Feb 25. 2007 慌しい週末・・・毘沙門天に行く            
25日、富士市の毘沙門天大祭に行って来た。オヤジとカミサンの3人で8時半頃出発し9時過ぎには到着した。R1バイパスを東走すると風はやや強いが天気が良く、興津を回って由比の海岸に出ると富士山が真っ白に見え出した。富士山が見えると何故か嬉しくなり元気になるから不思議である。田子の浦の先で一般道に下り道路標識に従って南下。道案内がいて誘導されるが、目的地からはどんどん離れていく。着いた駐車場は毘沙門天まで1Kmもある川沿いだった。足の悪いオヤジにはちと辛かったかもしれないが、毘沙門天までの露店がそれを忘れさせてくれたようだ。実はこの毘沙門天、オヤジ達は毎年通ってきたようだが、私とカミサンは境内に入るのは今回が初めてだった。家の神棚に飾ってある達磨は皆毘沙門天の達磨市から買って来た物だ。それにしても、その人出の多さに圧倒され、期間中50万人超と言う数字に納得である。数知れぬ露店は一体何処からやってきたのだろうか。歩きながら覗くだけで十分と楽しませてくれる。参道入り口の東西、それに海岸まで露店が並び静岡地区では最大規模と推測する。オヤジは柚子とレモンの苗木を買い求めた。 写真は露店と人で埋まった毘沙門天境内。

Feb 24. 2007 慌しい週末・・・粟ヶ岳と同窓会            
24日、所用で掛川の粟ヶ岳に上った。7時前に道具を携え実家を出発、R1バイパスを西走し8時20分頃山頂着。賤機トンネルで渋滞し、東山地区で道を迷ったが、まぁすんなり到着した方だろう。
昼までに所用を済ませ、山頂の茶屋「無間の鐘」でウドンを食べ下山した。茶屋のオバサンは車が他県ナンバーで近くにドライバーが見当たらなかったので心配していたらしい。事件・事故があるといけないので、長時間放置された車があると警察に通報するらしい。通報されなくて良かったと二人で笑った。私の車が名古屋ナンバーだったので、ご子息が名古屋に住んでいると親しみを持って話をされたのが印象的だった。写真は茶屋前からの眺望。
夜18時半からは清水区大曲「魚大」で行なわれたミニ同窓会に参加した。中学時代の同窓会は過去10年毎に行なわれてきたが、50歳以降は5年毎になっている。今回は、それとは別に地元に住む男衆が集った。政治家になった者や、早くも爺さんになった者、気になっていた旧友の消息や家族の状況、改築中の母校庵原小学校の様子等、お互いに情報を交換し楽しい時間を過ごした。50を過ぎ皆随分と優しくなったなぁと言う印象に自分をダブらせ苦笑している。

Feb 18. 2007 「文豪ミニ7RX+HDシステム」の伝授            
愛媛県のK氏とは数年前から文豪ミニ7RXが縁でお付き合いが続いていた。オーナーが90年代から使用している「文豪ミニ7RX+HD」システムを体感したいと言う打診があり、3式所有していたシステムの一式をK氏にお譲りした。K氏は仕事が忙しく中々時間が取れないでいたが、数度の連絡の後、本日操作方法について説明をする事になった。約束の19時半頃携帯電話に連絡があり、約1時間オーナー制作の「文豪ミニ7RX+HDシステム」ついてお話した。K氏は過去にMS-DOSの経験があようで、説明は大変スムーズに行なうことが出来た。K氏にお届けしたシステムは、手元にHDDが無かったためMOを組み込んだモノだった。電話の前に、既に文豪ワープロなどの文豪オリジナルソフトを起動されたようで、FDベースのノロノロ動作とは別世界の高速アクセスを体感されていた。説明のポイントは、HDベースになるため0番と1番のドライブが現在何処なのか、それはどうして変更するのか、HDとFDの行き来はどうするのかと言った説明が中心となった。説明の後K氏は感嘆の声を上げられていた。元々御父上用との事だが、多少なりともお手伝いとシステムのPRが出来たようで満足している。写真はSCSIカードを組み込み調整中の文豪ミニ7RX。

Feb 17. 2007 剪定の片付け            
ミカンの剪定が続いていたが平行して切り落とした枝の処理を行なっている。どうも2年程剪定作業を行っていなかった模様で、昨年のミカン切りのやり難さは正直な処大変なものだった。これで随分とすっきりして作業しやすくなった筈である。切り落とした枝は30Kgコンテナに踏んで押し込み大嶺のヒノキ林に捨てる。これまで約80杯分をトラックで運んだ。写真はヒノキ林の様子だが大変な量だ。樹木の生長は一日二日で分からないが、年単位で見ると大きく違いスゴイ。ミカンの木は、良くも多くの果実を生らすものだと感心する。昔は剪定で出た枝は整理して焚き木として燃料にしたが、現在はそうした使途が無くなってしまった。また機械で細かく砕き大地に戻す方法もあるが実家ではやっていない。オンマウスは剪定したミカンの木だがさっぽりとした様子が分かるだろうか。
香川県に住む旧友の訃報を18日知った。1972年から10年程清水の会社に勤め、演奏活動をされていたアマチュアミュージシャンだった。1979年名古屋で逢ったのが最後だったが、その後家業を継ぐために実家に戻られた。訃報は1年遅れで知ったのだが、何故か昨年は彼が残した録音テープを取り出し聞いていた。ご冥福を祈ります。

Feb 10. 2007 剪定の季節            
ミカンの出荷が終わると2月は剪定作業に入る。剪定の目的は様々で一言では書き切れない。陽当たりや通気の改善、それによる収穫量向上、農薬散布や収穫時の農作業環境改善、見た目のバランス、果樹木の改善研究etc・・・色々あるが複雑に関わり合っている。
ミカン作り60年の親父に聞くと様々な価値観を感じる。枝や芽の残し方や切り方、枝の勢いやローカル気候との関係等など、夫々考えや工夫があり喋りだすと止まらない・・・勉強になる。果樹の芽は東西南北無関係に出るが、その成長は太陽の影響を大きく受ける。北側に面した芽や、葉っぱが多く茂った枝では陽が当たらず果実の成長に影響がでる。また葉の付いた小枝を落とし過ぎると、枝に直接陽が差し込み夏場に乾き駄目になる場合もある。色々な条件の下に剪定をするのであるが、敢えて一言で表現するなら、剪定には「総合的技術力が必要」と言う事になりそうだ。何かと同じだと頷く。
写真は午前中に剪定した庭の柿の木。親父と姉、カミサンと私で作業した。ミカンは常緑樹だが、柿は落葉樹であり趣がやや異なる。果実が一箇所に集中しないように枝を払ったが、下で監督する親父の思いと異なる場面があり、木の上と下で口論になったりして面白い。

Feb 4. 2007 無理を承知の"Earh Moon Earth"テスト            
昨年の7月5日にEMEライセンス(144MHz/500W)が下りたが、諸事情が続きオンエアテストに至らなかった。2月2日実家に帰ると満月が東の空に上がってきた。凡そ24時真上に来るとめぼしを付けその日は床に就いた。翌日3日、夕方になってシャック内に吊っていた7エレ八木を取り出し、ブームに竹ざおを添えて後方に伸ばした。7エレ八木でEME何てもとより無理な話と分かっていながら、「やってみたい!」と言う「ラジオ少年の気持ち」が勝った。大型の脚立を持ち出しロープで縛り、同軸(10m)がシャックへ引き込まれた。本当ならタワー中段に仮設中の13エレ八木を下ろしてくるのだろうが、暗くなり気が進まない・・・ここだけはラジオ少年になり切れていない。とりあえずGU-74Bアンプのチューニングを144.01MHz/CWで取り待機。この季節は21時頃にならないと月は東の山の上に顔を出さない。風呂に入るなどして時間の経過を待った。24時頃月はシャドーになっていたタワーから外れ射程内に入った。無理を承知と言えアンテナにフルパワーを送り込むのは緊張する。それでどうだったか・・・当たり前と分かっていたが全く不感だった。しかしラジオ少年には良い刺激だった。次はアンテナ利得アップと受信C/N改善に取り組もう。

Feb 3. 2007 ガソリンとオイルにまみれる            
久しぶりに向山のモノラックを動かしたら発動機が止まった。揺り動かすと回転が継続するが、やめると止まってしまう。最後は全く回らない。親父が同じ町内の元農機具技師の小父さんに診て貰ったらしい。しかし今朝動かそうとしたら状況は同じだった。使い方の問題かと幾度も試したがダメ。プラグはしっかりと火花を飛ばしている。どうも燃料が吹いていない感じ・・・内燃機関は嫌と言うほど触ったから。半ば諦めていたら小父さんがやってきた。本格的な分解作業が始った(写真)。先ず燃料コックがゴミ詰まりで燃料が流れない。先バラのワイヤーを通し復旧。次にキャブレター。フローとやノズルをチェックして行くとやはりノズルが詰り気味。それからエアフィルタをガソリンで洗浄。チョークを閉めてスタート紐を引っ張ると見事に起動。久しぶりにガソリンとオイルにまみれた。小父さん有難う。
作業が遅れたが、向山では草払をしながら完熟の温州ミカンを姉とカミサンが摘み取った。この山は2年程放置状態で草ボウボウ。ミカンはキズだらけだが味は甘く濃い味。保護鳥ヒヨドリが数百羽の大群で襲来し一大餌場になっている。これって駆除しても良いのだろうか?。捨てきれない複雑な思いが頭の中を過ぎる。

Feb 1. 2007 今年も2月            
1月はあっという間に過ぎた。家業の関係ではカミサンはじめ多くの皆さんのお世話になり本当に恐縮している。1年前、毎月1件のアイボールの目標を立てた。いつまで続くかと思ったが、均すと毎月1回以上のアイボールが実現した。今年もこの目標を継続したい。
写真は清水区杉山の大嶺山頂付近にある昔のミカン小屋。現在ミカン栽培は行われておらず、周辺は親父が檜を植え林になっている。小屋は廃屋状態でツルが巻き付き扉も開かない。檜の枝を払い、農道から道を付け、小屋を整理・・・HAMならピンと来るはず。そう、アンテナを建て、小屋に無線機を置き、外に発電機・・・ここまでは誰でも想像できそうだが、さらに無線LANで実家と結ぶ。時間があればここまで上って運用するが、普段は自宅から無線LANでリモートシャックを運用する。これが当面の夢と言うか課題。もっとも時間がある場合は、ここで山の生活と無線を楽しむ。たまには仲間を集めて男の料理でキャンプ。こんな事考えているとカミサンにお叱りを受けそうだが、電気と無線とネットワークと農林の技術がゴチャゴチャになった生活って楽しそう。写真は1月28日16時、HanaとPiggを連れポンカンの腐りを捨てに上った時のスナップ。この時間だと辺りは薄暗くなり怖い。