Apr 30. 2007 今年の連休は・・・            
世の中は28日から連休らしいが、こちらは28日は出勤で連休前半は29・30日が休みとなった。静岡市清水区では両日共快晴で絶好の行楽日和であったが、我が家は相変わらず多忙な時間が過ぎた。
29日は午前中、伊野と実家前のポンカン畑に親父と肥料を撒いた。午後は昨年8月の引越しで手付かずだった荷物の整理を行った。
また30日は久し振りに手摘みによるお茶摘みを行った。家の茶畑(大嶺)は数年前から親戚に貸与中の状況であるが、今日はその親戚のお手伝いで実家の裏山の東、茂畑地区の山頂にある茶畑にカミサンと赴いた。7時半に向かったが途中道に迷うなどして辿りつくと既に作業が始まっていた。 記憶を辿ると手摘みしたのは15年以上も前のような気がする。茶畑は管理が行き届き大変作業しやすかった。手積みの基本は「一芯三葉」と言って先端から茶葉の3葉までを摘むのが一般的だが、余り気にせず摘んでいた。そのほか来月に予定される採蜜を控えて道具の点検や整備を行なった。
写真は茂畑地区東側の山頂にある茶畑。茶葉の緑が逆光に映えている。モデルはカミサン。オンマウスは自宅の柿木越しに見た青空と飛行機雲。もう今日で4月も終わり。既に新緑の季節である。

Apr 26. 2007 待望久しい真空管"6AZ8"            
6AZ8・・・大変懐かしい響きである。1971年、自作SSB-TRCVの構想を練っていた頃、KWM-2の回路で怪しげな3極5極管の存在を知った。6AZ8である。3極5極管と言えば6U8A・6EA8・6GH8・6BL8・6AN8等を頻繁に使用していたので、どんな球か大いに興味があった。奇しくも自作SSB-TRCVでは、シャシスペースを確保するために、IFとAFアンプを複合管で組めないものかと苦闘していた。もしそれが実現すると2本で3本分の機能を、ほぼ同じスペースで組む事ができる。しかし6U8A等の5極管部はシャープカットオフ。IFアンプはAGCを掛けるためにどうしてもリモートカットオフかセミリモートカットオフ管が欲しい。その期待に答えるのが6AZ8だった。しかし地方に住む少年には通販も含め入手が難しく構想だけに終わっていた。時代が変わり、最近はネットオークションで思い掛けない価格で入手が出来る様になった。程良いHi-Gmのセミリモートカットオフ管として知られる5極管6DC6も同様だった。コリンズ社はRF増幅に6BZ6など使わずに頑なに6DC6を使用していた理由が30年経ってようやく分かるようになった。写真(オークションより転載)は最近入手した待望久しい6AZ8(Philips ECG)。予備管として大切に保管するつもりだ。

Apr 21. 2007 週末恒例のタケノコ掘り・・・工事を終えた山切高架橋            
前日職場スタッフの送別会があり軽い二日酔いの朝を迎えた。深酒はしなかったので目覚めと共に徐々に回復していった。この日も恒例のタケノコ堀とその後処理作業に時間が流れた。8時半に実家に戻るとカミサンは既に竹薮。遅れ馳せながら駆け付け凡そ1時間半のタケノコ堀り。タケノコ堀りと言うと聞こえは良いが、実は半分以上がタケノコを探している時間で、殆ど「宝探し」である。見逃しているかも知れないので何回も同じ場所を歩いて確認する。また竹たちの将来を考え何本かは残しておく。竹は隣の畑まで根を張り、思いもよらぬ場所に顔を出す。所有権は普通畑の持ち主にある。ただ、最近は荒らしてある畑が多く、その場合は竹が成長しない様にタケノコを払っている。この日は60Kg程掘ったが、皮を剥くとその1/3程度になってしまう。その後3つの釜に分けて2時間程度茹であげた。家では中3日おきに掘っているが、この状況は月末まで続きそうだ。翌日は早朝出勤のため、この日は早々に葵区の単身アパートに戻った。実はこの17日も代休で実家に戻りカミサンと親父が掘ってきたタケノコの皮むきと釜茹でを行なている。写真は竹薮の目の前にある「山切高架橋」。3月末で工事機材が取り外された(伊野地区から撮影)。

Apr 14. 2007 タケノコ掘りと釜茹で・・・V/UHFトライバンドGP設置他                  
この週末も色々と忙しかった。14日は7時半頃からタケノコ掘りに汗を流した。普通の人はタケノコを掘るだけで作業が終わると思われるだろうが実はそうではない。掘り出したタケノコはなるべく早い段階で皮を剥き茹でないと硬くなってしまい美味しく食べられない。また茹で上がってからも流水に浸しておかないと変質が早い。我が家では直ぐ食用にするモノは別にして瓶詰めにして保存している。したがってタケノコを掘って来る時は、後処理の時間も考慮しなければいけない。この日は午前中2ヵ所の竹薮を回り、約50Kgを掘った。持ち帰った後は素早く皮を剥き3個の釜で凡そ2時間茹でた。この時の燃料はミカンの剪定で出た枝を燃やす省エネ手法。2月に切った枝は未だ生木であるが、ミカンの木は良く燃える。吹きこぼれない様に火加減を調整するのでその場を離れられない。茹で上がったタケノコは翌朝まで自然に冷まし、さらに流水に1日程度漬し瓶詰めや食用になる。口にするまでには結構手が掛かっているのだ。写真は竹薮の斜面で掘り出したタケノコと農具のイワキリのツーショット。オンマウスは釜茹で中のタケノコ・・・約2時間吹き出さない様に茹でる。。
一昨年に岐阜県八百津町のバーベキュー(JA2QXY主宰)に参加した折に、ジャンケンポンオークションでゲットしたV/UHFのGPアンテナ(144/430/1200MHz)をタワーに設置した。元々144MHzのEME用八木アンテナをタワーからマストを水平に出して取り付けてあった場所に、クロスマウントによりGPアンテナを設置した。ケーブルは布線してあった5D-2EWを流用した。これにより実家からローカル向けのQRVが可能となった。トランシーバー側はダイアモンドのトリプレクサMX-3000Nで各バンドに分配されIC-910Dに接続されている。写真は地上高18mに取り付けたトライバンドGPアンテナ。先端で約20m程度ある。型名は塗装が剥離していて良く分からない。写真は設置状況・・・バックは10MHz/3ele八木。
オンマウスはQSTの5月号で、ついにリリースされたドイツHilberling社のトランシーバPT-8000の広告。珍しく織り込みで4ページぶち抜きの宣伝を行なっている。何処まで本気かと初期の段階では思っていたが、相当に気合が入った作りで、話題性も実力も有りそうな雰囲気である。とにかくシールドボックス間を渡るケーブル処理や600W_HPAユニットには圧倒される。

Apr 9. 2007 1年3ヶ月振りのアイボール            
4月9日未明、前日からの仕事を終えて帰宅すると、横浜在住の友人JG2EGS岩崎氏からメールが届いていた。「出張で清水に行くので会いましょう!」の内容だった。即OKの返事を送り床に就いたのが朝5時頃だった。 3時間半ほど眠り8時半起床、軽い朝食を済ませて出勤、この日の勤めを済ませた。約束の時間19時半が近づき、待ち合わせ場所である静岡浅間通り入り口の赤門へ携帯電話片手に向かった。無事合流し目的地である浅間通りの居酒屋「菜八」に向かう。宿泊は清水と言う事なので、静鉄終電に間に合うように23時15分頃まで無線談義に華を咲かせた。 氏はアンプ関係の資料やHJリニアアンプ特集号、それにノート等を持参され3-500ZによるTopBandアンプの計画を披露してくれたが、中々の意気込みだった。他のお客さんの目には、我々の様子が不思議に映ったに違いない。特に・・・シャシ上でも必ず電位差が存在する、VHF以上ならシャシから大電力を取り出す事も可能、ベタアースで止まらない発振はアース順で止める、LPFで抑圧された高調波は一体何処へ、金属である以上必ず線路共振する、タンク回路には最低2つの共振周波数が存在etc・・・時間の経過を忘れるアンプ談義で、久し振りに酔っ払ってしまった。

Apr 8. 2007 統一地方選挙投票日・・・タケノコほり            
4月8日は統一地方選挙投票日。静岡市清水区は市長選挙と県議会議員選挙が行なわれる予定だったが、後者は定員と候補者数が同じだったため無投票となり、市長選挙のみが行なわれた。地域によっては市議会の補欠選挙などが行なわれ、3回も投票を行なったところもあるようだ。昨年住民票を田舎に移し、久しぶりに地元で投票を済ませたが、数えてみると30年振り位である。当時は「たちばな保育園」が未だありそこで投票を行なったが、現在は山切自治会館(元農協出張所)で行なわれている。投票開始の7時を回ったところでオヤジとカミサン同伴で車で出掛け投票を済ませた。結果は現職が当選したが、当初の予想が外れ中々の接戦だった。
写真はカミサンが掘り起こしたタケノコの3兄弟。同じ場所にまとまって生えていたらしい。並べて撮影し携帯メールで送ってきた。我が家では何かあると息子3兄弟に結びつけ、子供達の成長を願っている。この日は仕事で夜明けまでほぼ徹夜だった。

Apr 3. 2007 今年ももう4月・・・豊田市を往復            
今年ももう4月だ。1日が日曜日だったので新年度は2日より始った。勤め先の職場でも新年度を迎える準備に忙しく、3月31日と4月1日は休日返上で大騒ぎだった。
さて本日3日は休暇を貰い、三男の通う学校(愛知県豊田市)で所用があり清水から往復した。実家にはオヤジだけ残り、カミサンと私とそれに休みから学校に戻る三男が午前中に出発した。この日はセンバツの決勝日で、地元の常葉学園菊川高校が岐阜の大垣日大高校と優勝を争った。東名高速を西走したが12時半頃から始ったラジオ中継に耳を傾け、一喜一憂ドライブとなった。
前半はリードされていたが8回裏に追い付き逆転。そのまま9回表を抑え、静岡勢としては29年振りの優勝となった。学校には14時40分頃(9回表)到着したが、試合が終わるまで車の中で観戦した。結局所用はカミサンに任せラジオ観戦に終始する始末だった。それにしてもバントやスクイズなどには依存せず、徹底した積極野球は高校野球の一つの方向性を示したと言えないだろうか。非常に示唆に富んだ野球スタンスだったと受け止めている。 写真は学校の前に延々と続く桜のトンネル。オンマウスは優勝した瞬間の常葉菊川ナイン。