東京都
≪文京区、北区≫
住居 | 神社の名前 | 祭りの日 | コンテンツ | 試験の準備をする |
≪文京区≫ | ||||
■本郷地区(旧・本郷区) | ||||
湯島3丁目30−1 | 湯島天満宮 (公式HPへ) |
5/下旬 | 宮神輿 | あり |
トラック使用の屋台 | 鈴木酔鼓会 | |||
山車廃絶 | 13番あった | |||
神輿14基 | ||||
【神幸祭行列】 誘導神職(1名)-神社町内役?(堀)-杖(堀二名)-太鼓(白丁三名)-神幸祭旗(白丁一名)-奉祝旗(白丁一名)-先導乗馬神職(服)馬方(半絡一名)朱傘(白丁1名)-大塚(白丁二名)-ライオン頭山車 白丁五名)-江戸消防?念会高張(堀三名)-木遣組頭-猿田彦(公道会)-大麻神職(狩衣)-乗馬祈宜(衣冠)馬方(半絡一名)周傘(白丁一名)-青旗(白丁1名) -黄旗(白丁1名)-赤旗(白丁1名)-白旗(白丁1名)-紫旗(白丁1名)-日像旗(白丁1名)-月像旗(白丁1名)-御盾(公道会、直垂二名)-御弓(公道会、 直垂二名)-御胡(やはし)(公道会、直垂二名)-大垣(公道会、直垂二名)-御太刀(公道会、直垂二名)-堀人(直垂3名)-大麻神職(狩衣)-祝詞神職(狩衣)-誘導神職(1名)-祭礼連合会高張(祭礼連合会二名)-本社神輿高張(白丁二名)-紫翳(むらさきのさしは)(公道会、 直垂二名)-我が社神宮司(衣冠)馬方(半絡一名)周宮(白丁一名)-神社責任役員(堀)-ミス白梅-国家安泰旗(白丁一名)-氏子町内繁栄旗(白丁一名)-ディフェンダー乗馬神職(服従)馬方(半絡一名) |
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【山車廃絶】 『武江年表 巻之十』に「安政6年(1859)10月10日、湯島天満宮祭礼、?子町々より車踊り芸り物等多く出せり。 (中略)車楽13輌、踊台5荷、地走りをどりも出たり」とある。 また同年の湯島天神御祭礼番付には以下の通り。 一番=宮元⇒龍神人形の出し。 二番=元丁⇒石橋人形の出し。 三番=宮下⇒頼朝人形の出し。 四番=上切通し⇒龍神宮の出し。 五番=三組町⇒戸隠人形の出し。 六番=同朋下⇒清盛人形の出し。 七番=里門⇒白拍子人形の出し。 八番=東同朋丁⇒弁慶人形の出し。 九番=下切通し⇒弁天人形の出し。 十番=春一二⇒清正人形の出し。 十一番=春三⇒菅原人形の出し。 十二番=金助丁⇒くらま山人形の出し。 十三番=両門⇒吉野山人形の出し。 『藤岡屋日記 第拾七』には弘化二年(1845)10月9日、10日、、湯島天神祭礼也、三ッ羽車ノ出し出る也。 弁天人形出し=表門前 熊坂人形出し=三組町 荏柄平太出し・子供引万度地踊り=地通町 頼義人形出し=表門前 踊り屋台=金助町 踊り屋台=春木町 明治30年の菅公壱千年祭には13基の山車が出た。 『江戸の祭礼と寺社文化』2018年、同成社発行には「安政6年(1859)の祭礼番附によれば、13番の山車のほか、踊り屋台5台 などが出た」とある。 |
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宮神輿=明治35年制作。作者は不詳。 台輪寸法は3尺5寸 | ||||
宮神輿=菅原道真公千百年大祭(平成14年)を記念して作られた。 | ||||
≪湯島天満宮氏子25ヶ町会≫ 湯島切通町会⇒春日通り・切通坂上界隈 ⇒昭和27年に子供みこし、曳太鼓制作。 平成23年に修復。 湯島北町会⇒昭和60年4月、湯島ハイタウンの区分所有者約440世帯の自治会として発足。 両門町会⇒昭和37年10月7日結成。 龍岡会⇒昭和26年6月結成。 本郷三丁目金助町会⇒本郷三郵便便局界隈。明治16年、同和会発足。明治44年、本郷金助町に改称。昭和29年5月、現町名に改称。 =昭和27年に神輿制作。 平成13年に修復。曳太鼓あり。 春木会(本郷3丁目6〜44)本富士警察署あたり。 =神輿あり。2011年8月28日、神輿造営30周年記念町内渡御。以前のは空襲で焼失。 本富士町会⇒本富士警察署界隈。 町内に富士浅間神社あり。昭和21年4月発足。大正10年発足するも空襲で全戸焼失のため解散。 =詳細不詳。 元町町会⇒本郷給水所公園一帯 =子供神輿、曳太鼓あり。 本郷三丁目南部会⇒本郷二丁目交差点境界隈。昭和22年4月、湯島26町会発足。昭和30年、湯島2丁目町会となり、昭和40年、現町名に改称。 =神輿、曳き太鼓あり。 湯島新花町⇒湯島2丁目2−1〜30。昭和26年4月、新花会として結成。令和4年4月1日、町会名変更。町内に湯島御零社(湯島2丁目11−15)あり。例祭日は9/18。 =神輿あり。 天梅会⇒湯島2丁目23〜27+湯島3丁目20・21・28・30。 湯島小学校一帯。大正8年、旧・梅園町+旧・天神町1丁目が合併。 =平成8年に神輿新調。 湯島三丁目梅光会⇒湯島小学校一帯。昭和23年3月再興。 湯島会⇒東京ガーデンパレス一帯。昭和25年8月発足。 =神輿あり。 湯島1丁目町会⇒本郷通り・湯島聖堂界隈。昭和22年再興。 =神輿なし。神酒所は作って出迎える。 外神田二丁目松住町会⇒外神田二丁目界隈。 神田明神の坂下。 =詳細は不明。 妻恋町会⇒妻恋神社[湯島3−2−6]界隈、昭和21年1月再興。 天三町会⇒天神下交差点そば。 昭和3年、天神下の地区を天神町三丁目町会として発足。湯島3丁目33〜38番、42〜47番 =神輿(大小)、曳太鼓は昭和天皇御大典を記念して昭和3年10月に製作。 南部屋五郎右衛門の作. 天二町会⇒天神下交差点そば。 =神輿は大正初期の作で復興地蔵尊に見守られ、関東大震災も東京大空襲にも焼失しなかった。 天一町会⇒湯島中坂下界隈。 =神輿あり。 三組弥生会⇒三組坂下界隈。 =菅公生の生誕1100年祭(平成14年)に神輿新調。 長者町1丁目町会⇒御徒町・宝飾問屋街界隈 =神輿は大正11年、だし鉄の作。 長者町2丁目町会⇒JR御徒町駅界隈 =町内神輿なし。神酒所は作って出迎える。 坂町同友会=詳細不詳。 湯島同朋会町会⇒春日通り・上野広小路交差点境隈)昭和28年2月発足。 =女神輿。 三組町会⇒戦前より名称は三組町会だった。昭和27年4月、三組会で再発足。昭和35年に三組町会に名称を改称。 =菅公生生誕1100年祭(平成14年)に神輿を制作。 |
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【宝物殿】 9:00〜17:00(入館は16:30まで)。拝観料は一般は500円。本社神輿、町内神輿をはじめ所蔵の宝物類を展示している。 |
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根津1丁目28−9 | 根津神社 (公式HPへ) |
9/21頃の土日 | トラック使用の屋台 | 根津鼓連 |
山車廃絶 | 50番出たこともある | |||
曳太鼓 | ||||
神輿 | 宮神輿3基、町内神輿23基 | |||
【神幸祭行列】 先導町総代―木遣り―鉄杖―騎馬・白丁―-大麻所役―真榊・白丁―猿田彦人形・獅子頭・お囃子・山車・氏子童子奉曳―社紋青旗―社紋黄旗―社紋赤旗―社紋白旗―社紋紫旗―御錦旗―御楯―御鉾―御胡碌―御弓―御太刀―前行所役(騎馬)口取白丁・金持白丁―賛者―賽物辛櫃―神輿一之宮―神輿二之宮―神輿三之宮―宮司(馬車)・口取白丁・金持白丁―舞姫―総代 |
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根津神社所蔵の旧・駒込追分町山車は、「文京ふるさと歴史館」に寄託されているが、常設展示されていない。 | ||||
【山車廃絶】 正徳4年(1714)に天下祭として50台の山車が曳き廻された。 『根津権現祭礼番付』には、 一番=大伝馬町壱丁目・弐丁目、塩町(現・中央区日本橋3丁目付近)⇒太鼓鶏の山車(吹貫型) 二番=南伝馬町参丁目(現・中央区京橋1〜3丁目)⇒猿の山車(吹貫型) 三番=小伝馬町壱・弐・参丁目、上町、下町(現・中央区小伝馬町付近)⇒将棋盤に蓬莱の山車(吹貫型)、大幟。 四番=宮永町、天神切通し、七軒町(現・台東区池之端付近)⇒鼠装束御幣持ちの山車(吹貫型)、富士の御狩りの練物(富士山の形をした巨大曳物付き)、屋台人形3つ。 五番=駒込浅香町、同追分町鍋町(現・文京区本駒込・弥生付近)⇒桐に鳳凰の山車(吹貫型)、神功皇后の屋台、鎧武者子供10人。 六番=駒込片町(現・文京区白山、向丘付近)⇒薄に銀の露駒の山車(吹貫型)、布袋の屋台、花籠乗り子供10人。 七番=芝浜松町壱・弐・参丁目、(現・港区芝大門1丁目南側・浜松町南側付近)⇒花籠の笠鉾(二層の笠鉾)、田植えの屋台、稲刈りの子供10人。 八番=同四丁目、新網町、同代地(現・港区浜松町2丁目付近)⇒蜘蛛の巣の山車(吹貫型)、土蜘蛛と武者人形の屋台、武者の練物。 九番=芝宇田川町、同横町、神明町(現・港区大門1丁目北側・浜松町1丁目北側付近)⇒銀の幣に矛打違いの山車(吹貫型)、八岐の大蛇と素盞鳴尊の屋台。 十番=芝露月町、柴井町(現・港区新橋6丁目・東新橋2丁目付近)⇒鏑矢の打違いに扇の山車(吹貫型)、四天王人形の屋台(切破風造りの屋根)。 十一番=芝口壱丁目・弐丁目(現・港区新橋1、2丁目付近)⇒桐に鳳凰の吹貫笠鉾(一層笠に万燈型と吹貫付)、二十四考大舜の屋台。 十二番=芝口参丁目、源介町(現・港区新橋3丁目付近)⇒桜の枝を持った蹴鞠人形の山車(吹貫型)、蹴鞠人形の屋台、輿付馬乗り10人。 十三番=備前町、兼房町、和泉町、鍛冶町(現・港区西新橋1丁目付近)⇒二股大根の山車(吹貫型)、鼠の軽業の屋台、練物子供10人。 十四番=桜田伏見町、同善右衛門町、同久保町、同太左衛門町(現・港区西新橋1丁目付近)⇒桜の木の山車(吹貫型)、花見芸者の屋台(切破風造りの屋根)、練物。 十五番=築地小田原町、築地壱丁目・弐丁目(現・中央区築地6丁目)⇒桜花籠の山車(吹貫型)、桜すくいの人形屋台。 十六番=南飯田町、南本郷町、上柳原町(現・中央区築地7町目付近)⇒花籠矢車の山車(吹貫型)、靭猿狂言の屋台(切破風造りの屋根)。 十七番=舟松町壱丁目・弐丁目、十軒町、南河岸(現・中央区湊3丁目、明石町付近)⇒額に金錨の山車(吹貫型)、小旗船の屋台(船型屋台)。 十八番=木挽町壱〜四丁目(現・中央区銀座昭和通り付近北側)⇒和泉の壺花籠の笠鉾(一層の笠鉾)、猩々人形の屋台、猩々の出立子供子供30人。 十九番=木挽町五〜七丁目(現・中央区銀座昭和通り付近南側)⇒花篭の山車(吹貫型)、嵐山能人形の屋台、きこり装束子供30人。 廿番=京橋通り築波町、山城町、喜左ェ門町、佐兵衛町、寄合町(現・中央区銀座JR東海道線沿い)⇒三方に金銀の珠の山車(吹貫付鉾台型)、神功皇后馬乗りの屋台(切破風造りの屋根)。 廿一番=惣十郎町、南大坂町(現・中央区銀座資生堂南付近)⇒飾り物風車の笠鉾(一層笠万燈付き)、充莱子の屋台。 廿二番=加賀町・八兵衛町(現・中央区銀座外堀通り沿い)⇒矛に銀幣打違いの山車(吹貫型)、緞子の旗1本、岩戸神楽の屋台(岩組みの巨大屋台) 廿三番=滝山町、守山町(現・中央区銀座6丁目)⇒花籠に小鎌2本の山車(吹貫型)、さんろ人形の屋台、草刈りの子供20人。 廿四番=鑓屋町、勘左衛門休伯屋敷(現・中央区銀座4丁目西側)⇒水引入り猩々の笠鉾(二層の笠鉾)。 廿五番=尾張町、元地裏河岸、弐丁目裏河岸(現・中央区銀座松坂屋付近)⇒管弦太鼓の山車(鉾台型)、採花楼閣の屋台。 廿六番=南八丁堀1〜3、5丁目(現・中央区入船1丁目、湊1丁目付近)⇒額に鎌と小槌の山車(吹貫型)、福神万歳の屋台。 廿七番=霊岸島湊町、川口町(現・中央区新川2丁目西側)&川中島町、北川町(現・江東区永代2丁目付近)⇒軍配に唐人幟の山車(万燈・中国風の旗付き)、布袋の屋台。 廿八番=本郷壱丁目・弐丁目(現・文京区本郷壱岐坂上交差点周辺)⇒唐人団扇打違いの山車(旗無し吹貫型)、布袋の屋台(切破風造りの屋根)。 廿九番=本郷参丁目、四丁目(現・文京区本郷3丁目交差点周辺)⇒花籠の山車、上輿花売女屋台、練物花売り。 三十番=本郷五丁目、六丁目(現・文京区東大赤門前付近)⇒金銀幣の笠鉾(一層笠、万燈付き)、山伏大峰入りの屋台。 三十一番=浅草平平右衛門町、松永町、浅草茅町壱丁目(現・台東区柳橋1丁目付近)⇒壺に盃と柄杓の山車(吹貫型)、猩々の屋台(屋根無し)。 三十二番=浅草茅町弐丁目、瓦町、天王町(現・台東区柳橋2丁目西側)⇒菊の花の山車(吹貫型)、菊子童の屋台(切破風造りの屋根)。 三十三番=浅草旅籠町壱・弐丁目、新旅籠町(現・台東区柳橋2丁目東側)⇒岩組に枝垂れ桜の山車(吹貫型)、唐獅子曲舞の屋台(屋根無し)。 三十四番=馬喰町1〜4丁目(現・中央区日本橋馬喰町)⇒茶筅の山車(吹貫型)、御茶壺欄干輿、茶さし子供20人。 三十五番=横山町壱丁目、橘町四丁目(現・中央区東日本橋3丁目付近)⇒月に薄の山車(吹貫型)、万歳の屋台(屋根無し)。 三十六番=横山町弐丁目・参丁目、神田内元柳原六丁目(現・中央区日本橋横山町)⇒牡丹に蝶の山車(旗無吹貫型)、石橋唐獅子の屋台(屋根無し)。 三十七番=村松町、若松町北側、弥兵衛町(現・中央区日本橋富沢町付近)⇒額に錨の笠鉾(一層の笠鉾)、高砂の屋台 三十八番=元大坂町、甚左衛門町、庄助屋敷、長五郎屋敷(現・中央区人形町付近)⇒布袋大黒の笠鉾(二層笠、笠上に小屋根付き)、練物。 三十九番=鉄砲町、亀井町、神田九軒町(現・中央区日本橋本町4丁目、日本橋小伝馬町東側)⇒岩組に雲松の山車(吹貫型)、定家の野渡り人形の屋台 四十番=神田佐柄木町、南佐柄木町(現・千代田区神田多町付近)⇒二股大根に打出の小槌の山車(旗無し吹貫型)、大黒天万歳の屋台(切破風造りの屋根)。 四十一番=神田白壁町、下白壁町、松田町(現・千代田区神田鍛治町2丁目付近)=銀幣に鏑矢の山車(吹貫型)、担ぎ屋台。 四十二番=橋本町参・四丁目、江川町、岩本町(現・千代田区東神田1丁目、岩本町2丁目付近)=稲月の山車(吹貫型)、稲穂の屋台、早乙女の練物。 四十三番=通旅籠町、元浜町、橘町1〜3丁目(現・中央区日本橋大伝馬町東側、東日本橋3丁目付近)=井筒の山車(吹貫型)、玉ノ井の屋台、井筒の練物。 四十四番=神田紺屋町壱〜参丁目(現・千代田区神田紺屋町付近)=石台に牡丹の山車(吹貫型)、獅子乱曲の屋台。 四十五番=神田塗師町、二軒町、両替町、大和町(現・千代田区JR神田駅付近)=茶壷の山車(吹貫型)、茶園山の屋台。 四十六番=松屋町、幸町、日比谷町(現・中央区八丁堀4丁目付近)=桜の花籠の山車(吹貫型)、子供人形の屋台。 四十七番=炭町、与作屋敷、金六町、水谷町弐丁目(現・中央区銀座1丁目付近)=大鈴打違いの山車(吹貫型)、中だての屋台。 四十八番=南槇町、同会所、正木町、道俗屋敷、祐徳屋敷(現・中央区京橋1丁目付近)=大幣の笠鉾(二層の笠鉾)、神楽子供曲太鼓の屋台。 四十九番=南塗師町、鞘町、松川町壱・弐丁目(現・中央区京橋2丁目付近)=花籠の山車(吹貫型)、西王母の屋台。 五十番=南鍛冶町壱・弐丁目、畳町(現・中央区八重洲2丁目付近)=幣に鈴の山車(万燈・赤熊付き)、長刀渡しの屋台、鈴鍛冶の練物。 |
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宮神輿=3基あり、うち1基を台車に乗せて神幸祭と町内神輿の渡御が行われる。3基とも宝永3年制作。作者不詳。台輪寸法4尺6寸。 | ||||
◎根津地区 向ヶ丘弥生町会⇒江戸期は水戸藩の中屋敷。明治2年、新政府に収用され、5年に町屋が出来て向ヶ丘弥生町と名づけられる。弥生2丁目1〜20番 根津八重垣町⇒昭和29年9月結成。根津一丁目の交差点から千駄木・日医大へ曲がる交差点までの不忍通り両側。 =神輿。 根津宮永町⇒昭和28年4月結成。根津1丁目1番・根津2丁目1〜14番 =詳細不詳。 根津宮本町(根津1丁目5、14〜15、19、20〜22、23の一部、24〜28)=詳細不詳。 根津片町(根津2丁目15〜18、21〜23)=神輿。 弥生一丁目町会=詳細不詳。 藍染町会=神輿、曳太鼓あり。 上千駄木=詳細不詳。 東西千駄木=昭和6年製作。神田・宮惣の作。昭和35年、60年に大修理。60年は町内の宮大工の葵さんにより、曳太鼓も修復。 獅子頭は平成8年修復。 ◎千駄木地区 千駄木2丁目東西町会⇒東町は千駄木2丁目33〜49。西町は千駄木2丁目1〜32。 =神輿。 千駄木町東林町会=神輿、曳太鼓あり。 千駄木西林町会=神輿、曳太鼓あり。 千駄木3丁目南部町会(千駄木3丁目31〜42)=神輿。 千駄木3丁目北町会(千駄木3丁目23〜29、42〜52)=神輿、曳太鼓。 ◎駒込地区 浅嘉町⇒本駒込1丁目・3丁目及び向丘2丁目にまたがる地域。 =神輿(大小)、曳太鼓。 駒込市場、肴町=詳細不詳。 蓬莱町⇒ほぼ向丘2丁目。 =神輿は昭和3年、御大典に合わせて制作。 子供神輿は昭和24年(1949)9月制作。台車は平成16年(2004)制作。以前のは町内の鍛冶屋の福島さんの作。 追分町=詳細不詳。 上千駄木町=神輿。 東片町北睦町会=詳細不詳。 |
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本駒込3丁目40−1 | 駒込天祖神社 (公式HPへ) |
9/連休土日 (本祭は不定期) |
山車廃絶 | 祭礼番組10番中、出し10本 |
曳太鼓 | ||||
神輿 | 宮神輿、町神輿9基(12基説もあり) | |||
宮神輿=大正11年頃制作。本所堅川四ツ目通・二世大倉竹次郎の作。平成12年8/19、修復引渡し式。台輪寸法3尺8寸。 | ||||
宮元町会(神明上町)=大正12年制作。大倉竹次郎の作。台輪寸法2尺8寸。 神明町⇒旧・神明町会が分割で誕生=昭和5年制作。牧野田志賀の作。台輪寸法2尺9寸。 神明西部町会⇒旧・神明町会が分割で誕生=昭和30年制作。宮本重義の作。 他に子供神輿2基。 富士前町⇒富士神社の前で名付けられる。=昭和11年制作。後藤直光の作。台輪寸法2尺3寸。 上富士前町=昭和11年、後藤直光の作。当町在住の元・首相・若槻礼次郎の寄贈。台輪寸法2尺3寸。 吉片町⇒駒込吉祥寺町+駒込片町が合併して吉片町となる。=大正末期制作?。宮本重義の作。台輪寸法2尺4寸。 動坂町⇒目赤不動があり、初め不動坂と呼ばれていたが、動坂となった =昭和3年、多ゞし鉄の作。台輪寸法2尺3寸。 動坂中町=子供神輿2基。二基とも昭和56年、宮本重義の作。 上動坂五三会⇒動坂町会が分割され、千駄木5丁目と本駒込3丁目からこう名づけられた。 =大正11年制作。大倉竹次郎の作。台輪寸法2尺6寸。 浅嘉町=昭和23年制作。後藤直光の作。台輪寸法2尺。 東林町=昭和4年制作。作者不詳。御神像は当町在住の彫刻家・高村光雲の作。 西林町⇒上野寛永寺の寺領地だった。 =昭和35、6年制作。宮本重義の作。 |
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駒込2丁目親和会⇒旧・妙義町和会。唯一の豊島区氏子。=神輿はあるが詳細不詳。 | ||||
■小石川地区(旧・小石川区) | ||||
千石2丁目10−10 | 小石川簸川神社 | 9/1土日 (4年ごとに本祭) |
山車廃絶 | 祭礼番組21番中、出し21本 |
神輿14基 (子供入れると約40基) |
氏子23町 | |||
【山車廃絶】 『武江年表 巻之五』に「明和6年(1769)9/10、小石川氷川明神祭礼、産子町々より出し練りもを出す。(其の後休む)」 とある。 『東京市史稿』産業編第41、126〜140ページでは「寛政8年(1796)。隔年。明和6年以前は神輿・山車・練物」 とある。 『東京市史稿』産業編第41、431〜464ページでは「寛政9年(1797)。隔年。明和6年以来休み。35ヶ町、21番組にて山車1本づつ」 とある。 天保9年(1838)刊の『東都歳時記』には「丑卯巳未酉亥年の隔年に、産子の町より出しねりものを出しけるが、近来中絶す」 とある。 市中取締書留によると、「万延元年(1860)は山車2本(小石川伝通院前表町、白壁町、陸尺町)」 とある。 『江戸歳事記 卷之三秋之部』によると 一番=小石川原町 二番=同七軒町 三番=同戸崎町同祥雲寺門前同法伝寺門前同喜運寺門前 四番=同前橋戸町同向橋戸町 五番=同御掃除町 六番=同柳町同下富坂町東側同伝通院門前 七番=善仁寺門前 八番=同大原町 九番=同宮下町同五軒町 十番=同久保町 十一番=同清水谷町同御箪笥町智香寺門前 十二番=同光岳寺門前智光寺門前 十三番=巣鴨原町壱丁目小石川火之番町 十四番=巣鴨原町弐丁目 十五番=巣鴨仲町 十六番=同御駕篭町 十七番=小石川坂下戸崎町 十八番=同伝通院前表町同白かべ町同陸尺町 十九番=同上富坂町 廿番=同金杉水道町同仲町 廿一番=同宗慶寺門前 『江戸の祭礼と寺社文化』2018年、同成社発行には「隔年に行われ、氏子35町から21番の山車が出ていたが、近年は巡行は絶えてしまったという」とある。 |
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≪氏子は二十三ヶ町≫ 林町祭典部=神輿。 林町南町会=詳細不詳。 大原町会(千石3丁目38〜41、千石4丁目1〜9、21〜23) =神輿。 西原町会(千石1丁目19〜28、千石4丁目36の一部、39〜46)=神輿、曳太鼓。 西丸町会=昭和29年制作。行徳・浅子周慶の作。台輪寸法2尺5寸。 丸山町会(千石3丁目全域、2丁目7、19〜21)=神輿。平成22年修復。9月11日御披露目。曳太鼓あり。 宮下町会(千石3丁目28・29、千石4丁目7〜33)=詳細不詳。 原町睦会、原町寿友会=詳細不詳。 久堅親交会(小石川3丁目6〜8&小石川4丁目1、8〜12)=詳細不詳。 久堅西町会=詳細不詳。 氷川下町会(大塚4丁目1〜4、大塚3丁目33〜44、千石2丁目1〜6、千石3丁目1〜4)=神輿。 白山御殿町睦会(白山三丁目)=詳細不詳。 小石川五丁目互楽会(小石川5丁目31〜33)=曳太鼓。 戸崎町会・南戸崎町会=元は同じ町会なので、巡行も協力して行う。神輿の管理は2年交代。。 八千代町会⇒大正14年(1825)末永い発展を祈念し八千代町とした。旧称は寛文3年(1663)、傳通院御掃除町。明治2年に掃除町と称した。 =神輿。 竹早若睦、柳中央町会=詳細不詳。 久堅自治会(小石川4丁目・5丁目)=子供みこし。 久堅町民会、元柳町会、富坂町会=詳細不詳。 |
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音羽1丁目4−4 | 今宮神社 | 9/1日曜(元・7) (3年ごとに本祭) |
神輿5基 | 氏子は音羽1丁目〜9丁目。 |
神輿(今宮神社崇敬会)=昭和52年制作。地元の有志の作。台輪寸法3尺3寸。 | ||||
■土曜 山車(曳太鼓)=御神酒所(江戸川公園入口)15:00〜。 ■日曜 山車(曳太鼓)=御神酒所(江戸川公園入口)⇒護国寺まで11:00〜。 神輿=護国寺発〔13:00〜〕 山車(曳太鼓)=護国寺発〔13:00〜〕 |
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音一文化会⇒昭和28年4月結成。 =神輿 音二町会⇒昭和24年7月結成。音羽2丁目2〜4番、12番、21番の一部 =詳細不詳。 音羽三和会=詳細不詳。 音羽四丁目町会⇒音羽2番・16〜17番・18番の一部・目白台3〜4番の一部 =神輿。 音羽五丁目町会⇒昭和24年7月結成。 =神輿、山車 音六町会⇒昭和24年3月結成。音羽1丁目8〜14番、19〜23番 =子供みこし、山車 音羽七和会⇒旧・音羽7丁目町会。 =子供神輿、曳太鼓あり。 音八会⇒音羽1丁目5〜6番、24番、25番、27番の一部 =神輿 音羽九桜町会⇒音羽1丁目の一部&関口2丁目の一部、関口3丁目の一部&小日向2丁目の一部。 =神輿 |
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小日向2丁目16−6 | 小日向神社 | 9/連休 | 山車廃絶 | 花山車・踊家台があった |
神輿7基 | ||||
小日向1丁目にあった氷川神社と音羽1丁目にあった八幡神社(旧称は田中八幡社)を合祀して、明治2年に元・服部氏屋敷跡に移転して小日向神社となる。 | ||||
天保9年刊の『東都歳時記』には「音羽町八丁目、田中八幡宮祭礼 当社は小日向の生土神にして十四日より執行。花出し踊り等を催して、殊の外の賑ひなり」とある。 『東京市史稿』産業編第41、126〜140ページでは寛政8年(1796)。毎年。幟・提灯 とあり。 『江戸町触集成』第13巻では天保9年(1838)。花山車・踊家台 とあり。 |
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関口1丁目南部町会⇒関口1丁目2〜13。 茗荷谷町⇒小日向1丁目3・14?26、3丁目1〜3&4丁目1〜9(但し5・6の一部が欠ける)。 第六天町⇒小日向1丁目1〜4&春日2丁目9〜12。 =神輿、曳太鼓は三ヶ町合同。 水道端町⇒水道1.2丁目&小日向1丁目。 =神輿、曳太鼓は三ヶ町合同。 |
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関口2丁目3−21 | 正八幡神社 | 9/2土日 | 山車廃絶 | 花山車・踊家台があった |
神輿 | ||||
江戸町触集成』第13巻では天保9年(1838)。花山車・踊家台等 とあり。 | ||||
関口町⇒関口1丁目26〜43。 =大中。1年おきに出す。大は大正10年、神田の和田亀の作。台輪寸法3尺。 関水町(関口水道町)=大神輿は大正期の作。台輪寸法3尺3寸。中、子供神輿。曳太鼓。 |
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関口2丁目6−1 | 幸神社 | 9/初旬(元・14) | 子供みこし | 13:30〜 |
曳太鼓 | ||||
後楽2丁目18−18 | 諏訪神社 | 9/17頃の日曜(隔年) | 神輿 | |
神輿=大正10年制作。内田源冶郎の作。台輪寸法2尺5寸。 | ||||
白山5丁目31−26 | 白山神社 | 9/21頃の土日 (5年ごとに本祭) |
太鼓山車など | 多数あり |
山車廃絶 | 祭礼番組27番中、出し27本 | |||
神輿13基 | ||||
太鼓山車→春日3丁目、丸山福山町、白山指ヶ谷町 子供ねぶた→白山指ヶ谷町 |
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【山車廃絶】 『武江年表 巻之四』に「享保5年(1720)9/21、白山権現祭礼、産子町々より出し練物出る。其の後中絶せり」とある。 『東京市史稿』産業編第41、431〜464ページでは「寛政9年(1797)。隔年。安永3年以来休み。37ヶ町、27番組にて山車1本づつ」 とあり。 一番=小石川戸崎町・同祥雲寺門前・同法伝寺門前・同喜運寺門前 二番=小石川戸崎町 三番=本郷壱丁目 四番=同弐丁目 五番=同三丁目 六番=同四丁目 七番=同五・六丁目 八番=小石川柳町・同伝通院裏門前・同下富坂町東側 九番=同御掃除町 十番=同下富坂町西側 十一番=同町西側 十二番=同伝通院前表町・同陸尺町・同白壁町 十三番=同金杉水道町 十四番=駒込片町 十五番=丸山新・浄心寺門前 十六番=同駒込肴町・同浅嘉町 十七番=同高林寺門前・同天栄寺門前 十八番=同追分町 十九番=同九軒屋敷 廿番=同町北側 廿一番=同小石川原町 廿二番=同指谷南片町 廿三番=同円乗寺門前 廿四番=同指谷町壱丁目・同蓮花寺門前 廿五番=同指谷町二丁目 廿六番=同白山前町千川屋敷 廿七番=同白山前町 『江戸の祭礼と寺社文化』2018年、同成社発行には「寛文年間(1661〜73)にはすでに行われており、当初は毎年、のちに隔年に神輿と26番の山車の巡行があったが、安永3年(1774)を最後に以降は毎年神輿を出すばかりだとしているが、山車が描かれた享和2年(1802)の祭礼番附が残っている」とある。 |
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神輿=台輪寸法4尺2寸。 | ||||
白山前町=現・白山1丁目・5丁目。 西片町⇒明治5年町誕生。平成7年、神輿復活。 子供山車は平成13年9月お披露目。 八千代町=詳細未詳。 本郷六丁目=戦後制作。南部屋五郎右衛門の作。台輪寸法1尺8寸。 春日町、元町=詳細未詳。 白山指ヶ谷町町会⇒白山1丁目30、31・2丁目38一部&4丁目30、33&5丁目の一部 =神輿あり。 丸山福山町⇒現・白山1丁目の一部・西片1丁目の一部。 表町⇒春日1丁目11〜12番の一部・春日2丁目・小石川2〜3丁目の一部 =詳細未詳。 本郷5丁目=昭和30年発足。 本郷5丁目台町町会=昭和30年5月発足。 |
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本郷2丁目20−5 | 三河稲荷神社(公式HPへ) | 6/1頃の土日 | 神輿 | 氏子は旧・本郷元町1丁目・2丁目の2町 |
氏子は本郷1丁目(1〜20番、26番)・本郷2丁目(2〜7番、15〜24番)。 | ||||
本郷4丁目3−1 | 桜木神社(公式HPへ) | 9/3土日 (本祭は不定期) |
神輿6基 | 氏子は11ヶ町。2011年は神輿4基出た。 |
宮神輿=昭和15年、皇紀2600年を奉祝し振興会(現・本郷二三丁目町会)が新調。その後、神社に寄進され、平成9年に修復し、金物等の文字を神社名に改め、同年9月宮神輿として初渡御。 浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺5寸。 |
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上真砂町会=昭和25年4月発足。 =戦後制作。行徳・後藤直光の作。台輪寸法2尺3寸。 三ヶ町(本郷田町・中真砂町会、下真砂町会の連合)=神輿、子供神輿、曳太鼓。 本一会=昭和23年4月発足。 =神輿あり。 本郷二丁目弓二会=昭和31年4月15日発足。 =神輿(大人・子供)、曳太鼓あり。昭和30年制作。 本郷2丁目元一会=昭和28年4月発足。当時は元町1丁目なれど、住宅表示実施で本郷2丁目となり改称。 =神輿 本郷二三丁目町会=昭和24年3月発足。 =神輿あり。以前のは昭和15年、皇紀2600年を奉祝し振興会が新調。その後、神社に寄進。 本郷同四会=現・本郷4丁目と5丁目。元は本郷4丁目。昭和26年4月発足。昭和40年(1965)、住宅表示実施で2地区に分かれたので改称。 =詳細不詳。 本郷弓一町会(本郷1丁目21〜25・27〜32)昭和21年2月、弓一文化会として発足。平成25年11月改称。 =神輿(大人・子供)。 菊坂町会=昭和23年発足。 =浅草・宮本卯之助商店の作。台輪寸法1尺8寸。 菊和会=昭和27年、菊坂町会より分離独立。 =祭礼時にお赤飯を配る。 |
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大塚5丁目21−11 | 吹上稲荷神社 | 9/3日曜 (3年毎の本祭) |
神輿5基 | |
氏子は9ヶ町。大塚上町、大塚辻町、大塚仲町、大塚坂下町 など。 | ||||
宮神輿=平成10年制作。作者不詳。 以前のは大正4年制作。神田・宮惣(村田喜三郎)の作か?台輪寸法3尺5寸。 |
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大塚仲町=大塚3丁目8〜12、14〜15、19、20の一部&大塚4丁目1〜20、36〜42、45。 豊島ヶ岡町(大塚5丁目、6丁目)=神輿。 |
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春日1丁目5−2 | 牛天神北野神社(公式HPへ) | 5/25 | 例祭 | 旧称は金杉天満宮 |
山車廃絶 | ||||
『市中取締書留』では「万延元年(1860)、山車1本手踊。籠宮之字(小石川富坂新町外1ヶ町)」 とあり。 | ||||
目白台3−26−1 | 腰掛稲荷神社 | 9/10頃の土日 | 神輿 | 目白台雑司ヶ谷町会 |
※文京区は神輿が105基あると聞く。 | ||||
≪北区≫ | ||||
◎旧・王子区 | ||||
■王子地区 | ||||
王子本町1丁目1−12 | 王子神社(公式HPへ) | 8/13前の土日 | 宮神輿 | 平成29年制作。台輪寸法3尺。 |
神輿7基 | 上十条二丁目、上十条三丁目、上十条四丁目、十条仲原一丁目、十条仲原三丁目、十条仲原二丁目・四丁目(二四町会)、上十条五丁目 | |||
岸町1−12−26 | 王子稲荷神社 | 1/1 | 狐の行列 | 稲荷社の関東総社 |
王子2−30−13 | 装束稲荷神社 | 1/1 | 狐の行列 | |
【狐の行列】 江戸期の言伝えで、毎年大晦日になると関八州から狐が目印の榎に集まり、そこで衣裳を整えた後、行列して王子稲荷神社に向かったという。 そこで町興しとして平成5年から始まり、平成12年(2001)から今のような行列が始まった。 除夜の鐘を合図に元旦午前0時に装束稲荷神社をスタートし、王子稲荷神社まで約500mを50分かけて狐のお面や装束を身につけた多くの人々が行進する。 |
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■堀船地区 | ||||
堀船3丁目11−3 | 白山神社 | 9/19前の土日 | 神輿(大小) | 旧・梶原堀ノ内村鎮守 |
曳太鼓 | ||||
堀船4丁目13−28 | 船方神社 | ? | 神輿? | 旧・船方村鎮守 |
■豊島地区 | ||||
豊島7丁目15−5 | 紀州神社 | 8/下旬 (大祭は西暦偶数年) |
町会神輿多数 | 豊島1〜8丁目 |
豊島1丁目町会⇒町会館は豊島1丁目27−4。 豊島2丁目町会⇒町会館は豊島2丁目13−5。 =神輿は昭和28年(1953)制作。15代浅子周慶の作。 豊島3丁目町会⇒町会館は豊島3丁目8−6。 豊島4丁目町会⇒町会館は豊島4丁目13−7。 豊島5・6丁目町会⇒詳細不詳。 豊島7丁目南町町会⇒町会館は豊島7丁目4−14。 豊島7丁目北栄会=曳太鼓。 豊島8丁目町会⇒町会館は豊島7丁目4−14。敷地内に豊八稲荷大明神もあり。 |
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豊島2−19−15 | 豊島若宮八幡社 | ? | ― | |
■赤羽地区 | ||||
赤羽台4丁目1−6 | 赤羽八幡神社 | 9/中旬 | 宮神輿(大小) | 旧・赤羽村、下村、袋村、岩淵宿、稲付村の総鎮守 |
神輿(大小) | 第一区〜第五区 | |||
曳太鼓 | ||||
宮神輿=明治中期の作。作者不詳。台輪寸法3尺3寸。 | ||||
赤羽北3丁目1−2 | 諏訪神社 | 8/下旬 (隔年に本祭) |
神輿 | |
本祭:神輿渡御。 夕方からは神楽殿にて、本祭時には歌謡ショー・カラオケ大会、お神楽。陰祭時には和太鼓・竜虎太鼓、お神楽が奉納。 |
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赤羽西2丁目22−7 | 稲付香取神社 | 9/2土日 | 神輿 | 旧・稲付村鎮守。9:00〜17:00。 |
赤羽西2丁目14−20 | 道観山稲荷社 | 2/初午の日 | 初午祭 | |
初午祭=2月の最初の初午の日。ただし2月最初の午の日が、節分の前の場合は次の午の日に行われる。正午〜13時頃。餅をつきながら唄をうたい、来てくれた人にふるまう。 道観山稲荷講の人々により北区無形民俗文化財の稲付の餅搗唄が披露される。 この唄は江戸期に始まり、関東大震災の前後まで残っていたもので、昭和40年頃復活。 これは餅を搗く時に唄ったもので、餅を練る時のものが稲付千本杵餅練唄、餅を搗く時のものが稲付千本杵餅撞唄からなる。 |
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■岩淵地区 | ||||
岩淵町22−21 | 八雲神社 | 6/1土日 (隔年に本祭) |
宮神輿 | 岩淵宿鎮守、村社 |
宮神輿=大正以前の作か?。作者不詳。台輪寸法3尺8寸。 | ||||
岩淵町16 | 辻稲荷神社 | ? | ― | |
■志茂地区 | ||||
志茂4丁目19−1 | 熊野神社 | 9/1土日 | 神輿5基 | 旧・下村鎮守 |
太鼓2台 | ||||
曳き太鼓5台 | ||||
志茂一丁目自治会=神輿(大小)、曳太鼓 志茂二丁目町会=神輿、曳太鼓 志茂三丁目自治会=神輿、太鼓、曳太鼓 志茂四丁目町会=神輿(大中小)、曳太鼓。 志茂五水門自治会=山車、太鼓、神輿(大小)、太鼓、曳太鼓 |
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神谷3丁目55−5 | 柏木神社 | 9/中旬 | 例祭 | 旧・神谷村鎮守 |
■浮間地区(旧・埼玉県北足立郡) | ||||
浮間2丁目19−6 | 浮間氷川神社 | 9/中旬 | 神輿3基 | 浮間西町、浮間東町=平成17年(2005)10月2日、新調お披露目。 |
●旧・滝野川区 | ||||
■滝野川地区 | ||||
滝野川5丁目26−15 | 滝野川八幡神社 (公式HPへ) |
9/連休土日 | 宮神輿 | |
町内神輿 | 13基 | |||
飛鳥山自治会⇒滝野川1丁目1〜18番、50〜67番・滝野川2丁目1〜8番、48番 馬場自治会、東大原自治会=詳細不詳。 西大原講(西大原自治会)⇒会館は滝野川1−81。滝野川1丁目68〜91番・2丁目16番、20〜29番・3丁目1〜3番 小原自治会、中央自治会、紅葉自治会、谷津自治会、宮元自治会、新西自治会、上町親和会、済米自治会、谷端親交会 |
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滝野川3丁目61−13 | 四本木稲荷神社 | ? | ― | |
■中里地区 | ||||
上中里1丁目47−1 | 平塚神社 | 9/連休土日 | 神輿9基 | |
上中里三町目自治会、昭和町自治会、上中里貝塚町会、上中里中央自治会、上中里高台自治会、中里町自治会、中里親和会、中里親善会、中里協和会 | ||||
■田端地区 | ||||
田端4丁目18ー1 | 上田端八幡神社 | 8/14頃の日曜 (隔年の本祭) |
神輿 | 旧・上田端村鎮守 |
宮神輿=大正期制作。 作者不詳。 上野の大正博覧会の展示品を購入。 台輪寸法2尺5寸。 | ||||
田端3丁目20−2 | 日枝神社 | 6/1 | 例祭 |