「起こすのもかわいそうか」 ……そう思って、放っておいたのが間違いの元だったのかもしれない。 「………………」 ちらりと壁に掛かっている時計を仰ぎ見た。この時計は、確か伸の記憶が正しければ、遼から引越祝いにもらったもののはず。いつもなら貰い物はそこらに平積みしたりする当麻だけれど、これはさすがにもらったその場で遼に言われて壁に掛けたのだった。 その時計は、しっかりきっちり18時を示していた。 「ここに来たのはお昼前で、その間に掃除洗濯して……」 あれこれあれこれ。 指折り数えてみれば、その間に一体どれだけのことをしてきたことか。いくらなんでも寝すぎではなかろうか。 もう今か今かと起きるのを待っていたけれど、もはや待てそうにもない。いっそのこと、このまま帰ってやろうかと思ったが、それも何だか悔しい。 ――ので。 足音が響くのも構わずに当麻の寝室へ押し入った。ぐーすか幸せそうに寝顔を見るにつけ、再び怒りがわいてくる。 「こーのやろっ」 少々言葉が悪いが、伸は、思いっきり当麻の後頭部を拳でぶったたいていた。 遠慮なしの加減なしの思いっきりのこの行為は、確かに効いたらしい。さすがに、当麻が起きた。 うううとうめきつつ、伸を見た。一瞬の空白。 「……伸?」 「おはよう、当麻」 目をぱちくりさせる当麻を見下ろして、にっこりと、伸は最大級の笑みを浮かべた。 「ずいぶんごゆっくりだったね。遅くまで仕事かい? 大変だね」 「いや、そんなことはないが……」 自分の笑みの意味を悟ってか、当麻はいきなり真面目な顔をして見上げてきた。 「……伸?」 先程とは微妙に違うニュアンスの呼び方。いっぺんで目が覚めたらしい。伸が何故ここにいるのかと言う疑問よりも、何故怒っているのか考えている、そんな表情だった。 むろん、判ってはいたが、伸は教えるつもりはなかった。当麻の疑問も知っていて、関係ないことを言う。 「おはよう、起こしてごめんね。ちょっとそこまで遊びに来たんだけれど、寝ているとは思わなくって」 「……いや、そんなことはないが……」 自分で起こしておいて笑える科白だ。が、相手は当麻なんだから何だって良い。むちゃくしゃしている。八つ当たりだとは十分判っているし、そもそも当麻にだって都合があるはずで。 けれど、だからこそ伸は八つ当たりせずにはいられないのだ。 一呼吸してから伸は心の中で、自分が一番綺麗に見える微笑みを思い浮かべた。にっこりとそれを口元に浮かべる。唇は、案外冷静で、いつも通りの声を出すことが出来た。 「じゃ、僕は帰るから」 「は?」 「用もすんだし、することもないからね」 「って、伸?」 「テーブルに食事も作ったから食べておいてね」 思えば、その中に芥子でもたっぷりと入れておけば良かったと悔やみつつ、伸はくるりとUターンした。当麻が追いかけてくるのは計算の上。 「待てよ、伸」 案の定、腕を捕まれて引き戻された。振り返れば、いやに焦った表情が目の前にある。いつも飄々とした当麻にこんな表情をさせることが出来るのは、ちょっと楽しいかもしれない。 「何かな?」 「何を怒っているんだ?」 「さあね?」 言いながら腕を振り払い、靴を履く。 「伸」 背中から真剣な声で呼び止められた。靴紐を結び終えるまで待ってから、屈んだ格好のまま伸は瞼を閉じた。気分を落ち着かせるために息を吸って吐く。新鮮な空気が飛び込み、胸がゆっくりと上下した。 「話があるんだ」 「――僕にはないよ」 「オレにはある」 いい加減、当麻も苛々してきたのだろうか。声に棘がある。 けれども、怒りなら伸の方が上だ。 「おい――――」 肩に、掌が置かれた。そうと感じた瞬間、伸は反射的に振り返っていた。 振り返りつつ、拳をきつく握りしめる。握りしめ、力任せに、伸は拳を振り上げていた――。 かけられた声からおおよその当麻の位置を推し量っていたのだが、どうやら正解だったらしい。遠慮なしの伸のパンチをあびて当麻の身体がぐらりと均衡を失う。がくんと揺らいだ身体は、それでも気を失わずに片膝を付き、痛そうにうめき声を上げた。 「いってぇ……」 「自業自得、だよ」 八つ当たり、だけれど。 「オレが何をしたって……」 「強いて言うなら全て、かな?」 意味不明な笑みを残して、伸はさっさと背を向けた。まだ床に膝をついている当麻は、けれども、抗議の声を上げることが出来る程度には大丈夫だろう。 追いかけては来なかった。もしかしたら伸びているかもしれない。本当に遠慮なんてしなかったから。 少し、心配になる。玄関を出て、一度だけ当麻の住んでいるマンションを振り返った。 「少し、わがままが過ぎたかな?」 わがままと言うよりは、甘え、か。 最も、この行為について反省はしていなかったりするけれど。 「んー、明日辺り、当麻の好物でも持っていくかな……」 ちらりと呟いて、伸は自宅への道を急いだ。きっと今夜遅くに当麻から電話が入るに決まっている。 そのとき怒りの原因を何て説明しようか、考えながら、楽しそうに微笑んだ。 振り回されているのは、さてどちらでしょう? あとがきへ |