喪中につき、家の神棚(歳神・火神・地神・恵比寿様・大黒様)は封印したまま。例年だと飾り付けと餅の供えをするのだがそれが無い。ただゴミや埃は何となく払って綺麗にする。玄関等の正月飾りも同様で、何の飾り付けも無く何時もと同じ状況で妙な気分だ。 風呂場や玄関とトイレの土間をジェット水流で洗浄。さらに縁側の窓やミカンのコンテナ、そして車の洗浄と続く。ゴミ類は30日のゴミの日に出すが、それ以外のゴミ(木屑や葉)がやたらと多く自前の焼却場で処理。 平行してお世話になった方への挨拶回りやお寺への付け届けなど、恒例の年末行事をこなす。正月用と称しカミサンと食材の仕入れに走る。入江の魚市を訪ねると知り合いが複数いてビックリ。 写真は31日、諸作業が一段落した15時過ぎ、田んぼで残っていたミカン(青島・完熟早生)の後拾い成果。終わった時は既に17時を周り辺りは薄暗かった。先日完了宣言したのに80Kgもあり結構な量だ。 オンマウスは保温のためにシートをかけた貯蔵ミカン(太田ポンカンとはるみ)。これを2〜3週間、窓からの柔らかに陽による温度で酸味が抜け糖度が上がる。外は連日氷点下になり厚い氷が張っている。 そんなこんなで、あっという間に年の瀬の時間が過ぎて行った。 |
写真は家の中から玄関越しにポンカン畑(屋敷のポンカン畑)を見た様子。軽トラをつけてカミサンが何やら作業をしている。それを愛犬Hanaが見守っている。旦那は何してるかって?・・・発送するミカンの送り状を書いて玄関に立ったら、良い雰囲気だったのでこのスナップになった。 この27日は午後から押切姉も支援に来てくれて作業が捗り、今季のポンカンの収穫は完了となった。 残るは田んぼの青島の残り分だったが、翌28日一日掛けて収穫。午後一次的に友人のH君の支援もあり、若干の残りがあるものの今季のミカン収穫の完了宣言。 オンマウスはコンテナのまま積み上げたミカンの山。これを荒撰果して木箱へ移して貯蔵する。出荷時は更にその中から目的のサイズを抽出する。既に青島の出荷は1月4日と決まっているので正月も休んでは居られない。ちなみに太田ポンカンは12日。それぞれに2回ずつ出荷予定がある。はるみは未だずっと後だ。 親父の四十九日法要の段取りや会場の予約などを済ませる。一方、役所が既に年末休日になり後処理作業が停滞気味になっている。 |
12月16日、親父が急逝。その後、通夜・葬式等でバタバタした日々を送ったが、今もまだ後処理などで忙しい。 余りに急な出来事だったので、あっけに取られているうちに物事が進んでしまった感がある。 しかし後処理は多岐に渡るため、当分その対応に時間が取られそうだ。 畑にはま未だ多くの柑橘が残っている。青島と太田ポンカンの残りとはるみ。この所、連日の氷点下が気掛かりで、23日思い切ってはるみの初収穫を行った。藤枝姉夫婦にカミサンの父上が支援。 写真は青空バックで朝日に映えるはるみ。平成24年に2年生苗木を植えたもので、今年から収穫用に実をつけている(昨年までは木の生長のために切り落としていた)。 オンマウスは今日の糖度チャンピオンデータ。15度もあった。例年にない早熟で、酸味がまだあるが貯蔵しなくても十分な味。 夜になって喪中ハガキの印刷を始めたら、250枚余印刷したところで文面の誤字をカミサンが発見。何てこったぁ!。目の前が真っ白になったが、何とか気を取り直し、残りのハガキへは修正版を印刷。書き損じは郵便局で新品に有償交換して貰うことで落ち着いた。 |
写真は衆議院選挙の投票所である山切自治会館。7時半に91になる親父と訪ねた。車の向こうに見えるのが投票を終えた親父。 投票所では一般の人は介添え等してはいけないらしいので、自分は投票を済ませると速やかに外にでた。 しかし親父は随分と時間をかけていた様だが、本来の投票が出来たのかどうか怪しい。 終わってから、どうだった?と訪ねると「良く判んにゃぁ!」だった。しかし、人の力を借りることなく投票を完了していたから大したもの。 20時から始まった開票速報番組の冒頭に流れた野党党首のビデオに向かい「不甲斐ない奴らだ!」と厳しい言葉を浴びせていた。 オンマウスは昨日に引き続き行った太田ポンカンの収穫。藤枝姉夫婦と自分の3人体制。たった1日の違いだが、前日収穫できなかったポンカンの一部には色が来ていて、自然って面白いなぁと頷く。 昨日と今日で併せて1トン程度収穫し貯蔵庫の木箱へ保管。約1ヶ月貯蔵したあと順次出荷する。しかしそれ未だ色が来ていないポンカンを、寒さにやられるギリギリ前までに全て収穫しなければならない。あと2〜3トンくらいあるだろうか・・・。のんびりしていられない。 |
朝の気温が-4℃にもなると、柑橘類の霜焼けが気になってくる。今年は柑橘類全体の成熟が早く、酸味の抜けるのが早い。例年は貯蔵時の着色や糖度上昇を期待して、着色不完全(青味あり)かつ酸味が残るモノを収穫することが普通だった。ところが今年はちょっと状況が違う。ポンカンやはるみの小玉を食べてみると結構いい味をしているのだ。大半を貯蔵の熟成に依存していた例年とは違った管理が必要になりそうで気が抜けない。熟成しすぎて腐りが出る可能性が高いのだ。JAはぎりぎりまでの木生りを推奨するが、当地でそれを守ったら全滅の可能性があるので、収穫時期を早読みすると言う訳。13日から太田ポンカンの本格収穫が始まったが、この日は先ず完全着色のものを取りきった。 写真は実家前のポンカン畑から見上げた太田ポンカンごしのタワー&アンテナ群。ローテータ制御が出来なくなり随分と時間が経った。ビームは北方向に固定のままだ。これでWやEuを10MHzでさばいていた1990年頃が懐かしい。 オンマウスは家の玄関前につけた軽トラと陽が陰ったポンカン畑。時間は15時頃だと思うが、既に太陽は西の山に沈んいでいる。これで日の出が9時じゃ、連日寒い訳だ。 |
もう古文書の領域だろうか。写真は1983年版の図書「放送機」と「放送送信技術」。放送技術を生業としてきたが、専門は番組制作技術で送信技術とは入社時の研修を除いて無縁だった。どうしてこの様な図書を所持しているかと言うと、送信に一つの憧れがあったのかもしれない。無線(Radio)そのものが好きだったから…。畑違いでも、社内頒布で購入したり先輩から譲り受けたり、或いはネット時代になってAmazon等で購入したものだ。この1983年頃になると、5KW程度の放送機の変調は、終段FETのドレイン側かソース側に挿入されたMO(ModulationAmp)のFETをPWM駆動する形が一般的になっている。アマチュア無線は既にAMは衰退しSSBが主役の時代で、もう少し時間がずれていたら、我々もPWMによるAM変調を楽しんでいたのかもしれない。 オンマウスはそのMOを実験するためにRSより取り寄せたFETデバイス群。PWMアンプ出力をトランスを介してHPAへつなぐやり方も良いが、本来の特徴を生かすには、やはり絶縁された汎用MOを作り、D級HPAのドレイン回路かソース回路へ挿入してみたい。果たしてどうなるか。と言っても、PWM信号を絶縁(フォトカプラ)して受けてパワーMOS-FETを駆動し、出力にDCを通すLPFを繋ぐだけだが…。 |
この日は昨日より更に寒かった。車のフロントガラスは氷でびっしりだ。恒例の防災訓練のため、婦人部を務めるカミサンは朝から炊き出しの準備で忙しい。手が足らなと次から次へ要請が来る。車玄関まで持ってきてとか、荷物積んどいてとか、忘れ物の買い出しとか、ワンコの散歩とか…人を使うのが楽しそうにさえ見える。さて防災訓練はカミサンに任せ、この日もミカン切り。昨日同様藤枝姉夫婦の支援。青島温州が概ね片付くとこまで来てやれやれ。 写真は車のフロントガラスの様子。オンマウスは朝、軽ワゴンに積んだ防災訓練グッズ。お湯入りポットとヤカン、左の籠にはヒノキストーブ。訓練だったらお湯位は自で沸かせよと言いたいのだが、屋外で火を焚くと手続きが面倒なので毎年お湯を持ち込むらしい。それでレトルト食品を温めて振る舞う様だ。焚火をしたことが無い人が最近多いらしい。そんなんじゃ有事には何もできず野垂れ死にするのが目に見えている。大体何が燃えて燃料になるかも分かららない輩がいる。一方行政は火を焚くとダイオキシンとかなんとか言って、普段から火にたしなむことを条例で規制している。日常より適切な火の取り扱いが出来なくて、どうして非常時に対応出来ようぞ…とカミサンと苦笑。 |
初氷が張った。車のガラスは凍ってないので大した寒さじゃないと思ってたら、貯蔵庫前の発砲スチロール容器の水がカチンカチン。割ってみると7〜8mmの厚さ。気付いたのが昼だから朝だったら10mmはあったろう。8時過ぎからミカン切りが始まる。日の出が遅く畑の大半は未だ日陰。陽が昇るとにわかに暖かくなる。太陽の有り難さを身に染みて感じる瞬間だ。これから寒さが進み、例えば-5℃位になると人も大変だがミカンはもっと辛い。冷気にやられてしまうのだ。だから本格的寒さがくる前に収穫するのが必須。日中は時として20℃を超える。1日の寒暖差が25℃近くになる時もある。この環境のおかげで当地のミカンは酸味と甘味が独特のバランスになる。しかし前述の限界もあるため天候を気にしながらの収穫になる。ところで、家族で行うミカン切りは色々な情報交換があって楽しい。今日は藤枝姉夫婦と押切姉子が支援に駆けつけてくれたた。総勢6人いるとお喋りも収穫作業も捗る。写真は手にした初氷。結構厚い!。オンマウスは午後訪ねてきた後輩H氏のBMW1200CC。ミカン切りを初体験して頂き、工房と母屋シャックを案内。山奥で仙人の如き生活をイメージされていた様だが、意外と近い所なので拍子抜けだった模様。 |
29日は休日出勤。藤枝の潮山で所用があり、午前中雨の中登頂して対応。昼には回復するかと思った天気だが、断続的に降り続いていた。午後は好天になったが、晩になると再び雲に覆われてしまった。まったく気まぐれな天気で困る。 30日、昨夜も雨が降ったと見えて、田んぼのミカン畑は歩くだけで衣服がビショビショになる程の雨露が残った。普段ならこんなコンディションじゃ絶対に作業はやらない。しかしこのまま置いておくと益々皮が浮きブクブクになる。意を決して、朝8時頃から青島温州の収穫に精を出した。結局露対策で雨カッパを切るハメになった。しかし手袋はどうしても木綿が良いので軍手。露は午後になっても完全に消えず、作業を終えた17時頃でも未だ残っていた。収穫した青島は倉庫の土間にゴザを敷いて展開させ、乾燥させている。 写真は大道から畑に軽トラを入れるスペース。オンマウスは、雨露に濡れる青島温州。大分ブクになっている様子が判るかな・・・。ブクになると浮き皮と言って、JAでは引き取ってくれない。味は変わらないので、ワケアリの個配で裁くか・・・どうしようとカミサン。年内出荷はしないので、1ヶ月間貯蔵して年明けから出荷する予定。 |
友人が置いて行ったMRF150のSSPA。暫く工房に放置してあったが、ようやく重い腰が上がり中を覗く。3相200Vのトランス受で3相整流して33000μFx4パラの平滑回路がぶら下がっている。これらを見て凡その想像はついたが、さすがにスゴイ。MRF150を4パラのプッシュプルで8個付いた基板が4枚、空洞型ヒートシンクに取り付けてある。合計32個だ。IC-PW1だって8個で1KWを謳っているから、電源さえしっかりしておればその4倍は行けるだろう。実は急に突き出したのには理由がある。ハイパワーAM変調の実験を行っているが、例えば1KWのAMを取り出そうとすると、100%変調したとき変調波のピークは搬送波レベル(電圧)の2倍になるから、電力は瞬時であっても4倍まで扱えないといけないと言う理由からだ。さて、こいつがこの後どの様に変身して行くのだろうか・・・。 オンマウスは7日に予定される防災訓練の出し物「ヒノキストーブ」を試すカミサンと自治会長。ヒノキの株にチェンソーで上からスリットを入れ、中央に少量着火材(ガムテープでもOK)を入れて火をつける。内側から燃えるので素手で持って移動も出来る。火は内側から燃えるので燃えカスが散らからない。冬場に屋外で暖をとるには格好だ。 |