私のラジオライフの出発点がこの店にある。ご主人のことを我々は「ユニオンのオジサン」と呼んでいる。オジサンこと深沢さんはJA2DKのコールを持つ現役ハムで、アマチュア無線黎明期から活躍されている。我々の良き先輩であり指導者である。清水の多くのアマチュアやハンドメーカーが、少年時代からこの店にお世話になっている。 小学校5年の時、初めてゲルマニュームラジオを作ったときの部品、すなわちTRIOの並四コイル、NECのゲルマニュームダイオード(SD-46)、アルプスのVC(B-15)はこのユニオンムセンから購入した物である。それ以来40年経つがオジサン(オバサンも)が元気でいて、同じ場所に店があるのが嬉しい。子供の頃は少ない小遣いを手に、家から自転車で一日に何度も往復した事を思い出す。 写真は2005年4月18日に立ち寄った時に撮影。M-Pコネクタを買うために立ち寄ったのだが、店先で1時間も話し込んでしまった。電子部品全般の販売とクラニシやダイワの販売店をつとめる。 |
名古屋に転勤し結婚した1981年頃、近くにHamShopはないかなぁと電話帳を探したら、名古屋市東区大曽根に平丸ムセンがあった。高々1km程度の距離という事もあり、それ以来ずっとお付き合いが続いている。測定器やハシゴをお借りしたり、中古無線機を下取ってもらったりと無理なお願いばかり続いている。 写真は2003年5月25日、GU-74B/144MHzアンプを持ち込み測定器とエキサイタをお借りしてテストしている様子。テスト中にお店のNFBを何度も飛ばしたり、最後は内部のドアノブコンを破裂させた。その爆音にお客さんが一斉に振り向いたり・・・随分迷惑だったと思う。しかしこうしたご無理を聞いて頂ける所が他にあるだろうか。大変貴重なお店である。 |
名古屋市大須の第一アメ横ビルが出来たときから続くジャンク店。ジャンク店と言っても殆どが使われなかった中古部品なので、新品といっても良いだろう。横浜にあって既に店をたたんでいるボントンラジオの身内の方が経営されている。私も困ったときは必ずここを尋ねて目的の部品を探すことにしている。名古屋へ転勤したときからのお付き合いなので既に四半世紀を経過した。 |
1970年代、静岡で無線とオーディオと言えばこの店だった。静岡市追手町の駿府城西側の堀前に店を構え、ご兄弟である社長や専務さんの陣頭指揮の下、従業員がハッパをかけられている姿を通勤時によく拝見した。1階が無線・パーツフロアで2回がオーディオフロアだった。最盛期にはラジオのCMやCQ誌にも広告を出していた。私は勤め出してからは部品をここで買う事が多くなった。松下電器の周波数直線VCなどは残っている物全てを買い込んでしまった。その後代が変わり同じ住所で店の規模を縮小していたが、現在はパーツショップイワサキとして静岡市安東(長谷通りから城北街道に入り約200m右側)に移転している。 2005年6月から静岡勤務となり通勤途中に「パーツショップイワサキ」が有り喜んだ。ずっとシャッターが降りたままになっている風に見えたが、7月24日ついに店を尋ねる事が出来た。写真はそのときの模様だが、何と今年8月いっぱいで店をたたむと聞きやや唖然。店では現在半額セールが続いており皆様の来店を待っている。現在の奥様とその昔の岩崎ラジオについて立ち話をした。あの社長さんや専務さんは既に他界されているとの事であった。 |
中学1年のとき、清水銀座の端の魚町にパーツセンターがあると友達の間で話題になり、日曜日に自転車を走らせた。生まれて初めて見るTRIOや八重洲のカタログが置いてあった。これがメーカー製のアマチュア無線機かぁ!と憧れと羨望だった。カタログには回路図まで印刷され、持ち帰ってから何回も読み返す事になった。これがメーカー製無線機器と闘う心を植え付けてくれた原点だったのかも知れない・・・これ位の事なら自分にも出来る!って。そのカタログは37年過ぎた今(2005年)でも実家で大切に保管している。 またここは、初めてテスターを買った店でもある。三和製だった。ロータリースイッチ式は中1の少年には高価で買えず、入手したのは半額\600のプラグイン方式だった。1970年後半に魚町から「さつき通り」に移り、家電や電気工事も取り扱っていたようだが知らないうちに無くなった・・・と思っていたら清水女子高(現国際高校)近くに移転していたようだが2004年頃閉店。2010年4月、袖師町の交番付近でSPCシステムエスピーシーとして営業中との情報を頂き、5月1日に訪ねたのが写真。民家を改造したパーツショップだ。ご主人の柴田氏とは四半世紀振りの思い掛けない再会だった。 |