JH2CLV's Topics & Memorandam
July 2017

Ju1 31 サラリーマン最後の仕事
7月31日で6年間お世話になった会社を退職。退職前にまとまった休みがあるのが普通だと思うのだが、多方面に手を出していた自分には、幸か不幸かその様な時間が取れなかった。
写真は最後の仕事場所になった某無線中継所の鉄塔最上段。お世話になった協力会社社長のK氏に最後の仕事に無理を申し上げ同行して貰った。フェンス際に7GHz帯のマイクロ波Txが見える。伝送先は27km先の静岡市葵区だが、テストで駿河区方向へ向けた。到達レベルが理論値と同等の値が出るか確認し元に戻した。生憎の天候で静岡方面は靄で良く見えないところに、一時は霧に包まれ視界数mの状況だった。ここへはK氏と幾度も足を運んだ。階段を上りながら色々な場面が思い出された。最上段を見回すと、今年の1月にはあった大型のパラボラアンテナが消えている。
マイクロ波に大きく依存してきた情報通信事業(映像・音声・データ)は、デジタル化と共に光ケーブルへの大移行が行われた。現在は近距離の通信が残るのみとなった。ここに限らず、何処のマイクロ波無線鉄塔を見上げると寂しい光景となっている。一方、官公庁・放送用は固定・移動・衛星を含め依存度が高く、未だ活況を呈している。
40年余、TV中継用マイクロ波回線構築に関わってきた者の最後の仕事として、今日は思い出に残る一日であった。

Ju1 29-30 草刈り…群馬伊勢崎でミュージカル鑑賞
3週間程前に刈った筈なのに、既に背丈ほどに伸びた草もある田んぼのミカン畑。気になってはいたが流石に無視できなくなった。しかし29日は曇りでも気温は早朝から28℃。昼前には34℃に達した。それでもあの草は何とかしたい。午前中燃料が切れる1時間半程草刈りを行うが流石に暑く衣類は見る間に汗が浸み込み重い。暑くてイライラが募り午前中はこれで終了。午後再びトライし14時半頃から17時まで草と闘うが未だ全体の半分にも満たない。
30日は群馬の伊勢崎で所用が有りカミサンと往復。名古屋からも嫁と孫2人が駆けつけ、新幹線で合流。所用とは3男の参加するミュージカル劇団ポーキーホーキーの鑑賞。本庄早稲田まで新幹線を乗り継ぎ、下道はレンタカーを飛ばした。さて演目は「王女ノエルとトラになった母」と題するファンタジーミュージカル。台本から音楽、道具やステージに関すること全てが手作りと言うから驚く。家族で大いに楽しめる内容と完成度だった。勤め人の集まりだから、限られた時間で稽古や道具作りをやりながらこの日を迎えている。あの子たちは知らぬ間に…と成長ぶりに拍手だった。考え方の異なる大勢の仲間が一つの目標を成し遂げた時に喜びは格別だったに違いない。写真は講演を終えてロビーで語らうメンバーとお客さん。アマチュアの劇団とはとても思えない賑わいだった。オンマウスは3男夫婦と乱入組。

Ju1 28 会社の送別会…気が付くと色々なモノが
6年間お世話になった会社を今月一杯で退社することになった。28日は職場で粋な送別会を企画してくれた。写真は葵区両替町で行われた送別会の「愉快な仲間達」。日中春野方面に緊急出向があって、1次回に間に合わなかったメンバー2人も2次会には参加。深夜まで盛り上がった。オンマウスは送別会でプレゼントされた品々。中央の寄せ書きは6年間の思い出が綴られていて読むと目頭が熱くなる。周りには遠く富山から届いた地酒とメッセージ。そして6年間のスナップ写真のハイライト版に粗品、そして何故かクッキー。更にカミサンへと届けられた怪しい品も。右上の図書は帰宅したら届いていたCQ出版の「RFワールド」と山根一眞著「アルマの創造者たち」。
6年前に前の会社から転籍する時の気持ちとは随分趣が違うなぁと、これらを自宅の縁側に並べながら気付いた。残された時間は限られており、その中でどの様な生活が送れるのか。会社や企業に依存していた生活からいち早く脱し、自分の力で生きていこうとする回帰への選択は果してどうなるか…。まだまだ老人にはなれないと言うことだろうと自戒している。
ところで「アルマの創造者たち」。執筆中の2013年11月14日に予約したものが、3年9ヶ月目にしてようやく届いた。初期の発売予定を大きく経過しており、その時間の長さにも興味が及ぶ。

Ju1 26 オールドPCの不具合とSSD整理
最後のWindowsXp機にUSBでSSDをつないだら、あのブルーチェック画面。再起動すると、デスクトップが立ち上がったところで同様のチェックが始まり無現ループに。ブートは内臓SSDだが、BIOSでこれを予備の内臓HDDに変更すると正常起動。てことは内臓SSDでファイルが壊れている?。OS上書きも考えたが、Windowsの復元を思い出し管理メニューを辿ると7月19日に復元出来そう。早々に試すと無事元の状態に戻った。昔はOSを上書きしたものだが、現在はストレージも安価になり、丸ごと複製を作り緊急時に対応するやり方もベターに思う。定期的な更新と、データの別ストレージ保管(サーバー)が必須だが・・・。 ところで手持ちATA(IDE)-SSDをS-ATAで生かすために中華製変換ボードを注文していた。それが届き早々にS-ATAのHDDのSSD化を行った。いわゆるクローン作りなのだが、大抵のソフトは受けサイズが送りより小さい場合はダメ。愛用のEaseUSが使えない。SUMSONGのソフトは自社SSD以外は拒否し、お話にならない。色々調べるとEaseUSの最新Verは、受けサイズが小さくても自動的にパティションを作る優れモノらしい。フリーのEaseUS Todo Backup FreeをDLして試すとグッド。送受に複数のパティションがある場合でも、自在にクローンが作成出来る。またWindows上で起動出来るため使い勝手はすこぶる良い。

Ju1 22-23 梅雨明けの曇天と誕生日
19日梅雨明け宣言があった。平地から南は確かに晴れの日が多くなった。しかし山間部は、未だに雲か霧に覆われ、ソーラー発電に元気がない。早朝に赴くと負荷状態のバッテリ電圧は12.3V程度。まぁまぁと思うのだが、充電コントローラは11.5Vで出力遮断し、12.5Vまで上昇しないと復帰しない。設定電圧の変更をメーカーへ打診したが、この装置(DENRYO/SolarAmpB)はダメらしい。それで、遮断されては困る機器、即ちPC・無線LAN端末・HUB・IP伝送端末の情報機器は直接バッテリから取るルートに変更。また、定格DC15VのPCを12Vスレスレで使うのは気が引け、DC/DCインバータを挿入し出力14.5Vで運用することに。これで太陽光発電が低下して出力遮断が発生しても、情報機器が生きておれば発電機を回し復旧できる。不測の遮断に悩まされる確率が圧倒的に減った。
そんな対応の最中、今春投入したDYNABOOK(Win7)が突然不調になった。ソフト負荷を重くすると画面にチリチリノイズが出始め、最後はハングアップ。持ち帰り様子を見たが、結局ダメで初代のVERSAPRO(WinXp)の復活となった。写真はカムバックしたVERSAPRO。オンマウスは中華製DC/DCインバータ。
ところで23日は小生63回目の誕生日。63という数字は会社の定年で、既に定年モードに移行しているのだが、まだ色々忙しく苦笑。

Ju1 16 地元夏祭・川施餓鬼etc
写真は16日、山切公園(桜沢公園)で行われた山切夏祭りのスナップ。子供や家族連れが射的に興じている。このテントには、他に輪投げコーナーも設けられた。隣のテントでは金魚すくいが行われ祭りの雰囲気を盛り上げる。またその向いのテントでは、焼きそばやフランクフルトソーセージに串焼き、そしてアユの唐揚げや生ビールにソフトドリンク類が並ぶ。ボランティアで集う地元のワイワイ倶楽部(主催)の皆さんの心意気が伝わってくる。子供会による、お地蔵さんと川施餓鬼の祭りの後、子供たちは流しそうめん会場に集まりごった返している。事前に地区内に配られた引換券を手にした子供たちや家族連れでにぎわう。山切川には、消防団による放水を浴び、暑さを吹き飛ばす元気な子供たち。ささやかな希望だが、子供の頃の記憶としてしっかりと焼きつけて欲しい。すると、この祭り趣旨とDNAは彼らに引き継がれていくに違いない。
オンマウスは公園の川寄りに祭られた川施餓鬼の会場。お飾りは自治会の手によるもの。地元保福寺の若和尚殿と大和尚殿は、お地蔵さんの祭り(別場所)からの御足労。お地蔵さんと川施餓鬼の祭りは元々別々の日だったが、現在は山切祭りを含めて同じ日に開催する年中行事になっている。 ところで自分は…会場のPAをお手伝い。程良きBGMと連絡対応で14時〜20時までノンアルの一日だった。

Ju1 14-15 サムウエイ(THMWAY)社の夏祭り・・・7月盆
写真はサムウエイ社で行われた夏祭りの模様。時間は19時頃で当然陽が落ちているが、会場は熱気でムンムン。
オンマウスは岳南鉄道の吉原駅。ここから3駅目の本吉原で下車し、徒歩10分程度でサムウエイ社に辿りつく。
14日は天候も回復し朝から好天。祭りの準備も順調に進んだ様だが、むしろ暑さが大変だった模様。毎年恒例だが、アマチュア無線仲間やメーカーさん、そして地元の皆さんなどで同社の敷地内はごった返し、文字通りお祭り騒ぎだった。
終了後は隣接する会長宅へお邪魔し夜中まで無線談議と昨今の世情話で盛り上がった。例年なら何とかその日の内に帰路に就いていたのだが、この日ばかりはチト呑み過ぎたかそのまま会長宅でゴロン。ご迷惑をお掛けしてしまったかもしれない。
また翌15日は、同様に夜明かしした浜松のS氏の車で清水まで送って頂いた。何から何までお世話になってしまったが、夜明かしした皆さんが他に数名いらっしゃり、会長殿の求心力に驚かされる。
さて当地は7月盆。帰宅後は叔母や姉たちが盆参りに訪れ、カミサンと世間話に興じていた。女性が複数集まると本当に賑やかになり驚く。

Ju1 8-9 高山の眺望と屋敷ポンカン老木伐採
NTT山原無線中継所からの尾根繋がりに地元で「高山」と呼ぶ標高400m超の山がある。かつてはその殆どでミカンとお茶が栽培されていたが、今は一部を残すのみで山は荒れている。幸い農道が山頂まで走るため、容易に山頂からの眺望を楽しむことが出来る。ここにネットワークカメラを付けようと思ったのは、リモートシャックに富士山カメラを付けた頃。眼下に見える地元の庵原球場や三池平古墳にナショナルトレーニングセンター、そして背後に清水港と三保の松原が続き、遠くに駿河湾と伊豆半島が見える絶景。これを何とか自宅までLIVEで引き込みたい。写真は8日、カメラと無瀬LAN伝送ポイントの下見で上った高山山頂付近。昔共同防除で使っていた貯水池。今はパラグライダーの離陸ポイントになっていて吹き流しが見える。問題はカメラより伝送。山一つ向うの谷の自宅タワーは見通し外。さてどうするか…。
暴風による根の千切れや冬場の冷え込みで木がやられ、栄養不足で枯れ出した30年物のポンカンの老木。ポンカン栽培の中心は既に伊野へ移行しているので、思い切って伐採を始めている。9日だけでも10本以上を根こそぎ伐採した。近い将来全面的に別品種に植え替える予定だ。何しろ暑くこの日の温度計は34℃を示していた。

Ju1 1-2 今年も半年経過…久々の富士
写真は2日11時50分頃の富士。このところの曇天で下界から見上げるリモートシャック山頂は、雲や霧で覆われ稜線は全く見えない日が続いていた。この日の前夜は雨だったが、朝までに上がり何とか遠見が出来るようになった。ところで新発電機のインバータノイズ、20KHzおきにS9+でやっぱり尋常じゃない。データを取ってディーラーへリポートするつもりだ。
気付くと既に7月。「あぁ今年も半分過ぎてしまったか!」と毎年同じ言葉を呟く相変わらずの自分が情けない。とは言いつつも残り半年、棚上げになっている懸案を片付けたい…高山カメラ、7F71RアンプやジェネカバRx、青島苗の移植と…。
今週末はお世話になった義理の叔父の通夜と葬儀があり故人を忍んだ。脱サラして三保の松原で始めた喫茶店とそこで繰り広げられた初めて知るヒューマンリレー。昨年カミサンとご自宅へお邪魔した時には、自慢のズガニの飼育を見せて頂きお元気だったのに。ご冥福をお祈りするばかりだ。

Jun 25 雨の日曜日…マルチトラック録音
知人からノイズ混じりの演奏CDが届いた。地元の踊りを復活させるのでもっと聞き易くして欲しいと…。聴くと地元の音頭。良く聴くと、1979年7月に庵原公民館で自分が収録した音であることに気付く。元テープが有った筈と家中を探したのが先月。結局テープは何方かにお渡ししたきり。何しろ38年も前のことだから誰にも分からない。それで有る物で何とかしようとCDの曲をファイルでPCに取出す。CDと言うと聞こえは良いが、アナログテープのダビングを何回も繰り返したシロモノ。S/Nは悪くf特も時代を感じさせる。編集ソフトでの加工も限界。極め付けはVocalの音程ズレ。お世辞にも上手とは言えない。こんなモノ持ち込まれても困ると言いたいのだが、何とか使えるようにと考える。それでこの音源を基に、複数人のVocalを重ねて誤魔化そうと考えた。写真はそのために容易したTASCAMのマルチトラックレコーダDP-008EX。元ファイルをUSBでPCから放り込み、取り敢えず老番トラックの7/8chへコピー。これを聴きながら喉自慢の皆さんを1〜6chへ収録する。収録後はミックスダウンして最終版を作る。果してどうなるか。こんな作業が掌でできてしまう。昔は背負子にテープデッキだったが、大変な時代になった。右手はSONYのECM-990…電池を入れたら正常に動いた。これは1976年頃の購入で、もっぱらコンサートのオーディエンス収録に使っていた。懐かしい。