JH2CLV's Topics & Memorandam
June 2012

Jun 30. 2012  甘夏の収穫ようやく終る
最近は週末の出来事をまとめるのが習慣になってしまった感がある。毎日変化がないと言うより、疲れてそれどころじゃないのか、日々の生活に埋没しているのか、理由を考えたりすることがある。結論は出ないがまぁ年の割に忙しく動き回っているのは事実のようだ。今週末は何とか甘夏の収穫をTheEndにしようとカミサンと西の谷津へ赴いた。カミサンは平日も通っていたから、何回通ったと尋ねられると返事に困る…数では負けるから。そんな会話もあったりしたが、本日昼食を挟み何とか全てを摘み取った。最後はずっと手を着けなかったサンフルーツを収穫し、その後ポツンポツンと残った後拾いに回った。合間に食べる甘夏は、この時期になるとどれを食べても驚く程美味しい。これらは叔母さんにお願いしている無人販売やOrangeVillageユーザーへと流れて行く。喜んで貰える人がいると思うと、また来年も続けようと励みになる。 夜は戦前から続く旧隣組の月一回の寄合。報徳訓の読み合わせの儀式の後は、アルコールが入り世間話等の情報交換に24時近くまで時間が流れる。そこで先輩が発せられた「口坂本温泉は良かった!」の一声がきっかけになり、雨になるだろう明日日曜日の行き先が決まった。久し振りの親孝行だ。

Jun 23-24. 2012  週末の備忘録・・・色々あって忘れそう
23日土曜日、カミサンが所要で外出と思ったのも束の間、朝から台風4号で倒れたミカンの老木の処理、大道沿いのマキノ木の剪定、ツツジの刈込、甘夏の収穫、そしてお通夜…一日中何かをして過ごす。それにしても色々なことが有るものだと感心する。懸案のTL-922の実験には中々漕ぎ着けない。
24日日曜日は朝甘夏の発送、そして昼食を挟み西の谷津で甘夏の収穫(オンマウス)。しかし、収穫は捗らず未だ大分残っている。今週末には終わらせたいと意気込んでいたが未だ暫くかかりそうだ。カミサン+ウィークエンドファーマーの世界だからこんなものか。親父が余計なリクエストさえしてこなければ捗るのだが…世の中中々難しい。
そう言えばミツバチの餌を溜める一斗缶用のジョウロの出口がヒビ割れでNG。前日の作業で、餌の砂糖水がボタボタと流れ落ちていたが、それに???のオヤジ。ステンレス製で専用のフラックスを流しロウ付けを施したのが24日の朝。こういうモノの修理が何でも屋の自分にしょっちゅう回ってくる(写真)。 それでも仕事のD-Subケーブル作成に合わせてTL-922の入力LPFの試作を晩飯後に行ったりして、辛うじてラジオエレクトロニクスを維持している今日この頃だ。

Jun 22. 2012  久々に訪ねる名古屋大須
6月22日所要で名古屋へ向かう。浜松駅に停車した折、降車を急ぐ御仁が私の眼鏡を何かで引っ掛けた。メガへは飛ばされ通路へ。とっさに眼鏡を拾い上げ通り過ぎた御仁を追い声を掛けるが伝わらない。後続のお客は怪訝そうな顔で私を見つめる。時間がなくそのままになってしまったが実に後味が悪い。眼鏡は無事だし怪我した訳じゃないからまぁイイかと自分を慰め平静を装う。しかし内心は面白くない。 さて所要の前に久し振りに大須を尋ねた。そういやDC100Vリレーが欲しいなぁとか、TL-922で200Vタイマリレーがあると便利だなぁとか思い付き、アメ横を尋ねた。ボントンラジオとタケヤ電子を回ったがDC100Vリレーは見つからない。怪しい東北弁を操るタケヤ電子の親父に「絶対に有ると思ってたのに」と告げると、「最近は殆ど無い、DC200Vを巻きほどせ」と言われる始末。しゃくなので帰りにボントンラジオで200V/7Ax2の3秒タイマリレーをゲット。それからDKSのオヤジさん、77になったそうだが元気だった。アメ横黎明期からの皆さんが元気でおられるのは嬉しい。所要後18時過ぎから懇親会。22時頃解散し新幹線で帰路に。この時間じゃカミサンに申し訳なく、明日は休日だからと職場で横になり朝帰り。写真は大須万松寺通り入口。

Jun 19-20. 2012  台風4号の通過
台風4号は強風と多量の雨を当地にももたらした。19日の我が家は20時半頃から停電し、翌朝5時過ぎに腹電するまでローソクと懐中電灯の生活が続いた。電話は光電話で商用電源を使っているため全くダメ。たまたまPCing中だったが、PCはバッテリでバックアップされたがネットワーク環境は即ダウン。IT環境は全く役立たず、携帯電話だけ使える状況だった。 仏壇の引き出しからローソクを取り出してきて灯す。期せずして職場から留守電が転送され、そのうち携帯にもпB風雨の行き去るのを待ち、体制を整えて深夜の出社。山切川を右にして下ると停電のためもう何十年振りかで見る闇夜の世界…真っ暗だ。草ヶ谷辺りまで出ると街灯に光。極ローカルの停電だったんだと呟く。殆ど徹夜の作業で、一区切りついた晩に帰宅するとバッタンキューだった。 台風による家周りの被害は、ミカンの木の倒壊が数件、貯蔵庫の雨とい外れ、被害とは言えないがアンテナロータがEuからUSA向きになった等があった。また、昨年9月のあの台風15号で出来たがけ崩れが拡大するなどの影響が出ている。
写真は倒れたミカンの木の株へ這い上がった害虫ゴマダラカミキリ。後処理で入れたチェンソーの振動に驚いた模様。

Jun 16-17. 2012  週末の諸々
雨の渋谷を出て品川から9時4分のこだまで静岡へ戻り、車で帰宅するともうお昼。お寺の護持会の雑務や家周りの作業で一日があっという間に終わる。 17日、未明に豪雨となったが、朝までに雨は上がる。7時前に起床すると既に気温25℃。午前中に舞台でカミサンがサツマイモのつるを植える。その近くで畑をならし、落花生とトマトのうねを作り苗を植える。奥にタワーとアンテナ、そして遠方に高速道路。落花生越しに写真撮影。カミサンはマキの枝葉を切ってきてサツマイモのうねに差し日陰を作る。その際マキの木の中に鳥の巣を発見。ヒナが居たらしいが・・・果たしてどうなるか。もしその様子を親鳥が見ていたら巣のヒナや卵を潰してしまうかも知れない。などとのんびりした暮らしでも自然のルールを教えられる事がある。この日は父の日。先月米寿を迎えた親父を連れ出し、新東名の駿河湾沼津SAを訪ねた。ここの海鮮丼で昼食をとるためだ。人と車の多さに困惑したが、何とか遠方の未舗装の駐車場に車を止めSAまで歩く。テーブルが開くのを待つ一方、カミサンは注文に走り、比較的能率よく昼食にありつけた。こういう場所って図々しい奴や声のでかい奴が幅を利かせ田舎もんは苦手だ。予想以上の味に大満足だった。

Jun 15. 2012  久し振りの秋葉原と渋谷
15日、17年前に他界した同期入社の友人を偲ぶ会が渋谷で行われた。仕事を速めに切り上げて上京。当初はお墓のある横浜を訪ねる予定だったが、切り上げるタイミングを誤り果たせなかった。復路も静岡で所用が待っているため今回は見送った。さて偲ぶ会。予定の19時より早く会場入りすると、全国から三々五々集まる懐かしい諸先輩の顔々、そして久し振りに対面する夫人。故人のひととなりを肴に冷酒を随分頂き絶好調に・・・気付くと22時過ぎで終焉。別れのご挨拶をして散ったが、会場入り口は既に閉鎖、裏口を探して何とか渋谷の街へ出た。10年前はこの界隈で生活していたのだが随分忘れている。歩きながら「仲間って良いなぁ・・・」とつぶやく。楽しい時間を過ごさせて頂き、皆さんに感謝だ。 日帰りしようと目論んでいたが、品川までの時間を考えると終電に間に合わない。止む無く渋谷界隈を歩き回り宿舎を探す。こんな時間にチェックインして高額の宿代を払うのはバカバカしいと、道玄坂のカプセルホテルに宿をとった。
写真は18時半頃の渋谷駅ハチ公前からのスナップ・・・相変わらずの賑いだ。オンマウスは往路の秋葉原でゲットした品々。格安のLED電球(トモカ)・USB変換(千石電商)、そして高圧セラミック(斉藤電気)。

Jun 13. 2012  再びオールドPCのSSD化に挑戦
友人T氏から不要になったPCグッズが届いた。不要部品のつもりでいたが荷物を開けてびっくり。DVDやOSと共に、何とNECのノートLaVieがオマケについていた。視点は一機にこのLaVieに移ったことは言うまでもない。でも電源を入れるとやはりHDD、それなりのノロノロPCだ。CPUを見るとSSD化して成果を上げたHPのNX6110と同等だ。またUSBポートが3つあり、SDカードを読めたり、WL-Lan組込み済みと周辺機能では勝っている。それではと同じIDE/SSDを投入しSSD化を図った。ところがコピーツールで作業を始めると中々終わらない。晩に始めたのに翌朝になっても50%程度。事情も分からずリセットし再スタートしても超ノロノロに変化なし。結局完了まで17時間を要した。それでもSSDのおかげで快適になった。T氏愛用のソフトは失礼ながら削除し自分の環境を作り上げた。これなら最初からクリーンインストールした方が良かったかも知れない。ことのついでに、2002年1月から使っているPentiumV/1GHz機も同様にSSD投入。ISAバスのPC-VFOのために確保しているPCだ。ところがこちらは途中で読み出しNG。幾度やっても同じなので結局クリーンインストール。またしてもSSD化に時間を取られてしまい苦笑している。

Jun 9-10. 2012  週末の備忘録
週末は相変わらずの家業支援。9日朝一番、蜂蜜容器のラベル貼りに始まり、前日カミサンが切って来た川野甘夏を箱詰め。既に切ってあった駿河甘夏の汚れた小玉は、痛まない程度のジェット噴射水を与え洗浄。駿河甘夏はもう最後だが、小玉でも良いから欲しいと言う声にはそれで応える。土曜日は朝から雨で丁度都合が良かった。遠方へは宅配便の引き取りで発送、近隣へは車に積んで宅配する。商売には程遠いが、まとめてJA出荷するのと違い、お客様の顔が見えて楽しい。喜ばれ「来年も頼む」と言われると、放置状態の無農薬ミカン山も、少しは手を入れなきゃねとカミサンと笑う。
翌10日は午前中から親戚の四十九日法要で押切の江月寺を訪ねる。本堂の窓は全開、おまけに大型の扇風機が回っている。嫌な予感がしたが、お経が始まると段々と背中が寒くなる。扇風機を止めて頂き、背中方面の窓を閉じたが既に後の祭り。体が冷えどうやら熱が出てきたようで力が出ない。マズイと思ったがそのまま納骨や昼食の宴を済ませて帰宅するとフラフラ。体温は38℃だった。そのままベッドインして解熱と体力回復に専念することになった。またカミサンや親父に笑われて悔しく、後味の悪い週末だった。

Jun 2-3. 2012  地区の美化運動と袋井の田圃を訪ねる
今年も6月。妙な天気が続いている。時は確実に経過し人生の後半を歩んでいる。と思うのは、米寿を祝った親父と話をするとき。カミサンが所要で不在の2日、昼食にアジを焼き親父と突いた。箸の使い方を覗き困ってはいないかと様子を見たり、故意に意見を述べ怒らせたりして反応を見るのが最近の習慣。でも良く食べ飲み喋り、体重が80Kgあることを除けばまずまずの健康状態だ。 さて昼飯時、昭和42年から62年までコメを作っていた袋井の田圃の話になった。親父達が20年も通った場所だ。当時は平地を求めて県西部へ農地を求めるのが流行だった。一度も行ったことがなかったが場所だけは見ておきたかった。それで、行ってみるか?と口にすると二つ返事。新東名を西走し掛川森ICで下り、県道でR1に近い目的地へ出る。遠くに東名からも見えるシンドラーの施設。四半世紀振りに尋ねる親父のガイドは大分怪しかったが、赤い擬宝珠の橋が決め手になり場所が判明。そこには親父達が掛けた橋の鉄骨が未だに残っていた。親戚と協同で始めた田圃だったが、叔父さん達は皆他界されている。写真は川越しに田圃を臨み当時を偲ぶ親父。足元にHana。オンマウスは翌3日に行われた地区の土手草刈り後のスナップ・・・良い雰囲気だ。