コケたところ(単独事故)
 コケたところは、”数知れず”なので、おぼえている所を、なるべくコケた順に紹介(?)します。

”初めての立ちゴケ”で紹介した、ガソリンスタンドにて《ユミルのフレームに外傷(泣)》

山道で側道に入るところに鉄製の側溝のふたでタイヤがスリップし転倒。
《さいわい低速での転倒だったため左側エラあたりに少し傷が入る。僕の左ひざに軽傷》

信号交差点で信号が黄色になった瞬間右折しようとしたら横断歩道に入ってくる東南アジア系の娼婦らしき女二人に進路をふさがれたので止まろうとして足を出すも、そこは地面がタイヤの接地位置よりも5cm以上下にあり、不意を付かれてそのままあえなく転倒。
《左ミラーバリバリに破損、左カウルに結構大きなキズ。「そこの女ども歩行者信号”赤”で出てくるな!」》
    ↑上記までが多分ユミルに乗ってたころので、↓下記からがゆうきになってからのです。

雨上がりの夜10時ごろ、真暗な金沢駅東側をボーっとしながら走っていると、前方の信号(信号と停止線の距離が異常に離れている)が赤になっていることに気づき慌てて急ブレーキ。「ちょっとライン出るくらいで止まれるな」と思っていると、いきなり前輪がロック!そのままハンドルを持って行かれ、転倒。ゆうきは20mぐらい火花を散らしながらスライディングしてました。
《右ウインカーとフレームをつないでいた鉄板の溶接部分がはずれる。右カウルが大きくえぐられ、上下のエラが割れる。ブレーキペダルが折れる。僕のほうは左ヒザ・ヒジに大きな擦り傷》
<後日、昼間に同じ場所を走ってみると、タイヤが滑り始めたあたりにはオイルが敷かれていました>

お店がぼちぼち開店し始める時間に、翌日の日帰りツーリングの為にいろいろと準備をしようと出かけたとき、またもやボーっとしながら走っていると前方で急ブレーキの音がして車が30mほど前方で止まっている。通常なら十分に止まれるスピードだったのだが、慌てた僕はフロント・リヤともにフルブレーキング、そして タイヤロックしてそのまま転倒。ゆうきはそのまま滑って行き、前の車に接触するかどうかの所で止まった。(ホントはぶつかってたかもしれないけど車の運転手が出てこなかったのでそのままにした。)
《右カウルを大きく削る。ブレーキペダル破損。ついでにエンジンオイルが上の方に来ていてエンジンがスタートしなかったのでセルをまわし続けてバッテリーをあげる。僕は右ひざに擦り傷を負う 》
そうそう、この時ゆうきを引き取ってもらったんだけど、バイク屋の兄ちゃんが、トラックから降ろす時に、ゆうきをこかしてくれたらしく、アッパカウルと右サイドパネルを割ってくれた。サイドパネルの方は大した事がないのだがアッパカウルの方はめちゃくちゃ目立っていたので、無償で交換してもらった(当たり前か)。
 <翌日のツーリングには瞬間接着剤と釣り糸でガチガチに固めたブレーキペダルで行きました。←やり方によってはOK でもお奨めは出来ません。>

たまにスタンド出し忘れて転倒が2〜3ほど有り。

つい先日(Feb.05,2000)、駐輪場にてスタンドを出し忘れて転倒した際、隣に置いてあった自転車を巻き込み、アッパーカウルの左側を割りとサイドミラーを破損させる(泣)。でも自転車は無事みたいだった。
 
2000年2月13日P.M.6:30ごろ国道23号線(名四国道)にて初のオーバー60km/hでの転倒を経験する。
この転倒時には、僕自身何も解っていなかった。いきなりの転倒だった。
状況としては、前方の車を抜こうとして車線変更しようとしてサイドミラーで後方を確認して、さてウィンカーを出すかと思った瞬間、前方の車のテールランプが点灯。「なんてタイミングが悪いんだ」と思いながらブレーキをかけ始めたら、いつのまにかゆうきは遥か前方をスライディングしていて、僕はアスファルトに体を叩きつけられていました。そして、僕は後続の車に轢かれないように歩道のほうに逃げようと努力しながらも、道路上で転がっていました。さいわい、後続の車には轢かれずにすみましたが、今考えると、すぐ後ろを走っていた車はめちゃくちゃあせったろうなぁ。いきなり前方のバイクがコケてるんだもんなぁ。
この転倒の原因は、未だはっきりとは解っていないのだが、予想として2つあげられる。
1つ目は普通車線と追い越し車線との間に段差があり、ここにブレーキング中のタイヤがとられて転倒した。
2つ目は、前又は後ろの車に接触していた。でも、これは多分ないかな?1台も車が止まっていなかったからな。
結局、自損事故だろう(シクシク)
《左カウル全滅!(エラも)左フロントウィンカー破損、チェンジペダル折れ曲がる、アッパーカウル少し削る。僕は、両膝・左ヒジ当たりに擦り傷、あちこちに打撲。全治3週間ってとこかな。しかし、いまだに丸1日が過ぎてもヒザからの出血が止まらん。やはり仕事で酷使しすぎたか。》


 

初めての事故(追突される・ユミルの最後)駄文
そうあれは就職活動の時期、翌日に見学をする工場の下見に行った帰り道のこと。そいつは俺の後ろを走っていた。しかし、ヤツは青信号で発進する時いつも出遅れていた。それを見ながら僕は、「こいつなにをとろくさやっとるんだぁ?」と思いながら走っていた。
そして事件は起こった。
家まであと数キロという所で、僕の前方を走っていた車が左折しようとして減速した。そこで僕もそれに習って減速をする。その時後ろのやつは結構離れた位置にいた。そして、前の車が20km/hぐらいで左折し始めたので、僕はセンターラインによって、車が前方からいなくなるのを待ってから、加速し始めようとしたその瞬間。ガッシャーンという音とともにお尻が跳ね上げられ、ハンドルから手が離れた。そして、ユミルは前方の車に突っ込みそうになったので咄嗟に体重移動をして激突を免れる。それでもウィンカーが当たったらしく、車のテールランプが割れていた。
うまく車をよけたは良いが、今度は前方に電柱&縁せきが迫ってくる。これはイカンと思いハンドルに手を掛けようとしたがどうもユミルは電柱と縁せきのない方にすこしづつカーブしているようで、その先には1mほど下に耕された田んぼがあったので、「下手にハンドルに触るよりこのまま田んぼに落ちたほうが良いな」と思い、そのままユミルを田んぼに突っ込ませた。その時の衝撃で僕は前方に投げ出されるも、下は耕された柔らかい田んぼなのでたいした怪我もせずに起き上がってフロントをベコベコにした僕の後ろを走っていた車の運転手に「どこ見て走っとるんだ!!バカヤロー!!」と怒声を浴びせて、大切なユミルを壊したことに対して少しだけ、怒りを爆発させておきました。
結局、この事故は示談で済ませることにして、10対0ですべて向こう持ちにしましたが、バイクを持っていったお店の人に「フレームが歪んじゃってるから全損だね。」と言われ、一時的に何もかもやる気が失せ、部品取りや、保険料・慰謝料の上乗せなど要求するのを忘れて、あまりお金をもらえなかったな。もらえたのは車体料として38万、慰謝料として3万程度しかなかった。いまにして思えば、もっといちゃもんつけて(マフラー換えたばっかなのにとか←モリワキ付けてたのさ、買ったときからだけど)もっと金額増やしてやればよかったな。


 

新たなる旅立ち
”初めての事故”で、ユミルの代わりに手元に残ったのは、38万円という現金だけになってしまった。
ここで、僕は悩んだ。このままバイクに乗るのをあきらめるか、これからも乗り続けるのかと。当時、僕はパソコンの方にも興味があり、30万円も出したら最高ランクのものが買える時代であった。また、両親からは「もうバイクには乗るな」とまで言われてるし、「どうしよう。どうしようかなぁ。バイクにしようかなぁ、パソコンにしようかなぁ。」と1〜2週間考えていた。そして、フラッとユミルを買ったお店に行って、(たぶん)僕が注文して、壊れてるから他のにしてと言われたバイクを見て、「やっぱりバイクがいい!!まだ、1年も乗らずにバイクを諦めるなんてできん!!」と思い、バイクを買うことにした。もちろん買うのはRF400RV(赤)!!そんな思いが出てきた瞬間に、店長さんに新たなるRF400RV(赤)を探してもらうことにした。(ついでに値段は40万円以下でと注文)そして、2〜3日が過ぎたころ、バイク屋さんから「バイクが来たから見に来て確認してください」と言う電話があり、早速、見に行くことに。バイク屋さんに着いて店長さんに挨拶をし、バイクを見せてもらいました。その時タイヤにひび割れがあったので、そのことを言ったら、タダで換えてくれた(Thank You RB)。
で、「このRF400RVで良いです。」と僕が言うと値段交渉に入った。僕としては40万円以下で手に入れば御の字だったのだが、さすがにそれは甘かった。しかし、僕が事故でバイクを亡くしたとゆうお情けで、「車検2年・強制保険25ヶ月付きで50万円でどう?」と言われ、「50万円かぎりぎりだな。でもここでこれを逃したら、もう買えないかも」という思いから”OK”を出し、後日、納車日までに全額を払うということで、その日は帰った。次の日、まずは半金だけバイク屋さんに持っていき、正式に契約が交わされた。それから3〜4日程して、「いつでも取りに来て下さい。」との事だったので、早速残りの半金とメットとグローブを持ってバイク屋さんに行き、新たな94年式RF400RV(赤)を手に入れた。そしてその日の夜、このRFに”ゆうき”という名前を与えた。