしそれに先立ち5月には府所町・府中町と共に、旧・下府所3町の屋台が勢揃いしている。
大工は修一建設(尾竹修一)。車大工は上材木町の乾木工所。8年台湾新竹市の彫師の鄭敏男により彫物(鬼板、懸魚)が付け加わる。

囃子は楡木寿町お囃子保存会。
 
付け祭りに初参加は昭和30年頃で、そのときは今市から屋台を借りた。その後、末広町から屋台を借りて参加したこともある。

府所町=
白木造彫刻屋台。昭和63年(1988)制作。大工は修一建設(宇賀神久男協力)。制作費1,060万円。平成9年彫物完成。彫師は井波(鬼板と懸魚)と台湾三義市の彫師(それ以外)。囃子は楡木日の出町囃子連。

上野町(うわのまち)
白木造彫刻屋台。昭和58年(1983)制作。大工は元野兄弟。総建造費830万円。
彫物は平成4年より始まり、平成10年に完全完成。彫師は彫工嘉門(黒崎孝雄)。鬼板は龍馬。

囃子は上野町祭囃子保存会翔囃連。
 大正10年より付け祭りに参加。
戦後になってからも借屋台や仮設山車などで参加したこともある。
 【協賛氏子町】
上組に睦町、今宮町、千手町。下組に万町、三幸町。田町下組に下田町1丁目。田町上組に貝島町がある。
 ■東大芦地区
      上日向、下日向、酒谷野、深岩、笹原田、下沢、引田
上日向297 日向神社 1/7 例祭
境内社大杉神社 神輿2基
下日向1134 羽黒神社 11/23 太々神楽
酒野谷138 落合神社 12/15 例祭
深岩32 岩本神社 1/7 例祭 御歩射神事
笹原田422 星宮神社 1/7 例祭
下沢684 二荒山神社 例祭
引田1307 石村神社 1/7 例祭
8/31 風祭り

  ■菊沢地区
       ⇒玉田、武子(たけし)、千渡、栃窪、富岡、見野、下遠部
玉田381 境内社八坂神社 神輿
鹿島神社 12/15 例祭
武子598 八坂神社 7月 神輿
武子959 愛宕神社 11/9前の日曜 例祭
千渡361 二荒山神社 太々神楽
千渡1214 大杉神社 神輿 前林地区の鎮守
栃窪770 君子神社 11/1日曜 神輿
富岡397 境内社八坂神社 7月 神輿
熊野神社
見野1542 喜久沢神社 4/12 例祭
下遠部500 遠部神社

  ■北押原地区
         ⇒北押原:上殿、村井、樅山(もみやま)、塩山しおやま)、奈佐原、日光奈良部、上奈良部、下奈良部
上殿875 境内社八坂神社 7月 大杉神社神輿 江戸後期の作
押原神社 9/中旬(元・19) 太々神楽
村井町1688 胸形神社 10/3日曜 例祭
樅山町1167 生子神社 9/19頃の日曜 泣き相撲
塩山町1677 塩山神社 11/23 例祭
奈佐原町516 奈佐原神社 12/15 例祭
日光奈良部町200 磐裂神社
上奈良部町381 稲荷神社
下奈良部町291 磐裂神社
   ■西大芦地区
        ⇒上大久保、下大久保、草久
上大久保338 神船神社 旧6/14頃の土日 屋台1台 ※不定期。最近は平成6年に曳かれた
上大久保(西大芦)⇒屋台蔵は昭和57年に神社境内に建造。
=明治10年頃制作と云われている。屋台箱は明治34年新調とある。1説には明治34年、加園より購入時に屋台箱新調とも言われる。
彫師は神山政五郎と伝えられる。鬼板の龍などは平成に黒崎孝雄師により足される。長さ2.97m。幅1.87m。高さ3.45m。
下大久保44 大芦神社 9/最終日曜 神輿
草久717 姫宮神社 11月 獅子舞
草久3027 古峯神社公式HPへ 5/27 浦安の舞
  ■加蘇地区
     ⇒加園、上久我、下久我、野尻
加園1337 加園八幡宮 2/15 例祭
上久我3440 加蘇山神社 10/16 例祭
下久我818 久我神社 2/2日曜 例祭
野尻332 稲荷神社
 ■北犬飼地区
     ⇒上石川、下石川、茂呂、白桑田(しらくわだ)、深津、池ノ森
上石川544 根裂神社 12/15 例祭
下石川345 磐裂神社 神輿
茂呂1984 たかお神社 11/15 神輿焼失 2006年10月18日、火事のため焼失
白桑田523 神明宮
深津808 八坂神社 神輿 昭和16年、社務所増築に合わせ新調
池ノ森858 日吉神社 11/3 太々神楽
 ■板荷(いたが)地区
板荷3034 大杉神社 3/1土日 神輿
太鼓屋台1台
アンバ様=市指定無形民俗文化財。アンバ様とは板荷の大杉神社(日枝神社)のことで、悪疫退散、地域内の安全の神、また水神として地元の信仰を集めている。
祭りでは神輿が地域内を練り歩き、大天狗・小天狗が獅子を引き連れて家々を訪れ、悪魔払いと春の事触を行う。天狗が先導する神輿のあとには自転車改造の屋台が続き、その場で大杉囃子を様々に演じ分けて、祭りを盛り上げて歩く。
■土曜:上板荷地区(5区〜9区)板荷コミュニティセンターより北側方面
■日曜:下板荷地区(5区〜1区)板荷コミュニティセンターより南側方面
 ■南摩地区
       ⇒油田(あぶらでん)、上南摩、下南摩、西沢、佐目
油田町765 雷電神社
上南摩町246 鹿嶋神社
下南摩町861 日吉神社 11/3 例祭
佐目町17 小松神社 12/3日曜 神輿
 ■南押原地区
       ⇒楡木(にれぎ)、大和田、上野、藤江、北赤塚、亀和田、磯、野沢
楡木町787 大杉神社 8/4土日(元・25) 山車1台 海運町
屋台2台 寿町、日の出町
海運町(旧称・上町)=明治15年頃制作。かつては心柱を通して三層。その後高欄付上段には毎年手作り人形を飾る高欄付平屋根の単層。平成17年に山車飾人形と櫓を作成し、三層の江戸風山車にした。
寿町(旧称・中町)=以前は大型だが大正11年に小さめに改造。その際に台輪が回転出来るようにする。
昭和27年に彫物補作。平成21年、車輪以外のほとんどを新調。

日の出町(旧称・下町)=大正15年頃に制作。日光西街道の杉並木の払い下げで造った.。3台の内で一番大きい。
南上野町419 星宮神社
藤江町1518 愛宕神社
北赤塚町210 境内社大杉神社 8/下旬 大杉神社神輿 囃子
稲荷神社
北赤塚町940 愛宕神社
亀和田187 天満宮
磯町66 境内社八坂神社 7/最終日曜 天王祭
磯山神社 10/29 子供相撲
野沢町612 神明宮
 【南摩ダム】
2024年完成予定。ダム建設に伴い南摩町最奥の字の三ツ石・粟沢・梶又・西之入・笹ノ越路が移転となる。
鎮守は浅間神社で氏子数56世帯。平成18年に西沢町の浅間神社に合祀。浅間神社自体も平成21年解体。

 ◎旧・上都賀郡粟野町
           粟野:口粟野、中粟野、入粟野、柏木
           粕尾:上粕尾、中粕尾、下粕尾
           永野:上永野、下永野
           清州:深程、久野、北半田
口粟野1737 口粟野神社 10/1土日(西暦奇数年) 屋台7台 下町、仲町、叶桑沢、新宿、上町、横町、中妻
口粟野 日渡路大杉神社 8/16 神輿
大杉神田踊り
日渡路かんだ踊り=市指定無形民俗文化財。花笠をかぶり、両手に花笠を持って、口粟野大杉神社のお囃子「かんだ」にあわせて踊るもので、踊り子は、女性が大半。
大正時代には、時代の流れから存亡の危機があったものの羽山源七により消滅をまぬがれ、その後も、踊り子の娘たちが嫁にいってしまい、危うく絶える所を当時の大杉神社の神職大山晴視によって、地元のお嫁さんたちに伝えられ、以降、日渡路に嫁いだら、この踊りを習う習慣となり、伝承が続けられている。
入粟野 八坂神社 7/3日曜 屋台1台 出口・滝沢
昭和34年に屋台を改造して花屋台にした。
入粟野713 賀蘇山神社 9/23 天下一関白流獅子舞 尾ざく、下五月
柏木17 山神社 11/3日曜 例祭
中粟野 八坂神社 8/16 屋台1台 菅沼・大栗。平成6年に30年ぶり復活
松崎 星宮神社 10/1日曜 屋台1台 平成15年に13年ぶり復活
中粕尾521 星宮神社
下粕尾521 星宮神社
下粕尾521 星宮神社 10/15 屋台1台 平成2年に38年ぶり復活
上永野735 八坂神社 7/10頃の日曜 屋台1台 境内に飾付け
下永野1251 熊野神社 12/15 例祭
深程1655 御霊小松神社 10/15頃の日曜 天下一関白流獅子舞
久野1076 小松神社 10/3日曜 小松神社天下一関白流獅子舞
松神社天下弌関白流獅子舞(久野関白流獅子連)=一人立三匹の獅子舞。文政10年(1827)伝来。演目は「平庭、笹かがり、弓くぐり」。
古文書に文政10年(1827)に伝来したことが記載されている。
北半田1249 天満宮
 ≪展示場≫
 【屋台のまち中央公園
鹿沼市銀座一丁目1870−1。 0289―60―2507。9:00〜17:00。定休日は月曜。祝日の翌日(月曜が祝日の場合は翌日休み)。12日28日〜1月4日)
彫刻屋台を3台を常設展示する彫刻屋台展示館、「鹿沼の三名園」のひとつを復元した掬翠園、郷土の物産品を展示販売する観光物産館からなる。
彫刻屋台展示館は3台の屋台(銀座一丁目、久保町、銀座二丁目)を常設展示し、音や映像で鹿沼の秋祭りや屋台の歴史を紹介する。
入館料は一般400円、大・高校生300円、小・中学生200円。
 【木のふるさと伝統工芸館】
鹿沼市麻芋町1556−1。 0289−64−6131。9:00〜17:00。定休日は月曜。(月曜が祝日の場合は翌日休み)。12日28日〜1月4日。入館料は無料。
石橋町彫刻屋台とともに、建具、組子等、鹿沼の伝統工芸品を展示。
 【仲町屋台公園】
鹿沼市仲町1610−1。п@無し。9:00〜17:00。定休日は月曜。(月曜が祝日の場合は翌日休み)。12日28日〜1月4日。入館料は無料。
仲町屋台の収納展示。