名古屋に所用があり3週間振りに帰省した。28日の仕事が明けた後、たまたま名古屋に帰省する同僚M氏の車に乗せて貰った。 帰省の主たる目的は、29日に3男が通う学校でKoYo「彩」(こうよう祭)と称する文化祭があったのと、それと平行して行われた担任との面談に参加し御小言を頂戴するためである。 29日の名古屋方面は朝から雨で時折強く降っていた。写真はそのKoYo「彩」で行われた男子シンクロナイズドスイミングの様子。水泳競技とは違って、意表を突いた演出でお客さんを楽しませてくれ退屈しない時間を過ごした。 何しろ直ぐ11月、それなりの寒さなのだが、この日は生憎の雨で更に寒かった。演技を披露したWaterBoysの皆さんは、この空模様の中泳ぎ・飛び、満場のお客さんから大喝采を浴びた。半年間の練習の成果を発表する晴れ舞台で、直向に演技するWaterBoysに「心意気と潔さ」を感じてしまった。正直なところ「良くぞやった!」だった。帰り際、つい立一枚で隔てられた控え室が見えたが、彼らは皆寒さでブルブル震えていた。思わず「お疲れさん!」と声が出てしまった。写真は演技フィナーレ「涙の人間3段タワー」。オンマウスするとプールサイドでのパフォーマンスが見える。 |
所用で静岡県引佐郡三ヶ日町に赴く。三ケ日は東名高速道路で名古屋を往復する時に必ず通るのであるが、ここに降り立つのは実に昭和56年の11月以来である。また記憶がやや曖昧だが、それより前の昭和53年に三ケ日中学校で所用があり訪れている。更にその前にも役場の広報の皆さんにお世話になった事があり、三ケ日と聞くと非常に懐かしい。また野球少年だった中学時代(昭和42〜44年)、三ケ日中学の軟式野球部が県西部の強豪だった事も思い出す。それ以降東名高速バス・ドリーム号の休憩所として深夜に立ち寄った事があったが、地面に降りることは無かった。 静岡を10時半頃出発し、浜名湖で昼食を済ませ休憩し、13時に東名三ケ日を降り目的地であるJA三ケ日を訪れた。市街地は建物が建ち随分と見通しが悪くなったが、穏やかな山並みや浜名湖岸筋、それに今は第三セクターの天竜浜名湖鉄道(旧天竜二俣鉄道)、もうじき収穫が始まるみかん畑等々、昔の記憶と同じで皆懐かしい。 写真は町内にあるいこいの広場から浜名湖と三ケ日市街方面を見た様子。所用を済ませて帰路に就いたのは14時半頃だった。 |
自宅のADSL(24MBps契約)で、今までどうしても越えられなかった速度10Mbpsが出た。図は初めて10Mを超えた時の測定ツールが示した様子で10.11Mを示している。電話線やACラインにフェライトビーズによるコモンモードフィルター(チョーク)処理を行ったり、ACラインのポラリティを変えたり過去考えられる処理を行ってきたが10Mを超えたのこれが初めてである。 測定は3Mバイト分のデータ受信速度を測っているが、本日は10回行うと1〜2回10Mを超える結果が出た。どうしてこの様な状態になったかは良く分からないが、翌日試しても同様の結果であった。 それにしても数年前なら考えられない様な数字である。現にオーナーの実家である清水区山切方面では未だにアナログ54Kのモデムを使っている。3年前に1.5MのADSL工事をやった事があるが、モデムが認識せず解約した苦い経験がある。現在でもまともなADSLは無理でブロードバンドをやるなら光になってしまうようだ。何とかならないものだろうかNTTさん!。 |
この時期は何処も祭り騒ぎである。かつては五穀豊穣を前面に出した祭りだったんだろうが、今は殆どの方サラリーマンで五穀豊穣の意味も分からないのでは無いかと思う。大地や天空など自然の恵みに感謝していたのはいつ頃までだったんだろう・・・。今はそんな事は考える術も無く、近所付き合いからはじまる地域の協力や連帯にウエイトが置かれている。・・・ちょっと理屈っぽいが、たまにはそうした背景も考えてみると祭りの仕掛けが見えてきて面白い。 実は家族の住む名古屋市守山区の八剣神社の祭りが昨日あった。恒例の棒の手の奉納が境内で行われ、高2になった三男が参加したと写真を送ってきた。懐かしい風景である。この準備に子供達は約1ヶ月師匠のもとに通い稽古に励む。親達は境内でまく「華」を祝儀袋に\10玉を入れ、師匠を含めた全員の分(一人10袋)を作る。当日演技が始まるとその華が投げ込まれる。何時から始まった習慣なのか分からないが、理屈ぬきで楽しく心意気を見せ付けられる。理屈なんて考えたら恐らく続かないだろう。年に一度の晴れ舞台のために関係者が一同に介すること・・・これを素晴らしいと思わない人には祭りは理解されないだろう。 |
おひまち(御日待)と言う言葉は最近余り耳にしなくなった。都会住まいならなおさらだろう。オーナーの実家(静岡市清水区山切)では毎年10月16日を「おひまち」と定め、神社(東久佐奈岐神社)で五穀豊穣を祝い豊年踊りが開催される。地区の自治会や神社の氏子衆、青年衆や婦人会に子供会、消防団に警察・・・大勢の皆さんの協力を得ながら祭りが盛り上がる。1ヶ月以上前の9月から踊りの練習も始まっている。オーナーもそれに関わっていたので「おひまち」と聞くと他人事に聞こえない。なお同じ学区の庵原町一宮神社では、昭和末期まで奉納相撲が行われ、この季節の名物であった。 前置きが長くなったが、今日の午後駅南のマルツ電波に行った帰りに安東1丁目の「熊野神社」の前を通ったら何と「おひまちの」お祭りだった。あいにくの雨模様であったが、御神燈と書いた灯篭や提灯を見ると、それに関わる人達の心意気や努力が伝わってくる。そして全く知らない所なのに「ちょっと覗いてみるか」という気にさせる。不思議なものである。写真は熊野神社入り口の様子である。 おひまちの祭りを通して、神社の生い立ちや役割を知り、大勢の人が強力する事の素晴らしさを学んだ事が懐かしい。 |
第13回静岡ヘリポート祭りが開催された。静岡ヘリポート(平成4年開設)は静岡流通センター奥の諏訪地区にあり、自宅の上足洗2丁目からは自転車で20分程度かかる。7時過ぎにせっせと自転車をこぎヘリポートに向かった(半分はお手伝いのため)。
天候が危ぶまれ早朝は小雨がぱらつく時もあったが、お昼までに好天になった。 会場は遊覧飛行・消防ヘリの演習・マスコミ機の展示とHD映像伝送デモ等が行われ盛況であった。また恒例である航空部品のジャンク市や各種模擬店も立ち並び数千人のお客さんで賑わった。HD映像伝送はNHKヘリで撮影したHD映像をSHFのデジタルFPU回線でヘリポートへ降ろし、格納庫に設置された50インチディスプレイに映し出していたが黒山の人だかりだった。年に一度の催しものとあって、一般のお客さん以外にいわゆる航空マニアも多く、望遠レンズ付きカメラや傍受用受信機を手にしている人も目についた。 静岡ヘリポートは東西・北の3方を山に囲まれており、風向きによっては山向きの離陸は難しいため、殆どは南向きに離陸するとパイロット氏の弁であった。朝からヘリの音が気になった方もいらっしゃったと思いますが、その理由はこのヘリポート祭りだったんですね。 |
実家で所用があり急遽休みをもらい帰省した。またしても自転車で清水を目指す。休日ではないので北街道の交通量はひときは多く感じる。長尾川・高部小学校南・旧々庵原郵便局前とそれぞれ15分ステップで通過する。それから庵原川沿いを下り草ヶ谷から大乗寺前を通り山切川を登るのが普通のコースだが、今日は庵原川沿いを上り「やぶ店」の先の橋を原側に渡って、雀田から杉山に抜ける道を辿った。昔のこのルートは通称「しるけんや」と呼ぶ切り通しで、トンネルではなく山を切り開いて道路がついていた。しかし今は農地の整理により埋め立てられ、その上に立派な舗装道路が走っている。雀田からの登りはさすがにきつく、途中は自転車を降りて引くハメになった。峠で後ろを見ると庵原町や原地区が逆光に映え、遠くには日本平が臨める。峠からは下り坂で、上空に第二東名連絡路を仰ぎながら、岩入り口を左に見てあっという間に杉山橋まで出ると正面に実家のアンテナタワーが現れる。ここまでは20分位はかかっただろうか。 写真は実家近くにある墓地でオフクロが拾ってきたシバ栗。タイミングが良かったのか、かなりの量である。所用を済ませた帰り際、ゆでたてを持たせてくれた。ホカホカで実に美味しく懐かしい味だった。 |
昨日帰省帰りに駅南のマルツ電波に立ち寄った。帰り際に、何処かで聞いた事がある声がレジ方面で聞こえた。ひょっとしたらと見上げるとOBのO氏であった。直接お会いするのは7年振りのことである。東京に単身赴任している間に定年になられていた。余りにも久し振りだったので店内で大きな声で30分も談笑してしまった。聞くところによると、秋葉でIBMのノートPCを購入したが、起動がうまく行かないので助言を欲しいとの事だった。この日は再会を約束して分かれたが、本日、かつて一緒に物作りに励んだ同僚のN氏を伴い、北安東のO氏宅を訪問した。自宅のある上足洗2丁目からは車で5分も掛からない。目的は勿論IBMノート対策であったが、結果的に準備不足で現状維持で終わってしまい恐縮至極であった。それどころか奥様も交えて世間話から秋葉談議まで聞かせて頂き、おまけに晩御飯までご馳走になり「俺達は一体何をしに来たのか」状態だった。またO氏の城である工作室を拝見したが、こじんまりと整理された工具群に相変わらずの几帳面さを感じてしまった。写真は10月1日発行の「おとなの工作読本No.9」。これを見ているとO氏の工作室での様子が目に浮かんでくる。物作りって本当に楽しい。 |
今年も早いことに10月になってしまった。先月から気になっていたのだが、上足洗2丁目にある田んぼの前に自転車を止め撮影した。 収穫間近の稲を越しに民家と遥か遠方に竜爪山が見える。ついこの間までは真っ青な稲だったはずだが、もうこんなに色づき稲刈りの時期になった。 田んぼにいたはずの水生昆虫や、夏の夜に煩かったあのカエル達は一体何処に行ってしまったのか・・・。それぞれに冬支度を始めたのであろうか。田んぼがあって水が引かれる限り、また来年会えるのだろうか。色々と思いが馳せる。空は何処までも青く高く完璧に秋の様相である。 こんな日に自転車をかけて出勤するなんて何とももったいない。写真は午後1時頃、仕事帰りに撮影したもの。稲にグッと近寄るとあの子供の頃の田んぼの匂いが伝わってくる。匂いだけでその光景を思い出させてくれる。なんと不思議な世界なんだろう。 その後この田んぼの稲は、10月3日に全て刈り取られていた。刈り取られた後もあの独特な匂いが漂っていた。 |