富 山 県

       ≪砺波市、南砺市

住所  神社名 祭礼日 内容 備考

 ≪砺波市≫
  平成16年(2004)11/1、砺波市+庄川町が合併。
 ◎旧・砺波市
 ■出町地区
   ⇒出町(=杉木新町)、太郎丸、大辻、深江、神島(かみじま)、鷹栖出、中神(なかがみ)、杉木
 【砺波夜高祭り】
6/2金土開催。出町市街地で開催。主催は砺波夜高振興会(砺波商工会議所)。
 ◎金曜
 ■夜高行燈コンクール
(19:45〜20:15)行燈コンクール・小行燈の部
(20:20〜21:10)大行燈勢揃い・大行燈の部

(21:30〜)審査結果発表
 ◎土曜
 ■夜高行燈突き合わせ
(20:45〜23:30)突き合わせ
(23:30〜24:00)シャンシャン
 ◎大行燈
突合せに参加する15町
は南北、東、西と分かれ友好町会なので、南北X東または南北X西の形で行う。友好町会ではないが、東X西は突合せがない。
 ■南北6町=中心部である出町を地理的に縦断する地帯。南の太郎丸から北の新富町の間に位置する町内は「南北」と称される。
  太郎丸、三島町、鍋島、南町、新富町、新栄町

 ■東5町=南北より東にに位置する町内。
  東町、桜木町、新町、木舟町、春日町

 ■西3町=南北より西に位置する町内。
   広上町、深江、神島

 ■その他
  鹿島=平成26年(2014)より五鹿屋の夜高祭りからこちらへ。地元では1週早く実施。

 ◎小行燈
   太郎丸、南町、新富町、広上町、旭町、西町、山王町
中央町4−14(出町) 神明社 4/29、30(元・16、17) 曳山3台 西町、中町、東
曳山はまず西町に作られ、後に中町、東と作られた。
以前は三町揃って上演していた子供歌舞伎は、昭和44年より1町ずつになり、当番町の上演は3年に一度である。
西町=天明9年(1789)建造。鷹栖屋甚米兵衛の「諸道具夜具買入帳」より。
慶応年間(1865〜68)に芝居舞台が改修。彫刻は番匠屋田村与八郎による。
明治21年(1888)までは操り人形を使用。山車蔵には今も人形を保存。
車輪は4輪の内車様式で、二重の屋根は平成11年の解体修理で、固定式に改造。

中町
=制作年不詳。彫師は番匠屋12代 田村与八郎守貞。
墨書きによれば慶応4年(1868)3月に大工4人で16日間の修復と6人の塗師により漆塗りが行われたようである。
大正12年(1923)に台部が改造。
平成14〜16年の修復で大屋根、正面妻側の下地板の墨書き3点を発見。砺波市の株宙苟蜊Hにより修復。
車輪は3輪の内車様式で、屋根は一重屋根。

(東町、木舟町、川原町、新町、新地の五ヶ町共同)=昭和11年(1936)完成。
大正8年(1919)に曳山の台部完成。この年から仮舞台での上演が始まる。車輪は3輪の内車様式で、屋根は二重の屋根。
 先代は明冶33年(1900)の出町大火で焼失。
太郎丸6436(上村) 堂島八幡宮 9/23、24 獅子舞 氏地は太郎丸、表町、三島町、豊町
上村=砺波獅子。にらみ獅子。地区を2分割し、(太郎丸獅子方若連中・太郎丸獅子舞保存会) 1年おきに全戸を2日間かけてまわる。頭を含めて胴幕には7人、頭の重さは7〜8kg。
太郎丸(下村) 鍋島八幡宮 獅子舞休止中 昭和19年5月7日の出町大火で獅子頭・胴幕等全て燃えてから再開していない。
大辻156 新明社
深江1753 深江神明社 11/3 獅子舞 氏地は深江、表町、広上町
深江獅子舞保存会=砺波獅子。男獅子。頭の重さは約5kg。
神島350 神島神社 8/最終日曜 獅子舞 平成22年、646人、180世帯
神島獅子方若連中=砺波獅子。男獅子。獅子舞の中には7人入る。
神島地区は約180戸あり、中区・北区・西区の3区に分けて、1年ごとに順に全戸をまわる。その他2つの団地があるが、一番近い区をまわすときに一緒にまわる。

津沢清水より習得。昭和40年代に1度休止するも、50年代に復活。
鷹栖出756 新明社 4/18 例祭 東の宮とも称する
永福町5−20 熊野社 氏地は中神、永福町、新富町、若草町
杉木1815 日吉社 氏地は杉木、寿町、中央町、春日町、平和町
 ■庄下(しょうげ)地区
   ⇒矢木(やぎ)、高道(たかんど)、坪内(つぼのうち)、大門(おおかど)、宮村
夜高=6月初旬に各地区(矢木、高道、坪内、大門、宮村)の児童クラブより出される。
宮村は尚自会と児童クラブで大行燈の夜高が出る。
矢木162 八咫壺神社 10/22 獅子舞 矢木獅子方若連中=砺波獅子
獅子舞休止中 坪内獅子方若連中=金蔵獅子
矢木獅子方若連中=砺波獅子。熊獅子の雄。頭の重さは約4.38kg。
坪内獅子方若連中=休止中。金蔵獅子(ねんごろ獅子)。男獅子。明治35年に庄川町古上野から伝わった。
大門91 祖父川神社 10/3土曜 獅子舞 大門立志協会=砺波獅子
大門立志協会=砺波獅子。安政2年に小島から伝わる。女獅子。頭の重さは約6kg。
宮村372 日吉神社 11/3 獅子舞 平成22年、264人、87世帯
宮村獅子方若連中=砺波獅子。明治中頃に小島か東中から、後に昭和6年に木下から伝わる。女獅子。頭の重さは約5.5kg。
 ■油田(あぶらでん)地区
   ⇒中村、新又(あらまた)、、油田大坪、三郎丸、則安島、十年明(じゅうねんみょう)、木下(きのした)、宮丸、堀内(ほりのうち)、町村、千代(せんだい)、石丸
田祭りには田楽あんどんが中村・堀内、十年明、木下、宮丸、石丸が出す。中村・堀内は大行燈も出す。
中村181(旧・油田中) 中村神明宮 10/最終土曜 獅子舞 氏地は中村、栄町、花園町、宮沢町、新
中村獅子方保存会=砺波獅子。女獅子。頭の重さは約7kg。
三郎丸285 四柱神社 11/3(元・10/25) 獅子舞 平成22年、1182人、409世帯
三郎丸獅子方会=砺波獅子。獅子頭は1996年新調。神社に保管されており、毎年一回の獅子舞奉納で出す。練習の時には練習用の獅子頭を使う。
昔は全戸を2日間かけてまわったが、現在は新興住宅ができたこともあり家が多くなったので、地区を4区に分け、順に1年ごとにまわる。
十年明184 新明社 平成22年、226人、101世帯
木下108 神明社 10/最終土曜 獅子舞 木下獅子方若連中=砺波獅子
木下獅子方若連中=砺波獅子。男獅子。頭の重さは約4.7kg。
宮丸41 木舟社 平成22年、505人、145世帯
堀内190 神明宮
千代323 千代神社(気多社) 11/2直前の土曜 獅子舞 平成22年、797人、304世帯
千代獅子方保存会=砺波獅子。男獅子。踊り獅子。頭の重さは約7.4kg。
石丸125−1 神明宮 10/4土日 獅子舞 石丸獅子方保存会=砺波獅子
石丸獅子方保存会=砺波獅子。女獅子。 明治始めから伝わる。頭の重さは約5.8kg。
 ■五鹿屋(ごかや)地区
   ⇒五郎丸、鹿島(かのしま)、荒高屋(あらだかや)
 【五鹿屋地区夜高祭】
6/2金土、となみ野農協資材配送センター・あぐり館(砺波市五郎丸111−1)で開催。主催は五鹿屋夜高祭り実行委員会。
砺波市内では、出町や庄川の夜高祭りが盛大で有名であるが、五鹿屋の夜高祭りのほうが発祥は古い。

参加団体は上村夜高行燈保存会、鹿島青年部、荒高屋扶共団、寺島青年部
 ◎金曜
   上村・寺島・鹿島・荒高屋地区練り回し
 ◎土曜
(21:40〜)北島子ども行燈唄・荒高屋子供太鼓
(22:15〜)夜高突合せ
五郎丸6721(上村) 神明社 9/2土曜 獅子舞 平成22年、1279人、365世帯
五郎丸上村研成会=砺波獅子。起源は天保12年頃。男獅子。頭の重さは約9.6kg。
鹿島33 鹿島神社 4/16越えない日曜&10/20以降の最初の土曜 獅子舞 平成22年、326人、102世帯
鹿島獅子方若連中=砺波獅子。明治20年に中野から、明治25年に太郎丸から伝わった、にらみ獅子。男獅子。頭の重さは約6.68kg。
荒高屋3325 神明社 9/23 獅子舞 平成22年、318人、87世帯
荒高屋獅子方若連中=砺波獅子。女獅子。3地区(上地区、中地区、下地区)に分かれ3年で一回りする。頭の重さは約7.03kg。
 ■中野地区
   ⇒上中野、中野新、中野出、新明(しんみょう)
田祭りには新明は神輿。上中野1区は神社2社を神輿、踊りで廻る。上中野2区は神輿で廻る。
中野3352 中野神社 10/21 獅子舞 中野上村獅子方若連中、中野下村獅子方若連中
中野上村獅子方若連中=砺波獅子。江戸末期に鷹栖から伝わる。男獅子。頭の重さは約3.75kg。

中野下村獅子方若連中
=砺波獅子。江戸末期に太田から伝わる。女獅子。頭の重さは約3.76kg。
中野106(中野出) 神明社
新明93(新明東島) 八幡社 10/2土曜 獅子舞 新明獅子方若連中
新明獅子方若連中=砺波獅子。江戸末期に中野(下)から伝わる。男獅子。頭の重さは約4.1kg。
新明2492(新明西島) 新明社
 ■林地区
   ⇒林、日詰、紺屋島(こやじま)、新屋敷、水宮、小島(おじま)、小杉、東中
田祭りには大夜高は新栄町。田楽あんどんは新屋敷、杉木、小島、小杉、東中が出す。
杉木は児童クラブ主催で4班に分け、母親に付き添われて各家を廻る。紺屋島は夜高=最近まで行っていた。
林525(林1区) 林神社 11/2 獅子舞 林獅子方若連中(林興会)
林獅子方若連中(林興会)=砺波獅子・氷見獅子。宮島谷の名ヶ原(現小矢部市)から習い、一度休止になるものの、その後箕輪から習ったと言われている。
明治30年には砺波市北高木へ伝授している。
俗に雄の踊り獅子とよばれる。胴幕(カヤ)は長さ6m。幅3.3m。巻毛と牡丹を大きく染め、胴に竹の輪4本(3.47m)を入れる。頭1人、胴の中4人、尾1人の6人構成。獅子方は数十人で交替で舞う。頭の重さは約4kg。
日詰264(林2区) 新明社
紺屋島89(林3区) 紺屋島神社
新屋敷663(林4区) 新明社
林1289(林5区=水宮) 水宮社
小島404 小島神社 8/30 獅子舞 平成22年、379人、101世帯
小島獅子舞保存会=砺波獅子。女獅子。 江戸時代末期に能登の土臼(どろうす)目立て職人から習った。頭を合わせて胴幕には6人入る。頭の重さは約6.3kg。
小杉1012 小杉神社 9/3土曜 獅子舞 平成22年、654人、198世帯
小杉獅子方保存会=砺波獅子。胴幕には6人入る。油田中村から伝わったと伝えられている、にらみ獅子。男獅子。頭の重さは約5.05kg。
東中317 東中神社 9/2土曜 獅子舞 平成22年、413人、136世帯
東中魁星会=砺波獅子。明治年間に小島から伝わる。おどり獅子。男獅子。頭の重さは約7kg。
 ■鷹栖地区
田祭りには大夜高田楽あんどんが出る。
鷹栖1054(6区) 神明社 8/19 獅子舞 鷹栖東部獅子方若連中、鷹栖宮木島獅子方若連中
獅子舞休止中 焼馬
鷹栖東部獅子方若連中=砺波獅子。南砺市高瀬から伝わる。一時休止したが、正安寺での親鸞聖人700回忌法要をきっかけに昭和48年から復活。女獅子。頭の重さは約13.2kg。

鷹栖宮木島獅子方若連中=金蔵獅子(ねんごろ獅子)。神明社、八幡社。庄川町古上野から伝わった男獅子。昭和16年から休止したが昭和48年復活。頭の重さは約4.4kg。
焼馬=男獅子。神明社、八幡社。獅子頭は、市内で最も大きい獅子頭を使用していた。五斗俵の重さという意味が含まれる「五斗獅子」と呼ばれていた。
獅子頭は現在は公民館に大切に保管され、年に1回外に出し、お祓いをしている。休止前が約20kg。以前のが約20kg。
鷹栖1316(14区) 八幡社 9/15 獅子舞 鷹栖宮木島獅子方若連中
鷹栖1093(16区) 木船神社
 ■若林地区
   ⇒狐島(きつねじま)、西中、下中
田祭りには狐島と西中は田楽あんどんが各家を廻る。下中は不明?
狐島536 誉建神社 9/1日曜 獅子舞2組 狐島東獅子舞保存会、狐島西獅子舞保存会
狐島東獅子舞保存会=砺波獅子。明治初年頃に小島から伝わる。男獅子。頭の重さは約14kg。

狐島西獅子舞保存会=金蔵獅子(ねんごろ獅子)。明治31年頃に専勝寺から伝わった。頭の重さは約2.9kg。
西中92 新明社 9/5(毎年) 獅子舞 西中獅子舞保存会=砺波獅子
西中427 熊野社
西中=町村合併時に村を分割し、西部は小矢部市へ、東部は砺波市へ編入。合併後も、獅子が出る秋の祭礼の日(9月5日)には小矢部市側からと砺波市側から人が集まる。二つの市の住民が共同で獅子を出すのは、砺波市でも西中だけである。
西中獅子舞保存会=神明社・熊野社・神明社。砺波獅子。にらみ獅子。男獅子。一時休止していたが、昭和51年に保存会が結成され復活。
獅子に入るのは9人。獅子頭は18.5kg。これは現在砺波市内で活動中の獅子で一番大きいと思われる。
獅子頭が大きく重いので各演目の曲は短めになっている。各家や慶事の家はまわらないが、宮が遠いのでかなりの距離を移動するため相当な体力が必要。
下中 中村埜神社 8/29 獅子舞 平成22年、71人、16世帯
下中上村獅子方保存会=砺波獅子。男獅子。明治年間に小島から伝わる。頭の重さは約11.5kg。
 ■東野尻地区
   ⇒苗加(のうか)、野村島
 【東野尻の夜高祭り】
6/1金土開催。東野尻地区では現在、藤田島地区・八幡島地区の2箇所で行われてる。
藤田島夜高同好会は大行燈1基が出る。2015年で36年目である。
金曜夕方、苗加神社に集まって参拝を行う。その後は農協や派出所を廻ってから地区へ戻り、藤田島と隣の原道島を2日間かけて廻る。

八幡島夜高同好会2015年で34年目を迎える
金曜夕方、苗加神社に集まって参拝を行う。その後は地区内と藤田島、原道島などを2日間かけて廻る。
 

 ※以前は、原道地区・宮島地区・中之島地区でも夜高祭りが行われていたそうである。
苗加812−2 苗加神社 4/2土曜&10/1土曜 獅子舞2組 苗加東方獅子保存会、苗加西方獅子舞保存会、
苗加の常会は表之島、浦之島、九本杉、道之上、道之下、八幡島、原道島、藤田島の8常会である。前五つがムラの東、後三つがムラの西にある。
苗加東方獅子保存会=砺波獅子。文政年間に文政年間に青島から伝わった、にらみ獅子。女獅子。頭の重さは約5.88kg。

苗加西方獅子舞保存会
鷹栖から伝わった、にらみ獅子。男獅子。頭の重さは約5.3kg。

 ※苗加地区には東西二つの獅子があり、宮参りの際2頭並んで、にらみの舞いをしながら参道を進むところが見物。
野村島270 桑野神社 10/2土曜 獅子舞 平成22年、437人、121世帯
野村島獅子方若連中=砺波獅子。明治8年から新明より伝わった、にらみ獅子。男獅子。頭の重さは約6.05kg。
 ■南般若地区
   ⇒秋元、千保(せんぽ)、東石丸、大窪
田祭りには中夜高が出る。千保は老人会主催。大窪は有志が出す。
秋元31 八幡神社 10/最終土曜 獅子舞 秋元(上村・南)=秋南獅子方若連中
獅子舞休止中 秋元(下村・北)=秋北獅子方若連中
秋南獅子方若連中(=秋元〔上村・南〕)=砺波獅子。雌獅子。にらみ獅子。昭和34年(1959)にお休みするが、昭和55年(1960)に復活。『南般若村誌』によると「東石丸上村から伝えられている。某家の記録には万延元年(1860)に秋元上村に獅子舞道具を取揃えたとの記録があるのでこの頃が最初と思われる」と記載がある。
 獅子頭は平成23年(2011)9月19日、入魂式。彫師は井波彫刻協同組合理事長の岩倉雅美。新旧共に八幡神社に保管。
秋北獅子方若連中(=秋元〔下村・北〕)=休止中。砺波獅子。男獅子。 明治初年に木下から、後に上和田からも伝わっている。
千保217 千保神社 10/最終土曜 獅子舞 平成22年、632人、176世帯
千保獅子方若連中=砺波獅子。太田から伝わった、踊り獅子。頭の重さは5.2kg。
東石丸137 東石丸神社 10/最終土曜 獅子舞2組 北部、南部
東石丸南部獅子方若連中=砺波獅子。天保13年に苗加から伝わる。にらみ獅子。男獅子。頭の重さは約5kg。
大窪76 大窪神社 10/最終土曜 獅子舞 平成22年、242人、49世帯
大窪獅子方=砺波獅子。大窪神社・常福寺。明治初年に太田から伝わる、踊り獅子。男獅子。頭の重さは約5.2kg。
 ■柳瀬(やなぜ)地区
   ⇒柳瀬(やなぜ)、東開発(ひがしかいほつ)、下中条
柳瀬地区の田祭りにはかつて田楽あんどんが出たらしい。
柳瀬726 比売神社 10/最終日曜 獅子舞 平成22年、1837人、511世帯
柳瀬獅子方若連中=砺波獅子。男獅子。頭の重さは約6.6kg。
東開発25 春日神社 11/1 獅子舞 平成22年、201人、49世帯
東開発獅子舞保存会=砺波獅子。男獅子。頭の重さは約6kg。
下中条81 比売神社 11/3 獅子舞休止中 平成22年、83人、21世帯
下中条獅子方若連中=現在でも獅子頭のみを神社に持って行き、地域の住民がお参りをしている。獅子舞道具一式は、住民宅にて大切に保管されている。
 ■太田地区
   ⇒太田、祖泉(そいずみ)、久泉(ひさいずみ)、五郎丸(ごろうまる)
田祭りには大夜高が太田の西区より出る。
太田1302 住吉神社 10/30 獅子舞
太田獅子舞保存会=砺波獅子。獅子の胴幕に入るのは5人。各家はまわらず、地区を分割して各地区の代表者の家をまわる。
祖泉152 祖泉神社 10/30 獅子舞休止中 祖泉交友会
祖泉交友会=砺波獅子。現在は休止中だが、復活に向けて毎年練習している。明治期に秋元下村から伝わる。
久泉78 久泉神社 10/30 獅子舞休止中 平成22年、153人、46世帯
久泉=砺波獅子。おどり獅子。明治28年に秋元下村から伝わる。
五郎丸6721 神明社 平成22年、1279人、365世帯
 ■高波地区
   ⇒江波(よなみ)、北高木(きたたかぎ)、東宮森(ひがしみやもり)、西宮森(にしみやもり)、荒屋(あらや)=荒屋+荒屋新、坪北(つぼきた)=坪北新+高儀出、南高木(みなみたかぎ)
   ※住宅表示上は高波だが、自治会は各集落毎に別々である
江波(高波1177) 江波神社 9/23 獅子舞 高波は平成22年、1520人、406世帯
江波獅子舞保存会=氷見獅子。明治20年に寺の法要のため余興として獅子舞を行うことになり、高岡市立野の高田島から習い受けた。昭和40年代に一時休止したが、昭和47年頃あたりから復活し、現在に至る。
にらみ獅子・踊り獅子。男獅子。頭の重さは、親が約4.25kg、子が約2.25kg。 天狗・おかめ・ぼうずも登場。
北高木(高波729) 八幡宮 9/2日曜 獅子舞
北高木獅子方若連中=氷見獅子。明治25年に石動から、明治32年に林から伝わった、勇み獅子。男獅子。頭の重さは約4kg。
東宮森(高波1580) 春日神社 8/最終土曜 獅子舞
東宮森獅子舞保存会=砺波獅子。明治28年の春日神社拝殿の改築にあたり、その祝賀を機会に油田木下より習得。にらみ獅子。男獅子。頭の重さは約7kg。
西宮森(高波1788) 川田八幡宮
坪北 神明宮 10/20 獅子舞休止中 砺波獅子。男獅子。放寺から伝わる。現在は長年の間休止している。
高波地区ではかつて夜高行事があった。特に西宮森は最近まで行った。
 ■般若地区
   ⇒頼成(らんじょう)、安川、徳万、徳万新、三合新、栃上、福山、市成新、茶ノ木
般若地区ではかつて夜高行事があった。
頼成1720 林神社 11/3 獅子舞2組 頼成上村獅子方若連中、頼成下村獅子方若連中=砺波獅子
頼成は上村:坂東(23戸)、西川原(10戸)、北明〔きため〕(38戸)、正覚〔しょうがく〕(19戸)と下村:川原(15戸)、善導〔ぜんどう〕(23戸)、公文名〔くもんめ〕(32戸)に分かれる。〕
頼成上村獅子方若連中=砺波獅子。林神社・北明太子堂。

頼成下村獅子方若連中
=砺波獅子。林神社・常称寺・西慶寺。

 ※獅子頭は上と下に一頭ずつある。上が男獅子で角があり、下は女獅子で角がない。二頭とも熊の皮をはった熊獅子である。婦負郡から習ったと伝えられる。
戦前は10月18日・19日を祭日としていたが、戦時中般若村全体の祭日を統一し、11月3日とした。昭和33年以降、一旦絶えたが、昭和46年に復活させた。
安川423 日吉神社 11/3 獅子舞 平成22年、643人、203世帯
安川獅子方若連中=砺波獅子.。大正始めに頼成から、下村にも同時に伝わった。男獅子。頭の重さは約6.3kg。
安川(下村)と1つに統合したため、獅子頭は大と小の二つある。どちらか1つの獅子頭を使って1日かけて回る。昔は春祭りでも舞った。
徳万182(徳万上) 十五社神社 11/3 獅子舞 平成22年、318人、78世帯
徳万88(徳万下) 五社神社
徳万獅子方若連中(上徳万)=砺波獅子。大正始めに頼成上村から伝わる。男獅子。頭の重さは約5.4kg
徳万新289 天高神社 11/3 獅子舞休止中 氏地は徳万新、三合新
三合新獅子方若連中(=徳万新、三合、三合新)=2012年より休止。砺波獅子。女獅子。頼成上村から伝わる。
栃上928 栃上神社 11/3 例祭 平成22年、62人、26世帯
福山887 神明社 11/3(隔年) 獅子舞 平成22年、202人、62世帯
福山青年会=砺波獅子。隔年で神明社・願成寺に奉納。胴幕の中に6人入る。成上村から伝わった。昭和52年より一時休止するが、平成4年に福山獅子舞保存会として復活。
茶ノ木124 神明社 平成22年、33人、10世帯
 ■東般若地区
   ⇒東保(ひがしぼ:大坪、坊村、田中)、権正寺(ごんしょうじ)、宮森、八十歩(はちじゅうぶ)
東保5427 五社神社 10/28 獅子舞 東保獅子方青年会=砺波獅子。女獅子。頭の重さは約7.9kg。
獅子舞休止中 東保(坊村)=砺波獅子
大坪=金蔵獅子。男獅子。明治35年に庄川町古上野から伝わった。
坊村 =休止前は東保の獅子と共に親子で舞っていた。金蔵獅子(ねんごろ獅子)。男獅子。
『砺波市史』資料編5・集落編には「山田から伝わる。明治34年(1901)、旧山田村鎌倉(現在の富山市)から獅子舞を習い、この年に胴幕、翌年に衣装を新調する。」とある。
宮森259 大森清水川神社 10/28頃の土曜 獅子舞 平成22年、296人、75世帯
宮森獅子方若連中(宮森下村)=砺波獅子。女獅子。頭の重さは約5.9kg。
権正寺251 白峯神社 10/28の前の土曜か日曜 獅子舞 平成22年、114人、35世帯
権正寺(権正寺青友会)=砺波獅子。明治10年に秋元下村から伝わった踊り獅子。頭の重さは約4.9kg。
八十歩18 新明社 平成22年、142人、72世帯
大坪夜高祭り=6/初旬開催。平成19年復活。子供会を中心に自治会、公民館、若連中などの協力で開催。東般若地区内で「夜高祭り」を実施しているのは大坪自治会だけである。
 ■栴檀野(せんだんの)地区
   ⇒福岡、市谷(いちのたに)、野村島(のむらじま)、正権寺(しょうごんじ)、池田新、上和田(かみわだ)、上和田新、池原(いけのはら)、芹谷(せりだに)、頼成新、芹谷本、宮森新、宮新(みやしん)、増山
福岡228 福岡神社 11/3 獅子舞 平成22年、270人、80世帯
福岡獅子方若連中=砺波獅子。太田から伝わった、にらみ獅子。女獅子。頭の重さは約6.3kg。
市谷183 牛嶽神社 10/20 獅子舞休止中 平成22年、81人、20世帯
市谷金蔵獅子(ねんごろ獅子)。明治以前に山田から伝わる。昭和50年頃から休止している。獅子は2人で舞う小さなもので、家の中で舞うため、天井の高い家が多かった。
野村島270 桑野神社 平成22年、437人、121世帯
正権寺996 五社能社 平成22年、125人、35世帯
上和田135 熊野神社 4/19 獅子舞休止中 頼成から伝わる。現在は長年の間休止。平成22年、159人、37世帯
上和田446(旧・池田)
新明社
池原601 荊波神社
芹谷100 八幡社 11/3 獅子舞休止中 平成22年、88人、28世帯
芹谷獅子方若連中=休止中。砺波獅子。男獅子。頼成から伝わる。
頼成新1 栴檀野神社
宮森新216 神明社 11/3 獅子舞 宮森新・宮新青年会=砺波獅子
宮新67 神明社
宮森新・宮新青年会=砺波獅子。昭和初期に宮森から伝わった、おどり獅子。頭の重さは約7kg。
増山443 増山神社 10/3土曜 獅子舞 平成22年、244人、70世帯
増山獅子青年団=砺波獅子。太田から伝わる。男獅子。頭の重さは約9.2kg。
 ■栴檀山地区
   ⇒川内(こうち)、伏木谷、五谷(ごたに)、寺尾、栃上、東別所、浅谷(あさんたに)、井栗谷(いぐりだに)
川内280 宇志多気社 平成22年、36人、12世帯
伏木谷520 宇志多気社
五谷825 宇志多気社 4/2土曜 獅子舞 金蔵獅子。
五谷青年会=金蔵獅子(ねんごろ獅子)。女獅子。中尾から伝わる。頭の重さは約3.7kg。
寺尾56 新明社
栃上928 栃上神社 4/10頃の土曜 獅子舞 栃上獅子保存会=金蔵獅子。男獅子。
東別所1993(上村) 天満宮 10/21頃 獅子舞
東別所1449(中村) 牛嶽神社
東別所3869(中村) 新明社
東別所新122 八幡社
東別所青年会=砺波獅子。頼成から伝わる。頭の重さは約6.7kg。
浅谷256 新明社 平成22年、27人、9世帯
井栗谷6585 栴谷神社 4/10 獅子舞休止中 金蔵獅子(ねんごろ獅子)。女獅子。獅子頭は神社に納められている。
井栗谷3975(中尾) 常盤岡八幡宮 4/10頃の土曜 獅子舞
中尾獅子方若連中=金蔵獅子。安政2年(1855)に婦負郡山田村若土より伝わる。頭の重さは約2.8kg。集落は4組あり、その組長の家、常会長の家、獅子宿、常盤岡八幡宮、公民館、共同作業所、光ヶ丘霊廟、地蔵堂をまわる。
 【となみ伝承やぐら大祭】
9月初旬。砺波市中心商店街(本町通り、駅前通り)で開催。市内の各地区で守り継がれている伝統芸能(獅子舞、太鼓、子供歌舞伎、民謡 など)を披露。また夜高あんどん、田楽行燈も展示。
主催はやぐら大祭実行委員会(砺波商工会議所内)。
 ★展示場
 【砺波市出町子供歌舞伎曳山会館】(公式HPへ
砺波市出町中央5−4。曳山展示室は9:00〜17:00。休館日は水曜と毎月第三木曜。年末年始(12月29日〜1月3日)。入館料は大人210円。
рO763−32−7075
県指定民俗文化財「出町子供歌舞伎曳山」の保存と振興を図るため、2009年10月10日、総事業費8億円をかけて砺波市出町子供歌舞伎曳山会館がオープンした。
これまで別々に保管されてきた3町内の曳山を収容・展示するほか、子供歌舞伎の資料、写真などを展示している。
 【砺波商工会議所】
砺波市永福町6−28。рO763−33−2109
通年に渡り見てもらえるよう夜高行燈が常設展示されている。また県内外のイベント会場に持ち出してまつりの魅力を伝えていくという。
砺波市のまちづくり協働事業として平成25年(2013)10月より手掛け、平成28年(2016)4月9日、点灯完成式。
となみ夜高まつりの大行燈を持つ15町内のうち11町内の20、30代の若手で構成する若衆有志でつくる「夜行会」の作。

長さ5m。高さ4.7m。鳳凰、打出の小槌、熨斗 など各町の大行燈の特徴を組み合している。

 ◎旧・庄川町
 【庄川観光祭】
6/1土日に庄川地区一円(庄川町青島 ほか)で開催。主催は庄川観光祭実行委員会事務局(市商工観光課内)。平成28年(2016)で64回を数える。
土曜:紅鱒放流つかみ取り、舟戸橋付近での花火大会、夜高行燈の街練り、並びに行燈コンクール、行燈同士のぶつけ合い(喧嘩行燈)などが行なわれる。
日曜:天正いなほ太鼓街流し、庄川音頭街流しやヨサコイとなみin庄川観光祭、並びに初日と同じく夜高行燈街練り並びに合せが行なわれる。

昭和27年(1952)6月1日、近隣4ヶ村が合併して庄川町となり、1周年を迎えた記念に昭和28年(1953)より庄川町観光祭として始まったイベントである。
 〔平成25年の参加町〕
大行燈=中路クラブ、庄新会(岩黒団地&金屋新)、金屋清流会、下村、中之島若連中、東部松栄会、西部西友会・南部野若連中

小・中行燈=
中路クラブ、金屋清流会、京親会、畑直二十日会、清水町清友会、南部野若連中、庄新会、中之島若連中、東部松栄会、西部西友会、下村、示野、サンパチ会・舟誠会・種田地区児童・母親クラブ
 ■東山見地区
   ⇒金屋、小牧、湯山、湯谷、落し、名ヶ原(みょうがはら)
   無人化:前山、二ツ屋(ふたつや)、隠尾(かくりょう)、横住
庄川町金屋1285 金屋神明宮 9/16 獅子舞 平成22年、2067人、654世帯
金屋青年会=砺波獅子。
昔は3月26日にも舞った。公民館・神社・班長宅などを廻る。『くらしのさまざま 庄川町の年中行事』によると、 「金屋神明宮の大祭または、例祭といって一年中の一番の祭りであった。
男10人〜15人くらいで獅子舞をした。花嫁の郷からハナ(祝儀)をうった。草相撲という、25歳の人が主催する相撲は村の人の何よりの楽しみであった。
」とある。
庄川町小牧652 小牧八幡宮 9/16 獅子舞休止中 平成22年、140人、47世帯
獅子舞用具一式は、個人宅に大切に保管されている。
庄川町湯山717 牛嶽神社 3/10 獅子舞 氏地は湯山、湯谷。湯山(湯谷含む)=平成22年、67人、21世帯
年中行事では行っていないが、祝事があれば舞う。『くらしのさまざま 庄川町の年中行事』では「湯山地区、昭和60年頃の獅子舞、春祭り(3月10日)に行われた。
湯谷・湯山の牛嶽神社の祭礼で、昔は厳重にお祭りをしたもので、親戚を招いてご馳走した。獅子舞もあり、雪のあるときは雪をならして、ムシロをひいてまわしたこともあった。
井波の「たけま」がくるので子供たちも楽しみに待っていた。』とある。
庄川町落し434 神明社 平成22年、24人、10世帯
庄川町名ヶ原305 ににぎ神社 平成22年、12人、6世帯
前山(まえやま)=平成22年、0人、0世帯。神社は前山八幡宮(前山221)。

二ツ屋(ふたつや)=『村の記憶』によると、無人化は昭和42年。最盛期は6戸。廃村前は3戸。

隠尾(かくりょう)
=平成14年はまだ1戸1人在住。『角川』では明治5年12戸49人。昭和5年11戸72人。昭和27年12戸79人。昭和50年4戸16人。
神社は八幡社。


横住(よこずみ)=平成22年、0人、0世帯。されど住民登録では5人4世帯。
神社は天満宮(横住138)。
 ■青島地区
   ⇒青島、示野(しめの)
庄川町青島800 青島神明宮 3/2土曜&9/2土曜 獅子舞2組 上村(青島青年信義会)、下村(青島青年至誠会)
庄川町示野1 示野神明宮 平成22年、470人、156世帯
『くらしのさまざま 庄川町の年中行事』によると、「青島地区は昭和60年頃の秋祭り秋祭り(9月10日・11日)に行われた。
青島神明宮(神主井波町綿貫)の秋の祭礼で、この祭りには親せき・知人・友人との呼び合いがあり、盛大であった。9日の夜は徹夜で若い衆が太鼓をたたいた。上村の信儀、下村の至誠会が主となって獅子舞が奉納される。
初参りは午前10時頃で、二頭が揃って境内に集まり奉納の舞いをした。その後、地区の全戸を回って獅子舞をして祝儀をもらう。
獅子の宿は村のオヤッサマの家が当てられた。昼食や夕食なども村の主だったオオヤケの家で酒宴のもてなしを受けた。
11日は裏祭りで、前日残った家を獅子舞が訪れた。
婿や嫁をもらった家では特別に祝儀を包んだり、酒を振舞ったりした。
獅子舞練習は約1ヵ月前から行われ、小学生の獅子とりの稽古・大人の獅子頭の振り方・笛や太鼓などの稽古に元の会長さん方の年寄りも顔を出して熱心に指導した。練習場は昔はオヤッサマの納屋などでしたが、後に上村に青年会館ができてそこで練習した。下村は勧帰寺で練習した。」とある。
 ■雄神地区
   ⇒庄、庄金剛寺、三谷
庄川町庄4786 雄神神社 4/29(元・4) 獅子舞 平成22年、436人、127世帯
庄青年会・庄獅子方若連中=砺波獅子。『くらしのさまざま 庄川町の年中行事』によると、昭和60年頃の獅子舞は「春祭り(4月4日)に行われた。
雄神神社の祭礼で、午前中から獅子舞があり、家々をねり回った。笛方・獅子方などと役割があって、太鼓をかつぐ役は、その年に婿養子に来た者と決まっていた。獅子取りは、長男でないとさせてもらえなかった。」とある。
庄川町庄6882(金剛寺) 阿羅町神社・神明宮 9/11 獅子舞休止中 旧・郷社
 昔は上領・下領に分かれていたが統合。それでも若者が少ないため休止中。
平成12年頃に一度祭事で舞ったこともある。

上領=男獅子。昭和10年頃に庄から習得。
下領=女獅子。踊りは中野から習ってきた。
庄川町三谷2818(上) 水宮社 11/3 獅子舞 平成22年、457人、141世帯
庄川町三谷3013(下) 稲荷神社
三谷獅子方若連中=砺波獅子。獅子舞奉納は水宮神社、稲荷神社のほかに金剛寺西蓮寺、三谷西蓮寺、三谷集落全戸をまわる。新明か中野下村あたりから伝わったか?。昭和46年、約16年ぶりに復活。
 ■種田地区
   ⇒五ケ(ごか)、古上野(ふるうえの)、高儀新(たかぎしん)、筏(いかだ)、天正
庄川町五ケ1872 五ケ神社 10/2日曜 獅子舞 平成22年、257人、67世帯
五ケ獅子方保存会=砺波獅子。(頭1人、胴幕の中6人、尻尾1人)頭の重さは10kg以上。
『くらしのさまざま 庄川町の年中行事』では昭和60年頃の獅子舞は「9月12日に行われた。
獅子舞は総まわし(一軒一軒巡回)をし、家々ではハナ(祝儀)をうつ。特にお祝い事のあった家では特別のハナを出した。最後に神社で神様に収穫を感謝し奉納、寺で花開きをした。
五ヶの獅子は庄川町一番大きく、東砺波郡でも3指に入るほど大きなものであった。
祭りの当日は宿で身支度をして宮にお参りした。また、頭(かしら)は宮で保管していた。
獅子は、頭・一の輪から六の輪・尻尾と8人が入り、笛3〜4人、太鼓1人、獅子取り2人で、最低15人で宮参り(七五三)・片まわし・両まわしの順で奉納された。また、蛇目傘もあった。
獅子取りは長男と決まっていた。」とある。
庄川町古上野2267 五ヶ堂神社 10/4土曜(元・25) 獅子舞2組 氏地は古上野、高儀新、筏
古上野=ねんごろ会。金蔵獅子。山田村から伝わったとされる。2012年、獅子頭をはじめとする獅子舞道具一式を新調。
集落を東西に分けて1年交代で半分の家をまわるよう割り振らる。

『くらしのさまざま 庄川町の年中行事』では昭和60年頃の獅子舞は「10月25日に行われた。氏子が初穂、在所からは山海の珍味が神社に奉納された。
獅子は3〜4年に1回奉納され、獅子が回る年は2日がかりで在所を総まわしした。
その年に嫁をもらった家では、獅子の宿といって、一腹・昼食・晩食を出し、特に晩食は大家が宿をつとめた。3日目の晩に「花開き」や獅子の片付けをしてから一杯飲み、二次会に金屋や出町へ行くのが楽しみだった」とある。


高儀新・筏=高儀新、筏獅子舞保存会。砺波獅子。
庄川町天正719 神明社 10/1土曜 獅子舞 平成22年、319人、80世帯
天正獅子方若連中=砺波獅子。2013年に100周年を迎え、獅子頭も新調。
『くらしのさまざま 庄川町の年中行事』には「昭和60年頃の獅子舞は秋祭り(10月17日)に行われた。
朝7時頃に花火を上げて、これから獅子舞が奉納され総回しが始まりますという合図をした。昼からは相撲大会があり、夜にはチョンガレ踊りが盛大に行われた。
スコタンかぶりをし、ゴザを着て、笠をぶらさげたチョンガレ語りを中心に、踊りの輪は大きく広がり、老若男女・子供も一緒に夜遅くまで賑やかだった。」とある。
※『富山県の獅子舞芸能と祭礼−獅子の芸能と行事の現状−』(平成18年発行)によると、旧・庄川町の獅子舞は全部で8地区。内訳は春4地区、夏0地区、秋7区、冬0地区、休止4地区となっている。

 ≪南砺市≫
  平成16年(2004)11/1、東礪波郡城端町、平村、上平村、利賀村、井波町、井口村、福野町+西礪波郡福光町が合併して成立
 ◎旧・城端町
 ■城端地区
城端1688 城端神明社 5/4、5
(元・14、15)
神輿3基 春日宮、八幡宮、神明宮  
曳山6台、庵屋台6台 諫鼓山(西下町)、竹田山(西上町)、東耀山(東下町)、唐子山(出丸町)、千枚分銅山(大工町)、鶴舞山(東上町)
獅子舞 南町青年会、野下
獅子舞休止中 東下町
享保2年(1717)に神輿が作られ獅子舞や傘鉾の行列を始め、享保4年には曳山が登場し、享保9年から神輿の巡幸のお供するようになった。
 ◎宵祭り(5月4日)飾り山:曳山・庵屋台の曳行は無し。各町内に展示。御神像は各町の山宿に飾られる。
(午前)曳山会館に展示していた3台の入魂式を行い各町へ帰る。残りの3台は早朝山蔵から出して組立て、御神像を各山宿に飾る。
(18:00〜)庵唄奉納〔御旅所でもある伝統芸能じょうはな座〕
(18:00〜22:00)各山宿での飾り山
(18:30〜21:00)庵唄合同披露〔城端曳山会館前特設ステージ〕※雨天中止
 ◎本祭り(5月5日)
(9:00〜)渡御行列出発〔御旅所でもある伝統芸能じょうはな座〕各町の傘鉾・剣鉾・獅子舞、春日宮・八幡宮・神明宮の神輿3基と子供神輿
(9:30〜)曳山・庵屋台巡行〔城端別院善徳寺前〕剣鉾と8本の傘鉾・曳山6台、庵屋台6台がそろい、曳山・庵屋台は行列となり巡行を開始。
(13:00頃)剣鉾、8本の傘鉾・曳山6台、庵屋台6台が整列。
(14:00〜14:30)曳山会館前で庵唄を披露。
(15:00頃)渡御行列は神明宮に還御。
(18:00〜)休憩。この時に提灯を付ける。
(19:00〜)夜間巡行

(22:00頃)曳山会館前で庵唄を披露。
(22:00〜22:30)帰り山:城端庁舎前でUターンして各町へ帰る。
 ◎5月6日
前回の3台と交代する曳山・庵屋台・傘鉾が曳山会館に収納され、抜魂式が行われる。
 【神輿】
春日宮
=享保2年(1717)制作。作者は不詳。塗師は八代小原治五右衛門一白。

八幡宮
=享和元年(1801)制作。作者・塗師は不詳。

神明宮
=享和元年(1801)制作。作者は不詳。塗師は八代小原治五右衛門一白。 
 【曳山】
諫鼓山(西下町)=享保年間制作。四方唐破風の屋根で、平天井である。
 御神像は尭王。享保元年(1716)、木屋仙人(木屋五郎右衛門)の作。明和3年(1766)、荒木和助、木屋儀右衛門、木屋九平の3人によって修復され、曳山人形の中では最も古いと云われる。
構造は板車の車輪、三方唐破風の屋根、平天井で。高さは6、18m。
屋根幅を縮めるとき、この曳山は正常な形を保ちながら軒をせり上げるという、特異な装置が仕組まれている。
見返し(後屏)は「竹に鶏」の浮彫。

竹田山(西上町)
=安永年間制作。小原治五右衛門の作。天井は折上という特異なものである。
板車の車輪、屋根は四方軒廻りで、入母屋造り、折上平天井で、高さは5、71m。
神座に見返し(後屏)がないのはこの曳山だけである。
装飾は、水波紋様や恵比須の紋の「蔓柏(つるかしわ)」の
 創建は享保の初めごろと思われる。
 御神像は恵比須像。寛政7年(1795)、荒木和助の作。
 以前の御神像は7代小原治五右衛門林好の作のものだったが、明和8年(1771)に八尾の西町へ譲渡したと伝えられている。その後、24年間は御神像が不在であった。

東耀山(東下町)=別名は「福寿山」。享保年間制作。輻車(やぐるま)の車輪、前後唐破風の屋根。格天井。高さは5、54m。
 御神像は大黒天像。安永3年(1774)、初代荒木和助の作。神座の両脇座に操り人形の「ラッパを吹く人形」と「逆立ちかるわざ人形」は明和2年(1765)初代荒木和助の作。
 以前は黒大黒天像。

唐子山(出丸町)=宝暦12年(1762)制作。板車の車輪、屋根は軒廻前後唐破風。平天井。高さは6、27mです。
 享保5年(1720)創建で、高砂山と称され、「尉と姥」を安置しましたが、宝暦12年(1762)布袋山に改められ、さらに唐子山と称されるようになったと伝えられています。
 御神像は布袋像。宝暦12年(1762)、初代荒木和助の作。弘化3年(1846)小原冶五右衛門改作。

千枚分銅山(大工町)
=明治39年制作。大工は浅野喜平・浅野辰次郎。輻車の車輪、四方唐破風の屋根、平天井で、高さは6、34m。
 見返し(後屏)は、「須佐之男命大蛇退治図」とも、謡曲の「張良」から取材した図であるとも云われている。
 御神像は関羽・周倉像。寛政8年(1796)、荒木和助の作。
当初、千枚分銅を模した造形を御神体として安置していたのではないかと伝えられています。「千枚分銅」の名称もこれに由来したものと思われる。
 先代は明治31年(1898)4月の城端大火で焼失。
 

鶴舞山(東上町)
=享保年間に作られ、安永年間に7代小原治五右衛門により改作。年代を経て多少補修されたが、原形を最も多分に遺すものとして尊重せられる。屋根は二重通大唐風で、平天井である。金色燦然たる金具を附し最も豪華である。見返し(後屏)は、高肉彫刻で、寛政3年(1791)、初代荒木和助の作。
 最も高い曳山で三間二尺(6、52m)。
 御神像は寿老人
。安永2年(1773)、荒木和助の作。昭和28年(1953)に14代小原治五右衛門が修復。
 脇人形に「綾織人形」が飾られ、カラクリで手と顔を動かして舞う。
 【庵屋台】
西下町=京都江戸の青楼の粋を模したものである。明治22年(1889)制作。設計は3代山村十右衛門。屋台の高さは3.29mです。
 創建は不詳だが、文政5年(1822)以来の庵唄稽古番の記録がある。

西上町=京都祇園の一力茶屋を模したものと伝えられる。
昭和31年(1956)新調。居町の大工、竹下理三郎が骨組みを作り、居町の塗工中川文平・高宮善次郎・谷井嘉一・河合豊二と他町の同業者の協力によって出来た。


東下町=京都江戸の青楼の粋を模したものである。水引幕は無く格子造りの構造。高さは3、02m

出丸町=二棟構えの数寄屋造り。二棟の間に紅葉の大樹を出して風情を添えている。
町内有志の共同の作。屋台の高さは、3、20m。水引は唐子遊びの友禅模様のちりめん。


大工町=明治41年制作。在原業平の別荘を模したもので、伊勢物語に取材したという。欄間は杜若・おしどり、腰は水引。高さは3、06m。
 先代は明治33年(31年説もあり)の火災で焼失。

東上町=江戸の粋亭を模し、新吉原の「大文字屋」「鶴屋」「扇屋」「玉屋」の暖簾が入り口にかけてある。7代小原治五右衛門の作と云われているが、文政8年(1825)〜天保5年(1834)の間に大改修され、9代小原治五右衛門らの手で塗漆された。高さは3、45m。
 【傘鉾】
西下町=傘の上には、「太鼓に金鶏」の造形をのせ、諫鼓鶏にちなんだ飾り。水引幕は、黄色地に鶏丸文様。

西上町=傘の上には、「争鈴と玉手箱」。水引幕は紫地に恵比須の象徴である「蔓柏紋」が染め抜かれている。

東下町=傘の上には、大黒天にちなんで「打出の小槌」が飾られている。水引幕は青色地に宝くずし文様。

出丸町=傘の上には、「将棋盤に柳」、傘の中には「冠に蛙」の作り物を飾る。水引幕は赤色地に柳・蛙・波紋文様。

大工町=傘の上には、木製張子細工の「千枚分銅」の飾り。水引幕は紫地に千枚分銅とかきつばた文様を白抜きに染めている。

東上町傘の上には、「金の鶴に岩波」の彫刻。水引幕は上部を朱色、裾を雲形文様、三つ巴紋。
城端西新田2972 神明社 5/16 獅子舞
城端西下3529 稲荷社 10/17 獅子舞
 ■大鋸屋(おがや)地区
   ⇒大鋸屋(おがや)、打尾(うちお)、林道(りんどう)、中尾、盛新(もりしん)、瀬戸(せと)、理休(りきゅう)、泉沢(いずみざわ)
   無人化:上田(うえだ)
大鋸屋1685 大鋸屋神社 3/30&10/9 獅子舞
打尾4266 打尾熊野社 10/10 獅子舞 平成22年、140人、47世帯
林道130 都久波禰神社 4/2日曜&10/3日曜 獅子舞 平成22年、220人、57世帯
中尾1611 中尾八幡宮 獅子舞休止中
盛新100 天満宮 獅子舞休止中 平成22年、52人、19世帯
瀬戸11 神明宮 獅子舞休止中 平成22年、23人、9世帯
理休1846 八幡社 8/24(毎年) 獅子舞 平成22年、695人、161世帯
理休2680 八幡宮
泉沢645 泉沢神明宮 10/最終土曜 獅子舞
若杉(わかすぎ)大鋸屋の字地?。「城端町の歴史と文化」によると、昭和41年無人化。明治末期には30戸。
神社跡には石碑あり。若杉神明社は
大鋸屋字若杉10−1−6にあるのでこちらに移転か?。

上田(うえだ)
=「角川」では二ッ屋村。明治12年上田村と改称。昭和48年理休地内の折田林へ集団移住し、49年閉村式。明治5年、30戸174人。昭和5年42戸。昭和48年8戸。
神社は熊野社。平成2年、北野天満宮に合祀。
 ■北野地区
   ⇒北野(字は次郎丸、長楽寺、吉松)
北野6246(長楽寺) 北野天満宮 字は次郎丸、長楽寺、吉松
北野1365(吉松 吉松神社 10/2土曜 獅子舞
 ■南山田地区
   ⇒金戸、上見(うわみ)、塔尾(とうの)、上原、大沢新、野口、西原、千福(せんぶく)、大宮野、国広、経塚野(きょうづかの)、大西、信末(のぶすえ)、金戸、是安
金戸1412 新明社
上見1101 新明社 4/6 獅子舞
塔尾358 八幡社
野口467 稲荷神社
千福1344 春日神社 3/29 獅子舞
大宮野235−4 稲荷神社
大西1362 大宮社
信末146 住吉神社 3/最終日曜 獅子舞
金戸1412 新明社
是安837 新明社
西原=行政上は立野原東。現在の桜ヶ池中央部から南側(上流)に20数戸の集落があったが、明治30年の初めころ、陸軍第9師団金沢連隊砲兵隊演習場として買収。
その後現地よりため池造成の請願があり昭和16年7月着工。昭和29年3月竣工。
 ■蓑谷地区
   ⇒蓑谷(みのだに)、細野、西明(さいみょう)、東西原、正谷(まさだに)
蓑谷7681 蓑谷神社 10/1土曜 獅子舞
細野215 細野熊野社 10/20後の日曜 獅子舞
西明2368 西明神社 10/2日曜 獅子舞
東西原1011 赤祖父社
正谷 蓑谷神社
 ■山田地区
   ⇒細木、大窪、雁巻島、梅野、中筋、野田
細木1208 神明社 獅子舞休止中=大窪 氏地は細木、大窪、国広
梅野 神明社
野田612 愛宕社
※『富山県の獅子舞芸能と祭礼−獅子の芸能と行事の現状−』(平成18年発行)によると、旧・城端町の獅子舞は全部で21地区。内訳は春8地区、夏1地区、秋9区、冬0地区、休止5地区となっている。
 ◎旧・平村
祖山312 熊野社 5/4、5 獅子舞
杉尾41 新明社 獅子舞休止中 平成22年、20人、7世帯
渡原(どのはら)115 新明社 獅子舞休止中 平成22年、5人、2世帯
大崩島(おおくずしま) 愛宕社 5/3、4 獅子舞
寿川(すがわ)474 愛宕社 5/3、4 獅子舞
入谷420 新明社 5/3、4 獅子舞
東中江717 新明社 5/3、4 獅子舞 平成22年、44人、13世帯
高草嶺(たかそうれい)962 熊野社 5/2、3 獅子舞
夏焼(なつやけ)8 新明社 獅子舞休止中 平成22年、8人、4世帯
下出928 小谷神社 5/5、6 獅子舞
籠渡(かごど)1182 白山社 4/30、31 獅子舞 平成22年、40人、15世帯
大島806 竈神社 5/1、2 獅子舞
下梨(しもなし)2424 地主社 4/23 獅子舞
中畑(なかばたけ)110 新明社 4/25、26 獅子舞
見座(みざ)840 愛宕社 2/24、25 獅子舞
相倉(あいのくら)982 地主社 4/20 獅子舞
来栖(くるす)223 春日神社 4/24、25 獅子舞
小来栖(こくるす)156 神明社 4/21 獅子舞
上松尾109 薬師社 獅子舞休止中 平成22年、2人、1世帯
上梨(かみなし)654 白山社 4/26、27 獅子舞 平成22年、94人、29世帯
田向468 住吉社 4/27、28 獅子舞
 【祖山ダム】
昭和2年(1927)着工。昭和5年(1930)竣工。
城(じょう)が水没。城は開拓以来家は上野家1戸のみで、川が蛇行している左岸にあり、地区全体を電力会社に売却し大正4年杉尾に転出。「角川」では明治5年、1戸14人。
神社は家の西側に熊野社があったが、昭和2年に杉尾神明社に合祀。
 【消滅集落】
障子倉(しょうじくら)
=「角川」に明治中期になって神仏が振るわなくなり離村。集落跡は倉庫・工事用材置き場・プラントに使われているとある。明治5年、2戸11人。
神社は神明社。昭和17年、夏焼の神明社に合祀。

田代(たしろ)=「村の記憶」や「角川」では無人化は昭和54年。明治初期4戸、大正末期6戸。
神社は神明社(田代168)。離村に伴い隣村の小来栖神社に合祀。
例祭に獅子舞が出た。

梨谷(なしたに)=たいらスキー場は経営中。無人化は昭和50年代後半。明治初期25戸。昭和57年5戸。
神社は白山社(梨谷317)。例祭に獅子舞が出た。
※『富山県の獅子舞芸能と祭礼−獅子の芸能と行事の現状−』(平成18年発行)によると、旧・平村の獅子舞は全部で23地区。内訳は春17地区、夏0地区、秋0区、冬0地区、休止6地区となっている。
 ◎旧・上平村
      ⇒皆葎(かいむくら)、猪谷(いのたに)小原、細島、菅沼、小瀬、漆谷、田下、下島、新屋(あたらしや)、西赤尾、東赤尾、真木(まき)、楮(こうず)
      無人化:桂、打越、上中田
皆葎507 住吉神社 4/22 獅子舞 皆葎獅子舞保存会
猪谷344 熊野社 4/29、30 獅子舞休止中 平成22年、55人、18世帯
小原486 乙劔社 4/22、23 獅子舞 小原獅子舞保存会
細島1124 熊野社 5/2、3 獅子舞 細島獅子舞保存会
菅沼431 神明社 4/30〜5/1 獅子舞休止中 平成22年、24人、6世帯
小瀬65 神明社 4/21、22 獅子舞休止中 平成22年、4人、2世帯
漆谷61 住吉社 5/2、3 獅子舞
田下 少彦名社 5/1、2 獅子舞休止中 平成22年、18人、5世帯
下島 八幡社 5/5、6 獅子舞休止中 平成22年、58人、16世帯
新屋 5/4、5 獅子舞 五箇山獅子舞保存会(新屋地区他5集落合同)
西赤尾195 八幡社 5/3、4&10/5 獅子舞 赤尾獅子舞保存会
東赤尾114 八幡社 5/3、4&10/5 獅子舞 赤尾獅子舞保存会
真木(まき) 5/4、5 獅子舞休止中 平成22年、11人、5世帯
楮798 楮八幡社 5/3、4 獅子舞 楮獅子舞保存会
 【消滅集落】
桂(かつら)
=境川ダム(桂湖)の建設以前の離村だが、田畑10.6ha。山林131.2ha水没するので、補償があった。
昭和45年10月25日解村式。11月5日閉村式。「角川」では明治6年、6戸57人。閉村時も6戸。例祭に獅子舞が出た。例祭日は5/9、10。

打越(うちこし)
=「村の記憶」では無人化は昭和45年。
「角川」では明治5年、3戸35人。昭和35年、2戸。昭和42年より無人化。

上中田(かみなかだ)=東海北陸自動車道の五箇山インターチェンジ建設のため全戸移転。上中田集落跡の碑あり。戸数は5戸。
神社は
少彦名社(上中田26)。例祭日は5/1、2。
※『富山県の獅子舞芸能と祭礼−獅子の芸能と行事の現状−』(平成18年発行)によると、旧・上平村の獅子舞は全部で14地区。内訳は春7地区、夏0地区、秋1区、冬0地区、休止7地区となっている。
 ◎旧・利賀村
 ■草嶺地区
   ⇒高沼(たかぬま)、下原(しもはら)、栃原(とちはら)、北原(きたはら)、長崎、大牧(おおまき)
   無人化:栗当、仙野原、草嶺、押葉
高沼60 八幡宮 獅子舞休止中 平成22年、3人、2世帯
下原532 八幡宮 獅子舞休止中
栃原1 鳥屋神社 獅子舞休止中
北原475 八幡宮 獅子舞休止中 平成22年、14人、6世帯
長崎1 蔦崎社 獅子舞休止中 地番は北原に含まれる
大牧8 熊野社 平成22年、12人、12世帯
 【消滅集落】
栗当(くりとう)=「村の記憶」によると、無人化は昭和54年。
神社は神明社(栗当37)。例祭に獅子舞が出た。

仙野原(せんのはら)
=「村の記憶」によると、無人化は昭和41年。明治5年、戸数8人口73。昭和30年、戸数7人口46。昭和39年戸数1。
神社は愛宕神社。離村に伴い井波八幡宮に合祀されたという。例祭に獅子舞が出た。


草嶺(そうれい)=旧称は草嶺倉。大正2年草嶺と改称。無人化は不詳だが平成5年には2戸あり。
「角川」によると、明治5年、戸数13人口127。明治22年、戸数17人口135。昭和63年と平成5年、戸数2人口8。
神社は八幡宮。例祭に獅子舞が出た。

押場(おしば)=平成6年以降の廃村。明治5年、戸数10人口82。昭和30年、戸数8人口59。昭和63年、戸数1人口2。平成5年、戸数1人口2。
神社は神明宮(押場50)。例祭に獅子舞が出た。
 ■利賀地区
   ⇒北豆谷(きたまめだに)、利賀(とが)、岩淵(いわぶち)、上畠(うえばたけ)、坂上(さかうえ)、阿別当(あべっとう)
北豆谷5 神明社 5/3 獅子舞 平成22年、23人、9世帯
利賀250 神明宮 5/4 獅子舞
岩淵472 蛭子社 5/4 獅子舞 平成22年、49人、32世帯
上畠101 神明宮 5/4 獅子舞 平成22年、46人、21世帯
坂上731 八幡宮 5/4 獅子舞 坂上獅子方若連中。平成22年、115人、36世帯
阿別当297 神明宮 5/4 獅子舞 平成22年、103人、37世帯
 ■大勘場地区
   ⇒中口、千束(せんぞく)、大勘場(たいかんば)
   無人化:田島(たのしま)、水無(みずなし)
千束(大勘場481) 八幡宮
奥大勘場(大勘場710) 八幡宮
 【消滅集落】
田島(たのしま)=大勘場の最北部。「村の記憶」によると、無人化は昭和53年。今も家屋は2軒あるが常住していない。11戸あった。
神社は神明宮(大勘場223)。


水無(みずなし)=利賀川最上流。「村の記憶」によると、無人化は昭和45年。今も1戸あり夏に住んでいる。明治5年、戸数2人口12。昭和30年、戸数13人口72。昭和50年、戸数2人口4。
神社は八幡宮(水無7。
 ■百瀬地区
   ⇒上百瀬(かみももせ)、中村(なかむら)、百瀬川(ももせがわ)
上百瀬768 神明宮 5/5 獅子舞
中村102 神明社 5/5 獅子舞休止中
百瀬川625 加茂社 5/5 獅子舞 百瀬獅子方若連中。字は谷内(やち)、入谷(いりや)、島地(しまじ)
 【菅沼ダム】
昭和31年(1956)着工。昭和33年(1958)竣工。
菅沼(百瀬川の字)が水没。「村の記憶」によると、無人化は昭和33年。4戸あり完全に水没したのは1戸。
※『富山県の獅子舞芸能と祭礼−獅子の芸能と行事の現状−』(平成18年発行)によると、旧・利賀村の獅子舞は全部で11地区。内訳は春0地区、夏0地区、秋1区、冬0地区、休止0地区となっている。
 ◎旧・井波町
 ■井波地区
井波3057 井波八幡宮 5/2、3 神輿
庵屋台3台 八日町、上新町、北川・北新町、今町
踊り山1台 中新町
獅子舞 東町、下新町、山下
獅子舞休止中 八日町
氏地は井波、井波栄町、井波末広町、井波東町、今町、木崎野、北新町、坂ノ下、畑方、本町、三日町、六日町、山下、八日町
四角の神輿=天保元年(1830)建造。初巡幸は天保4年(1833)。
八日町=御殿造り。明治初年制作。

上新町
=御殿造り屋台。明治8年制作。

北川・北新町
=白木御殿屋台。明治29年頃制作。

今町
=御殿造り。日清戦争勝利奉祝で福光か城端より中古屋台を購入か?大正14年に三階建てに大改修。
中新町=踊り山。昭和49年制作。54年完成。藤井神堂店(山下の浅倉久尚)の作。彫物は加茂為男、花島一作、堀友二 等の寄進。
 先代は恵比須屋台で明治初期〜昭和48年まで使われる。
西町(三日町)…御殿造り屋台を昭和36年頃まで曳いていた。欄間と笠鉾は伝統産業会館に展示。 
明治初年頃の作。二代目松井角平の作。欄間は初代岩倉利八。

畑方・町並…明治38年に制作。中村建設の作。彫物は町内の彫師。
昭和32年頃まで曳いていたが西別院火災により天井裏に預けていた骨組みが焼失したので屋台を解体して、町内の有志に売却した。 
今も10軒ほどの家が家体の一片も持ち、寄せると1階は無いが、2階3階は再現出来るらしい。

藤橋
…庵造り屋台がかつてあり、布袋様が伝統産業会館に保管。  

六日町
…御殿造り屋台を明治初期より曳いていたが、明治31年4/25の井波大火により焼失。当時は町内の寺と有志の蔵に分散保管されていた。今も常永寺に一部保管されているらしい。

下新町=以前より笠鉾はあった。井波大火(大正14年9月7日)の後、屋台建造を計画し青年会も50円前後積み立て設計は三日町の久村さん(松井角平の番頭)に依頼し、材料も町内の蔵に預けていたという。しかしながら屋台は実現せず。
昭和26年、屋台を諦め獅子舞を始める。
 畑方・町並が屋台解散時に100万円ほどで売却依頼するが、応じてくれなかった。
 ◎獅子舞
東町
=明治28年誕生。日清戦争の帰国軍人を迎えるために始まる。
獅子頭は二代目。昭和27年4月、南部白雲の作。


八日町
=大小の獅子があったが、大は井波八幡宮の神輿が天保元年(1830)建造。天保4年(1833)の初巡幸の際に露払いとして獅子の要請があったが、人材不足のため山下に獅子を譲り依頼した。
小は昭和3年の御大典が最後と云われ、獅子頭は現存。
山見1428 山見八幡宮 9/23 獅子舞 氏地は山見、山見町並、堀道、京願町
 ■南山見地区
   ⇒川原崎(かわらさき)、院瀬見(いぜみ)、東城寺、清玄寺(せいげんじ)、連代寺、志観寺(しかんじ)、谷、戸板、五領、今里、沖
川原崎266 川原崎天満宮
院瀬見2978 春日社 3/29 獅子舞

井波随一の大獅子。演目はミヤマイリ、ギオンバヤシなど。

清玄寺1098 矢於留神社 氏地は清玄寺、連代寺
志観寺691 白山社
谷724 大森神社
戸板1198 戸板神明宮
五領1 五領神明宮 氏地は五領、五領島
今里50 今里神明宮
沖3663 神明社
 ■山野地区
   ⇒飛騨屋、安室(あづち)、利屋(とぎや)、岩屋、清水明(しみずみょう)、専勝寺(せんしょうじ)、高屋、戸保家、軸屋、松原、縄ノ内、坪野、野能原(ののはら)
飛騨屋1 神明社 10/10 獅子舞
安室156 神明社 10/19 獅子舞
利屋193 神明社
岩屋226−1 山斐神社 11/3 獅子舞
清水明1 八見神社
専勝寺446 神明社 11/2 獅子舞
高屋1357 神明社
松原295 松原神明宮
坪野1537 坪野神明社 11/5 獅子舞 明治初期に北市より習得。長持に「明治13年、辰8月」と記されている。
野能原62 神明社 10/10 獅子舞 能毛野新に鎮座
野能原の旧称は能毛野で能毛野新、松原出、野尻野新の三字に分かれている。始まりは明治9年、旧・野尻村(福野町)川除新より習得。長持は明治20年4月27日と墨書きがあり、当時は能毛野新、松原出で保有。明治28年、野尻野新も参加して能毛野として一体となる。
 ■高瀬地区
   ⇒高瀬、北市(きたいち)、三清東
高瀬291 高瀬神社公式HPへ 10/1日曜 神輿
北市1763 北市神明宮 8/24 獅子舞
三清東4136 天満宮
※『富山県の獅子舞芸能と祭礼 獅子の芸能と行事の現状−』(平成18年発行)によると、旧・井波町の獅子舞は全部で13地区。内訳は春4地区、夏1地区、秋7区、冬0地区、休止中1地区となっている。

 ◎旧・井口村
池尻2069 神明社 平成22年、200人、60世帯
池田2278 熊野社 平成22年、142人、36世帯
井口553 井口神明宮 11/6 獅子舞 平成22年、135人、37世帯
旧・井口村で伝承される唯一の獅子舞。演目はギョウレツで始まり、ヨッサキで終了する。演目は他にサンパサ、オドリシシ、カマなど。休止していたが、地区唯一の獅子舞を青年会が中心となって復活させた。
大野163 八幡社 平成22年、17人、5世帯
上広安5650 神明社 平成22年、57人、12世帯
川上中648 神明社 平成22年、165人、51世帯
久保931 神明社 平成22年、72人、23世帯
蛇喰2758 神明社 平成22年、316人、65世帯
宮後373 八幡社 平成22年、112人、32世帯
※『富山県の獅子舞芸能と祭礼−獅子の芸能と行事の現状−』(平成18年発行)によると、旧・井口村の獅子舞は全部で1地区。内訳は春0地区、夏0地区、秋1区、冬0地区、休止0地区となっている。

 ◎旧・福野町
 ■中部地区(=福野地区)
福野1801 福野神明社 5/1、2 夜高行燈7本 中7、小10本=御蔵町、浦町、辰巳町、横町、新町、上町、七津屋
5/3 神輿
曳山4台 横町、上町・七津屋、新町、浦町
獅子舞 七津屋 など
氏地は福野、横町(よこちょう)、浦町(うらまち)、上町(かんまち)、新町(しんまち)、御蔵町(おくらまち)、辰巳町(たつみちょう)、七津屋(ななつや)、南町(みなみちょう)、駅前通り、田中町(たなかまち)、松原新(4区)
 ≪福野夜高祭の行事予定≫
 ◎4月30日(前夜祭)
(19:30〜)JR福野駅前でヨサコイ・合唱・太鼓など
(21:00頃)文久の大行燈=高さ12m。福野駅前通りで21時頃に練りまわし。

 ◎5月1日
(18:30〜深夜)全町夜高行燈練り廻し
(21:00)上町交差点で優美・勇壮夜高行燈コンクール、表彰式

 ◎5月2日
(18:30〜深夜)全町夜高行燈練廻し
(23:00頃〜24:00頃)ケンカ行燈

 ≪福野神明社春季例祭曳山の行事予定≫
 ◎5月3日
(9:30頃)上町交差点に曳山4台集合
(10:00〜10:30)セレモニー
(10:30頃〜11:00)曳山巡行。上町交差点⇒福野神明社
(13:00〜)福野神明社より神輿出発
(午後)それぞれの町内で曳山が曳かれ、獅子舞も出る
 ■夜高
町(よこちょう)=大行燈1、中行燈1、小行燈2

浦町(うらまち)=大行燈1、中行燈1、小行燈3

上町(かんまち)=大行燈1、小行燈1

新町(しんまち)=大行燈1、小行燈2

御蔵町(おくらまち)=大行燈1、小行燈1

辰巳町(たつみちょう)=大行燈1、中行燈1、小行燈1

七津屋(ななつや)=大行燈1、中行燈1、小行燈2


文久の大行燈=3代目。高さ約15m。
福野開町350年を記念して、平成12年(2004)の前夜祭に文久年間の夜高行燈を復元(高さ約12m)。
平成17年(2009)の前夜祭からは電線地中化工事が完了した完了した福野駅前通り約200mで練り廻しを行っており、
現在も観光客など誰でも練り廻しの参加体験ができる。
 ■曳山
横町
=創建は不詳。弘化4年(1847)、曳山修繕のための毎日掛銭の制が設けられた。最近では大正9年(1920)に修復。昭和48年(1973)より巡行復活。
鉾留(だし):「鼓」。
御神像(本座):「猩々の汲み酒」。
相座(からくり人形):「唐子のどんぐり返し」。
高欄は一位高欄腰重子彫り。上壇は神代木雲龍彫り、中壇は水浪、下壇は如鱗杢牡丹獅子彫り。地山(曳山の腰部分)には巌石獅子彫り。
上町・七津屋=文政元年(1818)頃には出来ていたと云われている。文政3年(1820)5月「曳山、屋台併蔵普請入払帳」は蔵の普請の記録でこの時にはあったと思われる。
昭和48年(1973)より巡行復活。
御神像(本座):「神功皇后と武内宿禰の西征航海」。
船首には翼(2.3m)を広げた木彫りの鷁(げき)という水鳥が飾られている。船の上には入母屋造り唐破風の屋根。
 4町で唯一の庵屋台を曳き出し曳山を先導し巡行する。あと3町も庵屋台はあるが、出していない。
新町=富山県唯一の船山車。
文政3年(1820)頃創建。大工・彫師は不詳。
明治8年に内輪(3尺5寸)を外輪(4尺7寸)に改造。平成16年(2004)、約70年ぶりに蔵出し。
鉾留(だし):「法螺貝」。
御神像(本座):「五条大橋、弁慶と牛若丸の出会い」。昭和12年、京都・大木人形店で修復。
硯塀(見送り): 龍
腰幕:平成17年(2005)復元新調。「羅紗の朱色」。
船の本体は「龍、鳳凰、麒麟」。高欄は「中国人物」。船と地山の境目に「亀」
浦町・辰己町=文政年間(1818〜30)に創建。井波町で平成16年(2004)に発見された曳山彫刻の下絵により、文政年間の建造と分かる。
平成16年(2004)、33年ぶりに祭礼参加。
彫師は見送りの「唐子遊び」が井波・初代岩倉理八。他は町内の大工が彫ったと思われる。

鉾留(だし):「金幣」。
御神像(本座):「素盞雄尊の八岐大蛇退治」。
後塀(見送り):「白象に戯れる唐子たち
腰幕:羅紗の朱色の幕。
 ■獅子舞
七津屋
=平成25年(2013)獅子頭、蚊帳、衣装 などを新調。
二日町523 神明社 9/24 獅子舞
 ■北部地区(=野尻地区)
   ⇒野尻、岩武新、上野(うえの)、柴田屋、高儀(たかぎ)、長源寺、川除新(かわよけしん)、本江(ほんごう)
野尻711 石武雄神社 10/連休日曜 獅子舞 旧・郷社。氏地は野尻、岩武新
上野67 神明社
柴田屋1107 日吉社 8/31 獅子舞 川西・川東
高儀268 神明社 8/26 獅子舞
長源寺38 神明社 獅子舞休止中
川除新136 神明社 9/最終日曜 獅子舞
本江228 本郷神社 10/連休日曜 獅子舞
 ■東部地区
   ⇒高堀(たかほり)、上野(うえの)、野尻野(のじりの)、松原、年代(ねんだい)、百町(ひゃくちょう)、苗島(のじま)、焼野(やけの)、軸屋、野新(のうしん)
高堀1503 神明社
上野67 神明社
高堀502 神明社 氏地は野尻野。2010年、194人、56世帯
松原1180 神明宮 氏地は松原、松原新(4区の2)
年代1 神明社
百町53 神明社
苗島51 神明宮 10/最終日曜 獅子舞
焼野25 神明宮
軸屋791 神明社 氏地は井波軸屋、福野軸屋
野新629 神明社
 ■西部地区(=東石黒・西野尻地区)
   ⇒布袋、森、三ッ屋、下吉江、新邸(しんてい)、桐木、前田、晩田(ばんで)、田尻、梅ケ島
福野西部地区では毎年6月第2金土日の3日間に渡り、高さ4mほどの夜高行燈が練り回されている。こちらは田祭りとして行われ、以前は農村部の西部地区の各集落で個々に行われていたが、担い手不足により平成7年(1995)より1本化し、西部地区協議会、福野西部公民館の行事として西部地区内10集落を練り廻している。
布袋40 神明社
森67 神明社
三ッ屋50 神明宮
下吉江245 日吉神社 氏地は下吉江、新邸
桐木153 神明宮 10/連休日曜 獅子舞
前田120 神明宮
晩田117 神明宮
田尻224 田尻神社
梅ケ島210−1 富士社
 ■安居地区
   ⇒ 安居、上川崎(かみがわさき)
安居706 長谷玉神社 3/31 獅子舞 氏地は安居、七村滝寺。ただし七村滝寺は無住。
上川崎154 神明社
 ■南部地区
   ⇒広安(ひろやす)、八塚(やつづか)、田屋(たや)、石田、東石田、寺家(じけ)、院林(いんばやし)
広安405 平田社
八塚178 神明社 10/6 獅子舞
田屋248 神明宮 11/2 獅子舞
石田153 立山社 8/31 獅子舞 氏地は石田、東石田
寺家300 日吉社
 ■高瀬地区
   ⇒森清(もりきょう)、安清(やすきよ)、江田、雨潜(あめくぐり)、野原、三清西
森清1148 神明宮 獅子舞休止中
安清656 神明宮 獅子舞休止中
江田153 櫻木神社
雨潜47 神明宮
野原556 神明宮
三清西4136 天満宮
※『富山県の獅子舞芸能と祭礼−獅子の芸能と行事の現状−』(平成18年発行)によると、旧・福野町の獅子舞は全部で21地区。内訳は春2地区、夏4地区、秋12区、冬0地区、休止3地区となっている。

 ◎旧・福光町
 ■福光(福光)地区
   ⇒福光(本町、味噌屋町、宮脇町、旭町、荒町、神田町、栄町、中央通り、寺町、中荒町、西町、東町、東新町)
福光6865(宮脇町) 宇佐八幡宮 4/3日曜(元・15) 宮神輿 厄年の男性が奉仕。11.456kmを巡幸。掛声は「よいやさ」。
庵屋台5台 本町、西町、東町、味噌屋町、五宝町
獅子舞 西町、新町、川原町、荒町
 ≪ふくみつ福光春季例大祭≫
(7:45〜)神輿が福光宇佐八幡宮を出発し、福光町内を巡幸
(10:00〜10:10)JA福光広瀬地区センター
(10:50〜11:10)福光公民館
(12:00〜12:15)旭町公民館
(14:00〜14:10)西別院
(14:40〜15:45)福祉会館
(18:00〜18:30)JA福光福光地区センター
(20:00頃)福光宇佐八幡宮に還御
 ■庵屋台
(13:00)南砺市中央図書館前にて3町内(東町・西町・本町)の庵屋台が集合 
(13:20)出発 
(13:20頃)南砺市中央図書館前を出発し、福光町内を巡行
(15:00〜16:00)福光公民館
(19:00頃)庵屋台が国道304号東町交差点(富山第一銀行福光支店前あたり)で解散し各町内に帰る

 ※五宝町の庵屋台は飾り置き
鳥居組(本町)、神楽組(西町)、御幣組(東町)、錨組(川原町・味噌屋町)、剣組(荒町・五宝町)
庵屋台は文久2年(1862)に一斉に作られる。出場は通常3台、年によっては5台揃うことがある。
 ■石黒(いしぐろ)地区
   ⇒和泉、松木(まつのき)、八幡(はちまん)、中ノ江(なかのご)、法林寺、川西〔定竜寺、川合田、西勝寺〕
和泉2556 富士社
松木782−2 住吉社
八幡132 八幡社 4/15&8/30 例祭
中ノ江625 新明社 4/15&10/31 例祭
法林寺2615 熊野社
川西19(定竜寺) 春日社
川西1038(西勝寺〕 春日神社
 ■西太美(にしふとみ)地区
   ⇒小院瀬見(こいんぜみ)、小二又(こぶたまた)、天池、広谷、糸谷新(いとだにしん)、香城寺、才川七(さいかわしち)
小院瀬見1372 神明宮 4/21&9/21 例祭
小二又132 熊野神社 4/17&8/27 例祭
広谷300 八幡社 4/10&10/10 例祭
糸谷新55 新明社
香城寺1 葉森社 4/11&10/31 獅子舞休止中
才川七423 西太美神社 4/2土曜 獅子舞
 ■東太美(ひがしふとみ)地区
   ⇒土生、土生新、東殿、市野沢、立野新、大西
土生1685 乙劔社 4/5&10/25 例祭
土生新字大窪 神明社 3/29&10/9 獅子舞
土生新12143 新明社
東殿1405 産霊社 4/4&10/29 例祭
大西1362 大宮社 3/24&10/24 例祭
 ■広瀬地区
   ⇒竹内、天神、小山、山本、坂本、開発
竹内1661 熊野社 3/25頃の日曜 獅子舞
天神1656 天神社
小山4731 若宮社 11/2 獅子舞
山本3416−1 熊野社 11/1日曜 獅子舞
坂本1905 住吉社 11/2頃の休日 獅子舞
開発 市比売神社
 ■広瀬館地区
   ⇒広瀬館、祖谷(そだに)、小坂(こざか)、舘(青柴、南谷)
小坂4603 八幡社
祖谷5452 神明宮
舘(青柴) 神明社
 ■太美山(ふとみやま)地区
   ⇒重安、刀利(とうり)、立野脇(たてのわき)、綱掛、吉見、館(たち)、米田、七曲、樋瀬戸(ひのせと)、嫁兼
   無人化⇒刀利(上刀利、下刀利、滝谷、中河内、下小屋)、臼中(うすなか)
立野脇187 八幡宮 4/15&9/10 例祭
綱掛293 八幡社
吉見763 八幡社 獅子舞休止中
館117 神明社
七曲70 八幡社
樋瀬戸319 新明社 獅子舞休止中
嫁兼20 乙劔社 10/体育の日 獅子舞
 【刀利ダム】
昭和35年(1960)着工。昭和42年(1967)竣工。水没は3地区(下刀利、上刀利、滝谷〕、土地取得面積118ha 、学校1など。
村史によると、昭和36年9月20日、合同で刀利分校で閉村式を行う。
またダム上流の2地区はは刀利ダム建設に伴い移住を余儀なくされ廃村へ。下小屋は昭和41年(1966)、中河内は昭和45年(1970)に解村。
下刀利=4戸27人。

上刀利=14戸96人。

滝谷=9戸66人。


中河内(なかのこうち)=閉村式は昭和45年11月22日に念仏道場で行う。8戸39人。

下小屋=閉村式・閉校式は昭和41年10月28日に神明社で行う。6戸36人。
 【臼中ダム】
昭和50年(1975)着工。平成3年(1993)竣工。水没は臼中。
昭和53年9月12日、閉村式。20世帯76人。
この日は秋祭りで鎮守を小矢部市水島の神社に遷座した。例祭には獅子舞を奉納。
 ■吉江地区
   ⇒田中、遊部(あそぶ)、高宮、神宮寺、小林、下野、一日市(していち)、仏道寺、吉江中、荒木
田中1375 八幡社 11/3 獅子舞
遊部1510 熊野社 10/2日曜 獅子舞 氏地は遊部、遊部川原
高宮4520 比売神社
下野7 神明社 4/15&11/2 例祭
一日市582 新明社 5/16&11/23 例祭
吉江中949 日吉社
荒木5570 八幡宮 4/3日曜(元・15) 神輿
獅子舞 太鼓台もあり
平成24年(2012)より例祭日変更で、毎年福光大橋の真ん中で宇佐八幡宮の神輿と合わせる。以前は例祭日が重なった年に合わせた。
獅子舞=明治期から伝わっているとされ、平成20年(2008)獅子頭、太鼓、衣装などを、総額361万8、000円をかけて新調。
この獅子舞用具の新調には、宝くじの普及のため(財)自治総合センターが実施する「平成19年度コニュニティ助成事業」から、250万円の助成を受けた。
 ■北山田地区
   ⇒宗守(むねもり)、梅原、古小杉、鍛冶、宗守新、館新、荒見崎新、徳成、東殿、高畠(たかばたけ)、林新、神成(かみなり)、久戸(ひさと)、在房
宗守2988 神明社 4/14&8/24 例祭
梅原6361 熊野神社 11/5 例祭
3/最終日曜(元・20) 獅子舞
鍛冶1133 新明社 4/15&10/31 例祭
徳成2264 八幡社 4/4&10/29 例祭
東殿1405 産霊社 4/4&10/29 例祭
高畠1 諏訪社 4/14&11/2 獅子舞休止中
神成128 新明社 4/15 例祭
11/3 獅子舞
久戸220 新明社 4/3&10/25 例祭
在房1426 神明宮 4/15&8/19 例祭
 ■山田地区
   ⇒山田、天池、竹林、大塚
山田1438 神明社
竹林1061 神明社 10/23 獅子舞
大塚 神明社
 ■南蟹谷地区
   ⇒砂子谷(すなごだに)、人母(ひとぶ)、高窪、新保、能美(のみ)、土山(どやま)、小又(おまた)、湯谷(ゆだに)、蔵原
砂子谷2063 富士社 11/3 獅子舞
人母466 立山社 4/1日曜&9/1日曜 秋は神賑 子供花火大会、カラオケ大会、BBQ など
高窪1015 八幡宮 4/2&9/15 例祭 かつては奉納相撲
能美300 八幡社
土山2496 熊野社
小又3536 小又神社 3/25&9/5 例祭
湯谷1125 八幡神社 4/2&9/2 例祭
蔵原1870 八幡宮
 ■西野尻地区
   ⇒岩木、岩安、川西(旧・西勝寺)、和泉
岩木5024 荊波神社 3/18 獅子舞
岩安99 神明社 3/18&8/30 例祭
川西1038 春日神社 4/2&11/2 例祭
和泉2556 富士社 10/2日曜 獅子舞
※『富山県の獅子舞芸能と祭礼−獅子の芸能と行事の現状−』(平成18年発行)によると、旧・福光町の獅子舞は全部で29地区。内訳は春12地区、夏0地区、秋11区、冬0地区、休止中7地区となっている。

 ★展示場
 【城端曳山会館】
南砺市城端町大工町579−3
рO793(62)2165。9:00〜17:00。休館日は年末年始。料金は510円。
曳山祭に使われる傘鉾、庵屋台、曳山などを一年中展示している。優雅な祭り囃子と一緒に曳山祭の映画も上映されている。
 【文化創造センター ヘリオス】(公式HPへ)
南砺市やかた100 рO763(22)1125。9:00〜21:30。図書館は9:30〜19:00(土日祝日は17:00まで)。休業日は火曜(祝日の場合は翌日)、年末年始。入場無料。
音楽、芸術文化などの複合文化センターで、図書館も併設。

 夜高行燈は当センターがオープンした平成3年(1991)よりアトリウムに展示。
現在で3代目でいずれも横町が手掛ける。平成27年(2015)制作で高さは約8m(祭礼で練り廻すものより約1.5m高い)。