和 歌 山 県

       ≪日高地方≫

              御坊市、日高郡(印南町、日高川町、日高町、美浜町、由良町、みなべ町)

住所 神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪御坊市≫
薗新町(薗642) 小竹八幡神社 10/4、5(毎年) 神輿 あり
屋台8台 中組、浜ノ瀬組、下組、名屋組、東薗組、上組、紀小竹組
四ツ太鼓(大人8子供5) 御坊、上(椿)、中(新町)、下(茶免)、紀小竹、東薗、名屋、浜之瀬
中組=新町とも言う。旧・薗村に属し地内に小竹八幡宮があり、宮本としての権限で式順は常に一番を勤める。
組印は新の字をうかせた
「盃」
四つ太鼓は文政年間(1820年頃)にはあったと古文書にはある。
奉納芸能は獅子舞と奴踊り。

浜ノ瀬組(濱)旧・松原村に属し通称を浜という。地内にお旅所があり、式順は二番である。
美浜町である浜の瀬組が小竹八幡の氏子であるのは、寛文年間(1661〜72)頃に薗村方面から移り住んで出来た町であり、元々小竹八幡の氏子がほとんどであったためである
組印は「おたふく」。
江戸期より
四つ太鼓を出していた。
奉納芸能は獅子舞と奴踊り。
 平成21年(2009)宝くじ助成金を受けて新装。獅子頭は約200年ぶりに新調。由良町の職人の作。
四ツ太鼓の天幕は18年ぶりの新調。天幕と獅子の着物は市内のしの友呉服店の作。

下組旧・薗村に属し通称を茶免という。かつては土手組とも呼ばれた。
式順は三番である。
組印は「雀」。
四ッ太鼓は昭和9年頃に創建。
奉納芸能は獅子舞と雀踊り

紀小竹(きしの)組(紀小竹)旧・薗村に属し、式順は明治末頃までは三番だったが、一時祭礼を退き屋台を作り再び参加したので4番である。
組印は「瓢箪」。
奉納芸能は獅子舞と奴踊。

御坊町=旧・御坊村。地内は東上・東下・中上・中下・西上・西下・古寺内の7組に分け個々に運営し、大道具(四ッ太鼓)・屋台(獅子舞)・奴踊りを持ち回り当番制にしている。
組印は「鳥居」。
四ッ太鼓は古くよりあり。
奉納芸能は獅子舞と奴踊り。


名屋組旧・名屋村。元は須佐神社の氏子だった。明治42年に小竹八幡宮に合祀され、以降御坊祭りに参加するようになった。
組印は五本骨の「扇」。

四ッ太鼓は昭和30年頃に創建。
奉納芸能は獅子舞。

東薗組(薗)=
旧・薗村。組印は「舞鶴」。
四ッ太鼓は現存では最古。大正5年創建。13年より祭礼に参加。
奉納芸能は獅子舞。

春日組=組印は「向かい雀」。平成16年より祭礼参加復活。奉納芸能は獅子舞。
 以前は昭和30年より数年間、四つ太鼓を出していた。
 往古は地内に春日神社をお祀りしていたが、明治42年に小竹八幡宮に合祀され、それ以降祭礼余興には参加しなくなっていった。
当時は何組かに別れ、春日神社の例大祭で山車や雀踊り・獅子舞を奉納していたと云われている。


上(かみ)組(椿)=旧・薗村。小竹八幡神社は元々、上組の地内に祀られていたので、現在も祭礼では渡御の警護役をし、式順も一番最後である。組印は八幡宮の「額」。
四ッ太鼓は平成12年10月新調。大正末頃作り、昭和初期より祭りに参加。
奉納芸能は獅子舞と奴踊。
島組(島)=組印は松。春日組と同じく、かつては春日大明神の氏子。
神社合祀以来祭りに参加せず、春日組と同じく昭和30年頃より10数年参加したが現在は中絶している。
昭和30年頃の傘鉾は白色であった。
熊野987 熊野(いや)神社 10/4、5(元・17) 獅子屋台2台 上、北野口
四ツ太鼓 熊野
塩屋町南塩屋1878 須佐神社 10/9、10 神輿 平成4年改修
獅子屋台2台 南塩屋、森岡
四ツ太鼓 南塩屋
塩屋町北塩屋1146 塩屋王子神社 10/3土日 神輿 あり
屋台3台 天田、猪野々、湊
四ツ太鼓(大人子供) 北塩屋
湯川町財部宮前865 宝神社 11/3 例祭 氏子は湯川町財部
湯川町小松原89 湯川神社 11/3 例祭 氏子は湯川町小松原、丸山、富安
藤田町吉田2268 八幡神社 10/5 馬駈け休止 昭和初年頃より

 ≪日高郡≫     
 印南町
山口1198 山口八幡神社 10/1、2(毎年) 神輿 あり
屋台7台 印南町浜、地方(あげ)、津井、西山口
御坊市名田町楠井、〃 上野、 〃 野島
西山口区=平成21年(2009)宝くじ助成 (250万円) を受け、 約500万円かけて新調。これを機会に本祭りに屋台は出していなかったが、 今年は新調屋台のお披露目のため、約40年ぶりに参加した。
 先代の創建は不祥。
印南2657 印南八幡神社 10/1、2(毎年) 神輿 あり
屋台4台 東山口、本郷、宇杉、光川
樽みこし 光川区子供会
印南原3551 大歳神社 10/16、17 神輿 昭和16年奉納
屋台2台、四ツ太鼓2台 柳畑、中越
樮川(ほくそがわ)520−1 真妻神社 10/6、7 屋台  
古井818−3 岩上神社 10/9、10 屋台1台   
松原158 真妻神社 10/15頃の日曜 神輿
屋台1台 かつて3台
川又1053 真妻神社 10/15頃の日曜 屋台2台 川又、上洞
島田2916 中山王子神社 10/17、18 神輿
屋台1台  
西ノ地328 切目王子神社 10/17、18 屋台1台  
古屋487 切目川八幡神社 11/2、3 神輿
屋台   
美里1553 熊野神社 10/10 例祭 天保8年(1897)24戸15戸へ

 日高川町
  平成17年(2005)5/1、日高郡川辺町+中津村+美山村が合併して誕生。
 ◎旧・川辺町
土生宮ノ前6390 八幡神社 7/15 夏祭り 神事のみ
10/3土日 神輿 双頭の獅子舞(お頭)、巫女神楽
子供みこし 小熊、玄子・早藤
屋台3台、四ツ太鼓4台、奴太鼓1台 全部は揃わない
夏祭り=明治期までは競馬が催されたと云われるが、今は神事のみ。
小熊=四ツ太鼓・奴太鼓。
土生組=四ツ太鼓・屋台あり。
藤井組=四ツ太鼓・屋台。
鐘巻区=四ツ太鼓・屋台。50年ぶりに復活。
千津川区=昭和35年当時は四ツ太鼓あった。現在は休止か廃絶。
小熊村若衆仲間相伝の「御祭礼諸道具帳」より嘉永2年(1849)の秋祭りに小熊村が藤井村と喧嘩し双方に30数人の怪我人を出したことが分かる。また土生も所有のことが分かる。
 明治40年の神社合祀の際に氏子申し合わせで祭礼余興を全部廃止して諸道具を競売するも、
大正11、2年頃に土生の若衆が大字集会の賛成を得て寄付金430円50銭で四ツ太鼓を購入。そこで小熊、藤井も四ツ太鼓復活へ。また中津川、鐘巻は戦後の昭和21、2年頃の購入らしい。
三百瀬(みよせ)字宮ノ平1188 紀道神社 10/連休の日曜(元・13) 神輿
だんじり1台 三百瀬
屋台2台 三百瀬、坂本
四ツ太鼓2台 平川、中津村船津
祭りは4つの青年団組織(若中)によって運営され、御旅所での行事で、毎年若中ごとに当番が回る「頭屋獅子」が演じられる。このほか、四ツ太鼓、屋台、山車が神賑行事として奉納され、勇壮な駈馬行事(4、5頭。昭和20年代は数十頭)で祭りがしめくくられる。
だんじり=昭和51年新調し復活。江戸期よりあったが、昭和30年代より中絶。
屋台2台
四ツ太鼓
平川=昭和23年新調。
船津昭和54年新調。
江川字宮ノ尾1956 丹生神社 10/連休の日曜
(元・17)
神輿 獅子舞
四ツ太鼓3台,屋台4台ドウセ1台 江川組(四ツ太鼓・,ドウセ=二人の担ぎ太鼓)、山野組(四ツ太鼓屋台)、松瀬組(屋台)、和佐組(四ツ太鼓屋台)
江川組=四ツ太鼓。明治32年(1967)制作。
ドウセ=二人の担ぎ太鼓。江川組のみ。

山野組⇒山野四川(三津の川、大滝川、猪内川、山野)よりなる。
四ツ太鼓屋台=昭和31年新調。
山車=昭和27年新調復活するも、曳き手不足で翌年は休止。
 明治42年の合祀時に神輿、余興具 等を売却。ちなみに三津の川は明治20年頃に屋台新調。
やがて大正6年(1917)より丹生神社へ出祭することになる。

松瀬組
=屋台。江戸後期の作。明治22年の大洪水で祭りが中断したので伊藤川に売却し、鬼の面も個人に売却したが、大正期に買戻し、鬼の面も返還されたと云われる。

和佐組=四ツ太鼓屋台。明治41年の合祀で四ツ太鼓はその他の道具類と共に売却するが、四ツ太鼓・屋台共に新調する。
 ◎旧・中津村
小釜本字長子388 長子八幡神社 10/連休土日(元・1) 神輿
屋台5台 田尻、三佐、坂野川、老星、本郷(高津尾)
氏地は田尻、三佐、坂野川、老星、上田原、下田原、小釜本、大又、佐井、西原、三井川、本郷(高津尾)
 ◎旧・美山村
寒川284 寒川神社 11/2、3 神輿 河内神社跡(御旅所)まで渡御 
屋台1台  
初湯川212 上阿田木神社 4/14 神幸祭(神輿 獅子舞
氏子は初湯川、笠松、熊野川、三村(浅間・滝頭・猪谷)、串本の旧・5ヶ村だったが、串本が椿山ダムで水没したため、4ヶ村となった。
皆瀬3021 下阿田木神社 10/14 例祭
 【椿山(つばやま)ダム】
昭和41年(1966)着工、昭和63年(1988)完成。水没総面積:179ha、水没戸数:165戸、水没農地面積:56ha。
 日高町
小浦174 御霊神社 10/6、7 獅子舞
だんじり 大小
比井992 若一王子神社 10/8、9 神輿 獅子舞
屋台3台
だんじり3台(東、西、北)
四ツ太鼓2台廃絶
産湯313 産湯八幡神社 10/3日曜 例祭
阿尾532 白髭神社 10/1土日 屋台2台、山車2台 東、西
荻原1670 内原王子神社 10/17頃の日曜 神幸祭
屋台2台 萩原、荊木
奴太鼓(=太鼓台) 池田
四ッ太鼓廃絶 2台あったが、第二室戸台風や昭和48年の火災で焼失
荊木=平成17年復活。
 先代は昭和34年の第二室戸台風で青年会場の倒壊で破壊。
高家=平成20年復活。
※詳しくは内原祭HPへ
原谷407 原谷皇太神社 10/17頃の日曜 ビシャコ太鼓 榊屋台のこと
小中862 小中王子神社 10/17頃の日曜 神輿
志賀901 志賀王子神社 10/17 神輿
志賀3638 石尾神社 7/1日曜&12/1日曜 餅まき
志賀4001 沙そう神社 7/26&11/16 例祭

 美浜町
吉原771 松原王子神社 10/3日曜 神幸祭   
四ツ太鼓4台,子供四ツ太鼓2台 東、西、田井、新浜
屋台1台 東組
 【神幸祭】
青幟(宮印)、榊、鉾2本、槍2本、刀2本、太鼓、神輿、各組の幟(組印)、屋台、四ッ太鼓の順。
神輿=昭和4年10月に1、520円で大阪で新調。以前のは明治23、4年頃に作られた。
東組=組印は雀。四ッ太鼓。奉納芸能は雀踊だった。戦後しばらくは演じられた。

西
=組印は巴。四ッ太鼓。

田井組
=組印は鳥居。四ッ太鼓は昭和21年頃創建。一番遅く所有。
平成21年(2009)宝くじの助成金を受けて天幕を31年ぶりに新調。地元の久保呉服店の作。
またこれに合わせて天幕を支える障子 (木製の枠) も新調。地元の大工、 田渕大吾の作。

新浜
=組印は鯛。四ッ太鼓。奉納芸能は奴踊だったが戦前に廃れる。
 【解散した組】
中組
=東出と西出との間にあった組。組印は巴。四ッ太鼓、屋台があった。
和田1788 御崎神社 10/4日曜 神輿  
だんじり4台 東、東中、西、西中
四ツ太鼓2台 東、西
屋台1台 本の脇
三尾442 龍王神社 10/18 例祭

 由良町
里169 宇佐八幡神社 10/17に近い土日 神輿 獅子舞 
山車1台 横浜
屋台大小6台 横浜、里、南、江ノ駒、網代、阿戸
衣奈669  衣奈八幡神社  10/15近い日曜  唐船だんじり  吹井
 【神賑】
衣奈=打囃子、稚子踊り
小引、戸津井=童子相撲
三尾川=餅搗踊り
大引=打囃子
吹井=唐船

 みなべ町
  平成16年(2004)10/1、南部町+南部川村が合併して発足。
 ◎旧・南部町
埴田19 鹿島神社 10/3日曜(元・15) 神輿 我区
お舟1台(飾付け) 昭和40年頃まで曳かれた。
山車1台 新町区
布団太鼓2台 芝崎区、千鹿浦区
例祭日は平成15年に変更。以前は大正10年より10月15日だった。
我区=神輿。創建は不祥だが、明治18年に18円で御坊仏師屋払の記録あり。また昭和26年6月仏師南道中松渡で2500円とある。
 神輿蔵は明治38年建造するが、シロアリ被害のため昭和32年3月末日に改築。
芝崎区=布団太鼓。3年に1度の参加。大正11年同区出身の大木弥七氏が寄贈。

千鹿浦区=平成15年(2003)新調。
 創建は大正期で出身者の寄贈。今も保管されているらしい。
 子供会による子供太鼓台は平成11年制作で祭礼としては33年ぶりに復活となったらしい。
南道区=奴。3年に1度の参加。
西岩代523 西岩代神社 10/連休日曜(元・4 屋台1台 伏山
東岩代561 八幡神社 10/連休日曜(元・4) 神よいさめの子踊り、手習の子踊り、万歳踊り、奴総踊り
 ◎旧・南部川村
西本庄242 須賀神社 10/8、9 だんじり
神幸祭は榊、幣、神輿、笠鉾、幟、鬼、だんじり、子供御輿、獅子舞、役馬、願馬など総勢数百人
高野244 天宝神社 10/18 神輿
屋台2台 獅子2、屋台2、太鼓2、笛、鬼2、巫女、大榊1、笠鉾1、高幣8、御幣、幟など
清川1367 天宝神社 10/最終日曜(元・11/1) 屋台4台 軽井川、木ノ川、大橋、名之内
獅子舞 名之内
御渡りは御笠、御道具、御幣、子供神輿、獅子、屋台、幟、吹き流し、大太鼓、笛、、屋台 など