富 山 県


       富山市=旧・上新川郡大沢野町、大山町+婦負郡八尾町、婦中町、山田村、細入村

住所  神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪富山市≫ 
  平成17年(2005)4/1、富山市+上新川郡大沢野町、大山町+婦負郡八尾町、婦中町、山田村、細入村が合併

 ◎旧・上新川郡大沢野町
 ■大沢野地区
   ⇒笹津、牛ヶ増長附(ながつき)、八木山(やきやま)、稲代(いなしろ)、上大久保
笹津599 笹津神社 4/2日曜(元・15) 獅子舞
長附111 神明宮 4/1日曜(元・3) 獅子舞
八木山493 稲荷神社 4/1日曜(元・3) 獅子舞
稲代157 住吉社 4/1日曜(元・3) 獅子舞
昭和初期に小羽より伝授。春祭り(4/3)と秋祭り(10/30)に獅子舞を奉納したが、現在は2年毎に4/1日曜に奉納。
上大久保 天満宮 4/10前の日曜 獅子舞 5・6区
 ■黒瀬谷地区
   ⇒須原(すわら)、葛原(つづはら)、長川原(なんかわら)、小羽(こば)、下伏(げぶぜ)、土(ど)、根上(ねのうえ)
須原1451 八幡宮 4/2土曜 獅子舞 慶応3年、西笹津より伝授
葛原534 八幡宮 獅子舞休止中
長川原306 八幡宮
小羽 八幡宮 獅子舞休止中
下伏585 粟島社 獅子舞休止中
土1459 八幡宮
根上50 熊野社
 ■大久保地区
   ⇒下大久保、中大久保、東大久保、塩、神通、合田
 【高砂願念坊祭り】
天正6年(1578)、織田信長が石山本願寺 (現在の大阪城)を攻めた時に越中の僧俗たちが、石山を助けに行ったところ、当時の天皇の命令により和解となったので、平和到来を喜んで、僧俗が踊ったのが起こ りといわれ、この願念坊踊りと曳山からなる。
 午前9時に巫女や菖蒲の衣装、法被に身を包んだ児童40人が下大久保八幡宮を出発。この時に若者達によって曳かれる曳山(高砂山)を伴い、上大久保天満宮に向かう。
下大久保と上大久保の境界では上大久保獅子舞保存会による迎え獅子が行われ、その後上大久保天満宮近隣まで笛や太鼓を鳴らしながら曳山と児童達を先導し、10:30頃に到着する。
夜になると曳山は提灯山となり、踊りも各所で踊られ、21時頃にに八幡宮へ戻る。
 なお校区内17ヶ所で児童は踊りを披露。
高砂山⇒収蔵庫は八幡宮前。昭和50年新築。
=安永年間(1775)頃八尾町今町建造。文久2年(1862)現・曳山建造につき寺町の治郎八という古物商の手に渡り、それを大久保町の高瀬仁左衛門が買い取り、大久保町に売り渡したと伝えられる。
高さ5.85m。長さ約4.61m。一階部分2.36m。幅・屋根部分3m。一階部分1.9m。の二層構造屋台形式の彫刻山。
依代は「高砂」。今町時代は「天神様」。
昭和51年(1976)修復。
 曳行は昭和15年には行われたが、戦争が始まり休止。戦後昭和27年曳きだすが、損傷が激しく再び休止。修理が始まり、昭和50年、収蔵庫が新築。翌51年の10月10日の秋祭りに復活。以後は春祭りで曳かれる。
下大久保3138 八幡社 4/2日曜 曳山1台
10/10 秋祭り
中大久保231 神明宮 4/12 獅子舞休止中
東大久保268 八幡宮 4/12 獅子舞休止中
塩690 多久比礼志神社 4/12 獅子舞休止中 旧・郷社。塩宮とも言う。
神通22 神明宮
 ■下タ(した)地区
   ⇒町長(まちなが)、牛ヶ増(うしがませ)、芦生(あしゅう)、今生津(いもづ)、布尻(ぬのしり)、寺津、吉野、伏木、小糸、舟渡、東猪谷
   無人化=薄波(うすなみ)、太田薄波(おおたうすなみ)
   ※合併後、猪谷は東猪谷に改称
町長1528−2 町長神社 4/15頃の土曜 獅子舞 小羽より伝授。令和6年、12年ぶりに復活。
牛ヶ増22−1 白旗神社 4/15 獅子舞休止中 昭和42年が最後
芦生520−1 八幡宮 4/25 獅子舞休止中 昭和35年が最後
今生津28 今生津神社
布尻867 布尻神社 4/19 獅子舞休止中 平成11年、不動尊の堂改築祝いが最後
寺津419 神明社 4/16 獅子舞休止中 昭和51年、庵発電所竣工式の上演が最後
吉野375 蔵王社 4/9&10/9 獅子舞休止中 布尻より伝授
伏木856 神明社 4/8&10/8 神輿 昭和24年の御遷座祭に合わせ購入
獅子舞休止中
小糸885 八坂神社 4/7 獅子舞休止中
10/8 湯釜神事
舟渡822 素盞鳴社 4/6&10/6 獅子舞休止中 獅子頭の箱に明治25年の年記と10人の氏名あり
東猪谷1627 素盞鳴社 4/1土曜(元・5) 神輿 昭和38年(1963)新調
獅子舞休止中 飛騨より伝授
10/6 湯釜神事
 【消滅集落】
薄波(うすなみ)=『村の記憶』によると、無人化は昭和49年。3戸あったとされる。角川では8戸。
神社は稲荷社。


太田薄波(おおたうすなみ)=『村の記憶』によると、無人化は昭和49年。10戸(一般5世帯、社宅5世帯)あったとされるが発電所の無人化に伴い転勤。角川では7戸で昭和42年の移住で無人化。
神社は白山社。獅子舞は昭和24年の上演が最後。
 ■船峅(ふなくら)地区
   ⇒舟倉(ふなくら)、直坂(すぐさか)、横樋(よこどい)、大野、野田、二松(ふたまつ)、万願寺、塩野、小黒(おぐろ)
舟倉2360 姉倉姫神社 舟倉は寺池、市場、坂本の総称
直坂303 級長戸辺神社
横樋14 諏訪社 獅子舞休止中
大野89 神明社 4/15 獅子舞
野田261 神明社
二松533 神明社
万願寺19 日枝社
塩野285 神明社
小黒571 神明社
※『富山県の獅子舞芸能と祭礼 −獅子の芸能と行事の現状−』(平成18年発行)によると、旧・大沢野町の獅子舞は全部で30地区。内訳は春10地区、夏0地区、秋0地区、冬0地区、休止中20地区となっている。また『大沢野町史』(平成17年発行)にも詳しい。

 ◎旧・上新川郡大山町
 ■大山(おおやま)地区
   ⇒岡田、東文殊寺、東小俣、西小俣、新町、松木、牧、才覚地、中地山、和田、小見(おみ)、本宮、亀谷(かめがい)、原、水須(みずす)
   無人化=安蔵(あんぞう)、隠土(おんど)、河内(かわち)、小原(おはら)、赤倉(あかくら)、長瀬(ながせ)、有峰(ありみね)、手出(ていで)
岡田789 刀尾社 獅子舞休止中
東小俣327 刀尾社
西小俣724 新明社
松木1032 雄山神社 氏地は松木、牧
才覚地306 八幡宮
和田149 新明社
小見573 白山社
本宮1028 立蔵神社
亀谷682 新明社
原10 新明社
水須100 山神社
 【消滅集落】
安蔵(あんぞう)=
『村の記憶』によると、無人化は昭和37年。9戸あったとされる。神社は白山神社(安蔵309)。

隠土(おんど)=『村の記憶』によると、無人化は昭和37年。5戸あったとされる。神社は日枝神社(隠土179)。

河内(かわち)『村の記憶』によると、無人化は昭和37年。12戸あったとされる。神社は八幡神社。

小原(おはら=『村の記憶』によると、無人化は昭和43年。18戸あったとされる。神社は石動社(小原809)。

千野谷鉱山(せんのたにこうざん)=鉱山集落。小原の南部。無人化は昭和42年。黒鉛を採掘。昭和30年の最盛期には69戸あったとされる。

赤倉(あかくら)=『村の記憶』によると、無人化は昭和47年。8戸あったとされる。神社は刀尾神社(赤倉180)。

長瀬(ながせ)=無人。
 【有峰ダム(有峰湖)】
昭和31年(1956)着工。昭和35年(1960)竣工。
有峰=12戸。大正9年県営ダム建設のため、県有地として全域が買い上げられた。
 【熊野川ダム(熊野川ダム湖)】
昭和45年(1970)着工。昭和59年(1984)竣工。
手出(ていで)=無人化は昭和50年。元は5戸あったが、ダム建設の話があった時はすでに1戸。
 ■上滝(かみだき)地区
   ⇒上滝(かみだき)、中滝(なかだき)、三室荒屋
上滝48 滝社 氏地は上滝、北新町、中番(新栄町)、三室荒屋(新栄町)
中滝50 熊野社
 ■大庄(おおしょう)地区
   ⇒田畠、善名(ぜんな)、下番(しものばん)、上馬瀬口、下東荒屋、上大浦、中大浦、下大浦、西文殊寺、花崎、小原屋、桑原
田畠60 田畠神社 獅子舞休止中
善名634 新明社
下番360 神明社 獅子舞休止中
馬瀬口305 天満社
大浦41 大浦神社 獅子舞休止中(中) 氏地は上大浦、中大浦、下大浦
花崎209 花咲神社
桑原108 新明社
 ■福沢地区
   ⇒東福沢、小佐波、牧野、東黒牧、布目、楜ヶ原(くるみがはら)、砂見(すなみ)、瀬戸、大清水、小坂、折谷、下双嶺、石淵、馬瀬、日尾
   無人化⇒長棟、奥山、砂見(すなみ)、千長原(せんながはら)、小谷(おたに)、大双嶺(おおそーれ)
東福沢1679 新明社
東黒牧885−3 貴布祢社
楜ヶ原688 刀尾神社
日尾1171−1 熊野神社 3/30 獅子舞
 【消滅集落】
長棟(ながと)
=『村の記憶』では昭和10年を無人化としている。
鉛山が発見以前は農家が3戸、鉛山発見され、最盛期正保の頃までの20年間は家数300軒、山小屋800軒と言われた。
鉛価格の低迷で生産額は減少し、多くの者が離散した。角川によると、明治20年32戸。大正3年の洪水で戸数15戸となり、同15年10戸、昭和5年10戸56人。


奥山(おくのやま)=『村の記憶』では昭和32年を無人化である。角川によると、明治9年14戸。明治30年頃8戸。大正中期3戸。昭和5年3戸23人。神社は熊野神社(奥山2)。

砂見(すなみ)=昭和5年、9戸55人。昭和50年、4戸12人。神社は神明社。

千長原(せんながはら)=『村の記憶』では昭和48年に無人化、廃村は50年。昭和初期の戸数は8戸。

小谷(おたに)=『村の記憶』では昭和50年廃村。また昭和60年全戸転出とも。集落の草分けは長瀬より享保2年(1717)に山を越えて永住するようになったと伝わる。
昭和25年頃までは21戸。昭和35年15戸。
神社は八幡宮(小谷544)で今も4/初旬&10/中旬に例祭を行う。

大双嶺(おおそーれ)=字地の荒屋敷に神明社(大双嶺3−1)がある。平成27年、1人1世帯。
※『富山県の獅子舞芸能と祭礼 −獅子の芸能と行事の現状−』(平成18年発行)によると、旧・大山町の獅子舞は全部で8地区。内訳は春1地区、夏0地区、秋1地区、冬0地区、休止中6地区となっている。
 ◎旧・婦負郡八尾町
 ■八尾地区
下新町1422 八尾八幡社 5/3 神輿
曳山6台 上新町、今町、西町、諏訪町、下新町、東町
獅子舞 鏡町
氏地は旧・八尾町の今町、上新町、西町、諏訪町、下新町、東町、鏡町、東新町、西新町。
八尾の曳山は寛保元年(1741)、産神上皇太子社(八幡社の前身)の社殿修理の年に、上新町が花山に人形と素人芝居役者を乗せたのが始まり。
例祭日は旧暦3/16⇒4/20⇒5/5⇒5/3と変遷した。
神輿=文化10年(1813)制作。昭和40年代までは担がれており、担ぐ人は小長谷の人に限られていた。
上新町(かみしんまち)=2012年、379人。
=安永7年(1778)、棟覆山に造り替える。
 御神像(人形)は富山城で前田家の雛人形として飾られていたが、元禄3年(1690)上新町の町建てに際し信濃屋喜右衛門なる人が、富山藩主から拝領したものとされている。
富山藩大仏師治郎平衛の作。
 彫物は大彫(樊カイの鴻門破りの図)及び金鶏障は天保7年(1836)、番匠屋田村七蔵(井波)の作。彩色は永信斎藤原良得。
 天保14年(1843)、八枚彫は金剛寺屋岩倉理八(田村七蔵の実弟)の作。彩色は永信斎藤原良得。
 嘉永2年(1849)、小脇彫は岩倉理八(井波)の作。
 明治7年(1874)、前記の大彫を諏訪町へ譲与。番匠屋十三代与八郎(井波)が新造(関羽の図)。
 明治20年(1887)、屋根上大鳳凰は当町人山中屋(翠田)彦七郎の作。
 大正6年(1917)、従来の内車を外車に取り替える。
 金具類は弘化5年(1848)、文久元年(1861)に喜兵衛(高岡・一番町)の作。

  寛保元年(1741)、曳山創建。これは「上新町曳山過去帳」による。
今町(いままち)=2012年、人口105人。
=文久2年(1862)曳山新調。
 御神像(人形)は「天神様」。人形装束箱に京都の又右衛門の作とある。
 慶応2年(1866)、曳山全体を塗箔。塗師は神通屋権右衛門、山田屋太四郎。また大彫が新調、寄進された。岩倉理八の作で、彩色は城端治五右衛門。
 慶応3年(1867)から明治7年までに金鶏障、八枚彫、小脇彫ができあがる。彫師は井波町番匠屋与八郎、谷屋橘蔵の作で、彩色は城端治五右衛門。
 金具類は明治4年以降に随時制作。
  安永4年(1775)創建。新調に伴い大沢野町の高砂願念坊祭りの高砂山として曳かれている。
西町(にしまち)=2012年、340人。
=明和8年(1771)、八つ棟山に造り替え、城端・西上町の曳山人形(城端治五右衛門作)を譲り受けて、曳山人形とした。
 彫刻は金鶴障、高欄の牡丹は番匠屋田村与八郎(井波)の作。彩色は湯本椿谷。八枚彫は番匠屋田村与八郎(井波)の作。彩色は成田五郎。
 大彫、小脇彫は明治6〜7年に、番匠屋田村与八郎の作。富山の木村立嶽(周常)に当町人の冨士原椿斉(三平)の補作。
 屋根の鯱鉾は奥村佐七(井波)の作。塗師は当町人の平井兵次郎。
 金具は冨士井勇蔵(放生津町)の作。二階下定規柱の金具は高岡宮野友右衛門、下高欄の金具は五十里仁七郎(高岡)、二階柱の金具は祖川仁作(高岡)の作。
 明治26年(1983)、内車から外車に改める。金具は山内吉平(高岡)の作。
 
平成27年(2015)土台新調。翌28年漆塗りして完了。高山祭屋台保存技術協同組合の手による。そこで同年4月24日、西町コミュニティセンターで祈願祭を行った。以前の土台は1863年に作られた。
 7月には梶棒も完成。
  延享3年(1746)3/16の例祭に花山創建。三途河婆(しょうづがばば)の人形を飾って町内を曳き回したのが始まりと云われる。
諏訪町(すわまち)=2012年、236人。
=明治2年(1869)3月、曳山創建。形式は踊り子山で、ダンマル囃子を奏し、人形も粗雑な立物であった。
 大彫は上新町が明治7年に新調したので、譲り受けた。
 明治15年(1882)、上新町住人の人形師、翠田彦七郎(山中屋貴山)が「神功皇后・武内宿禰」の像を刻んで寄付し、現在も用いている。
 同年金鶏障は番匠屋田村与八郎(井波町)の作。彩色は南部吉蔵(井波町)。
 明治18年(1885)、八枚彫の彫師・彩色は金鶏障と同じ。
 明治20年(1887)、小脇彫は松永正行(井波町)の作。彩色は南部吉蔵(井波)。
 金具類は大正9〜15年に高岡の金刺治助、山内吉平、中村松次郎の作。

  明和7年(1770)、上皇太子社祭礼に余興として獅子舞を出し、その後明治12年まで続けられる。曳山と獅子舞の両方するのは反対の声があがったので、明治13年(1880)3月に獅子舞を鏡町に譲る。
下新町(したしんまち)=2012年、311人。
明治16年(1883)制作。大工は四代冨士原三平。
 曳山の屋根は石黒亀太郎の作。塗師は松村松次郎、松村与三吉。
 御神像(人形)は「大黒天」。渓久平(井波町)の作。大正10年までは「楠公子別れ櫻井の駅」。大正13年に「大黒天」に変更。さらに昭和に入り新作へ。
 彫物は明治23年(1890)、大彫は井波町奥村佐七の作、彩色は西町の冨士原椿斉(湯本椿谷の弟子、大工三平)。
 明治25年(1892)、金鶏障(神武天皇東征の図)は井波町松永正行の作。彩色は本保兵太郎(高岡市)。また同年に八枚彫を奥村佐七(井波町)の作。彩色は西町の冨士原椿斉。
 明治27年(1894)、小脇彫は奥村佐七(井波町)の作。彩色は下新町の松村松次郎。
 大正3年(1914)8/13、井田川の洪水で金鶏障が流出した。これは後に一部が拾われて本法寺が所有。
 大正4年(1915)、金鶏障を新調。番匠屋田村与八郎(井波町)の作。彩色は本保兵太郎(高岡市)。
 大正10年(1921)、外車新調。西町冨士原三平、藤井梅太郎の作。塗師は井波小三郎。
東町(ひがしまち)=2012年、271人。
=安永元年(1772)3月、曳山新調。
 人形は延享2年(1745)、生糸商人松居屋八兵衛が、「深草少将・小野小町」の人形(京都人形屋小兵衛の作)を寄付したので、取り替える。
最初の人形は寛保2年(1742)「東町、神功皇后の人形と踊り子をのせ屋台を出す」と書き残されているので、3年しか飾られていない。
 彫物は番匠屋9代北村七左衛門(号は田村貞国)が多い。
高欄上の毛彫りの猿2偶は、昭和9年4月、横江嘉純(当町出身、日展作家)の作。
 大正6年、小脇彫、組物を浅井広信により彩色し直す。
 上重彫物及び上重唐破風・鬼瓦は金剛寺屋岩倉理八の作で、また上重唐破風には当町人の湯本椿谷が彩色。
 漆塗りは文化年間の井波ぬしや吉蔵の遺品をはじめ、文久年間の吉邑太平の作が多い。
 金具:文化3年(1806)高岡長八や、明治17年(1884)高岡の祖川仁作、金刺治助の作。

  創建は寛保2年(1742)3月。「東町、神功皇后の人形と踊り子をのせ屋台を出す」と書き残されている。
鏡町=明治13年(1880)3月、諏訪町獅子舞を、以前に諏訪町に居住していた杉山佐七、中山栄次郎、作井勘四郎等の斡旋によって譲り受け、御神輿の先頭に供奉する。
天満町6774 天満宮 4/20 例祭 2012年、214人。
 ■卯花(うのはな)地区
   ⇒掛畑(かけばた)、上笹原(かみささはら)、上黒瀬、桐谷(きりだん)、小井波、茗ヶ原(みょうがはら)、角間
   無人化=小原、滝脇(たきのわき)
掛畑1670 八幡社 4/6 例祭
上笹原494 神明社 4/5 例祭 氏地は旧・清水(しょうず)
上笹原1716 日枝社 氏地は旧・平等(だいら)・古宿
上笹原3742 天満宮 4/5 例祭 氏地は旧・中根
上黒瀬396 八幡宮 4/6 例祭
桐谷848 八幡宮 4/9 例祭
小井波1709 八幡宮 4/17 例祭
茗ヶ原1524 八幡宮 4/18 例祭
角間532 八幡社 4/4 例祭
 【消滅集落】
小原(おはら)
=角川によると、慶応4年、7戸33人。昭和50年1戸3人。神社は八幡宮(小原335)。例祭日は4/5。

滝脇(たきのわき)=角川によると、慶応4年、6戸24人。昭和5年、6戸49人。昭和50年3戸12人。神社は八幡宮(小原335)。例祭日は4/5。
 ■杉原地区
   ⇒黒田、薄島、西神通、中神通、野飼、城生(じょうの)、井栗谷(いくりだん)、深谷(ふかだん)、丸山、大杉、滅鬼(めっき)、寺家、井田新(いだしん)、杉田
黒田3928 杉原神社公式HPへ 4/17 獅子舞
薄島1041 八幡社 4/9 獅子舞
西神通2225 西神通八幡社 4/1 例祭
中神通348 中神通八幡社 4/1 例祭
野飼394 八幡宮 4/3 例祭
城生1798 城生八幡宮 4/3 獅子舞 城生城主の守護神として奉斎されたが、落城の後産土神として奉祀したと伝えられている。
井栗谷1829 貴船社 4/2 例祭
深谷4002 八幡宮 4/2 獅子舞 氏地は深谷、下深谷
深谷9958 神明宮 4/2 例祭 氏地は長山
丸山515 八幡宮 4/3 例祭
大杉3491 八幡宮 4/10 例祭
滅鬼1596 神明社 4/3 例祭
井田58−1 白山社 4/17 獅子舞 井田新
杉田2833 神明社 4/3 例祭
 ■室牧(むろまき)地区
   ⇒中、高熊、高橋、坂ノ下、高尾、和山、峯(むね)、須郷(すごう)、野須郷(のすご)、上野(うわの)、細滝、上ノ茗(うえのみょう)、下ノ茗、竹ノ内(たけのうち)、宮ヶ島(みやがしま)、尾久(おぎゅう)、窪、柚木(ゆのき)、天池、追分、高瀬、足谷(あしたん)
無人化=柴橋、北袋、大道
中456 中神明社 4/2 例祭
高熊34 八坂社 4/9 獅子舞 落合または打合と呼ばれる地区と元村と呼ばれる地区がある。
高熊133 神明社 4/14 例祭
高橋150 八幡宮 4/2 例祭
坂ノ下762 熊野社 4/2 例祭 坂ノ下+高尾合わせて坂尾と呼ばれる
和山160 神明社 4/2 例祭
峯645 牛嶽神社 4/2 例祭 民家3軒
須郷1 神明社 4/2 例祭
野須郷128 貴船社 4/2 例祭
上野270 上野牛嶽神社 4/2 例祭
細滝124 細滝牛嶽社 4/2 例祭
上ノ茗773 神明社 4/2 例祭
下ノ茗823 八幡社 4/2 例祭
竹ノ内26 春日社 4/2 例祭
宮ヶ島229 熊野社 4/2 例祭
尾久232 八幡宮 4/2 例祭
窪505 八幡宮 4/2 例祭
柚木665 神明宮 4/2 例祭
天池746 神明宮 4/2 例祭
高瀬551 八幡宮 氏地は高瀬、追分
足谷449 八幡社 4/2 例祭
 【消滅集落】
柴橋(しばはし無人。1戸。神社は神明社。例祭日は4/2。

北袋(きたぶくろ)=無人。4戸あった。神社は白鬚社(北袋347)。例祭日は4/2。


大道(おおどう)=『村の記憶』によると、無人化は昭和42年。角川では昭和53年。慶応4年、5戸29人。昭和4年4戸26人。神社は鎌塚社(大道66)。例祭日は4/2。
 ■保内(やすうち)地区
   ⇒上高善寺、下高善寺、妙川寺(みょうせんじ)、水谷、奥田、百山、高日附山、平林(ひらばやし)、新山、三田(みた)、千坊寺、奥田、翠尾(みすお)、田中、館本郷(たちほんごう)、福島、石戸
上高善寺611 神明社 4/10 例祭
妙川寺100 八幡社 4/11 例祭
水谷1266 神明宮 4/10 例祭 氏地は水谷、望岳台
奥田1702 八幡宮 4/10 例祭
平林670 神明宮 4/8 例祭
三田1894 白鳥神社 4/10 獅子舞 旧・郷社。平成22年(2010)255人、66世帯。
奥田1702 八幡宮 4/10 例祭
翠尾268 日枝社 4/10 例祭
田中1066 神明宮 4/10 例祭
館本郷3747 諏訪社 4/10 例祭 旧・館の社
館本郷1948 八幡社 4/10 例祭 旧・本郷の社
福島845 福島蔵王社 4/10 獅子舞 昭和27年の御遷宮の祝いとして始まる
石戸1761 八坂社 4/10 例祭
 ■黒瀬谷(くろせだに)地区
   ⇒小長谷(こながたん)、小長谷新(こながたにしん)、村杉、樫尾、岩屋、宮腰(みやのこし)、上谷、外面谷、北谷(きただん)、東坂下(さこげ)
小長谷1564 神明社 4/4 獅子舞
小長谷新2367 八幡宮 4/4 例祭
村杉34 八幡宮 4/4 例祭
樫尾1826 八幡宮 4/4 獅子舞休止中
岩屋634 八幡宮 4/4 獅子舞
宮腰771 八幡宮 4/6 獅子舞休止中
北谷194 熊野社 4/12 獅子舞休止中
東坂下342 熊野神社 4/12 例祭
 ■大長谷(おおながたに)地区
   ⇒花房、清水(しょうず)、島地、栃折(とちおり)、上中山、上牧、下島地、中島地、内名(うちみょう)、水無(みずなし)、西ヶ原(にしがはら)、高野(たかの)、田頭(たのかしら)、南新屋、東原(ひがしはら)、庵谷(いおりだに)、滝谷
無人化=杉平(すがたいら)、越後谷、切詰(きりづめ)、横平(よこひら)、薄尾(すすきお)、栗須(くりす)、二ツ屋(ふたつや)、夏前(なつまえ)、安沢(やすたに)、専沢(せんのざわ)
中島342 八幡社 4/17 例祭 氏地は清水、上牧、島地、花房
栃折2429 八幡社 4/25 例祭
中山317 八幡社 4/14 例祭
内名167 八幡社 4/14 例祭
西ヶ原196 八幡社 4/29 例祭
庵谷356 八幡社 4/16 例祭
 【消滅集落】
杉平(すがたいら)=切詰村の枝村。角川によると慶応4年、6戸28人。昭和5年、6戸49人。

越後谷=
『村の記憶』によると、無人化は昭和48年11月。角川によると昭和50年。慶応4年、5戸29人。昭和5年、5戸38人。

切詰(きりづめ)=昭和40年代〜50年代初期に無人化。慶応4年、2戸13人。昭和5年4戸11人。

横平(よこひら)=『村の記憶』によると、無人化は昭和48年3月。慶応4年、2戸11人。昭和5年1戸4人。

薄尾(すすきお)=角川によると昭和5年、4戸21人。昭和50年2戸5人。
 神社は八幡社(薄尾1)。例祭日は4/18。

栗栖(くりす)角川によると昭和5年、8戸56人。昭和50年2戸4人。
 神社は神明社(栗栖325)。例祭日は4/26。

二ツ屋(ふたつや)=『村の記憶』によると、昭和51年4月無人化。慶応4年、4戸27人。昭和5年4戸26人。

夏前(なつまえ)=角川によると昭和5年、1戸9人。昭和53年無人化。

安沢(やすたに)=旧称は安谷沢。『村の記憶』によると、昭和49年無人化。ただし角川は昭和53年。慶応4年、8戸44人。昭和5年9戸50人。
 神社は稲荷神社。富山市の稲荷神社本社に合祀。

専沢(せんのざわ)=角川によると昭和53年無人化。慶応4年、2戸16人。昭和5年3戸21人。
 ■仁歩(にんぶ)地区
   ⇒上仁歩(かみにんぶ)、中仁歩、下仁歩、三ツ松、入谷(いりたに)、大下(おおしも)、鼠谷(よめだに)、平沢、倉ケ谷、正間(まさま)、大玉生(おおだもう)、小畑、武道原(ぶどうばら)、草連坂
無人化=尾畑、吉友、土玉生、茗ヶ島、小谷、山中
中仁歩299 八幡宮 4/2 獅子舞 氏地は上仁歩、中仁歩
下仁歩1443 神明宮 4/2 例祭
三ツ松522 三ツ松八幡社 4/9 例祭
大下377 八坂社 4/2 例祭
平沢388 八幡宮 4/1 獅子舞
正間70 八幡宮 4/21 例祭
大玉生306 八幡社 4/4 獅子舞休止中
武道原618 春日社 4/3 例祭
 【消滅集落】
尾畑(おばた)
=平成22年(2010)人口0、世帯数0。

 神社は八幡社。例祭日は4/14。

吉友(よしとも)=『村の記憶』によると、無人化は昭和46年12月。角川によると、慶応4年、14戸76人。昭和5年、13戸64人。昭和50年1戸3人。
 神社は八幡社(吉友386)。例祭日は4/14。
 【室牧ダム(室牧ダム湖)】
昭和31年(1956)着工。昭和36年(1961)竣工。
水没移転戸数28戸。準水没移転戸数26戸。神社4社。文教場1。橋梁4.電柱27本。

土玉生(どだも)=18戸全てが水没。離村時は18戸111人。
 神社は牛嶽神社。


茗ヶ島(みょうがしま)=『続八尾町史』によると、16戸のうち9戸が水没。他の7戸も耕地の大半を失い、生活基盤が失われるので転出を余儀なくされる。
角川によると、慶応4年、8戸48人。昭和5年、16戸87人。
離村時16戸89人。
 神社は神明社(茗ヶ島757)。例祭日は8/15。

小谷(こだに)=水没は1戸のみだが、ダム湖により交通が遮断。集落跡には解村記念碑もあるという。『仁歩郷土誌』によると、無人化は昭和36年、かつて18戸あり。角川によると、慶応4年、10戸64人。昭和5年、17戸115人。
 神社は牛嶽社。例祭日は4/21。

山中=ダム湖により土玉生への交通が遮断のため離村。
『村の記憶』によると、無人化は昭和35年で2戸転出。角川によると、慶応4年、2戸13人。昭和5年、2戸14人。
 ■野積(のづみ)地区
   ⇒八十島(やとじま)、宮ノ下、水口(みなくち)、上ケ島、道畑(どばたけ)、東葛坂(ひがしくみさか)、油(あぶら)、西葛坂、上田池(かみたいけ)、下田池、乗嶺、下乗嶺、高嶺、新名(しんみょう)、青根、岩島(いわしま)、川住、東川倉、西川倉、下牧、布谷(のんたん)、東布谷、赤石、東松瀬(ひがしまつぜ)、西松瀬、桐谷(きりだん)、桂原:猟師ヶ原、谷折
八十島852 天神社 4/7 例祭
宮ノ下423 神明社 4/18 獅子舞休止中 氏地は宮ノ下、水口、上ケ島、道畑
東葛坂614 神明社 例祭
西葛坂510 八幡社
田池75 天満宮 氏地は上田池、下田池
乗嶺252 紫野七神社 3/30 獅子舞休止中 氏地は乗嶺、新名
高嶺253 八坂社
青根2500 八幡社 4/20 獅子舞
岩島2500 八幡社 4/8 例祭
川住340 天神之社 4/13 例祭
東川倉772 八幡社 4/4 例祭
西川倉396 神明宮 3/30 獅子舞休止中
下牧184 諏訪社 4/10 例祭
布谷1242 紫野社 4/24 獅子舞休止中
東布谷978 熊野社 4/1 獅子舞休止中
赤石690 貴船社 4/17 獅子舞休止中
東松瀬174 神明社 4/9 獅子舞休止中
西松瀬501 八幡社 4/9 例祭
桐谷848 八幡宮 平成22年(2010)48人、22世帯。
桂原463 八坂社 4/16 獅子舞休止中
 【消滅集落】
猟師ヶ原(りょうしがはら)=『村の記憶』によると、廃村時期を昭和50年としている。角川によると、慶応4年、2戸16人。昭和5年3戸、21人。
神社は熊野神社(猟師ヶ原105)。例祭日は4/16。

谷折(たにおり)=夏場は1戸、1人が住むが冬季は無人となる。角川によると、昭和5年、6戸43人。昭和50年、2戸4人。
神社は住吉社(谷折216)。例祭日は4/23。
※『富山県の獅子舞芸能と祭礼 −獅子の芸能と行事の現状−』(平成18年発行)によると、旧・八尾町の獅子舞は全部で55地区。内訳は春27地区、夏0地区、秋0地区、冬0地区、休止中28地区となっている。

 ◎旧・婦負郡婦中町
 ■速星(はやほし)地区
   ⇒御門、坪野、笹倉、砂子田、麦島(むぎじま)、海川原、増田(ました)
速星793 速星神社 4/17 子供みこし 氏地は御門、速星1、3、4区。旧・郷社
獅子舞 速星1区
坪野991 坪野神明社 4/17 獅子舞休止中
8/23 稚児舞
10/3日曜 神輿 氏地は坪野、海川原(現・速星)
笹倉1074 笹倉神社
砂子田720−1 神明社 獅子舞休止中
麦島466 諏訪社
増田42 稲荷社
 ■鵜坂地区
   ⇒鵜坂、上田島、田島、宮ヶ島、分田(ぶんでん)、上轡田(かみくつわだ)、下轡田、西本郷、下坂倉、塚原(つかはら)
鵜坂212 鵜坂神社 4/29 子供神輿多数 氏地は鵜坂、上田島、田島、宮ヶ島、上轡田、西本郷、下坂倉
獅子舞
分田 鵜坂神社 獅子舞休止中
下轡田600 八幡社 4/2土曜 獅子舞
 ■朝日地区
   ⇒下條(げじょう)、安田(やすた)、友坂、小泉
下條349 神明社 4/2土曜 獅子舞 上下條、下下條の2組
安田429 八幡社 4/2土曜 獅子舞
友坂5404 熊野神社 4/2土曜 獅子舞 上友坂、下友坂の2組
小泉463 八幡社 獅子舞休止中
 ■熊野地区
   ⇒中名、上井沢、道場、持田(もちでん)、萩島、為成新(ためなりしん)、十五丁、堀、清水島(しみずしま)、道喜島(どうきじま)、青島、蔵島(ぞうじま)、添島、袋、上新屋
中名851 熊野神社 4/3土曜 獅子舞
上井沢1553 八幡宮 4/13 獅子舞
道場126 神明社 4/3土曜 獅子舞
持田371 神明社 4/3土曜 獅子舞 氏地は持田、ねむの木
為成新2085 水神社
堀85 神明宮 獅子舞休止中
清水島1596 八幡宮 4/12頃の土曜 獅子舞
青島460 八幡宮
蔵島870 八坂社
添島347 八幡宮 4/16 獅子舞
袋200 諏訪社
 ■宮川(みやかわ)地区
   ⇒広田、下井沢新、田屋、田屋新、中島、浜子(はまのこ)、新屋、横野、成子、宮川余川
広田440 神明宮 4/3土曜 獅子舞
田屋2316 杉原神社 4/10 獅子舞 氏地は田屋、田屋新
中島328 神明宮 獅子舞休止中
浜子3197 杉原神社 4/7 例祭
横野477 神明社
成子3 神明社
東余川394 天満宮 4/1 獅子舞
 ■千里(ちさと)地区
   ⇒島田、熊野道、小倉、大坪森田、沢田、鉾木(ほこのき)、高日附、余川、余川新
島田406 八幡社
小倉899 春日社 4/2土曜 獅子舞
高日附2234 八幡宮 4/2土曜 獅子舞
 ■富川地区
   ⇒富崎、上吉川、下吉川、小川子、河原町、吉川新、小野島、高田、下井沢
富崎5397 八阪神社
上吉川1201 龍王社 8/23頃の土曜 獅子舞 氏地は上吉川、上吉川ニュータウン
下吉川353−1 越乃神社
河原町182 神明社 獅子舞休止中
 ■古里地区
   ⇒羽根、下邑、小長沢、蓮花寺、長沢、高塚、宮ケ谷
羽根1585 古里神社 4/8 獅子舞 氏地は羽根、希望ヶ丘
下邑2063 神明社 4/2土曜 獅子舞
小長沢25−2 若宮八幡宮 4/8 獅子舞
蓮花寺770 八阪神社
長沢6133 長沢稲荷社 4/8(毎年) 獅子舞 氏地は長沢、ひまわり台
高塚66 藤社
宮ケ谷215 諏訪社
 ■音川地区
   ⇒外輪野(そとわの)、大瀬谷、葎原(むくがはら)、鶚谷(みさごだに)、嘉例谷、吉谷、平等(たいら)、牛滑(うしなめり)、東谷、吉住、平等、中尾、三ツ屋、上瀬、下瀬(しもぜ)、三瀬(さんのせ)、高山、道島(どうじま)、皆杓(かいじゃく)、上野
外輪野11149 神明社 4/17以降の土曜 獅子舞 第1青年会・中筋青年会・北青年会 など
大瀬谷700 牛嶽神社 獅子舞休止中
葎原553 八幡宮 獅子舞休止中
鶚谷175 神明社 獅子舞休止中
吉谷632 牛嶽神社 獅子舞休止中
平等591 平等神社 獅子舞休止中
牛滑122 牛嶽神社
東谷393 牛嶽神社
吉住445 神明社
下瀬757 八幡社
三瀬176 地神社
道島3070 牛嶽社
皆杓404 龍王社
上野470 龍王社
※『富山県の獅子舞芸能と祭礼 −獅子の芸能と行事の現状−』(平成18年発行)によると、旧・婦中町の獅子舞は全部で64地区。内訳は春41地区、夏0地区、秋0地区、冬0地区、休止中23地区となっている。

 ◎旧・婦負郡山田村
   ⇒鍋谷、谷、若土(わかづち)、鎌倉、小谷、赤目谷、北山、湯、中村、前田住宅団地、小島、城山、上中瀬、中瀬、白井谷(しろいだに)、竹ノ内、沼又(ぬまのまた)、牧、清水(しょうず)、今山田、沢連、宿坊(すぼう)
無人化:居舟、高清水、深道、数納
山田鍋谷1216 牛嶽神社
山田谷140 八幡社
山田若土1703 八幡宮 4/15 獅子舞
山田鎌倉529 八幡宮 4/15 獅子舞
山田小谷417 八幡宮 4/15 獅子舞
山田赤目谷88 牛嶽神社 4/15
山田北山567 八幡宮 4/15
小谷三ヶ村の獅子舞=後継者不足で単独では獅子舞奉納が困難となった赤目谷、小谷、北山の3地区が合同で4/15に開催し保存・継承に努めている獅子舞。身近な小道具や衣装を用いて即興で演じる「にわか獅子」は他では例を見ない。
山田湯1021 牛嶽社 4/14 獅子舞
山田中村298 八幡社 4/14 獅子舞
山田小島1036 牛嶽神社 4/14 獅子舞 氏地は小島、城山
山田中瀬3518 諏訪社 4/14 獅子舞(中瀬、上中瀬) 氏地は中瀬、竹ノ内
山田白井谷798 牛嶽社 獅子舞休止中
山田沼又1 牛嶽神社
山田牧177 牛嶽社
山田清水1822 清水神社 4/14 獅子舞
山田今山田16− 牛嶽神社 獅子舞休止中
山田宿坊1808 牛嶽社 4/10 獅子舞
沢連(山田宿坊) 神明社 4/15 獅子舞
柳川(山田宿坊3710) 八幡社
居舟(いぶね)=角川によると、昭和50年、3戸11人。

高清水(こうしみず)=昭和42年11月末無人化。「村の記憶」によると、4戸。

深道(ふかどう)=昭和45年、閉村。「村の記憶」によると、8戸。牛岳神社があった。

数納(すのう)=昭和46年閉村。角川によると、昭和5年、9戸108人。神社跡から移転した「牛嶽社跡 数納」と刻まれた石碑がある。
※『富山県の獅子舞芸能と祭礼 −獅子の芸能と行事の現状−』(平成18年発行)によると、旧・山田村の獅子舞は全部で14地区。内訳は春12地区、夏0地区、秋0地区、冬0地区、休止中2地区となっている。
 ◎旧・婦負郡細入村
   ⇒西笹津、岩稲、割山、楡原、庵谷、片掛、猪谷、蟹寺、加賀沢
西笹津400 八幡宮 4/15頃の土曜 獅子舞休止中
岩稲900 八幡宮 4/15頃の土曜 獅子舞
割山592 八幡宮 4/中旬 獅子舞休止中
楡原2118 上行寺 4/15頃の土曜 獅子舞 少女が花笠を被り晴れ着を着て登場する
庵谷685 日枝神社 4/16頃の日曜 獅子舞
片掛1402 八坂社 4/中旬 獅子舞休止中
猪谷545 八坂社 4/16頃の土曜か日曜 獅子舞
蟹寺487 白山社 4/17頃の日曜 獅子舞休止中
加賀沢148 白山社 4/中旬 獅子舞休止中
※『富山県の獅子舞芸能と祭礼 −獅子の芸能と行事の現状−』(平成18年発行)によると、旧・細入村の獅子舞は全部で9地区。内訳は春6地区、夏0地区、秋0地区、冬0地区、休止中3地区となっている。
その後(令和4年現在)西笹津、蟹寺も獅子舞休止となる。

 ★展示場
 【八尾曳山展示館(越中八尾観光会館)】(公式HPへ
富山市八尾町上新町2898−1。рO76−454−5138。9:00〜17:00(入場は16:30まで)。休館日は年末年始(12月29日〜1月3日)。大人500円。
曳山が3台常時展示。また越中八尾おわら風の盆や伝統産業であった養蚕業に関する展示もあり。