JH2CLV's Topics & Memorandam
April 2019

Apr 30 平成最後の日
TVでは天皇陛下の退位と即位の話題で持ちっきりだ。長男一家は箱根から戻り、実家で1泊し午後名古屋への帰路に就いた。水が出ていなければ孫と山切川でハヤ釣りをするつもりでいたが、雨の影響で川は濁り水量も増していた。冬場に姿を消していた魚たちはしっかりと戻っていたのに残念だ。代わりにカミサンが箱根用にと買ってきたゲームを、コタツの上で孫たちと始める。独り勝ちするとつまらないのでバランスを取ろうとするとこれが結構難しい。年甲斐もなく自分もその気になっちゃうので困る・・・。
さて平成が今日4月30日で終わる。3男の年齢が平成の年数なので分かりやすいと思っていたが、もう31年かと感慨深い。大したことをしていないのあっという間だった。今は当たり前のように使っている携帯電話やPCなどの情報機器は、昭和の時代には家庭に無かった。職場にディスクトップのPC-9801が有った位で、インターネットなど想像もできなかった。居ながらにして、モバイルで世界の今が手に取るように分かる。便利になったが一方で失ったものも多い。個人情報保護法の出現で名簿類が一斉に世の中から消えた。でも何か有った時のために地区ではせっせと防災名簿を更新している。こうした妙なことも平成の象徴ではないだろうか。令和には、もっと自然でシンプルな時代を期待したい。皆さんの平成はどんなだったのだろうか…。

Apr 28-29 家族旅行
家族が箱根に集まった。名古屋・東京・群馬・静岡から集まるとなると、箱根辺りが丁度真ん中じゃんとカミサン。でも出掛ける前日の27日深夜までに、実家に勢揃いしてしまった。28日、レンタカーと3男の車2台に10名が分乗して新東名を東へ。長泉ICから伊豆縦貫道に出て、塚原ICからR1で箱根を越え湯本まで下り宿泊先の旅館に車を入れる。早々に徒歩で湯本駅へ赴き周遊券を購入、強羅までの登山鉄道に乗る。スイッチバックを3回体験し、インド人の親子と英語と日本語で歓談。30年程前、インドの国立公園を像に乗ってTV取材したことを伝えると驚いていた。強羅へ着くと、ケーブルカーは1時間待ちで、その間に線路の反対側のソバ屋で昼食。大勢の観光客が訪れ、半分近くは外国人に見えた。ケーブルカーとロープウェイを乗り継ぎ大涌谷へ向かう。天気も良く、ロープウェイの途中から富士山が見えだすと、一緒に乗っていた外人さんが総立ちになった。大涌谷は音と硫黄の匂いを放ち生きている様だ。芦ノ湖の桃源台へ下ろうと言う話もあったが、この日は来たルートをそのまま戻り宿入り。写真は夕食のスナップ。オンマウスは持ち帰ったチケット。29日は芦ノ湖の海賊船で湖を周遊。昼食は箱根ホテルのバイキング。そして箱根水族館を回り帰路に就く。楽しい1泊旅行だった。

Apr 21 西谷津で川野甘夏収穫・・・タケノコのシーズン
4月になると西谷津の甘夏が気になってくる。草刈りと隣の竹藪から伸びる根から出るタケノコの伐採は励行しているが、葛のツルや笹竹の勢いは凄まじい。この時期は笹竹や葛のツルを払って段々畑へ侵入する。一昨年これを失念したものだから、昨年の笹竹は凄かった。毎年必ず励行しないと自然にやられてしまうと痛感したものだ。全てには手が回らないので、甘夏(エレガント、川野)がある段々だけ綺麗にする。こうしてミカン切りの作業環境が整いようやく収穫となる。写真は、お客さんからの依頼で収穫しモノラックで軽トラまで運んだ川野甘夏。100%無農薬、自然肥料でもそれなりに育つのは、太陽と雨水と冷え込まない斜面のおかげだろうか。実は、今年こそ肥料を撒いてしっかり除草しようと思いながら何年も経ってしまった。辺りは耕作放棄され雑木林化した畑ばかり…複雑な心境だ。
写真は山から持ち帰ったタケノコ。この時期は3日に1回程度山を回り掘ってくる。1回で20〜30kg程度小出しに掘ってくる。流しで土を落として底と頭を切り落とし、縦に切り込みを入れて一気に皮を剥く。これを釜に入れ薪で焚き、沸騰させてから2時間近く茹で自然に冷ます。掘ってから時間を置かないでこれをやると、ぶ厚いタケノコも信じられない程の柔らかさになる。茹で上がったタケノコは流水にさらし、皆さんへお裾分けとなる。我が家では、この作業が4月後半の風物詩となっている。

Apr 20 KWM-380取り敢えず受信系復活…OneTubeCompe作業
4月7日(日)、JG2CMJ(JA6EOC)守山氏が置いて行った憧れのKWM-380。昔だったらその日のうちに裏蓋を開け、テスタやオシロを突っ込んだと思うが、還暦を超えて数年も経つとその元気も無い。しかしその面を見ていると何もしないでは居れなくなった。2週間過ぎようとした本日 、受信だけでもと重い腰が上がった。テスタで電源制御基板の出力を見ると1ヶ所で14Vが出ていない。調べると2Aヒューズがノンビリと断になっている。これかぁと思い、交換してみるが同様に穏やかに断になる。それではと3Aにするが同じだ。もしや負荷にあるタンタルコン?と昔の体験を思い出した。この程度なら強制的に流し込んでやれば復活するかもと、5Aヒューズに交換して通電。心地よいノイズがSPから流れた。やったぁ!。アンテナをつなぎダイヤルを回すと色々聴こえる。地元のJOPK(882KHz)を暫く鳴らす。1時間程して電流を図ると0.2Aに落着いていた。全くの荒療治だが、取り敢えず受信系は復活した模様だ。
写真はKWM-380の底面の様子。電源制御基板は左側中央。
オンマウスは進行中のOneTubeCompetitionの単級レフレックススーパーラジオで使う周波数ダイヤル目盛板。PCで作画した画像をCD印刷ソフトの背景に流し込み印刷したもの。白も良いがメタリック調のグレイも良い。ノブはVideo編集機のジョグダイヤルを流用。

Apr 15 所用で箱根へ
月末に家族で箱根に集まる計画がある。断片的には過去幾度か通っているものの、カミサンが事前に見ておきたいと言い出した。直近になっても大変なので、人が少ないと思われる今日15日(月)箱根界隈を車で走ってみた。新東名高速を 東走し長泉ICから伊豆縦貫道へ移り、塚原ICからR1へ降りて箱根を上る。芦ノ湖を見下ろす箱根峠までは走り生れた道だ。そのR1を下り芦ノ湖から箱根湯本を目指す。そして宿泊予定の旅館の位置確認や周遊券の購入方法を案内所でチェック。R1を宮ノ下交差点まで戻ってそのまま強羅へ赴き駅やケーブルカーをチェック。月末は湯本から登山電車で強羅に来て、ケーブルカーとロープウェイで箱根側へ下りる予定だ。駅前のソバ屋で昼食を取るが、お客さんの殆どが外国の方でビックリ。そういや歩いていても顔は似ているが言葉が違うシーンに数多く遭遇し驚く。強羅からは県道でR1へ戻り芦ノ湖へ下る。芦ノ湖の北にある桃源台がロープウェイの終点。そこに船着き場があり、何やら海賊船に乗り芦ノ湖の南端まで行くらしい。連休が始まる時期で、駐車場や移動時間など、その時なてってみないと分からないことが多く、出たとこ勝負になりそうな下見だった。写真は強羅駅発のケーブルカーを見送るカミサン。ここでも乗客の多くは外国人だった。オンマウスは芦ノ湖畔の写真で振り返っている白髪の御仁は、良く見たら私のミカン栽培の師匠M氏だった。桃源台駅。

Apr 14 同級生市議の花見大会(雨天会場)
14日(日)は恒例の友人市議の花見大会があった。天気予報から、2日前に早々と雨天会場での実施を決めたが、結局は雨が降らなかった。しかし、天候を心配して直前まで気をもんで準備をするより、あっさりと決めてしまった方が、それぞれの段取りも進むので、これもアリだなぁと感じた。例年の雨天会場は建物が解体さたため、今回は当地自治会の所有する倉庫で行われた。スペースも十分あり、悪くないなぁと言う印象だ。13日(土)に会場設営が有り、今回もPA関係のお手伝いで参加した。
写真は会場に集まった支援者の皆さん。振り返っている白髪の御仁は、良く見たら私のミカン栽培の師匠M氏。左端に仮設ステージが見える。部屋の中なので、PAの規模は縮小している。オンマウスは地元のアマチュアバンドのPA支援をするMさん。ワイヤレスマイクによるボーカル中心のPAを行い、その他(電気楽器・ブラス・ドラムス等)は生音で対応していた。狭いステージで、生楽楽器のバランスが程々に取れているのに、ボーカルのソロ返しを行っていた…最近はアマチュアの皆さんも贅沢になったもんだと感じた。手前に使いそびれたマイクとスタンドが立っている。ステージに上がる人に、マイクごとに目的や用途が違う旨を知らせておいても、最後はごちゃごちゃにしてしまう輩が多い。何時になったらその趣旨を分かって貰えるのだろうかと2人で苦笑。

Apr 13 山梨県境に雪…リモートシャック発電機移設テスト
4月13日、リモートシャックへ上ると山梨県境に積雪があった。昨朝東京へ帰られたCQ出版の甕岡氏は御殿場を通過するときは雪だったとメールにあった。自宅玄関の温度計は朝6時で5.3℃とやは冷え込んだが、山間部が雪になるとは思わなかった。写真は県境から続く稜線。これを見ると、1日違ったら富士山バックの空撮が出来たのにと、天気を悔みたくなってくる。
オンマウスは、インバータノイズ対策のテストのために、旧ミカン小屋へ持ち込んだ発電機と始動用バッテリ。リモートシャック・タワーより、北東方向へ標高差で10m程下った所にあり、ケーブルは50m程度で届く。ここへ電源線と制御線を張り、電源線は発電機出力を制御線には発電機無線リモコンをつなぐ。ここは昭和30年代に親父が建てたミカン小屋。当時は車では上れず徒歩で登って農作業を行った。荷物は架線のある場所まで天秤棒や背負子で運び、架線の2段中継で車のある場所まで下ろした。よくもそんな面倒なことをしたものだと思うが、それだけミカンの値が良かったんだろう。ミカンの後はキウイを栽培し、最後はヒノ木を植えて平成の時代になった。
小屋をシャックにしたらとする声が聞こえそうだが、それだと通わなきゃいけないし、余り技術を感じないから当初より頭になかったHi。

Apr 11-12 リモートシャック空撮
出版社から要請で、12日モートシャックの空撮を行うことになっていた。この日は未明から雨がぱらつき、7時頃には本降りになってしまった。ドローンが飛ばせないばかりか、山頂は霧が立ち込め撮影どころではない。苦渋の決断で撮影は中止となった。ただ前日16時頃下見で現地入りした際、念のためドローンを飛ばし基本的な撮影は済ませていた。一安心だったが、上空は曇天で期待の富士山も雲に覆われていた。ここでは空撮は控え、ドローンがアンテナ周辺を飛んでいる様子を貼り付けてみた。重量は電池込みで900g程度あるが、俊敏な動きとGPSでしっかり姿勢制御される姿には驚いた。風で流されても元に戻ろうとするから凄い。視界から消えても離陸したポイントに舞い戻ってくる。リモコンのレバーから手を離せば、その位置でホバーリング状態になる。モニターはスマホやタブレットへUSB接続するだけ。飛行も凄いが簡単に作れてしまう操作環境にも驚く。
オンマウスはその後の自宅シャックでのスナップ。左からJJ1IUK甕岡氏(CQ出版社)、JA2AGP矢澤氏、オーナー。矢澤氏は急きょ駆けつけて頂き、当局のリモートシステムを視察された。またご自身のリモートシャックへ自宅LANからネット経由でつなぎ、こちらは同じLAN経由で山頂シャックへつないでQSOすると言う妙技を披露した。夜は場所を居酒屋に移し、3時間も無線や出版談議で盛り上がった。

Apr 10 KWM-380の雄姿…歴代ノートPC廃棄
7日、友人のJG2CMJ(JA6EOC)守山氏が不法投棄だとして置いて行ったKWM-380トランシーバ。翌朝まで軽トラの荷台に乗せたままだったが、さすがに申し訳ないと玄関に持ち込んでいた。今日10日、JA2JZ佐野OMとの交信でKWM-380が世に出た頃の話で盛り上がり、そのままではまずいと無線部屋まで持ち込んで火が入るようにした。十分なスペースが無いため、丁度1年ほど前に修理してそのまま置いてある75A-4受信機の上に乗せた。デジタルシンセサイザ式のVFOもさることながら、真空管時代には必ずあった共振依存のチューニング・ノブが無いこのKWM-380は、それまでの無線機と趣きを異にする。斬新で洗練されたデザインと共に大いにインパクトがあった。写真は75A-4の上で鎮座するKWM-380。VFOやカウンタは動いている模様。メーターランプも点灯しているが、メーターは何も振れないし送信制御が出来ない。電源がおかしい感じがするが…直せって言うことだろうか。
オンマウスはお役御免のオールド・ノートPCの廃棄の様子。NECのPC-9821(Windows95)からDOSV(Windows7)機までつごう6台を地区の交流館の廃棄ボックスへ投函。貰い物や中古購入、それぞれに思い出があり懐かしい。殆どがGHzマシンで、念のためHDDは取り外し、メモリも外せるモノは外した。20世紀の終わりには、こんな物をポイする時代が来るとは夢にも思わなかった。

Apr 7 報徳林視察…友人5年ぶりのアイボール
かつて当地区の報徳社が保有していた通称報徳林の視察に参加した。報徳社は解散し現在は自治会が引き継いでいる。世代交代が繰り返されるうちに、その存在を知る人が居なくならない様に気遣っての行動だ。3月にも視察に入ったらしいが、その時は尾根筋を間違え目的地に達することが出来ず引き返した様だ。そのリベンジ戦が7日午前中に行われた。車で吉原から竜爪穂積神社へ抜けるルートで入山し、穂積神社に車を置き徒歩で目的地を往復した。興津川の支流である布沢と黒川の間にある標高880m程の尾根から布沢へ下る傾斜面に目的の林を確認した。写真は尾根のヒノ木林で休憩を取る本日のメンバー。この尾根は888.8mの欅立山へ続く。帰路は黒川側へ下り、茂野島経由で戻った。
オンマウスは、16時頃訪れたJG2CMJ(JA6EOC)守山氏。不法投棄だと言ってColinsのKWM-380を持参された。かつてアナログ全盛時代、デジタル表示で全半導体化された憧れのトランシーバだった。電源は入り周波数表示は出来るらしいが、全く動作しないらしい。これを突いているのを見るのが楽しみだと守山氏。とんだ不法投棄だが、ただでさえ忙しい生活により拍車が掛りそうで、それを見ていたカミサンが呆れていた。数えると5年振りの再開だった。リモートシャックの視察や運用の説明、そして夕食まで引きずり回してしまい20時過ぎに帰路に就かれた。

Apr 5 ポカポカ陽気でミツバチが分蜂
ここ2・3日、朝2℃台の気温が続いていたがこの日は一転しポカポカ陽気になった。
最近JA2DK深沢OMに会っていないなぁと思いつつ大分日数が経った昨日、ご自宅(ユニオン無線)をお尋ねすると留守だった。でもカーテンの奥で店の明かりが灯っているのが分かった。妙だと思い電話をするとFAXに切り替わってしまう。一寸気になり今朝も電話をすると同様。暫くしてダメモトと再び電話するとつながった。これから出かけるご様子だったが、一安心だった。生前の奥様から、OMは甘夏が好物と伺い時々お届けしていたが、今回はハッサクも加えビニール袋で持参。既に出掛けた後と思いきや、裏口でOMとバッタリ。手渡しながら短時間ながら近況を伺う。もうじき91と聞き驚いた。袋の中にQSLカードをしたため、裏にこちらの近況を記しておいた。
写真は5日昼前に屋敷の畑の南側で分蜂したミツバチ。この暖かさを待っていたかの様だ。奇しくも家の東側軒先に置いてあった空の巣箱に、他から分蜂してきたと思われるミツバチの大群が下り、こちらも大騒ぎ。オンマウスは畑の南側にある柿木に終結したミツバチ群。この中に女王が居ると思うのだけど中々見つからない。巣枠にミツバチを刷毛で追いやり別の巣箱へ幾度も収納する。作業しているのはカミサンでたくましい。分蜂中のミツバチは人を刺すこともなく、群れの中へカメラを突っ込んでも大丈夫。

Apr 4 アンテナローテータ(EMOTO/1300MSA)制御器修理
この日は朝から忙しかった。JA関係の手続き、JA回覧物配布、期日前投票、先輩宅訪問2件、甘夏とレモンの荷造りと発送…そして神社の燈明当番。1日中清水区内を走り回っていた感じだ。カミサンも所要で終日家を開けた。その最中、友人から届いていたアンテナローテータの動作確認を行った。何処かのアマチュア局の撤去をした際に取り外した物を提供して頂いたモノ。ただケーブル(7芯)が、ローテータ側は50cm、制御器側は1m程を残して切断されている。1本1本つないでやろうかと思ったが、動作確認だけならとハモニカ端子を用意してつなぐ。早速電源を入れ回そうとしたら、ローテータは回るが、制御器の方向表示が動かず、中でブーン音。モーターが空回りしているのかと思いカバーを外すとビンゴ!。経年変化でゴムベルトが切れて落ちている。調べると、構造上簡単にプーリーへゴムを掛けられる仕掛けになっていない。プーリー&ギアボックスを分解しないとダメだ。チョッと厄介で、分解する気も無いので耐性のある輪ゴムを切断してプーリー間に掛け、程良きテンションで縛り上げ余長をカット。これで方向指示が回るようになった。CWとCCW方向のクリアランスを均等に調整し修理完了。これ、リモートシャックで故障中のローテータと交換する予定。ハモニカ端子は使えないので、やはりタワートップでサーカスしてコネクタに半田付けか…。写真は作業風景。オンマウスはプーリーとゴムベルト(青色)周辺。

Apr 1 4月1日だぁ…元号「令和」に決まる
朝から新元号報道でマスコミが賑やかだ。大峰へ剪定したミカンの枝葉を廃棄に行ったら、ラジオで「令和」に決まったニュースが流れていた。万葉集の一節からの引用と説明されていた。古文書に記された先人の思いや考えを尊ぶ日本人って、やっぱり真面目な民族なんだなぁとつくづく思う。
写真は本日7時過ぎのリモートシャック富士山カメラの映像。新年度に相応しい?快晴の朝だったが、午後には雨が降るなど妙な天気だった。大峰では、ひょっとしたらタケノコが出ているかもとヒノキ林を下ったが、未だ何も出ていなかった。山頂近くの気温は下界より大分低い様だ。昨日のノイズ調査で先が明るくなった。100V送電のケーブルを何にしようか検討を始めている。FVVの2mm(2芯)を2本パラっての架空か地下埋か…ヒノ木の根があるので、地下埋よりヒノ木を渡す架空の方が楽か、制御線もあるし…と、考えているだけで楽しくなる。

Mar 31 リモートシャック発電機のインバータノイズ調査
当初の発電機EG-2600のインバータ基板はアルミダイキャストケースで密封され、インバータノイズの輻射は殆ど問題無かった。ところが代替で届いた物や、最終的に更新され始動性が改善された物は、アルミケースに収められた基板上面がむき出しでピッチ詰めされているだけ。タワー直下で運転すると、電源ラインからの飛び込みは皆無だが、アンテナへ直に飛び込む成分が馬鹿にならない。凡そ20kHzおきにエネルギーが集中したノイズとなる。本日電源線を張り遠ざかりテストを行った。40m程北東側へ下った所にある山小屋へ移動したら問題の無いレベルとなった。写真はタワー直下(従来)、オンマウスは小屋でのバンドスコープの様子。IC-7300(プリアンプ切)にWindom(80m長)をつなぎ7MHzバンドの様子を示している。この結果から発電機・燃料タンクの移設を考えることになった。