Mar 25. 2007 モチノキの切株掘り起こし・・・etc      
昨日から所用でカミサンが不在。出発前に用意してくれた料理を突いていたが段々と無くなって来て、自分で買い物に行ったり料理したりの週末になった。いつもこうした作業を続けているカミサンたちは本当に大変だなぁとやってみて分かる。しかしオヤジはこうした事情を知っているのか相変わらずのマイペースで自分の仕事に励んでいる。今日は午前中能登半島で震度6強の地震が発生しTVやラジオは大騒ぎが続いている。被災された方々は大変は一日になったと想像している。ご苦労様である。
写真は家の庭先にあったモチノキの根株を撤去している様子。元々は1960年代の終わり頃、オヤジが雑木林から持ち帰り近所の手を借りて植えたのが始まりだった。野生だったのに良く育ち、屋根に上るときは「梯子要らず」で重宝していた。ところが、建物との距離が十分ではなかったため、建物の基礎を持ち上げる状況になってきた。それで昨年思い切って切断したのだ。ところが周辺を掘り起こしてみると未だ根が生きている!・・・と言うことで、この日は地中に張った根をチェンソーで切り落とす作業を行った。ただし時間切れで株の撤去までには至らなかった・・・それにしても重労働である。

Mar 19. 2007 文豪ミニ7GXとの別れ            
1987年に購入した我が家初のIT器機(OA器機)NEC文豪ミニ7GXと別れる事になった。手狭だった自宅スペースの改善を果たすためだが、物持ちの良さも手伝い中々思い切れなかった。何しろ最初のワープロ思い入れがある。RS-232Cポートや各種ソフトが付属し、本体のみで相応の環境を提供してくれた。当時のパソコン界はPC-9801全盛の時代。本体とディスプレイだけで\30万もした。ところがこのミニ7GXは定価\19万8千だが買値は\13万程度だった。しかもCPUはV25/NECが使われ、ディスプレイが白黒と言う以外は初期のPC-9801とほぼ同等だった。これで同僚達を大量購入に誘ったものだった。自宅のミニ7GXは子供達の玩具になり上海ゲーム」や「お絵かきソフト」を楽しんだ。到着日にカミサンが子供達と一緒に書いたドキュメントが今も残っており懐かしい。その子供達も既に成人、20年と言う歳月を感じる。またIT産業の隆盛は予想も出来なかった。 このミニ7GXは、以前から文豪ワープロで親交のある香川県の御仁のもとへ本日旅立った・・・元気でやれよ。

Mar 16. 2007 今や製造中止の1S265            
東芝の1S260番代と言えば高電力(10W)ツェナーダイオードとして久しく君臨していた。3-500Z等のゼロバイアス管をGGで使うとき、そのままでプレートに3KVもをかけるとRF無入力時でも相当量のIpが流れ、それだけで数百ワットの損失となった。それで少しバイアスを与えIpを低目に抑えて無入力時の損失を抑えようと、陰極のリターン回路にツェナーダイオードを挿入するようになった。TL-922は当初より東芝の1S265(7.5V)を使用していたが、特有のトラブルでこの1S265が短絡する障害が多かった。ところが期せずしてこのシリーズが製造中止となり代替部品としてITT社のZX7.5が登場した。ところがZX7.5は目の玉が飛び出る位に高価で唖然とした。止む無く日本インターやNEC等の国産品を探したり、Siダイオードの順方向電圧降下(0.7V)を利用し10数個直列にしたり、1W程度のツェナーダイオードとパワーTrの組み合わせで対応したりする事で凌いでいた。
ところが有る所には有るもので、ネットオークションに多量の1S265を出展されている御仁がいた。恐る恐る入札すると即決で、送金するかしないかの内に現物が届いてしまった。写真は届いた1S265だが5本で\2000と破格であった。

Mar 14. 2007 2年振りの渋谷・・・8ヶ月振りの秋葉原            
所用で凡そ2年振りに渋谷に降りた。東京勤務中の5年前は毎日のこの辺りを歩いたので懐かしい。所用が終わった時は既に17時半、慌てて千代田線で秋葉原を目指した。目的ははっきりしていて「AC200V用プラグ・PC133メモリ・6mmネジ&ワッシャ」。静岡の有名店ではこうしたモノが揃わず情けない。プラグはラジオストアで2個ゲット。自作アンプやTL-922に使用する。しかしメモリはTRDのメモリ専門店を訪ねたが、最近はDDRが主流になり、価格の高いPC133は需要も無く置かなくなったらしい。断念しネット購入する事にした。ネジは毎度お馴染みの西川電子で、50mm長の6mmネジとワッシャ類を購入。目的を果たし渋谷に戻ると既に真っ暗。久しぶりに逢う同僚達と歓談し21時半帰路に就き最終の静岡行き「こだま」に乗った。静岡着は23時半だった。久々の渋谷は相変わらず休む事を知らない御祭り状態だった。もう少しゆっくり周りを見ながら歩けないのかと思いたくなる。秋葉も行く度にエレクトロニクスを感じなくなっている。電子立国は何処へ行くのだろうか・・・。
写真は12時頃、JR渋谷駅ハチ公前から道玄坂方面。オンマウスは秋葉でゲットした200V/20Aプラグとネジ。

Mar 10-11. 2007 苗木(はるみ)の植え付け・・・ロダン展            
先週ミカンの古株を掘り起こし土に肥料を混ぜて苗木を植える準備を整えていた。昨日9日、オヤジの指導の下カミサンと三男が18本の「はるみ」の苗木を植えた。そして本日10日朝、植えた苗木の根に水をかけた。写真はその様子。薬剤散布用のタンク(1000リットル)と発動機付ポンプを軽トラに積み、共同の水場から800リットル程の水を貰い畑にかけた。天気は快晴で空気も乾いており、当面は雨など来ないと思っていたが夜から雨になり翌朝まで相当量が降った。行いが善過ぎるとこうなるのだ!。
11日は雨が残り午前中ははっきりしない天気だったが午後は快晴となった。県立美術館には「ロダン館」があるが、それとは別に「ロダン展」が開催されていると言う事で家族で尋ねてみた。「ロダン展」はやや難解な部分もあったが「ロダン館」は見事である。ロダン自身の作風もさることながら、それを支える鋳造技術の素晴らしさに驚かされる。その技法の解説が壁のパネルにあったが、これこそ今回の訪問最大の収穫であった。「地獄の門」などどのようにして鋳造したのか?よくもあそこまで青銅が廻るものだ!と・・・。
オンマウスは県立美術館ロダン館にあるロダンの「地獄の門」。

Mar 3-4. 2007 今年ももう三月・・・EMEエコーテスト再び                        
この間正月を迎えたと思ったらもう3月だ。例年になく暖かな冬は結局そのままに春を迎える状況になるのだろうか。毎度気まぐれで農作業が始るが、3日は午前中家の前の畑にテイラー(小型耕耘機)をかけたついでにミカン畑にもかけ土をおこした。途中で止めるタイミングを逸し、結局一日中テイラーで土と戯れていた。それでも鍬で耕そうと思ったら大変な作業だからテイラー様々である。これで肥料や水の吸収も良くなり収穫に結び付くか楽しみである・・・。
4日は朝から犬の散歩とポンカンの腐り廃棄のために、帰省中の三男と大峰に上った。帰りは遠回りをして茂畑に下りてみた。そしたら偶然にも先のミニ同窓会で会った友人のHS君とばったり。車窓越しに三男の紹介や世間話をしたあと、農免道路で裏山を超え実家に戻った。穏やかな日曜の朝だった。その後向山のモノラックの燃料詰まりをオジサンと直したりで午前が過ぎ、午後は写真の「睡眠時無呼吸症候群」のセミナー(静岡第一ホテル)をカミサンと一緒に聞きに行った。用意した椅子が足らなくなる程の盛況だった。自分より深刻な症状の方が大勢いらっしゃる事が判った。2時間の聴講で途中睡魔に襲われるのは、やっぱりその傾向があると言う事なのだろうか。
先月4日にトライして見事に失敗したEMEのエコーテストに再びチャレンジした。実は今回も大した違いは無いので、いわゆる振幅表現のCWではダメだろうと内心は「ダメモト」の気分だった。その結果は今回も「案の定」で見事に不感だった。EMEのベテラン諸氏から見れば笑われそうだが、限られた時間を割いて出来る実験は、今のところこの程度と言うアクティブティの低さである。 前回と変わったところを記すと、アンテナが13エレメントに、トランシーバーがIC-910Dに変更している。またリニアアンプは前回と同じGU-74Bでアンテナまでの給電線も同様に約7m/5D-2Wを使用した。写真はシャックの様子でパワー計はDRAKEのWV-4。オンマウスは3日20時42分のアンテナと月の位置関係。 アンテナ仮設は随分とアバウトなやり方で、脚立で八木アンテナを支えているだけのシロモノ。脚立はアルミ製だから同然ビームパターンに影響を与えていると思われるが、現状ではこれしか方法が無いのでゴメンなさいである。
と言うことで普通のCWはそろそろ止めにしてWSJTで試してみようかと思っている。実はPCにはソフトをインストール済みで、後は時間とやる気の問題だけだ。・・・あぁエコーを聞けるのは何時の日か。