11月27日、モノタロウから予告もなくバッテリが届いた。普通なら発送案内や引き取り案内がある筈なのだが。そして11月30日、16時過ぎに畑で早生ミカンを切っていたら西濃運輸さんが引き取りに来られてビックリ。昼に訪ねて来られ不在連絡が票を入れてあったらしいが、カミサンも一緒にミカンを切っていて、先に引き上げて西濃運輸さんと遭遇したらしい。まだ現用投入していないため、恐縮ながらそのまま帰って貰った。それで17時頃、急遽リモートシャックへ赴きバッテリ交換することになった。既に辺りは暗く頭にはヘッドランプを付けて作業する。写真は現用投入して不良バッテリを取り外した様子。この段階では未だスタンバイ用の軽四バッテリがブースターケーブルでつながっているが、最終的には撤去して持ち帰った。オンマウスは、ソーラー発電と風力発電がゼロの時のバッテリから流れ出る電流を測定している様子。テスターは端子電圧12.39Vを示し、目的の電流は0.3Aを示している。デスクトップ状態のスティックPCと無線LAN端末(CPE710)、そしてLANIO(IP接点伝送端末)にHUBを含めた情報機器の待機電力は薬3.7Wで思った以上に少ない…本当だろうか?。クランプメータは大丈夫だろうか?。バッテリはモノタロウの自動車用で115D31R-MF型。どうもサルフェーションによる充電障害が本機の特徴の様に思えてならない。 |
群馬に住む3男一家とお嫁さんのご両親が11月27日にやってきた。3男一家は孫が2人いるが、昨年5月誕生の長男(第2子)のお宮参りで7月26-27日群馬を訪ねている。ご両親も含めてそれ以来の再開になる。帰省するのはコロナ騒ぎが本格化する昨年の正月以来だ。随分と時間が経っているが、最近はスマホやPCで動画を伴ったコミュニケーションが行われているので、それを感じさせない再会が実現する。孫たちも静岡の爺婆の顔をしっかりと覚えており、抱き上げてもまったく違和感がなく驚いた。写真は27日15時前に到着し、早々に田んぼのミカン畑で始まったミカン切りのスナップ。3男以外は初めての体験だったようだ。その晩は自宅で夕食会が始まり大いに賑わった。爺たちはチト飲み過ぎの感があり、孫たちに負けまいとギターやハーモニカを持ち出したが、やはり彼らのペースには追いつけない。普段は2人しかいない家が久し振りに賑わった。写真は田んぼのミカン畑のスナップ。15時頃だと思うが、既に日が暮れている。孫たちは元気だ。オンマウスはダルマと戯れる結加とお菓子を手にする颯太。この状況がいつまで続くだろうか。爺婆はどんどん歳をとっていく…。翌朝(のつもりが11時)、市内ホテルに泊まったご両親と合流して帰路に就いた。次の帰省は何時になるだろうか…去っていく車をカミサンと見送る。 |
一人で収穫できるミカンの量は、温州ミカンのM玉程度に換算するとせいぜい1日300kg(コンテナ15杯)程度。収穫環境が良く作業が早い人なら400kg程度だろうか…。これハサミ数にしたら、1コンテナでビク2杯半位で250程度。なので300kgだと250×15杯でだと3750。3トンだと37500。30トンだと375000と数字が出てくる。我が家は全柑橘で10数トンと小規模な家庭内経営だが、100トンを超え多くの切子さんを抱えるお宅が居られ驚く。いずれにしてもミカン栽培は最終段階になって多くの人手が必要になる厄介者だ。それで、ハサミ数はそのまま収穫個数に相当する。数が多いため毎年奇形や珍種に遭遇する。運良ければ突然変異として新たな品種に発展する可能性もあるが、殆どは「これ可笑しいねぇ!」で終わってしまう。写真は我が家のミカン畑で発見した妙な早生ミカン。テープを貼りつけておき着色してから剥がしたのではと思う程の見事な模様がついている。普通の実(上)と比較すると面白い。紛れもなく自然に着色したもので初対面時は仰天した。それからオンマウス。何となく葉っぱが何処かの観葉植物もどきになっていて、実に赤筋が入っている。着色過程ではもっと赤筋がはっきりしていたが、収穫時にはこの様な状態になった。最終的にどうなるか興味があり未だ生らせてある。何れも研究テーマとして面白いのだが、忙しくてかまってられない…。 |
11月23日は東久佐奈岐神社恒例の七五三の祝いと新嘗祭、そして保福寺の秋の観音会が行われ忙しい。7時半には氏子総代さん(山切地区と草ケ谷地区)が準備を始める。8時からは自治会の当番組長が境内と参道の掃除を始める。平行して神殿階段の鍵が開けられ、太古より伝わる神殿の知恵の輪の様な鍵を総代さんが操り開ける。神殿の周りは年2〜3回程度しか入らないので、地べたには落ち葉が重なり実生が生えている。掃除は30分程度で終わってしまうが、休日の運動代わりになり心地良い。参加者に集まってもらい労いの言葉をかけ、このあと行われる七五三と新嘗祭の案内をして解散。一旦帰宅するが10時から保福寺で秋の観音会があるため赴く。今回もコロナ感染予防のため、役員のみの集まりとなった。10時より山門横の観音像でお経と焼香を行い、本堂へ場所を移してお経と焼香が行われた。毎年、神社の七五三と新嘗祭の時間を気にしながら焼香するのだが、今年は比較的短時間に終わり、10時半には神社に辿り着いた。神社は既に七五三を祝う親御さん達で溢れていた。祝の対象は9名だが、その3倍程の数を見て昔と違う時代を感じる。宮司さんの到着を待ってほぼ予定通りの11時、七五三の祝いと新嘗祭が始まった。宮司さんや氏子総代さん、地元自治会とJA関係者の尽力で、昔から途切れることなく続いていることに敬意を表したい。快晴かつ穏やかで格好の日和だった。 |
この時期は平日も週末もなく時間があればミカン切りの日々だ。今日はカミサンの兄が駆けつけくれ3人体制。大分捗り、舞台は午前中に着色待ちの後拾い状態になり、午後はいよいよ田んぼへ場所を移した。園地が違うと、こんなにも出来が変わるのかと思う程だが、夏の雨中の農薬散布の割には良い出来なので一安心。当園の伝統的な味も出ている。ところが、2・3日前には無かった、ハクビシンの被害がここまで及んでいた。西側はバス通りで、南側も道路が東へ向かい角に街灯があり、賑やかな場所なのにもかかわらずだ。被害場所は、バス通り側の入り口(マキノ木の垣根)から入った先の左右。木の本数で2本、ミカンの個数にしたら10もない(オンマウス)。舞台から方向転換したのだろうか。暫くは要注意だ。 ところで昼食時、寺の大和尚殿から駐車場先の法面に木株の様はモノが出現し動かないでいると電話が入った。早々に尋ね法面を上ると何と狸の死骸(写真)。一体どうして?。寒くなると車で跳ねられた小動物を時々見ることがあるが、自然の中で目にすることは余り無い。体調を崩しここへ辿り着いたのか。狸の往来はよく見ると大和尚は言われるが、死ぬ時は身を隠すのが普通だと思う。何か想定外のことがあったのではと推測する。それにしてもR1やE1から1km程度しか入り込んでいない地区なのに、連日起こる小動物の行動には驚かされる。ゴミ袋に入れ回収…果たして次は何が起こるか。 |
獣道を塞いだり、モノラックレールにバリアを掛けたりしてハクビシン対策をしているが、一時よりは大分減っていて被害個数は容易に数えられる程になっている。それでも10数個は千切られているので、せめて片手位には落としたいと作戦を検討。これまでの被害は西から東へ上り勾配になる畑の、北西側からやられている。北側には大きなU字溝の沢、南側は市道が通り東側も車道になっている。それが南東方向へ向かって攻め込まれているが、中央付近から先は食われていない…何故?。畑の東端の沢の反対側には1軒民家がある。またその反対側の道路角には街灯がある。ひょっとしたら灯りを嫌っているのではと推測。19日の日没後、自宅から凡そ80m電源用のキャプタイヤケーブルを張り、100W白熱電球相当の明るさのLEDランプをモノラックレーク付近のミカンの木にぶら下げた。ダメもとだったが、翌朝8時、ミカン切で赴くとLEDランプの灯りが及ぶ範囲での被害はゼロ。被害に遭ったのは、これまでの被害範囲内で一番街灯に近い木の裾生り3個だけだった。これから推測すると、ハクビシンたちへ心理的な影響を与えているものと思われる。今夜も同様に点灯するか、灯体数を増やして変化を見る等を試みたい。今日の段階で収穫が残っている木の数が数本になり、南側と北側のみになる。その接点に街灯があるので、ひょっとしたら尻込みして来ないかも…。 |
このところ舞台の早生ミカンの収穫に忙しい。JA出荷は12月初旬までに軽トラで6回行うことになっている。今年は自治会のお役を頂いている関係もあったり、カミサンも所用で忙しく歯抜け状態のミカン切りが続いている。早生ミカンは舞台と田んぼ合わせて1反程だが、南北の谷あいに東西に位置するため、日の出時間や日没時間がそれぞれまるで違う。舞台は東寄りにあるので日の出は遅いが日没は遅い。と言ってもこの時期だと16時には陽が陰る。田んぼは西寄りなので日の出は8時半頃だが、14時には陽が陰る。なので、南に下った谷に掛からない地区が羨ましい。日照時間が長く色付きや酸の抜けが早いのだ。ただ当地のミカンは、昼と朝の温度差が大きいため、晩成だが独特の味になる。JA出荷には完全着色を求められるため、青みが残る実は家庭選果の段階ではじかれ、暫く保管して着色を待つ。それでも着色が来ないとワケアリグループに回る。毎年のことだが、味は変わらないのに一寸した青みで苦渋をなめている。夏の摘果時期に、もう少し実を落とし、実同士が接触しない様にしておけばと…。来年こそはと収穫の時になって呟いている。写真は17日の選果の様子。家庭選果は家々の伝統があるため、目揃え会を行ってもバラつきがある。灯りの具合でも変わってくるから…。オンマウスは18日出荷日の朝、軽トラに積んだ早生ミカン。 |
ハクビシン被害が、ミカンの個数で1000個近くになった。獣道を塞ぎ沢を渡るモノラックレールにフラッシュLEDを設置しトラバサミも仕掛る。16日は組長会で帰宅は21時過ぎ。ミカン畑が気になり、防寒具とヘルメット+ヘッドランプ姿に寝袋とマットを持参して現場へ。朝まで野営すると決め込んでいた。畑は北側に大型のU字溝の沢が流れ、西側から東側への上り勾配。南側は市道が走り街灯が灯る。ハクビシンは北西側から入り徐々に北東側へ攻めている。その角付近に陣取り様子を見る。マットを敷き寝袋に体を突っ込む。空には満月が見え街灯の漏れ灯りも手伝い、意外と明るい。23時頃直近の民家の灯りが消えた。仮眠状態に入り、時折目が覚める1時間程のタイミングで辺りを確認していたが、知らぬ間にその間隔が伸び気付くと翌朝4時。辺りは当初と変わらない暗さだったが、月が見えなくなっていた。するとパラパラと小雨。暫く様子を見たが変化がないため濡れる前に撤収。5時、自宅へ引き上げた。夜明けを待って再び畑へ向かうと昨晩の被害はゼロ。木に残ったミカンの皮の乾き具合で分かる。てことは、人が居ることによる効果あり(小便2回)と判断。犬でも良いからつないでおけば良いのかも…。野営中先輩から電話があり、昔在籍した会社の機関誌(OBコーナー)への投稿依頼があった。そうだその話書いたら面白いじゃんと先輩。写真は真夜中のミカン畑。 |
ミカン切りや自治会対応等、諸作業で多忙な中、リモートシャック無線LAN端末(CPE710)予備機の設定を行った。いきなり交換すると、各種設定は無線環境下では限界があるため、自宅で対向テストを行ってから現用投入する。さてそのテストなのだが、先にローカル接続したPCで、IPアドレスとAP設定を済ませる。この際、既にCPE710はClient設定とIP設定が行われているので、PCを直接続する場合はIPも同じグループに変更しないとブラウジング出来ない。この設定が終わったら自宅タワーのCPE710と無線による接続を確認する。自宅タワー側のCPE710にブラウザで入り、サーベイを行い5.6GHz帯の電波を拾い上げ、目的の端末にチェックを入れLockUpする。さらにAP側のセキュリティ設定をClient側と同じに設定する。これでAP側に接続されたPCからClient側経由で家庭内LANへ繋がり、ルーター経由でインターネットへ接続できる。ここまで確認しておけば後は山頂側のCPE710を交換するだけ。ところで、交換と言うと、パラボラ含め装置全部を外すイメージだが、CPE710は大変良く出来ていて、写真の様にノーズ部分をパラボラからワンタッチで外すことが出来る。なのでタワーへはポケットにノーズを忍ばせて上り、LANケーブルを外してノーズを交換するだけで良い。さあ、果たしてこれだけで無事復旧するか、こりゃ見物だ。 |
早く解決したい気持ちに駆られり、この日の午後ノーズを持ってリモートシャックへ向かう。久し振りの鉄塔なので、準備体操をして安全帯やヘルメットを確認して上りだす。早速パラボラから旧ノーズを外し、新しいノーズを取り付けた。ノーズ下面のLEDランプを手で覆い暗くして見る。ところがどうも光っていない。おかしい!となった。中継ボックスを開けてLANコネクタの抜き差しなどを施すが変化なし。ややトホホ状態に陥ったが、アンテナローテータ付近でケーブルがブラブラしている。なんじゃこれと手にすると何とLANケーブル。何かの拍子にローテータのクランプネジ等に引っ掛かり千切れた模様。そう言えば風が非常に強い日があった。その時に弛んでいたケーブルを運悪く引っ掛けてしまったのだろう。早々に山を下り自宅からLANケーブルを持参し交換。これまでシールド型だったが、同等品は無いので、普通のケーブルで我慢する。これで収容箱のPCでブラウジングするとしっかりとCPE710の中が見える。内心ヤッタァ!の気分で自宅へ戻り、サーベイでリモートシャックのCPE710をLockUP。丸3日振りに全面復旧となった。予備のCPE710は結局使わず仕舞いだった。それにしても色々なことが次々に起こるものだと呆れる。でもこれがアマチュア無線だよなぁとも呟いている。写真は千切れたLANケーブル。オンマウスは最初にノーズを交換したときの眺望。 |
11月10日、ディーゼル発電機のオイル交換と軽油を給油した。オイルは1.3リットル程度、軽油は80リットルだ。発電機も安定に動作しておりやれやれと思っていたら、その日の夕方10MHz/FT8でAFやEUをワッチ中いきなりPCがアラーム音を発した。何?とPC画面を見るとWSJT-Xがハングアンプ状態。LANIOは発電機起動表示と発電誘起が返っている。リモートシャック側のPCかと思ったら富士山カメラもダメ。最初はLANIO(IP接点伝送)を疑ったが、ブラウザへIPアドレスを入力し無線LAN端末を確認すると、山側のCPE710がつながらない。自宅側のCPE710のステータスは不感を示している。これじゃダメだ。緊急出向して確認すると、PoE用の24Vはしっかり供給されている。PoE基板のLANコネクタの接触を確認するなどしたが状況は変わらない。CPE710へ電源が供給されていれば、本体下部にあるLEDが青色に灯る筈。日中では判別できないので、翌11日陽が沈むのを待って確認するが点灯はしていない模様。ただ、2.4GHz無線LAN時代使っていた収容箱内でLANコネクタを中継しているので、そこの接触不良も考えられる。いずれにしても予備のCPE710の設定(IPアドレスとAP)を行い、タワーに上る必要がありそうだ。写真は日没後のタワートップ。明るく見えるが地上では懐中電灯が必要。オンマウスは南西方向の夕焼け。中央の鉄塔群はNTT山原無線中継所。 |
11月10日の朝、舞台の早生ミカンの様子を見に行く。すると、ミカンの木の裾に白い花が咲いた様な光景が目に入った。そして地面には無数のミカンの皮。手で剥いたように奇麗に剥かれ、実はしっかりと無くなっている。裾だけかと思ったら高い所も同様だ。イノシシだったらこんなに奇麗には食えないし、高いところは手が届かない筈。ミカンを引きちぎる時に、複数のミカンに詰めが触れ、傷跡が残っている。これハクビシンじゃん!。ハクビシンの被害は聞くけど、自分の園地で遭遇するのは初めての経験だ。家から50m程度しか離れてないのに、何と図々しい奴らだろう。油断も隙もあったもんじゃない。聞くところによれば、裏山の山頂にある畑総では被害が多く、電柵による対策に辿り着き成果を上げているらしい。そこで活動していたハクビシンがミカンを求め人里に下りてきたと考えられる。この日は深夜の様子を見に現場へ足を運んだが、何事もなかった。翌11日早朝、昨夜から被害は確認出来なかった。一方、園地周辺を確認すると下方に獣通を発見。侵入ルートを閉ざすためにコンテナで塞ぐなどの対策をとった。果たして効果は如何に…。写真は被害に遭った早生ミカン。オンマウスはちぎられて残ったミカンの皮…左手は自宅からのモノラックレールの終点。この様な状況が10本程度に見られた。 |
このところの冷え込みで早生ミカンが完着状態に近づいた。ゆら早生を届けられなかったお客さん向けに、完着した早生ミカン(興津早生)を50kgばかり収穫した。本格収穫は出荷日に併せ今週末の予定だ。今年のミカンは全体に酸抜けが早く食べやすい。余り酸抜けが早いと味がボケ、腐敗を招きやすい。この酸の度合いがミカンの食味を決定づけるので、糖度(甘み)が高いだけでは何か物足らない。ただ、一般には甘くてボケた味が好まれるらしいから、生産者としては悩ましい。写真は田んぼの早生ミカンの生り具合。大分良い感じだが、今年は赤サビダニが例年に比し非常に多い。7〜8月頃の気まぐれな天候で、ダニ剤の農薬散布中に度々雨や豪雨にたたられた。南の方は晴れているのに北側の曇天が攻めて来るなどが、幾度もあった。こんな年も余りないなぁと振り返る。 写真は、午後ミカンを配達する際に富士市今泉の岳南鉄道の踏切から撮影した富士山。周りは雲に覆われていて、富士山頂を中心に陽が当たってた。富士市の人たちは、何時もこんなサイズで富士を見上げているんだぁ。富士は何時も主役の感じがするが、清水辺りじゃ背景のお飾り程度にしか見えず、主役と言うより脇役に近いと言った方が良いかもしれない…これ私見だけど。 |
恒例の秋の環境整備が行われた。6時過ぎに一時雨が降り8時からの開始が危ぶまれたが、7時の段階で雨は上がっていた。南方は曇天ながら北方には青空が見えることで、決行を有線放送で伝える。8時から概ね1時間程度、道路脇の草刈りなどに汗を流した。当地の環境整備は全戸参加で毎年6月と11月に実施している。田舎に帰ってから10年になるが、ずっと気になっていたことがある。護岸に生えた樹木の生長。アカメガシワやクワノキなどが成長しカーブした道路の見通しを悪くしている。さらに水が出たときにゴミ類が引っ掛かり川の一部を塞ぐ。また石垣に張った根が成長し隙間を拡大し石を動かす。そこで水が渦を巻くと土が流れ空洞になる。景観だけでなく、様々な問題が浮上してくる。どうしてこうなってしまったのかの議論より、出来るうちにやらないと大変になると判断し、有志による草刈り隊を環境整備終了後に招集した。写真は自治会館前から山切川下流方面。これまでカーブの先が樹木で見えなかったが、伐採により確実に改善されている。オンマウスは城山橋から上流を見た様子。仮設とも思えるガードレール基礎周りに土が集まりススキの嵐だったが、綺麗に刈り込まれた。未だ落とし切れていない部分もあるが、今後折を見て草刈り隊を招集する予定でいる。ご協力頂いた皆さん、大変ご苦労様でした。 |
当地(清水区庵原地区)の活性化のために道の駅を誘致しようと、これまで16回の会合がもたれていた。そして今回が17回目で、誘致に向けた社会実験を2022年2月5〜6日に行おうと、本日実行委員会が発足した。それに急遽招集され広報部の支援をすることになった。参加数十名の中に、私の様な新参者が数名居られた。殆どの人が顔見知りと言う、田舎ならではの環境なのだが、どうも話がスロータッチの感があった。これから具体的な議論が始まるのだが、全ての決定を待っていたらPRが遅れるから、動きも含めて検討中でもどんどん情報開示すべきではと提案。そののためにホームページとSNSをリンクさせ情報拡散環境を作ってみることになった。未だ大した情報も無いのだが、早々にHTMLを書いてHPを立ち上げ、順次情報を書き込んでいくスタイルを取ることにした。広報部が枠組みを作り、そこへ情報を組み込んでいく感じだ。果たしてどうなるか。予算は殆ど無いと言うので、無料HPサーバーを確保して、必要なファイルを放り込み、放り込めないサイズのファイルは他のサーバーへ入れリンクする形を取ってみた。一晩で書き上げ翌日晩には「庵原地区道の駅社会実験実行委員会」として暫定公開に至った。これから随時内容をアップデートするので、興味のある方は是非とも覗いて頂き、更に拡散して欲しい。これから旬の多種多様なミカンとマグロ…どうだろう。 |
この日CQ出版社のRFワールドが届いた。巻末の編集長のコメントを見てびっくり。今回のNo.56で休刊となると記している。No.1から購読しており、もう14年もたったのかと感慨深い思いになる。14年前は福井での単身生活が始まった頃。編集長が取材で福井大大学院教授を訪ねた際に福井駅前で飲んだり、富士市のサムウエイ社夏祭りの終わり頃到着し夜中までベロンベロンになるまで飲んだり、懐かしさが込み上げてくる。 早々にメールを送ったら返事があり、今後はトラ技誌の中でRF系の書籍を担当されるとのことだった。編集長はアマチュア無線家だが、RFワールド誌はアマチュア無線とは一線を画す世界を紹介してきた。だが多くの技術派アマチュア無線家が購読し、密かに最新の知識を得ていたと思われる。貴重な雑誌だった。近年はAmazonなどで発売日に売り切れる書店が続出したとも聞く。休刊の理由は後継者の問題らしいが…どうなんだろうか。今後のCQ出版社やトラ技編集の動向を注目して行きたい。編集長はじめスタッフの皆さん大変お疲れさまでした。 写真は届いたRFワールドNo.56。昼食後、玄関前の陽だまりのベンチで目を通した。オンマウスはRFワールドNo.1創刊号。14年前は地上デジタルTV放送が始まって間も無い頃で、東京タワーの放送アンテナが表紙を飾っている。 |
未明にかけ衆議院選の票が開き、全体状況がニュースで流れている。半数近くの人が投票の権利を行使していない現状を当選者はどう見ているのだろう。日本の経済発展に協力しながら投票権のない外国籍の人々の気持ちは…。毎度のことだが気になってくる。 D6500ETのバッテリ充電用レギュレータが本日昼到着した。16時近くになって意を決してリモートシャックへ走る…暗くなる前に交換が出来そうだ。作業を始めると、モートシャック周辺はスペースが無く、自宅でやる様には進まない。タワーに接しているため、ぎりぎり前に出してもカバーを取り外せない。止む無く隙間から手を差し出し先日設置したブリッジダイオードを取り外し、レギュレータを設置しようとした。ところが、金具のネジ2本の間隔が合わない。金具を外しエンジンフレームへ直付けすれば大丈夫そうだが、熱の流入が心配になり金具へボルト1本で締め付けた。これでカバーを元に戻すのだが、何しろ20本以上のボルトを、勘合性の悪い処へ戻すのは日没との競争。何とか暗くなる前に復帰させ、リモート端子をワニ口リードで接地すると一発起動。そしてバッテリ端子電圧が上昇し充電が始まる。ところが16Vを超えても上昇を続けている。これブリッジダイオードと変わらないじゃん!。それでもまぁいいかとして下山する。写真は届いたレギュレータと代役を務めたダイオードブリッジ。 |
今週末も選挙だ。10月31日は衆議院議員選挙の投票日。前日8時半より自治会館で投票所の設営が行われた。関係の皆さんは、今年4回目の選挙とあって準備はお手のもの。30分程度で完了していた。こちらは責任者へ自治会館の鍵を預け、この日から始まる「投票所へ行こう!」放送の準備を行う。レベル確認のための試験放送を皮切りに、12時台と17時台に前日分の放送を実施。当日31日は、投票が始まった直後より19時過ぎまで、アドリブ1回を含め7回の放送を実施した。当投票所の投票率は、当日投票分で50%、期日前投票を含めると61%に達した。有権者数1600人規模の投票所(清水区)ではNo.1だった。 さて今回も投票立会を仰せつかった。担当は後半で、13時半に前半担当から引き継ぎ、投票終了の20時まで立ち会った。その後、撤収の途中から投票箱を責任者と開票所へタクシーで運び、所定の手続きを踏んで投票箱と関係グッズを返納。投票所までタクシーで戻ると21時だった。写真は会場所になる清水区体育館の受付の様子。入念なチェックが手書きで行われている。責任者は投票所の投票結果を報告している。この様は関門が幾つかあるのだが、職員の皆さんは慣れたもの。たまにしか赴かない我々には殆どチンプンカンプンだ。何より、朝6時頃から投票所へ詰め、再び開票に参加する職員が多数居られ、本当にご苦労様の一言だった。オンマウスは窓ガラス越しの投票所の様子。 |