8月21日の雷でやられたMFJ-998RT。9月初旬、意を決してMFJ-Serviceの門を叩いた。それから3ヶ月、一体どうなっているのかと中々らちのあかないMFJへ質問を浴びせていた。いいかげんにしろとまでは言わなかったが、見通しの立たない状況にヤキモキしている旨を伝えていた。
MFJにはServiceTicketと称するユーザーと議論を展開できるサイトが用意されている。幾度も状況を知らせて欲しいと書き込みを行った。しかし申し訳ないと言いながらも修理状況は一切伝わってこなかった。
ところが11月27日深夜、突然「new one on the way via ups courier」と担当者が書き込んできた。シメシメ…これは遂に修理を諦めたと言うことかと思っていると11月30日、半信半疑だったnew oneが本当に届いた。紛れも無い新品だ。しかし所要時間3日とは早すぎない?!。 さて、これをそのまま現用投入するのは簡単だが未だ早い。理由は何らかの雷対策を施したいからだ。電源オンに連動して、アンテナを接続する機構(オフ時接地)を考えている。あるいは同軸避雷器の挿入も…。写真はミカン切りの昼食時に撮影した新品のMFJ-998RT。ところがカバーの固定ビスが1本欠品、相変わらずのMFJに苦笑。 |
朝6時半頃起きると、玄関の壁に吊ってある寒暖計が氷点下0.2℃程度を示していた。するとカミサンガ裏の金物に入った水が薄く凍っていると…初氷だ。そして出勤時に車に乗ろうとすると写真の如くフロントガラス前面に氷。見た目には分かりにくいが結構厚く、ワイパーでは取りきれない。そして水をかけてもすぐ凍ってしまい数分間水で暖めた(?)。毎度のことだが、静岡って氷が張るの?とする質問を良く聞くが、ちょっと川を上って山間に入ると冬は皆氷点下になる。張らない場所は無いと言った方が正解。日中は気温は上がるので暖かそうに聞こえるが寒暖差が大きい…要は大半が山と谷ってことか。 前の会社でお世話になった先輩の訃報が一昨日OB会より届いた。私より2学年先輩で年は60…愕然だった。本日午前浜松市で葬儀が行われ車で赴いた。道中先輩との思い出が頭の中を過ぎって行く。組合の話、仕事の話、遊びの話、地域の話、そしてサッカーの話…。25日会議があって上京、夕食後ホテルへ泊まったら帰らぬ人となったと喪主のご長男が挨拶の中で述べられていた。お元気だったのに、そんなことがるのか…60は余りにも若すぎるよ。ご冥福をお祈りします。 |
この日は朝から伊野のハッサク畑の伐採に勤しむ。先週末で1/3程度まで伐採が進んでいたが、昨日午後と本日終日の作業であと数本を残すのみになった。 実は前日6時半過ぎにJAからチッパーを借り、午後から作業を始めていた。今日は8時頃から周辺を気にしながら作業が始まった…何しろ音が馬鹿でかいので。9時過ぎになるとJE2ERRが自前のチェンソー持参で合流し作業のピッチが急上昇。こちらのチェンソーは先週からチェンオイルの詰まりに悩まされていたが、今日は腰にオイル差しをぶら下げて切る度にチェンに注油をしながら作業を進めた。また昼休みにJE2ERRに電動ヤスリを掛けてもらうと俄然調子が良くなった。 それにしても写真を見ると地べたに落ちたハッサクの黄色が気になる。試しに色の良いヤツの皮を剥いて食べてみると、これが中々美味い。夏ミカン系の味を引き継いだハッサクの味も中々良い。 しかし、こんなことに欲を出すと作業が捗らないことが良く分かる。目的は新たな品種のミカン園作りにあり、余計なことは考えないことにせよと、自分で自分を戒める。 写真は見通しの良くなった畑。オンマウスは散ばったハッサクの実。 |
菩提寺である保福寺で秋の観音会が行われた。山門脇の菩薩前で和尚さんがお経を唱え参列者が焼香する。その後場所を本堂に移し再びお経と焼香。最後に和尚さんから参列者全員に小振りの塔婆が手交された。そして別室に移り恒例の写経が始まる。筆で文字を書く習慣など全く無くなってしまった人間には四苦八苦の連続。お経をなぞった後に、菩薩の絵もなぞって書き加える。写経は本堂の祭壇に供える。その後係りから会計報告などがあり、昼食の弁当が振舞われ解散となった。天気も良く、なんとも言えない穏やかな時間を過ごさせて頂いた。時間や結果ばかりを気にする現代人には良い薬になったかも知れない。写真は山門脇の菩薩前の様子。 オンマウスはマルツ電波から買ってきたMICROCHIP社のPICkit3にマルツ電波の書き込みアダプタを取り付けた様子。アダプタにはUSBポート内臓のPIC18F14K50が乗っている。PCソフトからの制御で早速USB-RS232C変換ソフトを書き込んでみた。MICROCHIP社の殆どのデバイスがリストされているのでこれはグッドだ。PCでアプリケーションソフトを起動する様に、PICへソフトプログラムを流し込み気楽に使う時代になった。こうした状況に対応できるようにしておきたい。 |
先週から伐採を始めた伊野借地のハッサク。今週末は予定に無かったが急遽帰省するとJE2ERRから連絡があり朝から伐採作業が始まった。彼だけかと思いきや奥様やご家族がもう一台の車で現れ、これまでに倒した木をせっせと片付けて車に積んで行かれた。やはり手が多いとやることが早い。あっという間にスッキリ。 写真は散歩がてらHanaを連れ出し作業を始めた伊野の状況。後方ではJE2ERRファミリーが伐採木をリレーして車に積んでいる。 Hanaは人間で言えば既にお婆さんの年齢だがファミリーからは可愛い!と相変わらずの人気だった。 この日の作業は昼食を挟んで16時頃まで続いた(JE2ERRは15時半頃帰路に)。ようやく1/4程度まで伐採が終わった感じで、未だ先は長い。 ところでここ暫く工房へ入るのは工具を取りに行くとき位になっていた。チェンソーのナットを回すためのボックスレンチとか、張調整のマイナスドライバーとか…。工房からの無線運用は暫く遠ざかっている状況だ。それでは寂しいので日没後に立ち入った時にスナップを撮ってきたのがオンマウス。何か死んだ様になっていて、測定器や無線機には申し訳ない気分だ。 |
午前中2台あるチェンソーの整備を行う。チェーンを外し駆動部の洗浄とオイル注し。一方エアフィルタの洗浄、そしてチェーンへのヤスリがけとやりだしたら忙しい。 写真の左は親父の時代から使っているモノ。重くて馬力がある。右はカミサンも使うやや小振りのモノ。軽いので枝を落とすのに好都合だ。4リットル缶は軽油で関係部品の洗浄に使う。整備後のテストは極めて良好だった。 午後は田んぼの青島温州ミカンに防腐剤の散布。カミサンは午前中から1泊の予定で御殿場方面へ友人と出かけシメシメだった。青島だけでは農薬が余り早稲までかけると時間は17時。日没時間はとっくに過ぎ辺りは薄暗い。 その後カミサンが用意した材料で寄せ鍋を作り親父と2人の晩飯と忙しい。味付けにワタリガニを2枚用意したが、親父は小さい!と言いながら全部食べてしまうマイペースさに苦笑。 オンマウスは日没前に取った青島温州ミカン越しの青空に雲。時間は15時頃だと思うが、田んぼは15時半頃には日が陰ってしまう。 |
名古屋で会議があり日帰出張する。昼食は久し振りに角丸で味噌煮込みウドンを食す。 午後からの会議に参加して簡単な懇親会を済ませて帰路に就くと19時過ぎ。職場へ戻ったのは21時過ぎだった。 写真は名古屋市東区東区泉一丁目にある角丸の13時頃の外観スナップ。 12時前に尋ねると既に順番待ちのお客さんが歩道に溢れ、相変わらずの人気にビックリ。ここに立ち寄るときは「味噌煮込みうどん(松)+小ライス」に決めている。 前回尋ねたのは福井勤務時代の3〜4年程前に遡る。富山から辿りついたS君と一緒だった。 「松」とは卵を落としてある意味。毎回出てくる同じ味に何時も満足する。騙されたと思って是非一度立ち寄られることをお勧めする。 名古屋には数多くの味噌煮込みうどん店があるが、20年余名古屋に暮らした経験からすると、自分の口に一番合っている店だ。 オンマウスはカミサンの依頼で朝飯前に摘み取った柿。もう完熟だ。 |
久し振りに休暇というものを取り、週末に伐採したハッサクの枝葉の処理を行う。朝食前の6時半過ぎにチッパーの借用でJAを往復。凡そ10ヶ月振りに扱うと、Keyの位置など探し回る状況で、やはり記憶力が低下していて苦笑。軽トラに積み込んで持ち帰る。 朝食後所要で外出のカミサンとデイサービスへ出かける親父を見送り、早速伊野の借地へ赴く。一昨昨日JE2ERRと一緒に伐採したハッサクの枝葉が所狭しと放置してあり気になっていた。これを角からチップ化する作業が始まる。この季節の柑橘は既に実を付け相応の大きさになっている。枝葉と言ってもこの実が大変な重さで作業には力が要る。一個一個落としていたのでは時間が足らないので、枝を抱え上げて木株に叩きつけ実を落とす。チッパーは水気を嫌うらしく果実を入れてはいけない約束になっている。事のついでに伐採とは無関係の地べたに転がっている樹片もチップ処理。作業は新たな伐採とそのチップ化も含め日没後の17時過ぎまで行った。それからチッパーを掃除し燃料を満タンにしてJAへ返納すると18時を回った。随分と片付いた感じはするが、未だ全体の1/5にも満たない。来年早々に行う予定の重機による土・株起こしに間に合うだろうか…。 |
カミサンが長男夫婦へ送る荷物を作っていた。サトイモとサツマイモに銀杏…。そして空きスペースを甘柿で埋めて欲しいと要請。10日朝食後、高切バサミを取り出して庭先の柿木から摘み取る。ところで何か足らないと思ったらミカンが無い。我が家の来週からなので今回は見送りとなった。 さて、伊野のミカン畑西側に耕作放棄地がある。ハッサクが40本程植わっているが、5〜6m高に伸び冬場は日陰になり最悪。地主より伐採許可を貰っていたが事のついでに借用することに。撤去し来春別品種を植える計画だ。その作業が今日から始まった。実は後輩のJE2ERRが薪ストーブ愛好家で、ミカンの木が出ると告げたところ早々に伐採の運びとなった。13時頃から3時間半作業して5本程を伐採。相当量になる枝葉の処理はチッパーの力を借りることになりそうだ。 11日は地区の環境整備日で大道土手の草刈や道路のゴミさらい。心配した雨の前に作業が終わりホッ。春と秋に行われるこの行事は、隣組が一同に会する貴重な時間となっている。 写真はダンボール箱に積めた秋の味覚。オンマウスは伊野のハッサク伐採風景。ヘルメット姿はチェンソーを手に奮闘中のJE2ERR。 |
所用があり初めて尋ねた富士山空港。着陸したあの話題のボーイング787が、気付くと向きを変えて目の前の駐機場に現れ静かに板付いた。何処から飛んで来たのだろう…。それにしても良くもまぁど正面に止まったものだ。 港ってのは海にしても空にしても、鉄道駅の線路と列車の様に何故か旅愁を誘うがどうだろう。雨や霧に濡れていると益々そう感じる。ところで写真は空港のある牧之原は雨が降っているが、遠く大井川の向う側にある島田市街には日が差している。 実はこの空港、開港してから数年経つが訪れるのは初めてのこと。福井単身赴任時代、開港して間もない頃、旧隣組の旅行でカミサンと親父がここから金沢方面へやって来たことがあった。旅館にお願いして地酒を差し入れたところ、これが大評判だったことを昨日のことの様に思い出している。 空港運営には多額の経費が必要と思われるが、写真を見ていると何とか維持発展して行って欲しい気持ちになる。富士山と三保の松原が世界文化遺産に登録された好条件を背景に新たな展開を期待したい。そしてやっぱり飛行機には夢があるよねぇ夢が。 |
親戚で法事があり興津側上流の山里を尋ねる。清水区中河内地区は清水区清地地区から別れた興津川の支流域にある。奥には板井沢や神沢原そして樽地区があり、背後には山梨県境を控えている。県境の向こう側は、山梨県南部町富沢の福士地区で、親父と良く通った奥山温泉がある。 和尚さん(宝樹寺)が講話の中で寺の歴史について触れられた。徳川時代に建立されたと伝え聞いていたが、最近になって墓地の工事中に出てきた墓石から、それは戦国時代より前の室町時代まで遡ることが分かったらしい。寺が出来るには少なくとも10数戸の集落が必要なことから、当時からこの山里は開かれていたのだろうと和尚さん。源平合戦の敗残者が逃げてきたのか…或いは甲斐国(山梨県)への交通路だったのか…色々と想像が巡る。そしてかつては350人も居た小学校は、今やその1/10と寂しく何とかしたいと続けられた。道路は良くなり、興津辺りから15分もあれば着いてしまう時代なのに…と寂しさを隠し切れない様子は、我々に他人事ではないことを暗示するかの様だった。 写真は宝樹寺の墓地越しに見る集落。 |
再び大島へ…。1日22時竹芝発の大型船「かめりあ号」で船中泊し2日6時に大島着。予報は晴れだったが、一部に青空が見えるものの基本的に曇りで午後には雨模様。三原山周辺の厚い雲に霧が立ち込める様子に気をもんだ。稜線上に設置した臨時へリポートから、土石流が発生した付近へ支援物資を空輸する目的があるから。 7時過ぎに臨時へリポートへ赴くと、やはり三原山の稜線は霧で港とは別世界。雲が薄くなり太陽のシルエットが見えたりするがそれは稀。島南側から雲が攻めてきている感じで、これは時間の問題と直感。北側から相模湾方向は問題が無い模様。 ヘリは9時20分東京を発った。10時頃エンジン音を確認したかと思うとあっという間に姿を現し着陸。諸々の確認をした後下見フライトで離陸。機体はAS350B…この機体に乗るのは20年振り位か…VOX化したICSはグッド。などと呟いているとあっという間に目的地上空。吊り下し点を測量し、高さ位置と向きを確認し引き返す。その後4便に分け約2.5tの空輸が終わる頃には雨。ヘリは逃げるようにして現場を発った。あと30分遅かったら…とヘリ関係者の別れ際の弁。 その後物資投入を済ませ、15時半発熱海行き高速船で帰路に就く。 |