Jun 30. 2007 所用で帰省            
田舎の伯母が亡くなりお通夜のために帰省した。この日は6時14分に乗ろうと考えていたが、礼服やその他グッズを用意しているうちに時間が過ぎてしまい、結局7時14分のしらさぎに乗った。米原と名古屋で乗り換え静岡駅には10時5分着。更に東海道線で清水駅に着いたのは10時25分だった。カミサンの出迎え後、近くのスーパーで買い物をして実家に戻ると11時半。昼食後は新盆の準備。田舎の盆は8月ではなく7月に行なわれる。
お通夜の準備で15時半に親父とカミサンと3人で親戚に赴く。伯母の旅支度のお手伝いをする。そして18時半頃から山間の里にお経が流れた。幼少の頃に母親に連れられてバスで訪れた事や、結婚後子供を連れて訪れたときの事などを懐かしく思い出していた。伯母は88歳、弟の親父は83歳。何も喋らなかったが親父には特別な思いがあるに違いない。余談だが家を出るときに親父の靴がどうも違う。何処かで履き間違えてきた様子で、見ると知人の名前が書いてある。電話で尋ねると当たり!だった。そしてお通夜から帰る時、又しても違う人の靴?。下駄箱の右下を見ると定位置に親父の靴。こりゃまずいと履き直した。頼むぜ親父!。写真はHanaと久々登場のMieyo。

Jun 24. 2007 再び雨の一日・・・ようやくCQ誌ゲット            
昨日の好天が転じ朝から雨がパラつく。午後になると辺りは真っ暗になり大雨となった。そして夕暮れ時、一時的に陽が差し込み自宅の南方向に見事な虹が出来た。しかし、その後再び雨になった。
午前中、昨夜落札したオークション(BIRD43)の送金のために、傘をさした自転車で駅前通りの銀行を往復した。
また昨日から本屋を3軒も回っても見つけられなかったCQ誌を何とか入手出来ないかと同僚のHamに打診。昭文堂という店を紹介され電話を入れると有った。オカミサンに住所を伝えると近くだから直ぐ行くと返事。自宅までは面倒なので「お泉水通り」のスーパー・ハニー前で待ち合わせる事にした。暫くするとご主人と車で現れた。目印の黒いビニール袋で直ぐ判り無事ゲット。オカミサンの電話はそそっかしく、こちらの話が終わらないうちに話を被せてきていたが、直接お逢いすると母親のような人だった。来月からは職場に届けて貰うことにした。それにしても、店の場所を尋ねると先に配達を申し出てくれるなど親切で、これが福井人気質かと感心させられた。
写真は18時前後に撮影した虹。オンマウスはゲットしたCQ誌7月号と四半世紀振りに入手した懐かしいアマチュア無線回路図集。

Jun 23. 2007 雑務に追われる週末            
福井市内では昨日は晩まで雨が降ったが、今日は朝から晴れ上がった。近くに銀行や郵便局が無いため送金作業が滞っていた。気付くと家賃は25日までに振り込めと契約書にあり慌てる。ガス料金・月刊59誌購読料・Auction代金もあり、自転車でコンビニ・銀行・郵便局を回るが処理は25日になるらしい。家賃の自動引き落としは経費が掛かるので自前で行う事にした。帰り道、福井駅南側のマルツ電波に立ち寄った。様子を見るだけだったが何もしないのも悪いので±15VのDC-DCコンを買う。小路奥を見ると福井市野球場が見えた。野球に汗を流した時代があり懐かしさも手伝い覗いてみた。草野球にしてはまともな試合で審判も4人で対応していた。お客さんに尋ねると官公庁の野球大会の決勝で、勝ったチームは全国大会に行けるらしい。昔は18.44m先の空き缶にボールを当てる自信があったが、今は五十肩を引きずる状況。試合を見ていると自分の目が何処を向いているかを客観的に見るようになってくる・・・これって職業病か。夕暮れ時、市内下馬のカーマからガステーブルと脚立を購入。その帰り道のR8で、エンストして渋滞を招き困っていた軽自動車を押してあげた。少しは人のお役に立てたようで気分の良い一日だった。

Jun 20-21. 2007 久しぶりの名古屋            
名古屋で所用があり1泊2日で出かけた。名古屋はつごう22年間住んだ第二の故郷とも言えるところである。子供達も幼少時代からお世話になり言葉も友人関係も完全に名古屋人だ。同郷のカミサンも結婚以来25年間も住んだ。其々に深い思い入れが有り切っても切れないつながりがある特別な場所なのだ。
9時14分福井発のしらさぎに乗り11時15分には名古屋に着く。地下鉄に乗ると名古屋らしい空気が漂ってくる。栄で下り暫く歩くと、昔毎日通ったオアシスが見え出し、何故か照れくさい気分になってくる。
19時頃までに所用は済ませ、その後は同僚達と夜の打ち合わせで時間が過ぎた。龍園支店のLeeちゃん、中日ビル南のル・ドーモのマスターは今もお元気だった。夜道を一人で歩いていると、かつて名古屋で経験した色々な事が思い浮かび懐かしくなった。
写真は20日19時、栄の河合ビル辺りから街灯越しに見上げた名古屋テレビ塔。綺麗にライトアップされ夜空に輝く姿は定番ショットだ。テレビ塔はTV放送黎明期より中京圏へ電波を発射し続けてきたが、今はデジタルTVに移行中(瀬戸市)である。2011年7月にデジタルTVに完全移行ということであるが、果たしてどうなるのだろうか・・・。

Jun 15-17. 2007 最初の帰省            
福井に来て2週間。実家の漏電対策と新盆の準備、それに農作業で帰省。15日仕事明け後の19時40分、特急しらさぎに乗る。米原で新幹線に、静岡で在来線に乗り換え清水駅に着いたのは22時51分。カミサンがHanaとPigを連れ車で迎えに来てくれた。2週間程なのに何故か年甲斐も無く照れくさいく申し訳ない気持ちになる。それでも福井から3時間程度で運んでくれる鉄道は便利だ。
写真はHanaとPiggの散歩コースにあるビワの木。昔は大切に栽培して食用にしたが、今では取る人も少なく、木についたまま腐ってしまう光景も時々見る。時代は変わったものだと思う。
オンマウスは漏電調査のために電気屋さんがゴチャゴチャにしていったシャック。壁コンからプラグを外すために重いロッカーを動かし、乗せてあった無線機群を床に下ろしてあった。他のやり方もあるのになぁと内心。負荷のACラインと対アース間の直流抵抗を一つずつ当たり原因を特定。某装置で電源ラインと筐体間に挿入されているバリスタの短絡がそれだった。電気屋さんの出張費程度を保険でまかなえないか、新聞記事や写真等を用意し保険屋さんと折衝する。17日は15時頃清水駅から帰路に就き18時2分に福井に戻った。

Jun 10. 2007 引越し荷物の整理とHF運用開始            
昨日は一日中不安定な天気だったが今日は曇りだが雨は無い。実は昨日、暗くなってから4階のベランダ手すりに取り付けたATU(AG-230)から、極細のステンレスワイヤーを南方向へ斜めに引き降ろしてみた。エレメントの長さは約20m。ベランダ手すりは直流的に建物の鉄筋につながっていて、テスターで測ると抵抗値=0Ω。これでローカルのJA9LSZと18MHzで福井に来て最初のHF-QSOが実現していた。それに気を良くし、本日はエレメントのルートを修正し3.5/7/10/14MHzで交信実績を作った。大家さんには屋上に張っても良いと返事を貰っているので時期をみて挑戦してみたい。
写真はPCデスクにセットした無線機。中段左はIC-756、右がIC-706MK2G。上段はご存知KWM-2Aと516-F2。IC-756のAF出力はPCスピーカーで混合している。オンマウスするとATUの設置状況が分かる。いつもながらATUの根本には同軸及び制御線を含めて協力なCMFを挿入し、ATUと給電側のコモン系絶縁度を高めている。この種のアンテナは、コールド側(接地側)のRF分布が気になるところであるが、TVIは非常に良好で全チャンネルで確認する事ができない。現在1.9〜28MHz、144〜430MHzの運用が可能である。

Jun 9. 2007 深夜の電話と福井で初の炊き込みご飯            
6月9日(土)午前4時20分に携帯電話がなった。静岡のカミサンからで、近隣の電柱(?)に落雷があり上隣(50m以上離れている)のお宅に雷が侵入し壁から煙が上がり消防車が来ている旨の内容だった。自宅も同じ配電線ルート上にあるので心配だったが、配電盤のNFBのうち2個が漏電(中部電力弁)していて投入できないらしい。夜が明けるのを待って知人の電気屋さんに調査を依頼した。随分と時間が掛かったようだが原因は無線設備にあった。強力なアース回路を設けているので商用ラインから大地への通路になってしまったようだ。取り敢えず負荷を全て外して対策し貰ったらしい。 ・・・という事は無線機のどれかが壊れている?。直接配電した200V系は大丈夫らしい。2個のNFBにぶら下がった機器全てで可能性がある・・・余計な仕事が出来てしまったが、怪我人など出なくて幸いだった。
写真右下は独身生活になると必ず作る炊き込みご飯(昼食)。福井に来て最初のモノ。ありものの具(油揚げ・ツナ缶・おろしショウガ・醤油etc)を放り込んで御飯と混ぜて炊くだけ。上はレタス&ハムサラダ。左下はヨーグルト。炊き込みご飯は時間と共に味わいも深くなり、惣菜を替えれば一日中楽しめる。・・・この日の福井は大雨と雷だった。

Jun 7. 2007 福井での生活始る            
6月4日12時過ぎ福井に到着した。挨拶回りもそこそこに、不動産屋さんからアパートの鍵を受け取り16時に荷物を引き取った。この日の福井は暑く、エレベータ無しで4Fまで荷物を上げて貰うのが忍びない位だった。発送時から感じていたのだが、この運送屋さんは荷物の個数をカウントする習慣が無いらしい。だからモノが無くなっても何も分からない。積み替えはしないならまぁ良いかと思っていたが、到着したトラックは別物で尋ねると静岡で積み替えたらしい。おっと・・・であるが、まぁ全て無事届いたと思われるので黙っていた。全てを運び込むのにおよそ1時間を要した。
早々に電灯を取り付け暗くなるのに備えた。またADSLモデムやPCを設置しネットワーク環境も整えた。写真は口は空けたが、まだ片付いていない段ボール箱。部屋数が多いので平積みが出来るため大分作業は楽である。静岡の1Kアパートは荷物を作るとどんどん部屋が狭くなり居場所がなくなったが、ここではそれが無い。ところで、実はガスコンロを容易するのを失念してしまった。現在お湯は炊飯器で沸かす状態で殆どキャンプだ。週末は荷物の整理とガスコンロ物色、無線アンテナやATUの設置もあり忙しくなりそうだ。

Jun 2. 2007 引越し荷物発送・・・ローカルとアイボール(送別会)            
転勤の挨拶メールをローカル局に送り、冗談半分で「一杯やれたらなぁ!」と結んだ。そしたら台湾出張中のJA2XCR丸尾氏からローマ字の返事が届き「週末なら静岡まで行ける!」旨の返信が届いた。日本語を打てるPCが無かったらしい。また仕事でお世話になっているJA2AGP矢澤氏とも一杯やる機会がとれずに1年以上経過してしまった。さらに先月初めてお会いしたJA2FGL生熊氏は早い段階で送別会を打診して来られていた。と言う事で「一緒にまとめてしまえ!」と静岡浅間通りの「居酒屋・菜八(なっぱ)」に集まった。
写真はもう既に大分アルコールが入った状態(何故か酔っているのは私だけの様に見える)で、菜八のマスターにシャッターを切ってもらったもの。さすが皆さんHam、自然と無線談義で盛り上がり、あっという間に4時間が過ぎた。丸尾氏からMRF429x2アンプユニット・VVC・テフロンチムニィ等の持込があり話に拍車が掛かった。またデジタル放送機HPAのIMDはアマチュアSSB機の比ではない、AMラジオは電界受信と磁界受信の狭間が難しいと生熊氏。ビンテージな真空管ラジオとプリセレクターの重要性の話はやっぱり矢澤氏。皆さん楽しい時間を有難うございました。この日は14時に引越し荷物を発送した。