ひょんなことから、1984年にJOCKで制作した「愛知・名古屋マイソング」で紹介された「みんな名古屋で」の歌詞をWeb上で発見。リンクを辿るとYouTubeにつながり、CKホールで収録した懐かしい音源が聴こえた。この時の映像がVHSテープで何処かにある筈と、深夜になって離れ2Fへ駆け上り探したら有った!。それをVHSデッキにかけたが、最近更新したTVにはアナログ入力がない。HDMIやUSBだけ。何てこったぁ!と呟くが、アナログ入力のあるDVD/BDデッキに気付いた。こいつへVHSデッキの出力を入れればUPコンされ、TVのHDMI入力で映像が見える。ところがトラッキングが取れず酷いノイズ。それで、もう1台のデッキに交換すると大分改善されるがメダカノイズが多い。テープ走行を(PLAYとREW)繰り返す内に激減し正常動作になった。これをDVD/BDデッキのHDDへデジタイズ。36年も昔の映像で出演者の皆さん本当に若い。「みんな名古屋で」はチェリッシュが歌っていて何度も聴き返す。実は一番親しみのある曲で、今でも気が付くと口ずさんでいることがある。写真はデジカメで作業風景を撮影したもの。TV画面は熱唱するチェリッシュのお2人。カメラマンだった若かりし頃の自分がチラッ。関係者の顔も目に浮かび、一寸興奮気味だ。ちなみに当時は未だ撮像管(プランビコンやサチコン等の真空管)カメラの時代でVTRも1インチテープが全盛だった。カメラがCCD化されたのは1988年ソウル五輪からだった。 |
何このグロテスクなヤツは!と怒られそうだが、27日の晩の出来事。風呂に入っていると脱衣場でカミサンが大声。足元にヒキガエルが1匹鎮座。その何時間か前、カミサンが風呂場の引き戸から外へ出て戻る数10秒後、戸を閉めようとしたらヒキガエルが挟まったらしい。挟まった蛙はそのまま外へ逃げたと言っていたが、実はもう1匹居たのだ。最初はつがいで入ってきたと思われ、カミサンが戸でその関係を分断した格好だ。そう言えば最近、未だ2月なのに夜になると池からゲロゲロと蛙の鳴声が聞こえていた。気温がここ2・3日大分下がっているから、冬眠から覚めてたの寒くてたまらず民家に忍び込もうとしたのか…。脱衣場に居た蛙は、風呂から上がると行方不明だった。風呂の扉を半開きにして、水気や温かさで誘おうと暫く灯を消していたら、1時間もしない内に元の位置にやってきた。それを塵取りに乗せたのが写真。今夜は寒そうだけど我慢してくれと外の土間に出した。一緒にいたもう1匹と再会できるだろうかと妙な好奇心。これも初氷のない(当地)暖冬の影響か。蛙も冬眠したのか分からない状況なのかも知れない。徐々に暖かくなるならまだしも、急に寒くなったりは彼等だって体の都合があるから大変だろう。写真の蛙はやせ細っている感じで、ろくに食べていない感じもする。オンマウスは、庭先で鳥の餌にでもと出したミカンに喰らい付くミツバチ。これも妙な現象で例年はこうした光景は見られず鳥たちの天下なのだが…。 |
FE103NVを投入したYB-120は、左右A-7の間に暫定的に縦に並べ詰め込んであった…と言っても既に20年程。それを今回取り出したら、奥にRolandのストリングス・キーボードRS-101が顔を出した。写真はそれを引っ張り出して蓋を開けてみた様子。一気に45年程前の記憶が蘇ってきた。実は1975年頃、地元にIFC(IharaFolksongClub)と言うフォークソングバンドがあった。当時そのバンドのPA支援を頼まれ、ボランティアで自作PA機材の提供やその運用を行っていた。練習場はPfのある小学校体育館や公民館。それ以外に、リーダーの家の離れでもやるがPfが無い。Pf担当のAさんは一緒に練習できなくて寂しそうに思えた。そこで、何とか鍵盤楽器を入手できないものかと楽器店(すみや本店・カワイ楽器)でカタログを漁った。当時はまだ過渡期で、EP-10/EP-30と称する電子Pfも候補に上がったが音色の多彩さでイマイチ。それでも何とか鍵盤楽器をと思いながら決めたのがRoland/RS-101。基本はストリングスとブラスだが、ギターとバンジョー程度のサウンドの隙間を埋めるには十分だった。これをメンバーからの出資で賄うことになり、その窓口を担当したのが自分だった。すみや本店(静岡市呉服町通)のM氏と交渉した思い出がありその様子が脳裏に浮かぶ。20代だったメンバーは既に65以上。リーダーのKさんは昨年他界され寂しい。他のメンバーはどうされているのだろう。 |
今月の初め、1983年12月に購入したFOSTEXのバックロードホン・キットYB-120のスピーカーユニットFE103Σのコーンとエッジを接着修復した。見事に復活したように思えたが、音源によって音の背景にザワザワ音が混入する。ちょうどボイスコイルが磁器回路に時々触れているような…。色々な音源で聞き比べてみたが、全く気にならない音源から、直ぐを分かる音源まで様々。何しろ37年も前のユニットだし、接着するときもコーンの変色やエッジにムラが有ったり、初期状態に比べまともでないのは明白だった。ただ、コーンを垂直に押しても擦れは無かったのでそのまま現用復帰させていた。暫く聴いていたがやっぱり気になり、コイズミ無線へ代替を発注することになった。最近のスピーカーユニット事情は良く分からないため、FOSTEX/FE130の系譜を継ぐFE103NVを2個発注した。他に幾つか候補があったが、YB-120とのバランスも考えると正解だった。実に明快な音で鳴ってくれる。そしてこれが10cmフルレンジかと思わせる。バックロードホンと相まって、低域を数dB上げておくと、横に置いてあるALTEC/A-7と対等に聴こえるから不思議。写真はYB-120エンクロージャーへ仮実装したFE103NV。ホン開口部は鑑賞用6AR5アンプ。下はONKYO/A815EX(不使用)で、右にチラッと300Bアンプ。 オンマウスはHexBeamスプレッダに干した大根と遠見に河津桜のミカン畑、そこを歩くカミサン…何とものどかだ。 |
写真左奥は、昨日注文し本日午後届いたTV(SHARP/4T-C55BL1)。丁度14年前、亡くなった母にハイビジョンを見せたくて購入したTV(SHARP/LC-45AE5)が、いよいよ電源が入り難くなり毎日30分近く電源SWのON/OFFを繰り返していた。背面蓋を開け内部を見ている最中にフラットケーブルにダメージを与え決定的になった。その日のうちにヤマダ電機は走り注文に至った。こういう時代が必ず来ると思っていたが、視聴者は電波や有線ネットを気にすることなく、何らかの動画プログラム選択できる。大変な時代がやってきた。カミサンへ色々と説明するが、本当に分かったのだろうか…。 昨晩は良好だったリモートシャック。深夜にRS-BA1でリモートシャックへつなごうとしたら、クライアントPCがサーバーPCを認識しない。主クライアント以外に2台の副クライアントで試すも同様。最近Windows10が頻繁にアップデートしているので、ひょっとしたらその関係かも。それで今朝、同様にRS-BA1でリモート運用を楽しむ、島田のJA2AGP矢澤OMへ電話を入れてみた。確かにアップデートは多いが、確認するそんなことはないとのこと。それで雑談中にUtilityソフトの再インストールをしたら!となった。早速TeamViewerでサーバーPCへ入り、RS-BA1のUtilityをアンインストールしてから再インストール。すると見事にサーバーPCが見えるようになり無事復旧した。一体何でこんなことが起きるのが、本当のことを知りたい…。 |
リモートシャックのサーバーPC(Let'sNote/CF-J9)のOSをWindows7からWindows10へアップデートした。現地へ赴いて寒風すさぶ中での作業は辛いと、自宅からTeamViewerでデスクトップリモートして行った。実はその前に、自宅にある同型の予備機でWindows10化を行っているため、リモートデスクトップであっても特段の問題もなく完了した。途中再起動するときは、TermViewerの接続が切れるため、直接操作とは違う戸惑いがあったが、これもTeamViewerの指示に従えば問題は無い。写真は意図的にWindows10のメニュー画面を表示させた様子。Windows7で使用していたアプリや環境がそのまま引き継がれてグッドだ。CF-J9のCPUはi5で8GB程度のメモリを内蔵しており、リモートシャックのサーバーPCとして十分に機能している。 オンマウスは、IC-9100のV/UHFバンドを生かすために暫定的にタワー上部へ設置した144/430/1200MHzトライバンド・コーリニア・アンテナ。自宅工房の屋根馬に設置していたモノを、同軸と金物、そしてトリプレクサを含めて移設した。RS-BA1から制御するバンドは、IC-9100が相手だと1.8〜1200MHzまで13バンドに及ぶため、急な操作だと頭の中がごちゃごちゃになる。デュアルワッチが出来れば、リモートで144/430/1200MHzを分離して聴けると嬉しいのだが…果たして。 |
自宅前から舞台へつながっているモノラック(コースター)。動力は2サイクルエンジンで混合油で動くのだが、こいつが最近特にかかりが悪い。先日のスルガエレガントの収穫の時は、復路で何回もリコイルを引いたがエンジンがかからず、やむなくニュートラルで騙しだまし下って自宅前へ戻ってきた。それを3回もやった。こないだのTopicsに記した通りだ。写真は取り外した問題のキャブレター。背景にエンジン本体が見える。少年時代にバイクや発動機のキャブレターをオモチャの様に触っていたから、何のストレスもなくやってしまう。困ったもんだと思いながら、キャブレターだけを外して修理屋に持ち込む人も余り居ないだろうなぁと妙な自負。顔なじみの農機具屋のオヤジさんは快く分解洗浄に応じてくれた。詰まったヤツに洗浄剤を流し込んで揺すっても、限界があると反省。日常的な点検保守が必要だと言うことだろう。 オンマウスは9日、快晴の青空とタワー&アンテナ群をバックにした河津桜のスナップ。日中はポカポカ陽気になった。1月の終わりから開花し出したが、ここ数日の寒の戻りで開花が鈍っている。それでも開花した花を目掛けて、この時とばかり直近に置いた巣箱からミツバチが攻め込んできている。寒暖の差が大きく、要注意の時期だ。陽が落ちて急に気温が下がると飛べなくなるハチも居るから…。 |
5日の朝はやや寒さを感じた。6時半過ぎの玄関前温度計は1.9℃だった。しかし家の前のミカン畑は霜がビッシリと降りている。もしやと、その端から50mも無いスルガエレガント畑へ赴くとビックリ。写真の如く、外生りのスルガエレガントの果皮に氷の粒が付着している。この辺りの気温は-2℃。更に地表付近の気温は-3.1℃だった。これまで初氷が無く、ポカポカのまま3月を迎えられるのではと淡い期待を持っていたが、この状況でぶっ飛んだ。自然はやっぱり何処かで帳尻を合わせてくるもんだ。氷が溶け露が乾くのを待って10時過ぎから収穫が始まった。昨年の収穫は2月7〜8日で行っているので、やっぱこんなもんかぁと納得。日没まで作業したが終わりそうもないので、残りは外生りを中心に収穫し寒さ対策を行う。翌6日、前日より寒い。玄関前の温度計は0.6℃を示した。早々にスルガエレガントの畑へ赴くと、この日は空気が乾き湿度が低いため氷の付着は確認出来ない。但し、気温は低く果実周辺は-2℃程度で、地表付近は何と-5.9℃に冷えビックリ。陽が当たるのを待って収穫を開始、2日間でカミサンと2人で2トン超の収穫となった。この日は何故かモノラックのエンジンのかかりが悪く最悪。昼休みにキャブレターへ洗浄剤を流し込むと更に悪化。S農機具屋へキャブレターを持参してヘルプ。何とかかかる様になったが、まだ気まぐれだ。オンマウスは5日の収穫の様子…いい感じじゃん!。 |
写真は試行錯誤中のIC-9100+RS-BA1のリモート制御。IC-9100後部に、これまで使用していたIC-7300が見えるが、これは調査用。自宅でIC-9100とサーバーPCをUSBケーブルでつなぎ、セットアップして動作確認したモノをそのままリモートシャックへ投入するとCI-V系の制御がダメ。音は聞こえるが制御画面からの無線機操作が出来ない。ここ数日、野良仕事が終わってから散々悩んでいたが、昨日深夜JA2FYOとの交信でCI-Vのボーレートの設定が話題になった。Autoじゃなく固定にしたらと…。そうか!と気付き、床に就くときは、遠足前夜の少年の様だった。そして本日、朝食前にリモートシャックへ赴き設定変更すると見事に正常動作になった。システム間のノイズや電位差がAuto時のロックを妨げている模様だ。 オンマウスは懐かしいFostexのFE103Σ。もう37年も昔の1983年12月17日に購入した、FostexのバックロードホンキットYB-120に使われているもの。昨年300Bアンプを製作した折、音出しをしようと思ったらコーンとエッジの接着が剥がれガサゴソ音状態になっていた。幸いコーンもエッジもしっかりしているので、薄い紙に糊をもって隙間へ流し込み、円形の重しで押さえて糊の乾燥を待った。これで見事復活。久しぶりいFE103Σの紙っぽい音に浸ることが出来た。高域のf得が劇落ちした高齢者突入のオヤジには、これ位の丸い音が良いのかも知れない。それにしてもあの白かったコーンの変色が凄い。 |
朝8時からお寺の墓地と冷水の竹藪の間にある雑木の伐採が始まった。雑木が大きくなり墓地の上に枝が伸びてきたためだ。木は大きくなると危険も伴うので、やはり程々の大きさに管理する必要がある。そう言いながらも、毎年間に合わせで枝を払ってきたのだがもう限界。お寺の護持会が動いて伐採することになった。写真は一寸分かり難いが、バケット車で枝の重なり等を払い、クレーン車で雑木を上に引っ張ったところで木を切断し吊り上げる手法。吊り上げたて木は広場に降ろし、素人の我々がチェンソーやノコギリを入れて切断し、軽トラ5台で廃棄場所へ搬送する。終了したのは17時を回っていた。これで竹の根元まで見える様になりスッキリしたが、強い雨が降ると、直接地面を打つので土砂への影響がやや心配になる。雑木に早く枝葉がつくことを願っている。 ところでオンマウス。昨晩訪れて三保の海岸に宿泊し、帰路に就く昼前に再び立ち寄った長野からの客人。追加のミカンを渡すために自宅へ戻った時のスナップ(撮影カミサン)。都合100kgほどの柑橘類を車に積んだことになるが、上手く処理できるのだろうか…。新清水JCTから一部未開通の中部横断道路で甲府方面に出て長野を目指すらしいが、道中の安全を願ってカミサンと見送った。 |
週末は所用があり行けないので、31日から始まった恒例の富士市毘沙門天のダルマ市を尋ねる。古くなった4号ダルマ2個をビニール袋に入れ納所へ持ち込むと、和尚殿のお経が流れる中、古ダルマを1個\300で焼却処分してくれる。代わりに毎度お馴染みの杉山ダルマで4号ダルマを一つ購入。製造者が違うと雰囲気がガラッと変わるため、どうしてもこれまでと同じ製造者のダルマになり面白い。カミサンは友人たちへプレゼントする干支ダルマを高崎の重田ダルマから複数個購入。またダルマ市の横で行われている恒例の苗木市を覗き、カミサンは念願かない「ゆずり葉」の苗をついにゲット。年末に正月飾りでも作るのか…。何年も前に朽ちてしまった我が家の初代ゆずり葉、これが2代目に成長するだろうか。 オンマウスは、かつての職場で後輩だったS君一家とカミサン。長野から千葉方面経由で清水に到着した。実は数日前に立ち寄りの連絡があった。昨年送ったミカンの箱を潰さずに多数持参し、これに現在用意できるミカンを詰め込んでいる。青島・はるみ・寿太郎・スルガエレガント・レモン等々。殆どミカン屋さんの様相だ。時間は17時半を回り辺りはあっという間に暗くなった。明日の引き渡しの予定だったが、箱を届けに来るついでに詰め込んだのだが、追加オーダーがあり、結局明日2月1日も立ち寄ることになった。 |