名古屋の自宅とシャック&アンテナです



名古屋市守山区元郷の自宅(借家)です。
南側(建物の向こう側)に矢田川が流れています。
2000年8月15日に守山区大森から引っ越して来ました。



左はATUのSG-230とアンテナエレメント。ラジアルは支持マスト・フェンス・ガレージを流用。
GP-1000にステンレスワイヤーを通した逆Lエレメント。根本にアサガオが巻きついている。
右は食卓の隅に設置されたFT-840と電源、ちと寂しい・・・高圧送電線からの被りもありDXingはお預け状態。


2002年4月8日に帰宅したときの写真です。カミサンが育てている花たちです。庭の端には何と「ユキノシタ」と写真にはありませんが「ドクダミ」が生息していました。



2002年6月10日、川崎での4年間単身赴任を終え名古屋に帰ってきた。写真は午前9時に到着した荷物。開梱するだけで丸々一日掛かってしまった。「取りあえず」ダンボール箱から出した物が多く、完全に整理が終わるには未だかなりの日数が必要である。

その後整理をして6月16日写真のように落ち着いた。


2006年8月16日、子供達の成長に伴い名古屋の住まいは週末以外はカミサンだけの生活になりつつあった。
また親の高齢化もあり、思い切って名古屋の生活拠点を清水(実家)に移す事にした。
引越し準備は既に始まっていて、不要な大型ゴミの引き取りは既に済ませてあった。13日朝帰名するとその他荷物の梱包が始まっていて家の中はダンボール箱だらけだった。
元々物持ちの良い人達・・・昔の図画図工や拾ってきた岩石など思い入れがあって中々捨てられない。荷出しは16日朝だから未だ3日もあるとのん気に構えていたらもう前日。深夜にまで及ぶ騒ぎで何とかでっち上げ16日8時からの作業を迎えた。
大騒ぎして準備した荷物も、1時間半程度で3t車2台に積み込まれ10時に清水に向け出発。引き取り時間は13時半。我々も東名高速を走ると「富士IC-清水IC-静岡IC間で17Km渋滞」と案内にあった。大事を取り静岡ICから下道を走り13時前に実家に辿り着く。引越し屋さんは清水ICまで高速を走り、しかも日本平SAで昼食を取る余裕で13時過ぎに到着。
その後荷下ろしが始まり15時過ぎ完了。ただ開梱作業はこれからが正念場である。写真は8時過ぎから始まった荷出し。
この後8月30日に運び切れなかった荷物を持ち帰り、9月3日一般の荷物として運べないグラスファイバーポールを運び、名古屋の住まいを完全に閉じた。
名古屋市には1979年以来住民票を置いていたが、27年振りに故郷清水(静岡市)に移す事になった。


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