東京都

 ≪千代田区、中央区≫

住所  神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪千代田区≫
外神田2丁目16−2 神田神社
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5/15前の土日
( 本祭は西暦奇数年)
宮神輿
鳳輦
山車6台 諫鼓山車、獅子頭 、羽衣山車 (神田松枝町)、 加茂能人形山車( 築地魚河岸会)、 日本橋室町1 丁目、桃太郎の人形山車(神田元岩井会)
囃子屋台2台 日本橋室町1 丁目、鍛冶町2
トラック屋台 神田囃子保存会、大田市場御囃子会、神田和泉町(泉笑会) 、 橘町(東日本橋3) など
町神輿
神田神社は平将門の首塚(千代田区大手町1丁目)と同じ場所から、山王社と共に駿河台に移され、さらに元和2年(1616)に現在地に移されている。
 氏子町は60ヶ町、山車番組は36本だった。
 【神幸祭行列】
先導、神幸旗、鉄杖、猿田彦、諫鼓山車、祭典委員、供奉員、拍子木、太鼓、氏子鳶頭、御防講、由布籠、 獅子頭山車、先導騎馬神職、真榊、錦旗、神饌辛櫃、賽物櫃、宮鍵講、神部取締役、七色旗、宮司馬車、御楯、御鉾、紫翳、神明旗、錦蓋、一の宮鳳輦、御胡、御弓、菅翳、巫女、氏子総代馬車、七色旗、騎馬神職、騎馬千代田区長、紫翳、随身、神明旗、二の宮神輿、菅翳、七色旗、騎馬神職、騎馬中央区長、御楯、御鉾、紫翳、随身、神明旗、菅蓋、三の宮鳳輦、菅翳、騎馬神職、四神旗、由布籠、乙女、雅楽怜人、神田明神稚児太鼓、ボ―イスカウト千代田第六団、万世橋交通少年団、氏子山車、祭典委員、武者行列、提灯行列
 【宮神輿】
一之宮鳳輦
=大己貴命(だいこく様)のお乗り物。昭和27年、戦後初の神幸祭に備え制作。

二之宮神輿=少彦名命(えびす様)のお乗り物。昭和48年5月制作。菊屋橋 宮松納。(下谷 種谷豊次郎の作)。日本橋三越より創業300年記念として奉納。台輪寸法3尺。昭和52年(1977)に初巡幸。

三之宮鳳輦=平将門命のお乗り物。将門公が神田神社の御祭神として復古された昭和59年に制作。昭和62年(1987)に初巡幸。

神輿=元和3年(1617)2基を幕府より寄進。以降祭礼道具が幕府より新調・修復。
諫鼓山車=平成2年復元。神田明神。神幸祭の先頭を行く一番山車として有名。

獅子頭山車
=昭和58年(1983)、60年ぶりに復興。
 先代は関東大震災で焼失した。 神田明神。

加茂能人形山車(HPへ)
 =築地魚河岸会。かつて山王祭り10番の加茂能人形山車を昭和30年に復元。祭礼時に飾り置き。

加茂能
人形山車日本橋室町1丁目。上記に同じ。関東大震災で山車は焼失し、魚市場は築地に移転したので、昭和11年に制作。後藤直光の作。

羽衣山車(神田松枝町)=昭和13年(1938)5月制作。羽衣の人形山車で4輪。足立区花畑の大鷲神社の脇に収納庫があり戦災を免れた。
人形師は磯貝勝之。長さ3m。幅1、9m。高さ6m。 


桃太郎の人形山車(神田元岩井会=平成19年、約20年ぶりに復活。昭和9年制作。大工は柏原甚吉。人形は「桃太郎」。昭和11年制作。人形師は松崎昭玉。
 ※詳細は神田祭htmでどうぞ
かつて神田明神祭礼は、山王祭りと共に“天下祭”といわれ、隔年に交互に祭礼行列が江戸城内に入り、将軍の上覧に供し、36本の山車行列があった。

三崎町2丁目9−12 三崎稲荷神社 5/9頃の日曜
(隔年に本祭)
宮神輿
神輿9基 氏子は9ヶ町 
例祭は神田祭の陰祭りの年に行われる。宮神輿や氏子各町会神輿が氏子9町会を巡り宮入りをする。
宮神輿=昭和4年制作。神田・三世宮惣の作。錺師は水谷庄助。台輪寸法は3尺8寸。平成8年に69年ぶりに改修。
神保町三丁目町会⇒神保町3丁目全域
=昭和後期制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺4寸。

一神町会⇒一
橋通町と神保町1丁目が合併。神田神保町2丁目奇数番地
=昭和56年4/19、引渡し式。栃木県石橋町の小川政次の作。台輪寸法2尺1寸。一橋教育会館1階ロビーに格納展示。
 先代もあり。

西神田三丁目町会
=詳細は不詳。台輪寸法1尺8寸。

神保町一丁目北部町会
⇒神保町1丁目偶数番地
=制作年代不詳。岡田屋布施の作。台輪寸法2尺。

北神町会⇒神田神保町2丁目4〜10の偶数番地、32〜40までの偶数番地
=神輿はレンタル。浅草中屋より借りたことがある。

神田西町会
=制作年代不詳。神田・宮惣の作。台輪寸法2尺。

西神田町会
⇒昭和9年、表猿楽町と中猿楽町の北側が合併し西神田一丁目。西小川町と今川小路三丁目の一部などが西神田二丁目となる。昭和42年、西神田二丁目のうち、西側の一部の区域が分割されて西神田三丁目が誕生。
=神輿あり。

神田三崎町町会
⇒神田神保町2丁目2〜7番、10〜21番、22番(8〜20号)・神田三崎町3丁目全域
=制作年代不詳。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺4寸。

神田三崎町一丁目町会
⇒神田神保町1丁目全域・〃2丁目1番、8番、9番、22番(1〜7号)
=神輿あり。
永田町2丁目10−5 日枝神社(山王さん)
(公式HPへ
6/10〜16
(本祭は西暦偶数年)
鳳輦2基 一ノ宮、二ノ宮
宮山車3台 諫鼓鶏、山王山車、花山車
山車3台 九段3丁目、九段4丁目、三番町
山車休止 日本橋2丁目
神輿10基 日本橋一、八丁堀、茅場町、京橋二、檜物町(八重洲一東)、江戸橋、京橋一、日本橋通二、日本橋三、京橋三 
日枝神社は往古、現在の皇居東御苑の北側の梅林坂上辺にあった。その後、山王社と共に駿河台に移され、そこから現在の最高裁判所(千代田区隼町)に移され、明暦大火(1857)で焼失すると、現在地に移されている。
 氏子町は約160ヶ町、山車番組は45本だった。
本祭は隔年で、15日の近い金曜に御鳳輦2基と本社神輿を台車に乗せ、神幸祭の行列が、千代田、新宿、中央、港の4区の氏子72ヵ町を巡る。
日曜は神社周辺の町は連合で町会神輿の宮入りで、遠い日本橋や八丁堀などでは地区ごとに町内神輿を担ぐ。
 【神幸祭行列】
先導神職、副宰領、御防講、竹棹持、諫鼓鳥、太鼓、神幸祭旗、口取、祭典副委員長、金棒、高張、御幣、鼻高面、朱傘、賛者、大真榊、錦旗[赤・葵]、大幟、口取り、禰宜、賽物係、獅子頭、副宰領、権禰宜、口取、御神馬、御弓、御鉾、御楯、御太刀、口取、禰宜、権禰宜、舞姫、童女、楽人、錦旗[青・葵]、錦旗[赤]、菅翳、菅蓋、日枝神社氏子総代連 高張、総代連、副宰領、権禰宜、竹棹持、御綱取、御鳳輦、御綱取、竹棹持、御綱取、御鳳輦、御綱取、竹棹持、宮神輿、宰領、紫翳、錦蓋、宮司、朱傘、人力車付、権禰宜、竹棹持、祭典委員長、祭典副委員長、副宰領、口取、禰宜、権禰宜、巫女、総代連、日枝神社奉賛青年会 高張、青年会旗、日枝神社葵会連 高張、葵会連、竹棹持、花山車、竹棹持、干支(龍)山車、竹棹持、山車(美少年)、竹棹持、山車(御幣を担ぐ猿)、竹棹持、牛若山車(隼町〜国立劇場)
一ノ宮=大山咋神。

二ノ宮=伊弉冉神ほかの相殿
諫鼓鶏、山王山車、花山車=この3台は宮山車であり、神社境内の山車庫に収納。
九段3丁目=昭和5年頃の作。その頃は当地は花柳界として栄えており神輿と同時に新調。大工 等は不詳。戦後、台車を作り人形も一緒に制作。屋根は空襲時に焼失。太鼓の上の人形は「牛若丸」。前に雌雄の獅子頭を飾っている。長さ8m。幅2m。高さ6m。

九段4丁目
⇒江戸期は旗本屋敷とそれに連なる下級武士の長屋からなる武家地であったので、祭りには無関係。  
=昭和27年(1952)再建。大工は宮本重義。4輪山車で。平成6年に改修。長さ2、7m。幅1、9m。高さ5、5m。
人形は昭和32年(1957)制作で「弁慶と牛若丸 五条大橋の出会い」。人形師は平田洋光。衣裳は京都・西陣織り。
 金曜は番町、九段、麹町の3小学校の生徒が交代で曳く。


 初代山車は大正中期の作だが、昭和20年5月の空襲で焼失。
戦後は昭和22年に神輿新調し、祭礼復活。
三番町会=昭和25年(1950)町内有志により制作。長さ2、5m。幅1、8m。高さ4、5m。
人形は「東郷元帥」。これは東郷平八郎元帥が在住したことによる。
 【往古の祭礼コース】
汐見坂上・永田馬場(現在の国会議事堂の裏手=千代田区永田町1、2丁目境)に整列して神輿を迎えて行列を始める。
三宅坂を経て半蔵門内に入り、現在の皇居通用門である乾門の場所にあった「吹上上覧所」で将軍の拝礼を受けた後、竹橋門⇒常磐橋門(門外が中央区日本橋本石町)を経て山車は流れ解散して自町に帰ったが、神輿はなお氏子町をくまなく巡幸して、茅場町の山王御旅所で1泊して翌日に帰社した。
 【文化9年(1812)山王御祭礼番附】   
一番=大伝馬町⇒諌鼓鶏の山車。  
二番=南伝馬町⇒猿の山車  
三番=麹町1・2・3丁目⇒女猿の笠鉾。  同4・5・6丁目⇒高砂の笠鉾。  同7・8・9・10丁目⇒武内宿禰の笠鉾。
同11・12・13丁目⇒猿の笠鉾。  平川町1・2丁目⇒猿田彦の笠鉾。 
四番=山王町・南大坂町・丸屋町⇒水車に剣の山車。
五番=小舟町・堀留一・二丁目・堀江町⇒この町内は通常曳山を出さない
六番=桶町⇒松に羽衣の山車
七番=本町四町・岩付町・本革屋町・金吹町⇒弁財天の山車。
八番=駿河町・品川町・同裏河岸・北鞘町・本両替町⇒龍神の山車
九番=瀬戸物町・伊勢町・本小田原町⇒三法に白玉の山車
十番=室町三町・本船町・安針町・本町三丁目裏河岸⇒加茂能人形山車
十一番=本石町四町⇒一来法師の山車。
十二番=西河岸町⇒高砂の山車
十三番=本銀町4町・元乗物町・新革屋町・新石町1丁目⇒花篭牡丹の山車
十四番=神田鍛冶町・神田鍋町⇒花篭牡丹の山車
十五番=佐久馬町壱丁目⇒須佐之男命の山車(万燈型)、荷茶屋1基。 佐久間町弐丁目⇒岩組に牡丹の山車(万燈型)
十六番=鎌倉町・三河町1丁目武蔵野の山車。
十七番=小網町⇒網打ち人形の山車
十八番=新材木町⇒武蔵野の山車。
十九番=新乗物町⇒武蔵野の山車。
廿番=堺町・葺屋町・住吉町・難波町・高砂町⇒武蔵野の山車
廿一番=新大阪町・田所町・通油町⇒龍神の山車。
廿二番=富沢町・長谷川町⇒武蔵野の山車
廿三番=銀座1,2,3,4丁目分銅の山車。
廿四番=通四町・呉服町・元大工町⇒神功皇后の山車
廿五番=檜物町・上槙町⇒浦島太郎の山車。
廿六番=元材木町1,2,3,4丁目⇒棟上の山車
廿七番=青物町・万町・元四日市町・佐内町⇒頼光の山車、荷茶屋1基。
廿八番=大鋸町・本材木町5,6,7丁目⇒浦島太郎の山車、荷茶屋1基。
廿九番=長崎町・霊岸島町・東湊町⇒茶筌柄杓の山車、荷茶屋3基。
三十番=南油町・川瀬石町・小松町・音羽町・平松町・新右衛門町⇒鯨船の山車(万燈型)、荷茶屋1基
三十一番=箔屋町・岩倉町・下槙町・福島町⇒佐々木四郎の山車(万燈型)、荷茶屋1基。
三十二番=本八丁堀五町神功皇后の山車(万燈型)、荷茶屋1基。   

 ⇒関東大震災で焼失。
附祭=箱崎町⇒踊り屋台(担ぎ)、高砂の曳物、荷茶屋4基。
三十三番=本湊町⇒月に薄の山車、荷茶屋1基。
三十四番=南紺屋町・西紺屋町・弓町⇒弓張りの山車(万燈型)、荷茶屋1基。  
三十五番=竹川町・出雲町・芝口1丁目西側須佐之男命の山車(万燈型)、荷茶屋1基。

三十六番=弥左衛門町・新肴町(現・銀座4丁目&3丁目)⇒鯛の山車。

三十七番=本木材町・柳町・具足町・水谷町(現・中央区京橋&京橋3丁目&京橋3丁目&銀座1丁目)⇒山車。
三十八番=南鍋町・山下町(現・中央区銀座5、6丁目&銀座5〜7丁目)⇒玉ノ井龍神の山車。
三十九番=数寄屋町(現・中央区八重洲1丁目、日本橋2丁目)⇒造り花の山車。

四十番=霊岸島四日市町・北新堀町・霊岸寺塩町・箱崎町1丁目・大川端・南新堀1・2丁目(現・中央区新川1丁目&日本橋箱崎町&新川1丁目&日本橋箱崎町&新川1丁目&新川1丁目)⇒太公望の山車・頼義の山車。
四十一番=五郎兵衛町・北紺屋町(現・中央区八重洲2丁目&八重洲2丁目、京橋3丁目)⇒流鏑馬太公望のの山車。
四十二番=元飯田町(現・千代田区富士見1丁目、九段北1丁目)⇒武蔵野の山車。
四十三番=南大工町(現・中央区京橋2丁目、八重洲2丁目)⇒武内宿禰の山車。
四十四番=常盤町(現・中央区京橋2丁目)⇒宝船の山車。
四十五番=霊岸島銀町4丁分(現・中央区新川1、2丁目)⇒猩々の山車。僧正坊牛若の山車。
かつて山王権現神祭礼は、神田祭りと共に“天下祭”といわれ、最初は毎年だったが、天和元年(1681)より隔年に交互に祭礼行列が江戸城内に入り、将軍の上覧に供し、45本の山車行列があったが、今は4台である。
 【神輿】
  <千代田区>
 
 ≪麹町出張所地区連合≫

有楽町会=有楽町駅、帝国ホテルがある。

内幸町
=多数の大手企業本社などを有するビジネス街で住民はゼロである。

永田町1丁目
国会議事堂がある。

永田町2丁目(宮元)
=神輿。

霞が関3丁目
⇒地名の由来は日本武尊が蝦夷の襲撃に備えて、武蔵国に置いた関所「霞ヶ関」から名付けられたと云われる。その名前は関所から雲霞を隔てた遠方を望むことができるということに由来する。外務省、財務省、警視庁などがある。

七ヶ町連合=平河町1・2丁目、隼町、麹町1〜3丁目、一番町よりなる。
 ●平河町1丁目⇒昭和9年(1934)、元平河町+平河町一〜三丁目が合併し、現在の平河町一丁目が誕生。
=昭和34年制作。浅草・宮本重義の作。平成4年新装。台輪寸法2尺3寸。長さ4、9m。幅2、45m。高さ約2m。重量約500Kg。
 地内に平河天満宮がある。神輿蔵あり。

 ●平河町2丁目=昭和9年(1934)、平河町一〜三丁目が合併し、現在の平河町2丁目が誕生。

 ●隼町⇒370世帯、人口474人(平成17年)。

 ●麹町1丁目麹町警察署、麹町消防署がある。

 ●麹町2丁目
(糀二)⇒昭和22年に麹町一二三町会から麹町二丁目会が独立。そして昭和25年に麹町二丁目町会と改称。
=神輿。


 ●麹町3丁目
⇒昭和9年に麹町四丁目、五丁目、山元町二丁目、元園町の各一部が区画整理によって麹町三丁目となる。昭和13年に麹町三丁目自衛組合となり、終戦後の昭和22年に解散し、麹町一二三会が組織。 町会が復活したのは昭和27年である。
=神輿。

 ●一番町昭和8年の区画整理事業により、上二番町、五番町、元園町一丁目の一部が合併して一番町となった。
=神輿。


麹西連(麹町西部町会連合)
⇒麹町四・五・六丁目、紀尾井町各町会よりなる。
 ●麹町4丁目
⇒四丁目、五丁目、六丁目と紀尾井町は麹西連を結成し奉仕している。

 ●麹町5丁目
⇒インド大使館がある。

 ●麹町6丁目
⇒上智大学がある。

 ●紀尾井町⇒江戸期に紀州徳川家、尾張徳川家、彦根藩井伊家の藩邸があった。
=神輿、子供神輿、山車(曳太鼓)あり。

番町連合(二・三・四・五・六番町合同)
 ●二番町⇒昭和30年に山車(曳太鼓)、31年に子供神輿、32年には獅子頭と次々に新調

 ●三番町⇒昭和8年の区画整理事業により、表六番町、上六番町、新道・堀端壱番町が合併。昭和23年、三番町睦会が結成され、昭和24年に三番町町会と改名。
 山車あり。

 ●四番町⇒昭和30年町会再興。
 昭和34年、子供神輿と山車(曳太鼓)創建。

 ●五番町⇒昭和13年の区画整理事業により名称変更。江戸期はは武家地として、三十三家の旗本が居住しており(俚俗江戸世絵巻)、土手三番町と俗称されていた。町会としての発足は、昭和30年である。町会発足当時は子供用に樽みこしを担いだ。

 ●六番町⇒昭和33年に、六親会が六番町町会に改名
 この頃に子供神輿、曳太鼓新調。
 ≪富士見地区町会連合会≫
九段三丁目=神輿。昭和5年頃の作。その頃は当地は花柳界として栄えており山車と同時に新調。作者 等は不詳。

九段四丁目⇒昭和8年の区画整理により、下三番町と四番町の西側半分が合併し誕生。
=神輿は二代目。

九段北三丁目2番・三番
=詳細不詳。

 ※九段北一・ニ丁目、九段南一・ニ丁目は筑土神社氏子
 ≪日本橋七の部連合町会≫
兜町町会⇒日本橋兜町全域。
=戦後制作。行徳の後藤直光の作。台輪寸法1尺5寸。平成16年、八丁堀の三世秋山三五郎により修復。

山車もあり。

茅場町1丁目町会⇒日本橋茅場町一丁目全域。会員の9割が会社関係な法人の町会であり、昼間と夜間の人口の差が激しい。
=昭和15年(1940)制作。行徳で作られる。昭和50年、浅草の宮本卯之助商店で改修。台輪寸法2尺8寸。


茅場町二・三丁目町会⇒日本橋茅場町二丁目・三丁目。
=昭和11年制作。北嶋町(現・茅場町2丁目)の宮銀(田村春吉)の作。台輪寸法2尺8寸。
中神輿、子供神輿、山車もあり。
 <中央区>
 ≪京橋一の部連合町会≫
八重洲二丁目北町会⇒八重洲二丁目1〜3番。

八重洲二丁目中町会
⇒八重洲二丁目4〜7番。

八重洲二丁目南町会
⇒八重洲二丁目8〜11番。

京橋1丁目町会⇒(東町会京橋一丁目6〜10番、西町会⇒京橋一丁目1〜5番。)
=昭和26年(1951)制作。行徳・7世後藤直光の作。台輪寸法2尺3寸。

京橋二丁目町会⇒(東町=京橋二丁目5〜8番、西町会⇒京橋二丁目1〜4番。)
=昭和28年(1953)制作。浅草の宮本卯之助商店の作。台輪寸法2尺8寸。
 先代は戦災で焼失。

京橋3丁目町会京橋三丁目1〜7番
=昭和12年頃制作。行徳・6世後藤直光の作。平成6年、浅草で修復。
 戦前は東西に分かれ、東町会神輿と大根川岸神輿があった。


京橋宝町会
 ●京橋宝一町会
⇒京橋一丁目11〜19番。
 ●京橋宝二町会⇒京橋二丁目9〜18番。⇒京橋2丁目に参加している。
 ●京橋宝三町会=京橋三丁目8〜14番。

 =昭和27年、ぬ利彦七代目社長中澤彦七氏が町会長の時に町会員と共同出資で制作。
平成24年、
清水建設京橋新本社ビル完成に伴い、宝町の神輿が22年ぶりに復活。
 ≪京橋二の部連合町会≫
銀座一丁目町会
⇒銀座一丁目2番、6〜11番、12番の一部(水谷橋公園のみ)

=戦後制作。他は不詳。

銀座二丁目町会⇒銀座二丁目5〜9番

銀座三丁目町会
銀座三丁目4〜8番。

銀座四丁目共和会
銀座四丁目4〜8番。

銀座西一丁目自治会⇒銀座一丁目2番の一部(高速道路下)、3〜5番。

銀座西二丁目町会⇒銀座二丁目2〜4番。

銀座西三丁目町会⇒銀座三丁目2・3番


銀座西四丁目銀友会⇒銀座四丁目2・3番。
 ≪京橋三の部連合町会≫
銀座西六丁目町会銀座六丁目2〜7番。

銀座西七丁目町会⇒銀座七丁目2〜6番。
=子供神輿。山車(曳太鼓)あり。銀座三之部(銀座5丁目〜8丁目)町内を10:00〜12:00巡行。

銀座西八丁目町会⇒銀座八丁目2〜6番。

銀座五丁目連合町会⇒銀座五丁目1〜10番。

銀座六丁目町会⇒銀座六丁目8〜12番。

銀座七丁目町会⇒銀座七丁目7〜11番。

銀座八丁目町会⇒銀座八丁目7〜11番。
 ≪京橋七の部連合町会≫
八丁堀一丁目町会⇒八丁堀一丁目全域。
子供神輿。昭和27年(1952)制作。行徳・15代浅子周慶。


八丁堀二丁目東町会⇒八丁堀二丁目20〜30番。
=製作年は不詳。西八丁堀・秋山三五郎の作。

八丁堀二丁目西町会⇒八丁堀二丁目1〜19番。
=昭和29年制作。西八丁堀・秋山三五郎の作。

八丁堀三丁目東町会⇒八丁堀三丁目18〜28番。
=昭和30年、西八丁堀・秋山三五郎の作。

八丁堀三丁目西町会⇒八丁堀三丁目1〜17番。元・西八丁堀3丁目。
=昭和31年6月制作。町内の秋山三五郎の作。台輪寸法2尺7寸。平成4年に大修復。
子供神輿もあり。

八丁堀四丁目西町会⇒八丁堀四丁目5番(11・12号)、8〜14番

八丁堀四丁目東町会
⇒八丁堀四丁目1〜4番、5番(3〜9号)、6・7番
 =大正9年6/12製作。行徳・6世後藤直光の作。台輪寸法2尺2寸。
 ≪日本橋六の部連合町会≫
八重洲一丁目北町会八重洲一丁目1・2番、11番。

八重洲一丁目中町会八重洲一丁目3〜5番、10番。
子供神輿。日本橋プラザビルの地下倉庫にあるらしい。

檜物町(現・八重洲一丁目東町)⇒八重洲1丁目6〜9。
 =明治43年発注。2年半後に完成。台輪寸法3尺5寸。神社の神輿庫で保管。
宮大工は鈴木宇太郎・石井竹次郎。彫師は麻布区の天津吉太郎。塗師は大場兵太郎。錺師は田中金太郎・柏原甚吉。
関東大震災も無事乗り越え、空襲時は疎開で焼失を免れた強運の神輿。
 
平成4年、行徳の中台神輿店で修復。

日本橋一丁目町会(日本一)⇒日本橋一丁目1〜8番、9番(6〜20号)。16世帯。
 =昭和59年531完成。宮本卯之助商店(宮本重義)の作。台輪寸法2尺6寸。制作費は2500万円。駒札は「日本一」の金箔文字が彫りこまれていて、頂部に旧・日本橋欄干の擬宝珠を配している。
  戦前の神輿は昭和20年3/9の東京大空襲で町ごと焼失。
  戦後、小ぶりの神輿を作るが住民の減少につき、町会員のレストラン紅花(日本橋1−2−15)のニューヨーク店=BENIHANA OF TOKYO(West 56th Street)の店頭装飾品として渡米した。


江戸橋連合=日本橋一丁目東町会&日本橋二丁目町会&日本橋三丁目東町会
 ●日本橋一丁目東町会⇒日本橋一丁目9番(1〜5号、21〜23号)、10〜21番。
 ●日本橋二丁目町会⇒日本橋二丁目8〜16番。16世帯。
 
●日本橋三丁目東町会⇒日本橋三丁目9〜15番。
=神輿。昭和33年制作。安田松慶堂(安田松慶)の作。台輪寸法は2尺3寸。
同時に子供神輿、小神輿、山車も新調するが、子供少ないので山王様の神輿庫に納入のまま。

日本橋二丁目通町会⇒日本橋二丁目1〜7番。 昭和21年11月、親交会設立。昭和24年1/8、共栄会に改称。昭和38年8/23、日本橋通り2丁目に改称。昭和48年1/1、住宅表示改正に伴い日本橋二丁目通町となる。
 =昭和33年6月、浅草・宮本卯之助商店の作。日枝神社の本殿遷座祭を祝い作られた。台枠の四面には四神が彫りこまれている。

日本橋三丁目西町会⇒(日本橋三丁目1〜8番)&日本橋三丁目東町会(日本橋三丁目9〜15番)
 =昭和34年、行徳・ 15代浅子周慶の作。台輪寸法2尺3寸。
平成9年、16代浅子周慶により修復。駒札は「通三」。隔年に練る。
 <新宿区>
四谷1丁目=詳細不詳。
 <港区>
新橋1丁目
=詳細不詳。
 【山車の流れ】
 続・江戸型山車のゆくえ(千代田区教育委員会発行)より寛政4年(1792)〜文久2年(1862)の25回実施の山車一覧を記してみると。
また現況の状態も分かる分は記してみる。

一番=大伝馬町諌鼓鶏(24回)、不祥。

二番=南伝馬町猿(23回)、不祥(2回)  

三番=麹町1・2・3丁目⇒男猿(12回)、女猿(11回)、不祥(2回)。

     麹町4・5・6丁目⇒流鏑馬(3回)、馬乗小僧(10回)、禿太鼓打(5回)、高砂、八幡太郎、雅楽太鼓、不明、桜木に太鼓打、唐子太鼓打。

     麹町7・8・9・10丁目⇒太鼓打人形、高砂の人形、武内宿禰(4回)、小栗馬乗(2回)、判官人形、公家人形、日本武尊(7回)、菅丞相、不祥、神功皇后(5回)、官女人形。
     神功皇后、応神天皇・武内宿禰を出したことがあり現存。日枝神社宝物館に展示。

     麹町11・12・13丁目⇒雲舞猿(12回)、唐人曲馬(14回)、不祥。 

     平川町1・2丁目⇒仁田四郎(8回)、太鼓打人形(8回)、不祥、猿田彦、八幡太郎(6回)。

四番=山王町・南大坂町・丸屋町⇒水車に剣(22回)、鐘馗、鉾・水車・吹貫(2回)。

五番=小舟町・堀留一・二丁目・堀江町⇒この町内は二の宮御供、御初穂などの奉仕で通常曳山を出さない。

六番=桶町⇒松に羽衣(25回)。

七番=本町四町・岩付町・本革屋町・金吹町⇒弁財天(25回)。

八番=駿河町・品川町・同裏河岸・北鞘町・本両替町⇒龍神(25回)。

九番=瀬戸物町・伊勢町・本小田原町⇒石橋(6回)、氷室(4回)、静の舞(8回)、月に薄(3回)、欠損のため不明、石台に牡丹、岩組に松、武蔵野。
     栃木市倭町三丁目が明治七年に購入。人形は静御前、太刀を背負い扇をもって舞う姿。

十番=室町三町・本船町・安針町・本町三丁目裏河岸⇒加茂能人形(24回)。
     関東大震災で焼失。

十一番=本石町四町⇒花籠牡丹に蝶々(11回)、一来法師(13回)、欠損のため不明。

十二番=西河岸町⇒松に熊手(8回)、高砂(7回)、応神天皇・武内宿禰(10回)、欠損のため不明。

十三番本銀町4町・元乗物町・新革屋町・新石町1丁目⇒武蔵野(6回)、花篭牡丹(3回)、佐々木四郎、牡丹(7回)、早鞆神社、蓬莱、欠損のため不明、金時、兜に指物、大日神人形(2回)、松に?。

十四番=神田鍛冶町二丁分⇒石台に松(6回)、牡丹(12回)、石台に花。

      神田鍋町⇒石台に牡丹(9回)、石台に松(4回)、武蔵野。

十五番神田須田町壱丁目・〃二丁目・新石町・連雀町⇒武蔵野(9回)、石台に牡丹(16回)。

十六番鎌倉町・三河町1丁目⇒武蔵野(12回)、月に薄(13回)。

十七番日本橋小網町⇒網打(24回)。
雄獅子、雌獅子。栃木市倭町へ。同町は明治8年頃購入し、明治9年4月の神武祭から出ている。

十八番新材木町⇒翁(6回)、武蔵野(3回)、月に薄(14回)、月に松、稲荷人形、日の出松に鶴。

十九番新乗物町⇒武蔵野(10回)、月に薄(14回)。

廿番堺町・葺屋町・住吉町・難波町・高砂町⇒武蔵野(12回)、月に薄(2回)、松竹梅。

     猿若町⇒月に薄(7回)、松竹梅、武蔵野。

廿一番=新大阪町・田所町・通油町⇒龍神(19回)、月に薄(4回)、蘭陵王。
⇒文久2年(1862)制作であるが、明治16年に埼玉県加須市本町に売却。電線にかかるので人形を少し下げて曳く。

廿二番富沢町・長谷川町⇒月に薄(19回)、武蔵野(3回)、熊坂(2回)。

廿三番銀座1,2,3丁目⇒分銅(17回)、槌。

      銀座4丁目=分銅(13回)。

廿四番通四町・呉服町・元大工町⇒蓬莱(8回)、神功皇后(16回)。

廿五番檜物町⇒浦島太郎(4回)、乙女(5回)、羽衣(7回)、月に薄(4回)、玉の井(4回)。

      上槙町⇒浦島(12回)、月に薄(6回)、石橋人形(2回)。
       ※檜物町と3回合同。

廿六番元材木町1,2,3,4丁目⇒花籠(4回)、番匠人形(2回)、住吉、棟上(14回)、石台に花、三番叟人形(2回)。

廿七番青物町・万町・元四日市町・佐内町⇒龍神(4回)、頼光(9回)、鳳凰、月に薄(3回)、西王母、玄宗、日本武尊。

  【工事中】


廿八番=大鋸町・本材木町5,6,7丁目⇒浦島太郎の山車。
廿九番=長崎町・霊岸島町・東湊町⇒茶筌柄杓の山車、荷茶屋3基。
三十番=南油町・川瀬石町・小松町・音羽町・平松町・新右衛門町⇒鯨船の山車(万燈型)、荷茶屋1基
三十一番=箔屋町・岩倉町・下槙町・福島町⇒佐々木四郎の山車(万燈型)、荷茶屋1基。
三十二番=本八丁堀五町神功皇后の山車(万燈型)、荷茶屋1基。   
附祭=箱崎町⇒踊り屋台(担ぎ)、高砂の曳物、荷茶屋4基。
三十三番=本湊町⇒月に薄の山車、荷茶屋1基。
三十四番=南紺屋町・西紺屋町・弓町⇒弓張りの山車(万燈型)、荷茶屋1基。  
三十五番=竹川町・出雲町・芝口1丁目西側須佐之男命の山車(万燈型)、荷茶屋1基。
三十六番=弥左衛門町・新肴町(現・銀座4丁目&3丁目)⇒鯛の山車。

三十七番=本木材町・柳町・具足町・水谷町(現・中央区京橋&京橋3丁目&京橋3丁目&銀座1丁目)⇒山車。
三十八番=南鍋町・山下町(現・中央区銀座5、6丁目&銀座5〜7丁目)⇒玉ノ井龍神の山車。
三十九番=数寄屋町(現・中央区八重洲1丁目、日本橋2丁目)⇒造り花の山車。

四十番=霊岸島四日市町・北新堀町・霊岸寺塩町・箱崎町1丁目・大川端・南新堀1・2丁目(現・中央区新川1丁目&日本橋箱崎町&新川1丁目&日本橋箱崎町&新川1丁目&新川1丁目)⇒太公望の山車・頼義の山車。
四十一番=五郎兵衛町・北紺屋町(現・中央区八重洲2丁目&八重洲2丁目、京橋3丁目)⇒流鏑馬太公望のの山車。

四十二番=元飯田町(現・千代田区富士見1丁目、九段北1丁目)⇒武蔵野の山車。
四十三番=南大工町(現・中央区京橋2丁目、八重洲2丁目)⇒武内宿禰の山車。
四十四番=常盤町(現・中央区京橋2丁目)⇒宝船の山車。
四十五番=霊岸島銀町4丁分(現・中央区新川1、2丁目)⇒猩々の山車。僧正坊牛若の山車。
平河町1丁目7−5 平河天満宮公式HPへ 4/25 神輿 大小
神田駿河台1丁目2−3 太田姫稲荷神社 5/15前の日曜(隔年) 神輿 氏子は4ヶ町 
年によっては5/5に本社神輿、子供神輿、曳太鼓が錦町一丁目、小川二丁目南部、駿河台東町、駿河台西の氏子4町内を巡幸する。
宮神輿=昭和3年制作。竹井の作。台輪寸法2尺5寸。
九段北1丁目14−21 筑土神社公式HPへ 9/15 渡御 例祭日の前の日曜
氏子は千代田区が九段北一・ニ丁目、九段南一・ニ丁目、飯田橋一・ニ・三・四丁目、一ツ橋一丁目(旧竹平町)、富士見一・ニ丁目、北の丸公園(旧代官町)
新宿区が市谷船河原町。靖国神社も氏地内にあり、神幸の途中に立ち入る。
宮神輿=昭和20年の戦災で焼失。
九段2丁目=詳細不詳。

飯田町=昭和29年9月吉日完成。当時は飯田町1丁目町会。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺。平成5年修復。

飯田橋町
=昭和32年完成。当時は飯田橋2丁目町会。翌年お披露目。下谷の種谷豊次郎の作。台輪寸法2尺8寸。平成元年種谷吉次により修復。

九段南北1丁目
=詳細不詳。

富士見2丁目=制作年不詳。行徳・浅子周慶の作。令和4年(2022)6月25日(土)修復御披露目。中台製作所による。
飯田橋町=子供神輿。平成17年修復。
富士見1丁目=太鼓山車。

九段2丁目=太鼓山車。

 ≪中央区≫
日本橋小舟町 小舟町八雲神社御旅所 下旬金土
(4年毎に本祭)
神輿  
神田神社境内に祀られる小舟町八雲神社祭礼が4年ごとに行われる。
宮神輿=昭和7年制作。行徳・後藤直光の作。台輪寸法3尺5寸。
 大神輿、四神旗、獅子頭 等の祭器は関東大震災で焼失。
湊1丁目6−7 鉄砲洲稲荷神社
公式HPへ
5/3〜5
(3年毎に本祭)
囃子山車 新富町
桃太郎の曳太鼓 木挽町3丁目
町神輿 12基
 氏子は京橋五之部の湊1〜3丁目、明石町、入船1〜3丁目、新富町の8町会:四之部の銀座1〜5丁目東・六七丁目東・六七丁目西・八丁目東の8町会:新川2丁目越一町会(一部)の計17町会である。
新川2丁目は対岸の霊岸島にある。主に富岡八幡宮の氏子だが、一部区域が当社の氏子となっている。
宮神輿=大正14年、西八丁堀、初代秋山三五郎の作。
湊町一・二丁目(宮元)⇒湊町一・二丁目全域。
=大小あり。昭和11年(1936)制作。行徳の14代浅子周慶の作。台輪寸法3尺3寸。

湊町三丁目⇒湊町三丁目全域。
=大小あり。昭和31年(1956)本所石原・宮信の作。台輪寸法2尺5寸。

明石町⇒明石町会全域。
=昭和53年(1978)制作。浅草・岡田屋布施の作。台輪寸法2尺。

入船一丁目⇒入船一丁目全域。
=戦前の作。新栄町当時の神輿を担ぐ。行徳・後藤直光の作。台輪寸法2尺。子供みこしもあり。

入船二丁目⇒入船二丁目全域。
=昭和31年制作。行徳・後藤直光の作。台輪寸法2尺5寸。

入船三丁目⇒入船三丁目全域。
=昭和29年(1954)制作。行徳・後藤直光の作。台輪寸法2尺3寸。
 
※入船町はかつて新栄町と称されていた頃は合同で1基の神輿を担いでいた。

新富町
⇒元は大富町。明治元年、外国人居留地を目当てに花街が造られ、新島原と呼ばれるようになった。明治4年、新島原が廃止され、町名が両方の名を合わせ新富町となる。新富町全域
=昭和3年(1928)制作。宮本卯之助の作。台輪寸法3尺。

銀座一丁目東⇒銀座一丁目12番の一部(水谷橋公園を除く)、13〜28番。
=昭和27年(1952)制作。行徳・7世後藤直光の作。台輪寸法2尺5寸。

銀座二丁目東
⇒銀座二丁目10〜16番。
=昭和27年制作。浅草・宮本卯之助の作。台輪寸法2尺5寸。

銀座三丁目東
(旧称は木挽町3丁目)⇒銀座三丁目9〜15番。
=昭和27年(1952)制作。行徳・7世後藤直光の作。

銀座六・七丁目東⇒銀座六丁目15〜18番・銀座七丁目14〜18番。
=昭和31年制作。行徳・後藤直光の作。台輪寸法2尺。

銀座八丁目東
⇒銀座八丁目12〜21番(8−15−10を除く)。
=制作年不詳。浅草・宮本卯之助の作。台輪寸法1尺8寸。
 【神輿無し】
銀座四丁目東⇒銀座四丁目9〜14番。
=銀座三丁目東と合同渡御。

銀座六・七丁目西
⇒銀座六丁目2〜7番+銀座七丁目2〜6番。

銀座五丁目東⇒元・木挽町5丁目。銀座5丁目11〜15番。
=銀座六・七丁目東と合同渡御。
子供神輿をリースで出したこともある。戦前は大神輿だったが、人口減で松戸市の町会へ寄贈。
新川二丁目越一町会⇒新川二丁目(9番[10号〜18号]、10番、11番、18番〜22番、28番〜31番、32番[1号〜6号、19号〜24号])
南高橋から隅田川にかけて(新日鉄近辺)の町内の一部地域のみが鐵砲洲稲荷神社の氏子となっており、町会の神輿は富岡八幡宮に出している。
日本橋蛎穀町2丁目4−1 水天宮公式HPへ 5/5 かっぱの山車  
日本橋堀留町1丁目10−2 椙森稲荷神 5/15、16
(3年毎に本祭)
山車廃絶    
神輿 氏子は3ヶ町  
氏子は堀留町1丁目、同2丁目、芳町1丁目・同2丁目・人形町2、3丁目西部と本町2丁目の一部
 【山車廃絶】
『武江年表 巻之五』に「宝暦年間記事  杉森稲荷祭、宝暦9年迄隔年、産子町々より花出し練物神輿を渡しけるが、其の後中絶す」とある。
天保9年刊の『東都歳時記』には「隔年ねり物を出せしが、近年其事なし」とある。
宮神輿=昭和6年9月制作。当社の一千年祭を記念して制作。蔵前・大倉の作。台輪寸法3尺5寸。
3年毎に出す。次回は令和5年。
 関東大震災以前はもっと大きい神輿があった。
日本橋人形町一丁目芳人町会⇒昭和51年、人形町一丁目+旧芳町一丁目が合併。日本橋人形町1丁目1〜8、17〜19・3丁目1〜7
=神輿、子供神輿あり。

堀留1丁目町会(日本橋堀留町1丁目)⇒日本橋堀留1丁目全域
=詳細不詳。


日本橋本町2丁目7・8番

=詳細不詳。
日本橋小網町16−23 小網稲荷神社
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5/28頃の土曜
(5年毎に本祭)
神輿
獅子頭
宮神輿=昭和53年5/27制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法3尺2寸。
築地6丁目20−37 波除稲荷神社
公式HPへ
6/10頃の土曜
(3年毎に本祭)
宮神輿
獅子二対
小型の山車1台 築四 多々幸会
簡単な造りの屋台1台 築六 互楽会
獅子頭付太鼓山車 昭和12年制作
町神輿 宮元、築波、築四、築六、築七
毎年、宮神輿・雄獅子・雌獅子のどれか1基の渡御を、3年に1度の大祭ではどれか2基の渡御を行う。
 【山車廃絶】
祭礼番組5番中、出し5本
南小田原町壱丁目、同弐丁目、南本郷町、上柳原町、南飯田町
宮神輿=昭和2年制作。神田・宮惣(村田喜三郎)の作。台輪寸法4尺1寸。
獅子頭=嘉永元年(1848)築地南本郷町の島屋藤次郎が発起人となり制作。雄獅子は頭頂に角、雌獅子は擬宝珠を付け、共に金泥が塗られている。
昭和2年、地元の小波会より神社に奉納。当神社祭礼は江戸期より獅子祭として名高く、町内ごと、大店ごとに獅子頭を担ぎ出したが、関東大震災で当時修理中で他所に行っていたこの1対以外は焼失した。
雄獅子(厄除天井大獅子)=平成2年再興。獅子殿に鎮座。石川県白山市の知田工房(知田清雲)の作。

雌獅子(弁財天お歯黒獅子)=平成14年再興。獅子殿に鎮座。石川県白山市の知田工房(知田清雲)の作。
築四=築四 多々幸会が出す。人形は桃太郎。

築六=築六 互楽会と称す。大祭の時は築六睦会 互楽会と称す。昭和52年制作。昭和50年に底抜けの屋台が始まり。
宮元=6丁目の南町会。一番小さい町会だが、神社の宮本に当たる。旧町名は南小田原町三丁目。獅子、神輿。

筑波(つきなみ)=築地1丁目〜3丁目。祭りの時は築地と波除さまを合わせて築波と称す。獅子1対、神輿。

築四=場外市場と築地4丁目より成る。獅子1対。神輿は大中小の3基あり。

築六=6丁目の北側。獅子1対。神輿は大中小の3基あり。昭和27年の大祭の時に制作。

築七=7丁目。獅子1対、神輿。
魚河岸(東京中央卸売市場・築地市場)=築地5丁目。関東大地震以降に日本橋より移転。市場の守り神は水神社なれど、氏神の波除稲荷神社も拝む。
大神輿が巡幸時に水神社に挨拶に来ると、築地魚河岸会が案内太鼓で御迎えをし、魚河岸の男衆がしばらく担ぎ、その後波除さまに御返しする。
佃1丁目1―14 佃島住吉神社
公式HPへ
8/6頃の金土日
(3年毎に本祭)
太鼓山車2台、獅子の山車1台
山車3本廃絶 佃島、新佃、月島
宮神輿
神輿 氏子は14ヶ町   
明治44年、春陽堂刊の「東京年中行事」には「今年は修築落成祝と不景気挽回策とを兼ねて、盛大な祭典を行うべく、氏子の佃島、新佃、月島の三島にては、住吉神社の三巴の赤提灯を軒に吊るし、各町にてはそれゞ町名に因んだ揃いの浴衣を作って三本の山車を曳き廻し、佃島の子供連は稚児行列をなし、芸妓の手古舞もある外に、七日には縮緬の揃いを着た漁師連が、例によりて午前8時佃島一番地先から神輿を海中にかつぎ込み、(中略)神輿の海中渡御を行い、佃島、月島、上総澪を一周して月島11丁目に上陸、仮屋に宿泊し、翌8日、氏子町内を一周する筈であったが、7月26日の大津波にて氏子の被害甚だしき為、折角用意した山車を曳き出すこと出来ず、神輿の海中渡御も中止となったのは残念であった。」とある。
一部(上町)=太鼓山車。昭和34年8月吉日制作。岡田屋太鼓店(浅草田原町電停前)の作。

二部(下町)=太鼓山車。昭和34年11月吉日制作。岡田屋太鼓店の作。 

三部
(東町とも向町ともいう)=太鼓山車は昭和31年8月吉日制作。獅子の山車の彫刻は漁商高橋長吉。漁業中沢弘の手造り。
宮神輿=通称「八角神輿」と呼ばれる八角形の神輿。八角形の神輿は、東京都では住吉神社だけである。
住吉神社文書には、作者は芝大門通の万屋利兵衛。天保9年(1838)5月に神社に搬入と記されている。神輿を八角形とした理由について、高御座に擬したという伝承が伝わっている。神輿の海中渡御は、昭和37年を最後に行われていない。台輪寸法4尺6寸。高さ約2、6m。
宮元町会=別名は「千貫神輿」。終戦後制作。作者不詳。台輪寸法4尺。
千葉市の寒川神社の宮神輿として新調。寒川神社が台寸で注文したものを胴寸と取り違えて製作したと言われるほどの大神輿で、持て余して昭和28年頃に末廣神社(人形町2丁目)に嫁入りとなるが、末廣神社でもその大きさから保管場所に困り果て、昭和34年に佃住吉講が譲り受けた。


月島一之部町会=戦前の作。行徳・浅子周慶の作。台輪寸法2尺9寸。

月島二之部町会=戦前の作。作者不詳。台輪寸法2尺7寸。

月島三之部町会=戦前の作。行徳・後藤直光の作。台輪寸法2尺8寸。

月島四之部町会=大正6年(1917)4月制作。行徳・6世後藤直光の作。台輪寸法3尺6寸。

月島二号地町会=昭和20年代制作。行徳・浅子周慶の作。台輪寸法3尺。

新佃町会=昭和31年制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法3尺。
日本橋本町3丁目10−11 宝田神社 10/20(毎年) 神輿、子供神輿 恵比寿講の祭り 
宮神輿=昭和27年制作。日本橋本町・関徳の作。台輪寸法1尺9寸。胴羽目に恵比寿が乗っている。作札には「神輿師 十六代 浅子周慶 市川市本行徳」とある。 これは修復時に付けた作札なのだろうか?
築地5丁目2(築地市場内) 水神社 水神祭(不定期) 神輿
加茂能人形山車 築地魚河岸会
加茂能山車=昭和30年制作。模型を元に復元新調。最上部には能楽の「加茂」に登場する別雷神を表した人形が、二層目には加茂の競馬と楓が刺繍された緋羅紗の胴幕が廻され、最下部には二葉葵の模様の幕。人形は二層目の枠内を上下し最下部の胴に収納出来る。
 人形は東卸会館に保存。山車模型は明石町の郷土資料室に展示。
  江戸期よりあった以前の山車は関東大震災で焼失。
神田神社内の収蔵庫に保管され、神田祭りに飾り置きされる。魚河岸の守護神。なお“水神祭”は不定期である。