Nov 25. 2006 久しぶりのミカン切り            
当地のミカン生産量は最盛期の1/4とも1/5とも言われている。以前はこの季節になると、清水市街から庵原地区方面を見ると山々がオレンジ色に染まって見えたものだ。そして日を追うごとにオレンジ色の占める割合が減って行き、12月後半には無くなってしまう。ちょっとした社会勉強だが産業の中心にミカン栽培が久しく君臨していた。しかしそれは昭和50年代前半までの話。その後世の中の状況(政策や消費者の嗜好)が変わり、ミカン栽培を中心とした農家はそれだけでは食って行けず転作や転業を余儀なくされた。
その中で実家の親父は普通温州以外の品種(青島温州・太田ポンカン・夏カンetc)を取り入れながら、ミカン栽培を今でも続けている。
この日は朝8時頃から日が沈む3時半頃まで、「ちょっと早いんじゃない?」と言いつつ、貯蔵用に青島温州を親父・カミサン・叔父さん・私の4人で収穫。1年振りのミカン切りだが、小学校の頃から染み付いた感覚は今でも健在。オンマウスは片手切の妙技。左手で枝を引っ張ったり体を支え、右手だけでミカンを切る技法。これが出来るとミカン切りのバリエーションが広がり作業が楽しくなる。片手しか届かない場所のミカン切りもこれでOKだ。

Nov 23. 2006 冬支度・・・堀コタツの仕込み(今年から電気ヒーター)            
静岡は暖かいと言うのは市街地だけの話。背後に控え3000m級の山々が連なる南アルプスの稜線は既に真っ白。海岸筋から10キロも川を上れば市街地とは5〜6度も度気温が低い。子供の頃の冬はシモヤケで手足の指が膨らみ大変辛い思いをした。また水道がも良く凍り、凍った水溜りは子供達の遊び場だった。近年は温暖化で随分様子が変わったが、それでも「静岡市で初氷!」なんてニュースが流れた時は、当地では既に過去の事になっている。何しろ山間、この時季の日の出は8時半で、日の入りは15時半。早朝車に降りた露が走り出すと凍ってしまうほどだ。
前置きが長くなったが、静岡は暖かいと言うのは一部の話なのだ。それで12月が近づくと冬支度の一つとしてコタツを準備をする。昨年までは、炭による「掘りごたつ」だったが、火の取扱が面倒なのとやや危険を伴うため「電気ごたつ」に鞍替えする事にした。写真は1963年12月以来積もり積もった灰を掘り出している様子。すくい出す度に家の歴史が蘇ってくるようだった。
最後に電気ヒーターを中央に埋め込み完成。温まった空気は自然に上昇するので、思いの他暖かく省電力で使えそうだ。

Nov 18-19. 2006 遅れている引越し荷物の整理            
8月16日に引越し生活の拠点を実家に移したが、母親の入院や他界による諸々の事情により荷物の整理が滞っていた。何とか所期の生活空間を確保しようと、カミサンと荷物整理に精を出した。何とか形が整って来たのだが未だ位置を変えた程度の雰囲気が強い。本格的には物を捨てるところから始めなければいけない様相である。また子供達の持ち物に至っては、親以上のスペースをとっており先が思いやられる。まぁそれでも子供の分以外は大分片付いた気がする。
写真の中央左は天井裏部屋の掃除で出てきた昔のトランシーバー(HFオールバンドSSSB/CW)。シャックに降ろして来て、四半世紀振りに他のオールドリグと一緒に棚に並べた。このトランシーバーはオーナーが作った歴代の無線機の中で最も交信局数が多い。シャシ内部を覗くと、製作当時の苦労が鮮明に蘇ってくるから不思議だ。メーカー製のセットでは幾ら使い込んでもこうはならない。
左の黒いのはオーディオアンプ(ONKYO)とCDプレーヤー(SONY)で、下に見えるA-7(ALTEC)を鳴らしている。A-7は製造から既に30年以上も経つと言うのに非常にはぎれの良い音が出る。無線もオーディオも皆楽しいが、私の場合は何時も自作が入り口にあった。

Nov 10-12. 2006 亡母の七七(49日)法要・・・準備〜後片付け            
11月11日に母の七七法要(五七で実施)が行われた。前日は準備、翌日は後片付けに奔走した。田舎は親戚の他ご近所とのお付き合いも大切にしている土地柄で参列者も多い。当日はお寺(保福寺)、墓地、それに自宅と回りそれぞれでお経を上げ焼香。最後は自宅を模様替えし食事会となった。種々の段取りは今まで全て母が仕切っていたので親父に聞いても良く分からない。私もカミサンも初心者マーク状態で皆様にお世話になりっ放しだった。それでもカミサンには中心として活躍して貰い感謝である。全てを業者に任せるのも手であったが、出来るところは勉強にと自ら手を煩わして貰った。種々の供え物の調達や調理、それに昼食の準備などなど。用意周到の筈だったが、当日朝焼香グッズが無いのに気づいて葬儀屋さんに走ったり、輪ゴムが無かったりのハプニング・・・これ私の仕事?。
写真はお寺の本堂に並べられた「おひら」をはじめとする供え物(49個の餅・くだもの・饅頭・お菓子etc)。今後の参考にと携帯カメラで撮影させて頂いた。オンマウスは久しぶりに遅い朝の12日・・・と言ってもまだ7時だぁ。HanaとPiggの散歩で歩いた大道。遠くに日が昇り工事中の高架橋を照らしている。

Nov 4-5. 2006 東名高速を西に東に奔走            
この週末は東名高速を西に東に走った。4日は3男の担任と面談があり7時半頃家を出て豊田に向かった。毎年、文化祭と同時開催されている。予約も曖昧なまま押しかけたが直ぐ時間を都合して頂いた。これに名古屋時代にお世話になったカミサンの友人も駆けつけ家族でアイボールとなった。今の学生は我々の時代とは違う感覚のようだが、大勢が集うことの素晴らしさは普遍だと青年時代を思い出した。
5日は帰省していた次男の家具と本を川崎に運び、現地で本棚の購入に走った。朝7時45分に出発し川崎には9時過ぎに到着、無事輸送を終了したが、その後の横浜市都筑区にあるIKEA港北へ行ったが、これが中々楽しいものだった。IKEAとはスウェーデンの家具メーカーらしいが、魅力ある商品で溢れていた。目的は早々に果たせたがオヤジも気に入り同じ本棚をゲット(これ衝動買い!)。開店時間に合わせて出向くと既に長蛇の列で、後ろに並んでいた客は「まるで東京駅だ!」と言ってた。
写真はIKEA港北の倉庫。展示品を見て番号を控え、倉庫から目的の商品を取り出しレジに運ぶ仕掛け。オンマウスは3男の学校の文化祭スナップ。左右に模擬店、奥にステージが配置されていた。

Nov 1. 2006 小川ロンさんの1stソロアルバム「巡礼」届く            
小川ロンさんの1stソロアルバム「巡礼」が届いた。彼のVocalを聞くのは1980年頃PA-Mixingを担当したコンサート以来だから、凡そ四半世紀振りの事。当時は既にフォークデュオJUNKを解散しソロで活動していた。JUNK時代は1976年頃静岡市の県民会館で行われたピーターパンフォークフェスティバルにゲスト出演したとき。小川さんの歌い方は平均的に音量を維持する歌い方ではなかったので、ライブで歌詞が分かるようにミキシングするとピークの飛び出しが大きく疲れるサウンドになってしまう。そこで非線形アンプを入れてピークを丸め込み平均レベルを維持するのだがこれが中々厄介だった。JUNK時代のレコードを聞くとその辺りが見事に処理されているが、逆にライブ感が薄くなっているのも事実。そんな思いを持ちながらCDを再生してみた。うーんやっぱり小川さんの特徴が100%出ているぅ!。Vocalに注目すると、これは四半世紀前のコンサートの時と同じだ。ジャケットを見て驚いたがプロデュースはJUNKでパートナーだった金海タカヒロさん。それに発売元のKmusicは静岡足葵区上足洗2丁目で同じ町内ではないか。今日はCD以外の思い出が強過ぎて、まともに聞くことが出来ないでいるが、実に懐かしい声だった。