静岡市清水区杉山 青年夜学校 (Sep 10. 2011)

 杉山青年夜学校…杉山は明治初年まで毒荏という油桐を作り、その実から油をしぼり、それを売って渡世していたが、石油の輸入により油は売れず村の大方が貧乏になった。
 名主片平信明翁は茶の栽培をすすめ、一方宅納屋の2階に青年の夜学校を開いた。明治9年には報徳社をつくり村民が結集して村の復災に力を注いだ。
 明治14年にはみかんを導入し、茶とみかんの2本立てにした。 その後めざましい発展をした明治21年には夜学校を建て青年達の勉学への道場とした、数多くの逸話が残されている。
 片平信明翁杉山に生まれる 天保元年(1830年)〜明治31年(1891年)

…以上「杉山青年夜学校・案内板」より転記。
 写真ぬ右は今に残る旧杉山青年夜学校。左下は庭にある二宮金次郎像越しに見える毒荏の木。右下は台風で落下したまだ青い毒荏の実。

 夜学校は戦後久しく杉山青年団の集会場や老人憩いの家として使われてきた。しかし青年団は1980年台に解散している。