カーテンの隙間から、わずかにもれる月明かり。

 その月明かりを受け、闇の中に浮かび上がる白い肢体。

「ん…あっ…」

 熱に浮かされたように、ただその身体を抱きしめる。

 細い身体。
 まわした腕の中で軋むような。

 誰よりも大切な人。

 抱きしめた耳元にそよぐ、熱い息づかい。
 普段とはまるで違うその声、その表情。

 乱れた顔を覆う、細く白い腕。

「ふっ…いや」

 抗うのをなだめるように、耳元で囁く。
 白い手首を掴んで、腕ごとその身体をかきいだく。

「もっと顔見せて、伸…」

 あらわになる、上気した頬。
 硬く閉じられた瞳。

 眉間に寄せられる皺は、決して苦痛を感じている訳ではなくて。

「あっ…んん!」

「く…うっ!」






「はっ!」

 目を開けた瞬間、鼓動が早くて大きくて、死ぬかと思った。
 彼は荒い息を繰り返して天上を見つめて、射し込む光の眩しさに目を細める。
 窓の外には鳥の声。
 手を動かして張り付く髪を掻き上げる。びっしりかいた汗。


 朝だった。

 見慣れた壁は、けれど自分が生まれ育った家ではなく居候を決め込んでいる柳生邸の、自分に与えられた部屋のモノで。
 ありがたい事に自分は一人で個室を与えられていて、でもってその部屋のベッドには、自分一人で寝ている訳で。

「ゆ…」

 呟こうとする声がかすれているのに苦笑する。

「夢だよな〜…」

 全く持って、夢であった。

「は〜、心臓に悪い…」

 呟いて起きあがろうとして、嫌な感触に布団の中に手を入れる。

「………」

 真田 遼、15歳。
 いかに選び抜かれた鎧戦士であっても仁の心の持ち主であっても、本能には逆らえない。
 誰も見ていないと分かってはいても、頬が染まって行くのが分かる。

 お年頃、なのであった。

「だからって、ちょっと今のはまずいかも…」

 思い出すだけで再び鼓動が早くなる、眠りから覚める直前に見た光景。
 ちょっと、いやかなり楽しい夢だったけれど、大変に正直な願望ではあったけれど、やはりやはり問題であるように思う。
 だって。

 トントンッ。

 はっと顔を上げると、返事を待たずにドアが開けられる。

「遼、起きてる?朝だよ」

 ひょいと顔を覗かせるのは、たった今夢の中で抱きしめた人。

「しん…」

 呟いた顔をまじまじと見て、伸はためらいもなく部屋に入ってくる。

「遼、どうかしたの?顔が赤いみたいだよ」

 返事をするまもなく、白い手が遼の額に触れる。

(うわ〜〜)

 早くなる鼓動を押さえようと遼は目をつむり、両手が無意識に布団を掴む。

「う〜ん、熱はないと思うけど…大丈夫?」

 のぞき込む瞳。

「だ、大丈夫だ、なんともない!」

「ほんとに?」

「ああ、全然元気だ」

 疑わしげに聞いてくるのにこくこくと首を振って答える。

「ふう〜ん、じゃあいいけど。あ、今日洗濯するからさ、早く起きて着替えてよ。いい天気だからパジャマもシーツも洗いたいから」

「せ、洗濯!」
 
 まずい、それはひじょーにまずい。
 遼は布団を握る両手に力を込める。
 伸はなにげに遼の布団をはごうとして、抵抗するように布団を引っ張る遼の手を不審に思った。

「遼?」

「あのさ、今日は俺が洗濯するよ!」

「そりゃ有り難いけど…」

「うん、だから伸は先に下に行っててくれよ、な?」

 真っ赤になった顔と、布団から決して出ようとしない身体。
 まあ伸にだって予想はつくという事で、それ以上理由を聞くのは野暮というモノだろう。

「そうだね、じゃあ洗濯は遼に任せるよ。食事の用意してるから早く降りておいでね」

 にっこり笑うのに答えて、再び遼はこくこく頷く。
 伸は足早にドアへと進んで、それからふと振り向いて言った。

「でも遼、あんまりためてると身体に悪いから、気を付けた方がいいよ」

 にっこりと、天使の微笑み。
 その後ろ姿には、しっぽでも見えるような気がする。

 バタン。

 閉じられるドアの音が響いてから、遼が立ち直るのに十数秒の時間を要した。

「だ、だ…」

(だ、誰のせいだと思ってんだよ〜〜〜!!!)

 涙ながらの訴えは、もっともであろう…




━━ DOKI・DOKI ━━
真田君の苦悩な日々




「それにしても…」

 朝食後、あまりにも膨大な量の洗濯物を前にして、遼は軽いため息をつく。
 予想できたとは言え、通常の着替えの他にパジャマやシーツまで洗うとなると凄い量だ。
 数回に分けて順に片づけるしかないか、とため息をついて汚れ物だとか白い物だとかの選別を始めると、伸がひょっこり顔を出してにっこり笑う。

「こっちの片づけが済んだら干すのは手伝うから、頑張ってね」

 それだけで、ばりばりやろうという気分になってしまう遼であった。





「はぁ〜、いい天気!気持ちいいね」

 雲一つない青い空。
 真っ白なシーツを広げながら、上機嫌に伸が言う。
 伸は皆より一つ年上だけど、体格的にはむしろ華奢なぐらいだ。
 きびきび動くその細い身体を見つめていると、健康的な青空の下だってのに、遼は不埒な事を考えてしまう。

(後ろから抱きしめたら、どんな感じだろう…)

「遼、これでそっち止めて」

 妄想は、現実的な言葉で消し飛ばされたけど。

「よーし、終わり!ありがとう遼、助かったよ」

「あ、ああ。結構大変なんだな、洗濯干すのも。また言ってくれれば手伝うよ」

「本当に?じゃあまた頼むよ」

 全く持ってその笑顔の為なら、なんだってやってしまうと思うのだ。

(なんか俺、やっぱり病気かも)

 笑顔にどきどき、笑い声が嬉しくて、全ての動きから目が離せない。

 こんなにどきどきするなんて、どうしたらいいんだろう?
 鬱々と考えても、それだけじゃ答えは出ない。



    「遼、僕のこと、好き?」

    「………うん」

     告白は、とりあえずした。あれを告白と呼ぶにはいささか情けないモノがあると思うけど、でも、とりあえずした。

    「僕も遼のこと、大好きだよ」

     伸も答えてくれた。

    「キスしていいか?」

     キスもした。
     すっごく嬉しかった、幸せだった。
     でも本当は、それだけじゃ足りない。
     それ以上のこと、もっとしたい。
     例えば、例えば今朝の、夢みたいな事。
     今朝の、夢…


     月明かりに浮かぶ、白い肢体。

 みだらな映像が脳裏に浮かんで、遼は真っ赤になって転げ回りたい気分になった。

 全くもって、お年頃なんである。




 午後も2時過ぎ、ようやくのっそりと起きてくる当麻に、いつものごとく伸が文句を言う声に、ふと遼は我に返る。
 もっともそれはあまりにいつもの光景なのでもう誰も気にもしないし、伸にしたって諦め顔で小言を言うぐらいの物だったが。

「まあまあいいじゃん。うわっ伸ちゃん、今日のランチめちゃうま!」

「今日も、だろ」

「おっしゃる通り!ああ伸ちゃん怒った顔も美人ね〜」

「そんな言葉で僕がごまかされると思う?」

「でも許してくれちゃうのがお前だろ?お代わりちょーだい」

 へらへらと軽口をたたく当麻の頭をはたくと、伸は結局笑いながらお代わりを用意する。
 それは遼の目に、なんだかやけにいい感じの光景に写った。

 まるでこう、長年連れ添った夫婦みたいな…

(な、なんだよあいつ)

 なぜかむっとするその気持ちが、「嫉妬」だと言う事は自分にも分かる訳で。

(なんで俺があいつに嫉妬なんかしなくちゃいけないんだよ)

 ますます不機嫌になってしまって、遼は居間のリビングでふて寝を決め込む事にした。

 と、間もないうちに人の気配。

「お、どうしたんだよ遼、こんな昼間っから横になって?」

 相変わらずのへらへら口調は、たった今の不機嫌の現況。

「いいだろ、別に」

 食事を終えた当麻は満足げで、断りもしないで遼の隣に座り込む。

「なんだ?やけに不機嫌だな」

「そんな事ないさ。俺は、お前と違って朝早く起きて伸が洗濯するのを手伝ってたんだから、ちょっと疲れてるだけだ」

「へぇ、洗濯を!そりゃ感心だ。しかし珍しいねぇ」

 やけににやにや笑いの当麻が遼の気に障る。
 当麻にしてみれば、食後の腹ごなしに何やら拗ねてるらしい遼をからかうのは丁度良い、と言った所なのだが、何にでも本気になってしまう遼はつい真面目に反応してしまう。

「なんだよ、俺が洗濯手伝ったら悪いって言うのかよ」

 悪いはずはないのだが、そう言う遼の顔は真っ赤に染まっている。
 これでは何かあると教えているようなモノだろう。

「は〜ん…」

 当麻はすぐに察したらしく、にやにやした顔をより含みのある表情に変える。

「いかんなぁ若者が、そんなにためてると身体に良くないぜ」

「なっ!」

 なんで分かったんだと口をぱくぱくさせる遼。
 もう自白しているようなモノで、これはもっとからかうしかないだろうというのが当麻の持論。

「ふ〜ん、そんでどんな夢だったの?」

「ゆ、夢なんて別に…」

 耳まで真っ赤である。これ以上赤くなったら血管切れるんじゃないか?と当麻は余計な事を心配しつつ、更に遼を追いつめる。


「もしかして、伸ちゃんの夢?」



「うだ〜〜〜〜〜!!!!!」



「どうしたの遼!何かあったの!」

 叫び声にリビングに飛び込んできた伸の目に写ったのは、耳まで真っ赤にしてじたばたしている遼と、その身体を抱きかかえるようにして遼の口をふさいでいる当麻。

「当麻…?」

「なんでもないなんでもない」

 さすがに冷や汗を浮かべつつ、当麻が伸に向かってひらひらと手を振る。

「本当に?遼、当麻に何かされたんじゃないのかい?」

 当麻の身体を押しやって、伸が遼の目をのぞき込む。
 ふわりと近づいた瞬間の柔らかな匂い。
 のぞき込まれるエメラルドブルーの瞳。

(け、血管切れるカモ)

 遼はのけぞるように伸から身体を引き離して、やっとの思いで言った。

「だ、大丈夫だ伸。ちょ、ちょっと当麻と遊んでて興奮しただけだ」

 こう言うのも何やら不本意なのだが、それにしても伸にこう間近に寄られていては身が持たない。
 しかも、叫んだ本当の理由なんて聞かれたら、もっととんでもない。

「本当に?」

 疑わしげな顔の伸に、こくこくと頷いて答える。

「分かった。じゃあ僕まだ掃除の途中だったから。何かあったら呼ぶんだよ、すぐに来るからね」

 にっこりと大好きな笑顔。
 後ろ姿を見送る遼の鼻から一筋、なま暖かいモノが流れた。

「…血管切れてるよ、遼ちゃん」







「しっかしお前、これは問題だよ」

 やれやれと、ティッシュを鼻に詰めた遼の首の後ろをトントンと叩いてやりつつ、呆れた声で当麻が言う。

「おれぼ、ぞう゛おぼう゛」

 鼻が詰まっているのである。
 
(な、情けね〜)

 当麻に言われなくても分かっている。
 遼はがっくりとため息をついた。

「止まったか?」

 当麻の声にうなずいて、遼は鼻に詰めていたティッシュを捨てた。
 やれやれとため息をついて、偉そうに当麻が言う。

「なんせ俺達は共同生活してる訳だし、お前がそんなんじゃすぐに伸だけじゃなく秀や征士やナスティだって不審に思うだろう。早くなんとかした方がいいぞ」

「でも、どうしたらいいと思う?」

 どうせまともな事言ってはくれないと思うけど…、さすがに少しは学習能力を働かせて、遼は当麻を見上げた。

「どうって、ねぇ…」

 さすがに責任を感じているのか、当麻も少々真面目な顔をする。

「そりゃお前、正直に言うしかないんじゃないの?」

「言うって、何を」

「伸ちゃん好きです、やらせて」

「なっ!っう」

 当麻の方は遼の何倍モノ学習能力を持っているので、今度は叫ぶ前にその口をふさいでいる。

「叫ぶなよお前。また伸に飛んできて欲しいのか?」

 ぶんぶんぶんと首を振るのを確認して、当麻は遼を離してやる。

「そ、そんな事、言えるかよ!」

「どうして?」

 真っ直ぐに言い返されて、かえって遼の方が戸惑う。

「だって、あいつ男だし…」

「でも、遼は伸の事が好きなんだろ?」

「う、うん」

 ここまで来て当麻に嘘をついても無駄だろう。

「お前は、伸の事抱きたいんだろ?」

「うううううう、うん…でも…」

「うじうじするなよ、お前男だろ?それに伸だってお前のこと好きなの、さっきの見てたって分かるだろ?」

「う、うん。実は、伸も俺のこと好きだって言ってくれたんだ」

 ためらいながらも遼が言うと、当麻はへぇと驚いて少し意外そうな顔をした。

「なんだ?」
 
「いや。だったら何も迷うことはないだろう遼!ど〜んと伸にぶつかってみろよ!」

「だ、大丈夫かな?」

「だーいじょうぶだって!男ならどーんと行けよ、遼!」

 励まされて、なんだか遼も段々その気になって来た。

「そうだよな、よし、俺は行くぜ!今夜にでも!」

「おう、頑張れよ、今夜な!




 夜。

(よっしゃ〜!行くぜ俺は!)

 昼間当麻に励まされた事で、遼はもうすっかりやる気(…)になっている。
 食事を終えて風呂にも入り準備万端。
 しかし伸はたいてい最後に風呂に入るので、そわそわとTVなど見つつ様子を伺う。
 が、朝から興奮ばかりしていた為か、はっと気付いた時にはTVを見ながらうたた寝をしていた。

「おおっと〜。今からこんなんじゃダメだな。今日はやるんだから!」

 気合い一発呟いていると、深夜番組を見るつもりらしい秀がリビングに入ってきた。

「お?なんだよ遼。何をやるんだ?」

「いいいいいいやなんでもないぜ。と、所で秀、伸はもう部屋に行ったのか?」

 どもりまくりの遼に首を傾げつつ、秀は答えた。

「ああ、とっくにな。お前も早く寝ないと怒られるぜ」

 自分はこれから夜更かしをするつもりの癖に兄さんぶる秀は気に入らないが、遼は今そんな事にこだわっている場合ではないのだ。

「あ、秀は、これから何時ぐらいまでTV見てるんだ?」

「ん?ん〜、今日は3時ぐらいまでかな」

 新聞を見ながら答える秀の言葉を聞いて、遼は考える。
 伸と秀は同室なのだ。秀が部屋に戻るのは3時過ぎ、となれば、3時まであの部屋には伸一人という事になる。
 本当は伸を遼の部屋に連れてきてコトをしようと思ったのだが、場合によってはそのままあの部屋で…と言うのも良いかも知れない…。

 ぶつぶつと呟く遼に、秀は不審げな視線を送る。

「よっしゃー行くぞ!」

 気合い一発呟いて、遼はリビングを出て行こうとする。

「り、遼、どこに行くんだ?」

 秀はいやな予感がして、後ろから声を掛けた。
 無視して出ていくか、と思われた遼は、出口で振り返ってにやりと不敵に笑う。

「り、りょお?」

「秀、俺、男になるぜ

 そのまま、トントンと階段を昇って二階へ上がる音がする。
 珍しい遼のその笑いに、秀はしばし固まった…



 そのまま固まっていた方が、あるいは彼にとって幸せだったかも知れない。
 だがしかし、やっぱり彼は面倒見の良いお兄ちゃんなのだった…




(よっっしゃ〜、やるぜ〜今日は!)

 不敵な笑みを浮かべつつ、遼は鼻歌でも歌い出しそうな上機嫌で階段を上がると、伸の部屋の前で立ち止まる。

(さて、どーやって入って行くかが問題だよな。伸の奴、もう寝てるかな?結構夜更かししてたりするから、本でも読んでそうな気もするんだけど…)

 この期に及んでさすがに躊躇する遼の耳に、部屋の中から何やら聞こえた。

(やっぱり起きてんのかな?)

 思いつつ、そっとドアに耳を寄せて中の様子を伺う………と。

「あっ……んんっ」

 ガバッ!

(な、な、な、なんだ今の?)

 遼は反射的に飛びすさって、ドアの向こうをじっと見つめた。
 やけにやけに、色っぽい声。

(い、今のって、伸の声?)

 ちょっとうわずってかすれたような声は、そう聞こえなくもないが、普段の彼の人の声とは余りにも違っていて。

(ら、ラジオとか聞いてるって可能性もあるよな)
 
 思いながら遼は再びドアに耳を寄せる。

「くうっ…ふっ…ダメっ」

(うひっ!)

 叫びそうになるのを必死で押さえて、遼はのけぞった。

(ま、ま、間違いない…)

 紛れもなく、伸の声である。
 でもってやぱっりどう考えても、今の声は…

(あ、あの時の声だよな?)

 夢で聞いた、あの声…

    「あんまりためてると身体に悪いから、気を付けた方がいいよ」

 朝、伸に言われたあの言葉が頭に浮かぶ。
 
(そうだよな、ためないようにしてるって事は、してるんだ、自分で)

 どきどきどきどきドキドキドキドキdokidokidokidoki…

 鼓動がどうしようもないほど早くなって、頭に血が上ってめまいがしそうになる。

(ど、ど、どうしよう?入って行っても良いのかな?)

 経験から言って、あーいう事をしている時、出来れば気付かないふりをしておいて欲しい。
 それはやっぱり、この年頃の男同士が共同生活をする上では不文律のルールというモノであろう。
 だがしかしだがしかし。

(み、見たい!

 正直な欲求というのは押さえられるモノではないだろう。
 いやでもさすがに急にドアを開けるというのは余りに失礼ではないだろうか?
 と、なけなしの理性を総動員させて考え込む遼の肩に、手をおかれた感触…

「いっ!?」

 びびりまくって振り返ると、そこにいたのは…

「しゅ、秀〜…」

 さすがに叫んだりはせず声を抑えたが、驚きは隠しきれない。

「ど、どうしたんだよ秀」

 遼は声を抑えて言うが、どーしたもこーしたもあるか、と秀は思う。

「戻るぞ、遼」

「な、なんでだよ!」

 カッとして声を荒げそうになって、慌てて秀に押さえられる。

「なんでってよ〜、分かるだろ?遼。こんな所で何やってるんだよ」

 確かに、今の自分の行動は大層不審だと遼も思う。
 こんな風に人の部屋の前で聞き耳を立てているなんて、どう考えても誉められた行為ではない。
 だけど、だけど!

「あっ…んん!」

 一際高い声が、聞こえた。遼だけでなく、秀の耳にも。

 ゴクッ。

 唾を飲み込んだのは、どっちだったか。

「い、いくぞ、遼」

「う、うん、でも」

 こんな時に、部屋に入って行くのは良くない。
 それは遼にだって分かるけど、でも!
 こんな状況で、大人しく戻ることが出来ると言うのだろうか!

「ふっ…くっ」

 再びなまめかしい声。
 遼がたまらず耳を寄せるのに、秀もつられてドアに張り付いてしまった。

「んっ…ふっ、も、もう!」

 漏れるその声に、秀も耳を赤くする。
 その様子を見て、自分だって一緒じゃん、と遼は思いつつ、息を殺して中の声を聞く。

 と。

「ダメだ、まだ…」

    「(へっ?い、今何か、違う男の声がしなかったか?)」

    「(は?そりゃ当然だろう?何言ってるんだよ遼)」

 秀と遼の会話は、囁くような声で交わされている。

「やっ!い、いぢわる…どうして今日はそんなあっ…あんっ」

    「(と、当然ってどういう事だよ?伸はだって)」

    「(り、遼、お前まさか!?)」

「ふっ…もう、もうっ」

    「((ああ!しん!))」

「くっ…おっ、仕方がないな…」

    「(え?この声…)」

 信じられないと言った様子の遼を、秀はこっちだって信じられんという顔で見つめる。

    「(まさか遼、知らなかったのか?)」

「ああっ…んっふっ…や…んんっとう…ま!!」

「ふんっくっ!」

 二人はついに力つきたようで、どさりとベッドの揺れる音がする。
 遼はどうしても確かめたくて、ドアのノブに手をかける。

「やめろ!遼」

 慌てた秀の制止は、間に合わなかった。

 ガチャ!







 たまらずドアを開けて飛び込んだ遼が目にしたのは、水色のシーツが波打つ伸のベッド。

 ぐったりと倒れこみ、白い背中を見せているのは伸。
 月明かりに照らされた細い身体の、白く伸びやかなラインは夢の中と同じ。

 だがその細い身体を下から抱きとめて、遼たちを見据える、不敵な瞳。

 そのあまりに生々しい光景は、今朝見た夢とは違ったインパクトで遼を呆然とさせる。

「おやおや、ノックもせずにドア開けるなんて、無粋だな」

 青いその瞳は、面白そうに笑っていた…

「と、当麻が、なんで…」

(う、ひ〜!ど修羅場!どーすんだよ〜)

 秀はモーレツに泣きたい気分になった。




 一方、その頃…

 トルーパーズのもう一人、礼将光輪の征士は、安らかにむさぼっていた眠りから不幸にも目を覚ました。
 どうにも廊下が騒がしい。
 こんな夜更けに騒ぎ立てるなど、皆「礼の心」がなってないとしか思えない。
 不機嫌に起きあがりドアを開け廊下に出る。
 と、すぐ隣の部屋の前でドアが開かれ遼が立ちつくし、秀が後ろであわあわ言っている。

「なんなのだ?こんな夜中に騒がしい。どうしたと言うのだ?」
 
 声を掛けると、秀が助かった、どうにかしてくれという視線を向ける。
 なにやらいや〜な予感を感じつつ、部屋の中を見ると…。







「んっ、…なに?」

 なまめかしく染まった白い背中を隠しもせずに、伸が身じろぎする。
 半ば夢うつつにあった伸は、回りのこの騒ぎにまるで気付いていないらしく、悩ましく小首をかしげて当麻を見上げる。

「どうか、した?」

(ど、どーしたもこーしたもあるかよ〜)

 周囲の(心の)叫びを余所に、当麻はうって変わった優しい声で伸に告げた。

「なんでもない、お前は気にすんなよ」

(気にしてくれ頼むから!)

 当麻は振り向こうとした伸の顔を掴んで、唇を寄せる。

「やっ、んっ」

 大人しく目を閉じる伸に満足げな表情を浮かべつつ、当麻の手がその細い腰を抱き寄せる。

「続き、見ていく?」

 首筋に伸の顔をうずめさせ、にんまりと微笑む当麻。

 青い顔をした秀が、ふるふると首を振る。
 はっと我に返った征士が、遼の肩を掴んでドアから引き剥がす。
 秀は力無くドアを閉めた。




「……征士さんよ〜」

「なんだ?」

「どーすんだよ、これ」

 ひらひらと、秀は固まったままの遼の目の前で右手を振る。

「私に聞くな。とりあえず、下へ行くか」

「………反対はしねーけど…」

 力無く呟いて、秀は固まった遼の身体を持ち上げた。




 遼がはっと我に返った時、そこはいつものリビングだった。

「お、俺は…」

 はたと回りを見回すと、苦虫をかみつぶしたような顔の征士と呆れたような表情の秀が目に入る。

「さ、さっきのは夢だったのか?

 思わず呟くと、征士が神妙な顔で頷いた。

「そう思ってくれると、我々としても助かるな」

 そう言われて、そうだったのか、と頷く人間がいるだろうか?


う、う、う、うそだ〜〜〜!」


 さすがの仁将も、そこまでぼけてはいなかった。












「俺、もう一度伸の部屋に行って確かめてくる」

 遼がそう言い出したのは、たっぷり5分は叫んだ後。
 どうなるのかと成り行きを見守っていた征士と秀は、この遼の一言に弾かれたように喋り出した。

「そ、それはやめた方がいいぞ、遼」

「なんでだよ、非道いじゃないか当麻の奴!」

「確かにあいつはとんでもなく非道い奴だが、また押し掛けるなんてのはやめた方がいい」

「そうだよ遼。馬に蹴られてなんとやらって知ってるか?」

 必死に言葉を重ねるが、遼の興奮は治まりそうにない。

「なんとか止めるんだ秀」

「そりゃ力ずくで止めてもいいのならそーするけどいいのかよ?」

「離せよ二人とも、俺は行くんだ!」

 いくらなんでも仲間を殴って止めるというのは良くないだろう。ううむと征士はうなるが、頭に血が上っている遼は秀の腕さえ振り払って行きそうな勢いである。

「とにかく今日は止めておけ。え〜と、そうだ遼、これを見ろ!」

 仕方がないとばかりに、どこからか征士は何かを取り出した。

「これが何か分かるか、遼?」

 それは緑色の日本酒の入った瓶。遼は条件反射で目に入ったラベルの字を読む。

雪の松島 大吟醸

「そうだ、我が故郷仙台の銘酒だ、私の秘蔵の酒だ。お前これが飲んでみたいと言っていただろう?今日は飲ませてやるぞ!」

 偉そうに言う征士も言われる遼も、成り行きを見守っている秀も未成年なのだが、今はそんな事に構っている時ではないだう。
 どういう訳だか彼らは皆飲んべえの集まりで、征士は日本酒なら底なしだし、秀はアルコールをジュースと勘違いしているとしか思えないし、遼も結構な酒好きだった。
 差し出された酒は720mlで2621円という未成年には少々値の張るモノであった為、征士は惜しんで普段はなかなか飲ませてくれないものなのである。

「くっそ〜、今日は飲むぜ〜!

「うむ、そうだ!」

「よし、つき合うぜ遼!」

 期せずして、宴会の始まりであった。




「寝たか?遼は」

 あれから、3時間ほどだっただろうか。
 征士はグラスを掴んだままテーブルにうつぶせになっている遼の顔をのぞき込む。

「ふ〜、やれやれだぜまったく」

 秀はため息をついて、遼を持ち上げてソファへと寝かせた。
 そこいらにあった膝掛けを布団変わりに遼に掛けると、二人はため息をついて顔を見合わせた。
 日本酒なら底なしの征士と、何を飲んでも底なしの秀である。
 なんとなく、そのまま差し向かいで飲み続ける。
 件の酒はとうになくなり、今飲んでいるのは普段飲む安価なモノだが。

「大体なんで、あいつらの為の俺達がこんな苦労しなくちゃいけねーんだよ」

「全くだ。と言うか、最近の当麻は少し目に余るようだな」

 ちなみに肴は小皿に盛った塩。年の割には渋く決まっている。
 
「そうそう!あいつちょっと伸の事独占しすぎだよな。ずりーんだよあいつは!」

「うむ。伸が甘い顔をしているからと言って、あれは納得できん」

 眠っている遼がこの会話を聞いていたとしたら、さてどう解釈するだろう?
 その遼をちらりと眺めて、秀がため息をつく。

「遼の奴だってさ、俺達から見ればずっと恵まれてるよな」

「まあな。しかしそれは仕方なかろう。遼は伸の気に入りだからな」

「そりゃそうだけどよ〜」

 底なしとは言っても、酔わない訳ではない。
 酔いの回った二人はどんどんペースも早くなる。

「んっとにずりーよな〜。俺だってさ〜、伸とさ〜」

「うむ。私だって同じだ。気持ちは分かる」

「だよな〜。ち〜っと口は悪いけどよ、家事は得意だし料理は上手いし!」

「よく気はつくし、そのくせ人に気は使わせない」

「加えてあの笑顔だぜ!俺にもよこせっちゅーんだよな〜」

 しみじみとうなずき合う二人。
 なんてゆーか要するに、そーいう事なのである。

「それにしても…」

「…さっきのアレ、か?」

 二人の脳裏に、しどけなく当麻にもたれかかっていた伸のあの姿が浮かぶ。
 しかも秀の場合、声付きである。

「腑に落ちんな」

「まったくだぜ、なんであの伸が!」

 ぶつぶつとぼやき続ける二人。
 が、おもむろに征士が、真面目な顔をして秀を見た。

「…それではお前、あの二人の間に割って入るか?」

「…ちぇれんじするってーんなら応援するぜ、征士さんよ」

「いや、まずはお前からどうだ?」

 二人はそれぞれに、今頃はよろしくやってすっきり寝込んでいるであろうあの二人を思い浮かべる。

 見てたほうが、無難だろうな…

「もう一杯どうだ、秀」

「おう、征士もな」

 さしつさされつ、夜は更けていく。







 そんなやり取りはつゆ知らず、潰れて眠る我らが大将、真田 遼。

「うう…ん、しん…」

 呟く顔がなんとなく苦悩しているような気もするが、果たしてどんな夢を見ているのか?

「と、当麻の、バカヤロ〜…」

 前途は多難のようである。






<完>  



 
 <お・ま・け>


 征士と秀がしみじみと飲んだくれているその頃。
 腕の中の伸が身じろぎしたのを感じて、当麻はふと目を開けた。

「ごめん、起こした?」

「いや、いいけど」

 そう言って、腕から抜けようとする伸をもう一度伸を捕まえてキスをする。

「んっ、当麻!」

 何をするんだよとにらむ目を、軽く睨み返す。

「伸、お前、さっきのちゃんと起きてただろ?」

 確認するように言うと、腕から抜け出した伸は緩く微笑む。

「でも当麻、遼が部屋に来たの、お前のせいだろ?」

「お見通し?」

「当然」

 だから罪はかぶってもらわなくちゃねと、伸は笑う。

「狡いぞ、伸」

「だって、当然でしょ。好きな子の前では、可愛いままでいたいじゃない」

 だからあんな風に、何も気付かぬ振りをして。
 朝になったら素知らぬ顔で、遼に向かって微笑むのだろう。

「なんか俺ばっかり悪者で損な感じ〜」

「そのかわり、こんな事してるでしょ」

 上目遣いでにらまれると、後はもう何も言えない。

「はいはい」

「シャワー浴びたいな〜」

「今日は無理だろ、あいつら下にいるぜ」

「う〜ん…」

 不機嫌そうにうなる伸をなだめるように、柔らかなその髪を梳いてやる。
 満足げに緩む口元に、当麻は自分が寝そびれた事を知る。

 全く、この小悪魔には叶わない。








DOKI・DOKI 真田君の苦悩な日々、の解説を読む(^^;

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