Sep 23. 2005 帰省、山原そして27年振りの浜石岳            
所用で由比町の浜石岳に登ることになり実家のある静岡市清水区に帰省。実家まで約15Kmの道のりは自転車をこぎ、浜石岳へは車で登頂した。・・・静岡-清水を結ぶ通称「北街道」を走る。途中有名なNTT山原(ヤンバラ)無線中継所を左に臨む。写真は清水区の蜂ヶ谷地区から撮影したもの。昭和30年代、この付近に実家の田んぼがあり良く通った。田んぼから見上げる中継所のイメージは40年過ぎた今でも忘れない。当時の梅ヶ谷地区は田んぼばかりだったが、今は何処も住宅地である。記憶を辿ってアングルを決めていくと不思議な事に昔田んぼがあった辺りに辿りつく。山原は東京〜名古屋を結ぶマイクロウェーブ回線の要所だったが、現在は光ファイバーに取って代わりアンテナの殆どは撤去され寂しい。ちなみに右の鉄塔は1969年に建てられ、中学校からその様子を眺めていた記憶がある。それ以前には鉄塔は無く、局舎屋上にホーンリフレクタアンテナがあるのみだった。写真をクリックすると反対側からの映像が見える。
オンマウスすると27年振りに訪れた浜石岳山頂の様子が伺える。左手にNTT浜石無線中継所が見えるが状況は山原と同じである。ところで写真中央遠方に富士山が写っているが分かるだろうか・・・。

Sep 18. 2005 中秋の名月(名古屋市守山区)            
岐阜八百津町のミーティングから帰った。夜中の3時頃車の中に横になって、朝7時前に起きるとさすがに眠い。車で大曽根の平丸ムセン経由(DTMFマイクHM-118TN購入)で帰宅すると10時半頃で、ゲットしてきたGoodsや荷物を車から降ろす元気も無くそのまま横になってしまった。町内会のソフトボール大会があったのだが起き上がる気力がわかなかった。
夜になってCQ誌10月号が発刊になっていることに気付き近所の本屋さんを往復するときに南東の空に中秋の名月を発見。
自宅に戻ってからデジカメを持ち出し矢田川の土手に出た。ススキ越しの満月を狙ったか程よい場所が無く、また明かりの問題もあり思った映像にならない。
写真はデジカメをマニュアル露出にして月に合わせ、ストロボで土手の葉っぱが程ほどのレベルになるように距離を決めた。本当はススキが有ると良いのだが、思ったところに植わっていない。イメージは容易でも、実際に撮るとなると結構大変なのだ。
こんなことをして土手に這いつくばっていると、道行く人が変な目で見て通り過ぎてゆく・・・。

Sep 17-18. 2005 岐阜県八百津町でTGCミーティング            
TGC(TopGunClub)恒例の岐阜八百津町ミーティングが今年も開催された。TGC発起人の一人である川村氏(JA2QXY/JN1DNG)と、昨年も参加したローカルの山形氏(JA2BNV)の誘いもあって初めて参加した。
写真はその会場となった川村氏の生まれ故郷である岐阜県八百津町の実家(9月18日朝撮影)。オンマウスすると前日の様子が分かる。
9月17日の夕刻、関東・信越・北陸・東海・関西から三々五々駆けつけた凡そ40名のHam仲間がアルコール片手に無線談義に花を咲かせた。DX、プロパゲーション、アンテナ、受信機、アンプ、モービル、部品、アルコールとありとあらゆる話題で未明まで盛り上がった。また恒例のジャンケン・オークションは、皆さんが持ち寄ったGoodsがジャンケンで負けた人の手に渡ると言う面白い演出と、川村氏の絶妙な進行が会場の盛り上がりに拍車をかけた。また、アンプに関する助言でお世話になったと声を掛けて頂いた方が幾人もいて驚いた。
ちなみにジャンケンではFT-DX400やSaga電子のZeppANTをゲット・・・またゴミが増えてしまった。参考までに山形氏はIC-730をゲットし満足そうだった。殆どの方が初対面なのに、これだけ盛り上がるのもHamならではの世界と言えるだろう。皆さん、特に奥様方には本当にお疲れ様!。来年も宜しくお願いします。18日朝9時八百津町を後にする。
実は一昨日腰を痛めてしまい病み上がりで躊躇していたが、新しい出会いを求め意を決して出発した。静岡から名古屋までは新幹線で戻り、話の種に7F71RFとGU-84Bをソケット付きで、寝袋と共に車に放り込んで17時出発。愛岐道路で多治見に出て、さらに可児市を経由して八百津町を目指す。途中景気付けに冷えたビールを一箱買って八百津町に突入したのは18時半過ぎだった。

Sep 16. 2005 移動・固定局際免許届く・・・それにしても早い処理            
8月22日に投函した移動局と固定局の再免許がもう届いた。9月2日に帰宅した時は、受理された事を証明するハガキが届いていたが、それにしても早い。
移動局は12月、固定局は来年4月で免許切れになるが、免許の日は両方とも9月15日となっていた。その昔の再免許申請のルールは、「免許が切れる1ヶ月前までに再免許申請をせよ」と決められていただけで、再免許の翌日に出しても法的な問題は発生しなかったらしいが、現在は1年前からでないと受け付けてくれない。
しかし免許切れの直前に送られて来た記憶が強いので、来年4月のが今来ると何か拍子抜けしてしまう。
写真は送られて来た固定局免許。封筒には「重要なお知らせ」として、新方式になった免許状の記載内容についてのパンフレットが同封されていた。新しい「電波形式」の表記みならず、「一括記載コード」も最初は戸惑うに違いない。
カミサンの再免許申請も書いて送るだけになっているが、こちらは再来年の4月なので未だ半年以上待たなくてはいけない。

Sep 14. 2005 四半世紀振りの御前崎灯台            
所用で四半世紀振りに御前崎を訪ねた。当時は御前崎町であったが、現在は浜岡町との合併により「御前崎市」になっている。
昔は国道150号線が御前崎先端を通っていたが、現在の国道150号線は立派な道路になって内陸を通っている。どうも道路標識が可笑しいと思っていたら、昔の国道は県道となっていた。
25歳の頃、愛用の自転車(ロードレーサー)でこの道を浜松から清水まで走ったことを思い出す。また昭和57年頃、仕事で御前崎灯台に来たのが最後だったと記憶している。
写真は昼過ぎに御前崎灯台近くの民宿屋上から撮影した御前崎灯台と遠州灘。御前崎灯台は伊豆の石廊崎灯台と並んで遠州灘・駿河湾・相模湾を結ぶ海洋航行の安全を守り続けている。天気が良く海も穏やかだが、台風が接近したりするととんでもない烈風が吹き荒れ、想像もつかない状況になる。
話は変わるが、この辺りにアンテナを立てたらよく飛ぶだろうなぁと想像するが、逆に風が吹いたら大変だろうなぁと言うのも付きまとって巧く行かない。近傍を見てもアマチュア無線家の大型アンテナは皆無なのは、やはり風を嫌っての事なのか・・・。

Sep 13. 2005 パーツショップイワサキついに閉店            
今日の静岡は残暑厳しく軽く30℃を超えた。日曜日に出勤した事もあって代休の一日を過ごした。郵便局で高周波部品の調達の為に送金したり、駅南のマルツ電波にパーツハンティングに出かけた。その途中、8月末で閉店すると言っていた「パーツショップイワサキ」を覗いた。店中は店じまい準備で雑然としていたが未だ部品購入できた。ご主人によれば、残った部品は関連業者の手に渡るらしい。本当は9月11日(日)を最後に閉店したとの事。内心やっぱりかと思ったが、これは事実である。静岡市で岩崎ラジオから始ったこのパーツショップの歴史は長い。中学時代は地元SBSラジオでCMを流し、CQ誌の広告にも登場、それを見聞きした静岡のラジオ少年達はここを訪れるのが夢だった。オーナーは清水の山奥から静岡の追手町までの20Kmを、自転車で何度も往復した。友人のK氏は21MHz3エレメント八木アンテナを自転車に括り付け、ガニマタで自転車をこごうとしたがダメで結局曳いて帰った。皆懐かしい思い出だ。あると何も感じないが無くなると非常に寂しく惜しい。身勝手な事を言っているが、関係の皆様長い間ご苦労様でした。写真は購入した最後の部品。NAGAOKAの紙袋がなんとも言えない郷愁を放っている。

Sep 10. 2005 久し振りに板金工作            
久し振りに朝から家にいる休日。夜は涼しく既にコウロギが鳴いている・・・もう秋だ。今日の静岡は午前中から気温が上がり、これ幸いと洗濯など行ったが真夏程は乾きが良くない。
異動後に始めたハンドメイド・プロジェクトのオールウェーブ受信機の製作を行う。今日はDDS-VFO関係部品のうち、フロントパネルに関係する部分の工作を行った。詳細はWebにアップしている。
フロントパネルは2mmのアルミであるが、スイッチやLEDディスプレイを取り付ける角穴をいくつも開けた。汗だくの作業となったが久し振りに良い汗をかいた。板金工作は、角穴一つ開けるのにもハンドドリルの丸穴開けから始まり、ヤスリをかけて目的のサイズに広げるため大変な時間が掛かる。しかしその時間の中で先々の工作イメージが次から次へわいて来て楽しい。
写真は組みあがってから電源を供給し仮テストをしている様子。オンマウスすると板金工作中のパネルの様子が分かる。このサイズであけた丸穴が一つ一つ角穴に変身していく。パネルにドリルを入れた時にでた切り屑が何ともいえない。この感覚は金属加工をやったことのない人には分からないだろう。

Sep 3. 2005 今年も9月・・・3年振りに神戸を訪れる            
8月が終わり今年も早9月・・・。静岡駿府公園では未だ僅かにシャンシャンゼミの鳴き声が聞こえ、アブラゼミも元気に鳴いている。この季節の主役はツクツクボウシのはずだが余り元気がない。これも世界的な気象の変化に連動しているのか?・・・数年間も地中で生活し、ようやく地上に這い上がったら、とんでもない天気だったりしたらと気を使ったりしている。時々雨の中で鳴いているセミ音を聞くことがあるが・・・皆人生に必死なんだなぁ。
さて後輩の結婚式・披露宴に呼ばれ久し振りに新神戸駅に降り立った。写真は14時過ぎ、新幹線を降りたホームから山の反対側(南側)を覗いた写真である。もやっていて遠方がはっきりしないが、駅はかなり高台にあるので見通しが良ければ海まで見えるのだろ・・・。
最近の披露宴の演出は我々の頃とは随分と違う印象をもった。託されていた乾杯の音頭も無事果たし、後は飲めるだけ飲もうと思ったが、結局おとなしいお客さんを勤めた。16時半開宴で終了は20時を回り、記憶のある中では最長の披露宴だった。色とりどりの演出や出し物で大変楽しい時間を過ごさせて頂いた。20時41分、新郎新婦の幸せを願いながら、既に陽が沈み真っ暗になった神戸を後にした。