和 歌 山 県 

         ≪伊都地方≫

              橋本市、伊都郡(かつらぎ町、高野町、九度山町)

住所  神社名 祭礼日 内容 備考
 ≪橋本市≫
  
平成18年(2006)3/1、橋本市+伊都郡高野口町が合併。
 ◎旧・橋本市
市脇2−7−8 相賀大神社 10/2土日 神輿 あり
地車3台 市脇A、東家
神輿=東家を2地区に分けて市脇とで3年交代の神輿当番。御旅所は神社の南500メートルほどの場所。
続紀伊風土記によると江戸期は相賀大神社の御旅所は、紀ノ川を隔てて1キロ南の清水村の社皇神社だった。
市脇⇒地車格納庫は橋本農村婦人の家に併設。
=平成17年(2005)5/29、購入入魂式。5/1搬入。岸和田型。
 読売新聞和歌山版5/30によると、2、100万円で購入。600万円で修復。
 昭和11年(1936)制作。貝塚市半田新調。平成16年10/17昇魂式。お別れ曳行。
 大工は岩出秀吉。彫師は開正藤親子。助として玉井行陽。村としてはじめての新調地車。昭和58年修復。大工は吉為工務店(吉野為雄)。新しい彫物も入る。彫師は筒井和男と一門。長さ3、74m。幅2、488m。高さ3、84m。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「後醍醐天皇隠岐より帰る」、左は「村上義光錦の御旗奪還」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:【源平盛衰記】正面は「小桜合戦布引の滝」、右は「義経八艘飛び」、左は「源三位頼政鵺退治」。
 ≪腰廻り≫
松良:【源平盛衰記】右は「大江山頼光の木渡り」、左は「安宅関弁慶義経徴打」。
大連子:【楠公記】正面は「楠公子別れ桜井の駅」、右は「正成初陣」、左は「正成猛進」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「神崎東下り」、右は「清水一学の奮戦」、左は「義士の活躍」。
土呂幕:【太閤記】正面は「脇坂甚内赤井影清を刺す」、右は「秀吉本陣佐久間の乱入」、左は「前田犬千代初陣」。
 ≪見送り廻り≫ 
見送り:「大坂夏の陣」。

 先代は板勾欄出人形式堺型。江戸末期〜明治初期の制作。神社境内の地車小屋に保管。
大工は形態より金田村(現・堺市金岡町)の河村新吾と思われる。ただし昭和28、9年頃に「大佐」13代目川崎佐太郎が市脇に訪れ修復した。
彫師は堺 彫又の西岡弥三郎。見送り左側の出人形に刻まれている。
明治29、30年頃に購入。平成16年まで曳かれる。これからは従来の地車小屋で保存するという。
なお、「大佐地車請取帳」には明治30年の頁には「和歌山縣紀伊伊都郡橋本町大字市脇」とあるので、大佐経由と思われる。
修理時に屋根裏より方違神社(堺市)のお札が出てきた。そこで、氏子の榎、瓦、花田口のいずれか出身だと思われる。

 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
懸魚:正面は「鳳凰」、後ろは「費張房仙人」。
車板:「瑞雲」。
枡合:「鳳凰」。
二重虹梁:上は「瑞雲」、下は「青龍」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
懸魚:「鷲に猿」。
車板:「瑞雲」。
枡合:正面は「瑞雲」、右は「陳南仙人」、左は「張果老仙人」。
 ≪腰廻り≫
柱巻き、板勾欄出人形、縁葛、脇障子上人形は「富士の巻狩り」。
花戸口:「阿吽の唐獅子」。
土呂幕、下勾欄、幟台:「牡丹に唐獅子」。
台木:「波に蓑亀」。
 ≪見送り廻り≫ 
見送り:正面は「素盞鳴尊、八岐大蛇退治」、右は「天竺、斑足王の勇力」、右は「中国武将」。

 先々代(初代?)は担ぎだんじり。
東家=岸和田型。天保11年(1840)、6/25岸和田市中町新調入魂式。「岸極」の焼印あり。彫師は花岡源介(浪花在)。
長さ3、39m。幅1、51m。高さ3、81m。 
大正11年(1922)、泉南郡木島村清児(現・貝塚市清児)が購入。昭和23年に売却。
昭和34年9/12、和泉市今在家(現・芦辺町)より購入。
 ≪大屋根廻り≫
枡合:【神話伝説】正面は「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」、右は「菅原道真、天拝山に祈る」、左は「神功皇后、応神天皇を平産す」。
 ≪小屋根廻り≫
枡合:正面は「真田与一と俣野五郎『石投げ』」、右は「安倍泰成と玉藻前」、左は「三浦介義明と上総介広常、九尾の狐を退治す」。
 ≪腰廻り≫
大連子:【忠臣蔵】正面は「炭小屋に、上野介発見」、右は「上野介、召捕り」、左は「吉良邸、赤穂義士の勇戦」。
小連子:【唐子遊び】正面は「闘犬」、右は「闘鶏」、左は「面遊び」。
土呂幕:【三国志】正面は「蜀帝劉備字玄徳」、右は「曹操と関羽」、左は「張飛馬超と戦う」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:【三国志】正面は「韓信 計を定めて三秦を取る」、右は「項梁と項羽」、左は「始皇帝と宋無忌」。
見送り虹梁:正面は「青龍」、右は「?」、左は「菫永 身を売りて父を葬る」。
大脇:右は「黄石公と張良の出会い」、左は「漢の高祖 蛇を切る」。

 元々東家は上出、寺脇、南出の3台の地車があった。
大佐の「地車請取帳」には上出には260円で売却。明治28年12/20請取り、明治29年5/21引き渡し。
寺脇〔北
〕は300円で売却。同年6/11請取り、9月19日に引き渡しとある。
 しかしながら、大正期に電線やけんか等の理由で青年団の反対にもかかわらず、旦那衆が寺脇〔北〕を河内長野市松ヶ丘、上出(上〕を五条市駅前の地区?(現在では該当なし。一説では失火で焼失。)南出を河内長野市片添町に売却された。なお上出は大きく彫刻も立派。寺脇は日清戦争の彫物があったという。
南出は堺より中古購入で3台の中では一番小型だった。河内長野市片添町に売却されたが、平成20年橋本市柏原へ。
その後昭和天皇の御大典で復活の話となり前の地車3台の売却代金350円で東家の大工に頼み松村酒造の広場で作られた彫物無し3台の子供地車が昭和30年頃まで曳かれたが老朽化のために焼却した。
胡麻生238 相賀八幡神社 10/2土日 神輿  
船だんじり1台 八幡丸
地車7台 古佐田、原田、妻、小原田、紀見、橋谷、北馬場
担ぎだんじり1台  胡麻生
神輿=寛永2年(1625)に松下勘兵衛が寄進したと伝わる。
寛文5年(1665)の「祭礼渡り物」によると、だんじり渡御の記述は無く流鏑馬が行われている。
かつては柱本・慶賀野も渡御に加わっていたが、現在は地元神社の祭礼であり、氏子11地区の当番で順番は固定。

平成20年を基準にすると、橋谷⇒細川⇒紀見⇒妻⇒古佐田⇒橋本⇒小原田⇒原田⇒北馬場⇒橋本ニュータウン⇒胡麻生
橋本区(八幡丸)⇒平成24年(2012)4月7日(土)会館併設のだんじり庫に移転。
嘉永2年、橋本町の川原町が制作。平成6年より橋本区で管理運営。
担ぐ構造だが、昭和56年より台車を付けて曳いている。ただし宮入りは担いでいる。
大工、彫師は不詳。

 先代も船壇尻。明和7年(1770)6月28日の大火で神手踊の衣装類や諸記録 等が焼失。

明治期に橋本区(川原町を除く)には布団だんじりがあった。
古佐田⇒地車小屋は踏切前。
=折衷型。平成24年(2012)6月3日、購入入魂式。
平成3年(1991)9月1日、堺市片蔵が新調入魂式。
大工は池内工務店(池内幸一)。彫師は野原湛水、中山慶春、川原和夫、木下賢治。平成14年、池内工務店で修復。
 ≪大屋根廻り≫
懸魚:「獅噛み」。
懸魚:「雄略天皇、葛城山に大猪を蹴殺す」。
隣隣魚:大屋根懸魚と一対。
車板:「鷲に猿」。大屋根枡合正面と一対。
枡合:右は「楠公子別れ櫻井の駅」、左は「後醍醐天皇の御夢、南の木を見る」。
虹梁:正面は「湊川の決戦」、右は「四条畷の合戦、楠木正行、高師直本陣に肉薄」、左は「千早城の合戦」。

 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「獅噛み」。
懸魚:「野見宿禰、当麻蹴速を蹴殺す」。
隣隣魚:大屋根懸魚と一対。
車板:「龍」。小屋根枡合正面と一対。
枡合:右は「楠木正行、吉野山如意輪堂に辞世の句を刻む」、左は「新田義貞、稲村ヶ崎に宝刀を捧ぐ」。
虹梁:正面は「摂津天王寺の合戦、楠木正行、味方の兵に命じ敵兵を救う」、右は「楠木正行、父の死を知り危うく自刃、生母に諭され改心す」、左は「千早城の合戦、楠木正成、藁人形の計略」。
見送り:「赤坂城の合戦」。
 ≪腰廻り≫
勾欄合:「花鳥物」。
縁葛:【忠臣蔵】正面は「刃傷松の廊下」、右前は「赤穂浪士、奮戦」、右後ろは「清水一学 奮戦」、左前後は「赤穂浪士、吉良邸討入り」、き」、後ろは「両国橋引揚げ」。
土呂幕:【源平合戦】正面は「牛若丸 弁慶 五条大橋の出会い」、右は「平敦盛を呼び戻す熊谷次郎直実」、左は「宇治川の先陣争い」、後ろは「義経 八艘飛び」。

勾欄合:「波に千鳥」。
幟台:「牡丹に唐獅子」。
台木:「波に玄武」。

 往古は大きな担ぎだんじり。
 昭和25年頃まで東組と西組に分かれそれぞれに布団太鼓があった。
 先代は大阪型。江戸末期の制作。昭和26年9月に五条市西阿田町より購入。
大工は堺の地車大工か。彫師は彫又。平成23年(2011)12月4日、昇魂式。
現・地車購入につき、平成24年(2012)5月13日搬出。柏原市高井田台へ。
同地は板谷工務店で修復し、平成24年(2012)9月16日、購入入魂式。搬入は8月26日。
原田⇒地車小屋は会所内。
=岸和田型。平成18年(2006)12/10、岸和田市積川・橋室の地車を搬入。平成19年(2007)5月13日、購入入魂式。
明治28年岸和田市福田町新調。昭和10年頃岸和田市橋室(積川東)へ。(平成13年まで曳行)。
土呂幕:正面は「朝比奈三郎義秀の錣曳き」、右は安西三郎富士川合戦」、左は「今井兼平の勇戦」。
見送り:「大坂夏の陣」。

 初代は平成2年(1990)高石市1区(小高石)より購入の花車。
平成18年(2006)11/5、昇魂式。
=堺型。江戸末期〜明治初期に堺市某所(陶器方面?)新調。
平成14年(2002)10月8日(火=大安)に堺市北高尾より搬入し購入入魂式を行う。
経路は堺市菱木東⇒〃 北高尾⇒妻である。大工は河村新吾。彫師は彫又。
主な彫物は「牡丹に唐獅子、龍、牛若丸に弁慶、一ノ谷の合戦、宇治川の先陣争い」。
見送り:正面は「漢の高祖龍退治」、右は「天竺斑足王」、左は「武松大虎退治」。

 初代は町内地車。平成2年4月に滑%烽セんじり店より400万円購入。平成15年8/3、北馬場に売却。
その後現・南馬場⇒神戸市東灘区反高林へ。
小原田⇒地車小屋は橋の手前。
昭和5年(1930)岸和田市池尻町新調。大工は初代山内安太郎。彫師は一元林峯。番号持ちは片山晃。
平成23年(2011)8月6日搬入。8月28日購入入魂式。
経路は岸和田市池尻町⇒泉大津市南曽根(平成9年〜20年)⇒大下工務店(下取り)⇒小原田へ
長さ3.75m。幅2.245m。高さ3.51m。
懸魚:「波に千鳥」。
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「楠公子別れ櫻井の駅」、左は「新田義貞宝刀を稲村ヶ崎に奉ず」。
番号持ち:「武蔵坊弁慶」。
土呂幕:正面は「巴御前の勇戦」、左右は「源平合戦」。番号持は「武蔵坊弁慶」。幟台は「牡丹」。
見送り:「関ヶ原の戦い」。

 初代は大正10年代制作の荷いだんじり。
 先々代は町内地車。昭和17年、小原田新調。地元の大工の作。
平成7年、現・地車購入につき紀見へ。平成19年、平成19年、高野口町伏原の有志が購入するが受け入れられず岩出の某町へ行ったと聞く。

  先代は岸和田型。平成7年堺市市之町より購入。平成23年(2011)6月5日昇魂式。現・学文路。
経路は岸和田市積川西新調⇒堺市市之町⇒小原田⇒学文路。
紀見=岸和田型。平成19年(2007)10/27、堺市中山の地車を搬入。  
経路は某所新調⇒作才の古物商⇒岸和田市中尾生町⇒高石市7区(北村)⇒〃8区(匠)⇒岸和田市南上町⇒堺市中山⇒紀見へ。
枡合:「素盞鳴尊 八岐大蛇退治」。
見送り:「賤ヶ岳の合戦」。


 初代は昭和54年、御幸辻より購入。平成7年、北馬場へ、平成18年に柏原へ行き20年まで曳かれた。保存中。
 先代は町内地車。昭和17年、小原田で新調。平成7年購入。平成19年、高野口町伏原の有志が購入するが受け入れられず岩出の某町へ行ったと聞く。
橋谷=住吉型。平成17年(2005)11月27日搬入。堺市原田より購入。購入時に隆匠で修復。
平成26年(2014)9月28日、修復入魂式。隆匠(田中隆冶)で修復。
文化庁文化芸術振興費補助金(文化遺産を活かした地域活性化事業)を利用。
昭和58年制作。大工は池内福治郎。彫師は不詳(新調時に先代地車の彫物を利用)。
元々住吉「大佐」12代目川崎宗吉の作で泉大津市の工場敷地内に保存されていたもの。
→堺市八田寺の個人が工場買収時に引取り。
→堺市原田が購入し昭和30年まで曳行し解体保存。
→昭和58年堺市原田が彫物のみ使用して現・地車新調。
 ≪大屋根廻り≫
獅子噛み:「唐獅子」。
懸魚:「鳳凰」。
隣懸魚:「松に猿」。
車板:「宝珠を持つ龍」。
枡合虹梁:正面は「波」、左右は「波に龍」。
箱棟:「龍」。
 ≪小屋根廻り≫
獅子噛み:「唐獅子」。
懸魚:「鷲に猿」。
隣懸魚:「松に猿」。
車板:「牡丹に唐獅子 」。
枡合虹梁:正面は「波」、右は「牡丹に唐獅子」、左は「唐獅子」。
箱棟:「牡丹に唐獅子」。
 ≪その他≫
内部間仕切り板:「波」。
脇障子:右は「神功皇后」、左は「武内宿禰」。
見送り:正面は「加藤清正虎退治」、右は「素盞鳴命 八岐大蛇退治」、左は「三韓征伐 安倍介麿龍退治」。
勾欄合(復元新調):「二十四孝」。
土呂幕:「波に兎」。


 先々代は大きな荷いだんじり。古いだんじり幕を入れていた箱に昭和の御大典を記念して新調したと墨書きあり。昭和40年頃まで使われた。
 先代は町内地車。昭和55年頃制作。大工は地元の田宮信義。
現・地車購入につき、学文路へ無償譲渡。現・高野口町応其(おうご)。
北馬場=調印は平成21年(2008)10/18、平成21年(2009)12/6、搬入。22年(2010)5/4入魂式。
昭和7年(1932)和泉市寺門町新調。大工は植山宗一郎。彫師は木下舜次郎。助は石田利郎。
昭和32年に岸和田市大町に売却。平成2年5/5、33年ぶりに里帰り。
経路は和泉市寺門⇒岸和田市大町⇒〃 摩湯町⇒和泉市寺門⇒橋本市北馬場。
松良:右は「加藤清正賤ヶ岳の戦い」、左は「本能寺の戦い」。
小連子は「太閤記」。
土呂幕:【源平合戦】正面は「屋島の合戦」、右は「敦盛を呼び戻す熊谷次郎直実」、左は「粟津合戦 巴御前の勇戦」。
見送り:「大坂夏の陣」。

 先々代は平成9年、紀見より購入。初代。御幸辻⇒紀見区⇒北馬場区⇒柏原。
 先代は平成15年(2003)8/3、妻より町内地車搬入。平成2年に滑%烽セんじり店より妻が購入。
平成22年(2010)4/17(土)搬出し南馬場へ。現・神戸市東灘区反高林。
胡麻生⇒地車小屋は神社前。
=担ぎだんじり。二枚屋根。昭和55年「太鼓正」で制作。
は明治22年、鈴木松年により描かれた。図柄は「武内宿禰と神功皇后、源頼政の鵺退治」。
彫物は先代のを利用。
主な彫物は「飛龍、牡丹に唐獅子 竹に虎」。

 先代は大佐の「地車請取帳」に「百四十円也 紀州伊都郡紀見村大字胡麻生 明治31年十月五日請取 かき壇尻」とある。
御幸辻515 牛頭天王社 10/2土日 神輿
地車 御幸辻
町内地車 柿の木坂
御幸辻⇒地車小屋は南海電鉄高野線高架下。
=平成18年(2006)10月10日(火)搬入。10月13日(金)入魂式。翌日より祭礼。和泉市内田の地車購入。
岸和田型。昭和元年制作説と4年制作説がある。この地車は植山の仕入れ地車で、一説には岸和田の大工町または五軒屋町が発注したが、諸事情で破談になった地車を購入したとも云われる。大工は植山宗一郎。彫師は当時の若手の木下舜次郎、松田正幸。
長さ?。幅2、2m。高さ3、5m。
昭和53年、大常工務店で修復。この時の彫師は松田正幸。同年10月2日、入魂式。
平成21年(2009)隆匠にて修復し大きくなる。長さ3.8m。幅2.25m。高さ3.59m。
 ≪大屋根廻り≫
懸魚:正面は「波に旭日」、後ろは「波に兔」。
車板:正面は「鳳凰」、後ろは「雲」。
枡合:正面は「楠公子別れ櫻井の駅」、右は「新田義貞、稲村ヶ崎に宝剣を奉ず」、左は「牛若 弁慶、五条大橋の出会い」、後ろは「物見の兵」。
虹梁:「波」。
 ≪小屋根廻り≫
懸魚:「波に宝船」。
車板:「夫婦鳩」。
枡合:正面は「神功皇后と応神天皇を抱く武内宿禰」、右は「鎮西八郎為朝の剛弓」、左は「村上義光、錦の御旗奪還す」。
 ≪腰廻り≫
松良:右は「安宅の関 弁慶、義経を懲打す」、左は「大江山の鬼退治」。
縁葛:【唐子遊び】正面は「獅子舞」、右は「象見物」、左は「鯛車曳き」。
大連子:「不詳」。
小連子:【赤穂浪士】正面は「堀部安兵衛、高田馬場の決闘」、右は「赤垣源蔵、徳利の別れ」、左は「神崎与五郎、東下り」。
土呂幕:正面は「後藤又兵衛、跳ね槍」、右は「真田幸村、徳川家康を追う」、左は「福島市松の勇戦」。
 ≪見送り廻り≫
見送り:「難波戦記」。
見送り虹梁:「尾長鶏」。
見送り縁葛:「唐草模様」。
見送り連子:「牡丹に唐獅子」。

 初代は布団だんじり。
 二代目は曳きだんじり。御幸辻⇒紀見区⇒北馬場区⇒柏原。
 先代は昭和54年制作。地元の大工田宮信義他2名の作。平成18年(2006)、南馬場へ。現在はかつらぎ町佐野。
柿の木坂=平成5年制作。役員12人と子供会で制作。
御幸辻が新・地車購入してからは誘われて御幸辻を曳いているという。
柱本270 葛城神社 10/2土日 神輿 飾付け
町内地車1台 境内に地車小屋あり
柱本=曳きだんじり。昭和56年に村の有志で制作。彫物は日賀欄間店、能面の彫師の藤川妙慶。
運営は柱本・紀見峠・沓掛の3地区による。

は「鳳凰、牡丹に唐獅子、葛城神社文字」。
主な彫物は「飛龍、牡丹に唐獅子、中国物」。

 先代は担ぎだんじり相賀八幡神社の祭礼に参加していたが、昭和30年頃より参加しなくなり、昭和44年頃に解体。現在は破風と墨書きのある床板が保存。
 なお平野では柱本に売却と云われる。ちなみに現・だんじりは明治23年制作でこの頃に購入か?。

墨書きに「文化拾四歳丑八月 山之郷平野村 世話人若連中 大工 芋生村藤蔵」とある。
慶賀野143 蛭子神社 10/2土日 神輿 刑務所の作。
布団太鼓廃絶 昭和26年頃に解体
山田626 一言主神社 10/2土日(元・22) 地車1台 柏原
一枚屋根地車1台 出塔
氏子は山田、吉原、神野々、出塔、柏原、野の各大字だが、神社の例祭日にこだわらず、各大字ごとに行事を行う。
柏原(かせばら)⇒地車小屋は鎮守の三輪神社併設。
=住吉型出人形板高欄型式。堺⇒東家の南出⇒河内長野市片添(大正期〜平成20年)。
 平成20年11月搬入。平成21年(2009)9/13、購入入魂式。
神額に「轟神社」とあるので、元は住吉区若宮神社にあった地車と思われる。
 ≪大屋根廻り≫
飾目:前は「飛龍」、後ろは「唐獅子」。
拝懸魚は「松に鷹」。隣懸魚は無し。
車板:「雲海」。
桝合:正面は「谷越え獅子」、左右は「飛龍」。
虹梁:正面は「飛龍」、左右は「谷越え獅子」。
神額:「轟神社」。
柱巻き:「鞍馬山牛若修業の場」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「獅噛み」。
拝懸魚・桝合:「飛龍」。
隣懸魚は無し。
 ≪腰廻り、見送り廻り≫
板高欄:前は「弁慶、義経五条の大橋の出会い」、右は「源 義家、勿来の関に詩を詠む」、左は「加藤清正、虎退治」。
三枚板:正面は「漢の高祖、龍退治」、右は「雄略天皇猪退治」、左は「大胡小橋太、鞆六郎を討つ」。

持送り:「波濤くずし」。

 大正初期までは一枚屋根の担ぎだんじりがあった。
 平成7年、子供神輿新調。
 地車初代は御幸辻⇒紀見区⇒北馬場区⇒柏原。平成23年(2011)1月30日かつらぎ町笠田へ。
出塔⇒地車小屋は薬師寺併設。
平成初期に地元大工により担ぎだんじりを曳きだんじりに改造。一枚屋根で担い棒付き。
 先代は明治中期制作。唐破風一枚屋根の担いだんじり。大工・彫師不詳。昭和27年頃より休止。
山田=平成13年より10/2土曜に、子供みこしが出る。

吉原=鎮守の三輪明神社では、10/22に六人衆が境内に幟を立てて、お茶の接待をする。

神野々=昭和25、26年頃まで一枚屋根の担ぎだんじりがあった。

=昭和60年頃制作。地元の大工の作。
 先代は市脇の相賀大神社に宮入りしたが、後に山田の一言主神社となる。
 【三石台だんじり祭】
10/2土曜に開催。地域住民と地区公民館らが中心になり行う。主催は同祭実行委員会。

平成11年に初開催。好評なので翌12年に手作りのだんじりを作成。側面は地元児童の絵や布短冊で飾り保管している。
菖蒲谷830 熊野神社 10/15 例祭
矢倉脇187 天王神社 10/2日曜 餅まき
布団太鼓廃絶 昭和25年頃に解体
隅田町垂井622 隅田八幡宮 10/2土日(元・15 神輿 子供神輿
担ぎだんじり14台
(地区別に4台ずつ出る)
霜草、境原、山内、平野、垂井、芋生、中下、中島、下兵庫、河瀬、恋野、中道、赤塚、宝だんじり
子供2台 下兵庫、恋野(最近出ていない)
廃絶 杉尾、上田
 明和4年(1767)の赤塚村の田中家文書に「御祭礼段尻」とあり、この頃にはすでにあったと分かる。
また宮入りは4つの地区ごとに1台ずつ担ぎだんじりが1台宮入りする。
これとは別に有志のだんじり振興会の宝だんじりが毎年宮入りする。
宵宮:土曜日(予備日は祝日)
 ●子供神輿=小学6年生らが担ぐ5基が巡行する。9:00頃5地区から出発し、15:30に門前(JA橋本東支店前)に集合し、16:00頃神社に宮入りする。
 ●稚児社参=14:30から隅田小学校から神社まで練り歩く。
本宮:日曜
 ●祭典=11:00。本殿にて。
 ●直会=正午。社務所にて。
 ●渡御開始=13:00。約800m南の御旅所(隅田中学校内)までお渡り。
  ・神輿当番=10:40までに宮入り。⇒氏子21地区のうち、3地区が合同で担ぐため、19年に1度当番が廻ってくる。

  ・屋台当番=13基(氏子21区のうち13地区で所有)を4地区に分け、毎年4基が当番地区(3〜4年に1度)として出る。
  ・渡御順番=屋台、神輿、宮司(馬に乗る)、祭員、巫女、神具(榊、天狗、獅子、御幣、鉾、長刀、弓矢、剣、唐櫃、太鼓、榊)、責任役員、氏子総代ら。
 ●神幸祭=15:30。隅田中学校内の御旅所にて。
 ●御旅所一斉のお練り=16:00。隅田中学校内の御旅所にて。
 ≪山手≫
霜草
⇒だんじり蔵は宝鐘寺裏手。
=明治初期制作。大工・彫師不詳。
主な彫物は「波に千鳥、牡丹に唐獅子」。
幕は「菊・桐紋、三韓征伐、牡丹に唐獅子、江戸城開城」。
旧の幕を保存。

境原
=明治初期制作?。大工・彫師不詳。
主な彫物は「飛龍、牡丹に唐獅子、梅に鴬」。
幕は「菊・桐紋、宇治川の先陣争い、後三年の役、源平合戦」。

山内
⇒だんじり蔵は防災センター併設。
=明治初期制作。大工・彫師不詳。平成12年に屋根廻り等の大修復。
主な彫物は「牡丹に唐獅子、獅子の谷落とし、龍」。
旧の幕の箱には明治12年と墨書きがある。幕は「三韓征伐、牡丹に唐獅子、富士の巻狩り」。

平野
⇒だんじり蔵は集会所と寺に併設。
=明治23年8月制作。大工は五条市新町の神田某という説と、地元の大工の水脇師の作という説がある。彫師は不詳。
主な彫物は「牡丹に唐獅子、獅子の谷落とし、竹に虎」。
幕は「巴・桐紋、賤ヶ岳の戦い、竹に虎、武者物」。
 先代だんじりは柱本へ売却されるが昭和44年頃に解体。残されている床板に文化14年(1818)の墨書きがあるという。
杉尾=明治末期まであった。
 ≪宮本≫
垂井
⇒だんじり蔵は神社すぐ横手の高台。
=平成12年(2000)9/30、新調入魂式。大工・彫師は椛セ鼓正。
宮本なので毎年宵宮も運行。
主な彫物は「富士の巻狩り、頼政の鵺退治、牡丹に唐獅子」。
幕は「前九年の役、平忠常の乱」。
 先代の彫物・幕も保存。

芋生⇒だんじり蔵は集会所と寺に併設。
=平成4年(1992)10月制作。地元の大工の作。彫物は滑%烽セんじり店(一部は先代を利用)。
主な彫物は「浦島太郎、牡丹に唐獅子、鯉の滝登り」。
幕は「賤ヶ岳の戦い、源平合戦」。

中下
⇒だんじり蔵は集会所と寺に併設。
=平成5年(1993)制作。大工は地元の岡崎年富。
彫物は先代のを利用。「竹に虎、牡丹に唐獅子、獅子の谷落とし」。
幕は平成元年に椛セ鼓正で修復。「牡丹に唐獅子、宇治川の先陣争い、鶴の乱舞、川中島の合戦」。
 ≪下手≫
中島⇒だんじり蔵は集会所に併設。
=明治中期制作。大工・彫師不詳。旧・幕の箱には明治26年8月との墨書きがある。
主な彫物は「竹に虎、牡丹に唐獅子、獅子の谷落とし」。
幕は昭和62年新調。「八岐大蛇退治、大江山の鬼退治、宇治川の先陣争い」。
先代の幕も保存。

下兵庫
⇒だんじり蔵は寺の北裏にあり。
=明治24年制作。大工は不詳。彫師は河瀬の吉田氏。昭和57年修復。
主な彫物は「八岐大蛇退治、牡丹に唐獅子」。
幕は箱の墨書きより明治24年(1891)制作と分かる。平成18年(2006)、地元の生活学校の主婦たちが地蔵寺に集まって修復した。
「龍虎、後醍醐天皇、源義家」。

河瀬
(こうぜ)⇒だんじり蔵は大和街道沿い。
=平成5年(1993)制作。地元の坂頭富美夫の作。
彫物は先代のを利用。主な彫物は「牡丹に唐獅子、龍」。
幕は平成2年に大修復。図柄は「巻龍、神武天皇東征、有栖川宮江戸城進撃」。
 ≪川南≫
恋野⇒平成18年(2006)だんじり小屋建造。
=平成6年(1994)制作。滑%烽セんじり店の作。彫物は先代のを利用。
主な彫物は「神功皇后と武内宿禰、唐獅子の郡遊、獅子の谷落とし」。
幕は「菊・桐紋、八幡太郎源義家、ひよどり越えの坂落とし」。
 
先代は現・だんじり購入時に解体するが、幕や破風・金具等は保存。

中道
⇒だんじり蔵はバス停の所にあり。
=平成18年(2006)12/24完成。翌19年3/18入魂式。3/25御披露目。制作費は450万円。総費用は500万円。
大工は赤塚の山本忠良。彫物は使えるものは再利用。主な彫物は「牛若丸、牡丹に唐獅子、昇龍」。
幕の箱には明治23年との墨書きがある。「菊・桐紋、朝鮮出兵、楠公子別れ櫻井の駅」。
 先代は明治中期制作。大工・彫師不詳。平成4年6月に地元の大工により修復するが、新調につき平成18年8/6、昇魂式。

赤塚=
明治中期制作。大工は地元の織田友三郎。彫師は不詳。平成元年に滑%烽セんじり店で修復。
同時に幕を復元新調。
主な彫物は「牡丹に唐獅子、獅子の谷落とし」。
幕は「菊・桐紋、源平合戦、宇治川の先陣争い」。
上田=明治20年代に市脇より購入するが、大正初期に飾り幕こみで五条市二見本町に売却。
 ≪有志≫
宝だんじり(だんじり振興会)
=氏子や地区にとらわれずだんじり好きが集まり、担いだんじりの伝統を伝えていこうという宝だんじり(宝くじ振興基金の補助を受け新調。平成8年制作。大工は山本工務店(恋野)。宵宮のみ登場。  
南馬場821−1 天満宮 10/4日曜
(元・25
神輿 あり 
地車3台 清水、学文路、南馬場
担ぎだんじり
神輿=寛延2年(1749)建立。2016年、50年ぶりに修復。約700万円で岸和田市の吉為工務店(吉野寿久)により修復。
清水⇒清水地車は橋本市清水の地車ではなく、清水小学校区内の5地区により運営されており、小学校名から「しみず」と称している。
上3字と呼ばれる横座(よこざ)向副(むかそい)賢堂(かしこどう)と西畑(にしはた)清水(しみず)合同である。
=平成30年(2018)6月3日、購入入魂式。搬入は2月24日(土)置場の泉大津市某所より移動。
大工は植山工務店(植山義正)。彫師は木下舜次郎。
経路は昭和33年(1958)
かまぼこの「別寅」の社長が孫が生まれた事を祝って個人で植山工務店へ発注、製作されたもの。その為”別寅だんじり"と呼ばれていた。
自町の貝塚市新町の地車として曳行を希望したが町会の了解を得られず。有志によって曳行されるも、35年頃に貝塚駅前で転倒事故起こし休止となる。
⇒昭和40年ごろ岸和田市小松里町(約70万円で購入)⇒平成元年泉州健康センターリバティー⇒平成13年堺市の小松工務店⇒平成14年和泉市若樫町の有志がリースで曳行⇒平成15年(2003)9/28、和泉市若樫町が地車購入。平成17年(2004)10/2、入魂式。

平成29年(2017)5月28日、昇魂式。
 ≪大屋根廻り≫
鬼板:「雲に梅鉢」。
懸魚:「波濤に千鳥」。
飛檐垂木:「梅鉢紋」。
地垂木:「梅鉢紋」。
桁鼻:「獏」。
隅出:「牡丹に親子唐獅子」。
横槌:正面右は「竹に雀」、 正面左は「梅に鶯」 左平前は「松に鷹」、 左平後は「竹に雀」、 右平前は「松に鷹」 右平後は「梅に鶯」。 
車板:正面は「舟に乗る象」。 
小屋虹梁:正面は「雲に鶴」。
枡合:正面は「天の岩戸」、右は「楠公子別れ桜井の駅」、左は「村上義光 錦の御旗奪還」。
虹梁:「波濤」。
木鼻:「唐獅子」。
 ≪腰廻り≫
番号持:「神官」。
勾欄合:「花鳥」 。
縁板:「花菱」。
縁隅木:「若樫」。
松良:【大江山】右は「頼光木渡り」、左は「大江山 酒宴の場」。
縁葛:【富士の巻狩】正面は「頼朝本陣 報償の場」右は「狩場風景勢子等の活躍」、左は「仁田四郎 猪退治」。
大連子:【源平合戦】正面は「敦盛を呼び戻す 熊谷次郎直実」、右は「八幡太郎義家 貞任を追う」、左は「木曽義仲の最期?」。
小連子:【忠臣蔵】正面は「清水一学の奮戦」、右は「村上喜劍 内蔵助を足蹴にする」、左は「吉良邸討入り 内蔵助陣太鼓を打つ」。
土呂幕:正面は「秀吉本陣 佐久間の乱入」、右は「加藤清正 新納武蔵守相討つ」、左は「巴御前の勇戦」。
松良受:「コブシ」。
兜桁:「蔦柏紋」。
脇障子受:「コブシ」。
 ≪小屋根廻り≫
鬼板:「雲に梅鉢」。
懸魚:「浦島太郎」。 
車板:「司馬温公の瓶割」。
小屋虹梁:「雲に鶴」。
桁鼻:「獏」。
地垂木:「梅鉢紋」。
隅出す:「牡丹に唐獅子」。
横槌:後正面右は「竹に雀」 後正面左は「梅に鶯」。  
 ≪見送り廻り≫
二重見送り:「本能寺」。
見送り虹梁:正面は「近江の国の勇婦於兼」、右平は「牡丹に唐獅子」 左平は「牡丹に唐獅子」。
見送り虹梁木鼻:右は「唐獅子」、左は「唐獅子」。 
大脇竹の節:右は「逆立ちする唐獅子」、左は「逆立ちする唐獅子」。
大脇物見:右は「牡丹に唐獅子」、左は「牡丹に唐獅子」。
脇障子竹の節:右「蔦柏紋と青海波彫り」、左は「蔦柏紋と青海波彫り」。
脇障子兜桁:右は「金型彫りと蔦柏紋」、左は「金型彫りと蔦柏紋」。
見送り:「難波戦記」。
 ≪見送り腰廻り≫
縁板:「花菱文様」。
後縁葛:三方は「青海波に唐草伊勢込み」。
後連子:「雑兵物語」。
水板:「波濤」。
幟台:「獅噛み」。


 享保2年(1717)の文書には清水村の西と東の垣内より2台の地車が出たとある。
 三先代は青年団が作った手作りだんじり。
 先々代の子供地車は平成8年11/3搬入。当時は子供会として曳いた。この地車は平成3年、岸和田市葛城町の有志10人で実物の1/3の大きさで制作。平成21年(2009)10/18、名倉商店会連合会に嫁入り。
平成17年(2005)9/25、購入入魂式。この日は式典のみで翌週曳き始めらしい。
昭和63年高石市東羽衣13区新調。大工は池内福冶郎(池内工務店)。彫師は西澤大美。また彫物は東羽衣13区の先代の花車の欄間も利用。
見送りは「川中島の合戦」。
学文路⇒だんじり蔵は平成22年建造。学文路駅下。
=岸和田型。平成23年(2011)8月28日購入入魂式。御披露目曳行は無し。大工、彫師は不詳。
明治20年岸和田市積川西新調⇒平成7年堺市神石市之町⇒橋本市小原田⇒学文路へ。

土呂幕:正面は「巴御前の勇戦」、右は「?」、左は「敦盛呼び戻す熊谷次郎直実」。
見送り:「関ヶ原の戦い」。
 かつては船だんじりがあったと伝わる。
 先代は平成17年(2005)橋谷より譲渡。町内地車。昭和51年頃橋谷新調。大工は橋谷の田宮信義。
平成24年(2012)3月25日、高野口町応其(おうご)へ。


 個人の地車=平成20年9月、尼崎市塚口宮之町先代地車を購入。
大源作の数少ない地車で、数年は保管されていたが、解体処分となる。
南馬場=岸和田型地車。明治20年代制作。
高石市高陽は平成25年(2013)10月20日、昇魂式を行う。
経路は岸和田市内畑町山口⇒〃新在家山出⇒〃下大沢⇒〃春木中町⇒春木中町の個人⇒富田林市の焼肉屋⇒ 高石市高陽⇒和歌山県橋本市南馬場。

 享保2年(1717)の文書には馬場組は船だんじりを出したとある。
 平成17年、清水の子供地車を借りて曳いた。
先々代は平成18年(2006)9月9碑、購入入魂式。御大典以来約80年ぶりの復活。
 昇魂式は(先代)の入魂式に合わせて行われた。
昭和54年(1979)御幸辻新調。地元の大工田宮信義他2名の作。先代購入につき、かつらぎ町佐野に譲渡
 先代は平成22年(2010)4/17(土)、搬入し購入入魂式。町内地車。滑%烽セんじり店の作。
 平成2年4月、妻が新調。続いて北馬場では平成15年8/3〜21年まで曳かれる。
現・神戸市東灘区反高林へ。
宮付き担ぎだんじり=二枚屋根。明治12年(1879)9月制作。大工は清水の亀田弥兵衛、弥七。彫師は不詳。
長さ約4.3m。幅約2.6m。高さ約3m。
大正13年(1924)の秋祭りまで担がれ、また人形浄瑠璃の舞台にも使われたが、昭和3年の昭和天皇の御大典以来担がれなかった。
 平成30年(2018)の正遷宮に合わせて修復となる。
まずは本体と後ろ幕が修復されたので2017年(平成29年)1月25日の初天神に披露。 

飾目:「獅子噛三面」。脇障子:「宇治川の先陣争い」。
 ◎旧・高野口町
高野口町名倉1370 八幡神社 10/連休 子供だんじり1台 氏子は名倉、向島、名古曽、伏原
名倉商店会連合会=平成21年(2009)10/18、搬入。
平成3年(1991)、岸和田市葛城町の有志10人で実物の1/3の大きさで制作。
清水が平成8年11/3搬入。当時は子供会として曳いた。平成16年まで使われた。
高野口町伏原153 伏原大神社 10/15 例祭
高野口町応其417 応其太神社 10/連休 だんじり1台
町内地車=昭和51年頃橋谷新調。大工は橋谷の田宮信義。平成24年(2012)3月25日搬入。
経路:橋谷⇒学文路〔平成17年(2005)〜〕⇒応其。高さ3、15m。幅1、7m。長さ4m。
高野口町小田76 小田神社 10/31 競馬廃絶
高野口町名古曽482 住吉神社 7/31 例祭
高野口町名古曽829 蛭子神社 10/9、10 神輿
高野口町九重283 信太神社 10/15(元・25) 相撲、餅まき
高野口町大野182  嚴島神社 10/連休 例祭
高野口町嵯峨谷 若宮八幡宮 8/15(毎年) 神踊り 嵯峨谷の神踊り保存会
神踊り(こおどり)=県指定無形文化財。室町時代から伝承。15歳から25歳までの独身の男子が、清浄な衣装を身につけ、古風な歌唱に合わせて五穀豊穣、家内安全を祈願する素朴な踊り。宝踊り・長者踊り・牛若踊り・御舟踊り・おや踊り・花見踊り・姑踊り・殿御踊り・より子踊りの9通りに踊り分けられる。
 観音寺に集合し、13時に出発し神社へ。

 ≪伊都郡≫     
 かつらぎ町
 平成17年(2005)10/1、かつらぎ町+花園村が合併。
 ◎旧・かつらぎ町
上天野230 丹生都比賣神社 4/3日曜 神輿2基 室町時代の作
13:00より渡御。15:30頃に餅まき。
萩原56 寶來山神社 11/3 例祭
大谷196 大谷神社 10/16 神幸祭 神輿、子供神輿
広口1126 大宮神社 10/18頃 浦安の舞、千両踊り 氏地は広口、滝、東谷、平
四郷千両踊り=隔年10月に実施。往古は隔年旧盆7/16に実施。
かつては各字が順番で行ったが現在は千両踊保存会が奉納。踊、棒ふり、謡、芝居の4種類に分かれ、千両ものの費用がかかるということから名づけられた。
妙寺1308 八太神社 10/15 例祭
西飯降273 丹生神社 10/16 例祭
中飯降461 城山神社 10/16 例祭
短野989 醫王神社 10/17 例祭
新田123  若宮太神社 10/3日曜(元・16) 神輿
市原(丁ノ町902) 八王子神社 10/3日曜(元・15) 神輿
手作り山車
三谷631 丹生酒殿神社 11/3(元・10/21) 布団太鼓 氏地は三谷、兄井、寺尾
8/16 笹踊り
東渋田790 蟻通神社 10/3日曜(元・18) 神輿
手作り地車
往古の神輿は天正9年(1581)、織田信長の高野攻めの際に焼失。
島447 厳島神社 10/17 例祭
星川1  八王子神社 10/15 笠鉾
平沼田292 高野神社 10/16 例祭
教良寺315 八幡神社 10/25 例祭
宮本1  丹生神社 10/16 例祭
山崎274 山崎丹生神社 10/16 例祭
志賀1223 丹生神社 10/15 例祭
下天野940 八幡神社 10/15 例祭
平沼田55−1 丹生狩場神社 10/15 例祭
 【かつらぎ町夏まつり】
 8月下旬土曜。かつらぎ公園にて。主催は夏まつり実行委員会。盆踊り、花火など。
 かつては8月中旬で、ねぷたも出た。会場は“かつらぎ公園”と“笠田中学校”において毎年交互に開催された。
 ◎旧・花園村
花園中南字東寺297 上花園神社 10/16 例祭
花園梁瀬264 下花園神社 10/10 例祭
花園久木291 丹生神社 10/16 例祭

 高野町
高野山132 明神社 10/16(毎年) 神輿
主催は総本山金剛峯寺。高野山の地主明神である高野明神の大祭である。明神社前にて法要(12:30〜)の後、中学生の神輿が山内を練り歩く。もち投げ(13:00〜)もある。
細川826 八坂神社 7/7頃の日曜 神幸祭
8/16 傘鉾
西富貴348 丹生神社 10/2日曜 神輿2基
地車1台    
東富貴200 丹生神社 神輿1基
担い地車1台
祭礼には、神輿が西の丹生神社まで渡御し、東西丹生神の神輿が町内を練り、名迫明神、滝明神まで渡御を行う。
お渡りに先立って、その年生まれた男の子を親戚の女の人が背負い、盛装した母親と、親戚の少年が幣をかついで宮詣りする。
地車=堺型で板勾欄出人形式。江戸末期〜明治初期に某所新調。大工は不詳。彫師は彫又一門。
昭和初期に西富貴が河内長野市寺元より購入。現在は富貴として一体として曳いている。また外コマに改造。地車小屋に元の板勾欄の一部が保管。また見送り右の漢の高祖は元は正面の龍退治の図であったと云われる。

 飾目:前は「獅子噛」、後ろは「唐獅子」、小は「青龍」。
 見送り:正面は「龍に虎」、右は「漢の高祖」、左は「大巳貴命大鷲退治」。
担い地車=元・東冨貴。現在は富貴中学校の生徒がクラブ活動の資金集めを兼ねて曳く。
花坂732 鳴川神社 8/15 鬼もみ神事 子供神輿2基
10/16 餅まき
鬼もみ神事雨乞い神事とも云われ、囃し(口上あり)鬼を榊木を持った村人達が追い捕える。
湯川399−4 丹生神社 10/3日曜(元・22) 餅まき
杖ヶ薮92 丹生神社 10/2日曜(元・12) 例祭
西郷569 八幡神社 10/15頃の土日 例祭
上筒香330 丹生神社 10/連休(元・10) 餅まき
下筒香504 丹生神社 10/体育の日(元・10) 例祭 氏地は中筒香、下筒香
西ヶ峯183 西ヶ峯丹生神社 10/13 例祭 氏地は西ヶ峯、南、林、樫原、平原
相之浦138 丹生神社 10/3日曜(元・17) 巫女舞

  九度山町
慈尊院835 丹生官省符神社公式HPへ 10/4日曜(元・31) 神輿2基 丹生、高野明神
官省符祭り=荘園最大の祭礼で、朝廷の太政官と民部省から官符を賜った日を記念して執り行われたのが祭の始まりとされている。
元鎮座していました紀ノ川の辺「宮の橋・嵯峨浜(御旅所)」への当年児の神輿渡御で、神職の掲げる大麻を先導に唐櫃、高張提灯、子供神輿、日旗、月旗、鉾、太刀、真榊、太鼓、盾、神輿台、社名旗、神輿、宮司、御幣、御榊、当年児と家族 等の行列が続く。
上古沢41 古沢厳島神社 8/16(笠鉾神事) 笠鉾3本 上、中、下古沢
10/26(例祭) えびすのお渡り
笠鉾3本は上古沢、中古沢、下古沢(笠木も共同)。箱書きに享保16年(1731)とある。また口伝では元禄13年(1700)より始まったと聞くが?
氏地は上古沢、中古沢、下古沢、笠木、椎出。
河根1 河根丹生神社 10/2日曜(元・17) 地車1台 制作年、大工、彫師 等不詳。外車輪。
昔は丹生神社の境内で、花相撲、力くらべ、大餅投げ、だんじりのお渡り などがあった。
東郷59 東郷丹生神社 10/15 例祭
丹生川580 丹生神社 10/3or4日(元・27) だんじり(小)1台