≪新宿区≫
住所 | 神社名 | 祭礼日 | 内容 | 備考 | |
≪新宿区≫ | |||||
◎旧・四谷区 | |||||
須賀町5 | 四谷須賀神社 (公式HPへ) |
6/1土日(元・4) (隔年本祭) |
宮神輿 | ||
太鼓山車 | 若葉1丁目 | ||||
山車廃絶 | 祭礼番組18番中、出し18本 | ||||
四谷の産土神。今では四谷地区18町会が氏子。 | |||||
【山車廃絶】 『武江年表 巻之六』に「天明元年(1781) 6/18、旧称は四谷天王稲荷祭礼、神輿を渡し出し練物出る」とある。 一番=四谷伝馬町壱丁目 二番=同所同町 三番=同伝馬町新壱丁目 四番=同伝馬町弐丁目 五番=同町三丁目 六番=同忍町 七番=同塩町壱丁目 八番=同弐丁目 九番=同三丁目 十番=同御箪笥町 十一番=同伊賀町 十二番=同坂町 十三番=同仲町 十四番=同元鮫ヶ橋町 十五番=同北町 十六番=同元鮫ヶ橋表町・同仲町 十七番=同南町・同八軒町 十八番=同谷町・四谷仲町・権田原三軒家 『東京市史稿』産業篇第41、431〜464ページ、「寛政9年(1797)隔年。天明元年以来休み。21ヶ町、18番組にて山車1本づつ」 とある。 『市中取締書留』173、「万延元年(1860)、山車1本、子供手踊(四谷伝馬町3丁目、同所塩町2・3丁目、同所忍町)、山車1本。万度2本(同所伊賀町)」 とある。 『江戸の祭礼と寺社文化』2018年、同成社発行には「牛頭天王と稲荷社を祀り、それぞれに神輿を1基ずつ出した。四谷伝馬町2丁目の北側に御旅所を設け、18日に牛頭天王の氏子町を巡行し、21日には御旅所から稲荷の氏子町を巡行して貴社した。また『東都歳時記』では以前は隔年だったが、近年は毎年行い、神輿と獅子頭のみの巡行だと述べているが、寛政11年(1799)の祭礼番付が残っていて、それによれば、双方の氏子町合わせて21町から18番の山車が出、天明元年(1781)より毎年行っているとしている」とある。当時の例祭日は6/18。 |
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宮神輿=昭和51年の作。神輿の屋根飾りは旧・天王社氏地では鳳凰。旧・稲荷神社氏地では擬宝珠に付替えられる。 往古の記述としては、紀州和歌山藩の勤番侍・酒井伴四郎は、万延元年(1860)5月に江戸勤務を命じられ江戸へやってくるのだが、几帳面な彼は江戸での生活を詳細な日記につけている。 万延元年(1860)6月21日の項は四ッ谷の稲荷社と祇園天王両社の神輿見物の記述で『曲太鼓極上手成筋御見物二而いたし候。誠面白、又角兵へ獅子之上手大二組余程芸永し。其間へ両社神輿揉来り大ニ賑ふ。』とある。 先代は2基あったが、戦災で社殿共に焼失。以後宮神輿復活までは町内神輿を代用としていた。 |
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須賀町・四谷一丁目=神輿。 四谷二丁目⇒昭和18年、麹町13丁目・伝馬町2丁目・伝馬町新1丁目の3町合併で誕生。 =神輿。 四谷三丁目・四谷四丁目・三栄町・本塩町・坂町・片町=詳細不詳。 愛住町⇒江戸期には武家地および寺地。明治5年、四谷愛住町として成立。明治44年、愛住町となる。 =神輿。 荒木町=神輿。 舟町=神輿。 若葉一丁目=神輿(大小)、曳太鼓あり。 若葉二丁目・若葉三丁目・左門町=神輿。 南元町・信濃町=詳細不詳。 |
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◎旧・牛込区 | |||||
築土八幡町2−1 | 築土八幡神社 | 9/連休金土 (本祭は不定期) |
山車廃絶 | ||
神輿 | |||||
曳太鼓 | 富士見町1丁目 | ||||
渡御は先導、高張堤燈、猿田彦、 太鼓、神社旗、大麻、大総代、総代、 宮司、 御幣、神輿、囃子車の順である。 | |||||
宮神輿=一之宮は延宝6年(1678)制作と伝わる。汁屋平次郎の作。台輪寸法3尺7寸。 昭和48年までの渡御に使われた。 二之宮は慶応2年(1866)制作。佐野友次郎・清次郎、柿田清明・清之の作。台輪寸法4尺。 平成24年に21年ぶりに渡御。 |
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宮比町、揚場町=詳細不詳。 富士見町2丁目=行徳・浅子周慶の作。 築土八幡町、新小川町、白銀町、岩戸町、袋町=詳細不詳。 神楽坂3丁目=浅草・南部屋五郎右衛門の作。 神楽坂4丁目、神楽坂5丁目=詳細不詳。 |
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市谷八幡町15 | 市谷亀岡八幡宮 (公式HPへ) |
8/1金土日 | 宮神輿 | ||
山車廃絶 | 祭礼番組21番中、出し12本 | ||||
8/15(例祭) | 神輿 | ||||
現在の氏子は市谷八幡町・市谷田町・市谷左内町・市谷加賀町・市谷砂土原町・市谷長延寺町・市谷仲之町・市谷本村町・市谷薬王寺町・市谷柳町・市谷台町・市谷甲良町・河田町・住吉町・富久町(東・西富久町会)。 | |||||
【山車の行方】 市谷田町壱丁目⇒千葉県佐倉市弥勒町へ。 |
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【山車廃絶】 『武江年表 巻之六』に8/15、安永三年(1774)市谷八幡宮祭礼、神輿を渡しだし練物等出る」とある。 『東京市史稿』産業編第41、126〜140ページでは「寛政8年(1796)。隔年。安永3年以前は山車・練物。 『東京市史稿』産業編第41、431〜464ページでは「寛政9年(1797)。隔年。安永3年以来休み。21ヶ町、21番組にて山車12本・幟19本・鉾・榊を出す。 一番=市谷谷町 二番=同本村町 三番=同片町 四番=同柳町 七番=同薬王寺門前 十番=田町壱丁目 十一番=同左内坂町 十二番=同上寺町 十三番=同町上二丁目 十四番=同町下弐丁目 十六番=同所四丁目 十八番=同所八幡町 五番=幟弐本。同甲良屋敷 六番=幟弐本。同元土取場町 八番=幟弐本。同南寺町 九番=幟弐本。安養寺門前 十五番=幟五本。同所三丁目 十七番=幟三本。同所七軒町 十九番=幟三本。同長延寺谷町 廿番=ほこ。市谷平山町 廿一番=榊。女坂門前 『武江年表 巻之十二』に明治4年 8/15、産子町々より車楽11輌、伎踊ねり物等多く出して賑へり」とある。 『江戸の祭礼と寺社文化』2018年、同成社発行には「安永3年(1774)までには隔年に3基の神輿と氏子21町から21番の山車の巡行があったが、絶えてしまったという。しかし氏子町ではその後も14日に舞台を設けて踊りなどを催したという」とある。当時の例祭日は8/15。 |
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宮神輿=あるらしい。 元禄15年、五代将軍綱吉の生母桂昌院が寄進した神輿があったが、昭和20年5月25日の戦災で焼失。 昭和47年、薬王寺町神輿を奉納して頂くが、51年に払下げ。 |
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薬王寺町=大正11年(一説には大正8年)制作。薬王寺町史には11年説で記されている。 制作に先立ち深川八幡の神輿を見学。このうち深川蛤町の八棟神輿を気に入りモデルとする。 8年説はこの年のことを言っていると思われる。 後藤直光の作。彫師は石川信光、竹井芳太郎。台輪寸法3尺3寸。平成2年、宮本卯之助商店で修復。 昭和47年、宮神輿として奉納するが、51年に払下げ。 土曜は子供神輿と曳太鼓。日曜は大神輿で、隣町にある防衛省から協力を頂き、自衛隊員男女50名が応援に駆けつけ、隣町の柳町と薬王寺町合わせて担がれる。 子供みこし、曳太鼓は昭和12年創建。 曳太鼓は牛込尋常小学校改築を記念して当時の薬王寺町自治会から寄贈された。 |
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赤城元町1−10 | 赤城神社 (公式HPへ) |
9/19頃の土日 | 山車廃絶 | 祭礼番組26番中、出し12本 | |
宮神輿、神輿 | 牛込総鎮守 | ||||
【山車廃絶】 『武江年表 巻之十二』に明治4年 9/18、19牛込赤城神社祭礼、神輿渡り、車楽18輌程出で」とある。 天保9年刊の『東都歳時記』に「子寅辰午申戌の年、隔年にねり物をいだせしが、近きころは年を置いて出す。十八日・十九日には例年神楽あり。当社産子の内、祭禮の時、榎町に大なる獅子頭二つをかざる(五尺余あり)。寺町には、関羽の人形をかざる事毎年かわらず」とある。 一番=牛込横寺町 二番=同肴町・袋町 三番=同長源寺門前・同正定院門前 四番=同通寺町・同安養寺門前 五番=同末寺町 七番=同払方町 八番=同御細工町 九番=同天神町 十番・十一番=同中里町・中里村町 十七番・十八番=同町弐丁目・三丁目 十八番=同中里町 十九番=同改代町 廿六番=同三丁目 廿七番=同等覚寺門前 |
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≪その他≫ 六番=幟。同御箪笥町 十二番=幟。同榎町 十三番=幟。同弁財天町 十四番=幟。同供養塚町 十五番=幟。早稲田町 十六番=幟。原壱丁目 廿番=幟。同築地片町 廿一番=幟。同五軒町 廿二番=幟。同水道町 廿三番=幟。同馬場先片町 廿四番=幟。同天徳院門前 廿五番=幟。同改代町分 |
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『江戸の祭礼と寺社文化』2018年、同成社発行には「江戸時代は牛込周辺に28ヶ町の氏子町をもち、祭礼の際にはこれを26の番組に編成した山車を出していた。そして榎町に5尺余もある大きな獅子頭2体を飾り、牛込寺町には関羽の人形を飾るのがこの祭礼の名物であった」とある、 | |||||
【文政5年(1822)の祭礼番付より】 一番=牛込肴町⇒諌鼓鶏の山車(吹貫型)、天の岩戸の曳物。 袋町=幟2本、踊り屋台、底抜け屋台(囃し方藤色縮緬)。 二番=横寺町⇒岩組に猿人形の山車、練物(曳山なし、麻上下松葉色縮緬) 三番=長源寺門前、正定院門前⇒翁の山車(高麗狂言太鼓)。 四番=通寺町⇒関羽の山車)、踊り屋台、底抜け屋台(囃し方茶縮緬揃い)、曳万燈。 五番=末寺町⇒大神楽(曳山なし)、練物(曳山なし、甚句手踊り)。 六番=御箪笥町⇒春日明神の山車(龍神囃し)、蓬莱の曳万燈、地走り(手踊り)。 七番=仏方町⇒坂田金時の山車、土蜘蛛の曳物、地走り(手踊り)。 八番=御細工町⇒清正の山車(唐人管弦囃し)、虎の曳物。 九番=天神町⇒幟2本(火災のため)。 十番=中里⇒牡丹の山車(警固、繊細茶小紋揃い)。 十一番=中里村町⇒亀の上に猿の山車(唐囃し)。 十二番=榎町⇒花籠に牡丹の山車、獅子頭の曳物、踊り屋台、底抜け屋台(囃し方茶縮緬揃い)。 十三番=弁天町⇒白地の山車(高麗太鼓)。 十四番=供養塚町⇒幟2本。 十五番=早稲田町⇒戸隠大明神の山車、大茗荷の曳物。 十六番=原町壱丁目⇒龍宮城の山車)、踊り屋台、底抜け屋台。 十七番=原弐丁目⇒玉手箱の曳物(箱の中から浦島太郎人形が出る)、練物(曳山なし、漁者腰蓑七人手踊り、龍神囃し。 十八番=原3丁目⇒乙姫の山車、珠採りの曳万燈、練物(曳山なし、海老鰒蛸三人手踊り)。 十九番=改代町⇒花篭の山車、曳万燈(黒ビロ―ド裾通り)。 廿番=改代町代地⇒三番叟大烏帽子の曳物、翁の面の曳物、大鈴末広の曳物。 廿一番=築地片町⇒武内宿禰(高麗太鼓)。 廿二番=赤城五軒町⇒染め抜き幟2本。 廿三番=馬場先片町⇒武蔵野の山車、曳万(燈縮緬揃い)。 廿四番=牛込水道町⇒石山源太の山車、曳き万燈。 廿五番=天徳院門前⇒幟2本。 廿六番=宮本町東覚寺門前⇒岩組に猿の山車(藤色縮緬揃い)。 |
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宮神輿=昭和31年制作。後藤直光の作。台輪寸法3尺3寸。 | |||||
若宮町18 | 神楽坂若宮神社 | 9/連休日曜(元・15) | 子供神輿 | 怪獣写真撮影会 等 牛込区 | |
西早稲田2丁目1−11 | 穴八幡神社 (公式HPへ) |
9/中旬 (本祭は不定期) |
山車廃絶 | 祭礼番組31番中、出し31本 | |
神輿 | 台輪寸法3尺7寸 | ||||
町会神輿多数 | |||||
【山車廃絶】 『東京市史稿』産業編第41、431〜464ページでは「寛政9年(1797)。隔年。宝暦9年以来休み。33ヶ町、31番組にて山車1本づつ。 附祭練物は其時々あり」とある。 『武江年表 巻之五』に「宝暦9年 8/15高田穴八幡祭礼、出しねり物を出し、其の後明和4年迄続く」とある。 天保9年(1838)刊の「東都歳時記」には「宝暦9年までは隔年神楽坂の御旅所へ神幸あり。産子町々より花出し踊りねり物を出せしが、同じ年より中絶す。(中略)宝暦9年の祭礼番組は左の如し。 一番=牛込肴町 二番=同白銀町 三番=同津久戸前町 四番=同若宮町 五番=同袋町 六番=同御箪笥町 七番=同安養寺門前 八番=同通寺町 九番=同末寺町 十番=同横寺町 十一番=同正定院門前・同長源寺門前 十二番=同水道町 十三番=同築地片町 十四番=同馬場先片町 十五番=同改代町 十六番=同御納戸町 十七番=同御細工町 十八番=同中里町 十九番=同中里村町 廿番=同天神町 廿一番=同弁財天町 廿二番=同供養塚町 廿三番=同榎町 廿四番=同原町壱丁目 廿五番=同弐丁目 廿六番=同三丁目 廿七番=同若松町・破損町 廿八番=同早稲田町 廿九番=同馬場下横町 三十番=同放生寺門前 三十一番=同馬場下町 とある。 『江戸の祭礼と寺社文化』2018年、同成社発行には「宝暦9年(1759)までは隔年で神楽坂の御旅所に神輿のほか、氏子町33町の出す31番の山車 などの巡行があったが、絶えてしまった。なお、境内には放生池があって、この日は放生会が行われた」とある。当時の例祭日は8/15、 |
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馬場下町=平成19年(2007)新調。 原町3丁目=大正11年制作。神田鍛治町の宮惣の作。台輪寸法2尺9寸。 |
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西早稲田3丁目5−43 | 水稲荷神社 (公式HPへ) |
9/9頃の土日 (3年毎の本祭) |
神輿 | ||
町神輿 | |||||
宮神輿=大正11年制作。行徳・浅子周慶の作。台輪寸法3尺6寸。 | |||||
◎旧・淀橋区 淀橋町:歌舞伎町、新宿、北新宿、西新宿 大久保町:東大久保、西大久保、百人町 戸塚町:戸塚、諏訪町;高田馬場、西早稲田 落合町:上落合、下落合、西落合 |
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歌舞伎町2丁目17−5 | 稲荷鬼王神社 | 9/18頃の日曜 | 神輿 | ||
日曜:14:00頃に神輿が宮出し、宮入りは19:30頃。 | |||||
宮神輿=昭和56年制作。作者不詳。台輪寸法2尺。鬼面が彫られている。また鬼面の若衆が暗闇の中を出迎えるのが特徴。 | |||||
歌舞伎町には、三つの氏子に分かれ、四季の路以北のゴールデン街エリアが花園神社。歌舞伎町二丁目が鬼王神社。そしてゴールデン街を除く歌舞伎町一丁目(歌舞伎町睦)が熊野神社になる。 | |||||
新宿5丁目17−3 | 花園神社 (公式HPへ) |
5/28頃の土日月 (隔年本祭) |
囃子屋台1台 | 島田ばやし | |
山車廃絶 | 昭和49年に群馬県渋川市熊野町に売却 | ||||
雷電神社 (花園神社相殿) |
神輿 | 氏子は8ヶ町 | |||
囃子屋台(山車)=花園神社顧問 島田米蔵氏が昭和60年3/3に100歳を迎えた記念として山車と山車庫を奉納。 | |||||
花園神社宮神輿=昭和55年5月吉日制作。浅草・田原町・岡田屋布施の作。台輪寸法3尺5寸。 雷電神社宮神輿=平成元年制作。南部屋五郎衛門の作。台輪寸法3尺5寸。 |
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神社地下倉庫⇒八ヶ町の神輿が保管。 花園町=行徳・浅子周慶の作。 新宿1丁目=大小神輿、曳太鼓。 新宿二丁目=大は行徳・浅子周慶の作。中は浅草・宮本重義の作。小神輿もあり。 新宿三丁目=大は岡田屋布施の作。小は浅草・宮本重義の作。曳太鼓もあり。 新宿四丁目=大小とも浅草・宮本重義の作。 番衆町共和会⇒現・新宿5丁目。 新宿園町⇒昭和6年遊園地跡の分譲地入居者により結成。 =大は浅草・宮本重義の作。中は南部屋五郎右衛門の作。小神輿は昭和32年制作。曳太鼓もあり。 四谷三光町=大小神輿、曳太鼓。 |
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新宿6丁目21−1 | 西向天神社 | 5/25頃の土日 (隔年本祭) |
山車廃絶 | ||
宮神輿 | 旧・東大久保村鎮守 | ||||
町神輿 | |||||
【山車廃絶】 『武江年表 巻之十』に「安政4年(1857) (中略) 当年は所々の祭礼に各車楽妓踊ねり物等を催して賑へり(大久保西向天神、谷中諏訪明神、牛御前、根津権現、白山権現、小石川氷川明神等なり。其の余猶有るべし」とある |
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宮神輿=江戸後期制作。作者不詳。明治初期に神田方面より購入と云われている。台輪寸法3尺2寸。 | |||||
東二(東大久保2丁目)=昭和4年制作。岡田屋布施の作。八ツ棟。台輪寸法2尺6寸。 余丁町=例年、自衛隊四谷駐屯地の隊員が参加。 富久町=大正期制作。台輪寸法2尺5寸。 |
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北新宿3丁目16−18 | 鎧神社 (公式HPへ) |
9/日祝(元・18) | 宮神輿 |
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神輿7睦 | 巴講睦、柏三仲睦、蜀山睦、柏三・一睦、柏睦、柏親睦、北四睦、淀橋市場 | ||||
山車廃絶 | 2本あった | ||||
『市中取締書留』には、「万延元年(1860)、山車2本(柏木淀橋町)」 とある」。 | |||||
巴講睦⇒旧・柏木2丁目。住宅表示では北新宿2丁目の一部。睦は明治41年(1908)誕生。 獅子頭は安政2年の作。 神輿3基。大は大正12年(1923)、神田田代町の多”し鉄の作。台輪寸法3尺7寸。 子供用の山車(曳太鼓)。 柏三仲睦⇒北新宿1丁目仲町会(町会とは別組織)。旧・柏木3丁目。住宅表示では北新宿1丁目の一部。 神輿は戦後の作。子供用の山車(曳太鼓)。 蜀山睦⇒北新宿1丁目(旧・柏木3丁目)の一部と北新宿2丁目(旧・柏木2丁目)の一部からなる。 大神輿は平成11年(1999)創建。小神輿は戦後町会設立時に購入。 柏三・一睦⇒北新宿1丁目(旧・柏木3丁目)の一部と西新宿7丁目(旧・柏木1丁目)の一部からなる。 大神輿は昭和36年制作。以前のは戦災で焼失。 中神輿・子供神輿は昭和26年制作。 かげまつりの年は子供神輿と子供用の山車(曳太鼓)のみ。 柏睦⇒北新宿3丁目(旧・柏木4丁目)の一部と北新宿7丁目(旧・柏木3丁目)の一部からなる。 神輿は大小。子供用の山車(曳太鼓)。戦前の神輿は戦災で焼失。 柏親(はくしん)睦⇒北新宿3丁目(旧・柏木4丁目)の一部。 神輿は大小。子供用の山車(曳太鼓)。 北四睦⇒北新宿4丁目(旧・柏木5丁目)。 大神輿は昭和28年制作。以前は手作り神輿。 神輿は大小。子供用の山車(曳太鼓)。 |
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淀橋市場神輿奉賛会⇒市場内に神輿庫あり、4年に1度の合同渡御の時にのみの参加。 =昭和30年9/15入魂式。行徳・後藤直光の作。台輪寸法3尺5寸。同時に獅子頭1対も新調。 市場山車は4年に1度の大祭毎にトラック仮装山車として登場。 |
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西新宿2丁目11−2 | 熊野神社 (十二社権現) (公式HPへ) |
9/21頃の日曜 (3年毎の本祭) |
神輿 | ||
町神輿13睦 | 角筈連合睦会、淀橋連合睦会 | ||||
一之宮神輿=昭和3年制作。浅草・宮本重義の作。台輪寸法3尺。昭和37、8年頃に淀橋と十二社の氏子の奉納。 二之宮神輿=平成9年、鎮座600年記念に奉納。 |
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■角筈連合 新宿通りのアルタ前に、新宿駅周辺の角筈連合5睦神輿が集合、出陣式、神輿渡御をする。 角一南部睦=詳細不詳。 角一東部睦=詳細不詳。 歌舞伎町睦⇒昭和23年4月以前は角筈北1丁目と称した。現在の歌舞伎町1丁目あたり。 =神輿 西新一睦⇒西新宿1丁目 =令和2年(2020)6月17日、新造清拭式。行徳・中台製作所の作。台輪寸法2尺5寸。 西口睦=詳細不詳。 |
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■淀橋連合 宮本睦=昭和3年の昭和天皇御大典に合わせ350円かけて神輿(大小)作る。 この神輿は昭和37、8年頃に奉納。 谷中睦=昭和5、6年頃に制作。 元淀睦=昭和9年制作。 柳橋睦⇒昭和10年代に設立。 西新宿⇒昭和10年代に設立。 欅橋睦⇒昭和20年代に宮本睦より独立。 独立時に子供神輿頂く。以前は樽神輿出していた。また子供用の山車(曳太鼓)、お囃子もかつてあった。 角三睦(角筈3丁目)=大正13年、行徳・後藤直光の作。台輪寸法3尺3寸5分。 十二社宮元睦⇒昭和10年代に設立。 |
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西新宿8丁目14−10 | 成子天神社 (公式HPへ) |
9/23、24 | 宮神輿 |
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町神輿3睦 | 木遣り、稚児行列 | ||||
氏子は西新宿6丁目1〜10番・7丁目1、2、8〜23番・8丁目(全域) | |||||
仲下(なかしも)睦⇒西新宿7丁目町会。住宅表示では西新宿7丁目と西新宿6丁目の一部(西部)。仲町睦+下町睦が合併して誕生。23日のみ神輿を担ぐ。 獅子頭は戦前の作。神輿は大中。子供用の山車(曳太鼓)。 成上(なるかみ)睦⇒西新宿8丁目町会。住宅表示では西新宿8丁目と西新宿6丁目の一部(中央部)。23日に神輿を担ぐが、24日が日曜の場合は24日のみ担ぐ。 大神輿は大正10年(1921)の作で本祭りの年。中神輿はかげまつりの年に担ぐ。 坂下神饌講⇒西新宿8丁目成子町会。住宅表示では西新宿8丁目と西新宿6丁目の一部(東部)。23日のみ神輿を担ぐ。 大神輿は本祭りの年。例年は太鼓、神輿(中小)が出る。 |
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西早稲田3丁目17−36 | 西早稲田天祖神社 | 9/1土日 (3年毎の本祭) |
宮神輿 | ||
町神輿 | 大人神輿、子供神輿 | ||||
氏子は旧・源兵衛村。その後は旧・戸塚町2丁目。氏子は高田馬場町会・西早稲田文化町会。 | |||||
宮神輿=大正11年制作。作者不詳。台輪寸法2尺6寸。延軒屋根。平屋台造り。 | |||||
高田馬場1丁目12−6 | 諏訪神社 (公式HPへ) |
8/27頃の日曜 (5年毎の本祭) |
神輿 | ||
里神楽 | |||||
宮神輿=明治6年制作。御門跡前栄久町・塩川法橋運玉の作。台輪寸法3尺5寸。 | |||||
上落合1丁目26−19 | 月見岡八幡神社 | 1/13 | 備射祭 | 旧・上落合村鎮守 | |
9/1土日 | 神輿 | 東部睦会、中央睦会、三丁目睦会 | |||
子供神輿、曳太鼓 | |||||
土曜:13:00〜子供神輿・山車(曳太鼓)巡幸、18:00〜大人神輿巡幸。 日曜:13:30〜子供神輿・山車(曳太鼓)巡幸、15:30〜大人神輿巡幸(連合宮入渡御)。 |
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東部睦会=戦前は3つの町会があったらしい。現・上落合1丁目と2丁目半分ほど。 神輿(大1、小3)、曳太鼓。 中央睦会=戦前は栗原親和会と称した。上落合2丁目の半分と山手通りを挟み、3丁目の落合第五小学校、最勝寺横の道まで。 子供神輿、曳太鼓。 三丁目睦会=上落合中央町会との境より上落合3丁目全体。 神輿(大小)。 |
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下落合2丁目7−14 | 氷川神社 (公式HPへ) |
9/2日曜 | 神輿4睦 | 旧・下落合村鎮守。宮元、東、元二、元三 | |
例祭日は以前は10/3〜5⇒9/9、10(昭和10年頃に変更)⇒9/2土日。 | |||||
宮元睦=知久会と高田馬場住宅町会より成る。 東睦=東町会。 元二睦=下落合4丁目と中落合2丁目。 元三睦=中落合2丁目の一部とやよい会。 |
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中井2丁目29−16 | 中井御霊神社 | 1/13 | 備射祭 | 旧・落合村小名中井鎮守 | |
9/最終土日 | 宮神輿 |
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神輿4睦(大小) | 宮元睦、辻睦、若葉睦、中井睦 | ||||
曳太鼓 | |||||
土曜:13:00〜15:00 子供神輿、曳太鼓 日曜・9:30〜10:45 曳太鼓。11:30〜17:00 子供神輿。11:30〜19:00 大人神輿。 |
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氏地は中落合1丁目、〃4丁目、中井1丁目、〃2丁目。 睦会は宮元睦、辻睦、若葉睦、中井睦。 |
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西落合2丁目17−17 | 葛ヶ谷御霊神社 | 9/1日曜(本祭は隔年。西暦奇数年元・24) | 神輿 | 氏子は1ヶ町 | |
神楽 | 萩原社中 | ||||
宮神輿=昭和11年創建。作者不詳。台輪寸法2尺6寸。唐破風軒屋根。 大正期は東町、共栄会、町民会の三町会がそれぞれ樽みこしを出して自町内を廻った。 やがて一本化して小型神輿を造り、この神輿は(練馬区西大泉?)の堤稲荷神社へ譲り、現在の神輿に至る。 |
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※新宿区の神輿は131基と聞く。 |