郷土研究のページ・・・ここが私の故郷「静岡市清水区山切」です
(旧清水市山切/1961.06.29〜、及び庵原郡庵原村山切/1889.04.01〜1961.06.28)
当地は2003年4月1日より「静岡市清水山切」、2005年4月1日政令指定都市化で「静岡市清水区山切」と変遷した


2024.1.1

撮影時間は東久佐奈岐神社の年頭会(9時開始)の帰路、10時4分。先輩O氏の車で移動。穏やかな年明けだった。眼下の山切地区を見ながら、地元の歴史話で暫く盛り上がった。


2023.1.1

撮影時間は東久佐奈岐神社の年頭会(9時開始)の帰路、9時40分頃。穏やかな年明けで正月の三が日は快晴が続いた。2022年9月24日の台風15号の爪痕はこの写真では分からない。山切川を見ても、多数の護岸崩落があった川とはとても思えない。川前の橋は撤去が決まっている。


2021.1.1

遠方の稜線(茂畑)の手間の稜線で、尾羽畑総とつながる農道工事が昨年から行われているが、ちょっと分かり難いか…。昨年は一度も氷の張らない冬を過ごしたが、今季は昨年12月16日の初氷を皮切りに、複数回氷が張っている。ちなみに本日元旦は厚さ1mm程度の氷が張った。


2020.1.2

写真は向山第二東名山切高架橋下から2日9時17分に撮影したもの。奥平の街道(バス通り)の西側に工場の南側に更に工場が建設された。今年は未だに初氷が無くて暖かく、野山の草木が全体に緑っぽい。こんなことは初めてだ。


2019.1.2

写真は向山第二東名山切高架橋下から2日8時27分頃に撮影したもの。奥平の街道(バス通り)の西側に工場の南側(手前)整地され何か工事が始まっている。


2018.1.1

写真は向山第二東名山切高架橋下から1日9時50分頃に撮影したもの。9時から東久佐奈岐神社で行われた年頭会のあと、自転車を引き徒歩で恒例の正月定点撮影を行った。昨年は工事中だった奥平の街道の西側に工場が建ち稼働を始めている。


2017.1.3

写真は向山第二東名山切高架橋下から3日8時59分頃に撮影したもの。孫の大芽と車で回り恒例の正月定点撮影を行った。奥平の街道の西側に前年より工場が建設中で、田園風景がまた一つ変って行く。


2016.1.1

写真は向山第二東名山切高架橋下から1日9時16分頃に撮影したもの。8時より東久佐奈岐神社で恒例の年頭会を済ませたあと、自転車で向山を上った。過去の写真と比べると、左下の竹藪の成長が確認できる。


2015.1.1

写真は向山第二東名山切高架橋下から1日13頃に撮影したもの。既に陽が西に傾き、高架橋の陰が写真下手に掛かっている。以前はそんな心配は不要だったのだが、陰を避けるには午前中の撮影がベターか。但し余り早いと稜線と日陰とのコントラストが大きすぎて見辛い写真になる。稜線に見える茂畑畑総の整備が急ピッチだ。


2014.1.2

写真は向山第二東名山切高架橋下から1日7時20分頃に撮影したもの。まだ山切地区の大半は日の出前で静まり返っている。


2013.1.3

今期年末年始は例年に無く多忙を極め、定点撮影は1月3日になってしまった。写真は向山第二東名山切高架橋下から1日9時頃に撮影したもの。その第二東名高速道路は昨年4月14日に開通した。


2012.1.1

昨年6月に単身赴任を解消してから初めて迎える正月。写真は毎年恒例の撮影ポイント(向山第二東名山切高架橋下)から1日10時頃に撮影したもの。今年4月にはその第二東名が静岡県下で開通する。郷土はどのように発展して行くのだろうか。


2011.1.3

今年の元旦は福井県高浜町の大雪の山中で向かえた。大晦日からの徹夜だった。凡そ1時間の仮眠後の9時過ぎ帰路に就き清水には16時過ぎにようやく到着。毎年恒例の撮影ポイント(向山第二東名山切高架橋下)から3日8時15分頃に撮影したもの。


2010.1.1

今年の元旦の朝は氷点下まで冷え込み氷が張った。今年も6時半に起床し、7時から行われる山切地区の年頭会(於東久佐奈岐神社)に親父と一緒に参加した。30名程の皆さんが集まり、全員で今年の祈願をした後、境内で焚き火を囲み皆さんとお神酒片手に歓談。毎年恒例の撮影ポイント(向山第二東名山切高架橋下)から10時頃に撮影したもの。


2009.1.1

今年の元旦の朝は氷点下2℃まで冷え込んだ。車の屋根は薄く凍る程だった。今年も6時半に起床し、7時から行われる山切地区の年頭会(於東久佐奈岐神社)に親父と一緒に参加した。50名超の皆さんが集まり、全員で今年の祈願をした後、境内で焚き火を囲み皆さんとお神酒片手に歓談。毎年恒例の撮影ポイント(向山第二東名山切高架橋下)から9時半頃に撮影したもの。


2008.1.1

今年の元旦は早かった。6時半に起床し、7時から行われる山切地区の年頭会(於東久佐奈岐神社)に今年84歳になる親父と参加した。懐かしい地区の先輩方と歓談することが出来、大変有意義であった。写真は11時頃恒例の向山(第二東名山切高架橋下)から撮影したもの。この日は快晴で日の出前の気温は凡そ0度であった。


2007.1.2

今年の1月1日は不精をしてしまい、恒例の正月撮影は2日の午前中に実施した。1日は快晴で撮影日和だったがこの2日は朝から曇天で夕方には時折雨がちらつく空模様だった。撮影ポイントは現在建築中で向こう山にある山切高架橋下の農道。この撮影活動を開始した頃は共同防除小屋が撮影ポイントだったが、現在は山が削られそのポイントを確認することは出来ない。数年前より現在のポイントが定点となった。2007年1月2日10時頃撮影。


2006.1.1

正月恒例、故郷静岡市清水山切地区の写真撮影を行う。左は向山(旧防除山)から第二東名高速連絡路の橋桁の間から実家を中心に撮影したもの。中央奥に25mタワーとアンテナが見える。1980年頃はこのサイズの中に5軒しか住宅が無かった。その後の住宅や工場等の増え具合は予想できなかった。
写真右は近年設置された中部電力の送電線鉄塔状況を示す。写真では分かり難いが左の鉄塔には幾年経っても送電線が張られない。右下鉄塔と中央左鉄塔のルートは1960年台に架設され現用中(154000V)のものだが、何故か中央左鉄塔はど新品でピカピカ。右側の鉄塔2本は広瀬地区にある東清水変電所からの送電線が到着していたが、最近になってそれが中央左のピカピカ鉄塔まで伸びた。この理由が分かる人は相当な電力事情マニアだろう。なおこの地区一体は、この送電線架設によるTV受信障害対策として、中部電力により受信所が設置されケーブル配信が行われている。2006年1月1日14時頃撮影。


2005.1.1

正月恒例、故郷静岡市清水山切地区の写真撮影を行う。写真左は実家の東側の裏山中腹から西方面を臨んだもの。自宅と第二東名高速道路連絡路、それに遠方に南アルプス方面を入れ込んだ定番ショット。写真右は実家西側の山に登り、第二東名高速道路連絡を俯瞰ぎみに撮ったショット。昨年の写真と比較すると工事の進捗状況が分かるが、工事のスピードはこんなものなのだろうか?。2005年1月1日10時半頃撮影。


2004.1.1

正月恒例、田舎の写真撮影。昨年4月1日より清水市は静岡市と合併し、住所も静岡市清水山切となった。かろうじて清水の名称を住所に留める事が出来て内心ホッとしているのは私だけではないだろう。新住所名となって初めて迎える元旦である。写真左は実家の裏山から西方面の眺望で後方で第2東名連絡路の工事が進んでいる。右はその工事現場を向山から見下ろした様子で杉山の岩地区を右に見ながら伊佐布方面に抜ける様子が良く分かる。昨年ついに橋がかけられた。2004年1月1日10時半頃撮影。


2003.1.1

正月恒例、田舎の写真撮影。元旦の朝食で養慶寺跡にある五輪さんの事が話題になった。親父に場所を教えてもらい撮影したのが右の写真。ミカン畑にぽつんとたたずんでいる。左の写真中央右に写る鉄塔の下のミカン畑が養慶寺があった場所。それにしてもこの地区の変わり振りはスゴイ、年々ペースを上げてきている ・・・瑞龍奥(左上)の開発や伊野川原伊野沢右の分譲新築(中央)はこの一年の出来事である・・・2003年1月1日10時撮影。


2002.5.4

実家の直ぐ裏にある小高い山、通称「瑞龍」に登った。ここから西側の第二東名高速連絡路の工事現場方面を臨む。瑞龍にはその昔「瑞龍寺」と言うお寺があったらしい。そこには地元で「五輪さん」と呼ぶ墓石のようなものがあり、現在もここの地主さんは花を手向ける。山切にはかつて三つの寺があったと地元の長老は言う。ひとつは現在も残る保福寺、もうひとつは養慶寺(伊野川原の南で現在は無い)、そしてこの瑞龍寺。これは言い伝えなので、直接瑞龍寺や養慶寺を見た人は今はいない。瑞龍周辺は子供の頃の遊び場で、焼き物の五重の塔が転がっていたのを記憶している。付近には写真のように野いちごが生息していて、5月になると実をつける・・・子供の頃はこれがご馳走だった。・・・2002年5月4日9時撮影。


2002.1.2

向山(通称「防除山」)の一番高いところまで車で上がって見た。第二東名高速連絡路工事現場から自宅方面を撮影した。初めての撮影ポイントであるが、来年以降このポイントがどうなるか分からない。今は正月なので動きは無いが、何時もなら近くで発破作業をやっている。工事現場にこっそりお邪魔して撮影した。この辺りはガキの頃良く歩き回ったが・・・2002年1月2日9時30分撮影。


2001.12.23

向山(通称「防除山」)でミカンきりをやった。上空を第二東名高速道路への連絡路が通る予定で、既に写真のようにバカデカイ橋桁が出来ている。向山のミカン畑から橋桁を仰ぐ、右はミカン畑の一番高いところにある竹薮の前から清水港方面を撮影した。山切も随分と変わったものである。
2001年12月23日15時頃撮影


2001.12.07

右は実家の浦山から第2東名高速連絡路工事現場を臨む。日が落ちて辺りが暗くなっても明かりをたいて毎日18時まで作業を続けている。また暗くなってから山の向こう側で発破音が聞こえた。左はそれより30分程前に工事現場の橋桁の下を歩いた時のもの。それにしても大きなモノを作るもんだ、地形が変わってしまい子供の頃クワガタを捕ったあのコナラの木も今は無い・・・。
2001年12月7日16時半〜17時撮影


2001.01.04

清水市山切地区・・・「通称防除山」から臨む奥平・伊野川原方面、川は山切川。
毎年同じポイントから撮影して来たが、今年は道路工事のため撮影ポイントが変わった。
なお、このアングルには入らないが、右手の稜線後方に霊峰富士が臨める。
かつては、県下有数の温州ミカンの産地だった・・・ここからの風景が私は大好きだ。
右は同じポイントから少し寄ってみたもの、中央奥に自宅のタワーとアンテナが確認できる。
1970年当時、山切地区は90戸程度の集落で殆どが農家だったが、今は400戸を越える街に変身した。
2001年1月4日撮影


かつては静かな故郷だったが、最近の変貌振りには驚く。
四半世紀に渡って撮影してきた写真を掲示しますが、保存状態が良好でないものもあります。
以下をクリックすれば、過去の写真がご覧になれます。ただし一部は工事中です。

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大正4年の地図・・・山切川のルートが現在と大きく異なる、また「庵原川」が「伊佐布川」となっており興味を引く

昭和32年の地図・・・平地の殆どは田んぼで、通称「切通し」の山が未だある

平成12年の地図・・・過去の地図に比べると、随分と様変わりしている