JH2CLV's Topics & Memorandam
March 2015

Mar 28-29 休日出勤の週末…16年間御苦労さまのHキャスター
前日の27日の晩は、旧隣組で毎月営まれる報徳の寄り合い(甲子さん)が上の家であり、22時過ぎ酔い酔いの帰宅。そのアルコールが抜け切らぬ翌28日の朝、休日出勤で7時過ぎには家を出た。某局事務所のイントラネットで、HUBとLANケーブルの全数交換の要請があり終日格闘した。レイアウト変更にLAN環境の変更が追随しておらず、フロア通路のマットからケーブルがいきなり生えていて、それを通行人が踏み付けるなど最悪。こうした場所が複数あり思わず「よくもまぁ!」と呟く。また余長のLANケーブルが机下にトグロを巻き、その上に誇りまみれ状態でHUBが放ってあり絶句。16時半頃までにこの日の作業は完了、依頼側も施工側も見違える様になった環境に満足。折しもこの日はアナログ時代から16年間務められたHキャスターの最後のお勤めの日。労いの言葉を掛けると、数々の思い出が脳裏を走った。お元気で!。
帰宅すると早々にHDレコーダを立ち上げ、H氏最後のTVの仕事「645」を同録。そして本当に最後のお仕事、19時台のラジオニュースの同録 のためR-390AとPC(SoundEngine)を用意して待つが、土曜で平日とオンエア時間が違うことを忘れ収録失念。何てこったぁ…!。写真は2008年5月2日のオンエア「たっぷり静岡」。
29日はウィークエンドファーマーと化すが、15時頃から21時頃まで出勤し年度末の事務処理に励む。どうにもならない忙しさだ。オンマウスは29日朝、忘れ物を取りに行った葵区瀬名の「花みずき」。手前の弁天池湖岸の桜は満開に近い…もう春だ!。

Mar 21-22 春彼岸…週末の諸々
写真中央はicomのRC-28。主にコントロールソフトRS-BA1の周波数を動かすスクローラーだ。PCへはRC-28用USBケーブルと、MicとReceiver用Audioケーブルが繋がるのだが、煩雑なのでUSBケーブル1本にまとめてみた。Auido関係は左のSouneBLASTERのUSBアダプタを利用。USB-HUBでRC-28とSouneBLASTERへ信号分配。22日、運用テストを行ったが実に快適だ。RC-28を箱に入れグースネックでMicを延ばし、Jackも付けて差せば外部Micに切り替わるようにする。箱の中に全てを収め、PCへの接続はUSBケーブル1本に…運用性改善の構想が出来上がった。更にAudioToneをKeyingして混合すれば、CWのKeyingも可能になる。やり出すと色々なアイデアが湧いてくる。
オンマウスは昨春、耕作放棄地を耕して植えた青島(1年生苗)を、田んぼのミカン畑に作った苗床へ移植した様子。暫くここで競争させて復活させ田んぼの空スペースへ移植する予定。想像はしていたが、耕作放棄地に残った雑草や雑木の根っこの勢力はタダものではなかった。それらによる侵食が激しく、半数以上で成長が止まってしまった。そこへは元気な太田ポンカンの3年生を移植し、苗の復活を待って田んぼでリベンジだ。

Mar 18 孫たちがやってきた…御前崎往復の週
18日、長男一家が日帰りで帰省。トミカの「プラレール」でご自慢の新幹線を並べていた孫が、ひょんなことで「Nゲージ」…と呟いた。それで、思い付いた様に離れの2Fへ駆けのぼり、1986年に購入したTOMIXのNゲージのベーシックセット3を取り出してきた。丁度長男が孫と同じ年の頃に半分自分の趣味で買った物だ。何十年振りかでレールをつなぎ駅舎などの小道具を畳の上にセット。EF66電気機関車と客車のブルートレインをレールに乗せる。そして恐る恐る給電。心配だったが一発で動き出し、それを見た孫は目をシロクロ!。暫くすると何処で覚えたのか「ディーゼル」と言い出し、確か最後に見た記憶のあるコンテナ倉庫の段ボール箱を探すとあった。まぎれもないディーゼル機関車DD52。そして各種貨物車…殆ど鉄道模型少年だった。次から次へ繰り出す品々に眠気も忘れる孫だった。
写真は、はいつくばってNゲージの走りをじっと見つめる孫の大芽。当時の子供たちの顔がそれにダブってくる…懐かしい。後方はその両親と妹いづみ。 今週は御前崎海岸で仕事があり連日の早朝出勤。オンマウスは風雨の19日、夕刻17時半頃雲が切れて夕陽と青空をみせた御前崎灯台上空。しかし晴天を期待した翌20日は朝から雨。5日間通った内の3日が雨で、カッパと長靴必須の現場となった。

Mar 14-15 週末の諸々と思い掛けない交信
週末は相変わらずのウィークエンドファーマー。14日、はるみとスルガエレガントの発送、ミカンの剪定で出た枝葉を大峰の檜林へ軽トラ6台分廃棄。午前中お寺で春の施餓鬼の15日午後、伊野の青島の草刈と田んぼへの移植。耕作放棄地への1年生植樹にトライして1年経過したが、成長が思わしくなく、田んぼの苗床で暫く競争させることにした。伊野はポンカンで埋め尽くすことに計画変更。
夕食前にRemoteで7MHzでJA2KRV竹内氏へBKすると、何と相手はJA2QXY/1モービル川村氏。仙台からの帰路らしく宇都宮辺りを走行中。川村氏から、JR7AAH大場氏とアイボールしたとQSP。すると何と、彼は電話で大場氏を呼び出しオンエア要請。早々に大場氏が出て来られ仰天。GU-74B/144MHzアンプ製作で何度もメール交換したが、交信は全く1stだった。そして川崎単身赴任時代の1998年、GU-74Bを私に紹介してくれたのがその川村氏だった。何かアマチュア無線の素晴らしいところを瞬時に体験した様で嬉しくなった。人との関係って偶然の繋がりかも知れない…最近講釈っぽいカミサンもこれには同感の模様。写真はJR7AAHから届いたGU-74B/144MHzアンプのHPA内部写真。U-ShapedラインとショートリングTuneを追試して頂いた。オンマウスは保福寺の施餓鬼の様子。

Mar 9 どうした4車線化のR1静清バイパス!
写真は3月9日8時17分、千代田ICから唐瀬IC方面を見た様子。この渋滞が千代田IC手前から続いている。静止画では分かり辛いが、追越し車線は何とか流れているものの、唐瀬ICで下りる車がつながる走行車線は止まったり動いたり状態だった。おかげでこの日は1時間弱の通勤時間となり、4車線化になる前より悪い状態だった。
ちょっと考察すると、バイパスの通行が快適になったため交通量が増え、ICで多量の車が下道へ流れ込むと最初の信号機が処理し切れなくなり、下りるところから大渋滞が始まる。信号機の時間調整を図れば、下りる車をもっと効率よくさばくことができる筈。直行する路線からの侵入車両は少ないので、改善の余地は十分にある。
オンマウスは3月4日7時50分頃の鳥坂ICの様子。2月までは2車線から1車線になる難所だった。左側の車線からの割り込みや、下りる車の渋滞、そして長崎ICからの進入車両で、この辺りを通過するには通常なら1〜2分のところが、20〜30分も要した。
快適になった様に見える静清バイパスだが、下道との連携を考慮した信号操作を行わないと、運搬効率の向上にはつながらないだろうと感じた一日だった。警察殿の調整力に期待したい。

Mar 7-8 サムウエイ社30周年式典…駿河エレガント収穫etc
7日、サムウエイ社30周年記念式典が富士市のホワイトパレスでありお招き頂く。同社事業のほんの一部しか関係していなかったので、多くの皆さんの参列を見て仰天。30年間には山や谷があったのは当然と推測するが、「出来ないかも知れないが先ずはやってみる」精神は一貫しており素晴らしい。2次会までお付き合いさせて頂き、多くの皆さんと交友を深めることができた。
やや酔いが残る8日、午前中はるみの中玉以下の撰果と発送。午後は家の近くの畑(舞台)で甘夏の収穫。ここは亡父が5年程前に、駿河甘夏(駿河エレガント)を植えたいと言い出した友人(故人)からの借地。雑木や葦の茂る荒れ地を、親父の指揮で家族が耕し畑に復活させたもの。5年を過ぎてようやく出荷できるレベルになった。一作日カミサンが収穫した荷が畑に集積してありり。それを含めて500Kg超の荷となった。これ、途中まで小道を人手で運び、そこから台車で家の前の軽トラまで運ぶ仕掛けだが、1人でやると相応の力仕事だ。親父はこの様子を見たかったに違いない。 写真は舞台から見下ろす小川と小道に満開の河津桜。中央に見えるお墓の脇まで人手で運んだ。オンマウスはスルガ甘夏のアップ。山の段々畑より成長が早い。

-Mar 3 連日の下田通いも終了
写真は3月3日5時36分、新東名新清水IC付近から日の出前の富士を望んだスナップ。天気快晴、自宅を発つときの気温は3℃だった。ここ数日、夜明けが早くなり春の到来を感じる。新富士ICを通過する5時50分頃には、辺りはすっかり明るくなっている。 下田爪木崎通いの所用もこの日が最終日。1日は雨に遭遇し全く作業が出来なかったが、2日の好天で持ち返し、本日午後完了に漕ぎ着けた。
奇しくも河津桜祭りの最中で、平日にも関わらず連日R414やR316の随所で渋滞。飛ばせば2時間半の早朝の往路も、帰路については連日3時間半とか4時間もかかってしまった。
実は昨日まで使っていた会社のジムニーが、先客があって使えないためマイカーで往復。これ幸いと無線機を生かしながら51MHz/FMや7MHz/SSBを聞きながらの道中となった。また始業前の爪木崎では7MHz/SSBで複数局と交信に成功。気を良くして10Mz/CWでCQ局を呼ぶが全く応答がないばかりか再びCQ・・・一体何故?。
往路は沼津辺りからお馴染み局JA2AYHと新東名の伝搬テストを兼ねた交信を実施。やっぱり山手を走る新東名は、平地や沿岸を通る東名の伝搬環境に遠く及ばない。オンマウスは最後の爪木崎。

Feb 28- 相変わらずの自転車操業・・・連日の下田往復
27日の晩、恒例の報徳の寄合が当家の当番。儀式の後、懇親会が22時まで続く。明日から下田爪木崎で所用があるから早めに休もうとしたがしたが、カミサンとその日の反省会。床に就いたのは23時。
28日、5時前に起き諸々準備をするがあっという間に時間が経過。自宅発は5時40分だった。 清水いはらICから新東名を飛ばし、長泉ICから伊豆縦貫道、そして伊豆中央道を下り大仁南ICからR136に出る。修善寺からR414に分かれ湯ヶ島・河津経由で8時過ぎ下田へ入る。
好天に恵まれ所用は順調に進んだ。ところが帰路、河津桜祭りの渋滞に遭遇。2時間半程度だった往路だが、復路は何と4時間を要すことになった。河津から天城湯ヶ島までのR414が断続的な渋滞だった。おまけに修善寺道の料金所は、2つあるゲートを1つしか空けていないため渋滞に拍車を掛けていた。
所用は3月4日までの予定だが、訳あって毎日日帰りとなっている。ちなみに3月1日、8時に現地へ赴くと雨で作業中止。時間があるので、帰路は婆沙羅を経由して松崎へ出てR136で土肥から船原へ出る。すると午前中なのに結構な渋滞に驚く。所用時間は約3時間。
写真は爪木崎の九十九浜、オンマウスは爪木崎公園入り口。