東京都
≪大田区≫
住所 | 神社名 | 祭礼日 | 内容 | 備考 |
≪大田区≫ | ||||
【旧・大森区】 | ||||
■大森地区 | ||||
大森北2丁目20−8 | 磐井神社 (公式HPへ) |
8/1金土日 | 宮神輿 | 無し |
神輿7基 | 向睦、根岸睦、仲ノ町睦、八幡睦、入三東町会、入二北町会、北六南町会 | |||
向睦=平成3年制作。宮本重義の作。台輪寸法は2尺5寸(76cm)。 根岸睦、仲ノ町睦、八幡睦、入三東町会、入二北町会、北六南町会=詳細不詳。 |
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大森北4丁目24−4 | 大六天根岸神社 | 8/1金土日 (西暦奇数年。隔年の大祭) |
宮神輿2基 | |
囃子屋台 | ||||
大祭の年は日曜の日中から夕方にかけ、磐井神社の氏子6ヶ町の神輿との連合渡御が、平和島駅前商店街⇒八幡通りまで行われる。 | ||||
宮神輿=昭和7年(1932)制作。行徳・14代浅子周慶の作。台輪寸法2尺3寸。 | ||||
大森北6丁目32−12 | 大森神社 | 9/14頃の土日 | 大神輿4基 | 大森本町二丁目仲町会、大森本町北町会、大森東一丁目町会、大森本町二丁目新地町会 |
曳太鼓4台 | 同上 | |||
例祭は、金曜11時から式典が行われ、土曜は子供神輿や曳太鼓、女性神輿など各町会毎に思い思いの出御が行われ、日曜は13時から三原通りで祭礼パレードが行われる。 | ||||
中原(大森本町二丁目仲町会⇒大森本町2丁目4番(12〜19号)、5〜6番、7番(12〜17号)、17番、24〜33番・大森東1丁目6番(1〜4号)、7番(5〜11号)・大森西32番(1〜6号)、33番 =子供神輿、曳太鼓。 北原(大森本町北町会)⇒大森本町1丁目9〜11番・大森本町2丁目1〜3番、4番(1〜11号・20〜26号)、7番(1〜11号・18〜25号)、8番、16番 大森北3丁目38〜39番、大森北6丁目30番(1〜14郷、16〜99号)、32番 =大人神輿2基。1基は平成14年、旧・大森魚市場から奉納。台輪寸法二尺三寸。 もう1基は昭和初期制作。台輪寸法1尺8寸。 子供神輿は中神輿と小神輿がある。 曳太鼓は昭和8年製作。 南原(大森東1丁目町会)⇒大森東1丁目1〜5番、6番(5〜22号)、7番(1〜4号、12〜27号)、8〜27番、28番(1〜16号)・大森西2丁目30番(1号・10号)、31番、32番(7〜16号) =大神輿、女性神輿。 新地(大森本町二丁目新地町会)⇒大森本町2丁目9〜15番、18〜23番・大森東1丁目30番(5号)、32番(5〜8号) =大神輿、曳太鼓。 大森東1丁目団地自冶会⇒大森東1丁目31番、36番 =子供神輿。 |
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大森中3丁目3−8 | 大森八幡神社 | 5/初旬 | 演芸大会 | 旧・村社。江戸時代には北大森村、西大森村二ヵ村の総鎮守であった。 |
大森中3丁目17−15 | 堀之内三輪神社 | 10/1土日 | 神幸祭 | |
宵宮は18時より奉納演芸。 本宮は10時より大神輿(隔年)、子供神輿、曳太鼓の巡行。 |
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大森堀之内自治会⇒大森中2丁目16番(15〜19号)、18番(1号、6〜17号)、19番・大森中3丁目2番(7〜9号)、3番(10〜11号)、4番(8〜14号)、5番(2〜16号)、6番(1〜4号、(〜28号)、7番(1〜3号、12〜19号)、8〜36番 | ||||
大森南3丁目27−8 | 浦守稲荷神社 | 6/3頃の土日 | 神輿(大中小) | |
曳太鼓 | 氏子中 | |||
小型の4輪囃子屋台 | 氏子中 | |||
大森西2丁目2−7 | 大森浅間神社 | 6/2日曜(元・8) | 神輿 | 旧・大森村沢田の鎮守 |
曳太鼓2台 | ||||
旧・沢田村の鎮守。現在の氏子は大森北六丁目沢田町会、大森沢田西町会、大森西二丁目三和会、大森沢田東町会。 | ||||
宵宮の夜は奉納演芸。本宮は神輿と曳太鼓。曳き手は神社内の浅間幼稚園の園児などの児童。 | ||||
宮神輿=昭和4年制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺5寸。 | ||||
大森西2丁目23−6 | 大森諏訪神社 | 5/下旬 | 神幸祭 | 旧・大森村山谷の鎮守 |
奉納演芸 | 初日:ちびっ子お囃子、夕方からシニアのコーラス、踊り、カラオケ大会。2日目:踊り。 | |||
大森西三丁目連合町会=お囃子車を先頭に曳太鼓、子供神輿のパレード。 大森山谷自治会=お囃子車の先導で、大人神輿、子供神輿と曳太鼓が、旧東海道、羽田街道(するがや通り)を通り町内を一巡。パレード終了の手締めは大森警察署に入って警察と共に行う。 |
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大森西5丁目18−1 | 谷戸三輪神社 | 9/1土日 | 神輿(大中小) | |
囃子屋台 | 曳太鼓 | |||
旧・西大森村谷戸の鎮守。氏子は大森三輪、鶴渡、邦西。 | ||||
宮神輿=昭和28年(1953)制作。行徳・15代浅子周慶の作。寸法2尺4寸。 | ||||
大森西5丁目27−7 | 貴舩神社 | 8/最終土日 | 神輿 | 氏子は本宿町会 |
曳太鼓 | ||||
■土曜 (11:00〜)例祭 (18:30〜)演芸会 ■日曜 (10:00〜)神輿・曳太鼓渡御 (18:30〜)演芸会 |
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大森東1丁目1−12 | 王森稲荷神社 | 4/3 | 例祭 | 氏子は大森東3丁目 |
大森東1丁目8−15 | 津島神社 | 9/連休土日 | 宮神輿 | 氏子は南原 |
子供みこし、曳太鼓 | ||||
宮神輿=昭和53年(1978)制作。浅草・浜田商会の作。寸法2尺3寸。 | ||||
大森東3丁目9−19 | 貴船神社 (公式HPへ) |
5/3土日 | 神輿 | 大森東睦会 |
曳太鼓 | カラオケ | |||
以前の祭礼は地元の青年団が稽古した素人芝居。 | ||||
■日曜 (9:30〜16:00)曳太鼓 (14:00〜16:00)祭礼パレード (18:00〜21:30)民謡踊り・カラオケ大会 |
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大森東4丁目35−3 | 三輪厳島神社 | 5/4日曜 | 宮神輿 | |
4輪屋台1台 | 平成5、6年頃より飾り付けのみ | |||
宮神輿=昭和53年制作。浅草・浜田商会の作。寸法2尺3寸。 | ||||
川端=昭和31年(1956)制作。彫物は「浦島太郎」で統一。 | ||||
■入新井地区 ⇒大森北、中央、大森西、山王に相当 |
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中央6丁目3−24 | 太田神社 (公式HPへ) |
5/15前の土日 | 宮神輿2基 | 一之宮、二之宮 |
曳太鼓2台 | 市野倉北町、市野倉南町 | |||
神輿 | 市野倉北町、市野倉南町 | |||
旧・市野倉村の鎮守。氏地は太田4〜7丁目・池上1丁目。 | ||||
一之宮=昭和25年頃制作。作者不詳だが、本所の神輿店で購入。寸法1尺8寸。昭和61年修復。神社役員や町会役員により担がれる。 二之宮=昭和50年制作。地元大工の横溝良作の作。寸法2尺5寸。一之宮を模して作られた。氏子青年団体である市野倉睦を中心に、城南地区各睦会によって担がれる。 |
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中央1丁目14−1 | 春日神社 (公式HPへ) |
6/17頃の土日 (西暦偶数年。隔年の大祭) |
宮神輿 | 氏子6ヶ町 |
氏子は中央1丁目、中央4丁目、新井宿3丁目、新井宿5丁目、新井宿6丁目、新井宿7丁目の6ヶ町。 | ||||
宮神輿=昭和初期制作。行徳・後藤直光の作。台輪寸法2尺5寸。延軒屋根。 | ||||
山王2丁目8−1 | 天祖神社 | 8/3日曜 | 宮神輿 | |
宮神輿=昭和58年制作。地元・祭友会の作。寸法3尺。 | ||||
山王3丁目43−11 | 山王熊野神社 | 9/1土日 | 宮神輿 | 大中 |
子供みこし | ||||
曳太鼓 | 池上通りを通行止めにしてパレードも | |||
大神輿=隔年に出る。西暦奇数年。大正14年制作。 中神輿=毎年出る。 |
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■馬込地区 | ||||
南馬込1丁目40−11 | 諏訪神社 | 9/28 | 神輿 | |
南馬込2丁目26−14 | 東谷北野神社 | 9/連休日曜 | 神輿 | |
南馬込4丁目13−24 | 熊野神社 | 10/23 | 神輿 | |
南馬込5丁目2−11 | 馬込八幡神社 | 9/連休日曜 | 神輿 | 旧・馬込村の総鎮守 |
土曜夕方から四町会の連合渡御、日曜に各町会渡御。 | ||||
天沼町=神輿(大中小)、曳太鼓。 大は昭和7年、中小は昭和33年 |
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南馬込5丁目18−7 | 湯殿神社 | 9/連休日曜 | 神輿 | 旧・馬込村の根古屋谷の鎮守 |
■池上地区 | ||||
仲池上1丁目14−22 | 子安八幡神社 | 9/1土日 | 例祭 | |
池上1丁目15−2 | 堤方神社 | 5/15 | 神輿5基 | 北町会、中央八丁目町会、南自治会、東町会、西町会 |
池上1丁目34−12 | 本町稲荷神社 | ? | 神輿 | |
池上3丁目38−17 | 徳持神社 | 7/20頃の土日 | 宮神輿 | 旧・徳持村鎮守 |
子供神輿 | 氏子は3ヶ町 | |||
宮神輿=昭和51年制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺3寸。 | ||||
池上3丁目43−11 | 熊野神社 | ? | ― | |
久が原1丁目7−9 | 道々橋八幡神社 | 9/連休土日 (西暦偶数年。隔年の大祭) |
子供神輿 | 旧・道々橋村鎮守 |
曳太鼓 | ||||
■土曜 (11:00〜)御霊入れ (13:00〜15:00)子供神輿、曳太鼓 (15:00〜)宵宮例祭 奉納演芸大会(18:30〜) ■日曜 (10:00〜12:30)子供神輿、曳太鼓が久が原・仲池上・東雪谷の氏子地域を練り歩く。 (14:00〜)例祭 |
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久が原2丁目18−4 | 久ヶ原東部八幡神社 | 9/1土日 | 神輿 | 8:30〜17:30 |
宮神輿=昭和6年制作。浅草・宮本重義の作。寸法2尺3寸。 | ||||
久が原4丁目2−7 | 久ヶ原西部八幡神社 | 9/連休土日 (隔年の大祭) |
神輿 | 氏子は1ヶ町 |
曳太鼓 | ||||
余興 | 演芸、カラオケ大会 | |||
宮神輿=昭和33年制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺7寸。 | ||||
■土曜 御神輿自動車パパレード(13:00〜14:30) 大祭式典執行(15:00〜) 素人奉納演芸(19:00〜21:00) ■日曜 大人神輿渡御(9:00〜18:00) 子供神輿・曳太鼓(山車)(10:30〜15:30) カラオケ大会(19:00〜21:00) |
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南久が原2丁目24−1 | 鵜ノ木八幡神社 | 9/15頃の土日 | 曳太鼓 | |
神楽 | 余興 | |||
■土曜 曳太鼓(14:00〜) 素人奉納演芸(19:00〜) ■日曜 奉納神楽(12:00〜16:00) 曳太鼓(14:30〜) カラオケ大会(19:00〜) |
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東雪谷2−25−1 | 雪ヶ谷八幡神社 | 9/連休土日 | 神輿6基 | 南雪谷、東雪、東雪谷東中、笹丸、雪谷石川台、希望ヶ丘 |
曳太鼓 | 東雪、笹丸、雪谷石川台 等 | |||
氏地は、旧雪ヶ谷町全域で住居表示は東雪ヶ谷、南雪ヶ谷、南千束の一部、石川町の一部となり、希望ヶ丘、南雪、東雪、東中、石川台、笹丸の六ヶ町である | ||||
■土曜 宵宮例祭(17:00〜) 奉納演芸大会(19:00〜) ■日曜 神輿宮入り(午前中) 例祭(15:00〜) 奉納カラオケ大会(19:00〜) |
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南千束2−23−10 | 千束八幡神社 | 9/1土日 | 神輿 | |
お神楽 | ||||
宮神輿=昭和3年頃制作。行徳・後藤直光の作。寸法2尺。 | ||||
石川町1丁目19−1 | 石川神社 | 10/1土日 | 神輿(大小) | |
■土曜 宵宮例祭(11:30〜) 子供神輿(14:00〜) ビンゴ大会(19:00〜) ■日曜 子供神輿渡御(9:00〜) 大人神輿渡御(11:00〜) 例祭(16:30〜) |
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田園調布1丁目55−12 | 多摩川浅間神社 | 6/1日曜 (3年毎に本祭) |
神輿 | |
子供神輿 | ||||
宮神輿=昭和3年制作。行徳・後藤直光の作。台輪寸法は当初は1尺8寸。宮本卯之助商店の改修で寸法2尺3寸。 | ||||
田園調布5丁目30−16 | 八幡神社 | 9/1土日 | トラック使用の屋台 | 田園調布西囃子連 |
神輿 | ||||
■土曜 宵宮例祭(16:00〜) 奉納演芸大会(19:30〜) ■日曜 神輿宮入り(10:00〜) 例祭(15:00〜) 奉納カラオケ大会(19:00〜) |
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東嶺町31−7 | 白山神社 | 9/1土日 | 神輿 | 境内で奉納演芸 |
宮神輿=昭和31年制作。浅草・宮本重義の作。寸法2尺4寸。 | ||||
■土曜 (18:30〜)宵宮例祭 (19:00〜)奉納演芸大会 ■日曜 (12:30〜)神輿・曳太鼓渡御 (20:00〜)奉納舞踊大会 |
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北嶺町37−20 | 御嶽神社 | 9/連休土日 | 神輿(大小、女) | |
曳太鼓 | ||||
神楽 | 田園調布囃子里神楽 | |||
■土曜 (10:00〜)子供神輿、曳太鼓渡御 (17:30〜)女神輿 ■日曜 (13:00〜)神輿渡御 (18:30〜)大神輿・女神輿連合渡御 |
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【旧・蒲田区】 | ||||
■蒲田地区 | ||||
蒲田4丁目18−18 | 蒲田八幡神社 | 8/8頃の土日 | 宮神輿 | 旧・蒲田新宿村鎮守 |
トラック仮装囃子山車 | ||||
曳太鼓 | 南蒲田3丁目 他 | |||
氏子は9町会=蒲田本町1丁目町会、蒲田本町2丁目町会、蒲田4丁目町会、蒲田5丁目南町会、南蒲田1丁目自治会、南蒲田2丁目町会、南蒲田3丁目町会、京浜蒲田町会、蒲田東口町会 | ||||
宮神輿=昭和58年制作。御社殿復興25周年記念として。浅草・南部屋五郎右衛門の作。台輪寸法2尺5寸。 神幸祭は天狗・大太鼓・蒲田囃子・神馬・鉾・盾・旗さし物 などの行列。 |
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蒲田3丁目2−10 | 稗田神社 | 9/連休土日 | 神輿 | 日曜10時から稚児行列 |
南蒲田1丁目6−5 | 北野神社 | 5/20頃の土日 | 例祭 | |
西蒲田6丁目13−13 | 蓮沼熊野神社 | 8/15 | 神輿 | |
西蒲田6丁目22−1 | 女塚神社 | 7/下旬 (隔年の大祭) |
神輿4基 | 蒲田西口町会、西蒲田女塚町会、西蒲田1丁目町会、西蒲田4丁目町会 |
曳太鼓 | 蒲田西口町会 等 | |||
蒲田西口町会=昭和32年8月吉日制作。作者不詳。 | ||||
西蒲田7丁目40−8 | 御園神社 | 7/21、22 | 宮神輿 | 旧・女塚村・御園村の鎮守。 蒲田駅東口にあった旧・八幡神社を東海道線敷設に際して当地へ遷座した。 |
子供神輿、曳太鼓 | ||||
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■羽田地区 | ||||
本羽田3丁目9−12 | 羽田神社 (公式HPへ) |
7/最終土日 | 宮神輿2基 | 大中 |
町会神輿14基 | 氏子14ヶ町 | |||
小型の4輪屋台9台 | 中村(都南)、本町3丁目、西町、前河原町、横町、稲荷前、下仲町、上東、仲羽田 | |||
曳太鼓8台 | 大鳥居、本町2丁目、本羽田1丁目、西町、前河原町、仲東、大東、旭町 | |||
羽田まつりは神輿の担ぎ手だけで三千人、三万人を超す見物客が訪れる賑やかなお祭り。 この祭りの神輿は、通称「ヨコタ」という担ぎ方で、神輿を左右90度にたおし、大きくローリングしながら進むもので、右の人がはね上がると左の人がしゃがむ、これを交互に繰り返す独特な担ぎ方である。 日曜午後から行われる町内神輿連合渡御(神輿パレード)では13町会13基の神輿が3時間近くヨコタで練り歩く。 |
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氏地は行政上は大田区本羽田1丁目〜本羽田3丁目、羽田1丁目〜羽田6丁目、羽田旭町、羽田空港1丁目〜羽田空港3丁目である。 | ||||
■金曜(日中)各町内神輿神霊入れ式 (19:00〜)本社神輿神霊入れ式 ■土曜(9:00〜)例大祭 (10:00〜)御旅所清祓式 (夕方)各町会神輿 町内渡御 ■日曜(8:00〜12:30)宮神輿全町渡御 (15:00〜18:00)町内神輿連合渡御 |
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大神輿=台輪寸法4尺。平成19年、12年ぶりに渡御。 中神輿=昭和54年制作。浅草・南部屋五郎右衛門の作。台輪寸法4尺。毎年渡御。 |
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【平成24年の神輿宮入順で紹介】 羽田上東町会町⇒町会館は羽田6丁目22−5。 羽田6丁目2番(6号)、3番(5〜9号)、4番(1〜4号、16〜21号)、5番(1〜2号、17〜20号)、16番(13号)、17番、18番(6〜12号)、21番(5〜7号)、22番(1〜9号)、23番、24番(1〜3号、11〜15号)、25番(2号、6〜11号)、26〜27番、28番(3号)、32番(10〜11号)、33番(1〜5号) =昭和53年制作。2代目。 羽田仲七町会⇒羽田5丁目11〜30番 =平成5年創建。 羽田下仲町会⇒町会館は羽田6丁目19−12。 羽田3丁目3番(26号、28〜29号)・6丁目1番、2番(1〜3号、9号〜)、3番(2〜3号、10〜14号)、18番(1〜5号)、19番(1〜14号、16〜)、20番(1〜11号、14〜15号)、21番(1〜4号、8〜12号)、22番(10〜14号)、28番(1〜2号、9〜)、29番、30番(2号、7〜9号)、31番、32番(1〜4号) =平成24年新調。 羽田前河原町会⇒町会館は羽田3丁目14−8。羽田3丁目1〜2番、3番(1号)、4〜7番、13〜17番、26〜29番、32番(3号) =大神輿と同じ大工の作。船乗工務店?の作。平成13年、修復。 羽田横町町会⇒町会館は羽田3丁目24−12。羽田3丁目8番(1〜7号、11〜)、12番(1〜6号、8〜)、18番、24番(1〜2号、10号〜)、25番、30番、33〜34番、35番(3〜7号) =昭和27年頃、地元の大工の作。 本羽田寿会=町会ではなく、唯一の友好会。 羽田旭町町会⇒羽田旭町全域・羽田4丁目1〜7番・羽田5丁目1〜10番 =昭和28年、某町(大鳥町会?)制作。その後譲って頂く。 上田(本羽田1丁目町会)⇒町会館は羽田1丁目12−9。本羽田1丁目1〜2番、8〜18番、23〜25番、31〜32番 =町民の手作り。 仲羽田町会⇒町会館は羽田4丁目9−11。羽田4丁目8〜22番 =平成21年(2009)5/10、大神輿新調御披露目。 中村町会(本羽田3丁目都南町会)⇒本羽田3丁目3番、5〜17番、20番(10号)、21〜30番 =昭和27年9月の作。 羽田稲荷前町会⇒町会館は羽田3丁目24−4。 羽田3丁目3番(2〜25号、27号)、8番(8〜10号)、9〜11番、12番(7号)、19〜23番、24番(4〜9郷)、35番(8〜10号)、36番・6丁目19番(15号)、20番(12号、16号)、30番(1号、3号) =昭和26年制作。浅草・宮本重義の作。 羽田大東町会⇒町会館は羽田6丁目9−3。羽田6丁目6番(2〜10号)、7〜12番、13番(1〜8号) =戦前よりある。地元の大工の作。 羽田西町町会⇒町会館は羽田2丁目25−4。羽田2丁目全域。 =昭和50年制作。町民の手作り。以前にも2代あったらしい。 羽田仲東町会⇒町会館は羽田6丁目15−18。羽田6丁目4番(5〜15号)、5番(3〜16号)、6番(1号)、13番(10〜17号)、14〜15番、16番(1〜12号)、24番(4〜10号)、25番(3〜5号)、33番(6号)、34番 =昭和28年(1953)制作。行徳で作った。 |
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萩中1丁目5−18 | 萩中天祖神社 | 8/4土日 | 宮神輿 | |
簡易屋台1台 | ||||
宮神輿=昭和62年制作。浅草・宮本重義の作。延軒屋根。台輪寸法2尺5寸。 | ||||
羽田5丁目2−7 | 穴守稲荷神社 | 11/3 | 例祭 | 昭和20年9月21日、羽田空港の拡張のため、米軍より強制退去を迫られることになった。そこで地元の有志らは現在の鎮座地700坪を寄進て移転した。 |
西糀谷2丁目20−22 | 東中江名天祖神社 | 9/1土日 | 例祭 | |
西糀谷1丁目25−3 | 西中江名天祖神社 | 9/1土日 | 宮神輿 | |
西糀谷4丁目9−17 | 西仲天祖神社 | 9/1土日 | 宮神輿 | |
宮神輿=昭和52年制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺6寸。 | ||||
西糀谷4丁目7−18 | 糀谷神社 | 9/1土日 | 宮神輿(大中) | |
大神輿=昭和55年8月制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺8寸。神輿庫も同時に建造。 中神輿=昭和53年8月、糀谷睦会の手作り。神輿庫も同時に建造。 |
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西糀谷3丁目19−18 | 浜竹天祖神社 | 9/1土日 | 宮神輿 | |
トラック使用の屋台 | 浜竹神社囃子連 | |||
宮神輿=昭和10年制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺3寸。 | ||||
【麹谷祭り】 9/1日曜に糀谷の西仲天祖神社、浜竹天祖神社、糀谷神社の3神社の宮神輿が連合渡御する。この3神社は羽田神社の兼務社である。 ■土曜 (11:00〜)例祭 (18:00〜21:00)各町内渡御 ■日曜 (12:30〜)例祭の後、東京唯一の宮神輿連合渡御が村守稲荷神社(大田区東糀谷4−3−6)を出発して産業道路を渡り、西糀谷3丁目交差点を経て西糀谷4丁目交差点付近までの道路を、各神輿によるパレードをする。、 |
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西糀谷3丁目26−1 | 神命大神宮 | 11/23 | トラック仮装山車7台 | |
宝船1台 | ||||
曳太鼓1台 | ||||
北糀谷1丁目2ー10 | 子安八幡神社 | 9/1土日 | 宮神輿 | 毎年出す |
曳太鼓 | ||||
子供神輿3基 | 北糀谷1・2丁目、大森南、西糀谷1・2丁目 | |||
例祭日は9/1土日。ただし1日が日曜の年は9/2土日になる。 | ||||
宮神輿=昭和10年制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法2尺6寸。 | ||||
■土曜 (13:00〜)御神輿、曳太鼓渡御 (18:00〜)奉納演芸 ■日曜 (8:30〜)例祭 (14:00〜)神輿・曳太鼓 (18:25〜)奉納演芸大会 |
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※「糀谷の今昔」1981年発行。の88・89ページの4・祭りのしきたりには大正・昭和と各道路に電線が張りめぐらせされてていたので山車が曳けなくなったと記載あり。また山車の写真もあり。 | ||||
■矢口地区 ⇒現・矢口、東矢口、新蒲田、下丸子に相当 |
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矢口1丁目21−23 | 新田神社 (公式HPへ) |
4/10 | 春祭り | |
10/連休土日 | 神輿 | 旧・府社 | ||
矢口1丁目27−7 | 氷川神社 | 8/下旬 (隔年の大祭) |
神輿 | 氏子は3ヶ町 |
宮神輿=昭和28年制作。浅草・宮本重義の作。唐破風軒屋根、勾欄造り。台輪寸法2尺3寸。 | ||||
矢口2丁目2−21 | 今泉神社 | 9/連休日曜 (隔年の大祭) |
宮神輿 | 旧・今泉村の鎮守 |
宮神輿=昭和7年制作。地元の中務安弥の作。寸法2尺7寸。 | ||||
矢口2丁目17−28 | 十寄神社 | 10/10 | 宝物殿公開、古武道奉納演武 | 旧・今泉村の鎮守 |
矢口3丁目17−3 | 東八幡神社 | 8/初旬 (隔年の大祭) |
宮神輿 | |
神輿 | ||||
宮神輿=平成16年(2004)8月7日(土)、お披露目。合わせて神輿蔵も建造。以前のは戦災で焼失。 | ||||
東矢口3丁目28−7 | 若宮八幡神社 | 9/15頃の土日 | 神輿(中小) | 旧・小林村の鎮守。氏子は東矢口3丁目、新蒲田2丁目の一部。 |
多摩川1丁目5−11 | 安方神社 | 9/連休日曜 | 子供神輿 | 氏子は旧・安方町全域。 |
曳太鼓 | 両日とも19時より盆踊り | |||
神輿:宮出(8:30)〜宮入(17:00)。子供神輿・曳太鼓:宮出(9:00)〜宮入(15:00)。 | ||||
多摩川2丁目10−22 | 諏訪神社 | 8/4日曜 | 神輿 | 氏子は1ヶ町 |
宮神輿=昭和20年代制作。浅草・宮本重義の作。寸法1尺5寸。 | ||||
新蒲田3丁目4−10 | 道塚神社 | 9/15頃の土日 | 例祭 | |
下丸子4丁目16−5 | 六所神社 | 8/1日曜 (3年毎に本祭) |
例祭 | 旧・下丸子村の鎮守 |
下丸子3丁目10−8 | 天祖神社 | 9/16 | 神輿 | |
■六郷地区 ⇒東六郷、南六郷、仲六郷、西六郷 旧・八幡塚、雑色、町屋、高畑、古川 |
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東六郷3丁目10−18 | 六郷神社 (公式HPへ) |
1/7 | 流鏑馬 | 都指定無形民俗文化財 |
6/3 | 宮神輿 | 旧・郷社 | ||
町会みこし約40基 | ||||
子供獅子舞 | 区指定無形民俗文化財 | |||
壱之神輿=昭和7年制作。作者不詳。地元の業者で作られたと思われる。平成19年、75年ぶりに修復。寸法4尺2寸。 弐之神輿=江戸期の作。壱之神輿と交互に渡御する。 |
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南六郷1丁目37−18 | 六郷八雲神社 | 9/15 | 神輿(大2、小1) | 氏子は南六郷1丁目 |
南六郷2丁目16−16 | 六郷御嶽神社 | ? | ― | 氏子は南六郷2丁目 |
南六郷3丁目3−6 | 雑色八幡神社 | 9/15 | 例祭 | 氏子は南六郷3丁目。旧・雑色村の鎮守 |
仲六郷2−44−7 | 熊野神社 | ? | 子供神輿 | 氏子は仲六郷2丁目。神輿j蔵は昭和36年建造。 |
仲六郷4−29−8 | 北野神社 | 10/22 | 担ぎ山車 | 旧・八幡塚村の鎮守 |
西六郷2−23−14 | 白山神社 | 9/19 | 例祭 | 氏子は西六郷1・2丁目、仲六郷1・2丁目の一部 |
西六郷2丁目35−9 | 諏訪神社 | 9/27 | 例祭 | |
西六郷4丁目8−8 | 高畑神社 | 9/27 | 神楽 | 氏子は西六郷4丁目 |
※大田区には神輿が163基あると聞く。 | ||||
◎御会式 | ||||
住所 | 寺名 | 日付け | 寺持万灯講 | |
池上1−1−1 | 大本山本門寺 | 10/12 | ||
大本山本門寺(池上本門寺)の会式が有名なのは、日蓮聖人がお亡くなりになられた場所だからです。 日蓮聖人は弘安5年10月13日に池上(東京都大田区)でお亡くなりになられました。 そこで逮夜にあたる12日の夜には数十本の万灯行列と共に、数十万人の参詣の列で街中が埋め尽くされる。 終夜、太鼓の音が絶えず、13日の午前8時には日蓮聖人のご入滅のとき日昭上人が打ちならしたという故事にならって「臨滅度時(りんめつどじ)の鐘」が貫首によって打ちならされ、前夜から参籠している人々とともに往時をしのび、しめやかな法要が営まれています。 |
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池上2−10−5(大坊) | 長祟山本行寺 | 9/18 | 本睦会 | 当山取り持ち講中「本睦会」をはじめとして、18の講中が色とりどりの万灯で境内を練り歩く |
山王3−22−16(新井宿) | 法光山善源寺 | 10/7 | 六士講 | |
池上1−31−1(大坊) | 長荘山養源寺 | 10/10 | 光遊会 | |
南千束2−2−7 | 星頂山妙福寺(通称は御松庵) | 10/17 | 御松庵結社 | 参詣講中は約15 |
久が原2−19−17 | 法壽山本光寺 | 10/19 | 向親会 | |
池上1−9−40 | 玄性山妙雲寺 | 10/25 | 堤方結社 | 参詣講中は約15 |
久が原4−4−10 | 長久山安詳寺 | 10/26 | 久が原結社 | 参詣講中は約15 |
仲池上1−14−17 | 長松山林昌寺 | 10/27 | 池上結社 | 参詣講中は約15 |
中央6−6−5(市野倉) | 覺應山長勝寺 | 10/28 | 一心講 | 参詣講中は約20 |
池上3−38−23(徳持) | 微妙庵 | 11/1 | 池上徳持若睦会 | 参詣講中は約15 |
本羽田3−14−7 | 羽田山長照寺 | 11/7 | ― | |
大森中2−7−19 | 長亨山大林寺 | 11/7 | ― | |
【羽田空港(現・東京国際空港)】 終戦直後の1945年9月21日、羽田空港を接収した米軍の空港拡張計画に基づくGHQの指令を介して村人は48時間以内に出て行け、という「強制移転」の憂き目に遭う。鳥居の前の掲示板には強制移転前の羽田鈴木町、江戸見町、穴守町の地図や生々しい歴史が記されていた。 占領軍の飛行場拡張のための強制退去令について、「大田区の歩み」(宮川茂)には次のように記載されている。 「9月21日、海老取川以東全地域に対して48時間以内強制退去の命令が出ました。戦時中の強制疎開と同じ僅かの補償金だけで千二百世帯、三千人の住民は主な家財道具をまとめ、住みなれた穴守町、鈴木町を後にし、多くは近くの羽田、糀谷あたりの親類、縁者を頼って移転して行きました。」 「退去した跡と糀谷、萩中の焼け跡には米軍第808飛行場建設部隊がバラックやかまぼこ兵舎を建てトラック、ブルドーザー、パワーシャベルなどの機械を持って進駐してきました。 そして大林組、間組などの土建業者と日本人労務者を使って不要の建物は破壊焼却し、戦争中の日本の飛行機、自動車などは黒田家鴨猟場跡の池や東貫川に埋め、六郷川や海底の土砂をサンドポンプで送って盛土し、その上に二子玉川付近からトラックで運んだ土をのせブルドーザーで固め、更にコンクリートや鉄板で滑走路、誘導路を作りました。仕事は一日3交代、24時間休みなしに進められ僅か六か月で完成しました。」 羽田穴守町=現在のB滑走路南端付近。穴守稲荷神社、郵便局や明電舎の社宅などがあった。 羽田江戸見町=現在は羽田空港1丁目の北半分にあたり、東京モノレールの整備場駅のほか各航空会社の関連ビルや整備工場・格納庫などの建物が建っている。 かつては東京硝子工場・東京海軍航空隊駐屯地・黒田公爵邸跡および当家の鴨猟場跡などがあり、人家は5世帯だった。 羽田鈴木町=羽田空港敷地。かつては民家の他、羽田第三小学校・青年学校・明電舎・荏原製作所や明電舎の社宅・寮などが記載され、数多くの人家があった。 |