栃 木 県
    ≪天棚≫

住所 天棚設置場所 実施日 形態 備考
 宇都宮市
石井町下川岸 公民館前 7/中旬3日間 総二階型 5年ごと平成25年(2013)に実施。長さ2、924m。幅2、091m。高さ4、328m。
板戸町中才 村内の家の庭   7/30〜/15の4日間 総二階型 彫物は天保年間3年かけて作られる
板戸町新屋敷 9/1の三日間 総二階型 彫師は石塚直吉吉明。長さ2、398m。幅2、028m。高さ4、291m。  
板戸町辻 ?  ?  総二階型 明治期に宇都宮押切町より屋台を購入し改造。長さ3、744m。幅2、013m。高さ3、941m。
弘化4年(1847)宇都宮市押切町制作。大工梶倉蔵、彩色洞泉安春、彫師高田仲右ェ門、塗師塗家平蔵とある。明治期にを購入し天棚の2階部分に利用し、1階部分を新たに建造。
板戸町反目 ?    末か8/初旬 突き出し型 万延元年(1860)作、彫師は田中、明吉。前回は昭和30年。長さ3、826m。幅2、932m。高さ4、036m。
板戸では新屋敷組、辻組、田中組、反目組、今泉組、川岸組にも天棚があったが、川流れによってなくなった。隣の組はよびあったので日をずらすなどした。
下荒針町野尻・長坂 小学校校庭 8/15頃の三日間 突出し型 3年ごと。長さ4、333m。幅2、564m。高さ4、564m。
篠井町下篠井 高麗神社境内  8/3日曜(5年に1回)  突出し型 長さ3、73m。幅2、52m。高さ4、61m。
明治15年(1882)頃、今市の手岡の彫師の作と伝えられる。白木造り。二階前面と一階の破風板のみが、黒塗り。
二階前面鬼板、懸魚は牡丹に獅子。側面は菊に小鳥の彫刻。一階前面鬼板、懸魚は波に龍。欄間は桜に小鳥が彫られている。
下栗町1丁目 天神様の境内 雨乞い時 総二階型 長さ2、85m。幅2、48m。高さ4、03m。 
平成25年(2013)10月15日、1990年以来23年ぶりに展示。
鶴田町 観音堂の前 二百十日前後の3日間 突出し型 戦後2回出した
海道町 公民館前 8/16頃の3日間 突出し型 前回は昭和22年。長さ3、58m。幅2、52m。高さ4、57m。
上欠町 9/1頃の3日間 突出し型 前回は平成2年。長さ3、62m。幅2、51m。高さ4、499m。
下欠町 二百十日前後の3日間 総二階型 前回は昭和23年。長さ3、48m。幅2、485m。高さ5、245m。
石井町岡 公民館前 8/1週頃の3日間 総二階型 前回は昭和53年。長さ2、855m。幅2、44m。高さ4、095m。
古賀志町 八坂神社境内 4/2日曜 突出し型 長さ4、058m。幅2、65m。高さ4、212m。 
台新田 菅原神社境内 8/14〜16 総二階型 戦後は3回出した。長さ2、86m。幅2、605m。高さ4、525m。
福岡町 熊野神社境内 8/14〜16 突出し型 10年に1度くらい。長さ4、105m。幅2、527m。高さ4、354m。
砥上町 星宮神社境内 8/14〜16 総二階型 前回は昭和50年。戦前は3年ごとくらい長さ3、468m。幅2、604m。高さ4、624m。
石井町古城内 天小屋前 二百十日前後の3日間   総二階型 文政4年作。長さ2、7m。幅2、345m。高さ3、985m。
石井町福島 天小屋前  総二階型 前回は昭和35年。長さ2、832m。幅2、314m。高さ4、286m。
石井町久部 公民館わき 8/初旬   総二階型 嘉永7年(1854)制作。前回は平成4年。長さ3、145m。幅2、232m。高さ4、034m。
柳田町下柳田 ?   ?  突出し型 明和8年(1771)年制作。長さ3、706m。幅2、519m。高さ4、11m。
駒生町 湯殿山神社境内 8/中旬 突出し型 嘉永7年(1854)制作。長さ4、182m。幅2、527m。高さ3、993m。
上桑島中郡 高麗神社境内 二百十日前後の3日間  総二階型 長さ2、681m。幅2、483m。高さ3、96m。
西川田町 光音寺境内  9/初旬 突出し型 長さ3、683m。幅2、605m。高さ4、77m。
上横田 観音様の前 二百十日前後の3日間 総二階型 明治15年制作。前回は昭和22年頃。長さ2、39m。幅2、39m。高さ4、35m。
上籠谷町 両宮神社境内 8/1〜3 総二階型 長さ2、948m。幅2、227m。高さ3、94m。
上籠谷町 両宮神社境内 8/1〜3 突出し型   長さ3、159m。幅2,17m。高さ4、213m。  
飯田町 観音堂横 8/14〜16 突出し型   前回は昭和53年
下小池町 琴平神社境内 8/16頃の3日間 突出し型   長さ3、666m。幅2、209m。高さ4、459m。  
氷室町 今の集会所 9/1頃の3日間  総二階型 前回は昭和26年頃。文久3年(1863)彫師三代吉の墨書きあり。
長さ2、433m。幅2、038m。高さ3、501m。
大網町 高麗神社境内 8/7〜9 突出し型  前回は昭和60年。慶応3年(1867)制作。長さ4、2m。幅2、514m。高さ4、421m。
瓦谷町 公民館わき 8/14〜16 突出し型  文久3年(1863)作。長さ4、254m。幅2、549m。高さ4、519m。    
新里町3区 火の見やぐらの脇 8/16頃の3日間 突出し型  前回は昭和13年頃。長さ4、658m。幅2、845m。高さ4、386m。
新里町4区 今宮神社境内  8/16頃の3日間  2階部分のみ組立 前回は昭和12年頃。彫物に天保3年(1832)8月吉日彫之とある。
東谷町 1階は無い 2階は神社本殿に利用。二階部分は長さ2、372m。幅1、455m。高さ1、901m。  
田下町 鐘突き堂の脇 9/1頃の3日間 部品のみ 昭和5年頃が最後。鬼板の裏に彫物師新蔵 藤原吉長とある。
道場宿町 火の見やぐらの西  彫刻40点あり 昭和初期に天棚が潰れてけが人が出て以来出していない。
柱組は腐食。彫刻は40点保存。  
 
上桑島町岡之内 部品23点あり 昭和初期に天棚が潰れてけが人が出て以来出していない。  
細谷町 雷電神社境内 8/14〜16  彫刻のみ 文化3年(1806)墨書きあり 。昭和15年、天棚をしまっていた小屋が火事で柱組が焼失。
東木代町 公民館前  9/1〜3   彫刻のみ 文政10年(1827)墨書きあり。昭和25年頃が最後。 
満美穴町 公民館わき 8/15頃 彫刻のみ 薬師堂の部材になる
下田原町下組若衆会=平成24年(2012)10月28日の「下組まつり」で昭和43年(1968)以来44年ぶりに組立られ披露された。
る天祭で使用される組立て式の2階建て屋台。江戸後期の作。

 ≪鹿沼市≫
上石川544 根裂神社 9/1頃の日曜 天棚 西と東の2台あったが、昭和42年に西をベースに1台にする。これだけが組立収蔵。
唐破風付二層型。弘化4年(1847)制作。大工は磯村の鈴木文次。彫師は石塚直吉吉明。「天祭棚御彫物仕様積控」や「天棚彫物寄進控帳」などの古文書の内容や、彫刻の寄進者銘などから分かる。また、その際に出た余分な彫刻も現在は境内の公民館内に保管されている。  
間口2.556m。奥行3.934m。総奥行5.385m。全高5.547m(鬼板除く)。
栃窪 薬師堂 旧・4/7〜9 天棚 明治17年制作。長さ3、96m。幅2、45m。高さ4、4m。
栃窪の天念仏(上栃窪天念仏保存会)=国選択無形民俗文化財。
風雨順調・五穀豊穣を祈願する農民信仰に根ざした行事で仏式では「天念仏」、神式では「天祭」と云われる。栃窪の天念仏は旧暦4月7、8、9日の3日間行われ、この種のものとしては最も初原的形態を伝える貴重な行事です。安永9年(1780)に木喰上人がこの地を訪れたときに伝えられたといわれますが、起源は明らかではない。行事に先立ち「お沢入り」によって身を清めた4人の行人が、等持院の住職を迎え、薬師堂の境内に組み立てた天棚(車のない二層の屋台)の2階に、祭壇を設けて神・仏を勧請し、般若心経や呪文を唱えます。その後、囃子方の演奏にあわせ、行人が小精進(助行人)の若者たちとともに、天棚の周囲を念仏を唱えつつ、いわゆる「千度がけ」の行道を行います。行事の始めと終わりには「歌念仏」があり、これが1日数回刳り返して行われる。最後に「梵天」を君子神社に納めて行事が終わる。
上深津 大杉神社 9/1 天棚 江戸末期制作
平成23年(2011)8/15、28年ぶりに組立展示。
深津中 延命寺 9/1 天棚 万延元年(1860)再建。延命寺境内に保管。高さは8m近く。
見野 城宝寺 8/15、6 天棚 彫刻無し
 ≪真岡市≫
下籠谷 石法寺 天棚 収蔵庫出来てから毎年出す。

 河内町
東下ヶ橋 白馬神社境内 天棚 文久3年(1863)制作。費用約350両
上組 上組公民館 突出し型 文政4年(1821)から5年くらいかけて完成。
二階部彩色、一階部白木。墨書から文政4年(1821年)から5年くらいかけて完成と分かる。
主な彫刻は鬼板が牡丹に唐獅子、懸魚が菊に山鵲、びわ板に鶴、欄間正面に龍、側面に波に菊、脇障子は孔雀。
下組 天棚   
江戸期末期の作。元庄屋渡辺家の御用日記の中から天祭実施のため宇都宮藩に提供された許可願には万延元年(1860)申7月と記されている。
古田 古田公民館 天棚 昭和23年以来、天祭は行われていない。
大正8年7月に羽黒村冬室(現・上河内町)より購入、と同時に地元にあった古い天棚の部材の一部(二階、脇障子の彫物など)を使い改築を行なう。その他の彫物は創立当時のもので、後部を除く三方が、唐獅子牡丹、竜、花鳥など豪華な彫物で飾られています。大工は不詳。彫師は刻銘から江戸彫物、後藤方を名乗った、富田(大平町)の彫工、礒邉一族中、最も名工と言われる分家三代目、礒邉義兵衛敬信(字名 松需)の作。また、名はありませんが正面二階の鬼板と懸魚は作風から、同,礒邉系で後藤正秀二代目、後藤常吉と思われる。
 大正9年の改築は刻銘で作者が分かる。請負塗師は川鍋 權五郎(宇都宮旭町)、柴田 松寿。大工は梶  瀧二郎(宇都宮)       
申内 日吉神社 天棚 高さ約5m、巾は約4m(2間四方)
鹿沼から購入されたと伝わる。障子の腰板に、「宇都宮大町肴町天棚祭粉色、無相違出来仕候、就鳥蔵」と、記されている。御行様が叩くという丸い大きな鐘に文化14年(1817)と刻みまれている。
北組南部(下岡本) 天棚 戦後、昭和22年(1947)、23年(1948)には復員祝として、最近では昭和49年(1974)に行われた。
寛政年間(1789〜1801)制作と伝わる。近在から柳の大木を集め、庄屋五月女家裏の寺屋敷で製作の仕事が進められたが、途中諸事情により、製作も中断され、やむなく鬼怒川向うの板戸でその後の仕上げをなし、当地に運ばれたという話があります。
和久(わぐ)=地域情報紙かわち 第9号(平成20年9月19日発行)よると、天祭に飾る天棚(江戸時代後期の作)は、市の指定民俗文化財であり、昭和11年以降4回しか組立てられたことがないとされる。なお写真も載っている。
彫師は神山政五郎。
 【今はなき旧部の祭り】
戦前、中岡本地区の国道4号線沿いに旧部と呼ばれる地区があった。給部・久部とも書かれた。
戦時中、地区整理の提唱によって申内に統合され、旧部の名は消え去った。
この旧部には古くから天祭の行事があり、話によると江戸時代の元禄年間(1688〜1704)、この地に住む農家13軒の米麦の浄財によって天棚が作られ、主な彫刻はで昇龍、降龍、雌雄の唐獅子、十二支、三猿、牡丹などであった。昭和末期にもう天祭の行事は永久にやれないだろうとの理由で、これら彫刻は20軒前後の希望者に配布され、日天・月天の掛軸と関係書類は当地の元・庄屋、玉生家に保管されることになったものです。
河内町では東下ヶ橋(さげはし)、申内(ざるうち)、北組南部、田中、釜根(かまね)、古田、立伏(りゅうぶく)、上組、下組、宝井下などで天棚が行なわれていた。現在、町中央公民館に天祭の天棚が展示している。
 壬生町
助谷 天棚  
 南那須町
三箇 松原寺 /最終土日 天棚 塙の天祭として名高い。
元々・二百十日(9/1)を中日として二夜三日にわたって五穀豊穣を祈ったが、現在は8/最終土日に行われる。
 市貝町
田野辺1465 高尾神社 8/下旬3日間 天棚 文久年間(1861〜64)の作。