Sep 30. 2006 スズメバチの巣駆除            
オヤジがスズメバチの巣の駆除を依頼され、朝6時半に頃家を出た。犬の散歩のコースを変更し、駆除を手伝う(実際には監視のみ)事にした。愛犬Piggに引かれながら山切川沿いに大道を下る。奥平地区から川側の農道に入り通称桜沢に出た。そこから再び大道の通称切通し(昭和42年頃までは本物の切通しだった)に出る。切通しを下った右側のお宅が目的地。犬に引かれながら到着すると既にオヤジがエアゾルを巣の入り口に吹き掛けスズメバチを弱らせていた。巣に機械的なショックを与えるとハチを怒らせてしまい危ないが、風任せにガスや煙を送ってもハチ達は怒らない。徐々に動きが鈍くなり中には地面に落ちるハチもいる。巣に帰ってくるハチも居るので十分注意する。最後は厚手のビニール袋等で巾着状に覆って取り外す。それにしても頭には網を被るが手は素手と言うのがスゴイ(オンマウス)。成虫は普通のゴミ袋程度では簡単に穴を開けるので注意が必要だ。
この地域では養蜂業者に駆除依頼が良くあり、結果は行政に報告する事になっている。今年はこうした見える位置の作られた巣が多いようで、台風の少ない理由が何となく分かる。実はハチ達は春先にその年の気候までを予測し、巣の位置を決めると言われている。

Sep 23. 2006 吉田拓郎&かぐや姫コンサート(つま恋)・・・BS hiワッチ            
9月23日13〜21時半、吉田拓郎とかぐや姫が31年振りに掛川市の「つま恋」でコンサートを行い3万5千人が集った。1975年8月のコンサートは5万人を集めて業界に大きなショックを与え、それ以降の音楽産業やコンサートに大きな影響を与えた事で有名だ。その時オーナーは21歳。ギター片手に吉田拓郎やかぐや姫の真似事をしていたから、是非とも行きたかったが諸般の事情で叶わなかった。 たとえ若者達に支持されていても、大人の社会からはフォークソングやこうしたイベントは煙たがられ、TV中継もされる事はなかった。写真はNHK-BS hiの放送映像を再撮したもの。全国の茶の間に生中継される状況は、当時を知る者にしたら涙物であり隔世の感を禁じえない。
病気から復活の還暦吉田拓郎も、かぐや姫の南こうせつ・伊勢正三・山田パンダも皆元気だった。また殆どが熟年で埋め尽くされた客席も元気で、全国の若者達はそのパワーに驚いたに違いない。

写真は吉田拓郎と突然現れたゲストの中島みゆき。「永遠のうそをついてくれ」この一曲を歌う。中島みゆきの原点はこのつま恋のポップコンにあり感慨深かったに違いない。オンマウスはかぐや姫(左から伊勢正三・南こうせつ・山田パンダ)。我々の世代には全ての曲が涙物だった。BS hi中継司会のギター小僧アルフィーの坂崎幸之助のトークとギターは最高だし、黒崎アナも知らない世代の筈なのに良く頑張っていた。

Sep 16-17. 2006 帰省・・・彼岸花と20年振りのロードレーサー            
Hanaと実家南側の沢の土手を歩いているとヒガンバナが点々と咲いていた。Hanaに良い位置に来るように口笛を吹いたりリードを引っ張ったりするが、人に言う様には中々いかない。写真は何とかHanaとヒガンバナをワンショットに収めたもの。暑さ寒さも彼岸までと言うが、春と秋に必ず花を咲かせるヒガンバナの習性に感心する。この土手は、U字溝による護岸処理などされておらず、昔は多くのヒガンバナが生息していた。現在はご覧の通りだが時期がやや早いか・・・。
一方オンマウスカーソルで見える自転車は、かつてのご自慢のロードレーサー。1977年頃、清水市の「イシダサイクル」の親父(故人)さんから\50Kで共同購入したモノが母体だが、フレーム以外の部品は殆ど取り替えた。小諸〜清里〜河口湖〜清水、名古屋〜清水、清水〜富士山周遊〜清水、箱根往復、名古屋〜岐阜大正村往復・・・数えたらきりが無いほど長距離を走った。実は会社の後輩で猫好きで自転車好きのS氏におだてられて輪行袋から出し組み上げてみたもの。最後に乗ったのは15年前のファミリーサイクリング。
自転車は不思議なものでじっと見つめているだけで時間の経過を忘れさせてくれる。四半世紀前の記憶が蘇って来る。

Sep 9-10. 2006 帰省・・・引越し荷物の片付け            
6時に起床し犬の散歩にカミサンと出掛けた。山切川の畔を上り、杉山橋を渡って支流に沿って歩く。支流としたのは生まれてからこの川の名前を聞いたことが無いから。暫く歩くと第二東名連絡路高架橋が見える。写真はその辺りにあるクルミの木から落ちた実。アスファルトがやや坂になっているので、落下するとコロコロと転がって行く。我々が見るクルミの姿はこうした硬い殻のものであるが、実は木から落ちるときは果肉で覆われている。果肉が腐食してようやく殻が見える仕掛けだが、良くこんなに硬いモノが出来るものだと感心する。
週末は引越し荷物の整理整頓に明け暮れた。作業を始めると実家の不用品が気になり、トラックで市の焼却場まで何度も往復した。真空管オシロ、業務用オープンリールテープデッキ、クライスラーオーディオのスピーカーCL-1(オンマウス)、スキー用品etc・・・懐かしい日々が蘇るが決別も必要と言い聞かせた。コンテナハウスの中に木製の棚を組み上げスペースを確保。容量不足で分配NFBがトリップする系統の容量を上げたり、旧式の室内蛍光灯を交換するなど電気屋も大繁盛。これらの部材購入のために清水のジャンボエンチョーを幾度となく往復。気温も連日30℃を超え大変な週末だった。

Sep 3. 2006 最後の荷物運び            
月刊59誌斡旋のグラスファイバーポールGP-1000の輸送に苦慮していた。引越コンテナには納まらず、運送屋さんもチャーター便になる旨の返事。それではと云う事で親戚から1tトラックを借り名古屋を往復した。実はこれ以外に長男のアパートへ一時退避していた段ボール箱も幾つかあった。幸い3男が学校に戻るため、カミサンと3人でトラックに乗り東名高速を西に向かった。 途中小笠SAでトイレ休憩したらヘッドランプが点いているとカミサンの声。大して時間も経っていないの大丈夫だろうとキーを回すとエンジンが掛からない。
こりゃ大変と思っていたら、その状況を見ていたお兄さん達が「手押し」が出来ると声を掛けてくれた。売店前の直線部分に車を移動させ、3男と3人のお兄さん達が手押しを行ってくれた。タイミングを図りスイッチオンしクラッチをローギアにつないだら見事一発で掛かった。ラッキィ!。しかしその一部始終は小笠SAに居た殆どのお客さんがご覧になっていた。もう恥ずかしさを通り過ぎていた。
そんなハプニングもあったが、豊田で3男を降ろしてから名古屋に戻り荷物を積んで17時過ぎ無事清水に帰った。写真は8月30日と16日の引越しの模様(再掲)。今日は写真を撮る暇が無かった。