JH2CLV's Topics & Memorandam
January 2020

Jan 31 毘沙門天のだるま市…長野からの客人
週末は所用があり行けないので、31日から始まった恒例の富士市毘沙門天のダルマ市を尋ねる。古くなった4号ダルマ2個をビニール袋に入れ納所へ持ち込むと、和尚殿のお経が流れる中、古ダルマを1個\300で焼却処分してくれる。代わりに毎度お馴染みの杉山ダルマで4号ダルマを一つ購入。製造者が違うと雰囲気がガラッと変わるため、どうしてもこれまでと同じ製造者のダルマになり面白い。カミサンは友人たちへプレゼントする干支ダルマを高崎の重田ダルマから複数個購入。またダルマ市の横で行われている恒例の苗木市を覗き、カミサンは念願かない「ゆずり葉」の苗をついにゲット。年末に正月飾りでも作るのか…。何年も前に朽ちてしまった我が家の初代ゆずり葉、これが2代目に成長するだろうか。
オンマウスは、かつての職場で後輩だったS君一家とカミサン。長野から千葉方面経由で清水に到着した。実は数日前に立ち寄りの連絡があった。昨年送ったミカンの箱を潰さずに多数持参し、これに現在用意できるミカンを詰め込んでいる。青島・はるみ・寿太郎・スルガエレガント・レモン等々。殆どミカン屋さんの様相だ。時間は17時半を回り辺りはあっという間に暗くなった。明日の引き渡しの予定だったが、箱を届けに来るついでに詰め込んだのだが、追加オーダーがあり、結局明日2月1日も立ち寄ることになった。

Jan 28 IC-9100+RS-BA1の問題解決も…
オンマウス(クリック)はサーバーPCの「マイクUSB Aido CODEC」のプロパティで受信音量レベルを下げた様子。アナログVR時代だったら、こんな設定、すなわち3/100などと言う極端な設定はあり得なかった。直にVRで受けるならATTと読み替えもできるが、VR摺動子のコンディションや抵抗体のリニアリティも気になった。何より頭でアンプ受けしていたら話にならなかった。アナログ時代がスタートだった人間には、こんな設定は夢にも思わなかったこと。だからこの位置は悪くても30程度にしてしまう。これが災いの元だった。USBは既にデジタルでコード化されレベル管理されている。それをデジタルでレベル調整する訳だから、数値データを与えれば表示が何であろうと確実に演算して音量を下げてくれる筈。後になってこのことに気付き、随分と回り道をしてしまったなぁと苦笑。ただ、アイコンに堂々とマイクが描かれ、CODECの入り口はマイクレベルだなぁと早合点するアナログ人間も多い筈だから、もう少し説明が必要に思うが…。
写真は紆余曲折の最中。サーバーPCで使っていたLet'NoteのCF-J9(左)の代わりに取り出したVersaProVK27MDN(右)。何れのPCでも初期値では歪むため同様の設定が必要。これで全面解決かと思ったのも束の間。リモートシャックへ投入すると、自宅での状態が再現出来ない。音声も制御もUSB1本の筈なのに、音声は出てくるが制御パネルから全く制御が出来ない。一体どうなってるの?…これ。

Jan 26 IC-9100+RS-BA1で問題発覚
今日は朝から冷たい雨の日曜日。庵原学区の駅伝大会も早々と中止になった。昨日投入したリモートシャックのIC-9100、ちょっと気になり朝赴き取り外して来た。そして、昨日持ち帰ったサーパーPC(Let'sNote/CF-J9)をつなぎ、無線部屋でサーバー登録から設定し直す。このPCはIC-7300とペアで使っていたモノで、IC-9100の設定・登録は初めて。簡単設定で作業を進めるとあっという間に完了。ローカル操作を試みるとサーバーPCからの制御は問題ない。それではと有線LAN経由で、何時も使うクライアントPCからアクセスしてみる。ところが接続できない…何時もやっていることなのに何で?。何処かに設定ミスがあるのか、溜っていたいた最後のWindows7アップデートのせいなのか、ドツボにはまりかけた。すると無線機登録の公開・非公開設定が非公開で誤っているのを発見。これを公開に設定すると見事にクライアントPCから制御できた。全く慣れと言うのは恐ろしいもので、設定を見落としてしまったようだ。これで全面解決!と思ったのも束の間、IC-9100はUSB接続時の受信レベル設定が出来ないらしい。AFボリュームを絞っても歪の嵐。レベルダイヤが合っていないのだ。ATTを入れRFゲインを絞らないとラジオ放送がまともな音にならない。昔のSSB受信の様だ。さてどうしよう。画像は設定変更できないセットモード画面。オンマウスは作業中の様子。

Jan 25  リモートシャックへIC-9100投入するも…
昨年12月に購入したIC-9100。1.8〜50MHzと144/430/1200MHzの運用が可能で、USB接続ができる優れモノだ。購入後暫くPCをつないで、家庭内でリモート検収を行っていたが、年末年始のドサクサでその存在を忘れかけていた。本日農薬散布(マシン油・液肥)と苦土セルカ撒きに一区切りついた15時頃、IC-9100とペアのPCをリモートシャックへ持ち込み、暫定的投入してみた。写真は収容箱にセットしたIC-9100とその上にこれまでの周辺装置。天井の高さが心配だったが、何とか収まり、収容箱カメラにも全体が収まる形になった。IC-9100の電源はRS-BA1によるリモートON/OFFが出来ないため、バッテリからの駆動は止めAC電源を追加設置している。すなわち発電誘起がONで発電停止がOFFとなる。これでバッテリLow時にIC-9100のデバイス認識が危うくなることもない。ただ、発電誘起しても24H動作のPCがIC-9100のデバイスを認識しない場合もあり、この場合はデスクトップリモートで、サーバーPCのRS-BA1/Utirlityを再起動させる。さて、下山して自宅PCからリモートシャックサーバーPCへつなぎ、無線機の接続をすると受信音が聴こえ出した。と、ところがコントロールパネルが無線機とつながらず何も制御できない…何てこったぁ。12月のテストでは問題なかったのに。無線機のCI-Vアドレスが可笑しいか…また余計な仕事を作ってしまったようだ。

Jan 21  青島・太田ポンカンJA出荷完了…ワケアリ頒布開始
1月20日で、今季の青島と太田ポンカンの貯蔵のJA出荷を完了した。太田ポンカンは例年より上出来だったが、青島は完ぺきな裏年。収量は例年の半分以下で貯蔵庫はガラガラだった。太田ポンカンは一昨年の台風後、若木の殆どが傾く障害を受け、また昨年も実を生らした時期の台風で枝が折れたりしてどうなるか心配だったが、例年並みの収量が得られた。さてJA出荷が終わると、いよいよワケアリの頒布が始まる。20日の晩に頒布案内をユーザーの皆さんへ配信したところ、多くの注文を頂き太田ポンカンは翌々日には完売となった。青島は未だ一定量が残っているが、ボチボチ片付いていくと思われる。
この合間を縫って21日、マシン油と液肥の混合薬をカイガラムシ(ルビ)の発生が見られる園地へ500リットル程散布した。それから農林業センサスと称する、農林業の5年に一度の全国調査のお手伝いで地区内の農業関係者宅を回る。農業従事者の高齢化と後継者不足を痛感。何時になく忙しい日々が続いている。
写真は出荷用コンテナ(ピンク)で出荷待ちの太田ポンカン。遠見に出荷用コンテナを積んだ軽トラが見える。この日だけで3回も共同撰果場を往復した。オンマウスはワケアリの依頼に応じて箱詰めした太田ポンカンと青島ミカン。時間が14時を回ると当日引き取りの依頼が出来ない。その場合はこの様に軽ワゴンで運送会社へ運び込む。

Jan 20  Windows7フォーエバー - Security -の導入
Windows7のサポートが1月14日で終了した。この日に合わせて一昨年頃より所有するPCのWindows10化を図ってきた。しかし、Windows10では荷が重いPCや、Windows7でないと正常動作がしないPCもあり、結局Windows10化から取り残されたPCが複数台。14日以前は、サポート停止を伝える各種メッセージが連日届いていた。14日以降はPCを起動しただけでWindows7の脆弱性を唱えるデカい画像が表示された。それで、今年になってVectorProRegiからWindows7フォーエバー - Security -と称するアプリの紹介が届くようになった。最初は半信半疑だったが、メーカー(電机本舗)サイトを覗いているうちに、同社の実績が分かり「試してみるか」となった。16日早朝、ネット上でライセンスキーを購入し、アプリをダウンロード。そして本日20日、恐る恐るインストールを実行した。Windows7のアップデートは、最新にするとicomのリモートシャック制御アプリRS-BA1が通信不良を起こすためやや古いバージョンで実施した。写真はダウンロードしたファイルを解凍し、Setupファイルを実行すると最初に現れる画面。これからインストールボタンをクリックするとインストールが始まり、短時間の内に完了する。ライセンスキーはインストール完了後に入力すると機能制限が解除される。でこのアプリは何をするかと言うと、セキュリティにフルパワーを使い、ハードディスク(SSD)にあるデータを変更出来ない様にする模様。OS移行期には有効と思われる。

Jan 19  55年振りに登った大内の観音さん
どう言う風の吹き回しか、カミサンが大内の観音さんへ登ろう!と言い出した。これまで理由を付けて拒み続けていたのに。R1バイパス長崎IC辺りから山側を望むと、山中にお寺が見える。お寺は霊山寺、山門の仁王門が有名だ。地元では大内の観音さんと呼び、小学5年の遠足コースだった。母校の庵原小から徒歩で飯田と高部学区を抜けて登山口に辿り着き、この観音さんへ登った。観音さんで昼食休憩後山頂まで登り、尾根を歩いて柏尾へ降り、梅ヶ谷辺りから来た道を戻った。今ならそんな長距離を子供に歩かせたら大騒ぎになるかも知れない。でも日常的に野山を歩き回っていた子供たちには屁の河童だった。当時は、平地は田んぼで山はミカン畑や茶畑だったが、今はその面影はない。所々に散見される農業設備の残骸(貯水タンク、架線)で、ようやく往時を忍ぶことができる程度だ。
写真は霊山寺山門。両サイドに仁王が配置される国指定の需要文化財。オンマウスは本堂で、手にした餌をついばむ人慣れしたヤマガラ。何とものどかな一コマだ。山頂(304m)には一本松公園があり、中電のマイクロ波回線の大内反射板がある。3m四方大で、清水と静岡を中継している模様。マイクロ波回線好きにはちょっと興味がある設備だ。山頂は、尾根伝いに梶原山から柏尾峠を結ぶ遊歩道として整備されている。言い出しっぺのカミサンは終始ご機嫌だった。

Jan 17  静岡県貯蔵ミカン品評会
17日、第54回の貯蔵ミカン品評会(温州ミカン)と第40回中晩生柑橘品評会(ポンカン)が行われた。良く分からないまま柑橘委員殿からの要請により後者に初出展。まったくの様子見で、入賞は程遠いと思っていたがそこそこの得点を得ることができた。もう3点獲得できれば入賞圏内に入ることが分かった。噂によれば、入賞者の上位の方は、相当意識された栽培を行われていると伺った。通常栽培で撰果の途中に気に入った実をピックアップするのとは訳が違うようだ。来年はちょっと真面目にやってみようと思う。審査は形状・玉揃い・粗滑・果皮色・病害虫・肉質・食味・加減点で競われる。糖や酸も測定され糖酸比も表示される。甘いだけではコクが無いことになり酸とのバランスがミカンの味を面白くしている。
写真は会場(JAしみず庵原支店大会議室)に勢揃いした出展品。会場はこの倍の広さがあり、所狭しと250点以上が並び壮観だった。出展品の全てに上記評価が数字で示されている。オンマウスは出展した太田ポンカン。正直なところチョット見ではその違いが分からない、もっと修業が必要なのだろう。来年は、弱いところを引き上げるか、強いところを伸ばすか、ポイントアップに向けた戦略を持たなければない。

Jan 15  ローカルのOM"サイレントキー"…昔の写真を偲んで
…書きかけです。 OMとはJA2AYH。最後の会社に勤め出した2011年の10月21日から、自営業に転じ3年目に入った2019年9月30日の交信まで、実に1500回以上のQSOを頂いている。その多くは51.14MHz/FMのモービルによるもの。随分お相手頂いたなぁと思い、ログ検索をしたらこんな数字になり驚いていしまった。
写真は2014年3月29日工房でのスナップ(カミサン撮影)。左から2番目のOMがサイレントキーとなられたJA2AYH。右から2番目のJA2IYJが持ち込んだFLEX6500の噂を聞き付けて集まったローカルの皆さん。51.14MHzは、一番左のJH2AHZから2009年11月頃、福井勤務時代に教えてもらった周波数。一番右は最長老のJA2JZで今でも元気にお相手頂いている。
廃版になってから久しい1200MHzトランシーバへ、そこまでやるかと思う程に半田ごてを突っ込んで部品交換したり、相当くたびれたHenry-2kを復活させ1kwライセンスを取得りたり、格安中華タブレットを紹介したら早々に入手して気楽にWindows10専用機にしてしまうなど、お歳を積み重ねられても好奇心や心意気と腰の軽さを失わない姿に大いに刺激を受けた。ご家族により棺に納められた、ご自慢のDXCCオナーロール盾や各種DXアワードを拝見し、この様なハムの最期も良いなぁと私的な思いが脳裏を過った。

Jan 14  このところのミカンとの戯れ
8日にポンカンの2Lサイズ以上の出荷の後、12日に青島、そして15日に青島とポンカンのL以下の出荷を控えている。その間は貯蔵庫で撰果に勤しんでいるが、収穫期に剪定した枝が畑に放置してあり、これを合間に回収する。またやっと実を結んだ老木の一部はこれが最後と息絶え枯れ出すものもあり伐採処理。根元から倒してしまえばいいのに、どうしても愛着があり枯れた部分にしかチェンソーが入らず苦笑。12日、軽トラ山積みの伐採木を3回も大峰へ運びヒノキ林へ廃棄。それから11日、手が回らなかったお礼越えを、ここにきて甘夏畑以外にバラ撒く。そうこうしているうちに13日、頼まれた品評会用のポンカンの拾い出しを撰果中に行い、100数十個の中から40個を選び出した。今朝、最終的に所定の箱に詰め出展…果たしてどうなるか。それから、初氷が来ない当地。12・13日、庭先は連日霜が降り、地表は0℃前後の気温を示しているが、玄関先の温度計は2℃で今季最低。しかし溜まった水を凍らすほどの力が無い。甘夏にはありがたいが、大寒を過ぎるまでは気が許せない。今日は甘夏に落下防止剤と防腐剤等4種の農薬を散布。写真は13日、玄関で品評会出展用の拾い出しをしているカミサン。自分(男)とは意見が違い中々決まらず面白い。オンマウスは甘夏の農薬撒布の様子。この暖かさのまま大寒を乗り越えられるだろうか…。

Jan 7  移動局再免許申請(電子申請)…事のついでに
今年の12月19日で移動局の免許状が失効する。満50年だ。再免許申請期間はその1年前から1ヶ月前の間となっている。年末はバタバタでそんな気にもならなかった。やっておかないと忘れる可能性があるため、7日に再免許申請を電子申請で行った。総務省の電波利用_電子申請・届け出システム_Liteで履歴を見ると、もう3回目の電子申請になる。早々に変更なしで申請を行い審査待ちとなったが、昔の紙による申請に比べたら本当に簡単になった。と、ここまでは順調だったのだが、ちょっと悪戯心を出したのが運のつき、ちょっとした迷路へ迷い込んでしまった。実は固定局の再免許申請が4月、カミサンの移動局の再免許申請が来年4月に控えている。ルールよりは早いが、ダメ元で再免許申請したらどうなるかと妙なことを考え出した。ディスプレイを見ながらキーボードとマウスで簡単にできてしまうので、よせば良いのにと思いつつも申請をしてしまった。ところがはやりダメ、機械が瞬時にエラーを発報し返信メールに保留とあった。総通に電話を入れると、保留のままだと正規期間中の受付にも影響するので再免許申請の取り下げ願いをして下さいときた。取り下げ願いは総通局長宛。再免許の申請番号が必要なため、履歴を覗いて拾ってくる。色々面倒なことが多く、やっていて分かったのは、絶対に申請期間を守ると言うことだった。PS:1月16日審査完了。

Jan 5〜6  リモートシャックにマルチバンドダイポール設置…モービル設備の移設
昨年12月に購入してあったミニマルチのマルチバンドダイポールMDP-5DX。14/21/28MHzと18/24MHzのローターリーダイポールを縦に並べたものだ。暮に片方ずつ組み上げ、ウェザーコートを塗り倉庫の軒先に立て掛けてあった。早々に上げたいと思っていたが、正月が来て作業は中断。昨日5日からようやく作業が再開した。リモートシャックへ運びエレメントを組み、タワー上部まで上げるも日没。そして本日6日午前、一気にマストまで上げて固定。ところが最近思い込みや物忘れが多い…トラップの水抜きが下に来なかったりして、タワーでサーカス的修正作業が始まるから困ったもの。もっと慎重に準備しなきゃと反省しきり。SWR特性は各バンド非常に良好で驚く。
一方、ジムニーへの無線機移設を年末からボチボチとやっていたが、本日最後に残ったボンネット内に設置した電源リレーの制御線を張った。最近の車はケーブルコネクタ処理の殆どがモールド化していて、コネクタからアクセサリ連動電源の取り出しが難しい。止む無くシガライターソケットから引っ張ることになったが、ボンネット内に良い取り口が見つかれば変更する予定。
写真はMDP-5DX越しの富士山。アンテナ位置で標高約400m。オンマウスはジムニーのリアドアに設置したATU(LDG/Z-100Plus)とケーブルの引き込み状況。本日51MHzでローカル局と初交信実施。

Jan 1〜3  年頭会に元旦祭…子供と孫帰省
写真は正月恒例の定点撮影。定点ポイントから見る山切地区北部。
オンマウスは東久佐奈岐神社境内。元旦9時から始まる年頭会に備えて集まった地元の皆さん。自治会が声を掛け、この1年の安全や豊作を願ってお参りするのが習慣になっている。ただ近年は生活が多様化し、集まる皆さんの数が減ったのも事実。お参り後、自治会長より年頭の挨拶があるのだが、JAの地区運長をしている関係でオーナーにも挨拶を求められた。「初氷が張らない当地」として今冬の異常な暖かさを唱えた。簡単なセレモニーが終わると、広場の焚火を囲んでお神酒が振舞われた。
その後11時から、今度は神社の氏子総代による元旦祭りが始まった。こちらは地区(山切と草ケ谷)の団体長が集まり、古式に従い宮司さんにお祓いをして頂き神殿に玉串を捧げた。これは当地に人が住み出した古代からの習わしと思われる。今年も平穏に暮らせることを願い、自然への感謝の気持ちを込めることに普遍性を感じる。この様に元旦は朝から穏やかな時間を過ごさせて頂いた。
午後はいよいよ子供や孫たちが帰省し、家の中は夏休み以来の託児所状態となった。群馬の三男一家、藤枝と押切の姉一家、長名古屋の男一家、東京から次男(2日)が続々と戻って来た。お祭り好きのカミサンは朝からやたらと元気だった…。
写真は2日、米寿(ご母堂)と卒寿(ご尊父)を迎えたカミサンのご両親を囲んだスナップ。ちゃんちゃんこが可愛い。子供と孫たち全員がカミサンの実家へ押しかけてお祝いの昼食会。カミサン発注のお寿司とケーキが中々美味しかった。
オンマウスは、その日の晩の夕食シーン。長男が持ち帰った肉と地元の肉に、三男が持ち帰った群馬の下仁田ネギですき焼きパーティが始まった。鍋奉行が約2人いて、それぞれに異なる作り方や味付けをするから面白い。まぁ食べられればいいか…とお手並み拝見状態だった。それにしても皆よく食べる。
この後はカミサンが何処からか出してきたゲームと多量のコマで思い思いに楽しんだ。10個以上のコマを同時に全て回すコマ回しは、孫の大芽といづみを相手に延々と1時間以上も続き汗だくになった。単純なことだが、昔のTVでやっていた周回する電車が風船を割るゲーム「危険信号」の様な面白さがあって、爺さんもつい真剣になってしまう。コマが止まる寸前に取り上げ、紐を巻き付けて再び投げて回す…。おかげで利き腕に痛みが走ってきた。
賑やかな晩が続いたが、3日午前中に長男一家が、夕刻には次男が、深夜には三男が帰路に就き、あっという間に静かな生活に戻っていった。

Dec 31  遂に大晦日…朝から大掃除
今年最後の日になってしまった。気温が下がらず、結局年内の初氷は観測出来なかった。こんなことは記憶のある限り初めてのことだ。太陽黒点も一時は全くゼロが続いていたし…やっぱり可笑しいぞ。例年なら安定した国内交信が楽しめる7MHzや3.5MHzのコンディションも不安定だ。何より太陽黒点数が異常に少ない。
写真は朝から始めたガラス引き戸の洗浄。ケルヒャーのジェット水流ノズルをで埃と汚れを一気に飛ばしている様子。数えたら母屋だけでこうした戸が20枚もあり苦笑する。余り強すぎると木がささくれ出すので頃合いを見ながら吹き付ける。この後、縁側のサッシのガラス戸を洗浄するなど、午前中はお掃除オジサン。カミサンは正月の食材等の買い出しで行ったり来たり。
午後は庭の洗浄と整理、そして暗くなるまで草むしり。その後家の中の掃除と子供や孫たちを迎えるための整理。食事を挟みながら深夜まで続く。TVは年末の特別番組で盛り上がっているが、こちらはそれどころではない。オンマウスは紅白歌合戦を横目で見ながら掃除をしていたカミサン…立ち止まって三山ひろしのけん玉を眺めている。今年の大晦日は、コタツにあたってゆっくりとTV観戦などほど遠い。日常の不精かげんが、ここではっきり出てくる一日だった。来年は何とかしたい…。