★Child'd Goods Memorial


子供の頃オヤジが作ってくれた模型飛行機・・・あの感激を忘れないでいよう!


ゴム動力の模型飛行機

昭和37年小学校2年の時、オヤジが長細い袋に入ったゴム動力の模型飛行機を買ってくれた。自分では作れる訳も無くオヤジが作ってくれるのを横でじっと見ていた。何時間かかけて作った飛行機を畳の上で放つと、勢い良く滑空し6畳間と8畳を通り抜け壁にぶつかって墜落した光景を今でも思い出す。またオヤジの主翼への紙の貼り付けは独特で、ハサミなど使わずにドロドロの糊を骨に塗り、紙を当て糊が染み込んだタイミングで紙を引っ張りちぎって行くものだった。3男が小学生になった頃、昔が懐かしくなり写真の様な飛行機を作り矢田川で飛ばした。思いのほか良く飛び、北側の土手から放った飛行機はあと数mで川を越えるところまで跳んで、親子を驚かせた。写真はヨシダ教育用飛行機のライトプレーンでWebから引用させて頂いた。こうした飛行機を見ると少年時代の風景がよみがえって来る。また「きっかけ」と言うものが如何に大切かを教えてくれる。


電池で動くロープウェイ

長男が未だ幼稚園の頃、タミヤ模型のロープウェイKitを作った。子供達は一体何が始まるのだろうかと覗き込んできたが、怪しいゴンドラを凧糸にかけスイッチを入れると動き出すのを見て大喜び。家の中が大騒ぎになった。糸の上をスイスイと登っていくこのロープウェイに目を白黒させ歓声を上げたあの時代が懐かしい。単三電池でマブチモーターが回りプーリーと輪ゴムの組み合わせでトルクを上げていく。スイッチは2極双投でモーターの回転方向を反転させるように作られていた。回転数の高いモーターをプーリーの直径比で減速する代わりにトルクを上げ、巻きつけたロープ代わりの糸に動力を伝えていく。実に単純な機構だが理科と工作を遊びながら学ぶ事ができた。


廃材利用の砂時計

長男が小学1年の夏休み、写真のような砂時計を作った。飲み干した清涼飲料水のビンを蓋ごと小ネジでつなぎ合わせ、蓋に砂を流す穴を時間を考慮しながら開けた。そのままでは倒れ易いので木で作ったスタンドに納めた。よく見ると1989-8-22と製作年月日が入ってる。これで約4分程度の時間になる。砂の出処ははっきりと覚えていないが、子供たちと良く遊んだ矢田川から持ち帰ったものだと思う。すでに15年前のことである。


豆電球と乾電池

人生の中で誰もが最初に電気を感じるのは「豆電球と乾電池」ではないだろうか。部品箱の片隅に子供達が未だ小さかった頃に買った「豆電球とソケット」があった。単三乾電池をつなぐとほんのりとした光を放つ・・・この原始的現象は全ての電気・電子回路の基本だった。豆電球から放たれる光は小学3年生の理科の教室へ中年オヤジを誘ってくれる。これにスイッチとコードを足せば立派な懐中電灯に早変わり。この単純な事に素直に感激していた少年時代が懐かしい。


電磁石を発展させたブザー

小学5年生の理科は豆電球と乾電池を卒業し電磁石の世界になる。電磁石を応用した最も簡単な物と言えば何と言ってもブザーだろう。写真は3男に磁石の面白さを見せるために作ったブザーである。ブザーの最も重要なポイントは接点である。電磁石に鉄製バーが吸引されるとその接点が開き電流が遮断される。電流が遮断すると吸引が戻り接点が閉じる。接点が閉じると再び同じ動作が始まりその動きが振動(音響き)となって耳に聞こえる。バーでベルを叩くようにすれば電鈴を作る事が出来る。振動のタイミングは接点の間隔を調整して行う。実にのどかな世界であるが、電気と機械の両方の工作を楽しむ事が出来る他、呼び鈴など生活の道具として実用出来る。接点から出る火花が何を意味するものか・・・その現象は多くのテーマを与えてくれる。写真のバーは銅板で作られているが、電磁石による吸引部分は鉄製の画鋲がハンダ付けされている。


マブチモーターで動く木製のカメ

もう随分昔の作品である。子供たちがまだ幼稚園の頃タミヤ模型のキットで作った動くカメ。筐体は木製だが単3とマブチモーターでギアボックスを駆動すると、回転運動がクランク運動に変わり左右2個ずつの足を交互に動かし、首を振りながら前進する。簡単な機構だが、タミヤ模型はこうした基本運動の理解のために様々なキットを販売し続けている。例えばプーリーやキャタピラー、ギアボックスにリモコンボックスetcである。有り難い事だしその役割は大変大きく、多くのエンジニアがそのお世話になったに違いない。


ゲルマニュームラジオとストレートICラジオ

写真の上はゲルマニュームラジオで下がIC(LMF501T・LM386N)を使ったストレートラジオ。ゲルマニュームラジオはフィルムボビンに巻いたコイルとエアーバリコン(バリアブル・コンデンサー)による共振回路にゲルマニュームダイオードをつなぎクリスタルイヤホンで聴く単純な物。アンテナとアースがあればローカル放送局を聴く事が出来る。アンテナがなければ100PF程度のコンデンサを経由して電灯線のコンセントに差し込む手もある。この場合コンセントの片方は大地に設置されているが、感度の良い方を選ぶ。オヤジの30年前を思い出し木製の箱に組み込んでみた。
ストレートと言うのはスーパーの様に周波数変換せず、増幅後そのまま検波して音声を得ると言うものである。このICラジオはゲルマニュールラジオより遥かに感度が良い。共振回路はゲルマニュームラジオと同じだがスピーカーを十分な音量で鳴らす事が出来る。これはトランジスタ大のIC(LMF501T)に高周波増幅から検波段まで組み込まれており、十分な利得を持っている為である。更にスピーカーを鳴らすためにIC(LM386N)によるオーディオアンプを追加している。スーパーヘテロダイン方式のように分離の良さはないが、ストレートで聞くAM放送は格別の味である。こちらは瀬戸物の木箱にスピーカーを含めて組み込んだ。なおゲルマニュームラジオは電池不要であるが、ICラジオは電池が必要である。


スーパーヘテロダインラジオ

次男が中学生の時に作ったKit。スーパーと言えばオヤジの時代は5球スーパーが全盛だったが何時しかトランジスターラジオに変わっていた。このラジオは検波段以降がIC化されているので、昔のような何石なんて言う表現は難しい。IF段までの構成は昔の6石スーパーラジオと同じ感じなので感度も同程度と思われる。基板前面に部品が丸見えなので、ラジオの仕組みを勉強するには格好のKitである。こうしたKitを採算も顧ず生産し続けてくれるメーカーさんに拍手である。


ストレートレフレックスラジオ

前項のスーパーヘテロダインラジオを作った時に、3男用にちょっとグレードを落とし製作の簡単なレフレックス型のストレートラジオを作った。中学生の頃故奥澤清吉先生の書かれた製作記事を参考に作った記憶がよみがえって来る。簡単な構成だが外部アンテナ無しで地元のラジオ局が受信でき、しかもスピーカーの鳴るラジオは、ゲルマニュームラジオしか知らない少年には感激だった事を思い出す。


電子工作キット IC MULTI BOARD

次男の小学6年の春休みにせがまれて購入したもの。通信教育的な内容で、段階を追って工作する事になっていたようだが、あっと言う間に作ってしまい通信教育は何処かに消えてしまった。ボード上には10種類の機能を持った回路が用意されていて、それらを接続する事で電子回路の動作を学ぼうと言うもので、一頃流行った電子ブロックに似ているが、こちらはハンダ付けなどの工作が伴っている。


FMトランスミッターキット

東京に単身赴任していた1999年頃の帰路で秋葉原に立ち寄りFMラジオで受信できるワイヤーレスマイクキットを買ってきた。当時小学5年生だった三男が自分で組み立て近所の子供たちと無線ごっこをしていたことを思い出す。オヤジの子供時代はFMラジオなんて家には無く、せいぜい真空管の5球スーパー(AMラジオ)で聞く1石のトランジスタ発振器にカーボンマイクの組み合わせだった。


Super Famicomデータリーダー

次男が高1の時スーパーファミコンのソフトをPCで使えるように製作したデータリーダー。任天堂さんが見たらお怒りになるかもしれないが、全部手作りでしかも自力でやった事でご容赦願いたい。特筆はカセットのソケットが入手できなかったため、スーパーファミコンのJunkを何処からともなく探してきて基板からハンダを吸い取りソケットを外したものを使用している。


Hand Made Lures

川釣りから始まった子供たちの釣りは、海釣りを経て現在ブラックバス釣りに落ち着いている。写真左は次男が作ったハンドメイドルアー。ヒノキにクリアラッカーを塗っただけだが木目が見えて美しい。狸とナマズでも模したのだろうか、見るだけでもこっけいで楽しい。これにだまされるブラックバスが本当にいるのだろうか。長男は全く逆で、カラフルなラッカーを塗っているが中々写真を撮らせてくれない。みんな中学時代の作品であるが、物作りってのは本当に「プロセス」を感じさせてくれる。
写真右は長男の作品である。流石に次男の師匠だけあって形・色に個性があって面白い。久しくHPへの掲載を渋っていたが、2006年9月引越しを期に承諾が得られた。それにしてもこんなルアーに騙される魚(ブラックバス)が本当に居るのだろうか・・・。


ラワン材の本立て

中学校1年3学期の技術家庭科の必須科目だった、木工の本立て製作。見取り図により全体のイメージを決め製図を起こす。ラワン材にカンナをかけ、製図にしたがって材料をノコギリで切り出していく。大した量ではないが、肝心なのはそれぞれの段階(工程)をしっかり追っていると言う事。木工ボンドや釘を使って組上げ、サンドペーパーで仕上げトノコを塗り乾いたら最後にニスを塗る。写真は1967年10月頃の作品だが40年近くを経ても実家の机上で現役である。写真撮影のために本は取り出した。左右は2枚合わせで、板の上下に半円のえぐりがあり、小さな引き出しがあって中々しゃれたデザインだった・・・自己満足。


トタン板で作るチリトリ

中学校1年3学期の技術家庭科の必須科目だった。製図に合わせて先生から配られたトタン板に罫書きを行い切断。曲げや折、穴あけとリベット打ち、更にハンダ付け・・・板金の基本を教えてくれた貴重なチリトリ工作。写真は現在でも実家で使っている1968年3月製作のチリトリ。ちょっとゴミやチリを掃き取る場合に、この金属製のチリトリは静電気の影響を受けなくて真に都合が良いのだ。最近の技術家庭科は、どうしてこうした基本的な課題を止めてしまったのだろうか・・・。ちなみにトタンは薄い鉄板に亜鉛メッキを、また参考までにブリキはスズメッキを施したもの。


Hand Made Driver

道具箱を覗くと角に1本の古びたマイナス・ドライバー。手にすると一瞬にして中学2年の技術科の授業にタイムスリップ。絶対に忘れられないあの実習。赴任2年目の熱血漢、青木先生の授業だ。渡されたのは直径6mmの鉄棒のみ。これを鍛造焼入れし、木の柄を取り付けてドライバーを作る。こんな授業は教科書のどこを探しても載っていない。しかし工作の基本を知るには格好の題材だった。思い思いにコークスの火にヤットコで掴んだ鉄棒を突っ込み真っ赤に焼く。そしてハンマーで叩いて形を整えていく。満足できる形になったら焼き入れだ。柄は雑木林から樫の木の枝を切り出し旋盤にかけ細工。最後に6mmの貫通穴を開ける。貫通穴に鉄棒を打ち込み、回らないように横から小さなピンを通す。この過程で少年たちは多くの技術を学んだ。


Metal Tool Box

もう何年経っただろうか。お菓子が入っていたブリキの箱に金属加工用の工具が詰まっている。覗き込むとドリルの歯、タップ、ダイス、皿モミ歯、はた金、罫書針、シポラツール等金属加工の必須ツール達が見える。古いのは中学時代から使っている物ものあり、オーナーのハンドメイドライフと一緒に歩んできた。ラジオやその他の工作で使ってきたもので、転勤があってもいつも手の届くところに置いてきた。たまにこのようにCRCの5-56を吹きつけ錆びが出ないようにしている。子供たちもこれを見て道具箱を持つようになった。