≪島嶼≫
住所 | 神社名 | 祭礼日 | 内容 | 備考 | |
大島町 | |||||
【伊豆大島(いずおおしま)】 伊豆諸島最大の島。 面積は90.76km2。周囲は52km。最高標高は758m(三原新山)。 人口は6969人(2023年、住民基本台帳)。7884人(平成27年、国勢調査)。7898人(2017年)。 |
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元町4−2−9 | 吉谷神社 | 1/16 | 神輿 | ||
元町北の山 | 三峯神社 | 8/16 | 山車1台 | 2002年、4年ぶりに行う | |
「奉納山車巡行」は16日17時30分、北の山停留所交差点を出発。先導警備車を先頭に消防車、踊り連用の電飾楽送車、照明・給水車、青年会・婦人会の民謡踊り連、先導指揮者、小若連が引く野菜果物を満載した名物「宝船」の山車、給水・制御車、御神火太鼓保存会小学生の部、同中・高校の部、給水車、防犯協会、交通安全協会など各種団体巡行参加者、消防車、後尾警備車など200人余の行列が中部自動車興業前に至る1、5キロを巡行した。 | |||||
野増字大宮 | 大宮神社 | 6/15 | 十二座神楽、獅子舞 | ||
波浮港18 | 波布比当ス神社 | 7/26 | 神輿 | 獅子舞 | |
【大島椿まつり】 1月最終日曜。元町商店街が会場。終点は元町港・観光協会前では御神火太鼓で出迎える。オープニングイベントの一つとして行われる「江戸みこしとあんこパレード」がある。ミス大島、ミスアンコを先頭に、大島町婦人会のあんこ節、島のダンスチーム「スーパーあんこ娘」、御神火よさこい舞隊、御神火太鼓、鼓笛隊などのパレードで殿として神輿が出る。これは日本神輿協会共催で神輿3基出場する。 |
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利島村 | |||||
【利島(としま)】 東京都心から南へ直線距離で134km、伊豆諸島の北から2番目に位置する。 面積は4..12km2。周囲は7.7km。最高標高は508m。 人口は294人(2023年、住民基本台帳)。337人(平成27年、国勢調査)。306人(2014年)。 |
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1 | 阿豆佐和気命神社 | 12/7 | 例祭 | 旧・郷社 | |
新島村 | |||||
【新島(にいじま)】 面積は22.97km2。周囲は41.6km。最高標高は432m(宮塚山)。 人口は1942人(2023年、住民基本台帳)。2230人(平成27年、国勢調査)。2371人(2013年)。 |
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若郷1−1−1 | 宮造神社 | 11/最終日曜 | 船神輿 | ||
舟山車1台 | |||||
本村2丁目6−13 | 十三神社 | 12/8(毎年) | 神楽、獅子木遣り | 演芸会 | |
【式根島(しきねじま)】 面積は3.67km2。周囲は12.2km。最高標高は108m。 人口は463人(2023年、住民基本台帳)。519人(平成27年、国勢調査)。533人(2013年)。 |
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式根島80−2 | 泊神社 | 11/8 | 船神輿 | ||
◎鵜渡根島(うとねしま) 鵜渡根島は新島の北方約4.5kmに位置する。神社に祭られている神鵜渡根后明神が島の名前の由来)。 面積は0.4km2。周囲は3.3km。最高標高は208.9m。 明治26年2月〜37年7月、(3年説もあり)新島の若郷の宇山長之助が養蚕を営むために住んでいたが、実は結核にかかったので母親と避難していたらしい。 島には鵜渡根神社があり、新島の若郷集落の漁師が自主的に年に1度ほど清掃を行っていたが、高齢化のため近年は訪れていない。 |
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神津島村 | |||||
【神津島(こうずしま)】 面積は18.24km2。周囲は33.3km。最高標高は572m(天上山)。 人口は1784人(2023年、住民基本台帳)。1891人(平成27年、国勢調査)。904人(2019年)。 |
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1 | 物忌奈命神社 | 8/1、2 | 神輿3基 | 小学生神輿、高校生神輿 | |
舟山車1台 | 1村1集落 | ||||
1日、2日は神輿3基と舟山車1台が2日間かけて村内を練り歩く。前浜船揚場では神輿を清めるため、神輿ごと海に入る。 2日は15時頃より境内で行われる『かつお釣りの神事』(舟山車で漁を表す)は国指定重要無形民俗文化財である。 |
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長浜1−2 | 阿波命神社 | 4/15 | 例祭 | 旧・府社 | |
◎祇苗島(ただなえじま) 神津島の東側沖合約1kmにある無人島。「陸の祇苗島」と「沖の祇苗島」の二つの島よりなる。 面積は78.2km2。 |
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◎恩馳島(おんばせじま) 神津島の西南西にある無人島。大きい2つの岩礁とそのほか多数の小岩礁群とからなり総称して恩馳島と言う。 面積は0.04km2。最高標高は60m。 漁師が時化に遭ったときはこの島に避難して、神津島に帰郷の思いを馳せていたことからこの島の名前がついたとされる。 恩馳神社があり、7月の海が穏やかな日に例祭が行われていたが、漁業携帯の変遷に伴い現在は行われていない。 |
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◎銭洲(ぜにす) 北からダルマ、ヒラッタイ、ネープルスと呼ばれる3岩礁群で構成。最高標高は約11mでネープルス岩礁にある。 |
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三宅村 | |||||
【三宅島(みやけじま)】 面積は55.2km2。周囲は38.4km。最高標高は775m(雄山)。 人口は2215人(2023年、住民基本台帳)。2482人(平成27年、国勢調査)。2722人(2013年)。 |
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阿古 | 富賀神社 | 8/4〜9(隔年) | 神輿 | 旧・郷社 | |
獅子舞 | 阿古青年団 | ||||
神輿は隔年の8/4〜9、各集落(伊ヶ谷、伊豆、神着、三池、坪田)間で受渡しをしながら島を1周する。平成21年(2009)高濃度地区解除があり、10年ぶりの復活となった。 ■4日:富賀神社で神輿に御霊が移され、神輿は阿古の担ぎ手により阿古地区内を巡行して阿古の御旅所である神輿堂(稲荷神社)に安置される。 ■5日:伊ヶ谷の御旅所は、后神社。 ■6日:伊豆の御旅所は、老人福祉会館(旧:伊豆小学校で、元は八幡宮の跡地らしい)。 ■7日:神着の御旅所は、御笏神社。 ■8日:坪田の御旅所は、二宮神社。 ■9日:神輿は富賀神社に還御する。 |
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御蔵島村 | |||||
【御蔵島(みくらじま)】 東京都心の南約190kmにある。 面積は20.51km2。周囲は16.4km。最高標高は851m(御山)。 人口は276人(2023年、住民基本台帳)。335人(平成27年、国勢調査)。321人(2018年)。 |
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稲根 | 稲根神社 | 8/1日曜(元・5) | 神輿 | 延喜式内社 | |
神輿(=10:30〜18:00) | |||||
【消滅集落】 南郷=島の南東部にあった。明治期に開拓された集落で、次男以下が移り住んだ。小中学校の分校があったが、昭和40年代に廃村となる。 |
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八丈町 | |||||
【八丈島(はちじょうじま)】 面積は69.11km2。周囲は51.3km。最高標高は854m(八丈富士)。 人口は6857人(2023年、住民基本台帳)。7613人(平成27年、国勢調査)。7990人(2013年)。 |
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大賀郷660−1 | 有婆夷宝明神社 | 11/13頃の日曜 | 余興(ダンス、八丈太鼓 など) | 餅まき、抽選会 | |
樫立722 | 樫立三島神社 | 11/22、23 | 神輿 | ||
山車 | 子供用のトラック仮装山車 | ||||
宵宮は18時より夜店、太鼓。本宮は神輿渡御が8時より、演芸大会が樫立公民館で18:30より。 | |||||
中之郷里道無番地 | 三島神社 | 11/28 | 例祭 | ||
末吉宮裏無番地 | 三島神社 | ? | ― | ||
◎八丈小島(はちじょうこじま) 面積は3.08km2。周囲は8.7km。 昭和44年6月、91人・全戸離島。当時の人口は宇津木村9戸31人、鳥打村15戸60人。移住先は八丈島、東京都内、小笠原 など。 天保期(1830〜44)には513人在住。神社は為朝神社(宇津木)。 |
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豆南諸島 | |||||
東京都が直轄し出先機関の東京都総務局八丈支庁が管理。所属町村は青ヶ島村と八丈町が係争中。一番近いのは青ヶ島村なれど、八丈町は最初に移住したのは八丈島の住民。それと周辺海域は好漁場なので昭和56年に編入要望書を東京都知事に提出した。 | |||||
◎ベヨネース列岩 面積は0.01km2。最高標高は11m。 明神礁の至近にあり、3つの烏帽子形の大岩礁と数個の小岩礁からなる。 |
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◎須美寿島(スミスじま) 面積は0.03km2。孤立した岩礁(玄武岩)で、高さ136mの突岩。風化が進んだのか地質が脆いのか近年地震によって島の形が何度か変わったらしい。 |
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◎鳥島(とりしま) 面積は4.95km2。周囲は6.5km。無人島。 江戸時代の無人島時代には多くの船が鳥島に漂着している。吉村昭によると、この島に漂着し、脱出できた者の記録は15例以上ある。 明治20年(1887)11月5日、アホウドリ捕獲のため玉置商会により13人が移住を開始。 明治35年(1902)8月7日、火山爆発の溶岩流のため島民125人全員飲み込まれる。うち32人は満15歳以下の少年少女。 なお八丈島大賀郷の護神山公園には「鳥島羅災者招魂碑」が立っている。これは死者125人のうち90人が八丈島か八丈小島の出身者で噴火の翌年に東京府知事千家尊福により建立された。 翌年羽毛採取が再開され、再度の爆発は昭和14年(1939)8月18日でこの時は31人の島民は避難して無事。 当時は長屋、倉庫、小学校、海軍水路部の気象観察所、神社があったと云われる。 以降民間人は移住することなく、戦時中は海軍のレーダー基地、1947年中央気象台(現在の気象庁)の鳥島測候所(後に気象観測所と改称)が置かれるが、火山活動のため昭和40年(1965)に引揚げになり再度無人島となる。 現在はアホウドリ復活のため山階鳥類研究所の調査員が、旧気象観測所で保存状態のいい地震計記録室を改修して寝泊まりしている。 |
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◎孀婦(そうふ)岩 面積は0.01km2。最高標高は99m。火道内のマグマが硬化してできた孤立突岩。その形状のために上陸することは困難。 ここに上陸というか登頂したのは早稲田大学など過去に数例しかない。 |
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青ヶ島村 | |||||
【青ヶ島(あおがしま)】 面積は5.96km2。周囲は9.4km。最高標高は423m。 人口は146人(2023年、住民基本台帳)。178人(平成27年、国勢調査)。169人(2018年)。 |
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休戸郷 | 大里神社 | 旧・11/25 | 例祭 | 島の鎮守 | |
青ヶ島無番地 | 東台所神社 | ? | ― | ||
島のパンフレットによると、宝暦7年(1757)正月十五日、名主七太夫の息子である浅の助は「つな」という女性と相思相愛の中にあったが、つなにはすでに許婚があった。浅の助は親から勘当され、つなも家族から仕置きを受けていた。当時、産婦や月経の女性は「他火小屋」という隔離小屋で炊事や機織りなどをする習慣があったが、つなが他火に出るとき、食糧を持参させてもらえなかった。浅の助はつなの為に自分の弁当を与え、つなは浅の助の為に機を織った。 あるとき、浅の助がつなに何を織っているのか聞くと、「貴方の身につけるものを織っている」と答えた。浅の助は「自分のことは心配しなくていいから、自分のものを織った方がいい」と言ったところ、つなはその日首を吊って死んでしまった(事件後自害したという説もあり)。浅の助の言葉を「おれにかまわないでくれ」と解釈してしまったのである。 それを知った浅の助は逆上し、自分とつなをひきはなそうとした人を斧で7人を切り殺し、四人を傷つけ入水した。一説によれば、その後、浅の助は岸まで泳ぎ着き、自ら捕らえられた。そして、名主である父・七太夫は彼を磔にし、村人全員に一槍ずつ突かせたという。 天明の大噴火を浅之助の御霊の「祟り」と感じた島民によって、祟り神を祀る神社となった。しかし今では縁結びの神様として島民の信仰を集めている。 |
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小笠原村 | |||||
【父島(ちちじま)】 面積は23.45km2。周囲は52.0km。最高標高は321m(中央山)。 人口は2078人(2023年、住民基本台帳)。2089人(平成27年、国勢調査)。2140人(2018年)。 |
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父島字東町105 | 大神山神社 | 11/3 | 神輿 | 大小 | |
子供用山車1台 | |||||
父島字扇浦 | 小笠原神社 | 7/26(毎年) | 神輿(子供、女) | 平成19年(2007)制作 | |
通称「貞頼祭り」では神輿の他、シーカヤック競争や亀の放流など、多彩なアトラクションが行われる | |||||
【母島(ははじま)】 面積は19.88km2。周囲は58.0km。最高標高は463m(乳房山)。 人口は444人(2023年、住民基本台帳)。461人(平成27年、国勢調査)。470人(2018年)。 戦前まで沖村と北村の2ヶ所の集落があり、当時の沖村には270戸、北村には80戸の家々があった。 |
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母島元地 | 月ヶ丘神社 | 11/23 | 神輿1基 | ||
演芸大会・チンドン屋 | |||||
朝は七五三から始まり、子供たちが演奏するチンドン屋が集落をめぐり、日中は山車や神輿が島内をまわる。夜は屋台も出て小笠原太鼓やカラオケがある。 | |||||
【南鳥島(みなみとりしま)】 面積は1.52km2。周囲は7.6km。最高標高は8m。 人口は9人(令和2年)、71人(平成27年、国勢調査)。一般人はいない。住民登録不可。 一番近い小笠原諸島の父島からも、東に約1000Kmも離れている。洋名はマーカス島。日本最東端の島。 明治26年(1898)水谷新六が到達、母島より23人が移住し、水谷という集落作る。その後神社を創建。高波に洗われるなど悪条件のため昭和8年(1933)全島民が離島する。現在、この島に在住は海上自衛隊・海上保安庁・気象庁の職員23名(平成22年)のみである。 |
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◎西之島(にしのしま) 面積は2.96km2。周囲は?。無人島。18世紀にスペイン船Rosario号によって発見されたので別名はロザリオ島。 父島の西北西約130kmに位置する。2013年以降の火山活動によって大きく陸域面積を拡大した。 |
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■聟島列島 ◎聟島(むこじま) 面積は2.57km2。周囲は?。最高標高は88.4m(大山)。 無人島。明治期は初寝村があり人口は25人で牧場や甘藷栽培が主産業だった。後にさとうきび栽培や製糖業が行われるが、第一次世界大戦後の砂糖価格暴落で多くの住民が島を離れ1944年の小笠原諸島からの民間人引き揚げの時点で、ほぼ無人島化していたといわれる。残っていた住民が死亡した後は完全に無人島化した。 ◎媒島(なこうどじま) 面積は1.37km2。周囲は?。最高標高は154.9m(屏風山)。 無人島。当初は無人島だったが、明治期に移住が進み明治40年(1907)には人口27人だった。しかし、徐々に離島者が増加し小笠原諸島からの民間人引き揚げの時点で、すでに半無人島化していたという。 ◎嫁島(よめじま) 面積は0.81km2。周囲は?。最高標高は105m(名は無い)。 無人島。聟島の南南東、聟島とは約13km離れている 人口は明治40年は6人、大正7年は20人。 また前島の南側に聟島列島の南端となる岩礁(前南小島)がある |
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■父島列島 ◎孫島(まごじま) 面積は0.15km2。周囲は2km。最高標高は134m。 父島列島の最北端。弁天岩を挟んで弟島の北に隣接する小島で無人島。 ◎弟島(おとうとじま) 面積は5.2km2。周囲は14.7km。最高標高は235m(冠岩)。 明治期より移住開始。最盛期の大正期には100人前後の住民が暮らしていたが、現在は無人島。小学校もあった。 ◎兄島(あにじま) 面積は7.87km2。周囲は23.3km。最高標高は254m(見返山)。 父島とは約800mの兄島瀬戸で隔てられている。 明治期より移住開始。平地がない地形に定住は難しく、明治21年には2人の移住者の記録はあるが、現在は無人島である。 空港がない小笠原諸島。かつて兄島に空港建設計画が持ち上がったことがあったが、立地や環境面での問題があり中止となる。 |
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■母島列島 ◎姉島(あねじま) 面積は1.43km2。周囲は6.9km。最高標高は116.5m。 明治27年(1894)移住開始。大正8年(1919)には14人だった。しかし生活環境には厳しく、昭和19年(1944)戦争激化のため小笠原から本土へ強制疎開を開始時には既に無人島となっていた。 現在も無人島である。 ◎妹島(いもうとじま) 面積は1.22km2。周囲は?。最高標高は216.1m。 姉島の東約4kmに位置する。 明治期に移住開始。明治38年には人口33人であったが、次第に母島などへ移住者が出て現在は無人島である。 ◎姪島(めいじま) 面積は1.11km2。周囲は?。最高標高は112.7m。 妹島から姪島瀬戸を挟み約800m東北東に位置する。 明治34年には25人の移住者の記録はあるが、小笠原強制疎開の際には、すでに無人島だった。 |
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◎旧・硫黄島村 | |||||
【硫黄島(いおうとう)】 面積は23.73km2。周囲は22.0km。最高標高は170m(摺鉢山)。洋名はサルファー島。 人口は401人(2023年)。453人(平成17年)。※国勢調査のみ。住民登録不可。 海上自衛隊・航空自衛隊職員他関係者(鹿島建設、シダックス など)以外立ち入れないため。 |
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元山 | 硫黄島神社 | ? | 相撲 | ||
硫黄島神社は戦争で破壊されたが、盛り土が決めてとなり平成19年(2007)、海上自衛隊員を中心に手作りしたが入魂はしたのだろうか?戦前は例祭にサトウキビ焼酎「硫黄島正宗」を飲み歓談したり、相撲大会があったらしい。 | |||||
戦前の硫黄島は、東京都小笠原支庁硫黄島村という行政単位であった。昭和18年6月の調査によれば、硫黄島村の人口は、192戸、1018人(男533人、女485人)である。島北部には元山部落、東部落、西部落、南部落、北部落、千島部落の6つの集落があった。 この硫黄島村は太平洋戦争の激化に伴い、昭和19年(1944)6月下旬に、父島経由で内地へ疎開する命令が内示され島民の疎開が行われ、軍に軍属として徴用された者(戦死者82名)を除く全島民が硫黄島を離れ、硫黄島村の歴史は幕を閉じた。 |
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◎北硫黄島(きたいおうとう) 面積は5.57km2。周囲は8.8km。最高標高は792m(榊ヶ峰)。 明治29年(1896)母島より移住開始。戦前の最盛期には石野村・西村の2集落があり最盛期の1915年は人口212人だった。神社等は不詳。 昭和19年(1944)戦争激化のため本土へ強制疎開を開始。強制疎開時の人口は 17世帯、90人だった。入れ替わりに北硫黄島派遣隊が派遣されるが、終戦のため撤収。それ以降現在に至るまで無人島である。 |
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◎南硫黄島(みなみいおうとう) 面積は3.54km2。周囲7.5km。最高標高は916m(名前は無い)。 明治19年(1883)に函館を出た帆船(松尾丸)が遭難し83日間漂流して、南硫黄島に漂着。その後3年半後に救出されたという事実があるが、定住者はいなかった。 |
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◎沖ノ鳥島 日本最南端の地。土地は国土交通省京浜河川事務所が管理する。 東西約4.5km。南北1.7km、周囲は約11kmの珊瑚環礁である。 干潮時は約20ヶ所が水上に現れるが、ほとんどが水深2〜5mに沈んでいる。 満潮時には横幅2.9mの北小島と横幅4.4mの東小島が海面上に残る。合わせて四畳半ほどの大きさ。この他観測施設がある。 |
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★展示場 | |||||
【新島村博物館】(公式HPへ) 新島村本村2−36−3。рO4992−5−7070。9:00〜16:30。休館日:月曜(祝日の場合は翌日)。入館料300円。 平成10年7月に伊豆諸島ではじめての本格的な博物館として開館。 1階の常設展示中央では伝馬船と棒受網による漁労の様子を再現。島の化石や遺跡、古文書、郷土芸能に関する展示・映像コーナーがある。 |
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【利島村郷土資料館】 利島村248。рO4992−9−0331。無料。10:00〜16:00。休館日:土日、祝日。 利島の暮らしをテーマに、縄文時代から現代までの移り変わりを、出土品や民具、模型でわかりやすく提示。 |